Fate/GRAND Zi-Order 作:アナザーコゴエンベエ
「はぁ? 冥界行きの道案内?
なんで私がそんな事しなきゃいけないのよ。断固拒否に決まってるでしょ。
っていうかアイツ、いたの? 私にくっついてきたわけ?
本当に面倒くさいわね、あの根暗」
ぐるぐる巻きにされた、ちょっと焦げた女神。
イシュタルは不機嫌そうにそう言って、そっぽを向いた。
流石にケツァル・コアトルからの攻撃は堪えたらしい。
微妙に気の抜けた、元気のない拒否だった。
彼女を縛る紐はマーリンが用意したもの。
全力を出したとて、引き千切るには数秒を要するだろう。
前回の拘束とは格段にレベルが違う。
それだけの時間がかかる以上、彼女はこの場で死んだも同然だ。
「無償で協力してくれ、とは言いません。
ちゃんと代価は準備してきました」
ぴくり、と。
ぐるぐる巻きの女神が芋虫のように揺れる。
「代価ねえ? 言っとくけど、私ほど高い女神なんてそうは―――」
「ウルクの防衛のための必要経費、ということで。
ギルガメッシュ王の蔵に貯蔵された宝石類、3割を支払って貰える事になっているんですが……足らないんですか?」
「――――はえ?」
イシュタルが硬直した。
ツクヨミが不思議そうに、そんな彼女を見つめる。
石になったかのように動かない女神。
そんな両者を見つつ、オルガマリーが溜め息をひとつ。
「……交渉するならもう少し、話を小出しにするべきだったんじゃないの?」
「あっ、そうですね。
ガウェイン、積んできた前金を降ろしてもらっていい?」
「……この流れで出すのですか? いえ、言われた以上やりますが」
そう言ってガウェインが着陸しているマジーンへと向かう。
荷車を降ろし、そこに大量の何かが詰まった袋を降ろし。
袋が取り払われれば、出てくるのは大量の宝石類。
太陽の光を浴びて燦然と輝く、虹色の山。
「はわ、はわわわわ……!? え、うそ、なに? 夢?
ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待って夢じゃないわよね?
もし夢ならこのタイミングで醒めて欲しいんだけど。
これ以上進んだら精神的に取り返しつかないから。
二度と治らないくらい綺麗に心が折れちゃうから。
大丈夫? 夢じゃない? 現実?」
あ、やっぱ姉妹なんだ。
そう思わせるだけのテンパり具合で、イシュタルが震える。
抜群のどもり具合を見せた彼女が、全力で目を回す。
彼女の傍に控えたケツァル・コアトル。
そんな女神が、なんだかナー、と。微妙な感じで苦笑した。
「はい。これを支払うので、協力して下さい」
ガウェインが荷車を牽いてくる。
手を伸ばせば届きそうな、宝石の山。
それを目の前にしたイシュタルが、がくがくと振動を加速させた。
「こちらとしては、この代価をもって冥界下り―――
というより、この一件におけるウルクの防衛への協力をお願いしたいと思っています」
「――――――」
そう言われ、ハッとして。
顔色を目の前の宝石のように、虹色に七変化させる女神。
「しょ、正気を保ちなさい女神イシュタル……!
冥界よ? 埃とカビと蛆のための楽園みたいな場所なのよ?
しかも出迎えるのは、あのエレシュキガル……! 私から美しさと麗しさと明朗さを引き算して、代わりに根暗さと辛気臭さと湿気を掛け算した女なのよ……!?
私は美しいからあらゆる者からギリギリ許されてる女神……! その私から美しさを差し引いたらただの災害だって、身をもって証明してるのがあの女……!
ええ、絶対に嫌……! やってられるかっての……!」
「冥府の女主人殿が災害と呼べるほど活動してらっしゃったかどうか……」
困惑するようなハサンの呟きを無視。
耐える。女神とあらば、精神的防御力だって女神級。
財布の防御力は紙切れだが。
しかし女神は精神力全開で歯を食い縛り、人間たちの要求を跳ねのける。
「そう……! 例え。ほう、宝石を山のように積まれても―――!
ちょっとだけ考えてあげる事くらいしかしてあげないわ……!
