Fate/GRAND Zi-Order   作:アナザーコゴエンベエ

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暗躍!無垢なる少女を狙う執念!2015

 

 

 

「相当な無理をしていたようですね」

 

 そう言って彼女は呆れた様子で治療を続ける。

 とはいえ、治療という方法でこの体は解決しない。

 というより、いまこの状態こそが正常な動作をしているという証明。

 

 穏やかに生活する前提で永くない寿命とされる肉体で、無理をする。

 そんなことをすれば、限度が下ぶれるのは当たり前の話。

 

 融合した英霊に支えられている。

 けれどその肉体は、無垢な少女のものに変わりはないのだから。

 

「はい、その……」

 

「あなたの体については、まあいいでしょう。

 それを生み出した思想には思うところもありますが、あなた本人に言う事ではありません」

 

 機械化歩兵たちが動かされ、整えられていく環境。

 そんな中でじっと見ながら彼女はそう口にする。

 

「あなたはいま、その体で最後の最後まで生き抜こうとしている。

 でしたら、私の使命はあなたにそれを最後まで果たさせること、ということです」

 

 ベッドに縛り付けられることも予想していたけれど。

 しかし彼女の治療は穏やかなものであった。

 寝かされ、点滴を受けながら大人しく治療を受けるなかで連想する。

 

 医者にこうして診療されることは日常茶飯事だった。

 けれど、それは専用の無菌室での話だ。

 このような野戦病院染みた場所で、こうやって診療されるのは初めての体験。

 

「―――随分と嬉しそうですね」

 

 自然と表情を崩してしまったところに、彼女がちらりと視線をくれる。

 焦りながら、言い訳をするように口を開く。

 

「え、あ、いえ……すみません。こうした経験も初めてだったので」

 

「いいえ、責めているわけではありません。治療に協力的な患者はこちらとしても喜ばしい」

 

 そう言って彼女は立ち上がり―――少し、困ったような表情をした。

 彼女がいきなりそんな表情をすることが不思議で、首を傾げる。

 

「あなたも、彼も―――本当は……いえ、何でもありません」

 

「……彼、とは。もしかしてソウゴさんのこと、でしょうか?」

 

「…………」

 

 彼女は答えず、無言で器具を纏め始める。

 自身への対応を一段落させた以上、次の患者への対応を始めるのは当然の話だろう。

 問い詰めることもできずに彼女を見ていると、彼女は微かな声で言葉を吐く。

 

「あなたも、彼も―――あなたたちの中の誰も、ごく普通の人間です。

 世界の命運を背負うなどという狂気の沙汰と言える行為に身を捧げるには、あまりにも。

 特に、その先も背負うつもりらしい彼は」

 

「……ソウゴさんの、夢の?」

 

「英雄にはなれるのでしょうね。英雄から見れば、己らの領域に踏み込む者に見えるのでしょう。

 けれど根本的な部分で彼という人間は、願いが綺麗なだけのただの人間です。

 それを、ただそうであるということで終わらせず、その先に進ませてしまったのは―――」

 

 彼女の言葉の中でひとりの人間の姿を思い出す。

 彼の道行きを示し、歩くように導いている者。

 

「―――けれど。ソウゴさんには確かに、きっとそれを成し遂げるだけの力が……」

 

「力の有無ではありません。抱いた心情の話ですらない。

 ただ、その地獄に踏み込む狂気を持っているかどうかの話なのです。

 きっと、もっと小さな幸福で踏み止まることができると知っていながら、踏み込まない方がいいに決まっている一歩を踏み出してしまえる覚悟。

 彼の場合、その一歩を踏み越えた理由は狂気ですらなく別の誰かに……」

 

 そこまで語り、口を結ぶ。

 立ち上がった彼女は医療器具を収めたカバンを持ち上げ、次の患者の元に行こうとする。

 

「……それでも、きっと。ソウゴさんは、自分の意思で選んでいると思います。

 わたしが見てきたソウゴさんは、一番大事なことは自分で決める方だったから」

 

