Fate/GRAND Zi-Order 作:アナザーコゴエンベエ
「……ちょっと待ってくれないかい?」
そう言って急に彼は足を止めた。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。
言わずと知れた天才音楽家。その彼が何故か、目的の街を前にして何故か足を停止した。
「えっと、僕たちが今向かっている場所はどこだっけ。地獄? ゴミの山? いや、便器の中?」
「? ええと、ティエールの街ですが」
突然の目的地確認に、マシュが首を傾げながら返答する。
そんな奇行に対してマリーもまた首を傾げた。
「どうしたのアマデウス。いつものような汚い言葉は我慢して、と言っておいたのに」
「嫌な予感で震えが止まらないのさ。絶対ロクでもないことが待っているよこれ」
言って、遭遇したくないとばかりに顔を歪めるアマデウス。
「ランサーは関わるの嫌がってたっぽいしね」
ただ彼が一応仲間にしておいた方がいいと判断したなら、危険はあまりないだろう。
何せ変なのを仲間にして一番困るのは、この集団の保護者的存在である彼なのだから。
まあ多分大丈夫でしょう、と気にせず街へと足を進める立香。
「というか、ドクターは知ってるんじゃないの?」
『うん……まあ、その……黒ジャンヌと対決する、という状況においては戦力として見込めるのは確かだ。なにせ、バーサーク・サーヴァントの一騎と強い因縁を持っているからね。
僕たちと協力せずとも、彼女は確実にオルレアンへと攻め込む気があるだろう。
真名は――――』
「それは本人から聞くからいいや」
敵対している相手ならともかく、これから協力の交渉をしようとしている相手の名は聞けない。
なんて、立香はキリッ、とした表情でロマンの言葉を遮った。
正直、真名を言われてもそれがどんな英雄か分からないので、わざわざ聞く必要ないやというのが本音だと思う。ソウゴも同じ気持ちである。
ティエールの街は、いまこの国を襲う破壊に見舞われている土地ではなかった。
ワイバーンによる被害が皆無というわけではないが、家屋が倒壊しているというような大きい被害は見られない。
そんな街角に、何やらあってはならないだろう存在が二人揃っていた。
二人揃って頭から角を生やした少女たち。
そんな彼女たちは、何故かその場でいきり立ちキャットファイトしている様子だった。
「このっ! この、この、このっ! ナマイキ! なのよ! 極東の! ド田舎リスが!」
「うふふふ! ナマイキ! なのは! どちらでしょうかね! 出来損ないの! 西洋トカゲ!」
組み合い、押し合い、圧し合い、そのまま倒れてごろごろと。
互いにマウントを取り合おうとしているようだ。
「うーっ! ムカつくったらありゃしないわ!
カーミラの前に、まずはアンタから血祭りにあげてやるわ!」
「あら、そうやってわたくしの血まで搾り取るつもりですか。いやらしい!」
「誰がアンタの血なんているもんですか! この!」
互いに互いの角を掴み合い、相手の頭を揺らし合う少女たち。
「この泥沼ストーカー!」
「ストーカーではありません、隠行に長けた妻による献身的かつ愛情に溢れた後方警備です!
この清姫、旦那様にはこれ以上ない愛をもって接する女ゆえに!」
「はあ!? アンタの言う愛とか、それただの人権侵害じゃない! 愛って言っとけば何でも許されると思ったら大間違いだからね!?」
「美少女を拷問してその血を浴びるのが趣味のド変態が人権を語ります?」
「うううううう……! うるさいわね! とりあえず殺す! まずは殺す!
頭痛も酷くなってきたことだし、とりあえずアンタを殺してまずはクールダウンよ!」
「まあまあ……本性を現しましたねエリザベート。では返り討ちにしてさしあげましょう。
あなたの歌では、寺の鐘一つだって鳴らないということを思い知りなさい!」
転がっていた二人の少女は互いを突き飛ばし合い、離れた位置で立ち上がると完全に戦闘の雰囲気を発し始めた。赤髪の少女の手に現れる槍、緑髪の少女の吐息に混じる火の粉。
今にも衝突しようという二人―――
それを、乱入者の言葉が遮った。
「そこまでだ冒涜者! それ以上は無理だ、音楽家として許せない!
これ以上この地上で喋ってくれるな! いや地獄でだって喋らせるものか!
