Fate/GRAND Zi-Order 作:アナザーコゴエンベエ
「―――――」
広げてみれば、布は彼女の体をすっぽりと覆い隠すほどに大きくて。
彼女はそれを身を隠すために使え、と言われたと解釈した。
見てみればいい、なんて言ったくらいだ。それ以外にはないだろう。
そうして彼女は夜闇に潜みながら、ウルクの中へと踏み入った。
「……この体なら、ウルクの風に馴染ませて気配は隠せる―――はず。
流石に都市神を弾くような結界は張ってない、わよね……?」
ぽつぽつと呟きながら、彼女はあっさりとウルクの壁を乗り越えた。
助かったような、イシュタル相手に不用心すぎでは、と注意したい気分のような。
難しい顔をしながら彼女は静まったウルクの裏路地を抜け、やがて表通りに出て。
「―――――――――」
―――バビロニアの壁を維持するため、だろう。
夜になっても、人の流れは疎らながらに続いていた。
守るべき都市がそんな状態なのにこの体は神殿でふて寝してたのか、と。
何だか申し訳ない気分になってくる。
と言っても、全ての人間が働いているわけではない。
酒を飲んで騒いでいる声。
これは、壁で戦っていた兵士のものだろうか。
レオニダス、という男がいかに偉大かを大声で語っている。
どうやらその酒屋に居る者たちは全員が同意しているらしい。
どんどん会話に熱が籠り始めた、と感じられる。
「…………」
熱気。熱量。魂が放つ、生きているが故の温かさ。
冥界に墜ちた魂が、凍えて失ってしまう輝き。
それが肌にびりびりと伝わってくる気がして、小さく唇を噛み締める。
槍檻に鎖された魂は、永遠に失われない。
生者として持っていた全てを喪い、それでも魂だけは残り続ける。
言葉も意志も持たない、ただ貴かったものの残滓だけが。
でも仕方ない。
彼女に守れるのは、その生命が遺す絞りかすだけなのだ。
最初から彼女は、そういうものにしか触れられないように創られた。
「……ええ、そうよ。だから、私は私が守れるものを……!」
「おい。貴様、こんなところで何をしてる」
「ひゃわぁあああっ!?」
背後から突然声をかけられ、慌てて飛び退く。
いや。飛び退こうとして、全身を覆うようにしたマントを踏み締める。
そのまま彼女は勢い余ってすってんころりん。
思い切り地面に転がった。
「あ、あう……だ、誰よ……!?」
「―――――」
顔を隠すようにマントを押さえながら、何とか顔を上げて振り返る。
そこにいたのは、額から二本の角を生やした少女。
その少女が唖然とした様子で、転がっている彼女を見下ろしていた。
「……いや、なんだ。その……
「そ、そう。ええ、そうね。私もあなたに見覚えなんてないし!
人違い、人違いよ! ええ!」
どうやら神だとはバレていない様子だ、と。
ギリギリセーフ! と心中で安堵の溜息をひとつ。
そうしながら彼女は立ち上がり、マントの埃を軽く叩く。
そんな女神の姿を認めながら。
変装に理解のある鬼が、どうしたものかと苦い顔をする。
中身が別物なのは一見で分かる。
いま目の前にいる相手が行っている変装は、人から骨とはらわたを引きずり出して、その皮を被る事で本人に成りすましているようなものだ。
手慣れた者が見れば、バレないわけがないタイプの変装手段と言える。
この状況はそもそも何がどうなっているか分からない。
果たしてこれは、突っ込んでいいものなのだろうか。
色々考えながら微妙なものを見る目で、相手を見る茨木童子。
そうして見られていることに落ち着かない様子を見せる、イシュタルらしきもの。
動きづらくなった状況で、二人は揃って数秒固まった。
「やあ、ソウゴ殿たちではないですか!」
そう声をかけながら、着陸してみせる軽業。
声の主は牛若丸。
彼女はどうやらどこかの屋根から飛び降りてきた様子で、ソウゴの隣に現れた。
突然降ってきた彼女に対し、ソウゴが首を傾げる。
「牛若丸? どうしたの?」
「ソウゴ殿とアナ殿こそ。日も暮れたというのに、どうされたのですか?」
その疑問はこちらこそ、と。
彼女がちらりと視線を向けるのは、ソウゴと共に歩いていたアナ。
目を向けられたアナはフードに手をかけ、被り直す。
その状態で視線を逸らしながら、牛若丸からの疑問に答えを返した。
「……私は一応、ただの護衛です。
女神戦に関わっていない、疲労していないサーヴァント、ということで」
女神と戦ったと聞き、神妙な顔を見せる牛若。
本日のことでまだその件に関しての情報は共有できていない。