ちょっとだけ考えてあげるから、もうちょっとその宝石をこっちに持ってきてください!」
困ったのは、ツクヨミだ。
さっさと折れるだろうと思って、素直に出せる条件は提示してしまった。
だがびっくりするほど薄弱な精神防御が、それを耐え切ったのだ。
流石は女神イシュタル、と言ったところだろう。
彼女は顎に手を当てて、困った風に首を傾げた。
「えっと……すみません、所長さん」
「このまま見せびらかしてればすぐに折れそうだし、別にいいんじゃない?」
嫌な汗をかきながら、必死に自分を律する女神。
だがその視線は常に荷車の宝石に引き寄せられている。
「まあ持久戦……と呼べるほどの戦いにはならないだろう。
こういうのは先に自然体を崩した方が負けるものだ。
瓦解するのは一瞬だよ。生前の私のようにね」
「笑えばいいのか、それは」
「誰であれ、私の過去を笑ってもいいし、私の過去に学んでもいい。
そういうものだろう?」
そう言って何故か胸を張るフィン。
呆れた風に肩を竦め、アタランテは適当に宝石を一つ摘まみ上げた。
「あっ、ちょ! それ私への前金――――!?
……っ、いえ違う。今の無し! そんなの、受け取る予定ないから!」
「…………」
荒ぶる女神。
恋愛主義と拝金主義。果たしてどちらの女神がマシなのだろう。
そんな事を考えながら、彼女は荷台に宝石を戻して―――
それを見ていたツクヨミがふと呟く。
名案を思いついた、と言わんばかりに。
「そうよね。まだ受け取ってもらってないわけだし……
今から減らしてもいいわよね?」
「は?」
「ねえガウェイン、イシュタルの目の前で適当に何個か宝石を握り潰したりできる?」
「え、ちょ、え? え!? え!?!? え!?!?!?!」
思いついた事を問いかけるツクヨミ。
マスターからの質問に、微妙な顔をしながらガウェインは答えを返した。
当然、彼がたかが宝石を砕けないはずもない。
「それは、まあ。宝石を砕くくらい、何という事もありませんが」
それならば、と。
明るい顔でひとつ頷いてみせるツクヨミ。
「これなら、『あなたが今すぐ協力するって言ってくれないと、取り分が減るわよ』って交渉になるんじゃないかしら。どう思います、所長さん?」
「どう思うか、って訊かれたら、どうかと思う、としか言えないけど……
まあでも効きそうだし、やってみてもいいんじゃないかしら?」
とんだ力技だ、と呆れを隠さないオルガマリー。
だが愕然としているイシュタルを見れば、尋常ではないほど効きそうなのは見て取れる。
「はあ!? あんたそれでも魔術師!? 正気じゃない、正気じゃないわ! 一発宝石を使った大魔術使う度に『ああ、これでウン万トンだな……でもいいの、それくらい会心の一発だった。だから意味はあった、それだけの価値がここにあったのよ』―――そうやって自分を納得させながら消費するだけで死ぬほど心苦しいのに!! あんたたちは! いま! 何の意味もなく宝石を砕こうとしてるのよ!? 何の意味があるの!? そこに一体何の価値があるというの!? 分からない、私には分からないわ!」
「ガウェイン、とりあえず一個握り潰してみてくれる?」
「了解しました、マスター」
全力で動こうとするイシュタル。
それを力で押さえつけるケツァル・コアトル。
始まる公開処刑。
大粒のラピスラズリをひとつ、ガウェインの手が取り上げた。
「やめて!? やめてお願い! その子はまだ輝ける! もっと輝ける子なの!
わかった! 協力する! 協力します! だからこれからその子はうちの子なの!
アンタ、その子にそれ以上手を出したらぶっ飛ばすわよ!」
がなり立てる女神イシュタル。
その声を聞いて、ガウェインがマスターの様子を確認。
頷いて返されて、彼はそのまま宝石を荷台に返した。
力を抜いたケツァル・コアトル。
その拘束を抜けて。力を込めて縄を破り。
よろめきながら、女神は荷台に縋りつく。
「なんて……狡猾……! この私を相手に、あんな理不尽な脅迫……!
