「それではお互いの健闘を祈って、かんぱーい!!」
「かんぱーい!!」
「か、かんぱーい……」
いよいよ女子野球の全国大会が始まる。
里ヶ浜高校女子野球同好会も当然これに参加する事となり、球場にほど近い宿舎にて一泊する事となった。
さて、大会の組み合わせが発表となって里ヶ浜高校は初日第一試合。相手は以前の練習試合にて惜敗した清城高校である。そして偶然ながら、同じ宿舎にて宿泊する事となっていた。
「泊まる場所が同じなのは良いとして、どうして対戦相手と食事まで……」
「同感だわ」
と、これは小也香と龍の台詞である。
「こういうのはみんなで食べた方が美味しいですから」
「それにコンロのレンタルも一つで済んでお得ですし」
「清城も部を復活させたばかりであんまり贅沢は出来ない筈だにゃ」
「はぁ……早く食べて明日に備えますよ」
「「「はい」」」
真面目な小也香の方針や気質が良く浸透しているらしく、清城高校部員も特に不満は無さそうに応じた。そこに、みづきがやって来る。
「どう神宮寺、楽しんでる?」
両手に持った焼きそばの皿の一つを、気安く差し出すみづき。小也香は少しだけ躊躇った後で、「どうも」と受け取った。
「第一試合とは驚いたわね。私達もあれから随分鍛えたし、この前の雪辱戦をさせてもらう事になるわよ」
「鍛えたのはあなた方だけではありませんよ」
「ほう?」
不敵に返す小也香に対して、みづきも一歩も引かずに応じる。
「あれから、私達は毎日のように特打を行ないました。マシンを160キロにセットしてね」
「「!!」」
ざわっと、里校メンバーに動揺が走る。例外はみづきとその相方たる将城、ただ二人。
「流石にその速さの変化球はまだカットが精一杯ですが、直球を振り遅れる人は控えも含め一人も居ません。明日の試合では、あなたを見事打ち崩してみせますよ」
さらっと言ったが、実際には恐ろしい事この上無い内容である。
メジャーの屈強な男とて、100マイル(160キロ)を投げる投手は、数える程しか居ない。そしてそれは当然ながら直球の話。その速度で曲がったり落ちたりする変化球など、誰も投げる者の居ない夢のようなボールである。
そんな球を、清城ナインは直球をミートし、変化球でもカットはしてみせると言うのである。男性のプロ野球選手以上の事をやっている事になる。
普通、150キロ以上の球となれば動態視力を高めるだけでも一月は掛かろうというものだが、短期間でそれを打ち返すまで行くとなると、異次元の成長速度と言える。
「……随分と、思い切った事するわね、あなた」
動揺していないとは言え流石のみづきも、それを聞いて目を丸くした。
「たとえそれで私を打てても、他が打てなくなるわよ? タイミングが合わなくなる」
女子野球では、時速120キロも出れば十分に速球。130キロは豪速球と言える。
あくまで160キロを投げるみづきが突然変異のバケモノなだけで、他の投手は全てその速度域である。みづき一人に合わせて30から40キロも差のある感覚を体に覚え込ませてしまっては、他の投手を相手にする際に悉くタイミングを早く振ってしまって、空振りを喫してしまうだろう。
「あなたが率いる里ヶ浜高校は、確実に勝ち上がってくる。ならばどこかで、あなたとぶつかる事になる。それに備えるのは当然です」
「へえ」
「……それに、仮にあなた達と戦わずに優勝を果たす事が出来たとして、それは有名無実。名門清城高校の復活には結び付かないと、そう思いましたから。女子野球界最強……と、言うより恐らく人類最高峰のあなたを打ち込んでこその優勝だと、私はそう確信しています。少なくともそういう気持ちで挑む事が、大切だと思いましたから」
ああ、と将城は頷く。
理解出来た。小也香もまた、みづきが放つ強烈な閃光(エナジー)に目を焼かれたのだと。否、彼女だけではなく清城高校野球部そのものが。
ライバルが居るから燃える。スゴイ選手が居るから、そいつを倒そうと、そいつに並び立とうと、あるいはそいつの輝きを更に強めようと、才能ある者が努力し、その世界のレベルを高めていく。
みづきこそが、この時代の女子野球界を牽引する先鋒なのだ。
「ふふ。私達を倒す為にそこまでやってくれるのは、ライバル冥利に尽きるわね」