 その声に足を止めた彼女が、天井を仰ぎ見た。

 

「―――そうですか。

 本当に、彼自身にとって一番大事なことを彼自身が覚えているのならば……

 そうであったのならば、きっと心配はないのでしょうね」

 

 どれだけのことを考えていたのか。

 彼女が珍しく十秒近く静止してから、そうやって答えてくれる。

 背を向けて歩き出した彼女が、最後に注意を残していく。

 

「あなたにまず一番必要なものは体力です。眠れるなら眠った方がいい」

 

 そう言って別の患者―――

 基地の崩壊に巻き込まれて怪我を負った基地スタッフたちの元へと歩いて行く。

 重篤な患者は見当たらないが、数は相当数に上るようで効率的な作業が求められる環境だ。

 

 ひとりになって、静かになった―――と思いきや銃声がする。

 思わず頭を上げて、その銃声の方へと顔を向けた。

 どうやら彼女は早速非協力的な患者に対して発砲したらしい。

 少し困った気分になりながら、頭を下ろしてゆっくりと目を瞑る。

 

 そうして―――

 

 

 

 

「マシュ……マシュ?」

 

「あっ……」

 

 主治医の声で、目が覚める。

 

「フォウフォー、フォーウ?」

 

 頭の上にはてしてしと額を叩くフォウ。

 どうやら診察中、医務室の椅子でそのまま寝てしまっていたようだ。

 目の前で座る主治医は苦笑しながら、椅子から立ち上がった。

 

「やっぱり疲れてるね、当たり前の話ではあるけれど。

 長いこと君の主治医をやってきたけど、診察中に船を漕ぐマシュなんて初めて見たかもだ」

 

 医務室の主である彼は戸棚を開け、隠していたのだろう箱をその中から取り出してきた。

 机の上に置かれた箱が開かれると、中に詰まっているのは和菓子の数々。

 出されたものにむむむ、と眉を顰めて彼を見上げる。

 

「……Dr.ロマン。医務室にお菓子を隠しておくのはどうかと」

 

 彼は悪びれた様子もなく座り直し、どうぞと菓子を勧めてくれる。

 

「いやいや。必要経費だよ、これは。というか私物だし。

 和菓子を作れるサーヴァントがいれば、補充も出来るんだけどね」

 

 フォウが頭の上から飛び降りて、早速と机の和菓子を襲撃しに行く。

 ロマンの手を掻い潜った彼は、その中から大福を奪い去ってしまう。

 やってしまった、と渋い顔をみせるロマン。

 

「……あぁ、しまった。マシュはともかくフォウに見せるべきではなかったか。

 ほら、食べるなら机の上は止めてくれ」

 

「フォー、フォフォーウ」

 

 戦果である大福と格闘し、机を汚す獣。

 座って早々にまた立つはめになったロマニが、大福を抱えたフォウを摘まみ上げた。

 そのまま下にナプキンを敷いて、大福を抱えたままのフォウをちょこんと下ろす。

 そうしてから、今度こそ座り直した彼がマシュに向き合った。

 

「君の状態は良好と言えば良好だ。ただの過労、だからね。

 少し休めばすぐにでもいつも通りに戻るだろう。けれど……」

 

「―――はい。今回は動けなくなったのが戦闘終了後でしたから、問題はありませんでした。

 ですが、今後は戦闘中に同じような状態になる可能性もあります」

 

 デミ・サーヴァントの不安定さは実験を受けていた自分が一番分かっている。

 冬木での覚醒からこっち、今までは安定したように見えていた。

 が、問題がいつ再発してもおかしくない状態なのは重々承知している。

 

「……確かに状況の把握という観点からも、伝えるべきだとボクも思う。

 実情を把握しているのが所長だけというのは余りにも危険だ」

 

 そこまで話をしてから、Dr.ロマニは背凭れに体を預けた。

 小さく息を吐き、姿勢を整えて、その続きを口にする。

 

