Fate/GRAND Zi-Order 作:アナザーコゴエンベエ
「―――――■■■!? ■■■■!?」
声が聞こえる。だが、それが何を言っているのか分からない。
いや、声が聞こえないわけじゃない。
何かを呼んでいる。なのに、その言葉が聞きとれない。
自分が何者か、それすらも分からない。
違う。
他の全てが分からなくなったのは、自分が何者か分からないから。
自分という存在が消えていく。
薄れていく意識の中、頭を抱えて膝を落とす。
そんな彼らの前に迫りくる、森を浸食する黒い波。
彼らは、それを前にして―――
「一体何が……!?」
「これは流石に大ピンチですねー……むむむ、最悪臨時契約を……」
立香の目の前でそう唸りながら空中に浮いてるのは、魔法少女が持っていそうな赤いステッキ。いや、それと一緒にこの場に現れたピンク色の少女を見るに、魔法少女のステッキそのままか。
レイシフトを実行した立香たちは、まず森の中へと投げ出された。
それ自体は別に何という事もない。
空中とか海の中とか戦場とか、そういう場所じゃなければ問題にはならない。
だが、すぐにそこへ異常が押し寄せてきた。
まず現れたのは、銀色の髪にピンク色のコスチュームを纏った少女。
それは正しく魔法少女、と呼ぶしかない風貌だった。
彼女は低空を高速で飛行しながらこちらを見つけ、驚いたようにブレーキ。
すぐさまこちらに、「ここから逃げて!」と叫んでくれた。
が、その時にはもう全てが遅かった。
『―――違う、なんだこれ……! 特異点、じゃない……固有結界!?
いくら固有結界だからって……いや、固有結界だからこそ、この空間情報の錯綜っぷりは異常だ。単体の心象風景じゃない……? まさか、複数の固有結界が衝突している―――っ?』
『ドクター! 一時撤退を……!』
「―――だめ!」
マシュの言葉を遮り、立香が声を張った。
ソウゴとツクヨミが異常を起こして膝を落としているように、こちらに声をかけてくれた魔法少女も膝を落としていた。彼女を放置して撤退など、できるはずもない。
周辺一帯に広がった不思議な感覚。
その直後に、ソウゴもツクヨミも魔法少女も、一斉に自失してしまった。
魔法のステッキらしきものはともかく、立香が無事な理由も分からない。
何故自分にだけ効かないのか。それが突破口にならないか。
その可能性を考慮して、立香が目を細めた。
「私だけに効かない……? 毒……?」
『いや、毒じゃない。そちらの状態は観測できている。
大気にも、キミたちの体にも、毒らしきものは検出できない……!』
ロマニからの応答。
では一体何が原因なのか、と彼女が表情を渋くした。
森の奥から徐々に迫る黒い波。あそこまで暴力的な侵略ではないが、いつかのケイオスタイドを思い出す光景。
それは意志を持っているかのように彼女たちへ一直線に向かってくる。
不定形の波が感じさせるのは、明らかな敵意と殺意。
追いつかれれば、こちらを害するという事は想像に難くない。
このままじゃいけない、が。
「ソウゴ! ツクヨミ! 立てる!?」
答えはない。そもそも、立香の言葉が届いている様子がない。
二人。だけではなく、魔法少女らしき女の子も同じような状態。
三人は呆然とした状態で、完全に動きを停止させていた。
「声が届いてない。じゃあなんで私だけ―――?」
原因の分からない呆然自失。
この時代にレイシフトした途端に発生した、謎の現象。
だが立香には何の影響も与えていないのは何故か。
長々と悩んでいる余裕はない。
もう1分と待たず、あの黒い波はこちらに届くだろう。
その前に打開する手段を見つけ出す必要がある。
「声が届かない……言葉が聞こえない、意識できない? 応答できない?」