正気の沙汰じゃないわ……!」
「何の屈託もなくあの方針をやってみせようとするツクヨミ殿は末恐ろしい気もしますな」
前金の宝石の確認に入った女神。
その背中を見つめながら、呆れか感心かイマイチ微妙な声を漏らすハサン。
対し、フィンはおかしげに笑って見せる。
「ははは、乙女とはそのくらいで丁度いいものさ。
それをエスコートするのは、男の甲斐性というものだろう?」
「そうですかなぁ……」
「……しかしまあ。何と言うか、姉妹なのね」
そんなサーヴァントたちの事を横目にしつつ。
宝石の山に屈した女神を前に、オルガマリーが息を吐く。
彼女の前で、ツクヨミが任務達成の事実に小さく笑った。
「良かった、オッケー貰えたって報告しなきゃいけないですね」
全力で嫌そうに。
しかし受けた以上は、やらなきゃ女神が廃ると。
イシュタルが目の前に揃った人間を一通り見回した。
「……冥界に行くなら、サーヴァントは私だけよ。
それ以外の連中は―――ああ、マシュは大丈夫よ。その子だけね。
他の連中はどうしようもない。
冥界にある死人をどうこうするのは、アイツの権能の範囲内。
本来冥界に存在し得ない生者だけが、アイツの支配の外にいられる。
私も案内についていくけど、戦力としては一切期待しないで」
心底から嫌そうに、イシュタルはそう語る。
タイムマジーンを着陸させた場所。
その目の前に広がるのは、クタ市。
女神エレシュキガルを都市神とする、彼女の領域の
「つまり、戦力はマシュと常磐だけ、ということね」
ぼやくようなイシュタルの言葉。
それを聞いたオルガマリーが、ちらりとマシュの方を見た。
小さく頷く彼女。
そこでしかし、微妙に眉を上げたイシュタルは、溜め息を落とす。
「って、言っても。結局冥界でアイツが無敵な事には変わりない。
戦えるかどうかと勝てるかどうかは、まったくの別問題なんだから。
正面からぶつかったらどう足掻こうと勝ち目ゼロ。
どう交渉するつもりなのか知らないけど、その辺りは把握しておきなさい」
あぁやだやだ、と。そう言って空を仰ぐ女神。
そんな彼女の横で、タイムマジーンが変形する。
エアバイク形態から、人型へと。
その流れで宙へと舞い上がり、頭部へと合体する巨大なウォッチ。
〈バース!〉
マジーンの腕に、ドリルアームが装備された。
着地した人型がぐりんと頭部を回し、イシュタルへと視線を向ける。
『ここ掘ればいいの?』
「ええ、まあこの辺りの下までは来てるでしょ。
近くまで浮上してるみたいだし、ちょっと掘ればすぐに冥界よ、きっと」
『へえ。わかった、やってみる』
タイムマジーンが掘削を開始する。
ドリルによって掘り抜かれていく地面。
着々と近づいてくる冥界下りの時に、酷く表情を渋くするイシュタル。
そうしている女神に対し、問いかける声。
「それで。私をこちらに連れてきたのは?」
「うん? ああ……なんかアンタ、悪霊払いの専門家か何かなんでしょう?
私たちが戻ってくるまでガルラ霊が溢れないように、門番してなさい」
「専門家というならば、私より―――いえ、まあ構いませんが」
一度別の誰かの名前を出そうとして。
しかし、その名を口にすることはせずに。
仕方なさそうに、溜息をひとつ。
天草四郎もまた、マジーンによる掘削作業に視線を向けた。
冥界下りはウルクを守るのに必要な業務、として発令されている。
ならばウルクにある全てを運用して然るべき。
そういう事でギルガメッシュから借りてきたのだ。
代わりにカルデアのサーヴァントの半数がバビロニアの壁に初出勤している。
それも一つの進歩、と言えるかもしれない。
そうして向こうの戦場を思い浮かべた立香が、ふと。
「……そういえば、天草と弁慶は同時には向こうを離れないようにしてるんだっけ?
弁慶にはまだ会えてないけど」
「ええ、マーリンが動けるなら話は別ですが?」
天草はそう言って、ちらりと。
同じくこちらに同行してきたマーリンに視線を向ける。
しかし彼は当たり前のように、微笑んでそれを受け流した。
「私はほら、王から与えられた大切な仕事があったりなかったりするからね」
『適当すぎる……』
「との事です」
管制室でそれを聞いていたロマニが、小さく反応した。
さほど気にもせず、肩を竦める天草。
そんな彼に、少しだけ不思議そうにしながらツクヨミが問う。
「牛若丸と巴御前を会わせないように、ってことだけど。
そんなに気を付けなきゃいけないことなの?