「所長にも覚悟を決めてもらった。

 後は本人である君の承諾を得たら、君のことを立香ちゃんたちに伝えるつもりだ」

 

「―――問題、ありません。

 先輩を守る盾として、それを誤魔化したくありませんから……」

 

 拳をきつく握り、声が震えないようにして。

 そうして頷く彼女の様子を見て、ロマニは一度首を縦に振った。

 内線電話を取り上げて彼はマシュから許可が下りたことをその電話先に伝える。

 恐らくは、オルガマリーに。

 

 

 

 

「―――限度は18年。

 西暦2000年に生み出されたマシュの稼働期間は、そこで期限が切れる。

 この明確な時間は、マシュ自身にさえ伝えていないわ」

 

 声を震わせず、瞳を揺らさず、オルガマリーは淡々とその事実を告げる。

 彼女の視線は前に座って話を聞いている立香、ソウゴ、ツクヨミと巡って―――

 ゆっくりと瞑目してみせた。

 

「……もっとも。

 デミ・サーヴァント計画の概要を知っている以上、マシュも大方の予想はしているでしょう。

 もちろん、正確な期間は分かっていないでしょうけど……」

 

「その、それは……おおよその期間が分かっているなら、なぜ……?」

 

 ツクヨミの問いかけに天井を見上げるオルガマリー。

 彼女はそのままの姿勢で少し悩み、口を開く。

 

「―――おおよその期間が分かっている、というよりは最初からそういう……

 特定の運用期間を定めたデザインベビーとして設計した、が正しいのでしょうけど……

 いえ、そういう話じゃないわね」

 

 はぁ、と大きく溜め息。

 そうしてから彼女は見上げていた顔を戻し、目の前に座る三人を改めて見る。

 

「少し迷ったわ。彼女自身にも伝えるべきかどうか……けれど、止めた。

 何となくは気付いているだろうマシュにも、教えるべきではないと思ったから。

 だって―――人間なんて皆、基本的にいつ死ぬかなんてわからないものでしょう?」

 

 多分、彼女自身そう永くないと分かっているけれど―――

 それでも彼女は、分かったうえで今を生きている。

 教えて彼女が何か変わるとも思えない。

 けどしかし、あなたはあと数年待たず終わるなんて告げることが正しいとは思わなかった。

 

 告げることから逃げている、と言われればそうかもしれない。

 いや、実際そういう気持ちはあるのだろう。

 けれどそれ以上に――――

 

「所長ももう半分くらいは死んでる感じだしね」

 

「あんた、はっ倒すわよ」

 

 反射的に言い返して、また溜め息。

 半眼で睨み据えてみせても、ソウゴはうんうんと何度も頷いている。

 

「……あなたたちに教えたのは、それが意図された……わたしたちが意図して、設定した終わりだからよ。彼女が終わるまでの短い猶予をせめて……いえ、これは言い訳ね。

 わたしのせいで、たった20年に満たない年月で寿命が尽きる彼女への罪滅ぼしのつもり。

 ホント、マシュ本人に告げられもしないくせにこんな……」

 

 拳に力がこもるオルガマリー。

 そんな彼女を見て、立香が困ったように苦笑した。

 

「所長はよく色んなものを怖がる人だから」

 

「さっきからあんたら何なの?」

 

 苦笑している立香をギロリと睨みつける。

 そんな彼女を前にしながら、ソウゴが思い切り立ち上がった。

 

「大丈夫だって。なんか俺、行ける気がするから」

 

 思い切り身を乗り出しながら指を立てる。

 そんな状態でうんうんと首を縦に振りつつ、ソウゴは強く微笑みを浮かべた。。

 彼を訝しげに見ていたオルガマリーの表情が、むっつりと顰められる。

 

「何がよ……」

 

「ほら、立香たちがフランスで約束してたじゃん?」

 

 急に彼の視線は立香の方を向く。

 話を向けられた立香が一瞬目を開き―――

 何かを思い出したように、そのまま小さく微笑んだ。

 

