Fate/GRAND Zi-Order   作:アナザーコゴエンベエ

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嘆きの叛逆645

 

 

 

「――――しぶてぇな。まあ、オレじゃあしょうがねぇ」

 

 父を殺した邪剣ならばこそ、父を超えるべき自分なら耐えられなければならない。

 そう嘯いた白モードレッドが、クラレントを構え直す。

 

 赤雷の氾濫は赤モードレッドを呑み込んだ。

 が、その寸前に彼女もまた宝具を解放していた。

 だがしかし、宝具の押し合いになれば“暴走”を持つ白モードレッドが負ける道理はない。

 

 鎧の上から全身を焼かれ、それでも何とか生き延びた彼女が吹き飛んでいく。

 そのまま転倒したマジーンに激突し、地面に倒れ込む体。

 

 全身から白煙を上げながら、赤モードレッドが敵を見る。

 相手は既に宝具の次弾を装填しにかかっていた。

 再び魔力を注がれて血色の刃を立ち上らせる王剣。

 

 残り魔力はそう多くない。

 今さっき放った相手の宝具を相殺するための一撃は、全力では撃ち切れなかった。

 その分多少魔力は余ったが、代わりに防ぎ切れず死にかけだ。

 

「モードレッド! 無事!?」

 

「見りゃ分かんだろ……」

 

 焼けて歪んだ鎧のまま、クラレントを杖代わりにして立ち上がる。

 タイムマジーンも身を起こし、モードレッドを庇うように動く。

 再度の宝具解放に耐えられないなら、タイムマジーンを盾にするしかない。

 

 ―――彼女の持つ令呪はあと一角。

 体力なんて幾ら貰っても今の状況では意味がないだろう。

 選択肢は魔力一択。クラレントの完全開放に懸ける以外にない。

 

 だがそんなことをしても、普通にやっては相殺して終わりだ。

 なら、方法は一つしかない。

 

「マスター。あんたそれ、オレが突っ込むための盾にできるか?」

 

「分かった! 時間がない、すぐに行くわよ!」

 

 打てば響くツクヨミからの返答。

 彼女は一切思考の余地なく、タイムマジーンを走らせようとした。

 勝つにはそれしかない。それをやっても勝てるとは限らないのにこれ。

 ―――悪くないと思って、小さく笑う。

 

 残っていた魔力を総動員して赤雷を纏う。

 最後の一撃は令呪によるものだ。

 ならば今持ってる魔力は、限界ギリギリまで突っ込むために使う。

 

「オレがあいつを()()()()()! 頼むぜ、マスター!!」

 

「ええ、頼んだわよ!」

 

 タイムマジーンの疾走。

 それを前にして、白モードレッドが剣を振り下ろす。

 一切ブレーキのかかっていない魔力の解放。

 己の霊核を軋ませながらの、常に全てを懸け続ける彼女の一撃。

 

「“我が麗しき父への叛逆(クラレント・ブラッドアーサー)”―――――ッ!!!」

 

 疾走するタイムマジーンに、極光が直撃する。

 コックピット内で一斉に大量のエラーが吐き出された。

 外部カメラから入ってくる血色の映像に、内側からはエラーメッセージ。

 視界全てを赤く染められながら、ツクヨミは操縦桿を突き出してみせる。

 

「行って! モードレッド――――!!」

 

 彼女の道を切り開くために。

 その極光から身を守るための巨大な障害物を、一歩でも前に。

 光を掻き分けるマジーンの腕が動かなくなってぶら下がる。

 そうなりながらも機械の巨体は、一歩でも前にと死力を尽くし―――

 

 耐え切れずに転倒した。

 

「―――ああ、十分だ。あとは寝てな、マスター!」

 

 巨体の陰から、兜を被った全身鎧の赤モードレッドが飛び出していく。

 壁で減衰されてなお、簡単にサーヴァントさえ融かせる威力。

 その光の中に踏み出して、彼女は更に疾走を開始した。

 

