ハチナイ PM   作:ファルメール

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第33球 強化合宿 2

 

「さぁ、どんどんいくわよ!!」

 

「おーっ!!」

 

「よぅし、来いっ!!」

 

 みづきと将城がピッチングマシンを受け取りに行ってしまった後、残った女子野球部のメンバーはテニスボールを用いた近距離ノックを行なっていた。

 

 合宿を始める前の龍の見立てでは、経験者である翼や天性のセンスを持つ伽奈以外はもっとこの合宿の練習量に音を上げるものだと考えていたが、しかし予想は嬉しい方向へと外れた。

 

「みんな、のびのびやれてるね」

 

「まだまだ、こんなレベルじゃ大会には出れないわよ」

 

 翼のコメントに、厳しく返す龍。しかし、同じ印象は彼女も持っていた。

 

 全員近距離ノックを受けて、しかし怖がるどころか「待ってました」「望む所だ」とばかり積極的に取り組んでいる。

 

 みづきが言っていた事だ。

 

 テニスボールで捕れるという事は、硬球でも捕れる。むしろ捕れなければおかしいまである。

 

 本当はそれだけの実力を、自分は既に持っている。

 

 出来るように「頑張る」のではない。

 

 出来る事を「信じる」のも違う。

 

 出来ると「知る」こと。

 

 ほんの些細な心持ちの違いだが、そのちょっとした違いが結構重要なもので、同じ練習でもやりがい、モチベーションが全く違ってくるという訳だ。

 

「……認めざるを得ないわね。鏡原さんはきっと指導者・監督としても一流になれるわ」

 

「確かに。前にみづきの夢を聞いたけど……」

 

 究極の野球人。

 

 打って走って守って三振が取れて、他の選手を強くする事も出来て、良い作戦も立てられて、美味しい料理を作れて、整体も出来て、会社経営も出来る人。

 

 途方も無い、見果てぬ夢だ。野球が始まってから100年以上の歴史の中で今まで誰も、そんな事をやってのけた人間はいない。恐らくは未来にも少なくとも今後千年は絶対に登場しないと断言出来る。唯一人、この時代のみづきを除いては、だが。

 

「みづきなら本当にやるかもと思えるから、凄いと言うか恐ろしいと言うか……」

 

「本当に、いつも自信満々ですよね、鏡原さんは……どうすれば、あんな風になれるんでしょうか」

 

 と、夕姫。その表情と声には多大な信頼と憧れ、少しの嫉妬や羨望が顕れていた。

 

「「……」」

 

 翼と龍は顔を見合わせて、少しの間を置いて翼が苦笑しつつ肩を竦めた。

 

 確かにみづきはいつでも自信満々。しかしそれを過信や誇大妄想とは言わせない実力を備えている。まだ中学を出たばかりの女子高生が、150キロオーバーのナックルを投げ、曲芸を超えて奇跡レベルの打撃技術をも併せ持つのだ。はっきり言って人間じゃない、バケモノだ。

 

 彼女の実力はどこで養われ、その自信は一体どこから来るのか。

 

 正直、興味はあるが……

 

「おーい、ピッチングマシン借りてきたわよ!!」

 

「「!!」」

 

 思考を打ち切る声に反応して振り向くと、ピッチングマシンを乗せたリヤカーを引っ張りつつ、みづきと将城が戻ってきた。

 

「それじゃあ、早速試運転してみましょう」

 

 みづきの指示を受け、将城が手際良くマウンドにマシンを設置して、彼女自身は愛用の大噴火バットを回しつつ打席に立った。

 

「ご主人、準備完了だぞ」

 

 スイッチを入れると、マシンが猛獣の唸り声のような音を立てる。思わず、何人かが後退った。

 

「では、試しに一球、来てみて。球速は、取り敢えず120キロで」

 

 あまりにあっさりと言う事と、本人がサウスポーのナックルでさえ150キロオーバー、ストレートに至っては160キロ以上の剛速球を投げる事から感覚が麻痺しているが、これでも女子野球では十分に快速球と言えるスピードである。

 

「オウさ。ほれ」

 

 マシンに硬球を入れる将城。僅かなタイムラグを置いて、加速された硬球が発射される。

 

 打ちに行くみづき。果たして。

 

 ばしっ!!