そう言うと、ジャージのポケットから硬球を三つ取り出した。そうしてお手玉のようにジャグリングを始める。
「確かに、マシンで160キロの変化球にも食らい付くのは物凄い……が。でも、マシンはマシンであって、何処まで行ってもこの鏡原みづきではない。決して。それを、今から見せてあげるわ」
「……?」
「将城!! あれをやるわよ」
そう言って、宿舎を指差すみづき。流石に此処は長い付き合いの阿吽の呼吸。
「ははん、ご主人。あれをやるのか」
キャッチャーミットを左手に嵌める。
「何何? 何するの?」
翼達も、興味を持ったようで近付いてきた。
「有原、あんた達も将城の後ろでじっくり見ると良いわ」
「……成る程」
恐らく、三球限定で本気のボールを見せるという事なのだろう。
みづきの本気を受け止められるのは将城一人。清城高校は勿論、里校側とて間近でそれを見るのは良い勉強になる。
「じゃあみんな、私に付いてきてくれ」
「?」
しかし意外。
この場でキャッチボールを始めるのかと思いきや、将城は宿舎の方へと歩いて行く。
みづきだけは屋外に残ったままだ。
狐につままれたような顔の里校と清城高校の面々は、将城に先導されて宿舎へと入った。
「えーと、この辺りかな」
宿舎の一室へ入る。
その部屋からは、ちょうど屋外の食事スペースを臨めるようになっていた。外に残っているみづきが、手を振ってくるのが見える。
「隙間は、これぐらいで良いかな」
閉まっていた窓を、換気分ぐらいのスペースだけ開ける将城。
「ま、まさか……」
ここまで来ると、みづきが何をやるつもりなのか? 皆にも想像が付いてきた。
外に残ったのはボールを持ったみづき。そしてキャッチャーの将城は室内に移動して、そして窓を開ける。これだけの材料が揃えば、推理は容易い。
みづきは、この10センチほどの隙間を通してボールを投げてくるつもりだと。
「ちょ、ちょっとみづき……いくらなんでも……!!」
「こんな事して窓を割ったりしたら、大問題になりますよ?」
硬球の直径はおおよそ73から75ミリ。10センチは、ボールが少しだけの余裕を持ってやっと通るだけのスペースである。いくらみづきに、魔球0.0625という針の穴を通す程のコントロールがあるとは言え、心配にもなろうというものである。こんな所で問題を起こしたりしたら、下手をすれば明日の試合がふいになってしまう。
「私を信じなさいな」
だが当のみづきは、そんな可能性など頭の片隅にすら思い浮かべていないようだった。
そして将城もまた、そんな相方に全幅の信頼を置いているらしい。座って、構える。
「「……」」
翼達も、それぞれ顔を見合わせると、もう腹を括ったらしい。
将城の背後に、腰だめに構えて直に見る。他の者も、出来るだけ距離を詰めて間近でみづきの球を見られる姿勢になった。そうして全員の動きが止まった所で、将城が「OK」のサインを出した。
外に居るみづきも頷いて、振りかぶった。ボールの持ち手は右。
力みが無く、大きくゆったりとした動き。
踵に力が入らず、体の中心が崩れない。
両肘が肩まで上がり、スムースに腕を振り下ろす為のスペースを作り、重心の移動もベスト。
柔軟で、力強い下半身。
そしてフィニッシュは力強い、スパイラルリリース。
「あれは!!」
はっと、翼が目を見開く。
今のみづきのフォームには見覚えがあった。
中学の時、地区大会決勝戦で対決した時に見せた、あのフォームだ。
みづきが真似るのは、世界一のピッチャー。
世界一のピッチャーが投げる、速球。
「「速い!!」」
ボールが伸びて、白い糸のように。
「ひっ!!」
思わず、夕姫や和香は体を竦めた。
一瞬、窓ガラスが粉々に吹っ飛ぶ光景を幻視する。
だが、覚悟していた破壊音が聞こえる事は無く。
ほんの10センチそこそこの隙間を通って、白球は将城のミットへと飛び込んでくる。
一流投手の速球は、ブンと空気にぶつかる音がするが、みづきのこのボールは違う。
キン、と。空気を切り裂く音がする。
そして、何かが爆ぜたような悲鳴を上げるミット。室内の音響効果も手伝って、より大きく聞こえる。
「……!!」
思わず、誰かがごくっと唾を飲み込む音が聞こえた。