彼らが帰還した、ということは小太郎も帰還しているはず。
なのに情報共有されていないならば、小太郎はまだ王の許にいるのだろう。
そして王も忙しいとはいえ、女神の話となれば最優先事項。
最速での情報共有が必須と考えれば、恐らくマーリンが働かされる。
だというのに、そうなってはいない。ならば。
報告に時間を要する程度に重要であるが、共有を優先しない程度に急務ではない。
そんな話になる、ということだろう。
「小太郎殿たちからの依頼ですね。
やはり戦闘になったのですか。ご無事で何よりでした」
納得して頷きながら、そう言って微笑む牛若丸。
彼女からの労いの言葉を受けて、ソウゴは僅かに眉を下げた。
「まあ、ね」
だが、どこかぼんやりとしたソウゴからの返答。
それに不思議そうに首を傾げ、牛若丸はそのまま同行する様子を見せた。
小太郎がまだジグラットに待機している以上、ここで急いでも仕方ないからだ。
仮に彼がジグラットからバビロニアまで移動を始めれば、すぐに分かる。
そう考えて、彼女は跳び回る事を止めて、歩くことを選んだ。
微妙にアナが顔を顰め、しかし何も言わずに黙り込む。
「それでソウゴ殿は、アナ殿を護衛につけてどこへ?」
「うーん、どこへっていうか。まあ、ちょっと散歩したい気分だったのかも」
目的が何かあるわけではない、と彼は語る。
もちろん、目的がなければ出歩いてはいけないなどという規則はない。
だから、牛若丸をその言葉をさらっと流した。
「ふむ。まあそういう気分になる時もありましょう」
「牛若丸は?」
「バビロニアの壁の方で、空を翔ける炎の翼が確認されたのです。
距離はありましたが、間違いなく女神の神威。
もちろん、イシュタルでもなく魔獣の女神でもない、南の森の女神です。
それをギルガメッシュ王に報告するため、ひとっ走りしてきました」
訊き返された言葉に、余すことなく目的を暴露する。
恐らくそれは、ソウゴたちが日中に動いた結果の現象のはず。
どうせならここで彼の持っている情報をある程度聞いてしまおう、と。
そう言う表情で、彼女はソウゴの顔を見た。
つまりはソウゴたちが今日顔を合わせた女神。
ケツァル・コアトルが空を飛んでいたのを見つけた、と。
そんな事実を聞いて、何で? と小さく首を傾げるソウゴ。
「ケツァル・コアトルはもう俺たちの味方になった、んだけど。
なんかする、って話は聞いてなかったな」
「―――南の女神を味方に? おお、それは凄い戦果ではないですか。
なるほど。それに関連してケツァル・コアトル? なる女神が行動を開始していたのですね。
小太郎殿からの報告で王も把握しているでしょう。
これならば少しくらい報告が遅れてもどうとでもなりますね」
少し驚き、そう言って微笑む牛若丸。
南米の女神が何か動いていたとして、だ。
それが敵対行動でないのなら、優先度は一枚下がる。
無視はできないが、魔獣の女神に比べたら後回しでいい。
反応が軽い、と。アナが胡乱げな目で彼女を見つめた。
そこで言葉を区切り、無言のままに三人が揃って少し歩く。
そうしてたっぷり一分経った後。
ただ歩くだけだったソウゴが、ゆっくりと口を開いた。
「牛若丸はさ。いずれ源義経になるんだけど、その前の状態でここにいるんだよね」
「そうですね。
この時期の私の呼び名、というならば牛若丸よりも遮那王と名乗った頃だとも思いますが」
「今の牛若丸と、義経の頃の牛若丸だったら、どっちが強いのかな」
アナが、ソウゴが放ったその質問に僅かに顔を上げた。
が。すぐに顔を下げて、足を止める。
問われた牛若丸が少し困った風に、足を止めて夜空を仰いでみせる。
自然と、三人の足が止まった。
「もちろん私が、と言いたいところですが。
そうですね、まあ義経として呼ばれた時の私の方が戦力としては優れているのでは?」
「そっちの自分だったらもっと戦えるのに、とか。思ったりする?」
静かな声で、そう問いかけられて。
牛若丸が一度瞑目して、数秒だけ悩むようなフリをする。
別に本当に悩んでいるわけではない。
ただ、改めて不動の答えを自分の中に確かめているだけだ。
「―――いえ、別に。
落とせる首を落として回るのは、牛若丸でも遮那王でも義経でも変わりません」
自分がどのカタチであろうとも、やるべきことは変わらない。
主として戴いた者の言葉を聞き、敵の首を斬って落とす。
ただそれだけだ、と。
牛若丸は微笑みながら、そう返した。
「……でも義経の時が一番多く首を落とせるんだよね?
