Fate/GRAND Zi-Order 作:アナザーコゴエンベエ
「―――動き出した?」
聖剣の光を見上げていたスカサハが、お菓子の国の方向に向き直る。
正確にはチョコレートに塗り潰された大海原と竜の国、か。
突然、この世界に蔓延る感情が増大したのだ。
つい一瞬前まではもっと薄弱とした、こびり付いた怨念にすぎなかったのに。
「聖剣の光に反応した、ということか……?」
そんな情報に微かに眉を顰めつつ、彼女は手の中に朱槍を呼び出す。
たった今あそこで湧き立った感情は、全て聖剣の光に向けられている。
だというならば、今まで以上の動きをしてくるという事に疑いはない。
ただ化け物が襲ってくるならどうにでもなるだろう。
だがチョコレートの津波として襲ってきた場合―――
「……時間はないな」
溜め息ひとつ。
彼女は光の収まったレディの城を一瞥してから、跳躍した。
光の残滓が混じる爆風。
その中で踏み止まるジオウⅡの頭部でブレードが回る。
そうして視た未来の光景に、彼は僅かに肩を揺らした。
「―――――ッ、ロマニ! 外は!?」
聖剣の光を相殺したサイキョージカンギレードを引き戻しながら、ソウゴが叫ぶ。
時冠王剣と聖剣の激突が巻き起こした魔力の嵐。そのせいでノイズ混じりになった通信先から、忙しなく情報を収集しているロマニの応答が帰ってくる。
『―――、この反応、は。外部でチョコレートの海が動き出した、のか?
進行方向は明らかにその城だ! さっきのチョコとは比較にならないほどに速い……!
チョコレートの津波だ! 20分もあれば完全にそこまで届く!』
その応答を聞いて、タカウォッチに美遊を縛るリボンを突つかせながら立香が顔を顰めた。
美遊を拘束する魔術礼装、それは現状どうにもなっていない。
城の壁の方を破壊する、という発想が先程出たが、それも現実的ではない。
つい今発動したエクスカリバーとサイキョージカンギレードが激突した衝撃。
二つの光刃が弾け、その威力は天井を突き破り昇って行った。
だがそれだけだ。それだけの威力があって、天井が一部突き破られた程度。
その堅牢さを見るに、真っ当な攻撃でリボンが繋がる壁を複数個所破壊するのは無理だ。
だからこそ、美遊たちを助け出すにも時間が足りない。
たった20分では美遊も、レディに囚われているクロエも助ける余裕がない。
ならばどうにかして、そちらも止める必要がある。
「津波、って。それじゃあ……それこそ、本気のケツァル・コアトルとかグガランナでもいないと止めようがない規模って事?」
『流石にケイオスタイド程の侵食力じゃないけれど範囲が広すぎる。
こんなもの、完全に止めるどころか時間稼ぎすら難しい!』
爆風を物理保護で防ぎつつ、ルビーはロマニの言葉に羽飾りを竦める。
「チョコレートの話をしてるとは思えませんねー」
「ルビー、静かに!」
呆れるようにそう言うルビーを、イリヤが軽く振り回した。
そうしながら、彼女は目の前で立ち昇る光の向こうにいる相手―――レディを見逃さないように、そちらを睨むようにしている。
『正直、ボクだってチョコレートが襲ってくるなんて、言ってて首を傾げたくなる!
―――とにかく。前例に倣って、これから敵性を侵食海洋ケイオスカカオと仮称! その城までの到達予想時間は、現状の速度を維持された場合で20分程度。
海洋と言ってもケイオスカカオは水ではなくて、粘性のあるスライムみたいなものだ。水晶エリアは正門と山に囲まれているが、恐らく水位を上げるまでもなく門を這って乗り越えるだろう。ウルクのように壁で防ぐ事はできない!』
20分、と小さく呟くジオウⅡ。
極光の残照と砂塵が晴れてきて、彼は再びレディと対峙する。
彼女の手の中では、魔力を解放し切った星の聖剣が崩れていく。
忌々しげに顔を歪めている少女を牽制しつつ、今まで見てきた外の光景を思い出す。
「―――山の高さってどれくらいか分かる?