どっちにも会ったけど、そんな問題を起こすようには見えなかったけど」
「さて、どうでしょうね。
問題が起きるか起きないか、実際のところは分かりません。
二人には因縁があるのは事実。巴御前は源義経に恨みがあり、しかし牛若丸は巴御前に他意はない。そして弁慶殿が言うには、『無自覚に放火する事にかけて、牛若丸様の右に出る者はいないでしょう。天狗の団扇にかかれば、小火がたちまち山火事です』との事です」
オルガマリーが首を回し、土木工事中のマジーンを見上げた。
言いたいことを大体察して、マシュが何とも言えない表情を浮かべる。
「あの両名の宿業が善い方に転ぶ、とは流石に思えません。
では素直にこの度は無かった事に、で済ませてしまうのが吉でしょう。
通常の聖杯戦争であれば、存分に死合って頂ければいいのですが」
「巴御前が、恨みを晴らすために牛若丸を襲う?
そんな人には……」
ツクヨミがあの麗らかな女武者を思い浮かべる。
正気を失って暴れる、というような手合いには見えなかったと。
思うところがあったのか、マシュが微かに目を伏せた。
「……まあ、憎悪や何やらは目に見えないものですから。
表には出さずとも、心の中に溜め込まれるものを誰も否定はできない。何もなければ耐えられても、牛若丸殿から無自覚に煽られた結果、噴出しないとも限らないですし」
「なら牛若丸の方だけには話してみたりしないの?」
「そちらはそちらで興味がないのでは?
良くも悪くも、彼女の方は気にも留めていない。
巴御前との共闘に何の異議もないでしょう。
その上で、相手が暴走したなら仕留めるだけ、といったところかと」
今のままが一番いいだろうと彼は語る。
巴御前とて世界と天秤にかけ、復讐をしたいと思っているわけではないはずだ。
だが、知ってしまえば止まれなくなるかもしれない。
だからこそ、知らせないのが一番彼女のためになる、と。
「あるいは、茨木童子にどうすればいいか訊いてみる、という手もありますか。
巴御前は鬼種の混血であるが故に、情動の暴走が在り得る。
そういう判断でもありますので、鬼の事は鬼に、という事ですね。
まあ茨木童子が答えてくれるとも思いませんし、そもそも巴御前の心情について茨木童子が理解できるかどうかの問題もありますが」
天草の言葉を聞いていた立香が、ふと話に上がったサーヴァントの事を考える。
―――茨木童子。
ウルクに滞在し、人の営みを見つめて日々を過ごす鬼。
「……そういうのも分かるから、いま茨木童子はああしてるんじゃないかな?」
「―――さて、私は彼女ほど野性の感が働かないもので。
彼女が何に怯えているのかも、よく分かっていないのです」
「それは私たちもだけど……」
茨木童子は魔獣を嫌う。魔獣の性質を嫌う。
自身の生死を顧みず、ただ殺戮兵器として動き続ける獣たちを。
それらと争う事を厭わない、人間の精神もまた。
「……あのレオニダス王も魔獣たちに何か思うところがあった、と言います。
やはり何か、あるのだと思いますが……」
「エルキドゥ……キングゥの言った事が重要なのかな?」
ぽつりと、立香が先日そう名乗った緑の人を思い出す。
原初の女神ティアマトに創造された、新人類のプロトタイプ。
彼はそう自称して、立ち去って行った。
『キングゥ……創世神話において、ティアマトの子供たちを率いた神の名だね』
「……皆さんがこの時代に来たばかりの頃戦ったバシュム。
その前にバビロニアの壁で暴れていたギルタブリル。
魔獣の女神の正体は、女神ティアマト。そう言わんばかりですね」
そう言って微笑んだ天草を見つつ、オルガマリーがマーリンの事も窺った。
彼は何を言うでもなく、ただ微笑むばかり。
既にカルデアでは。
魔獣の女神の霊基がどんなサーヴァントか、あたりがついている。
クー・フーリンたちからの情報提供によって。
だがティアマト。創世の女神。
いや、その情報自体はバシュムと出会った時点であったも同然。
ではこれはどういうことか。
創世神話の女神は大規模すぎて、別の女神を核として疑似サーヴァントのように降臨した。
そんなところだろうか。
ベースにされた女神も、恐らくは魔獣を生産する能力を持っているとのこと。
だとするならば―――
「……ティアマト神、ねえ」
そこでイシュタルがぽつりとつぶやいた声が、耳に届く。
彼女は地面の掘削を監督しながら、小さく目を細めていた。
「何か知っているのですか、女神イシュタル」
「…………知っているかどうか訊かれたら、知らないわけないでしょ?