落ち着くために深呼吸しながら、思考を回す。
そこで気付く周囲に立ち込める、むせ返るような甘い匂い。
それが関係あるのか、と一瞬悩むが否定する。
これは恐らく、目の前の黒い波から発生した匂いだ。
恐らくは今起こっている異常とは別のもの。じゃあ、一体―――
“当然の話と言えば当然の話だ。
己が名を忘却した者では、名を呼びかけられたところで反応などできまい。
その名無しの森を越えられるのは、己の名を見失わぬ者だけ。
どうにかしたいのであれば、まずは取り戻させるんだな”
―――呆れるような声が届く。
頭の中に響くのは、よく覚えのある皮肉げな声。
そこで、
今ここにあるのは毒でも何でもなく、精神に干渉して忘却を誘発する能力。
だからこそ。
けして己の抱いたものを忘れぬ恩讐の炎は、その到達を遅らせる。
自身という防壁を全開にして、彼女に届きそうな記憶の霧を取り払った。
いずれ、その効果は立香にも追いつくだろう。
復讐者ではないものに、これは完全に防ぎ切れるわけではない。
恩讐の黒き炎を乗り越え、忘却の波はいずれ立香にまで届く。
だが、そうして時間が取れるならばどうにか出来るはずだ。
「―――忘れてるんだ。ソウゴもツクヨミもその子も、自分の名前を!」
『忘れている、ですか?』
『……自己を忘却させる迷いの森。それがこの固有結界の特性……? いや、だったらそっちの女の子が今まで活動できていた理由がない。その世界と精神喪失は、別物であるはずだ。
いや、その考察は後でいい。名前の忘却とそれに伴う精神喪失は、影響が大きくなれば自我の完全崩壊に繋がりかねない! 今はとにかく、みんなを連れてどうにかそこからの離脱を!』
ロマニの声に一度頷き、立香はすぐにタカウォッチとコダマスイカを取り出す。だが、少女一人を含むとはいえ人間三人を運び切れるか。黒い波からも、忘却の空間からも、どれだけ離れれば安全かすら分からないのに。
だが、だからと言って諦めるなんて話はない。
そうして準備を行いながら。
ふと気になって、立香は魔法のステッキへとちらりと視線を向ける。
羽飾りを手のように動かして悩む姿勢を見せていたステッキ。
それが丁度、こうなったら決心しましたとばかりに立香の方を見返した。
何となく嫌な予感が体に走る。
「こうなっては仕方ありません! 他の部分はともかく、魔術の才能が微妙すぎて大した魔法少女にはなれなそうですが! もしもしそこのお姉さん、わたしと一時契約して魔法少女になりましょう!」
ぴゅいー、と。立香に向けて飛来する魔法のステッキ。
明らかにそのまま顔面にでも激突するつもりだろう突進。
魔法のステッキ、カレイドステッキ
その制御精霊、マジカルルビーは現状を打破できない状態と判断していた。
こうなったからには、仮マスターを手に入れるしかない。
そして契約のためには相手の情報、血液が必要だ。
だからこそ、この突撃はそれを今から強引に奪いに行く姿勢。
割と真面目な話、もう説明している時間がないくらいに追い詰められている状況なのだ。
というわけで仕方ないと心中で言い訳しつつ、ルビーが慣行した突撃。
「いきなりなに!?」
しかし、不意の突進対策に関しては一家言ある立香。
彼女は即座にそれを察知すると、するりと回避した。
「なんとぉ!? まさかここまで華麗な回避をされるなんて―――!
躱された事実に驚いて、ルビーが動揺する。
そんな状況で咄嗟に吐き出された台詞に、怒鳴り返す。
「
「これならなおさら魔法少女になるしかないでしょう! そのステップ力があれば、どれだけ魔術回路がしょぼかろうと、イリヤさんとそちらのお二人を抱えて走るくらいはできるようになるかと!