 

 聞こえてきたのは、木製バット独特の鈍い打撃音ではなく、もっと別の乾いた音だった。

 

 みづきは打撃動作の途中でモーションをストップし、バットから離した左手でボールをキャッチしていた。獣顔負けの恐るべき反射神経。

 

 キャッチした手の位置は、ちょうど彼女の顔の高さ。つまり、もしボールを掴んで止めなかったりそのまま打ちに行っていた場合には頭部に直撃していた事になる。

 

「なっ……」

 

「ふむ……このピッチングマシンは古いから何球かに一球は外れるとは聞いたけど、成る程ね」

 

 もう少しで顔面に硬球がぶつかっていたと言うのに、みづきは涼しい顔である。納得したと言う風に頷いて、キャッチしたボールをマウンドへと返す。

 

 つまり四球か五球かの内に一球は、コントロールが狂った荒れ球になるという事だ。練習と言うよりも、実戦並みである。

 

 ごくりと、誰かが唾を飲み込んだ音が聞こえた気がした。

 

「さぁ、誰からやりたいかしら?」

 

 すました顔で、打席へと手をかざすみづき。

 

「「「……!!」」」

 

 簡単に言ってくれるが、死球の可能性もある打撃練習だ。ある意味では実戦以上の集中力が求められる。流石に皆二の足を踏んだが……ややあって、一歩前に出る者が居た。

 

「よ、よし!! ウチがやるぞ」

 

「おお、では岩城先輩。どうぞ」

 

 打席に立った良美は、発射される速球に対して果敢に打ちに行くが、空振りに終わった。ボールとバットが40センチも離れていて、しかも振り遅れている。

 

「岩城先輩、速球に対してスイングを速くしようとして、構えが大きくなりすぎです。構えは小さくして」

 

「よ、よし」

 

 言われた通り構えを小さくする良美であったが、すぐに不安そうな顔になった。

 

「どうしました?」

 

「いや……構えがこう小さいと、力が入らなくてスイングが遅くなりそうで、速球に付いていけるかどうか……」

 

 これを聞いて、みづきはその言葉が聞きたかったとばかり華やいだ表情になった。

 

「素晴らしい。素晴らしい。とても良い質問です、岩城先輩。確かに構えを小さくするとパワーが落ちる。でも構えが大きいと、ムダな動きが多くなって的確にミート出来ない。では、構えを小さくしつつ鋭いスイングをするにはどうすれ良いか? 答えは絞りです」

 

「しぼり?」

 

「そう、腰を打つ時に回転させるのとは逆方向にあらかじめ絞って、手首もバットを振り出す方向とは逆方向に絞ってみてください」

 

「……うーむ、こうか?」

 

 またしても言われた通り、良美がフォームを修正する。みづきは満足そうに頷いた。

 

「そうそう、要するにゴムやバネと同じですよ。ゴムを一方向に引っ張ると、逆方向へと元に戻ろうとする力が働くでしょ。体も同じですよ。あらかじめ絞って構えておく事で力を溜めておいて、そうしてタイミング良く一気に解き放つんです。あるいは弓を引き絞るイメージが近いかも知れませんねぇ」

 

 説明を終えるとみづきは「やれ」と手を振って合図する。それを見た将城は頷いてマシンにボールを投入した。120キロの快速球が発射される。

 

「っせぇい!!」

 

 元々、良美はみづきからムダな動きが少ない阿蘇山打法ことローテイショナル打法を伝授されている。構えを小さくした分、スイングはシャープに。そして絞りを加えた事により、小さな構えからでもスピードのあるスイングが繰り出され……

 

 キィン!!