私たちにとっての母だもの。まあ、見たことはないのだけど」
天舟に腰かけながら。
彼女はどこか遠い目で、しかしすぐそばの大地を見やった。
「……あー、どう口にすればいいのか、よくわかんないわ。
ケツァル・コアトルも口にしなかったんでしょう? じゃあ私も止めとくわ。
これからエレシュキガルのとこに行くんだし、そっちに訊きなさい。
答えるかどうか、私の知った事じゃないけど」
「女神同盟を結んでいるわけではない女神イシュタルも、ですか?」
「そんなの関係ないわよ。ただ……」
ツクヨミに首を傾げられ、イシュタルが僅かに唇を尖らせた。
そのまま数秒、女神は動きを止めてただ眉間に皺を寄せていく。
やがて口を開いた彼女は、先程の言葉を撤回した。
「いえ、やっぱり少しだけ教えてあげる。
魔獣はただ必要だから人間を殺戮する。同時に、魔獣の女神は必要以上に人間を苦しめる。
それは、目的が違うからよ。
魔獣の女神の目的と、産み出された魔獣の目的は、けして同じじゃない。
……魔獣の行動を見て、魔獣の女神の目的を計るのはやめておきなさい」
「おや、それは女神としての言葉かい? 女神イシュタル」
軽薄な声で問いかけてくるマーリンを一睨み。
彼女は面倒そうに、肩を竦めて溜め息をひとつ。
「お生憎様、ただの気の迷い。私の方こそ何でか不思議、ってなもんよ。
ただ今から昏い穴倉に閉じ込められた姉妹に会いに行くんだなーって考えてたら……あの魔獣の女神にも、ちょっとくらい肩入れしてあげないとね、なんて思っちゃったんだから」
ぶすりと表情を尖らせた彼女が、自分でも不思議そうに口にする。
「どっかで恩でも受けてたのか。あるいはほんとにただの気の迷いか。
ま、どっちでもいいわ。私が教えるのはここまでよ」
「その口振りですと、魔獣の女神は嗜虐を趣味としている。
あるいは……人間への報復を目的としている、というように聞こえますね」
「どうだかね」
問いかけてくる天草に肩を竦めて返し、彼女は穴掘りの監督に意識を向ける。
これ以上は語らない、という明確な意思表示だろう。
「……憎悪による報復。先程までの巴御前殿の話と通じるところもありますね。
もしそうであったとするならば、会話で解決するような話でもない。
ケツァル・コアトルや、エレシュキガルとは根本が違う神性と言えます。
そもそも三女神同盟としての行動からして、それは明白だったと言えますが」
ケツァル・コアトル。エレシュキガル。
そして、暫定ティアマト。
積極的に人間を殺戮するのは、ティアマトだけだ。
聖杯を齎されたのも、ティアマトの子と名乗ったキングゥ。
そう考えれば、あの勢力こそが魔術王の本命。
後の女神たちは、あくまでおまけのようなものなのだろうか。
―――どうあれ。
この作戦さえ終えれば、魔獣の女神だけに注力できる。
そうなればもう少し、状況もはっきりとしてくるだろう。
そうして思考をひと段落させて。
ふと立香は天草の方を見つめた。
「復讐は止められない、って。天草はそう言うけど。
でも……それを否定したから、あなたは自分を誰より強欲だと思ってるんだよね?」
「おや? ああ、そういえばあなたは私の事を何か知っているようでしたね。
それはまあ、そうでしょう。
例えば今、ではあの二人を仲直りさせよう、と口にするのは傲慢でしょう?