 妖女モルガンより与えられた彼女の鎧。

 周囲から正体を隠す事を目的としたものだが、それでもその防御力は折り紙付きだ。

 そんな鎧さえも融解を始める、邪剣の威力。

 

 だがそれがどうした。

 この鎧が融け切る前に、こちらの刃があれに届けばいい。

 距離は稼いだ。マスターが稼いでみせた。

 だったら後は、サーヴァントである自分が踏み込むだけだ。

 

「―――――ッ!」

 

 白のモードレッドが息を呑む。

 彼女の踏み込みが自分に届くか、それを計るように。

 

 ―――結果、届く。

 クラレントの光が彼女を融かす前に、叛逆の騎士は刃を振るえる。

 モードレッドというサーヴァントの性能を見誤る余地はない。

 彼女自身のことなのだから、この試算に間違いはけしてありえない。

 

 その事実に、微かに白モードレッドが眉を顰めた。

 

 血色の極光を逆走する。

 魔力放出で放つ赤雷と端から欠けていく鎧を守りとして。

 融けていく兜の奥、赤モードレッドは叫ぶ。

 

「―――何が父上の安息の場所だ。

 テメェはそういうもんじゃねぇだろ、叛逆の騎士―――!」

 

「…………ッ、なにを!」

 

 叛逆の騎士モードレッド。

 その生まれから、父の築いたものを壊すためだけに与えられた命。

 存在価値に示された通り、彼女は父の国を蹂躙した。

 最初から決められていた通り―――しかし、彼女自身の意思で。

 

 何故白モードレッドがそうしたかなど、痛いほどよく分かる。

 

 叛逆の騎士として作られた彼女は、どうあれ叛逆せざるを得ない存在。

 王に尽くす騎士として終わることは、けして許されない。

 ただ、この彼女にとって奇跡みたいな世界では違う。

 

 王が安寧を得るための国創り。

 それは国が成った瞬間に、円卓の騎士という軍隊は不要となる。

 円卓は全てその時点で王の手により破棄されるのだろう。

 

 ―――ああ、それはなんて。夢みたいな最期だろう。

 モードレッドは王が得た国を乱す時間も与えられない内に処分される。

 最期の瞬間まで、王のための騎士として働き―――そして死ねる。

 最期の最期まで、アーサー王の騎士でいられる。

 

 わかる。わかってしまう。

 その選択をしたいという想いを。

 けれど選べない。選んでいいわけがない。

 

 ―――騎士王の国を乱し、崩壊させた自分に。その結末は許されない。

 彼の王が安寧を得るとして、それは自分の剣が創る世界でではない。

 

「テメェが選んでんのは……自分の安らぎだろうが―――!!」

 

「―――――ッ!」

 

 届く。

 クラレントの刃が届く距離まで、赤モードレッドは辿り着く。

 血色の極光を遡り、届かせるだろうという考え通りに。

 吐き出し続けていた光を撃ち切り、白モードレッドが舌打ちする。

 

 鎧はほぼ全て消し飛び、灼熱に焼かれた肉体を晒しながら。

 赤のモードレッドはクラレントの刃を振り上げた。

 一瞬のうちに充足する魔力。令呪は切られた、後はただ一撃。

 その剣を叩き込めばいいだけだ。

 

 だが同時に―――

 白モードレッドもまた叛逆の騎士モードレッド。

 その力は目の前の敵に劣るものではない。

 

 剣を全力で振り切れなければ、宝具の真名解放とはいえ威力は半減。

 それこそ鎧を纏っている白のモードレッドに耐え切れないものではない。

 

 先に斬り付ければ、相手の剣の威力は発揮されない。

 そうすれば致命傷には至らない。

 ここから先んじた方が勝利する。それだけの、簡単な話だ。

 

 ―――そして。

 既に半死半生の赤に、白が剣速で負けるはずがなかった。

 王剣の刃が翻り、死にかけの相手に振るわれて。

 

 しかし、止まる。

 

「…………あ?」

 