「そうだね。マシュと……一緒にあの光帯が消えた空を見よう、って」

 

「光帯……過去の時代にも現れてる、空のあれ?」

 

 アメリカで見たその光景を思い浮かべるツクヨミ。

 空に架かる人類史を焼き尽くす光。

 それは魔術王の偉業そのものであり、これまでの人類史を焼却する星の墓標。

 特異点においても架かり続ける空を覆う天蓋。

 

「そう。人理焼却を防いで、魔術王が空にかけたあれを消して―――

 私たちの時代で、一緒に空を見ようって。

 ツクヨミも、全部終わったら一緒に見に行こうよ。この時代の空を」

 

 フランス。

 彼らがこの戦いを始めて、初めてちゃんとしたレイシフトで向かった土地。

 その時オルガマリーは眼魂になって転がっていたけれど。

 そこでした約束を思い出して、彼女は同じようにツクヨミに対して微笑みかけた。

 

 言われた彼女は、ソウゴを横目に見る。

 一瞬だけ迷ったツクヨミは、軽く息を吐くとそれに承諾の意を返した。

 

「……そうね。私もまだ、2018年も2015年も見ていないもの」

 

 思い出すのは、砂塵に覆われた絶望の空。

 その未来を止めるために時代を超えてきた彼女は、小さく首を縦に振る。

 軽く額に手を当てたオルガマリーは、そんな三人を見て微かに眉を上げた。

 

「……それが、マシュが大丈夫な理由にはなってないと思うけれど」

 

「そうだけど、きっと大丈夫。

 俺たちは魔術王が勝手に決めた人類の運命をひっくり返しに行くんだから。

 所長たちが勝手に決めたマシュの運命くらい、そっちも簡単に変えられる。

 マシュには生まれる前から、決められてたことがあるのかもしれないけどさ。

 実際のこれから先は、まだ未来の出来事なんだから」

 

 ふふん、と自信ありげにそう断言してみせるソウゴ。

 そんな彼に言い返そうと口を開き、しかしそのまま閉じるオルガマリー。

 

「…………」

 

 彼らを見ていたオルガマリーが、ついと視線を逸らした。

 少し離れた場所でその光景を眺めていたダ・ヴィンチちゃんがくすりと笑う。

 

「流石にマシュの話をするとなれば嫌われるかも、なんて戦々恐々してたのに」

 

「黙って」

 

「世界の一つや二つくらい救おうっていう人間たちだ。

 じゃあちょっと寿命が縛られた少女の命くらい一緒に救ってしまおう、なんて……

 まあそうなるだろうとは思っていたよ。君たちはそういう性格だ。実際……」

 

 そう言って彼女が視線を送るのは、オルガマリー。

 オルガマリーゴースト眼魂。

 彼女自身の手で作り出したオルガマリーボディを見ながら、小さく息を吐く。

 

「救う手段なんてなかったところから、ひとりの命を引き上げた。

 楽観視していい問題ではない。けれど君たちの旅路で君たちが前に進み続ける限り、きっとそこには馬鹿らしくなるくらいの奇跡だってあるかもしれないと思えてしまう。

 なら、やることはひとつってわけだよね」

 

「世界を救って、一緒に空を見に行く頃には多分……

 問題なんて何も残ってない! きっとね!」

 

 ぱん、と手を打ち合わせて笑う立香。

 その言葉に少し考え込んだツクヨミが、否定するように首を横に振った。

 

「―――ソウゴが問題を起こしてる、って状況はありそうだけど」

 

「そう?」

 

 張り詰めさせたはずなのに、あっさりと弛緩した空気。

 その中でオルガマリーは額に手を当てて瞑目する。

 

 ―――いつか、謝らなければいけないと思っていた。

 けれど何を謝ればいいのかすら分かっていなかった。

 

