ハチナイ PM   作:ファルメール

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第38球 VS向月高校 4

 

 五回表には守備のミスもあったが、しかしそれ以上に指摘されてすぐに修正してみせた事と、その応用までこなした里校ナインを、みづきは両腕を広げて出迎える。

 

「野崎さん、阿佐田先輩!! 素晴らしい、素晴らしかったですよ!! 見事なトリックプレイでした!!」

 

「あ、鏡原さん……」

 

「でも、最初はしくじってしまったのだ」

 

「阿佐田先輩、最初のミスは選手の責任ではないですよ。シフトを変えるタイミングは、私がまだ教えていなかった。教えてない事が出来ないのは当然の事。あれは指導者である監督の責任です。つまり、私のね」

 

 注意の一つはされるかと思っていただけに、こうも手放しで褒められるというのは夕姫もあおいも予想外であったらしい。ぽかんとした表情になった。

 

「そしてミスの修正だけでなく、自分達で考えてニセのシフトを使った事が素晴らしい。これはちょっとでも倉敷先輩を、ひいてはチーム全体を助けようという動きですよ。これが素晴らしい!!」

 

 みづきはここでくるりとターンを踏んで、チーム全員に視線をやる。

 

「誇りに思っていい。みんなは、スゴい選手だよ。この私が言うんだから、間違いない」

 

 守備位置のファインプレーを見せ、そしてベンチでは監督の絶賛。否応なく、チームメンバー全員気を良くして士気が上がった。

 

「さぁーて、有原。この五回裏、打順は良し。三番のあんたからよ。もう一発、ぶちかましてきなさい!!」

 

「よーし!!」

 

 みづきにばんと背中を押され、送り出された翼。

 

 初球は見逃し、ストライク。二球目も見逃して、ボール。

 

 そして三球目。翼は甘く入ってきたボールを見逃さず、引っ張ってレフト前へと打ち返した。

 

 だがレフト真っ正面だったので、これはシングルヒット止まりかと二塁に走りかけていた翼は一塁に戻ろうとするが、

 

「あ、有原さん。あれ!!」

 

 慌てた一塁コーチャーの茜が指差す方向を振り返ると、レフトが打球をトンネルした所だった。

 

 焦って二塁に走るが、間一髪ボールの方が早く翼は二塁でタッチアウトになった。

 

「あちゃ……」

 

「ご、ごめんなさい有原さん。茜がもっと早く、ちゃんと指示していたら……」

 

「ドンマイだよ、茜ちゃん!!」

 

 申し訳なさそうに目を伏せる茜の肩を、翼はぽんと叩く。

 

「初めてのコーチャーなんだから、ミスを恥じる事は無いよ。でも、そのミスがどういう結果をもたらすかは覚えておいて。それが次に繋がるから……って、みづきならそう言うだろうね。次、繰り返さなければ良いんだよ」

 

「う、うんっ!!」

 

 声真似してみせる翼を見て、茜も気持ちがほぐれたらしい。

 

 気を取り直して、コーチャーの役目に集中しようとしていたが……その時だった。

 

「レフト交代よ!!」

 

 椿の声が、グラウンドに響いた。

 

「ま、待ってください。次はちゃんと……」

 

「向月に下手な選手は要らないの」

 

 レフトの抗議を、椿は一言で切って捨てた。

 

「あんた達も、こっからはみっともないプレーしたら替えるからね!!」

 

「何なのあれ……」

 

 ミスを許されない向月ナインもそうだが、この厳しい采配には里校側までギスギスとした雰囲気が伝染してきた。

 

「向月は部員数では全国優勝の界皇をも凌ぐ層の厚いチームだからな。代わりはいくらでもいるって事だろ」

 

 と、これは将城。

 

「むうっ……これ見よがしに選手層の厚さをアピールしおってからに……」

 

「か、鏡原さん?」

 

 何やらみづきの様子がおかしい事に、すぐ傍に居た夕姫が気付いた。

 

 そう言っている間にも、4番の龍がツーベースを打った。

 

 これで5回裏はワンナウト二塁。里校側は得点圏にランナーを置いて、追加点のチャンスである。

 

 伽奈が打席に向かおうとするが……

 

「負けてたまるか!! あっちが『代わりはいくらでもいる』なら、こっちは『代わりなど一人も居ない』で勝負してやるわ!! 代打、九十九先輩に代わって宇喜多さんよ!!」

 

「「ええっ!?」」

 

「あ、茜が……?」

 

 いきなりの代打宣言に、他のチームメイトは勿論だが指名された茜自身が一番驚いたようだった。

 

「……一応聞いておくが、ご主人。判断力は正常に働いているだろうな?」

 

 付き合いの長い将城が、少しだけ疑念の滲んだ表情で尋ねる。

 

 まさかとは思うが、椿があっさりと選手を交代させて選手層の厚さを見せ付けられた事で、頭の中で妙なスイッチが入って意地になったのでは……

 