ご安心ください、すぐに終わります。魔法少女になるための
立香が上げた声を無視しつつ、ルビーちゃんを自称したステッキが再度立香を狙う。切り返して再びミサイルと化す魔法のステッキ。
ルビーの言っている事はよく分からない。
よく分からないが、このステッキを受け入れる事が現状打破に繋がるのか。
そう考えながら、立香が微妙に眉を顰めた。
黒い波はもう目前まで迫っている。
今から三人を抱えて離脱するには、何らかのインチキが必要だ。
タカとコダマの運搬力では、どう足掻いても間に合わない。
ならば、と。
『……魔法少女への、変身。契約の、サイン……?
名前を忘れて……名前を、失って……――――先輩!』
考え込みながら呟いていたマシュの声。
それを聞いて弾けるように体を持ち直して、ルビーの突進を再回避。
そうしている立香に向け、マシュはすぐに言葉を続けた。
『ソウゴさんを変身させて、アランさんの力を! 名前を失ってしまって、言葉も届かない。でも、伝える方法はもうひとつあります―――!』
「――――ルビー! ソウゴ……この男の子を立たせておいて!」
マシュの言葉を目を見開いて。
すぐさま立香が、ソウゴの懐からジクウドライバーを取り出しつつ叫ぶ。
回避されたルビーは空中で急ブレーキ。
疑問を浮かべるようにステッキの体をくねらせつつ。
しかし、その言葉を無視はしなかった。
「何か手段があるのですか? ええ、でしたら協力しましょう。
ダメだったら魔法少女でお願いします」
ぐにょりと羽飾りを伸ばして、ソウゴの手を摑まえるルビー。
そのまま吊り上げるように強引に立たされた体。
彼の腰に、立香はドライバーを押し付ける。
〈ジクウドライバー!〉
起動するドライバーと、巻き付くベルト。
ソウゴの腰の位置で固定される仮面ライダージオウの変身デバイス。
それを確認したらすぐ、ウォッチの方を起動する。
〈ジオウ!〉〈ディ・ディ・ディ・ディケイド!〉
「これと、後……!」
ジオウとディケイドのウォッチを起動し、ドライバーへ装填。
ロックを外して変身待機状態へ移行させつつ、立香は更にもうひとつウォッチを抜き取る。
〈ゴースト!〉
「これ! えっと、変身!?」
「ムムム、なるほど! 魔法少女ではなく変身ヒーロー系ですね!」
ディケイドウォッチに滑り込ませるゴーストウォッチ。
それを装填する勢いのまま、彼女はドライバーを回転させた。
ソウゴの背後に発動する時計が、彼の体に装甲を纏わせていく。
〈ライダータイム! 仮面ライダージオウ!〉
〈アーマータイム! ワーオ! ディケイド!〉
〈ファイナルフォームタイム! ゴ・ゴ・ゴ・ゴースト!〉
九つの影が重なり、形成されるディケイドアーマー。その顔面にゴーストの顔を浮かべ、アーマーが別物に切り替わる。胴体部の標示板、インディケーターが映す文字は、“ゴースト・グレイトフル”。
―――瞬間、姿の変わった彼の胸から一つのパーカーが射出される。
現れるのは、白と黒のカラーリング。肩部にペン先らしきものを持つパーカーゴースト。グリムパーカーゴーストが、即座に空へと舞い上がった。
そんな空中の相手に向けて、立香が声を張り上げる。
「ソウゴとツクヨミと、えっと、あの子は……!」
「イリヤさんです! イリヤスフィール・フォン・アインツベルン!
あ、いえ“Illyasviel von Einzbern”で!」
下からの声に一度頷いて。
グリムは洞に浮かぶ目のような顔を一瞬だけ歪ませ、周囲を見回す。
周囲に広がるのは鬱蒼とした森と、今なお迫る黒い波だけ。
それを見て、ぽつりと一言。
『――――童話……?』
だがすぐに頭を横に振って、彼はやるべき事を実行に移す。
肩部から射出されたニブショルダー。
それが即座にソウゴとツクヨミ、イリヤと呼ばれた少女。
その三人に続けて、立香にもそれぞれの名前を書き記していく。
まるで本の登場人物として紹介するように。
この森でさえも奪えないように、確固たる情報として記録する。
インクが紙に染み込むように、その記憶が彼らの頭に染み渡っていく。
自分を認識したが故に、浮上してくる意識。
「うー……イリヤ……イリヤスフィール・フォン・アインツベルン……
そう。それが、わたしの名前で……えー、あうー、あたまいたいー……!