今の自分からそっちの自分に変われるとしたら、自分から変わる事を選んだりする?」
ふと、牛若丸が視線をソウゴへと向けた。
見せるのは、どこか不思議そうな顔。
少しの間そうした後、彼女は再び笑顔を顔に浮かべてみせる。
「うーん……確かに、そう言われると。そうなる手段がある、という前提で。
私の目的を果たすために必要なら、ありな選択肢かもしれませんね。
私は最初から最期まで、やるべき事もやり方も、何も変わりませんでしたので」
「変わらなかった?」
「はい。兄上の障害となるものの首を、ただ落とし続けました。
もちろん、私自身がそれを望んで」
そっか、と。一言呟いて、ソウゴが黙り込む。
そうして黙り込んだ彼に対して、牛若丸が言葉を続けた。
「ですが、そんな道の終わり際。少し不思議なことがあったのです」
「不思議なこと?」
「はい。私は最期まで、その在り方を己で望んだ。
そして、私に従うものたちにも、それを理解させた上で選ばせた。
―――なのに不思議と、最期には泣いてしまったのです」
彼女は微笑みながら、笑い話でも語るかのようにそう言った。
牛若丸―――英雄・源義経の最期は、慟哭の中で幕を閉じたのだと。
そんな彼女の様子をちらと見て、アナが呟くような声で言葉を吐く。
「……あなたは、兄に裏切られて死んだ。そう、聞いています。
―――兄妹に裏切られて、それを悲しんだということですか?」
アナの方から訊かれるとは思っていなかったのか。
牛若丸は少し驚いた様子を見せて、しかしすぐに気を取り直して首を横へ振る。
「別に、裏切られた、と思ったわけでもないのです。
ああ、私の働きはここまでで終わりなのか。ただ、そう思っただけ。
私の在り方に終止符を打つ、来るべき時が来た。
そうと理解して、それでも。
――――何故か私は、あの時、哭いてしまった」
「悲しかったから、じゃないってこと?」
「悲しいは悲しいですが、それでも納得していた筈なのです。
もちろん、何かを憎んだという事もない。
この在り方は怪物のもので、いずれそうして怪物として人を敵に回すことになる、と。そう、何度も忠告してくれる師もいました。
しかし、私は師にもそれでもよいのです、と。そう返し続け、突き進み―――そうして選んだ、私自身の在り方。そうして辿り着いた、その最期。
その筈なのに、なぜか。私は最期に、哭いていた」
そうなることを知っていた。そうなることを受け入れていた。
なのに、不思議と。最後の最後に、彼女は泣いていた。
別にその結末が悲しいわけじゃない。
別に誰かが憎らしいわけじゃない。
自分が引き連れた者たちを巻き込んだのは―――少し、心が痛んだけれど。
それでも、別に泣くほどのことじゃない。
彼女たちが生きた証として、逃げ出した臆病者だっていてくれたのだし。
「―――だから。ソウゴ殿、あなたもそれでいいと思うのです。
天狗ならざる我が眼に、あなたの苦悩が確りと映るわけでもありませんが。
自分で選んだ、自分で進んだ、納得ずくの道。己の心を支える、唯一の生き方。
それでも、哭きたい時はやってくるものなのです」
「―――――」
間違いではないと信じた道を進んで、進んで、進んで。
それ以外の道を考えずにただまっすぐに進んで、進んで、進んで。
間違ったなんて、思わない。誤っただなんて、思わない。
納得できる結末に辿り着いて、なお。
それでも、心が軋むことはある。
「―――でも、俺には。それ以外の道も多分、選べた。
いや。きっと今からだって、選べることなんだ」
「選ばなかった、ということは。