まあそんなこと言うつもりは一切ありませんが」
問われたことに苦笑して、天草は小さく首を振る。
「そう思ってしまう人類を、そんな事を思ったりしない人類に変える。
それがあなたのやり方だから?」
「―――ええ、そうですね。
私は、そんな悲劇がここにあるという事を悲しみましょう。
それは人が人であるが故に、既に通り過ぎた地獄の道のり。
双方共に思う事はあるでしょう。憎しみが湧かないはずがない。
それを否定することは、誰にもできない」
悲劇に出会い、憎悪を抱く事は否定できない。
誰が否定していい事でもない。
だから、自分はやめた。
憎悪を抱く人間をやめ、ただ悲しむだけのものになった。
それでやっと、スタートラインだ。
「―――だからこそ私は否定したのです。
他の誰にも否定できない、俺自身の裡にあった憎悪を。
でなければ、人類の救済など謳えない。
我欲を以て自然の感情を捻じ曲げ、世界の法則を歪めるために邁進する。
これを強欲と言わず何という、という事ですね」
初めに、自分を曲げた。
人を救わない、牙を剥く嚇怒と憎悪を果てに捨てて。
人を掬うために差し出す感情、悲哀だけで心を満たした。
――――出来る。
人間は変えられる。
あとは、道のりを縮めるだけだ。
彼は知っている。
億年かかる星に至る道のりを、手の届く距離に縮めるための手段を。
「ですが……憎悪も、きっと。捨ててはいけない、人の心です」
そうして微かに気を荒げた青年に、少女の言葉が向けられる。
純真無垢な心で、今まで多くの感情を目の当たりにしてきて。
それでも、彼女は否定はしない。
きっとそれが正しい。
人が人でなくなる手段だ、というのは理解した上で彼は選んでいる。
「そうでしょうね。
だから、俺が救うのは人ではなく、人類という種でしかないという事だ」
天草の瞳が燃える。
心身を灼く地獄は、この道を選ぶ時に既に捨ててきた。
もう捨てるものは残っていない。もう変える道筋は残っていない。
マシュと視線を交えて、彼に一切の譲歩はない。
彼は絶対に退かない。
これは彼が彼たる所以、天草四郎時貞という英霊の結論だ。
「―――うん、だから私たちが。
人類という種、そこにいる全ての人を救ってくるから」
「……そうですか。
では、今回ばかりは私も黙って人理焼却を防ぐだけです。
そうしなければ、次の機会も回ってきませんから」
立香が割り込む。
その言葉を聞いて、天草もまたマシュから視線を外した。
「それはそれとして、あの二人ですが」
『え、それはそれで済む話だったのかな!?』
ロマニが仰天して声を張り上げる。
彼の珍妙な声に対し肩を竦め、天草は少し呆れて言葉を返す。
「済ませた方がお互いのためでしょう?
改めて。それはそれとして、あの二人の話ですが。
そもそも、相性がとても悪いんですよ。
愛する者の力になるために化け物である自分を肯定する牛若丸。
愛する者の力になるために化け物である自分を否定する巴御前。
いや、否定、とは少し違うかもしれませんね」
顎に手を当てて、彼は少しだけ難しそうな表情を浮かべてみせる。
あるいは空気を和らげるためのポーズのように。
「人のために、人のままで在ろうとする巴御前。
人のために、人のままで在る必要性を見出さなかった牛若丸。
牛若丸は一切の遠慮なく、天狗に授かった力を奮う。
巴御前は鬼種として生まれ持った力を、自分の中に抑え込める範囲で奮う。
似通ってはいる、ですが正反対。
正直、会わせないのが最適解だと私は思っていますよ。
彼女の憎悪も否定したくない、というのであればなおさらに」
そう言って彼はマシュの方を見る。
巴御前の憎悪を否定しないのであれば、会わせないのが最善。
そう断言してみせる。
事実そうなのかもしれない。
これは願いを叶える聖杯戦争ではなく、人理を守るための大戦なのだから。
だったら、必要のない情報など渡さなければいい。
サーヴァントという人間だったものの影法師に、余計な思考などさせなければいい。
恐らく、当人だってそう思うだろう。
この状況で愛する者の敵と肩を並べていると暴露して欲しいか?
