「どうしてですか!?」
女子公式野球同好会の体験会の翌日、里ヶ浜高校。
廊下にまで響く大音響で、翼の声が響き渡った。声の出所は生徒会室だ。
「翼……」
すぐ傍らの智惠が、親友をなだめる。
翼に詰め寄られているのは生徒会長の能見志保と、同じく生徒会所属の九十九伽奈だ。
「どうして私達、学校で練習出来ないんですか?」
「高校野球が嫌いだからよ」
「「えっ!?」」
「そんな理由で…………って」
翼の視線が、生徒会長から自分のすぐ隣へと動いた。
志保や伽奈、智惠の視線も同じ人物へと。
「条件がある、肩を揉め」
声色を使ってアテレコしていたのは、練習時間と場所の申請の為に翼に付き添いでやって来ていたみづきだった。
しかしふざけていたのはそこまで、すぐに唇を引き締めると、真面目な顔になった。
「……と、冗談はさておき真面目な話、純粋に場所が無いからでしょ。私が調べた所、グラウンドや体育館は殆ど隙間無くしかも交代で使っているようだし。今更他の部や同好会が割り込む余地が無くて、しかも野球をやるとなると広いグラウンドや設備が必要だし……そんな場所となると……ねぇ」
「鏡原さんの言う通りです。現在我が校には20の運動部と15の文化部が存在しており、野球をやれるような場所は学校内には存在しません」
みづきの言葉を、伽奈が補足する。
「……だったら自分達で見付けます!!」
と、啖呵を切った翼であったが……しかしそこから先が良くなかった。
<こちら野崎です。残念ですが校庭は無理そうです>
<体育館もダメみたい>
<柔道場も難しそう>
<いや、そもそも柔道場じゃ野球は無理かと思われます>
<うーん、じゃあどうすれば……>
入会届を提出してきて、正式に女子野球同好会入りした夕姫と茜を加えて全部で6名となったメンバーは、手分けして練習スペースとなる場所を探してはいたが、成果は芳しくなかった。
「私はいくつかのリトルやシニアのチームとは懇意にさせてもらっているから、しばらくは合同練習・間借りさせてもらう形で練習させてもらうって手もあるけど……やはり腰を据えて使えるグラウンドが欲しい所ではあるわね……」
上手く行かなかったという全員の報告を受けたみづきが、一案を出した。
「こうなったら屋上に土を運んでグラウンドを作ろうかしら?」
「「ええっ?」」
正気を疑うような目を向けられて、みづきはむっとした顔になった。
「冗談じゃないわよ。私には経験があるわ」
「ほら」
タイミング良く、将城がスマホの写真アプリを立ち上げる。
すると今とは別の髪型・髪色をしたみづきが、天秤棒で土を運びながら階段を上っている写真、次は屋上に運んだ土をレーキやトンボを使ってならしている写真、最後は屋上に出来たグラウンドで、バンザイしている写真が表示された。最後の写真にはみづきだけでなく、将城も含めて何人かの中も姿も写っていた。
「マンガで読んで、私もやってみたくなってね。屋上に野球のグラウンドを作らせて下さいって先生に言ったら、先生は「やれるものならやってみなさい」って、笑って許可してくれて。2ヶ月も掛かってしまったけど、あれも良い思い出だわ」
「あの時の先生の顔ったらなかったな、ご主人」
「許可を出す先生も先生ですけど、実際にそれをやってみせるあなたもあなたですね」
参ったという表情を見せる夕姫。
「まぁ、グラウンドが見付からないにせよ、やる事、出来る事は沢山あるわ。差し当たっては……」
言いつつ、みづきは懐から三冊の本を取り出した。野球のルールブックだ。
それぞれ、智惠、夕姫、茜へと差し出す。
「河北さん、野崎さん、宇喜多さんはそれぞれ暇な時で良いから、これを読んで野球のルールを勉強してね」
「……鏡原さん、いきなりルールブックを読み込む必要も無いんじゃ。大まかなルールはやりながら覚えれば……」
「確かにそうだけど有原。でも、ルールを覚えるってのは大切な事よ。時としてルールを知らない事は、自分も周りの人も不幸にするわ」
急過ぎはしないかと言う翼に、みづきは穏やかに反論する。彼女の口調はどこか体験談のようだった。
「ああ、ご主人。小学四年生の時の、あれか……」
しみじみとして遠くを見るような目で、将城が語る。
「何かあったの?」
尋ねる智惠に、みづきと将城はアイコンタクトを一つ。そして話し始めた。
「あれは私が小学校四年生、9才……つまり、リトルリーグに入団出来るようになる年の事よ。当時、私は野球のルールを細かい所までは知らなくてね……まず『頭を坊主にする』ってルールがあるものだと思い込んでいたのよ」
ここまで聞いて、何があったのか大体想像が付いたらしい。翼の顔がさあっと蒼くなった。
「思えばあの時は、前日から両親が不在になっていたのも不幸な事故の一因だったな……」
「バリカンで坊主頭にした私は、次の日、将城と一緒に近所のリトルリーグに入団の挨拶に行って……そして「よろしくお願いします」と帽子を取って挨拶をした、その瞬間だった」