「チッ、寝てろって言っただろうによ……!」

 

 タイムマジーンを壁に踏み込んだ赤モードレッド。

 そうやって叛逆の騎士が極光の直撃を受けながらも、前進していった後。

 前に疾走していくサーヴァントを壁に、彼女も地面に降り立っていた。

 

 体を焼く雷の熱に息を切らしながら、赤い光を放った銃口を下ろす。

 白モードレッドの魔力がその拘束を破るまで、一秒とかからない。

 だがこの状況でその一秒足らずの時間は、命に届く刹那の隙だ。

 

「モードレッド!!」

 

 剣を振り上げたまま静止する白のモードレッド。

 彼女の周囲には赤い光が渦を巻き、その動きを止めるための結界となっている。

 そうなった相手に対して、赤のモードレッドが最後の踏み込みを慣行した。

 

「我は騎士王の騎士にして、叛逆の徒! そして、これこそ我が父を滅ぼす邪剣!

 けして赦されぬ咎を背負いし我が剣が、彼の王に与えし破滅の果てに……どうか、その身に安らぎあれと願いて振るわん――――ッ!」

 

 その胴体に、赤雷と血色の光を帯びた邪剣が振るわれる。

 鎧を切り裂き、霊核を砕き、その命脈を断ち切る光。

 それが、白モードレッドの全身を焼き払う。

 

「――――“我が麗しき父への叛逆(クラレント・ブラッドアーサー)”ッ!!!」

 

「―――――」

 

 鎧の内側から炸裂した極光に、一瞬のうちに命を奪われる。

 それでも彼女は膝を落とさずに、剣も手放さない。

 霊核は砕けて体の端から光に還りながらも、けっして。

 

「くそったれ……」

 

 動こうとしても動かない体に悪態を吐く。

 その体勢で見据えた自分と同じ顔に、彼女は表情を歪めた。

 

「……ああ、そうだろうよ。オレは、この世界に夢を……見てたんだろうよ。

 ほんと、馬鹿げてるって話だ。父上が生きてるってことは……

 仕留め損ねた、オレの無能でもあるだろうに……」

 

「…………」

 

 赤のモードレッドが膝を落とす。

 死力を使い尽くした彼女も、既に限界だった。

 

「―――ああ、結果がどうなるしろ。

 せめてオレは獅子王を殺す側に回らなきゃいけなかった。オレがあの人の騎士でありたい、って思ってたならな。は……あの時、あの場で、獅子王についた時点で……

 叛逆の騎士っつー看板は、とっくの昔に、地に堕ちてた、って……」

 

 獅子王に仕えたモードレッドが、砕けて消えていく。

 

 ―――叛逆の刃に、王の安息の地など創れるはずもない。

 彼女が騎士王に突き立てた刃が王に死をもたらし、結果妖精郷に導いた。

 モードレッドに出来ることは、それだけだ。

 

 未だに王が生きて苦しんでいるというのなら、真っ先に。

 モードレッドは、王に刃を向けなくてはならなかったはずなのに。

 自嘲するように笑い、白のモードレッドは完全に消え失せた。

 

「……大丈夫、モードレッド?」

 

 よろめきながら近づいてくるツクヨミ。

 クラレントの残照の中に身を躍らせたのだ、それも当然。

 一歩間違えばそれで死んでいただろうに。

 

「当たり前だろ、この程度。けどワリぃなマスター。

 まだ、オレがやらなきゃならねえことがある」

 

 そう言ってモードレッドが見据えるのは、マシュが開いた聖都正門。

 そのまま止まっていられないと、そちらに這うように歩き出す。

 他の戦場とタイムマジーンに一度視線を向けて、一瞬迷うツクヨミ。

 だが、彼女はモードレッドに肩を貸して歩き出した。

 

「急ぐんでしょ? 行ける?」

 

「―――たりめーだ」

 

 

 

 

 音が刃となり襲来する。

 それを空気ごと掌底で圧し潰す、という力業で防ぐ三蔵。

 