あなたは、それは違う道だ、と思っていたのですよ」
「そう思った俺が間違っていたのかもしれない」
「あなたが自分を信じる限り、あなたにとっては間違いではありません。
そして、あなたが選んだ道ならず、あなたという人間を信じる者にとってもまた」
牛若丸とソウゴが視線を交錯させる。
自分は相手の感情の機微に疎い、と。
そう自認している牛若丸にも、ソウゴの様子は何となく伝わってきた。
アナはその二人の会話に思うところあれど、イマイチ分かっていない様子だが。
「……あなたがそれを信じ切れない、というのなら。
自身のことも、自分の道の正しさも、信じ切らずともよいのです。
代わりに、自分が道を歩き切った時に報われる者を信じればいいでしょう」
「報われる、者?」
正しいと信じた道でも、躓く事はある。
そんな衝撃に覚えた驚愕と恐怖が、身を竦める。
遥か彼方を見つめていたはずなのに、足元が気になって仕方なくなる。
何度転んでも、前のめりに突き進んでいくと決めたはずなのに。
「私の道は、全て源氏―――兄上のために。
では、あなたの道は?
あなたがその苦しみの道程を乗り切った先に、報われる者は誰なのです?」
終わりの前で転んで、振り返り、泣いてしまった英雄が問う。
英雄の背中を見つめていたら転んでしまった、これからの英雄に問いかける。
我武者羅だったから気付かなかったのに。
気付いていないフリが出来たのに。
落ち着いて、ふと足を止めたときに、気付いてしまった事実。
目を逸らすことができなくなった、自分の本性。
それでも、それでも―――そこだけは、きっと間違っていない。
彼がやりたかった事も、やるべき事も、何も変わっていない。
辿るのがこの道でいいのか、と苦悩はした。
けれど、ゴールだけは、一度も見失ってなんかいなかった。
「……民。俺の、民だ」
「その道を進んだ果てに、報いたい者さえ決めてさえおけば。
後は少しくらい辿る道が変わったところで、きっとそう悪い事にはならないでしょう。
少なくとも、あなたが報いたい者たちにとっては。きっと誰もあなたを責めませぬ。
正しいと信じた道を進めばよろしい」
拳を握り締めるソウゴに向け、牛若丸がそう微笑む。
そうしてからふと思いついたように。
「こういった説法は弁慶の方がよほど―――ああ、いやダメか。
アレはソウゴ殿のような手合いの悩みを聞くには、臆病にすぎる」
「……弁慶、って。そういえばまだ一回も見たことないけど。
ずっと壁の方で仕事してるの?」
「ええ。我らは交代制の休みですが、奴の休みの日に『ほう、貴様、ほう? 私が仕事だというのに貴様は休むのか? いい身分だな弁慶、私の盾となるのが貴様の仕事だろうに。私が戦場にあるのに貴様が休んでいて、一体どうして盾になれるというのだ?』と、話しかけるだけで不思議と休まず手伝ってくれるのです」
「ええ……」
可愛らしく、ドン引きする声。
ソウゴと牛若丸が揃って、その声の主に対して視線を向ける。
ハッとして口を塞ぎ、フードを引っ張り、アナは大きく俯いた。
「ああ、ほら、ソウゴ殿。弁慶に関して何かご存じですか? 逸話など」
「うーん。五条大橋の話とか、立ち往生とか?」
ふとゴーストが纏う白いパーカーの事を思い出しながら、さっくりと。
とりあえず有名どころであろう話をピックアップ。
それを聞いた牛若が、そうでしょう、と大きく頷いた。
「それです、弁慶の立ち往生。
つまり、弁慶ならば立ったまま往生できる、ということ。
逆に言えば、立ったまま往生して初めて弁慶と言える、ということ!