喋ること自体が音という音への酷い侮辱だ、冒涜だ!」
幾らなんでも酷い言いようだ、と思った。
交渉はこちらに一任されていたというのに、アマデウスが初対面から喧嘩を売ってしまった。
マリーでさえ困ったように首を傾げている。
しかし珍しく彼女でさえ、アマデウスを止めようとしなかったのはどうしたことか。
その視線を察したのか、彼女が答えをくれる。
「流石に音楽に関して火のついたアマデウスは誰にも止められませんから……」
と、彼女でさえ諦めモードであったのだ。
そんなに? と言いたいところだが、実際アマデウスはバーサーカーの如しという状態。
とりあえず黙って見守ることにする。
アマデウスが乱入してきたことに少女たちは向き合うのを止め、こちらに目をくれた。
「あ? なによアンタ」
「わたくし、いま忙しいのです。おとといきやがってくださいません?」
「ふん、アンタはすぐ忙しくなくなるわよ。
だってここで落選して、次の
「あら? エリマキトカゲの鳴き声かしら、初めて聞きました」
「やだ、こいつアオダイショウ? こんな可愛くないもんなのね」
「まあ! メキシコドクトカゲがこんなところに! 早く焼却処分しなくちゃ!」
「うわ! ヒャッポダじゃない! 咬まれないうちに串刺しにしてあげなくちゃ!」
一体どういう罵り合いか。
すぐにアマデウスから意識が外れ、きーきーと二人同士でまた争い始める。
それを聞いているアマデウスが耳を押さえて震え始めた。
両手を組み合って押し合う二人の少女。
「ぐぅうううう……!」
「むぅうううう……!」
「そこまでだ!」
そしてそんな中に、敢然と切り込む藤丸立香。
ギョッとしながらも彼女の横でカバーに入れる位置を取るマシュ。
ジャンヌもそれに倣い、彼女の横で待機するようにしている。
「あ?」
「なんです?」
「ランサーが言ってた二人ってあなたたち? どうして喧嘩してるの?」
ランサー、という単語が出るや二人の少女の表情が曇る。
それが苦々しいものである、というのは言われずとも理解できた。
「もしかしてランサーに一回止められたのにまたやってる?」
ソウゴの疑問に、二人の少女はさっと目を逸らした。
どうやら彼が先に来た時に―――多分、戦闘にまで発展した上で止められているのだ。
ランサー、クー・フーリン。彼の苦労は止まることを知らない様子だった。
「そう、あんたらあいつの仲間なわけね。
…………つまり、あれでしょ? 竜の魔女だかジャンヌ・ダルクだか、そういうのと戦うつもりってわけでしょ? それに協力しろって言うなら、別にいいわ。ただし私は戦う相手としてカーミラを優先するし、あなたたちにカーミラはやらせない」
赤い少女は腰から生えている竜の尾をピシリと地面に打ち付ける。
そんな彼女が出した名前に首を傾げるソウゴ。
「カーミラ?」
「バーサーク・アサシンのサーヴァント。
吸血鬼カーミラ、エリザベート=バートリーのことですね」
補足してくれるマシュの言葉だったが、赤い少女は正にそれに噛み付いた。
「違うわ、あれはカーミラ! ただカーミラよ!
サーヴァント界に彗星の如く現れた期待の新星。発表する曲全てがNo.1に輝きヒットチャートを総ナメにする(予定)、クラス・トップアイドル(自称)のサーヴァント。エリザベート=バートリーとは私のことよ!」
「まあこの子ランサーなんですけどね」
しゅばば、と彼女なりの決めポーズが炸裂した直後。しれっと緑髪の少女のツッコミが入る。
即座にエリザベートがそちらに飛び掛かって、またキャットファイトが開始された。
「同姓同名の英霊、ってこと?」
『いや、単純に同一人物ってことなんだ。なんだけど……
カーミラはエリザベート=バートリーの生前の悪行。自身の美しさを保つため、少女の血を求める血の伯爵夫人としての性質が現れた姿だろう。
そして今そこにいる彼女は……その、何だろうね? 彼女が竜種の性質を持っていることからして、吸血鬼としての側面がより強く出ているのかな……? いや、でもな……』
「アイドル! アイドルだって言っているでしょう!」
キャットファイトを継続しながら声を飛ばしてくるエリザベート。
その隙をつかれてもう一人の方がマウントを奪取。
絶体絶命のピンチを迎えながら、それでもアイドルアイドルと彼女は叫んでいた。
「もう一人のあなたは?」
キシャー、と唸るエリザベートを上から押さえつけている少女の方に問う。
「ええ。はじめまして、わたくしは清姫と申します。クラスはバーサーカーです。
まあわたくしの場合は特にエリザベートのような目的はありませんが、折角ですので同行させて頂きます。
ええ、ええ、ちょうどもしかしたら、と思う方に出会えたことですし」
エリザベートの背に乗り、顎に手をかけ彼女の体を海老逸りさせるように力を入れる清姫。
今にも真っ二つに引き裂かれそうな悲鳴を上げるエリザベート。
そんな悲鳴を聞きながら、清姫の視線は何故か立香に向かっているような。