 空気が突然そこかしこで爆砕するという光景。

 そんな中を縫って走る百貌のハサン。

 彼女がまったく違う容姿を持つ、しかし百貌のハサンである存在を増やす。

 

 ―――“妄想幻像(ザバーニーヤ)

 百貌という名の由来、一人の人物の中に内包された多重の人格。

 それぞれの人格がそれぞれ得意分野を持ち合わせるという技能の宝庫。

 彼女がハサン・サッバーハの名を継承した理由。

 その力はサーヴァントと化した今、生前よりなお百貌と呼ぶに相応しい能力となっていた。人格の切替のみならず、人格ごとに肉体の分割。数十の人格それぞれに、数十の肉体を与えられる。

 サーヴァント一人でありながら、彼女は圧倒的な手の多さでトリスタンを囲んでいた。

 

 ―――だがそれが、嘆きのトリスタンの脅威になるかと言えば。

 

「―――私は悲しい。例えあなたが百人、頭数を揃えたとしても何ら恐れる事はない。分割するごとに霊核の強度は分散し、百人揃えればその能力はもはや只人と変わらない。

 ですが、素晴らしい。肉体の強度が落ちてもなお、身のこなしは全員が優秀です。それはあなたの持つ人格が全て例外なく、暗殺の業を確かに修めていたという証明」

 

「チ―――言葉が多いな、最早何も口にしないと言ったのはどこへ行った……!」

 

 全周囲から降り注ぐ短剣の雨。

 彼はそれをフェイルノートを一度鳴らし、全てを切り払った。

 トリスタンの放つ刃の軌道は変幻自在。

 奏でる音に沿って奔る刃は、何であろうとも絡め取って切り捨てる。

 

「……おや。私に黙られて困るのはそちらでは?

 黙り込むよりはこうして無駄に口を回した方が、まだ毒の回りも早いでしょうに」

 

「なに―――!?」

 

「――――ッ!」

 

 瞬間、トリスタンが指が二度動く。

 奏でた音色が空気そのものを刃と変えて襲来する。

 三蔵の相殺する分では止めきれず、その刃が百貌の数人から首を飛ばす。

 

「ぐぁッ―――!」

 

「ぎ、……ッ!?」

 

「チィ……ッ!」

 

 断末魔を残し、消えていく百貌たち。

 その喪失に舌打ちしながら、百貌を統率している女人格がトリスタンを睨む。

 百貌の中に混じりながら、短剣の投擲を行っていた呪腕と静謐もまた。

 

 そんな静謐のハサンへと視線を送り、彼は小さく口元を緩める。

 

「―――私は毒により死んだもの。

 であれば、毒のハサンがつくということはそういうことでしょう。

 もっとも……私が獅子王より与えられた祝福(ギフト)は“反転”。

 毒という本来致命的な弱点だからこそ、今の私には通らない」

 

 動きを止めたハサンたちに再び刃が放たれる。

 反応の遅れた百貌数人の首が舞う。

 

「……っ、馬鹿な。だとしたら何故それを口にする!

 毒を怯えたが故のでまかせにすぎん―――!」

 

「かもしれません。

 もしくは、こうして隙を見せたあなた方の首を飛ばすための舌戦やも」

 

 再び幾人かの首が落ちる。

 音よりなお疾く飛来する鋭利な刃。それはハサンたちには回避するより他に術がなく、反応の遅れには即死という結果が返ってくる。

 

 毒を振り撒いていた静謐もまた、微かに初動が遅れた。

 

「静謐!」

 

「――――ッ!?」

 

 呪腕の忠告。

 回避行動は一歩遅く、妖弦の刃が静謐の片腕を切り飛ばした。

 

 空を舞う静謐の腕。

 それをゆるりと見上げながら、トリスタンは一度手を止める。

 自分の頭上から落ちてくる、か細い少女の腕。

 それを彼は、手で払い落とした。毒の塊である静謐の腕を、当然のように。

 