160キロに設定したマシンが発射する球よりも、更に速く見える。しかも窓の僅かな隙間を通す、100万ドルのコントロール。これは確かに、マシンはあくまでマシンであって自分では決してない。そう、みづきが豪語するのも納得の一球である。
てっきり、制球力重視でボールを置きに来るかと思っていたがとんでもない。それどころか全力投球であっても抜群のコントロールを維持出来る事をアピールしてきた。
「じゃあ、第二球目。行くわよ!!」
先程と同じく、素晴らしいフォームから投じられるボール。
伸びて、唸る。
「また、直球?」
清城高校のキャッチャー、牧野花が、そう思った瞬間、ボールが消えた。
「なっ……!!」
ズバンと、爆音を上げる将城のミット。
「今のは……」
「スライダーね。しかも恐ろしくキレてた。私の目にも、ボールが消えて見えたわ」
「しかも、そう見えたのは、この室内にボールが入ってきた瞬間でした。つまり、ベース手前で鋭く変化するという事ですね」
ただキレるだけではない。同じスライダーでも直球か変化球か、見極めるのが難しいので打ちにくいのだ。
「では、ラスト三球目。行くわね」
第三球を投げるみづき。
フォームの勢い。腕の振り。今までの二球と少しも変わらない。
しかし。
「!?」
「な、何!?」
「これは……」
ボールが、こない。
豪速球のストレートと、それと遜色無い速度から鋭く曲がる高速スライダーから一転。時速100キロを割るようなスローボール。ボールの握りも、全く同じだった。
その、寸分違わないフォームからのスローボール。
やはり前の二球と変わらず、窓の隙間を通って将城のミットへ飛び込んだ。流石にこの球速では爆音は鳴らずに、ポスンと情けない音が出た。
「……よもや、これほどとは」
絞り出すような小也香の声には、畏敬の念が込められているようだった。
160キロをオーバーしようかというコントロール抜群の速球と、高速スライダー。そして60キロもの落差で繰り出されるスローボール。それらが全く同じフォームから飛んでくる。
自分は明日こんな凄い投手と投げ合うのかと思うと、肌が粟立つようだった。
「如何だったかしら、神宮寺。私のコントロールの冴えは? これなら、もしビルの屋上から隣のビルの英会話教室で、女の子が襲われそうになっている場面に出くわしても、換気分だけ空いた窓の隙間を通したボールの狙撃で、助けられるでしょ」
まず間違いなく、彼女の人生でこの先そんな場面に遭遇する事は絶対に無いだろうが……それはさておき、外から窓を開けて、みづきが尋ねてくる。
「……お見事。それ以外の言葉はありませんが」
「が?」
「ここまで実力を見せてしまった以上、研究されますよ? それが明日の第一試合までの、僅かな時間であろうと。残された練習の時間、マシンのセットを今の球に合わせて、とことんあなたを攻略する為に、特打を行ないます」
「「……」」
翼と、和香が顔を見合わせた。
これは試合開始前に、既に戦いが始まっているという事だったのだろう。
みづきは底知れぬ実力を見せ付ける事で清城高校を呑んで掛かろうという思惑があったのだろうが、逆に研究材料を提供した結果に終わってしまったのかも知れない。
「望む所よ。是非、打ち込んで来てもらわなくては」
「!」
「私も中野さんが集めてくれたデータから、清城高校の打者全ての弱点は、ここに入ってるわ」
こめかみをつつくみづき。
「本気対本気。何の言い訳も無い所での勝負こそが、私の望みだもの」
「ああ……」
和香は、自分の想像が外れていた事を悟った。
みづきは恐るべき実力を見せ付ける事で、清城高校を圧倒しようとしていたのではない。事実は全くの逆だった。清城高校がベストに上り詰める事こそ、彼女の目論見だったのだ。
翼にも、龍にもその気持ちが分かる。
そのベストと戦って勝つ事こそ真の勝利。本当の勝負だけが望みなのだと。
それだけ、彼女は野球を愛しているのだ。
小也香にも、それが伝わっていた。
「明日は、私達も全力で戦うわ。全国大会に相応しい精一杯のプレーをするから。どうか、胸を貸してね」
「こちらこそ」
差し出されたみづきの手を、小也香は強く握り返した。