 

 金属バットの鋭い打撃音。

 

 打球は、マウンド上のピッチングマシン前方に置かれたネットに直撃して、土台を少し揺らした。その向こう側の将城は、少しも仰け反ったり身をかわしたり屈んだりする動きは見せなかった。自分には当たらないと見切っているのだ。

 

 おおっ、と声が上がる。

 

 さっきは振り遅れていたのに、フォームの矯正でセンター返しに早変わりしたのだ。みづきのアドバイスが的確であった事が、これで証明された。

 

「……確か、腰と手首を絞って構えるんでしたよね」

 

「こう、なのだ?」

 

「あおい、それじゃあ腰を浮かしてるだけだよ。腰の回転を意識して、それとは逆方向に……」

 

 打撃練習の順番を待っているメンバーも、それぞれ素振りで速球のタイミングを計ったり、フォームの修正を行なったりを始める。こうすれば打てるという実例を示した事は、やはり大きかったのだ。

 

 やらされるのではなく、自ら取り組む。良い傾向だと言える。

 

 部員全員が意欲的・積極的に練習に取り組み、短い合宿の時間が有意義に過ぎていく。

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、一日目の練習が終わって夕食・入浴時間も過ぎて午後8時。

 

 後は消灯時間の9時に備えての就寝準備を整えるという所だが……

 

「うん? あれは……」

 

 寝室として使われている大広間から出た夕姫は、ジャージ姿のみづきが将城を伴い、バット片手に歩いているのを見かけた。二人の足は、ひまわりグラウンドへと向いている。

 

 声を掛けようとも思ったが……何故だか思い留まった。

 

 そうして付かず離れずの距離を保ちつつ、二人の後を付けていく夕姫。

 

 ひまわりグラウンドでは、夜間ではあるがあらかじめみづきが用意していたのだろう即席の照明によってマウンドとバッターズボックス周辺の視界は確保されていた。

 

 将城は昼の練習時と同じく、ピッチングマシンの発射役となっている。一方でみづきは打席に立って構えていた。良美へと伝えた阿蘇山打法の進化形である、一本釣り阿蘇山打法独特の構えだ。

 

 マシンにボールを投入する将城。

 

 発射される硬球は、遠目から見ても昼間の練習時よりも明らかに速い。

 

 しかもよく見ると、ピッチングマシンはマウンド上ではなく、1メートルばかり前方へと置かれていた。マウンドから打席への距離が近くなれば必然、球速は同じでも体感速度はずっと速くなるであろう。

 

「ぬがだりゃあっ!!」

 

 ガキン!!

 

 打撃音。

 

 跳ね返されたボールを、将城は身じろぎもせず片手で止める。

 

「はあーーっ、はあーーっ、ふうーーっ」

 

 みづきは額に浮いていた汗を拭うと、深呼吸して乱れがちであった呼吸を整える。

 

 夕姫は、これを見て少なからず衝撃を受けた。

 

 玉の汗を掻いているみづきも肩で息しているみづきも見るのは初めてだった。今まではどんな練習でも試合でも、疲れを見せた事はあってもまだまだ余力を残している感じであったのに。

 

「よーし、この速さにも慣れてきたわ。ぶはあーーーっ」

 

 もう一度大きく息を吐くと、ホームラン予告のように将城へとバットを向ける。

 

「将城、設定を180キロに上げて、マシンをもう3メートルこっちに近付けなさい。それとランダムで変化球を混ぜてきて」

 

「え、180キロに?」

 

 長い付き合いで相方のメチャクチャにも慣れているであろう将城も、流石に表情を硬くした。

 

「ご主人、180キロなどコントロールがブレて危険だぞ。ただでさえこのマシンは中古品で時々外れるのに。それにいくらご主人でも、そんな球をぶっ叩いたら手首の方が粉々に……」

 

「いいから来なさい。私を誰だと思っているの?」

 

 身構えるみづき。

 

「……分かったよ」

 

 もう説得はムダだと将城は諦めたようでマシンを更に打席へと接近させ、指示通り速度の設定を180キロに上げる。

 

 マシンのケイデンスが上がって、音が変わった。ちょっとした爆音のようだ。

 

 変化球を設定して、恐る恐るボールを投入する。

 

 バシュッ!!