「ッ……馬鹿な……!」

 

「さて、では試してみるといい。私にその毒が通用するかどうか」

 

 トリスタンは静謐の腕を払い落とし、その血煙を多少なりとも浴びた。

 つまり、その毒でトリスタンに致命的な事態を引き起こすのは不可能。

 そう判断するより他になかった。

 

「くっ……!」

 

「そう揺れるな、百貌。何故こやつがここまで饒舌になるか考えろ。どちらにせよ勝機は常にあちらの手の中。だというのにわざわざこちらを揺さぶるのは、こちらを動かしたいからだ。奴は我らになど関わっていないで、早々にべディヴィエール殿たちを追撃したいのだ」

 

 呪腕がそう言って、ダークを構え直す。

 彼らの目的は円卓の打倒ではない。

 聖都侵入が果たされた今、獅子王が打倒されるまでの時間稼ぎだ。

 勝てるに越したことはないが、死んでもここに足止めできれば目的は果たされる。

 

 その言葉を受けて、百貌が軽く鼻を鳴らした。

 

「……そうだったな。少々、頭に血が上っていた」

 

「はい……藤丸様たちの旅のために、私たちの命―――ここで使い切る所存です」

 

 落とされた腕の血を止めながら、静謐のハサンがそう口にする。

 同じく肩を並べる玄奘三蔵に対して、呪腕が問いかけた。

 

「そういうわけです、三蔵殿。

 申し訳ないが、彼奴めの足止めにもう暫くお付き合い願いたい」

 

「―――ええ、そうね。今の話で大体わかったわ!」

 

 自信満々にそう返答する三蔵。

 何がわかったのかは分からないが、呪腕がトリスタンに向き直る。

 彼は明らかに表情を変えて、状況を変える手段を探していた。

 

 聖都にべディヴィエールたちを通した時点で大目標を達成したこちら。

 聖都に彼を通されてしまった時点で大目標に失敗したあちら。

 精神的な優位は、現状では完全にこちらが押さえている。

 焦って攻め込まなければならないのは、トリスタンの方なのだ。

 

 毒の耐性をバラしたのも、こちらの動きを限定するためのもの。

 毒を浸透させるような時間稼ぎに似た動きを、こちらにされたくないのだ。

 勝ち目を失った焦りで足並みを乱す必要はない。

 こちらは今、勝っているのだ。

 

 だからこそ円卓の騎士トリスタンは、自分から無理な攻めをするしかない。

 

「来るぞ――――ッ!」

 

 疾風の如く押し寄せて、トリスタンが刃を放つ。

 回避し損ねた百貌が三人、その命を絶たれた。

 解体されて四散する体が魔力光となって解れ、消えていく。

 

 三蔵の踏み込みが大地を揺らす。

 放たれる掌底が空気の刃を粉砕しながら殺到。

 トリスタンの進撃を迎撃する。

 

「ねえ、トリスタン卿! あなたが“反転”を得たのは何故?」

 

「―――――」

 

 掌底を躱し、潜り抜けるトリスタン。

 その彼の耳に、三蔵からの声が届いた。

 彼はその言葉に一切反応を示さず、敵の首を落とすために妖弦を奏でる。

 

 迫りくる短剣の嵐を容易に撃ち落としつつ、更に動きが鈍い百貌を処分。

 一人ずつ、確実に削り落としていく。

 

「聖都にいた頃から何となく思っていたけれど。

 そうね。きっと、あなたって誰より繊細な心の持ち主で、情が深いのね」

 

 瞬間、思考が沸騰した。

 確実に削れるところから、という最も早い処理手段を捨てる。

 百貌のことが頭から抜け落ちて、全ての刃が三蔵に集中した。

 

 体勢を低く。両の掌には力が宿り、音の刃さえも迎撃する。

 処理しきれなかった攻撃が、三蔵の肌を切り裂いていく。

 血に塗れる肢体。だがその傷の中に、命に届くようなものは一つとしてない。

 確実に感じ取り、落とす必要がある攻撃は完璧に捌ききっていた。

 

