ハチナイ PM   作:ファルメール

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第32球 強化合宿 1

 

 鏡原みづきの球を最初に受けたのは、岩壁将城ではない。そして、父親でもない。

 

 当時彼女は4才。野球漫画を読んで、甲子園やプロ野球の中継を見て、自分もあんな風になりたいとグローブと軟球を手に外へ飛び出したが、ここで問題が一つ浮上した。

 

 当たり前の事だが野球は一人では出来ない。キャッチボールでも相方が最低一人は要る。彼女の回りに野球をやっている人が居なかったのは致命的であった。

 

 泣く泣く、棒に吊したバスケットボールのど真ん中を射貫くように投げ続ける練習の日々。

 

 そんな、ある日の事だった。

 

「ああ、君。もし良かったら、キャッチボールでもどうだい?」

 

 話し掛けてきた人が居た。

 

 高校生ぐらいの年頃の少年で、妙に古臭い服が印象的だった。

 

 年が離れているとは言え野球仲間が出来た事にみづきは喜び、当時は毎日、日が暮れるまでキャッチボールを続けていたものだ。

 

 ある時からは、その少年は座って受けてくれるようになった。ピッチャー志望のみづきはこれにも喜んだ。やはりボールを投げるのがウンともスンとも言わないコンクリート壁と、キチンと反応して手ずから返球してくれる捕手とでは投げ甲斐も違ってくるというものだ。

 

 唯一つ、不満であったのは。

 

「よし一本」「だめ一つ」

 

 彼独特のクセや言い回しなのだろうか。ストライクやボールと言わないのが、どうにも調子が出なかった事だ。

 

 やがてみづきは幼稚園で将城と出会って、やはり同年代の方が話しやすい事もあって少年とは少しずつ疎遠になっていった。

 

 今から10年以上も昔の出来事である。

 

 

 

 

 

 

 

「合宿をするわ」

 

 きっかけは、龍のこの一言であった。

 

 大会も近くなり、しかしまだまだ練習量も足りないと悩んでいた所に、智惠が清城高校は大会に向けての合宿をするという情報を持ってきたのがきっかけで、ならばウチもという話の流れだった。

 

 問題は、その合宿先であるが……それについては当てがあった。

 

「なかなか雰囲気あるにゃー。今日から野球部の合宿が始まるにゃ」

 

 カメラを回しつつ、綾香が言う。

 

 女子野球部一同は、近所の寺の境内に集まっていた。

 

 智惠や神宮寺が駐車場をよく壁当て練習に使っているお寺の住職が、野球好きなので宿泊場所としてお寺を提供してくれるという話になったのだ。

 

「ほっほっほっ」

 

 柔和な笑みを浮かべた、人の良さそうな住職が顔を出した。

 

「さ、まずは挨拶を」

 

「里ヶ浜高校女子野球部。これからお世話になります」

 

「「「よろしくお願いします」」」

 

「ほっほっほっ。私も応援させてもらいますよ」

 

 こうして、合宿が開始された。

 

 まずは合宿の限られた時間を有意義に使う為のスケジュール確認からで、これは分厚い練習メニューを作ってきた龍と、知識面担当の和香の出番だった。

 

 基本的に午前4時起床で午後9時に就寝。朝から晩まで野球漬けである。

 

「後は合宿の目標について改めてここで確認しておきたいと思うんですが……」

 

「勿論野球技術の向上でしょう?」

 

「あと、みんなもっと仲良くなるっていうのは?」

 

「大会前の強化合宿なのよ。技術だけに集中すべきよ」

 

「むぅ……チームワークも大事だよー」

 

 と、それぞれ対案が龍と翼から出た。

 

「目標はその二つでいいと思うわ」

 

 半紙に達筆で「野球上達 みんな仲良く」と書かれた半紙を持って、顧問の掛橋先生がやってきた。ちなみに文字を書いたのはみづきである。

 

「構わないわよね、有原。キャプテンの意見を聞きたいわ」

 

 と、みづき。

 

「あ、あれ……? 私、キャプテンなの?」

 

「違うの?」

 

「そうだとばかり……」

 