 だって彼女はアニムスフィアの魔術師だ。

 非道で残酷な計画ではあるし、魔術師としての彼女すら嫌悪感すらも感じるものだった。

 でもそれを成したのは彼女が誇りとするアニムスフィアで、この状況になっては彼女を造ったことは良かったことですらあって。

 

 彼女のみならず、デミ・サーヴァント計画に関与した者たちには償いきれない。

 けれど―――

 

「もしかしたら、わたしがアニムスフィアとしての立場を失えば―――」

 

 言いかけて、すぐに止める。

 きっとこの世界を救ったあと、彼女に待っているのはろくでもない未来だ。

 どう足掻いたところで、カルデアの接収は避けられない。

 アニムスフィアの粋であるここを失う失態は、彼女の足場も崩すだろう。

 

 彼女は魔術師として一流だ。

 けれど性能だけでそれを跳ね除けられるほど、彼女は逸脱した存在ではない。

 Aチームのサルベージが成功することを前提に考えれば―――

 天体科(アニムスフィア)はキリシュタリアが……

 

「マリー、少し楽しそうだね?」

 

 ダ・ヴィンチちゃんのからかうような声にはっとする。

 誇りを取り上げられ、恐らく身の振り方さえも自分でさえ決められなくなる将来。

 そんな未来のことを考えながら、しかし。

 

 ―――マシュに何の衒いもなく謝れるのであれば、それも悪くないなどと。

 そんな馬鹿みたいなことを考えていたと思い知る。

 

「…………どこがよ。全然面白くないわ」

 

「そう? なら、それでいいさ」

 

 くすくすと忍び笑いを漏らしながら視線を逸らす天才。

 彼女を睨むが、堪える様子は当然ない。

 そんな二人の間にソウゴの問いかけが飛んでくる。

 

「なに? 所長が何か考えてたの?」

 

「所長は魔術王を叩きのめして、世界を救った後のことを考えていたのさ。

 大問題が起きたことには変わりないからね、カルデアは大忙しになるだろうって」

 

 勝手に答えるダ・ヴィンチちゃん。

 それに対して睨みをきかせようとしてもどこ吹く風。

 答えを聞いたソウゴははて、と腕を組みながら首を傾げる。

 

「へえ、じゃあ空を見に行くのは世界を救ったすぐ後は駄目?」

 

「……そのくらい許可するわよ。ヘリが来るまでは動けないでしょうけど……」

 

「そうじゃなくて。所長も一緒じゃなきゃ意味ないじゃん」

 

 一瞬だけ、絶句する。

 すぐさま意識を取り戻して咳払いをひとつ。

 

「―――勝手に参加を決めないでくれるかしら」

 

「えー、マシュだって所長と一緒がいいと思うなー。

 マシュが可哀想だよー?」

 

「そうね。マシュも所長さんが一緒じゃないと悲しむと思います」

 

 飛んでくる追撃。

 ダ・ヴィンチちゃんが顔を逸らした。完全に笑っている。

 ぐぬぬ、と引き攣らせた表情を浮かべるオルガマリーに、立香が微笑みかけた。

 

「所長にやらなきゃいけないことがあるなら、皆で終わらせてから皆で空を見に行こう?

 あ、ダ・ヴィンチちゃんとかドクターも……

 ねえ所長、カルデアに職員全員で行く社員旅行ってないの?」

 

「あるわけないでしょ……」

 

 深々と溜め息を落とす。

 いつも通りに頭が痛くなってきた彼女の前で、ソウゴは手を叩いて話を纏める。

 

「世界を救って、マシュも助ける。最高最善の未来を作って、皆で空を見に行く!