 三蔵から距離をとって着地したトリスタンが、彼女を睨む。

 

「三蔵法師ともあろう女性が、おかしな事を。

 見ての通り、私に人の心などありません」

 

「―――だとすれば、他愛なし」

 

 そんな彼のすぐ背後で、別の人物の声がした。

 これほどに距離を詰められること自体、どうしようもない失態。

 息を呑みながら、しかし体は即座に反応を示していた。

 

 反射的に指で弦を鳴らし、音の刃でそれを撃墜する。

 ―――撃墜した、はずなのに。

 三射。放たれた刃が、その男の片腕と両足を切り飛ばす。

 首を落とし、手足を全て切り離すつもりで放った刃だというのに。

 

 目では見切れぬ軌道を描くトリスタンの刃。

 真っ当に回避などできないその刃を、男は確かに潜り抜けていた。

 驚愕する間もなく、彼は残された腕でトリスタンの腕を掴む。

 “痛哭の幻奏(フェイルノート)”を握る腕を。

 

「――――っ!」

 

「そのような騎士……私でさえこうして手足の三本を捨てれば肉薄できる。

 殺ったぞ、円卓の騎士トリスタン―――!」

 

 弓を握る腕を百貌に取られ、微かにトリスタンの動きが止まる。

 その瞬間を刺すように、ほぼ全てのハサンが短剣を放っていた。

 周囲一帯が押し寄せる刃の群れ。

 そんな光景を前にして、しかし。彼は悲しげに息を吐いた。

 

「私は悲しい。あなたたちの放つ刃程度で私を討ち取れる、などという考えも。腕を掴んだ程度で我が妖弦を止められる、などという考えも。浅はかな思い上がり以外の、何ものでもない」

 

 指が動く。その次の瞬間には、彼を掴んでいた百貌は血煙と化す。

 周辺一帯に音の刃が張られ、全てを切り裂く空間がそこに展開される。

 短剣は一本たりとも通らない。何をしたところで、ハサンたちの攻撃は―――

 

「無論、知っているとも。我らの剣ではあまりに貧弱。だが礼を言う。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……ッ!?」

 

 一つの例外を除いて、円卓の騎士トリスタンには届かない。

 

 呪布が解かれて宙を舞い、呪腕の翁がその名の由来を解放する。

 ただ一人、短剣の投擲に参加しなかった男が。

 布に縛られ二つに折られていたその右腕を大きく伸ばしていた。

 

 赤熱する、彼の身長に匹敵する長さの腕。

 それを大きく伸ばしながら、呪腕の翁が疾走した。

 トリスタンを目掛けて走る黒い影。

 

 既に撃ち放った音の刃。

 その微かな隙間を縫い、伸ばされる悪魔の腕。

 

「―――その程度で」

 

 例え微かな隙間を縫おうとも、そこに重ねて刃を放てば終わる話。

 そうして追加の演奏を行おうとした彼の前で。

 

「致し方なし、この命もくれてやる」

 

 既に放たれた刃に身を投じ、数人の百貌が自分から惨殺された。

 飛散する血、肉片。

 それらが一気に周囲に撒き散らされて地面に落ち―――

 

「―――――」

 

 眼を潰したが故に、耳で全てを視ていた彼。

 彼の見ていた景色が、血の水音に塗り潰された。

 いや、そう簡単に彼の耳を欺けるはずがない。

 ハサン・サッバーハというアサシンの持つ、気配遮断能力がなければ。

 

 無差別に斬撃をばら撒くだけではいけない。

 このタイミングでは、迎撃するには間に合わない。

 だが狙いをつけることは叶わない。

 狙いがどこにいるか、判断できない。

 

「なんと――――」

 

 驚愕する―――彼の胸に、悪魔の指先が触れる。

 生成されるトリスタンの心臓の鏡面存在。

 

 そのタイミングで彼は呪腕の位置を知り、フェイルノートを鳴らす。

 だがその前に、

 

