里ヶ浜高校対向月高校の練習試合。
先行は、向月高校である。
それぞれ守備位置に就く里校ナイン。ベンチに残るのは監督であるみづき、顧問である掛橋先生。みづき専属捕手の将城と、控えである智惠と茜。
「さて」
ぱんと手を一度打つと、みづきは智惠と茜を振り返った。
「二人ともベンチには下がっているけど、一緒に戦ってね」
「え……」
ぽかんとした表情を見せる智惠へ、みづきはにっと自信の笑みを見せる。
「それは一体……」
どういう事かという茜の問いに、みづきと将城は一度アイコンタクトを交わした。
「ベンチに残る者もグラウンドでプレイする者と同じく集中する。声を掛けて苦労をねぎらう。それはたまたまレギュラーで出場するみんなに全員が一体で戦うという一体感を生み、勇気の後押しをしてくれる。そーいう、一体になったチームは強いのよ」
「そうなの?」
「この私が言うのよ? 間違いないわ」
「そうだな。こと野球に関する限り、ご主人の言葉は絶対だ。ああ、あくまで野球に関してだけだからね。他の事は結構いい加減だから、あしからず」
「そーいう事よ。それに、試合の展開やみんなの調子次第では、代打や守備交代で出てもらう可能性だって十分にあるんだから。私や将城、掛橋先生を含め、こうしてベンチに居る者だって立派に戦力の一部。それは忘れないで」
「……う、うん!!」
「分かったよ、鏡原さん」
将城の言葉の後半は聞かなかった事にして、智惠と茜は、グラウンドをじっと見据える。
みづきはバッグからスコアブックを取り出して、試合状況を子細に観察すべく目を光らせている。将城はそのすぐ傍で秘書のように直立不動で控えて、やはり先発である舞子の調子や、向月高校のバッターの指の動きにまで油断無く気を配っているようだった。
確かにこのベンチの誰一人とて、グラウンドでプレイしていないからと言って気を抜いている者など居ないという事が伝わってくる。
掛橋先生は、教え子達のこの姿勢を見て少しだけ涙腺が刺激されたようだった。瞳が潤む。まだまだ若輩者の自分だが、教師冥利とはこういう感覚なのかなと、漠然と思った。
さて、投球練習も終えてプレイボール。
向月のバッターは、少しリラックスしているように見える。
「向こうは一撃で藁人形を吹っ飛ばしたご主人が先発で出てくると思って、緊張していたようだな。それが倉敷先輩がピッチャーと分かって、いくらなんでもご主人よりスゴいピッチャーの筈が無いからほっとしたってところか」
「だとしたらそれは油断ね。倉敷先輩だってスゴいわよ。なにしろこの私がコーチしたんだから」
と、そうこう言っている間に快音が響いた。
バッターが初球から打ってきたのだ。
三塁線ギリギリを抜けると思われた鋭い打球だったが、しかし龍がダイビングキャッチで捕球した。
「アウト!!」
「ナイスキャッチ!!」
智惠の声援が飛ぶ。まずはワンナウト。
続いて二番打者。これも初球から打ってきた。
打球はライトへ飛ぶが、このフライは伽奈が危なげなく処理した。
「ナイス、九十九先輩!!」
これは茜の声だ。
「いいぞ、二人とも」
みづきはご満悦の表情を見せる。
声を聞けば智惠も茜も真剣に、必死に応援しているのが分かる。自分を負かして、蹴落としてスタメンになった皆の活躍を。
素晴らしい。
こんなスゴいチームを監督として指揮できるのは、名誉な事だと思う。
「うんうん」
すぐ隣で控える将城も、ご機嫌に頷く。だが、それも長くは続かなかった。
また打球音が響く。
今度はセカンドの脇を抜けて、センター前のヒットになった。
一塁にランナーを置いて、迎える四番打者。
この状況で、みづきと将城の表情は難しいものへと変わった。
ここまで、龍と伽奈の好守でツーアウトにはなっているが三番打者までことごとく良い当たりをされている。
「うーむ、ご主人。投手は立ち上がりが問題だとは昔から言い尽くされているけれど。今日の倉敷先輩もそのパターンなのかな」
「まぁ先輩、試合は初めてだからね。私もこの程度は想定内よ」
それを聞いた智惠が注意深く見てみると、成る程確かに、どことなくだがセットポジションも堂に入っていないと言うか、動作が断続的でぎこちなく感じる。練習ではこんな事は無かったのに。舞子はまだ野球を始めて日が浅いし、実戦マウンドの感覚を掴めていない事なのだろう。
そして三軍とは言えそこはやはり強豪校である向月。こちらの隙を、抜け目なく狙ってきた。
ランナーが盗塁を仕掛けてくる。和香が牽制球を投げようとするが、すっぽ抜けて落球してしまった。当然ながら二塁はセーフで、得点圏にランナーが進んでしまった。
「ドンマイドンマイ」
ここで、翼が声を上げる。
やはり経験者だけあって、良い掛け声のタイミングと言える。
そうして、プレイは続行されるが……
「おっと」
これはちょっと和香か、あるいは自分がミスったかなとみづきは自省する。どうも、今ひとつ流れが良くないのでここは一度タイムを掛けて、投手である舞子に一呼吸置かせて落ち着かせるタイミングだった。
だがもう舞子は投球動作に入ってしまったので、今からではタイムは認められない。
「あっ」
将城が上擦った声を上げた。
同じキャッチャー同士、一刹那だけ遅れて、和香も同じものを感じたようだった。
『甘い!!』