 既に部員達は全員一致で、翼がキャプテンだと認めている。これについてはみづきも同じだ。

 

「あんたがキャプテンよ有原。ちなみに私は監督ね。つまり総合司令塔が私で、あんたが現場指揮官って感じからしら」

 

「どう? 有原さん」

 

「……分かりました。気合いで頑張ります!!」

 

「な、なんだかワクワクしますね」

 

「茜も、ちょっと楽しみ……」

 

「ワクワクしてられるのも今の内よ」

 

 脅かすように、龍が言った。

 

「ふふふ。あまり脅かすんじゃないわよ東雲」

 

 取りなすように言うと、愛用の大噴火バット片手にみづきが立ち上がる。

 

「私を筆頭に、有原や東雲と練習してるのよ? みんな、自分で思っているよりもずっと上手くなっているわ。対比するのがキロメートル単位だから、メートル単位の上達具合が分からないだけでね。ちなみに私のスケールは光年単位ね。付いてきて。今から、それを証明するわ。全員、グラウンドに集まって!!」

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、ひまわりグラウンドに集まった女子野球部。

 

 ウォームアップを終えた所で、みづきが切り出した。

 

「さて、じゃあ始めましょうか。河北さん、まずグラブを持ってネットの前に立ってくれるかしら?」

 

「え、あ、うん? こう?」

 

 言われた通り智惠がネットの前に立つと、バット片手のみづきは彼女から10メートル程の距離に立った。

 

「将城、あれ持ってきて!!」

 

「はいはい、ご主人」

 

 手拍子に応じて、将城が両手に籠を抱えてやってきた。左手の籠には硬式のテニスボールが。右手の籠には野球の硬球が詰め込まれている。

 

 みづきはまず、テニスボールを手に取った。ほぼ同時に、将城がいつも通り疑似ナックル発生装置を用意する。

 

「見ての通りこれは使い古しの硬式テニスボールで、軽いけど硬球と同じように弾むの。今から私がこいつをノックするから、河北さんは見事キャッチしてみせて」

 

「……!!」

 

「練習の成果を私に見せてね」

 

 10メートルちょっとという距離も手伝って、緊張しているのだろう。腰を落として注意深く、智惠が身構える。

 

「それじゃ、将城。お願い」

 

「あいよご主人。スイッチオン」

 

 マシンの電源スイッチを入れると、ポンプが作動してノックマシンから空気流が吐き出される。

 

「少し強めに行くわよ」

 

「えっ……」

 

 この一言で、智惠は体に余計な力が入ってしまったようだった。

 

「つ、強めに行くって……」

 

「この距離で……?」

 

 茜や夕姫は、この距離で強めのノックというのは果たして捕れるものなのか、どうか。もしかしたら打球が体に直撃するかもという懸念を隠し切れないでいる。

 

「……」

 

 翼は、信頼と不安が半々という表情だ。

 

 確かにこの距離でまだ野球を始めて日が浅い智惠がノックを受けられるかどうかという不安があるが……ノックを打つのは他ならぬみづきである。彼女は凄い。あるいは本当に野球をやらせたら世界一かも知れない。そしてみづきは野球には誰より真摯でプライドも持っている。間違っても智惠を怪我させるような事はしないだろう。

 

「ともっち、頑張って」

 

「つ、翼……うん」

 

「よし、それじゃ行くわよ。将城」

 

「あいよ。ほれっ」

 

 いつも練習でやるノックと同じように、将城がボールをぽいとトス。

 

 マシンから噴き出す気流に乗って、テニスボールがナックルのように揺れ始める。

 

「ぶりゃあっ」

 

 大噴火バットのスイングは揺れるテニスボールをいつも通り的確に捉え、パコーンっと、いつも硬球よりはいくらか軽い打球音と共に、智惠へ向けて打ち出される。

 

 テニスボールは智惠の一メートルほど手前でバウンドして、土が跳ねる。

 

 果たして。

 

 バシッ!!