一番背の低い正門のとこだけどうにかすれば、時間稼ぎになる?」
『……水晶区域を囲む山は、全て門に比べても遥かに高いです。
確かにそこだけでも侵攻を完全に抑えられれば、10分程度……少なくとも5分は稼げるかと』
地形情報を確かめたマシュの声。
ケイオスカカオの侵食は、正門さえ死守すれば山から回り込むしかなくなる。
ただそれが成功したとして、稼げる時間はほんの5分程度だという。
その情報に対して、ツクヨミが眉間に皺を寄せた。
「たった5分……」
「それでも無いよりマシかな。
それでどうしようもないなら、俺たちも逃げるしかなくなる」
言いつつ、ジオウⅡが僅かに視線を後ろに向けた。
彼の視線の先にいるのは、イリヤスフィール。
仮にケイオスカカオの侵攻を止めるためにジオウⅡがここを離れれば、サーヴァントに匹敵する戦闘力を有するレディとまともに戦えるのは、彼女だけになってしまう。
―――何より。
きっと最初から、レディと向き合えるのは魔法少女である彼女だけなのだ。
そんな問いかけるような視線に対し、イリヤはルビーを握り締めながら強く頷いた。
彼女に一度頷き返し、ジオウⅡは行動を決定する。
「じゃあこっち、後はお願いね!」
〈ディ・ディ・ディ・ディケイド!〉〈オーズ!〉
サイキョージカンギレードを地面に突き刺し、両手にウォッチを取り出すジオウⅡ。
その直後、剣を手放した彼に対してレディが突撃を慣行する。
自身を狙うレディの動きに反応せず、ジオウⅡはフォームチェンジを優先した。
彼女が再び手の中に顕すのは黒白の双剣、干将・莫耶。
それでジオウⅡを強襲する少女が―――不意に横っ飛びして、攻めから回避に転じた。
直後に彼女の軌道に合わせた位置に、赤い弾丸が通り過ぎていく。
舌打ちしながらレディが睨むのは、美遊の横にいるツクヨミ。
だがツクヨミの方もまた、強く顔を顰めている。初見で完全に回避を選択されたのは、理由はともかくその攻撃の実態が理解されているから。
切り払おうとしてくれれば、短時間であっても相手を拘束できたはずなのに、と。
だがその隙に、既にジオウは変わっていた。
〈アーマータイム! ワーオ! ディケイド!〉
〈ファイナルフォームタイム! オ・オ・オ・オーズ!〉
ジオウⅡからジオウへと戻り、マゼンタのアーマーを装着。
そこにオーズの力を宿し、インディケーターにオーズ・タジャドルの名を浮かべる。
背中で羽ばたくは三対六枚の赤い翼。
彼はそれによる飛翔を開始して、穴の開いた城の天井を縫って外に向かった。
「―――――」
ジオウが離脱した、という事実を認識して。
しかしレディの方針に変更はない。
そもそも彼女にとってジオウはただ邪魔だっただけだ。
邪魔されなくなったのであれば、後は美遊を奪おうとする相手を処理するだけ。
気を取り直して再び侵攻を開始しようとするレディ。
そんな彼女を目掛けて走りだしながら、イリヤは相棒へと声をかける。
「ルビー!」
「ええ、せっかくの
気合十分、羽飾りを拳のように振り回しながら叫ぶルビー。
そんな相棒に顔を引き攣らせながら、しかし彼女は更に加速した。
「変な事言ってないで、早く!」
「コンパクトフルオープン! 境界回廊最大展開!」
レディの目前で、イリヤの姿が光に包まれる。
溢れんばかりの神秘の光。
その現象、その正体を理解して、レディは目を見開いて立ち止まった。
光の中でイリヤの衣装が変わっていく。
織り成すのはピンクを主体とした、彼女の魔法少女としての正装。
彼女は光の中で体を動かし、ノースリーブのドレスを身に纏う。
同時に、花が咲くように広がる白いスカート。
踏み出す足の腿まで包むブーツ。
ルビーを握りながら振るう手には、肘上まで覆うグローブ。
そうして変わりながら、彼女は駆け抜ける勢いのまま飛び立った。