「勿論よ、将城。この私を誰だと思っているの?」

 

「……ならいい」

 

 即答。全幅の信頼もあってか、将城はそれ以上追求はせずに引き下がった。

 

 そこに、一塁のコーチャーズボックスから茜と、彼女に代わってコーチャーに入るべく伽奈がやってきた。

 

「……鏡原さん」

 

「すいません、九十九先輩。ここは私のワガママを聞いてもらえますか」

 

「いえ、私は選手で監督は鏡原さんですから……監督の指示には従います」

 

「鏡原さん、こんなチャンスで、茜が代打なんて……」

 

「宇喜多さん、これは練習試合なのよ。つまり、試合……実戦ではあるけど練習なの」

 

「え……」

 

 あまりにも当たり前の事をみづきが言うので、かえって茜は戸惑ったようだった。

 

「練習の中で監督は可能性を確認し、選手は自信を獲得するのよ。この展開は、私の想定の範疇にあるわ」

 

「……つまりこの代打で宇喜多さんは自信を付ける結果を出す。打つと、鏡原さんはそう考えているという訳ですね」

 

 言外のメッセージを的確に読み取り、そして代弁した伽奈へ、みづきはにっこり笑って頷き返す。

 

「そうでなければ、いくらリードしているからって、この試合当たっている九十九先輩を替えたりしませんよ」

 

 そうして、みづきは長身を縮めて茜と視線を合わせる。両肩にぽんと手を乗せた。

 

「宇喜多さん、あなた前に私が教えたスイングの素振りを、あれから毎日やっていたでしょ。その成果を試してみるのよ。試合とは書いて字の如く試し合い。練習でやってきた事を発揮する場なのだから」

 

「え……見て……くれてたの?」

 

「勿論♪ 監督が選手を見るのは、当然でしょ」

 

 何でもないように、みづきは頷く。

 

「で、でも……」

 

 だが、まだ茜の中から不安は抜けきらないようだ。みづきはここで「ふむ」と軽く嘆息。

 

「将城、向月高校の女子野球部って、全部で何人だったっけ? 中野さんが調べてくれただけでも67人。試合まで時間が無くて全員はムリだったようだからそれ以上は確実に居るんでしょうけど……」

 

「そりゃあ三軍まであるんだからなぁ……人数の分布が山型だとしたら……一軍が18人、二軍が36人、三軍は72人って感じで……まぁ100人は確実に居るだろうな」

 

 向月高校の女子野球部はそれほどの人数の中から、たった18人のベンチ入り、そこから更に9人のレギュラーを奪い合う熾烈な競争の中で、常に鍛え上げられているのだ。

 

 故に三軍と言えど、決して甘い相手ではない。

 

 対して里校は、兼任監督であるみづきを入れても13人。

 

「早い話がウチの10倍近い人数が居るって事よね」

 

「い、いくら練習試合でもそんなスゴい所との試合に茜が……それもこんなチャンスで……」

 

 もし失敗したら。

 

 誰もが抱くその感情は、やはり茜の中にもあるようだ。

 

「じゃあ聞くけど宇喜多さん。代打って、何でもないような……よーするに打ってもアウトになっても関係無いような場面で使うようなものかしら? 公式戦でやらない事を、練習試合でやったって仕方無いし意味が無いでしょ」

 

「!! それは……」

 

「……唯一つ例外があるとしたら、9回になって大差で負けていたりして勝負を捨てての温情代打だろーけど……」

 

 くるっとベンチのメンバーを振り返って、みづきは大仰に両手を広げてみせる。

 

「みんな、この私が温情代打など命じると思う?」

 

 この問いには、ベンチのメンバー全員が(掛橋先生まで)訓練されたシンクロナイズドスイミング選手のように、一斉に首を横に振った。

 

 みづきは絶対に、最後の最後まで試合の勝利を諦めたりはすまい。9回裏ツーアウトで100点差を付けられていても、サヨナラ逆転勝利を大真面目に考えるだろう。

 

「ちなみに折角ベンチ入りしたのに、一度も試合には出ずに終わるのが可哀想だからせめて一度は打席に……ってのが温情代打だけど……私に言わせれば、監督も本人も打てると思っていないのに、それで打席に立たせる方が残酷だし可哀想よ」

 

 逆に言うと、みづきは茜が打つと思っているから打席に送るという事だ。

 

 こと野球に関して凄まじい実力と眼力を持つみづきがこう言うのだからと、茜にも少しずつ勇気が湧いてきたようだ。表情からは怯えが取れてきている。後一押しといった所か。

 

「それにね、宇喜多さん。確かにこっちのチームの規模は向こうの10分の1。でもだからって、向月だけが選手層が厚い訳じゃあないのよ」

 

「え……」

 