そう尋ねたら、首を横に振るはずだ。
巴御前だって彼らが何かを自分に隠している、という事は分かっているだろう。
その上で、隠されるなら知るべきではないと納得している。
個人の事情より、この戦いの趨勢に心を砕いている。
だからきっと、それはそういうことなのだ。
「……それは、はい……」
「―――まあ結局、その辺りの仕事は天草君と弁慶君のものだしね。
任せといていいんじゃないかい?」
「そうですね、別に任せて頂いても結構ではありますが……」
マーリンが天草に業務を押し付けて。
それに対して、彼は苦笑交じりに肩を竦めた。
そんな態度に通信先でロマニが目を細める。
『……それにしたってマーリン。
キミが何をやっているのか、その仕事っぷりが一切伝わってこないけれどね。
結構な間ウルクに滞在したことになるけれど、さっぱりってほどに』
呆れるようにぼやくロマニ。
その声を聞いて、マーリンは心外だとでも言いたげな表情を浮かべた。
「おや、ロマニ・アーキマン。キミは私を疑うというのかい?
私は私で結構身を粉にして働いているんだけれどねぇ。
まあ具体的に何をしているか、と問われるとあれだけれど。
夢魔として、安らかな眠りを約束している、みたいな?」
『仮にもウルクの宮廷魔術師に就いてる奴のやる事かなぁ!』
「はっはっは、眠ることは大事だぞぅ。私には関係ないけれど」
彼が一瞬だけ、今にも掘削が進められている大地に目を向ける。
マーリンが意識したものを理解して、マシュが僅かに目を伏せた。
「……その、大切なものを。ずっと守ってきた方、なのですね。
エレ、ちゃんさんは」
「マシュ?」
「そうだね。人にとって、きっと死は大切なものだ。
不死である僕には訪れない、最後の大きな区切り。
誰にでもある、人生という長い旅路の終わり。終着駅だ」
微かに、声の調子を落として。
マーリンが珍しい表情を見せて、そう呟く。
けれど、マシュはその言葉にすぐに反応していた。
「―――終わり、ではないと思います」
「うん?」
少女が盾を握り、今までの旅路を追想する。
今まで見てきた多くのもの。
―――彼女たちの“現在”までに、積み上げられた過去。
それが、終わったものではないのだと。
「……きっと、誰に死が訪れても。その旅は終わり、ではないと思うんです。
だって、死んだ人の足はそこで止まってしまって、足跡はそこまでしか遺っていないけれど。
その足跡を見た誰かが、その先にまで進んでくれた時。
誰かが、『あなたが止まってしまった場所の先には、こんな景色があったんだ』と、そう想ってくれた時―――
ほんの、小さく、マーリンが目を開いて。
彼女が持つ盾に、一瞬だけ目をやった。
「死は、命が最期に迎える永遠の別離なのかもしれません。
けれど、きっと……“いつか、また”。そう想い続ける限り、再会できる。
遺してくれたもの。一緒に積み上げたもの。受け継いだもの。
それらに心を向ければ、いつだって、また逢える」
命の別離にもう一度、はない。
けれど。
心の再会にもう二度と、だってない。
いつだって、望めば、自分の中に遺ったものとまた出逢える。
ずっとそうやって続いていく。
誰だってそうやって生きていく。
少しずつ進んでる。少しずつ広がっている。
どこがゴールかも分からない世界の中で、みんなで一緒に。
彼女が歩んだ道は、彼女を知る人が見届けてくれる。
彼女の足が止まった後の光景は、誰かが見届けてくれる。
誰かがそれでも見られなかった世界を、また他の誰かが見つけてくれる。
それでいいのだ。だってそれが人の営みだ。
彼女が美しいと思った世界を造ってくれた、数千年に及ぶ人間の旅路だ。
「―――だから。生と、死と。続いていくはずのものを。
今まで多くの人が、積み上げてきてくれたもののためにも。
終わらせたくはないんです。
別離の先に待っているはずの、“いつか”の再会のためにも」
少女に真っすぐに見据えられ、花の魔術師が僅かに視線を逸らした。
「…………やれやれ、キャスパリーグが気に入るわけだ。
いやもちろん、私も君たちのファンではあるわけだけど」
一緒にするなとばかりに、フォウの頭突きがマーリンを襲う。