 俺たちがやるべきことはただそれだけ!」

 

 それだけ、と。彼は笑ってそう言う。

 その様子を見たオルガマリーは、呆れて小さく笑ってしまった。

 

 

 

 

 ロマニ秘蔵の菓子を幾つか食べながら、雑談という形の問診。

 それは当たり前のように、彼女が初めて見た多くの光景の感想だった。

 自分の中で自分の命の在り方を整理しながらの会話。

 

 話に花を咲かせていたマシュが、ふと時計を見上げる。

 休息中のマシュはともかく、ロマニはそろそろ解放しなければという時間。

 デジタル時計に表示された時間を見て、少し驚く。

 だいぶ話に熱中していたようだ。

 

「―――すみません、ドクター。こんなに長々と……」

 

「いやいや、君の話を聞くのもボクの仕事だ。

 と言っても、ボクだって仕事をしている気分じゃないけれどね。

 友人と会話することに、申し訳ないなんて思うものじゃない。

 ボクだって実は楽しんでいるんだから」

 

「……はい」

 

 ロマニに言われて、改めて時計を見上げるマシュ。

 その液晶画面が、何か波打つように歪んで……

 

 ―――あたらしい、いのち……

 

「―――? ドクター、いま何か……?」

 

 誰かの声が聞こえた気がして、ロマニに対して問いかける。

 彼女の視線は、腹を満たして満足そうに机の上で寝るフォウにも向かう。

 

「え? いや何も言っていないけど」

 

「フォウ?」

 

 ロマニもフォウも、何も聞いていないという顔をしている。

 一人と一匹は顔を見合わせて、マシュの言葉に首を傾げた。

 つまり当然、彼らの声だったというはずもないだろう。

 

 不思議に思い周囲を見回す。

 別に部屋の中で何かが倒れたとか、そんな音を立てた様子も―――

 

 ―――キィン、と。一瞬だけ耳鳴り。

 それも一瞬のうちに止み、何もなかったように消え去った。

 マシュは耳を押さえて、きょろきょろと周囲を見回す。

 

「いま……あれ? まだ、疲れているのでしょうか……?」

 

 何かが音を立てたのではなく、彼女の耳の方のエラーだったか。

 マシュは良好だと思っていた自身の体調の方に疑問を抱く。

 

「診察中に眠ってしまうほどだ。まだ休んでいた方がいいってことだね。

 長話は流石に止めるべきだったかな、すまない。

 続きはまた今度にしよう。また色々とマシュが感じたことを聞かせて欲しい」

 

 そう言って医務室の片づけに入るロマニ。

 手伝おうと思ったものの、今まさに不調を確認したばかりだ。

 手伝おうとする方が迷惑をかけてしまうだろう。

 

「……はい。では、今日はもう休みます。ありがとうございました、ドクター」

 

 首を傾げながら医務室を退室するマシュ。

 そんな彼女の後ろに着いていくために机から飛び降りるフォウ。

 ふと、何かを感じたのかフォウが顔を後ろに向けた。

 

 きょとんとするロマニの後ろ。

 薬品棚の扉の硝子が、水面のように波紋を立てていた―――気がした。

 瞬きひとつのうちに何もなかったように消え去るそれ。

 己の目に映った光景に対して、フォウは小さく首を傾げた。

 

「フォウ……?」

 

「フォウさん? どうかしましたか?」

 

「フォー!」

 

 医務室の扉の外で足を止めていたマシュが振り返り、声をかける。

 足を止めていたフォウはすぐさま動き出し、彼女の肩まで駆け上がる。

 自室に向け歩き出すマシュ。

 

 たった20年に満たない命と、そんな彼女に寄り添う獣。

 たった20年に満たないはずだった命に、続きを与える可能性があるもの。

 

 それを前にして、硝子の中に再び波紋が発生した。

 誰にも届かない声で、かつて戦いの果てに求めたものをまだ求め続ける何か。

 

 ―――あたらしい、いのち……

 

 純粋で、切実な願い。

 歴史が焼け落ちてなお、世界の裏側にこびり付いた祈り。

 それは鏡の外の光景の中に、大切なものを救うための手段を遂に見つけ出した。

 

 

 




 
鏡に「中の世界」なんてありませんよ…
ファンタジーやメルヘンじゃあないんですから。

歴史が消えても目的を成し遂げようとする運営の屑にして兄の鏡。
時間神殿まで出てこないです。
 

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