「――――“妄想心音(ザバーニーヤ)”」

 

 悪魔の手が握っていた、トリスタンの心臓が握り潰された。

 

 それは悪魔シャイターンの腕。

 彼が山の翁の称号を得るために手にした異形。

 相手の心臓の二重存在を形成しそれを潰すことで、本物の心臓を潰す呪いの腕。

 

 その呪いはこの戦場において確かに効果を発揮した。

 破裂するトリスタンの胸。

 彼は思いがけない攻撃に驚きながら、喀血する。

 

 だが彼の反撃は同時に呪腕を切り刻み、その右腕を微塵に斬り砕く。

 腕を失い、全身を裂かれ、地面を転げていく呪腕の翁。

 

「……ッ、貴様の霊核。確かに貰い受けた―――!」

 

「ええ。確かに霊核は奪われました」

 

「―――呪腕!」

 

 彼を拾おうとした百貌の何人かが切り捨てられる。

 まだ終わっていない、と知り呪腕もまた跳んだ。

 それでも片足があっさりと切り落とされた。

 

「なんだと……!?」

 

 転がりながらトリスタンを見上げる呪腕。

 だがトリスタンは何ともない様子で、そのまま立っていた。

 胸は弾け、確かにそこで心臓が潰れている。

 

 だというのに彼は何ともないように振舞い続けていた。

 

「―――わざわざ教えて差し上げたはずですが。私の祝福(ギフト)は“反転”だと。

 心臓を失えば、真っ当な生物ならば死ぬでしょう。だから死なない。

 霊核を失えば、サーヴァントは消えるでしょう。だから消えない。

 私は二度と止まらない。獅子王の国を創り上げるまでは」

 

 嘆きのトリスタンは止まらない。

 獅子王にその祝福を返上するその瞬間まで、けっして。

 

 手足を失った呪腕。最早半分も残っていない百貌。腕のない静謐。

 まずはそれらを完全に処分しようと歩みを進め―――

 

「―――そう。本当は悲しくて悲しくて動けない。

 だから、そんなギフトを得たのよね。あなたは」

 

 その声にトリスタンが足を止める。

 振り返り、構えを取る玄奘三蔵の姿を正面に。

 

 三蔵の声には何の色もない。

 怒りも悲しみも哀れみも。

 ただ事実だけを指摘するように、彼女は淡々とそう口にしていた。

 

「玄奘、三蔵―――」

 

「本当は悲しくて指一本動かせないから。

 だから動けない自分を動かすために、自分を“反転”させた。

 あなたが絶対に動けないから、反転したあなたは絶対に止まらない。

 ―――貴方が止まれないことこそ、貴方の悲しみの深さの証明」

 

 “痛哭の幻奏(フェイルノート)”が掻き鳴らされる。

 周囲一帯の全てが刃となって、三蔵ひとりを目掛けて降り注ぐ。

 それを正面から受け止め、弾き、止め切れずに切り裂かれる。

 自分の血を浴びながら、彼女は言葉を止める事はしない。

 

「―――貴方を動かすギフトは、とても今のあたしには止められない。けれど、その悲しみを放っておくこともしません。あたしに貴方への救いは与えてあげられないけれど、きっと貴方の王様を救ってくれる人の旅路を支える事を、その代わりといたしましょう!」

 

「…………ッ! 王への、救いなどと――――!!」

 

 再び刃が降り注ぐ。

 なおも苛烈に、留まる事を知らないように加速し続ける刃。

 その下で、三蔵がにこりと微笑み、黄金に輝いた。

 

 トリスタンが息を呑む。

 真っ当なサーヴァントにあり得ない、圧倒的なプレッシャー。

 まるで神性に至った王と変わらないような、そんな桁違いの―――

 

「あなたの悲しみを救うことは出来ずとも―――この掌でその涙を掬いましょう!

 神様の祝福で泣けないあなたの心に、慈悲なる一撃で大穴開けて仕る!