「「「…………」」」
「今でも覚えているわ。一瞬にして、その場の雰囲気が凍り付いた」
「それはそうですよ」
と、夕姫。翼達も頷く。
頭の中でその映像を思い浮かべてみるが……その場に自分が居たらと考えると、身の毛もよだつ気持ちになるだろうと想像出来た。寒くなった気がして、ぶるっと体を震わせる。
「そ、それでそれから、どうなったの……?」
「まぁ、チームの方はまだそれで済んだけど、帰ってきた両親には大泣きされて、散々だった。危うくリトルリーグのチームに入ったその日が、野球をやめる日になる所だった」
「その後は……?」
「結局、親にカツラを買ってもらったのだけど……それからは色んなカツラをコレクションして、色んな髪型を楽しむのが趣味になったのよ。ほら」
そう言って、髪に手をやるとぐっと掴んで持ち上げるみづき。
カポッと音を立てて水色の長髪が外れて、その下から坊主頭が出てきた。
「「「「!!!!!」」」」
坊主頭の凄味を目の当たりにして、将城以外の4人の顔が強張った。
みづきはすぐに、カツラを付け直した。重圧が消えて、4人はほっと息を吐いた。
「ロ、ロック過ぎるよ、鏡原さん……」
これは智惠の感想である。
「まぁ……そういう事よ。ルールを知らないと、時にはしなくてもいい事をしてしまって、自滅してしまう事だってある。経験者として言うけど、それがルールによって定められている事なのか、それとも単なる不文律なのか。そういった事をしっかり把握するのは、とても大切な事なのよ」
「「は、はぁ……」」
「ま、まぁルールを覚えるのも大切だけど、他にもする事があるよ」
と、話題を変えた翼に連れられて、一同は放課後、スポーツ用品店に立ち寄った。
「ここ……野球屋さん?」
「そう、私の行きつけ。野球グッズを買うなら安い・安心・サービス充実の里ヶ浜ベースボールだよ」
「体験会で使ったグローブも、ここで借りたんだ」
「練習場所はどうにかしなきゃだし、ルールも覚えなきゃだけど、まずは出来る事から。みんな、グローブいるでしょ?」
「野球道具って、こんなに種類があるんですか」
壁に所狭しと並べられたグローブを見て、夕姫が圧倒されたように呟いた。
「グローブもポジション別に形が違ってたりするよ。でも私達はまだポジションも決まってないから、今日買うのはこのオールラウンド用グローブだね」
と、グローブの一つを手にした翼が解説する。
「私はいいわ。両利き用のグローブは、中々無いからね」
「私もだな。私はキャッチャー専門だからね」
と、みづきと将城。買う必要が無い二人は、それぞれ夕姫と茜のグローブ選びの手伝いに移る。
「やはり、色々付けてみて、しっくりくるのが一番だと思うけど」
「宇喜多さんには軽いのが良いと思うわね」
「野崎さんはこっち、サウスポー用をこっちに集めてみたよ」
いくつかのグローブを取っ替え引っ替え試していると、ドアが開く音がした。
自然と、全員の視線がそっちに向く。
見れば大学生ぐらいの青年と、里ヶ浜高校の制服を着た少女が入店してきた所だった。
「あっ、鈴木さん。偶然ですね」
「野崎さん」
夕姫は、入ってきたその少女、鈴木和香に挨拶する。
「もしかして鈴木さん、野球に興味あるの?」
目を輝かせて歩み寄る翼。
そしてほぼ同時に、
「あれ、すずわかじゃない?」
みづきも、和香に近付いていく。
近くに居ると視線を合わせる為に首を痛めそうな程に身長・体格差があるみづきを前にして、和香は少し圧倒されたようだった。
「……どこかで、お会いしましたっけ?」
ぱちくりと目を瞬かせる和香。それを聞いたみづきは拍子抜けした顔になった。
「あら……残念。ご無沙汰だから仕方無いけど、忘れちゃったの?」
そんなみづきの肩を、将城がつんとつついた。
「ご主人、ご主人」
「ん?」
「今のままじゃ分からないよ。髪型で人間の印象は大分変わるんだから」
「……あぁ、そうか。私の小学生の頃の髪型って、何番だったっけ?」
「茶色のハーフアップだったから、6番でしょ。持ってるよ」
そんなやり取りの後、みづきはカツラを外した。
「!!」
和香が、坊主頭になったみづきを見て固まった。
二度目で少しばかり心の用意が出来ていた翼達だが、やはりまだショックは大きかった。ちらりと背後に目をやると、ショップの店主も目を皿のようにして固まってしまっていた。
凄味も当然だが、ただならぬ妖気が漂っているようだった。
将城がバッグから取り出したハーフアップのカツラを付けると、蓋をされた臭気のように妖気は治まった。
「ほら、これでどうかな?」
「……」
一連の流れに和香は圧倒されていたようだったが、カツラが交換された事で少しばかり落ち着きを取り戻したようだった。
数秒の間を置いて「ああ」と得心いったという顔になった。
「……もしかして、鏡原さん?」