弁慶ならばそのうち、それは見事な立ち往生を見せてくれることでしょう!」
それは過労で、ということなのだろうか。
部下に過労死を要求しつつ、彼女はにこにこと楽しそうに笑った。
「これがブシ、という人種のスタンダードなのでしょうか……」
ぽつりと呟くアナ。
ソウゴが腕を組んで、少し悩み込む。
織田信長。後は、坂田金時。
彼が見てきた武士と言っていい人種を思い浮かべて―――
モデルケースが少なくて何とも言えず、うーんとだけ唸ってみせた。
ただその辺りと比較しても、突飛さは大差ない気がする。
「小太郎に訊いてみる?」
「うーむ、ですが小太郎殿も死した部下をこき使っているニンジャ・ブリゲイド。
ですから、私と似たようなものなのでは?」
二人が揃って首を傾げた。
そんな二人をじっとりとアナが見据えて、どことなく呆れた様子を浮かべる。
その後にそっと小さく息を吐いて。
「……そろそろ帰りましょう。もうとっくに夕食の時間は過ぎています」
「―――そういえばそっか。ごめん、アナ。一緒に付き合ってもらって」
「別に。そもそもサーヴァントに食事は必要ありません」
「ふむ。しかし、まだ小太郎殿がジグラットから離れる気配がないですね。
ギルガメッシュ王への報告に、随分時間が――――」
そこで何かに気付いたように、牛若丸が視線を巡らせた。
やがて一か所に視線を留め、微妙に目を細めたままに小さく呟く。
「……茨木童子ですね。誰かと……何でしょう、相手のあれは……人間、か?」
牛若丸の気配が剣呑としたものに変わっていく。
彼女がそうなっていくのは、気配の読めない茨木童子の会話している相手のせいだ。
だがそれを、アナは茨木童子を対象としたものと考えた。
そのままでは牛若と茨木による刃傷沙汰に発展する、と思い至ったのである。
街を騒がすのを、アナは嫌う。
何かが起こっても、対応できずに戸惑うしか出来ない人がいると知っているから。
流石にこの時間になれば、既に家族と一緒にいるだろうけれど―――
「―――茨木童子、何をしているのです」
だから、彼女は声を上げて相手に問いかけていた。
茨木童子はそこに留まっているが、牛若丸を見つければ勝手に逃げるだろう。
そう考えたからだ。
実際、茨木はこちらと一定以上関わるのを嫌う。
面倒だ、と考えればすぐにひらりと逃げ去ってしまうくらいには。
牛若丸や巴御前がいると、本当に彼女はすぐに逃げ出す。
だから今回もそうなると思って、
「―――え? あなたも? え?
うそ、ケツァル・コアトルだけじゃなくて、あなたまで人間を……!
ちょ、え、どういう状況……! もしかして、私だけ遅れてたの……!?」
茨木の前にいた、大きな布を被った正体不明の相手に驚かれた。
その一言で、理解する。
相手が一見して自分の正体を見破り、完全に理解したのだと。
―――女が、不味ったと口を今更手で塞ぐ。
すぐにアナの霊基が女神などではない、と改めて理解したのであろう。
だがそんな発言をできる時点で、相手の正体は割れている。
ケツァル・コアトル。そして、アナに関係する女神。
そのどちらでもないこの相手は、女神――――
故に一切の迷いなく。
彼女は武装たる不死殺しの鎌を手に呼び込んで、
「ねえ、茨木。その人、友達?」
「―――いや、知り合いかと思って話しかけたら別人だっただけだ」
ソウゴに問いかけられた茨木童子。
彼女が牛若、そしてアナに一瞬ずつ視線を送る。
普段はまともに会話せずに牛若の前から逃げる彼女が。
ここに牛若丸がいるというのに、普通に会話を続行した。
そこでアナが腕を止め、武装の召喚を中断する。
当たり前だ。自分は馬鹿か。
この街中で、疎らにとはいえ民が未だ行き交うこの場所で。
女神と戦闘なんて、始められるはずがない。
だからこそ、茨木童子もソウゴの振った誤魔化しに乗った。
彼女もまた、この都市に生きる人間を守るという意志を持っているから。
牛若丸も剣呑な気配をすっかり引っ込め、口笛でも吹かんばかりに気を抜いている。
乗りかけた間抜けは自分だけ、ということだ。
必死に昂りを抑え込み、バレていないかと戦々恐々しながら女神を確認。
「トモダチ、違う。ええ、そうよね……そうよ、私には友達なんていないし……
いえ、別に初対面の相手に友達じゃないって言われて傷ついたわけじゃないから。