 いざや往かん! “釈迦如来掌”ォ―――――ッ!!!」

 

 その瞬間。

 微笑みさえ浮かべながら掌底を放つ三蔵に、黄金の仏の姿が重なった。

 放たれる妖弦の刃など瞬く間に木っ端微塵。

 あらゆる全てが粉砕される慈悲の一撃。

 

 それは回避など許さぬ圧倒的な速度でトリスタンを打ち据えて―――

 

「な、にを……ッ!」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 吹き飛ばされたトリスタンが、聖都の外壁まで届いてそこに突き刺さる。

 

「ぐっ……!」

 

 壁に突き刺さった彼が、苦悶の声を上げながら動こうとして―――

 しかし、彼はもう指一本動かすことが出来なくなっていた。

 その事実に打ちのめされて、トリスタンが唖然とする。

 

「―――いけない、何故……! 動け、動け、動け……ッ!

 私はまだ動かなければいけない……!

 我が王のために、我が罪の贖いの為に、私はまだ……ッ!」

 

 それを悲しいと思う心があるのならば、何故そんな罪を犯したのか。

 罪を犯したということは、それを悲しいと思う心を持たないからだろう。

 王を傷付けて、国を後にし、何も出来ずに死んだ男。

 そんなことになったのは、嘆きを知らぬ怪物だったからに他ならない。

 

 フェイルノートは指先さえ動けば敵を殺せる。

 だから指一本でいい、動かさねば。

 王の敵を排除する。排除し続ける。心の無い怪物である自分が。

 せめて王が静かに眠れる、その地を創るまでは。

 

 ―――嘆きの騎士はもう動けない。

 悲しみがある限り動き続けるためのギフトは尽きた。

 心臓も、霊核も、彼をこの地に維持するためものは何もない。

 

「――――ああ、なんという。

 またも、私は、彼の王に、何も……わた、しは……!」

 

 彼は微動だにせず、光となって消え始めた。

 目から流す血液はそのまますぐに光と変わって、天へと昇り消えていく。

 

 ―――構成していた魔力を全て黄金の霧に還し、円卓の騎士トリスタンは消滅した。

 

「……まさか、獅子王のギフトを……!?」

 

 驚愕する百貌の前で、玄奘三蔵が崩れ落ちる。

 咄嗟に痛む体で走り出した彼女が、それを受け止めた。

 

 ―――外傷は大したことはない。

 だが、既に彼女の退去は始まっていた。

 どう考えても、サーヴァントの身で出してはいけない力を出した代償。

 

「……おい、おい。よくやったぞ、助かった」

 

「……ん。あ、うん……あたしがやった、というか……

 流石に神様の祝福が相手じゃ、御仏に助けを求めるしかなかったというか……

 というか、ふふ。あなたの分身の方がよっぽど命を懸けてたというか……」

 

「―――まあ、な。だが私の場合それが役割だ」

 

 文字通り、全てを使い果たしたのだろう。命も含め。

 獅子王の祝福を打ち壊すために、命を懸けて釈迦の領域に一歩踏み出した。

 

「ええ、あたしもそんなとこ……そういうんじゃないけれど……

 でも、ああまで悲しみに沈んだ人が相手じゃ、説教のひとつもしないと、ってね……」

 

 ―――そうして彼女は実際に祝福を粉砕してみせた。

 神域の一手。あるいは、彼女たちの知る初代“山の翁”の領域の前借。

 それが、通常のサーヴァントの霊基で保つはずもなかった。

 彼女は虚ろな目で百貌を見上げながら、少し恥ずかしそうに言う。

 

「―――ごめんなさい、百貌さん。

 藤太に、あんまりお師匠っぽいことできなかった……ごめん、って。

 謝ってたって、伝えて――――」

 

 それを最期に。

 高僧の少女は、自身を維持する事も出来なくなって。

 光となって、完全に消え失せた。

 

 

 




 
大切なのは慈悲の心なのです(虐殺王並の感想)
あとダンス。
 

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