じゃなくて……? えっと、どう、なったんだっけ……!?」
「イリヤさん! 大丈夫ですか!? わたしが何本に見えます!?」
イリヤと呼ばれた少女が意識を取り戻す。
即座にそちらへと飛んでいくルビーが、彼女の目の前で高速で横移動による往復を始めた。パッと見速すぎて分裂して見える魔法のステッキ。
それを見つつ、目を覚まして早々嫌な話を聞いたと顔を顰める少女。
彼女はふらつきながらも、確かにルビーに対して言葉を返す。
「ルビーが2本以上ある場合なんて想定したくない……!」
「ご想像の通りでしょう! マスターいじりとサファイアちゃんへの愛が、わたしが増えた分だけ加速しますよー!」
「絶対増えないで……!」
どうやら少女の方は意識を取り戻せたようだ、と。
立香が目の前にいるソウゴに視線を向け―――
「……あたまいたい、あー、えー。
―――常磐、ソウゴ。そう、それが俺の名前……だよね?」
「ソウゴ! ニュートン!」
ふらついている彼の肩を押さえ、必要な力を呼びかける。
黒い何かは未だにこちらに向かっているのだ。
それを安全に処分できる力が必要だ。
「ああ、うん、ニュートン? ニュートン……!」
ディケイドアーマーゴーストフォームが、再び新たなパーカーゴーストを射出した。射出されるのは、指示通りにニュートンのパーカー。
現れた青いパーカーゴーストは即座に重力場を操作した。
目の前で蠢く黒い波が、その影響によって強引に押し固められていく。
黒い球体になるまで一瞬のうちに圧縮される黒いもの。
そうして潰された黒いものを前にして、ツクヨミが額を押さえながら顔を顰めた。
「―――そう、よね。私はツクヨミ……これって、自分で自分の名前だと思ってれば、大丈夫なのかしら……
それにしてもなんなの、この甘い匂い……ただでさえ凄い頭痛と合わせて、甘ったるすぎて気持ち悪くなってくる……」
甘すぎる匂い。最早暴力のようなそれに酷く顔を歪めたツクヨミ。彼女がニュートンが引力と斥力を操り固めたもの―――黒い塊を睨むように見つめた。
「チョコレート、かな……」
見える範囲の黒い波を圧縮すれば、続いてくるものはない様子。それを確認しながら、立香はその匂いがチョコレートのものであると口にした。
蕩けるような甘い香り。
普段ならば美味しそうな匂いだと思ったかもしれない、が。
「みたいですねぇ。
イリヤさん、チョコレートお好きでしょう? 食べます?」
「地面を這ってきたチョコレートなんかいらないけど!?」
自分で叫ぶ声が頭に響くのか、涙目で頭を抱えるイリヤスフィール。
ジオウがそこで手を振るうと、ツタンカーメンが現れる。
無論それは異次元に繋がるピラミッドの中に、それを投げ捨てるため。
だが、それにはロマニが待ったをかけた。
『あ、すまないソウゴくん。それは少しの間そのままで。
すぐにそれが何か調査してしまうから』
「そう? じゃあちょっとこのままで」
ニュートンとツタンカーメンに顔を向けてそう言って、ジオウが肩を落とす。
体がだるいなどというレベルではない。
何か凄まじい干渉の結果、何もしていないのに凄まじい疲労感がある。
そんな彼の周りを、ルビーがひょいひょいくるくると回る。
特に注目しているのはジクウドライバーだろうか。
ジオウの周囲を飛び回り、一通り見て、それで満足したのか。
「ふむふむ、なるほどなるほど。親近感覚えちゃいますねぇ」
「なにが?」
「いえー、なんとなしにですけどね。設計思想的な部分というか?