ただほら、ああ……自分には友達って誰もいないんだなぁってね。
改めて思い知らされて、こう、ね……」
すると、女神は近くの建物の壁に寄り掛かり、ぶつぶつと何かつぶやいていた。
なんだこの女神、と唖然とする。
何故か心を抉ったことになった茨木童子が、どういう顔をすればいいのかと眉を顰めた。
女神が傷ついている間に、ソウゴが茨木に視線を向ける。
今聴いた声は間違いなくイシュタルのもの。
ならば彼女はイシュタルなのか、それを問いかけるための視線。
ソウゴに協力するのも嫌なのか、鬼は少しだけ逡巡してみせて。
しかし、渋々首を小さく横に振った。
イシュタルではない、というサインだろう。
だとすれば、答えは一つ。
イシュタルにしてイシュタルならざるもう一柱の神。
冥界の女主人――――
「それにしても……もー、茨木やっと見つかったぁ。
ほら、もうこんな時間だよ。お腹空いちゃったし、早く帰ってご飯にしようよ」
そう言ってソウゴが疲れ切った声で、腹を両腕で押さえた。
すぐさま理解したのか、全力で嫌そうな表情を浮かべる茨木童子。
だがここからどう動くか、というのはかなり難しい。
イシュタルに匹敵する神威など、簡単に止められるものではない。
こんな場所で万が一決戦に発展すれば、ウルクはそれだけで滅ぶだろう。
どうするべきか、と鬼が眉間に皺を寄せて。
「いやはや、まさか一般人に迷惑をかけていようとは。
これは貴様を管理する私たちの失態も同然。
ご婦人、そこな鬼に怪我などさせられていませんか?」
「な――――ッ!」
叫び返そうとして、鬼が言葉を詰まらせる。
正体を暴くような発言は避けろ、と言われているのは分かり切っている。
それに従う理由なし、とここで女神の正体をぶちまけたっていい。
が、ウルクを滅ぼし得るそんな事が出来る筈もなく。
「え? あ、いいえ! 大丈夫、大丈夫よ。
私は一般人ですけれど、ちょっとぶつかったくらいで怪我するほどひ弱ではありません」
「おお、それは何より。
ですが、だからと言ってここで別れたのでは源氏の名が廃りましょう。
どうですか、詫び代わりにこれから我らと一緒にお食事など?
丁度今から帰り、皆で食事する予定だったのです」
「――――――」
女神が呆ける。
鬼が眉を引き攣らせる。
少女がフードの中で、愕然と口を開いて―――
しかし、動かす場所がそこしかない、と理解した。
女神を直接相手にできる戦力がある場所は、この都市にもカルデア大使館しかない。
だったらそこまで引っ張っていくのは道理だろう。
ただ流石にそれが受け入れられるかは―――
「お、お誘い……? しょ、食事のお誘い、なのかしら?
あ、あわ、あわわ……! こういう時、一体どうすれば……!
え、私? 私に言っている、のよね? 違う? 私に言ってるわけじゃない?
違うなら、一思いに違うと否定して欲しいのだわ……!」
女神が全力で慌てふためきながら、困惑し始めた。
もしかして、と。
この女神はもしかして、本気でこんな事を口にしているのだろうか、と。
反応に困って、アナもまた完全に停止した。
「普通にあんたにだけど……えっと、そういえば、あんたの事なんて呼べばいい?」
「私? 私でいいの? あ、はい! 私、エレシュ――――」
あ、失敗したと。
ソウゴが今の言葉に対して、内心で冷や汗を流す。
あまりにも調子の狂う女神。
正体を隠しているからと呼び名を訊いてみれば、まさか本名を名乗るなどと。
今までの流れから言って、うっかりと本名を漏らしてしまったのだろう。
だとしたらこれで正体がバレたと思い、逆上される可能性がある。
もしそうなった場合、真っ先に相手に突っ込み動きを止めるのはジオウの役目だ。
問題はウォッチのパワーもケツァル・コアトル戦から回復しきっていないという点。
それでも、やるしかない事だ。
彼が緊張した事を理解して、牛若丸が僅かに目を細める。
いつでも戦闘に入れる状態に、心を移す。
それを察したアナもまた武装を呼び出そうと構え。
茨木が舌打ちしつつも逃げる素振りは見せず。
女神がエレシュキガル、という実名を名乗ろうとした事実に。
何より、誰より。
―――エレシュキガル本人が、これ以上ない程に慌てふためていた。
どうする。どうする私。ここから、どうやって違う名前に持って行く。
お詫びとはいえ、夕食に相手の家までお呼ばれする一大イベント!