その直撃を受けて揺れながら、花の魔術師は小さく微笑む。
「ん。まあ、その辺りは冥府の女主人に告げてあげるといい。
そして―――突き放してあげなさい」
陽気な声で、彼はそう言い放つ。
「女神エレシュキガルは、昏い世界の支配者として冥界に閉じ込められた。
そこには彼女自身、様々な思いを抱いたに違いない。
なぜ私が? こんな場所に? 片割れのイシュタルはあんなに好き放題なのに? と」
イシュタルに睨まれて、しかし気にもせずに彼は語る。
エレシュキガルの本音かどうかは分からない。
だがきっと、そう思ったって仕方ない。
そう思わせるだけの言葉だった。
オルガマリーが胸の前で組んでいた手に小さく、力が入る。
「でもエレちゃんはきっと、仕方なくでやってたわけじゃない」
「かもね。……“生”とは何より貴いものだ。
ならば、その裏側である“死”だってきっと貴いものなんだ。
死者に安寧を齎す世界である冥界。
―――そこは、生きていられないから逃げ込む避難所ではない。
きっと彼女は、他の誰よりそれを知っているはずだ」
立香の言葉にそう返し、マーリンはそのままマシュへと目を向ける。
少女は手にした盾を強く握り、彼を強く見返した。
「――――はい!」
タイムマジーンによる掘削を終えて、露わになった黄泉路のトンネル。
真っ先にイシュタルがそこに踏み入って。
続いて立香、ソウゴ、オルガマリー、ツクヨミ、マシュと。
そうして辿り着いた、昏き死の世界。
「寒いね……」
「死の世界、って感じする」
ふわっとした言葉を交わしつつ、マフラーを直し、周囲を見回してみれば。
―――そこに、扉があった。
奈落の底に続いていく、切り立った崖のような道。
それを塞ぐように屹立した、荘厳にして物悲しい大扉。
嫌なものを見た、とイシュタルが顔を顰める。
「……七つの門を越えた先に、エレシュキガルの宮殿はあるわ。
ろくでもない問答を仕掛けられるから注意なさい。まあ、何を答えたって理不尽な試練をふっかけられるから気にしなくてもいい、とも言える―――」
「エーレーちゃーん、今度は私たちの方から来たよー!」
ごんごんと門を叩く音。
唖然としたイシュタルが顎を落とす。
いつの間にか扉の前に立っている立香が、大扉をノックしていた。
すぐにそちらの方に走り寄っていくマシュ。
「―――ちょっとアンタ、何やって……!」
問答を突き付けられる門だと言っているだろう、と。
彼女は呆れながら眉間に指を当てて。
そうしている内に。
ごごごご、と門が開く音。
そんなものが耳に入ってきたのを理解した。
「―――――」
愕然とする女神イシュタル。
そんな彼女に向かって、立香は振り向いて笑う。
「開けてくれたよ、イシュタル?」
「お願い、ちょっと話しかけないで。私の半神のチョロさ加減にいま泣きそうなの」
掌で顔を覆い、天空の女主人が空を仰ぐ。
地中に広がるカビの生えた空は、彼女の哀しみを加速させる。
そんな彼女の言葉を聞いたソウゴとツクヨミが顔を合わせた。
「でも俺はイシュタルとエレちゃん、同レベルだと思ってるよ」
「うん、すごい似た者姉妹だと思う」
「喧嘩売ってんのアンタら!?」
ぎゃーぎゃーと騒ぐイシュタル。
それを横目で見ながら、オルガマリーは通信の感度を調整していた。
管制室との通信は途切れない。
何の問題もなく、通信強度も十分以上。
「……大丈夫そうね」
『ああ、女神エレシュキガルの領域である冥界でもなんとか通信は取れる……
彼女がそれを許している、と考えるべきかもしれないけれど』
「ええ、とりあえずあの門から先に進んでみるわ」
微妙にテンションの低めな声。
それを耳聡く察知したのか、近くにいたダ・ヴィンチちゃんが声を上げる。
『あれ、なになに~? オルガマリー、もしかして寂しいの?
普段は自分がソウゴくんたちにイジられて怒鳴ってるのに、皆がイシュタル神をイジって仲良さそうにしてるから寂しくなっちゃった?』
『ちょ、レオナルド……!』
「んなわけないでしょ……」
愉しげなダ・ヴィンチちゃんの声。
それに頬を軽く引き攣らせ、彼女はそっぽを向いてみせる。
そのまま小さく一言呟き―――門の先に広がる冥府に、僅かに目を細めた。
終わる旅なんてないよ。