わたしも、基本的に外から見てる感じのクソジジイが生みの親なものでして。
わかります。いいですよね、創造主に対する反逆。反抗期ですよ、反抗期」
ルビーが羽飾りを腕のように扱い、器用に腕組みのような体勢を見せた。
その言葉がどういった意味のものかを咀嚼して。
しかし首を横に倒したジオウが、ルビーにやはり問いかける。
「……いや、なにが?」
「またまたー☆」
羽飾りでジオウの頭部をつつくマジカルルビー。
さっぱり分からない、と。
そんなソウゴの言葉を笑い飛ばして、ルビーはふよふよと空で波打った。
『―――チョコレート、以外の何物でもないね。
何故動いていたのかさえもさっぱりだ。固有結界の効果、なのかも』
調査を終えたロマニが、得られた数値を睨みながらそう口にした。
聞き覚えのある名称に対し、首を傾げる立香。
「固有結界?」
『ああ、そうだ。今回レイシフトしたその特異点なんだが、どうやら厳密には特異点ではないみたいなんだ。時流から隔離された固有結界……そうだね、例えるならソロモン王の時間神殿が一番性質的に近いかもだ』
他でもないロマニがそう口にしたことに、揃って目を細める。
ジオウもまたチョコレートを異空間に処分しながら、周囲を見回した。
が、ここは普通にしか見えない森の中。
周辺一帯にあるものと言えば、立ち並ぶ木々くらいなものだ。
「森。記憶というか、名前を消す力。チョコレートの波。
……つまりどういうこと?」
とりあえず現状確認された事象を指折り数え、首を傾げる。
さっぱり繋がりが見えない能力ばかりだ。この世界が固有結界だったとして、ではこれは一体どんな心象風景を持った奇人が造った世界だというのか。
『前者二つはともかく、チョコレートはさっぱり……
ああ……ただこの固有結界、一種類じゃないのかもしれない。固有結界の中で外からやってきた何かが暴れている、ではなく固有結界の中に別種の固有結界が発生している。そういう状況に見える』
「確かに、どうもおかしい感じはするんですよねぇ。
まあ固有結界同士の衝突なんて普通はないですから、推測するための情報さえも乏しいんですけど。多分通常であれば、どちらが世界を上書きするかの競争になるかと思いますが」
くるくる回りながら、ロマニに対して同意を示すルビー。
当然のように知らない人と会話しているルビーに、イリヤスフィールという名前らしい少女は困惑しつつも邪魔しないように黙り込む。
よく分からないがとても重要な話をしている、という雰囲気だけは察して。
『ああ。ただそもそもベースになっている固有結界は、恐らくは“隔離”とか、そういった性質のものだ。固有結界というものはおおよそ世界を一時的に上書きするもの。だがこれは通常の時間軸の外に別の世界を作り出し、世界の外側に新たな世界を発生させてしまっている。それはこの固有結界が通常の時間軸から“隔離”されているからだと思う。特異点だと誤認したのもそれが原因』
本当に隔離された世界であれば、そもそもカルデアが異常を察知する事さえなかっただろう。だというのに、こちらで感知できた。
それはつまり、ベースとなっている固有結界のバランスが崩れているからだろう。固有結界の中で術者ではない誰かが暴れている、だけならそんな事にはならない。この世界が特異点のように異常を発したのは、通常の時間軸から世界を“隔離”し切れなくなっているからではないか、と。
どこからどこまでが固有結界の能力か分からない、なんて普通ならばそんな話はない。固有結界の中では、本来それ以外の力は全て術者と関係ない異物のはずだ。だというのに、出自が異なるだろう力が複数無作為に暴れているなど、いつ固有結界が崩壊してもおかしくない状況だろう。
「うーん……まずは“異世界を創った固有結界”があって、その世界の中で“上書きするための固有結界”を誰かが使っている?