「選手が10分の1しか居ないって事は、例えば120人を鍛える時間や労力をその12人に向ければ、一人当たり10倍の濃度で注入出来る。つまり、ウチのメンバーは全員が、連中の10倍はスゴい練習を積んできているという事なのよ!! 自信持って行ってきて!!」

 

「な……」

 

「あっちが『代わりはいくらでも居る』で来るなら、こっちは『代わりなど一人も居ない』で勝負するってこういう事かにゃ……」

 

「無茶苦茶な理論ね……」

 

「けどそうかも、と思わせるような勢いや熱があるのだ。かがみんの言葉にはな」

 

 こうして、さっきの翼と同じように背中を叩いて茜を送り出したみづき。再び、くるっとベンチを振り返る。

 

「みんな、さっきの私の言葉、確かに宇喜多さんの士気を上げる為に多少の演技過剰はあったかも知れないけど、向月だけが選手層が厚い訳じゃないという言葉はホントよ。多くは出られない控え選手だとしても、宇喜多さんはしっかりと練習を積んできている。そうした選手が居る限り、たとえ総勢18人に満たないメンバーだとしても、選手層が薄いなんて事は決して無いわ!!」

 

「お……おおおっ!! その通りだ鏡原!! さあどうしたみんな、応援だ!! フレー、フレー、う・き・た!!」

 

 触発された良美が、声高らかに応援を始める。

 

「それにしても、鏡原もいいとこあるにゃ。努力してる人はちゃんと使ってくれるなんて」

 

「中野さん、ご主人はそこまで甘くはないぞ」

 

「え?」

 

「努力だけじゃ出しはしない。実力をも認めなきゃ、打席には上げないさ」

 

 打席に入る茜。

 

『……いつか私も……』

 

 三塁のコーチャーズボックスで、その姿を見た智惠が拳を握り締めた。

 

 第一球。初球は外角へストレート。ストライクがコールされる。

 

 セカンドランナーの龍からは、外角一杯へボールが決まったのが見えた。

 

『……良いコースに入っているわね。九十九先輩から宇喜多さんに代打になった事で、リラックスしたのかしら?』

 

 みづきの実力は今更疑わないが、弘法も筆の誤りとも言う。この代打に関しては采配ミスだったかもと、龍は訝しんだ。

 

 当のみづきはと言えば。

 

「まだ出来たばかりの女子野球部にどれほどの控えが居るというのか。控えになればなるほど、層がどんどん薄くなっていく筈だ。この代打は体も小さいし、構えもこぢんまりとしている。打たれた所で大きいのは無いだろう。恐るるに足りない……と、今、向月のピッチャーはそう思っているわよ」

 

「……鏡原さん」

 

「だが、その考えこそが大間違い。私はみんなに、まず野球の楽しさ、面白さを伝えているつもりよ。楽しんで練習する事は、何より人を成長させる。ウチの野球部員が……控えとて決してレベルが落ちる訳ではない事を、思い知る事になるわ。まぁ、見ていてみんな」

 

「……有原さん?」

 

「うん。今の一球、茜ちゃんはしっかりタイミングを測ってた。いけるよ!!」

 

 話している間に、第二球が投じられた。

 

『……来たっ!!』

 

 さっきと同じ外角の厳しいコース。

 

 茜は、まず軸足の右を蹴り出し、その力を腰の回転へ。体幹のその動きに巻き付くように、バットを繰り出す。毎日練習して、体に染み込ませた動作だ。

 

「よしっ、良く振れてる!!」

 

「あれ、あれよ!! あれが私の教えたスイングよ!!」

 

 同じものを、セカンドから龍も見ていた。

 

『打てる!!』

 

 確信を得て、スタートを切る龍。

 

 そして、一瞬遅れて気持ちいい音が響いてくる。

 

 茜の小さな体から繰り出されたとは思えない程に鋭いスイング。そして速い打球。

 

 引っ張った打球が左中間を抜いた。

 

 二塁ランナーの龍がホームへ帰り、茜自身もヘッドスライディングで二塁に飛び込んだ。判定はセーフ。

 

 わっと、里校ベンチから歓声が上がる。

 

「やった!!」

 

「ね、ね!! 私の言った通りでしょう」

 

 見事なドヤ顔を浮かべるみづき。

 

 続く夕姫はライトフライに終わったが、続く良美のフルスイングがライト線ギリギリの打球となって茜もホームに生還。舞子はゴロでアウトになって五回裏は終了。

 

 ここまでで両校の得点は7対2。里校側が5点のリード。

 

 試合が中盤に差し掛かっている事を考えると、逃げ切りも十分に可能な点差だと言えるが……

 

 ちらりと、みづきは戻ってきてすぐにグローブを持って出ていく舞子を見やる。

 

 一つ気になるのは、彼女のスタミナだ。初回からずっと全力投球だから、疲れが出てくる頃合いである。

 

「そろそろ、私の出番かな……」

 


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