きょとん、とした態度で首を傾げる立香。
さっきまでとは違う態度を訝しむマシュが、確認のために声をかける。
「……いいのですか?」
「もちろんです。そもそも我々、この時のために呼ばれたサーヴァントなのでしょうしね。
――――ぐぇっ!?」
そこで逆襲のエリザベート。
彼女の尻尾が、清姫の背後から首に巻き付き締め上げた。
拘束が緩んだ瞬間に抜け出し、そのまま次の技に繋げようとするエリザベート。
「……ジャンヌ、お願い」
「あ、はい。とりあえず叩けばいいでしょうか?」
振り上げられるのは聖女の象徴。
とりあえず二頭の竜の頭を、聖なる旗で殴り倒しておいた。
『みんなに朗報だ。ランサーから別の街でサーヴァントを発見したと連絡があった。
真名をゲオルギウス、聖ジョージとして名高い聖人だ。
解呪への協力も既に快諾してもらっている。あちら側からも合流のために動いてもらうから、今から示す合流ポイントに向かってくれるかい?』
ドクターからの通信に、マリーの硝子の馬に乗せられたジークフリートがピクリと動く。
これで彼の戦線復帰が叶うということだ。
黒ジャンヌの切り札、ファヴニールを打倒し得るエースの復活。
この戦力でもって、オルレアンに攻め込むことになるだろう。
「じゃあ急いで向かわないとね」
「合流後、私と聖ジョージでジークフリートを蝕む呪いの解呪。
その間に皆さんには休憩を取ってもらい、その後一気にオルレアンへと進軍しましょう。
長引けば、黒い私がまた新たなサーヴァントを召喚する可能性もありますし。
……それにまた、フランス軍が動いてしまうかもしれません」
「いや、恐らく黒いルーラーは聖杯の魔力をファヴニールに回しているだろう。
俺が与えた傷の回復もそうだが、ファヴニール自体の強度を高めるためにもそうするはずだ。
サーヴァントの召喚はされないだろうが、到着する頃にはファヴニールは相当強化されていると見るべきだ。俺が完治しても、恐らくリヨンの時のように簡単に打ち勝つことはできないだろう」
この場所からオルレアンまでの距離を確認しつつ、ジークフリートはそう言った。
リヨンにおいてバルムンクの光は邪竜を圧倒したが、今度はそうならないだろうという。
方向を確認して合流地点を目指しつつ、彼の言う事について確認をする。
「あのドラゴン、もっと強くなるの?」
「ああ。ファヴニールというドラゴンは、俺自身も何故あの時勝てたか分からないほどの存在。
本来であれば、あの程度の力で済む筈はない。だが、あれはあくまで聖杯の魔力を使った再現体。恐らく、限界もあるはずだ。
こうして俺のために駆け回ってくれたものたちのためにも、必ず勝利してみせる」
「……聖ジョージもまた、竜を倒した逸話の持ち主です。彼がいれば盤石でしょう」
それらの言葉にふーむ、と悩む様子を見せる立香。
恐らく戦場における動きを考えているのだろう。
ソウゴは自分の考えを言いながら、彼女に確認するために話しかけた。
「立香、どうする? 俺はシャルモンのセイバーでいいと思うけど」
「……そうだね、ソウゴはシュヴァリエ・デオン。
ランサーがランサー、ヴラド三世。エリザベートと清姫がアサシンのカーミラ。
ジークフリートと聖ジョージさんでファヴニール。
残りのみんなで黒ジャンヌ……ってことになるかな。相手に他の戦力がなければだけど……」
とはいえ、相手の総力を知ったわけではない。
相手の切り札がファヴニールであろうと言う事に疑いはないが、だからと言ってサーヴァントを軽く見ていいわけではないのだから。
「いや。リヨンで俺が相手にした中には、アーチャーが一人いた。
黒いルーラーに対し非協力的には見えたが、しかし縛りを跳ね除けることも出来ていない様子だった。仮に戦闘を行っても、彼女は死力を尽くすことなく退場を選びそうではあるが……とはいえ、甘く見ていい相手では無いと思う」
「黒い私は最初に会った時、ジル・ド・レェに対し呼びかけました。
存命の彼がフランス軍にいる以上、彼もサーヴァントとして呼ばれているということでしょう。
どのようなクラスで呼ばれているか分かりませんが……私の知る限り、呼ばれるとすればセイバーでしょうか」
補足されて一気に増える敵軍の戦力。
顔を顰めさせた立香が、うーんと唸り声を上げた。
「……黒い私は、私一人で対応しましょう。マシュとマリー、アマデウスでジルを抑えてください。ジークフリートの負担が増えますが、聖ジョージにはアーチャーの対応を……」
「いえ、ジャンヌさん。黒いジャンヌは聖杯の所有者。
本拠地で追い詰められるとなれば、どのようなことが起きるか定かではありません。彼女に対しての戦力を減らすのは……」
「ではわたくしがアーチャーの相手でもなんでも、臨機応変に動くとしましょう」
突然会話に入ってくる清姫。アマデウスが嫌な顔をする。
「………ところで本当に彼女たちも連れていくのかい?