受ける逆風に白いマントを靡かせて。
同時に、風に暴れる髪が光と共に現れる白い羽飾りに結わえられ。
―――少女は転身を完了する。
「あなたも……魔法、少女、なのね」
悲しむように、憐れむように、レディは立ちはだかる相手を見る。
舞い上がるイリヤの手の中で、その声に応えるルビー。
「ええ、そうですとも! いまここに、魔法少女プリズマ☆イリヤ推参です!」
「なんでわたしの名前を勝手にルビーが名乗るのかな……!」
目の前に現れた魔法少女に対して、レディが表情から色を消した。
そのまま彼女はゆっくりと目を逸らし―――
「イリヤさん、即反転! 狙いは立香さんたちです!」
「分かってる! お姉さんたちがいる場所だけを避けて――――散弾!!」
レディの反応を見た直後、空中でイリヤが反転。
そのまま背後に庇っていた美遊たちがいる場所に向け、無数の小規模魔力弾を放出した。
雨のように降り注ぐ小粒の弾丸。
不意にそんな最中に転移したレディが、幾らか直撃を受けて盛大に顔を顰めた。
だが直撃したところで彼女に大きなダメージはない。
レディの纏う彼女自身の魔力だけで相殺し切れる程度の低威力。
だから、その攻撃にレディが反応したのも一瞬。
すぐに無視していいと理解して―――
〈エクシードチャージ!〉
その一瞬の隙に、ツクヨミが赤く光る銃口を彼女に向けていた。
無駄だ、と。目を細めて銃口を注視しながら、レディが床を蹴る。
注意すればいいと理解している以上。それだけを注意すればいいと知っている以上。
どんなタイミングで撃とうと、当たるはずもない。
「収束、――――!」
背後で魔力が膨れる。イリヤの放つ次撃。
これで自身を狙う射線が二つ。それでも回避するのは余裕だ。
そもそもイリヤの方の砲撃ならば、防げばいいだけ。
回避する必要すらない。
「立香!」
「うん!」
〈スイカボーリング!〉
ファイズフォンXを構えながら、ツクヨミが叫ぶ。
それに合わせて、彼女が思い切り床にコダマスイカを転がした。
高速回転でレディに向かって転がっていく緑色のウォッチ。
そんな小物に僅かに眉を顰め、しかし脅威とは感じないのか対応は行わず。
距離をある程度詰めた時点で、コダマスイカが変形する。
人型へと変じたそれが、即座にスイカの種のような小粒の弾丸を吐き出した。
〈コダマシンガン!〉
迫りくる弾丸。それを見て、微かにレディは眉尻を上げた。
直撃したところで大したダメージはなかろうが、衝撃だけは多少通されるだろう。
それで自分を弾き返す事が狙いだろう、と理解して。
そんな事実にレディは弾丸を切り払う事ではなく、立香に視線を向ける事を選んだ。
「―――――」
この場で最も戦闘力が低いだろう只人。
服が相当の魔術礼装である事は分かるが、気を付けるべきはその程度。
ならば、真っ先に処理するべきは彼女からか。
そうした思考の果て、レディが跳んだ。
ブレるように消える少女の体。
その現象の前兆を観測した時点で、即座にマシュが叫ぶ。
『ファースト・レディ、転移発動! 先輩!』
「―――分かってる!」
レディが消える瞬間、1秒後に再びやってくる殺意の刃を幻視する。
彼女の横で拘束されたままの美遊が苦しげに、しかし確かに小さく頷いた。
レディは魔法少女であるイリヤとの戦闘も避けている。
立香とツクヨミを狙うのは恐らく、魔法少女である美遊を逃がそうとしているから。
だったら、美遊を巻き込む軌道での攻撃はありえない。
それでも足りない。
美遊を盾にして攻撃方向を限定しても、立香ではレディを振り切れない。
息を吐く暇もなく、レディが再出現する前兆はすぐに現れる。
だから、その瞬間に彼女は叫んだ。
「いま!!」
「―――
イリヤが構えたルビーから、魔力砲が放たれる。
それに合わせて、ツクヨミがファイズフォンXのトリガーを引き絞った。