 

 捕球音。

 

「えっ……」

 

 グラブの中に収まっているテニスボールを、智惠は一瞬だけ自分でも信じられないように見やる。彼女は、しっかりとこの近距離ノックに対応していた。

 

「と、捕ったーっ!!」

 

「ナイス、ともっち!!」

 

「は、速いけど捕れるよ、翼」

 

 幼なじみに笑いかけながら、智惠は将城へとボールを返球する。

 

「ね? 私の言った通りだったでしょう? みんな、自分で思っているよりはずっと上手くなっているって。河北さん、この近距離ノックだってしっかりと捌けるだけの実力は、あなたに既に備わっているのよ」

 

「ははっ」

 

 にやっと笑うみづき。智惠も同じように笑い返す。

 

 和気藹々とした空気が広がるが……一人だけ憮然としているのは、龍だった。

 

「盛り上がるのは早いわ」

 

「!」

 

 ぴたりと、視線が龍へと集まる。

 

「河北さんが捕れたのはあくまでテニスボールの打球。硬球で同じように捕れなくては、意味は無いわ」

 

 厳しい言い様だが、事実である。

 

「流石は東雲。私の言いたい事、全部言ってくれたわね」

 

 我が意を得たりと、にっこり笑って頷くみづき。

 

「それじゃあ、今度は硬球でやってみましょうか河北さん」

 

 アイコンタクトを受け、将城が硬球をトスする。

 

 いつも通り、硬球が空気に乗ってユラユラと揺れ始める。

 

「えっ……ちょっ……ま……」

 

 先程とは違い明らかに上擦った様子で、思わず後退る智惠。

 

「待たない!! でりゃっ」

 

 最短距離を走る阿蘇山打法のスイングが、空間を揺れる硬球をさっきのテニスボールと同じで正確に捉え、同じ速度、同じ角度の打球が智惠に向けて走る。

 

 先程とほぼ同じ位置でバウンド。

 

 ボールの種類以外はここまで全く同じ。だがここから、智惠の反応が全く違っていた。

 

 何とかボールにグラブを触れさせる事は出来たが、そこまでだった。硬球は、弾かれてグラウンドに転がった。しかも先程のテニスボールの時には真正面から体全体で受け止めるようにしてキャッチ出来たのに、今度は体を打球のコースから外して、グローブだけを伸ばして捕ろうとしていた。

 

「……ふーっ」

 

 安心したように、大きく息を吐いて肩を落とす智惠。

 

「だ、大丈夫? ともっち?」

 

「あ、うん。大丈夫だよ翼」

 

「大丈夫なのは当然ね。鏡原さん、河北さんには当たらないようにテニスボールの時より体の正面からは外して打っていたから」

 

「分かってるわね。流石は東雲」

 

 機嫌良く、みづきは笑う。やはり分かる人には分かるようにさりげなくやっている工夫を、しっかりと指摘してくれるのは嬉しいものである。

 

 そうして、部員全員へと向き直る。

 

「今の河北さんの反応を見れば分かる通り、テニスボールではキチンと捕れた打球が、同じ強さに同じバウンドなのに体は逃げるし顔は逸らす、動きもぎこちない。フットワークもバラバラ。石のような硬球だと、やっぱりそれだけ怖いのね。プレッシャーが掛かる」

 

「成る程」

 

 龍が頷く。一体これは何の実験なのかと思っていたが、これで合点が行った。みづきの狙いはそこにあったのだ。

 

「だからそのプレッシャーを克服出来るようにこの合宿で練習を積むという訳ね」

 

「素晴らしいわ、東雲」

 

 ドヤ顔で、みづきは龍を見る。そして、言葉を続けた。

 

「Every word what you just said was wrong」

 

「えっ?」

 

 みづきがいきなり英語で喋り始めたので、龍は頓狂な顔を見せた。

 

「な、何て言ったのだ?」

 

「ウチに分かる訳無いだろ。九十九?」

 

「……『あなたが今言った事は全て間違いだ』と、そういう意味だよ」

 

「……間違い、って?」

 

 ちょっぴりむっとして、龍が尋ねる。

 

「頑張って打球を捕ろうとする事は、これっぽっちも硬球のプレッシャーを克服してなど……いなーい!! 全然進歩してない、むしろまだまだマイナス志向でしかないという意味よ」

 

「……で、でも、この距離でノックを捕るには頑張るしかないんじゃ……」

 