彼女が生まれて一度も味わったことのないシチュエーション!
そんなものを叩きつけられ怯んでいた心を、思い切り引き倒されていた。
既に頭はパンクして、キャパオーバーだ。
どうする、何を訊かれてたんだっけ。そうだ、名前だ。
はい、エレシュキガルです。
いや、違う。ダメだ、その名前を言ったら冥府の女主人だとバレてしまう。
神威は隠しているけれど、流石にバレてしまうだろう。
よくよく見れば相手はサーヴァント。
同盟相手の一人かと思い違った少女もそうだ。
なおのこと、名前はバラせない。
でも、でもだ。せっかく、名前を訊いてもらえたのに、だ。
それなのに嘘の名前を名乗って、相手を不快にさせないだろうか?
いや、絶対気分を害する。当たり前だ。
じゃあどうする。エレシュキガルとこのまま名乗る?
いやでも、そんなことしたら、夕食会はお流れ?
そうなるだろう。それはちょっとどころじゃなく残念すぎて―――
いや、そもそもこれは相手が謝罪の意をこめて誘ってくれたものじゃないか。
それを受け取らないなんて、神としてどうか。
けれどもだからと言って、嘘の名前なんて……!
自分の名前。エレシュキガル、そして―――
「カルラ! エレシュ……カルラなのだわ!」
エレシュ、とカルラ。
その間に不自然な間と、本当に僅かな音の振動が混じる。
即ち、エレシュ(キガルとイル)カルラ。
彼女という神性を呼び表す、二種類の名前。
神格というのものは、呼ぶものによってその名が変わる事もある。
エレシュキガルも、イルカルラも、紛れもない彼女の真名には違いない。
嘘は言っていない。言っていない、が。流石にどう考えたって、苦しい。
なんだその名前。もう駄目だろう、これ。
バレないわけがない。そんな名前ありえない、と誰だって訝しむ。
そう考えながら、女神エレシュキガルが相手の様子を窺った。
彼女に視線を向けていた少年は、ぱちくりと目を瞬かせ。
「そっか。じゃあ、エレシュカルラ。俺たちと一緒にご飯食べていってよ」
「――――――」
―――セーフ! セーフ!
そうか、彼らは恐らくカルデアからの来訪者。
つまり異郷の民。
自分の名前がおかしい、と感じるほどこの地について知らないのだ!
文化、文明はその土地に根付くもの。
異郷で育てば、他の地でどんな民がどんな生活をしているかなど分からない!
勝った……!
「え、ええ! ええ! その……よろしく、お願いするのだわ!?」
舞い上がって叫ぶ女神。
そんな女神の背中を見ていた茨木童子が、ふと夜空を見上げた。
これを警戒していた自分。
そんなものを改めて認識し、自分が馬鹿になった気分でいっぱいだった。
か「牛若丸いいよね…」
げ「遮那王いいよね…」
き「義経いいよね…」
よ「いい…」
さよならシティウォーズくん…
このSS、お前でグランドジオウが引けなかった苛立ちが書き始めた理由だったからよ…
やっと分かったんだ。俺たちには辿り着く場所なんていらねえ…
ただ書き続けるだけでいい…書き続ける限り…俺の中でシティウォーズくんは生き続ける…
(謝ったら許さない)
ああ…分かってる…
俺は止まんねえからよ…シティウォーズくんが止まっても、俺は止まんねえからよ…!
だからよ…止まるんじゃねえぞ…