淡い桃色の砲撃と、赤光の弾丸。
二種類の攻撃が描くのは、美遊の横に立つ立香を囲うような軌跡。
立香の周囲に再出現するであろうレディを撃ち落とすため、前もって攻撃を配置するように。
―――しかし、それを前もって理解していたかのように。
その攻撃を潜り抜けられる位置に、レディは再出現する。
そうなれば、逆に立香の方こそ逃げ道がない。
砲撃に囲まれ。美遊を縛る魔力を吸収する魔術礼装“
一直線に進めば立香に届く位置に現れたレディ。
―――
彼女は強く顔を引き締めて、背後に手を伸ばす。
もう逃げ場はない、と。
レディは転移直後に一切躊躇なく刃を突き出している。
それが狙い通りに相手の胸を突き破る前に、レディは目を見開いた。
「お願い、サファイア!!」
「は、い! お任せ、ください――――!!」
マスターの声に応え、マジカルサファイアが死力を尽くす。
美遊と同じく拘束されていた彼女が、全霊を以て動き出す。
リボンが解けるような事はない。全霊を尽くしたところで、多少動くので精一杯。
だが彼女はそもそも小さく、拘束するために使用されているリボンは一本だけ。
ぐるぐる巻きにされてはいるが、それでも拘束帯はたった一条なのだ。
だからこそ、どうにかなる。どうにかしてみせる。
腕代わりの羽飾りを強引に伸ばして―――
立香の手に、サファイアの羽飾りが握られた。
「一気に引っ張るよ!」
「どうぞ……!」
背後に伸ばした手でサファイアの一部を掴み、リボンに触れず一気に引き寄せる立香。
リボンが微かに軋みを上げるが、多少の伸び縮みはするらしい。
思い切り引っ張られたサファイアがリボンごと、立香の前へと引きずり出された。
「―――――!?」
突き出された干将の刃が、引っ張り出された“
レディ自身が振るう刃では、レディ自身が振るう刃だからこそ。拘束帯をより堅固にするため、彼女の固有結界で補強している防御でも弾けない。
しまった、という意志で彼女の体が一瞬硬直する。
サファイアに巻き付いていたリボンの一条が、ぶつりと切れた。
―――が。彼女はすぐに我を取り戻す。
だとしても立香は切り捨てる、ともう一歩を踏み込むレディ。
そうして突き出したままの干将に対し、横合いからぶつかりに来る雷の翼。
〈サンダーホーク!〉
「ッ、」
タカウォッチロイドが激突した瞬間、刃を伝ってくる電撃。
一瞬だけとはいえ痺れにレディが顔を顰め、踏み込もうとした一歩が遅れた。
だがそれだけ。立て直すに一秒と必要のない程度のダメージ。
すぐさま改めて踏み込もうとしたレディが足に力を籠め―――
その瞬間、彼女の許で薄桃色の光が咲き誇る。
「―――なに」
踏み込もうとした足が動かない。
何故、と視線を下に落とした彼女の目に映るのは、魔力で形成された星型の板状の物体。
物理保護用の障壁であるそれが、レディの太腿で動きを邪魔していた。
それを強引に割るために1秒。そして、再度確かに踏み込むために1秒。
それだけの時間を要求されたレディが目的を果たす前に―――
彼女の目前に、魔法少女が飛来する。
「
足が止まった相手に、魔力を集中させたルビーで殴りかかるような一撃。
そしてインパクトの瞬間、至近距離で叩きこむ散弾。
咄嗟に莫耶を盾にしてそれを防いだレディが、弾ける弾丸で盛大に吹き飛ばされた。
彼女は空中で何とか体勢を立て直して着地する。
開いた距離。
その間合いのまま、イリヤとレディが視線を交差させ、互いに睨み合う。
「聞いてたでしょ……! いまここに、この世界を乗っ取ろうとしてるチョコレートの海が迫ってる! わたしたちもそれを止めたい! だからお願い、まず話を聞いて!」
「話? 何を話す事があるの? もう、私には何もないのに」
取り付く島が無い。
それでもぐっと堪えてイリヤがまた彼女に向かって叫んだ。
「何もないって―――!