いや、分かっているとも。そうしたって戦力が足りてないんだから考える余地なんてないってことくらい。だけど酷い気分だよこれは」
「大丈夫なの?」
「もちろん! その代わりと言ってはなんですが―――」
ススス、と蛇のようにするりと立香に近寄ってくる清姫の体。
首を傾げる彼女に寄り添う清姫の頭。
しっとりとした動作で差し出される清姫の手のひら。
「是非とも、わたくしとサーヴァント契約を結んでいただきたいのです。
ささ、どうぞわたくしの手を取って下さいまし」
「―――うわ。ストーカーに目を付けられたわね、アンタ。ご愁傷様」
大人しく追従していたエリザベートが、可哀想なものを見る目で立香を見た。
ストーカー扱いされた清姫が、そちらに冷たい視線を飛ばす。
「あらあら、はぐれサーヴァント風情が何か言っていますわ。さささ、どうぞマスター?
あんなカナヘビのことは無視してくださいな。ほっとけば勝手に同族同士で共食いしてるでしょうし」
「同族!? カーミラとアタシが!? 言うに事欠いてこのブラックマンバ!!」
『同族どころか同一人物なのでは……』
「何よ声だけ男! それ以上ふざけたこと言うとすり潰すわよ!?」
ひぇ、と黙り込むドクターロマン。
あー、とふらつきだすアマデウス。
そのやり取りを見ていたジークフリートが、僅かに悩む姿勢を見せた。
そうして立香とソウゴで視線を往復させ、ソウゴに顔に向ける。
「……常磐ソウゴ」
「え、俺? なに?」
「俺とサーヴァント契約をしてくれないだろうか。
そして、この戦いで俺に令呪を一角譲ってほしい」
「令呪……あっ」
そういえばそんなのあった、とソウゴが自分の手の甲を見る。
ランサーも特に使用を求めてこないので、すっかりと忘れていた。
「でも俺も多分セイバーと戦ってるだろうから、言われたタイミングで使うのは―――
あっ、ロマンに通信してもらえばいいのか」
『……うーん。可能な限りこちらからも通信は維持しようとするけど、相手の本拠地での通信は申し訳ないが確約できない。実際、冬木の大空洞ではかなり状態が悪かった。
一瞬の遅れさえ致命的になり得る戦闘中に、やろうとしてダメだった、では取り返しのつかない話だ。戦闘に役立てる通信が出来るか、という話についてはこちらとしては無理だとはっきり言っておくべきだろう』
「あれ、でもあのタラスクってドラゴンの時はやってなかった?」
『あれは相手の方からキャンプ地に攻め込んできたカタチだったからね』
「そっかぁ」
じゃあどうするか、と悩んでいるとジークフリートは首を横に振った。
「戦闘中でなくても構わない。
開戦前に一撃、令呪の魔力を使った宝具の一撃を撃たせてもらいたい。
……ファヴニールの強靭な生命力が相手だ。相手の拠点中枢まで攻め込み戦闘を行うだろうルーラー同士の決着までに、戦いが終わらない可能性もある」
「―――確かに。ですが、こちらは聖杯を持つ黒い私さえ倒せれば、この特異点を修復できる」
「時間稼ぎに終始するつもりはない。討ち取る覚悟で戦いには臨む。
だが現実問題、時間稼ぎという形になる可能性が高い。だとすれば、俺がまずやるべきことは奴の翼を奪う事だ。ルーラーが黒いルーラーを追い詰めた時。ファヴニールを呼び戻された、飛んで逃げられた、では話にならない」
「なるほど。じゃあ契約しよっか」
そう言って手を差し出すソウゴ。
少し驚いた様子のジークフリートが、しかし笑ってその剣に手をかける。
蒼色の魔力が立ち上る。彼とソウゴを取り巻くようにそれが一際輝いた。
「セイバー・ジークフリートの名に懸けて誓いを立てよう。
汝がその命運、我が剣にて斬り拓こう」