固有結界の中に固有結界があって……それってどんな問題が起きるの?」
『―――そもそもこの世界が成立しているのは、通常の時空間から隔絶した空間を創り出す固有結界であるから。それが塗り潰されてしまったら、当然の事ながら世界に修正されて掻き消されるかと』
「そのままなら消えないの?」
「消えないというわけではありませんが。ただ、世界の外で勝手に浮かんでるシャボン玉みたいな固有結界であれば、世界からの修正を受ける要素がなくて維持は比較的容易でしょう。
通常の固有結界の燃費が悪く維持が困難なのは、世界から異物として排除されようとする圧力を魔力で強引に捻じ伏せているからなので」
固有結界というのは、通常ではありえない世界を現界させる大魔術。
当然、維持をするためにはその規模に見合ったコストが必要となる。
今回これほどおかしな状況になっているのは、大前提としてここが通常の空間から隔離された異世界になっているからだ。
「まず通常の固有結界ってどんなのだろう。俺たちが知ってるネロの宝具とか、ソロモンの神殿とかはちょっと違うんだよね?」
「通常の固有結界は知らないのに随分とレアケースは知っているんですねぇ。
いえまあ、固有結界保有者自体がレアケ中のレアケなんですけど」
「――――そういえば。
私たちが初めてその固有結界っていう名前を聞いた時って確か……」
ふと思い返すように、立香が顎に手を当てて眉根を寄せた。
そう。確かその名前をちゃんと聞いたのは、ロンドンの地だったような。
アンデルセンに案内されて辿り着いた場所。
そこでアレキサンダーが口に出し、ロード・エルメロイ二世が―――
その後白ウォズの登場で色々と有耶無耶になっていた。
だがアンデルセンがその固有結界と指摘したのは確か、
「“物語”のサーヴァント……?」
いつか、目の前に浮かんでいた本を思い出した。
そうなってくると、先程グリムが動く前に僅かに見せた奇妙な反応が気にかかる。“物語”と彼―――彼ら兄弟には、強い関係性がある。
そうして悩んでいる立香の横で、ジオウが首を傾げた。
「どっちかの効果じゃなくて、両方の世界の効果が発揮されてる。
って事は……融合してる、みたいな感じにならない?」
『―――融合、というのは考えづらい。固有結界という魔術の特性上ね』
固有結界は術者の心象の具現。
故に、混ざり合うなどという状況は通常ありえない。その世界が異常をきたすという事は、術者の精神が異常をきたしているという事だ。
この世界が隔離するためのものである事は、恐らく間違いがない。そうでなくては固有結界という大魔術とはいえ、通常の時間軸から離れた上で存続するなどありえない。この固有結界の存在規模からして、性能は全て“隔離した世界の維持”に全て注がれているはずだ。
だとすれば、名を奪う力とチョコレートは別物。
名を奪う力はレイシフト直後にここまで広がってきた。つまりこの世界に最初から備わっているものではなく、後から広がってきたもの。
チョコレートの波も同じだ。
あのチョコが“動くチョコレート”だったのではなく、“この世界ではチョコレートは動くもの”という法則で動いていたと思われる。
彼らを襲った能力はどちらも、“隔離するためだけの世界”の法則を歪める、別世界の法則が襲ってきたと解釈するのが一番筋が通る気がしてならない。
悩むように一度視線を伏せるロマニ。
―――彼が口を噤んでいる間に、背後から音がする。ビキビキと、鋼が罅割れていくような。
蠢く金属音に反応して振り返ってみれば、そこでは地面から無数の刀身が生えてくるところだった。
「―――――ふーむ」
それを見てルビーが羽飾りを動かした。
口を押さえるように、ステッキの中央にある五芒星を押さえる羽。
まるで悩み込むような姿勢を見せる魔法のステッキ。
無数の剣群は折り重なりながら、高い壁になるように組み上がっていく。
目の前にはゆっくりと、剣で組まれた城壁が一枚現れる。
「剣が生えてきたよ?」
言いながら、立香がソウゴに視線を向ける。