 

 離れた位置に立っている夕姫をして、球の軌跡が追えない程のスピード。恐らく体感速度では200キロ以上にも達するであろう、超々剛速球。

 

 ……からの、スライダー。

 

 現実の試合では有り得ない、まさに漫画の世界から飛び出してきたかのような魔球である。

 

「シュッ!!」

 

 迎撃するみづきのスイング。

 

 パキィィン……!!

 

 高く気持ちの良い音を立てて、大噴火バットは粉々に砕け散ってしまった。先端が回転しながら明後日の方向へとぶっ飛んでいって、バックネットにぶつかった。

 

「……!!」

 

 夕姫は、思わず凍り付いた。

 

 当たった所からへし折れるならともかく、粉々になるなど。木製バットとはそんな風に破壊される物なのだろうか。

 

 しかし驚くべきはバットが砕け散ったという点。つまり空振りではなく、体感200キロを超える変化球を、みづきは初見で、しかも掠るのではなくまともに当ててみせたという事になる。

 

「ぬうっ……!!」

 

 みづきは辛うじて形が残ったバットの根元を睨み付けると、叩き付けるように捨ててバックネットに置かれていた予備のバットを手に取った。こちらにも「大噴火」とぶっとい毛筆で書かれている。

 

「もう一丁来い!!」

 

 気合いの入った叫びを上げるみづき。表情も真剣そのもの、鬼気迫るという表現がぴったりである。今までの練習や、試合の中でも一度も見せた事のなかったものだ。

 

「行くぞ」

 

 二球目。発射される異次元速球。

 

 今度は、ストレートだ。

 

 打撃音。

 

 だが、木製のバットとは思えない程に澄んだ音だった。

 

 打球は、将城の顔面直撃コース。しかし、将城は少しも慌てず片手で打球を掴んでしまった。

 

 みづきはしばしポカンとしていたが……やがてぐっぱぐっぱと両手を握ったり開いたりして感触を確かめ始める。

 

 そして、二ヒヒと並びの良い歯を見せた。

 

「良い感じね。今のは感触が少しも無かった。完璧にバットの真芯が、ボールの真芯を捉えた証拠よ。これよこれ。私が望んでいたのはまさにこの感触」

 

「そうか。どうする? 今日はいいところで切り上げるか?」

 

 将城の提案を受け、みづきはにやっと笑い返した。

 

「冗談。この感触を忘れない内に、反復する。今のはまだマグレだった。それを100回やったら100回出来るようにする。偶然を必然にするのよ」

 

「了解、ご主人。まぁ私は何時まででもあんたに付き合うからさ。じっくり行こうじゃないの」

 

 そう言うと、将城は再びボールをマシンに投入した。打撃音が夜のグラウンドに響く。

 

「……」

 

 夕姫は声を掛ける事はせずに、踵を返して寺へと戻っていった。

 

 今までどうしてみづきはどうしてあれほど自信満々なのかと思っていたが……その理由が分かった気がした。

 

 みづきは他の誰がムリだのムダだの不可能だのと何を言っても、気にもしないし知ったこっちゃないのだ。何故ならみづきはホントのホントに、一点の曇りなく自分を信じているから。

 

 信じる事が出来るように、誰にも負けない、他の人が出来ないしマネしようとさえ思わないような凄い練習を重ねているから。

 

 自分はどうだろう?

 

 失敗したらどうしようと、自信を持てないのがコンプレックスで悩みではあったが、では鑑みて、自信を持って然るべき程の練習や努力をしていただろうか?

 

 きっと、本当は同じ不安はみづきにだってある、いやあったのだろう。でもみづきは練習に練習を重ねて少しずつその気持ちを塗り潰していって、その気持ちはまず「上手く行くかも知れない」になって、今やそれを通り越し「失敗などする筈が無い。自分に出来ない訳が無い」という境地にまで達しているのだ。

 

「……」

 

 ふっと、夕姫は微笑する。

 

 何か、どこか……胸につかえていたものが無くなってスッキリとした気分になった。

 

 この気持ちは一時のものかも知れない。

 

 でも、これからの自分が今までとは違ったものになる切っ掛けにはなるだろう。

 

 それがこの夜、夕姫の得た確信だった。

 


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