やはり悪い流れを引きずっていて集中力を欠いていたのが祟ったか、甘いコースに入ってしまったボールは、四番バッターに流し打ちされてしまった。打球は伽奈の頭上を越えていく。
タイムリーツーベースで、あっという間に1点が入った。
「ああ……」
「タ……」
「タイム!!」
一度タイムを掛けて仕切り直そうとみづきは腰を浮かせたが、しかしそれより早く和香がタイムを掛けた事で座り直した。ちょっとタイミングが遅れたが、和香はキチンと自分の役目を理解し、こなせている。これなら自分がしゃしゃり出なくても大丈夫そうだ。
そうして落ち着きを取り戻した舞子が五番打者をキャッチャーフライに打ち取ってスリーアウト。
初回の向月高校の攻撃は、1点に留まった。
「さぁ、まだまだ1点。取り返していこー!!」
元気良くベンチに戻ってくるのは、やはり翼だった。流石はキャプテンである。
「有原の言う通りよ。倉敷先輩、初めてのマウンドでよく1点に抑えてくれました」
「……別に。私は自分の仕事をしただけよ」
「うん。すずわかも、悪い流れが続きそうな所でタイムを掛けて、仕切り直したのは良かったわ」
「ありがとう。鏡原さん」
「それから五番バッターは、ちゃんと苦手なコースを衝けていた。バッターは打ちづらそうだったわ。中野さんが集めてくれたデータが正確だった事が、これで証明されたわね」
「出来る事はしとかないとにゃ。もう悔しい思いはしたくないから」
「その意気よ。では次は打撃で、そのデータを活用してきて。期待してるわ」
ばん、と背を叩いてみづきは綾香を送り出す。
「ようし、いったるにゃ!!」
勇んで打席に立った綾香。
まずは第一球、これは見送る。
コールはストライクだ。
『こ、これが、三軍とは言え名門向月のピッチャーの球かにゃ!!』
遅い。
収集していたデータでは、もっと速かった気がしたが……
そう思いつつ、もう一球様子を見てみる。今度は僅かにコースを外れて、ボールがコールされた。
『……』
ちらっと、ベンチで声を出しているみづきを見やる綾香。
『そうか。いつも打撃練習で、鏡原さんの豪速球を見ていたからにゃ』
みづきが投げる球は、時速150キロを軽く超えてしかもキレて重い。
同じスピードでも人間の投げる球と機械が投げる球は全く違うと聞いた事があるが、確かに合宿でマシンを150キロにセットしたボールを見た時には、打席から離れて見ていても思わず後退ったし、打席に入って見ていた時には尚更、腰が抜けそうになった。そしてみづきが実際に同じスピードのボールを投げ込んできた時には、コースはど真ん中、自分はボックスの一番後ろ外側の離れた所に立っていたのに、尻餅を付いてしまった。
こんなのが体に当たったらと、ある意味今まで生きてきた中で最もリアルに「死」を実感さえしたかも知れなかった。
だがそれでも、何度も繰り返す内に少しずつ慣れていく事が出来た。寧ろ中古品で5球に1球は外れてコントロールの定まらないマシンより、抜群のコントロールで針の穴をも通すみづきの方が安全に思えた程だ。
『よくよく考えなくても、鏡原さんみたいなバケモンがそうそう居る訳ないにゃ。って言うかそんな沢山居てほしくない。あの球に比べたら、まるでスローモーションのようにゃ。これなら……』
当たっても死にはしないと開き直って、思い切りよくタイミングを合わせて振り出したバットはジャストミート。左中間を抜いて、二塁打になった。
わっと歓声に湧く里校ベンチ。
次は二番打者のあおいの打席。
あおいも、初球は見送った。表情を見るに、彼女も綾香と同じものを感じたようだ。
再び、響く快音。
ライト方向へ流し打って綾香も進塁。ノーアウト一三塁になった。
続いて三番打者は翼。
向月高校の投手は、まだ新設の女子野球部にここまで打たれるとは思っていなかったようだ。マウンド捌きからは、少し戸惑いが見える。
ストライクが入るが、
「ダメね。あの子にあんな棒球じゃ」
「同じ球がもう一度来たら、有原は打つわよ」
これは期せずして両ベンチに座る椿とみづきの意見が一致した。
甘く入ってきたボールを、翼はジャストミートしてホームラン。3点が入った。
続いて龍と伽奈も続け様に二塁打を打って龍が生還し、4点目。
良美がライトフライを打上げてワンナウト。
更に夕姫も二塁打を打って伽奈をホームに帰して5点目が入ったが、舞子と和香はどちらもゴロを打ってアウトになってスリーアウト。
里校側初回の攻撃は5点で終わった。
「うん、みんな良かったわ。だがこのリードを守る……なんて弱腰じゃ負けるわ。攻めの姿勢を崩さず、守って打って、更にリードを広げるつもりでプレイするのよ!!」
「うん!!」
「分かったわ」
そうして各々の守備位置へと散るメンバーを送り出すみづき。そんな彼女に、将城が尋ねる。
「この展開は予想していたかな、ご主人?」
「いや……みんな思った以上に上達していたわ。しかしいくら三軍とは言え、向月高校も甘くはない筈。必ず反撃に転じてくるでしょうね。逆にこっちはいくら上達はしていても、ある意味短期間での促成栽培だからね。実績が伴ってないから、どこかでボロが出る可能性は高い」
「じゃあ……5点取っても厳しい試合になるって事?」
「うん♪」
みづきは認めた。
「だがそれこそこちらの望む所。以前の清城高校との試合でも言ったけど、勝つにせよ負けるにせよ大差で集中が切れる展開は望ましくない。緊張感のある試合こそ、最高の練習になるのよ」