彼はひとつ頷くとそちらに歩み寄って、刃の壁に触れてみた。
ジオウがそこかしこを触ってみても、それは何の反応も示さない。
軽く叩いても金属音が返ってくるだけだ。
「んー……ただの壁、かな?」
壊せないようなものではないだろう。
これが原因で閉じ込められる、というような状況は恐らくない。
足元からいきなり剣が生えてくる状況を留意しなければならないが。
『…………もうひとつ特性の追加、か。うーん』
「……タイミング的に言うと、なんだけど。今のってさっき処分したチョコレートが広がらないようにするために生えてきた、って考えられない?」
ツクヨミが刃の塔を見上げながら言う。
彼女たちはこの固有結界に踏み込み、特殊な性質の攻撃に晒された。
だがそれは、ただ巻き込まれただけなのではないか。ただ最初に踏み込んだ場所が、二つの固有結界が競り合う衝突点だっただけなのではないか、と。
「あのチョコレートとかは、この世界……固有結界を攻撃するためのもの?」
『―――攻撃というよりは、侵略・侵食という感じかな。
まず中心にある、“剣の壁で異物を排斥しようとするこの世界の中核”。
それを侵食する“名前を奪うチョコレートの波”』
「恐らくですけど、“この世界の中核”と“剣の壁”は更に別物でしょうねー。
“剣の壁”の力の持ち主が協力しようとしている、というよりはこの世界の支配者に取り込まれている感じでしょうか」
何か思い当たる事があったのか、ルビーはロマニに対してそう言った。
確かにただの防御機構にしては、明らかにイメージがそぐわない。
この世界の詳細を読み解けているわけではないが、突然地面から剣が生えてくるのは少し、どころではなく違和感しかない。
「恐らくあの剣はこの世界への被害を最小限に抑えるためのもの。
侵食が広範囲に渡る前に、汚染された区画をあらかじめ切り捨てているんでしょう。
ぱたぱたと羽飾りを羽ばたかせながら、そう言い放つルビー。
『……固有結界内で世界の一部を切り捨てるような防衛機構、として活用されているということは、それも大本の固有結界の機能と見るべきところだと思うのですが……確かに、そう考えるのも不自然なくらいこの世界と剣が噛み合っていない、という感覚はあります』
マシュが周囲の環境と剣の壁を見比べて、不自然さに眉を顰めた。
確かにこの世界を訪れて突然脅威に見舞われた。が、この世界の空気感というか雰囲気は、けして悪意を感じさせるものではない。
この固有結界に一部をパージする機能があるのはおかしくない。
範囲を狭めて消費を抑えるという機能はあってしかるべきだろう。
だが剣の壁、などという防衛機構は流石に行き過ぎだ。
あからさまに別の存在が絡んでいる、と感じるほどに。
「まず大本になる固有結界の術者がいて、剣に関する固有結界を持つ者をどうにかして取り込んで、それを利用しているという事になるでしょう。
いやはや、他人の固有結界を自分のそれに組み込むとか、相当にヤバい感じの魔術師なんでしょうねー。……相当、相性も良かったのかと」
『相性がいい程度の話でそんな離れ業が叶うかなぁ……』
そう言いつつも、目の前に実例がある事は変わらない。
真相が違ったとしても、この世界は実在している。
ならばとにかく解決を目指す必要があるだろう。
「うーん……つまり、とりあえずは大本になってる固有結界の術者、を探せばいい感じ?」
「どちらかというと、そっちの方が味方になれそうね」
やっと頭痛も落ち着いてきたのか、長い息を吐きながらジオウが軽く首を回ししつつ行動方針を示した。
同じく落ち着いたツクヨミもまた、彼の言葉にゆっくりと頷いてみせる。
そこで大筋の情報共有が終わったと見て、少女が声を上げた。
様子を窺うようにそろりそろりと、イリヤスフィールが前に出る。
「えっと……それで、その、ルビー。この人たちは……」
「さあ……?」
少女―――イリヤスフィールからの問いかけ。
それにルビーはさっぱり知らんとばかりに、羽飾りを軽く持ち上げた。
「さあ!? さあ? って!?