それを見ていた立香の袖を、ちょいちょいと清姫が引く。
わたくしも、わたくしも、と期待の眼差し。
彼女の令呪は残り一角、それも恐らく黒ジャンヌとの決戦に温存することになるので、彼女の戦いに使うというのは難しいが……
「そういうのはいいですから早く早く」
そういうのならいいか、と彼女は清姫との契約を行った。
おおよそ事前に決めておくべきことは処理した。
そんな状況になったころ、マリーが歩くジャンヌの隣へと近寄る。
「ちょっといいかしら、ジャンヌ」
「それはもちろん……マリー?」
彼女は普段と違い、何か話し辛そうにしている様子だった。
なればこそ、ジャンヌは彼女の言葉の続きをただ待つ。
ほんの数秒だろう。待った先に、マリーは静かに口を開いた。
「リヨンで戦った相手、シャルル=アンリ・サンソン。
彼は生前のわたしを処刑した人。……知っていたかしら?」
「……そうですね。知らなかったとして、あなたたちの会話を聞いていればそれくらいは」
「ふふ、それもそうですね……わたしは彼の事を恨んでなんていません。
むしろ彼にわたしの命を背負わせてしまったことが、彼をあそこまで追い詰めていたなんて……申し訳ない気持ちでいっぱいです」
「マリーなら、きっとそう思うのでしょうね」
小さく笑っていた王妃は、けれどそこで笑い声を止めた。
訝しむように表情を曇らせるジャンヌ。
「もちろん。わたしは、わたしたちを処刑するという道を選んだ国のことも、民のことも、恨んでなどいません……けれどねジャンヌ。
もし、あなたのように黒く染まった自分が目の前に現れて、自分を殺したこの国に復讐したい、滅ぼしたいと言ったのならば―――
「マリー……?」
「
そう思わないように努力したのでしょうし、最後まで笑顔で居続けようとしたのでしょう。
けれど、そう思って止められなくなってしまったわたしなんだ、って。
―――だって、怖かったもの。恐ろしかったもの。
わたしはそうならないように努められただけで、一歩違ってしまえばそうなってしまってもしょうがないと思えてしまうの」
マリーは静かにそう語る。
それを聴いていたジャンヌが、黒化した自身を思い起こして目を伏せる。
くすくす、とマリーは小さく微笑んで彼女の顔を見る。
「
だから、わたしはとてもあなたが好き。これ以上にないほど、あなたという女性に憧れている。
友達になれて、今もまだドキドキしているくらいだもの」
「マリー……」
―――
その考えは確かに幾度もジャンヌの意識を掠めていた。
あるいはその考えはただの逃避ではないのかと振り払っていたが、マリーはそうだろうと言う。
彼女自身が、黒い自分に相対して確認しなくてはならない。
自分が、自分であるのかと。
「ねえ、訊いていい?」
ふと、二人の近くにソウゴが来ていた。彼はマリーに対して、少し訊き難そうに。
けれど訊かねばならないことだと、その表情で語っていた。
「なんでしょう?」
「もしさ。そんな風に
「もちろん、止めます。だって……わたしの死も、フランスの変遷も、わたしの愛した国と民が望んだことですもの。
怖かったのも本当。苦しかったのも本当。けど、応援してあげたいと思ったことだって本当。
―――フランス王妃として、
「そっ、か……そうなんだ」
マリーの言葉を聞いて、ソウゴが自然とウィザードのウォッチを取り出していた。
あんなにいま手にするのは違う気がしていたウォッチが、今なら手にするべき力だと思えてくる。
自分の中でも整理がついた感情。ガッチリと歯車が噛み合ったかのような感覚。
「………これなら、いける気がする」
そう言って握り込むウォッチから、心を奮わせるような熱が返ってくる気がした。