 おずおずと、小さく挙手して茜が発言する。

 

 それを受け、みづきはクスッと笑って返した。

 

「テニスボールの時は、河北さんはのびのび動いて捕れたでしょ? 全く同じスピード、軌道、弾み方の打球だったのに……だよ?」

 

「「あっ……」」

 

「!」

 

 それぞれ、隣り合う者と顔を見合わせる部員達。

 

「こんな10メートルほどの近距離で、強めの打球なのに、河北さんはしっかり打球に付いていった!! それだけの力は、既に!! キチンと!! 備わっているのよ。まぐれでも偶然でもなく、ちゃんと動けるのよ。テニスボールで捕れたって事は、硬球でも捕れるって事。むしろ、捕れない方がおかしいまであるわ」

 

「……」

 

「そして、私の見立てでは同じぐらいの力は既に宇喜多さんや野崎さんにも備わっているわ。勿論、中野さんや岩城先輩にも。まず大切なのは、それを皆の頭が認識する事よ。それじゃあやってみましょうか。みんな、私に続いて」

 

 パン、と手拍子打って、みづきがくるくると回ってみせる。

 

「私達はできる。この近距離ノックを捕れる力がある。私達はできる。できる。できる。はい!!」

 

 と、全員に向けてホームラン予告のように大噴火バットを向けるみづき。

 

 翼達は当惑したように顔を見合わせるが……

 

 どうやら、言えという事らしい。

 

「で、できる?」

 

「できる……」

 

「……できる」

 

 どうにもリズムが合わず、第一に小さな声だ。

 

「声がちいさああああーーーーーい!! もう一度!! できる!! できる!! できる!!」

 

 大噴火バットを頭上でくるくると振り回すみづき。

 

「で、できる!!」「できる!!」「できる!!」

 

 今度は、声も大きくリズムも良い。

 

「できる!!」「できる!!」「できる!!」「できる!!」「できる!!」

 

「できる!! わけがない!!」

 

「あら」

 

 カクッと、調子が外れたようにみづきはずっこけた。今のは舞子だった。だが、怒った様子も不快に思った様子も無く、質問する。

 

「倉敷先輩、どうしてそう思うんです?」

 

「どうしても何も……テニスボールと硬球じゃ、全く違うわ」

 

「No!!」

 

「えっ?」

 

「No different!! Only different in your mind.You must unlearn what you have learned」

 

「は?」

 

 またしても、みづきは英語で話し始めた。中々に唐突である。

 

「つ、九十九。今のはなんて言ったんだ?」

 

「……『何も違いは無い。違うと頭で思い込んでいるだけだ。今まで学んだ事を忘れる事が必要だ』……かな」

 

 多少意訳は入ったが今の伽奈の通訳に満足したようで、みづきはにっこり笑って頷いた。

 

「本当に、違いは無いんですよ。倉敷先輩。テニスボールと硬球の打球をそれぞれ違うものだと考えているまずそこからして、実際には同じものなのに自分で勝手に難しくしているだけなんですよ。まずはその先入観を取り去るのが肝要……今の自分にどれだけの力が備わっているかを正しく認識して、それを高めるようトライする……それが、プラス志向というものですよ」

 

 後半からは舞子だけでなく、部員全体へ向けた言葉だった。

 

 言い終えると、みづきはくるりと大噴火バットを回して、持ち手を龍へと差し出した。

 

「と、いう訳で東雲。みんなにテニスボールを使った近距離ノックを頼むわ」

 

「……それは、構わないけど。鏡原さん、あなたは?」

 

 戸惑った様子ではあるが、龍は取り敢えずバットを受け取る。

 

「知り合いの野球チームに行って、お古のピッチングマシンを借りてくるわ」

 

「……ピッチングマシン」

 

 ごくりと、唾を呑む音が聞こえたようだった。

 

「打撃練習もしたいけど、全員に投げていたらさしもの私も故障不可避だからね。さっきの東雲の台詞じゃないけど、すごい合宿になるわよ。みんな、覚悟しておくよーに。将城、ついてきなさい」

 

「アイアイ、ご主人」

 

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