ルビーはちゃんと情報の共有とかしてて、それで話してたんだよね!?」
「いえ、まったく」
愕然とするイリヤスフィール。正気に戻ったら当然のように話をしているから、その辺りの話はしているとばかり思っていたのに。
つまり一体、これはどういう状況なのだと彼女は目を回す。
言われてみれば、と立香が手を打つ。
「あっ。そういえば、ルビーたちはどうしてこの世界に?」
「今更!? 固有結界……っていう世界がどうとかの話より、そっちの方が先に持ってくる話題じゃないですか!?」
そう言って声を荒げるイリヤスフィール。
確かに、と。全員揃って頷いてみせる。
「……確かに、何か違う世界に来て何かするのが当たり前になってたかも」
「細かい部分はともかく、人理焼却っていう止めなきゃいけない事が分かってて、その上で行く先々で出会うのは目的を共有できるサーヴァントの人たちばかりだったものね。何をすればいいのかが一切分からなかった、なんていうのは黒ウォズに現代に飛ばされた時くらいで」
基本的に「人理焼却を防ぐために特異点を解決しにきた」と言えば、通じる旅路であった。何をすれば分からない、という状況は意外と珍しい。
感慨深げに、その事実に何度か肯いてみせる立香。
そんな彼女を見て、ロマニが苦笑を浮かべる。
「そっちは自分たちの意志で来たんじゃないんだ」
「えっ、えと……ゴースト、グレイト、フル? ―――じゃなくて。
お兄さんたちは事故とかが原因になったわけじゃなくて、ここに自分たちの意志でやってきたっていう事ですか?」
改めてジオウに向き合って、その胴体に書いてある文字を読む少女。
何でそんな風に文字が書いてあるのだろう、と首を傾げつつ。
しかしすぐに気を取り直して、問いかけてくる。
そもそも互いに互いがどうしてこんな状況になっているのか。
相手の背景ごと聞かなければ理解が及ぶまい、と。
マシュが通信先で難しい顔をしつつ、全員に届けるように声を張った。
『……えっと。まずは自己紹介から始めましょうか。
お互いの状況を確かに理解するためには、そこから始めるのが結果的に一番早くなるのではないかと思われます』
『……そうだね。ただそれは、移動しながらにしよう。先程の推測が正しいのであれば、そこは既に切り捨てられたエリアだ。剣の壁を乗り越えて、術者がどこにいるか捜索しつつ話をしよう。
あ、それともしよければだけど。こちらでイリヤスフィールくんに先程の自己消失の影響が残っていないか、スキャンをするけれど……』
「マスターの健康管理はわたしの管轄なのでお構いなくー。イリヤさんも意識をちゃんと取り戻せているようですので、大丈夫でしょう!」
「ルビーから大丈夫って言われても結構不安が残るんですけど……」
ロマニの提案を辞退しつつイリヤスフィールの周囲を回るルビー。
そんな相棒の姿を胡乱げに見つめ、呟く言葉。それにややっ、と反応を示した魔法のステッキは心外だとばかりに声を上げた。
「大丈夫ですよー、後遺症や証拠が残るような薬は使ってませんってば」
「わたしルビーに何されてるの!?」
「まあまあ、こうしていても始まりませんよイリヤさん。自己紹介とかやるなら、ぱぱっとやっちゃいましょう! そうするためにもぴゅーっと、まずはあの剣の壁を飛び越えるとこからですね!」
「誤魔化されないからね!?」
ふらふらしていたステッキを掴み取る少女の腕。そんなやり取りを注目されていた事に気付いて、彼女は少しだけ恥じるように目を伏せる。
だがいつまでもそうしていられない、と。気合を入れ直して前を向いた少女が、己の名前を改めてこの場で告げた。
「えっと、わたしはイリヤスフィール・フォン・アイツベルン。
穂群原学園小等部の5年生で。あと一応……魔法少女をやっています!」
セコムの仕事は終わらない。