この中に守りたいものがあるから、あなたはこの世界を守ってるんでしょ!?」
「もうないわ」
相手が言い募る言葉をばっさりと切り捨て、レディが断言した。
その様子に僅かに気圧されるイリヤ。
だがすぐに一歩踏み出して、レディに負けじと言い返す。
「……だったら、せめて教えてよ。今あなたが思っていること。
わたしだってこの世界に呼ばれた魔法少女なんだから、聞く権利があると思う」
イリヤの主張が届いたのか、あるいは別の理由か。
彼女は踏み込むための前傾姿勢を取りやめ、体を起こす。
それでも、レディは視線を美遊の方にも送っている。
「―――いいわよ。代わりに、あなたがこの世界にちゃんと守られてくれるなら」
その視線を受け止めて、美遊が立香たちに対し小さく顔を横に振った。
レディが会話するつもりになったなら、今は自分を逃がすような姿勢を見せない方がいい。
美遊を逃がそうとすれば、会話を打ち切って再び戦闘になるだろうから。
彼女のそんなメッセージを受け取り、立香が頷いた。
自分を結ぶリボンが一部切れたサファイアも、解くためにもがく事を一度止める。
「……わたしも守るっていうなら、なんでミユやクロにはこんな事を……!」
「この子は魔法少女じゃないでしょ?」
不思議そうに、赤い外套をつまんでひらひらと動かすレディ。
魔法少女は保護の対象だが、そうではない人間は保護対象外なだけ。
すんなりとそう言い返されたことに、イリヤが目を白黒させた。
「ど、どうなんだろう。クロって魔法少女? 違うのかな……?」
「英霊少女を魔法少女と呼ぶか否か、これは重要な議題ですね……」
そんな言葉に対して、どう反応すればいいかとイリヤの方が戸惑い。
―――しかしすぐに気を取り直して、レディを強く睨んだ。
「じゃあとりあえずクロはいいとして! ミユの事だってあなたは傷つけてる!」
「……それは否定しないわ。それでも、彼女は―――
彼女がいれば、もしかしたら私たち魔法少女の世界を、取り戻せるかもしれない。
そう考えている事は、否定しない」
縋るような、希うような、ファースト・レディのそんな声。
それに対し、美遊の顔が僅かに歪む。
見えているのかいないのか、レディはその様子の変化に気を払うこともない。
その上で、彼女は美遊に対して声をかけた。
「……ごめんなさい。私だってこんな事したくない。でも、もう自分で自分が止められないの。許してとは言えない。けど、あなたならきっと分かってくれると思ってる」
「なにを……!」
「―――私はファースト・レディ、最初の魔法少女。
魔法少女は誰かの願いを叶えるもの。誰かの願いに応えるもの。
……始まりは、純粋な願いだけだった」
唇を結び、眉を吊り上げる美遊から視線を逸らして。
レディは再びイリヤに向き直る。
「でも人々は、願いを叶えてくれる奇蹟が手に届くところにあると知った時、ただ願うだけではなくなってしまう。
魔法少女は……誰にも知られていないから、人々の外から魔法をかけるものでしかないから、魔法少女でいられる。誰かに知られ、人々の中に取り込まれてしまった時……私たちは、欲望を叶えるための争いの中心にしかいられなくなる」
「―――――っ」
言い返そうとしていた美遊が、息を呑んで黙り込む。
その反応を無視して、レディは語り続けた。
「そうなった時、私たちには二つの道がある。
誰かの願いを叶えるだけの道具になるか。
あるいは、自分を利用しようとする者に倣って己の欲望を叶える魔女になるか」
レディが悲しげに目を伏せて、その手にあった双剣を放り捨てる。
床に落ちた剣が、城の中に金属音を響かせる。
「どっちも嫌でしょう? どっちだって辛いでしょう? 悲しいだけだよ、そんなの」
レディが困惑するイリヤから視線を外し、美遊に戻した。
「―――だから創ったわ。そうならないように、追い詰められた魔法少女たちが逃げ込める世界を。ここに流れ着いてしまうのは、いつだって傷ついた魔法少女。『もう私はここから逃げられないんだ』、と世界に対して慟哭した魔法少女こそを呼び込む……そうよね、美遊」
「…………ッ」
向けられた言葉に何か思うところがあったか、歯を食い縛る美遊。
レディから視線を外さぬようにしつつ、イリヤが後ろを窺う。
「ミユ……?」
「そんなあなたを利用するのは私だって嫌。けど、もうそれしかないの。
……分かってくれとは言わないわ。私はあなたを利用してでも、あなたと同じように苦しむ魔法少女を救いたいの。何を、してでも―――!」
「―――イリヤさん!」
レディが大きく腕を振るえば、空中に無数の宝剣・宝槍が浮かぶ。
宝具級の武装が突然展開される事態に、すぐさまルビーがイリヤの腕を引いた。
すぐに降り注ぐであろう破壊の雨。
それを目の当たりにして身を引こうとしたイリヤが、しかし動きを止める。
「……レディ?」
展開した武具を動かすでもなく、レディは自分の顔で手で覆って震えていた。
何かに怯えるように。何かを悔やむように。
そうしていた彼女の体が、まるで鼓動をするように細かく跳ねている。
「いや……! いやよ、もういやなの……!
守るべきものを守るために、守りたいものを蔑ろにして進み続けるのは―――!」
美遊を見ながら、そう吐き零すファースト・レディ。
魔法少女を犠牲にしてでも、魔法少女を救う。
その思考が何かに呑まれそうになって、彼女は強く体を震わせる。
彼女は“守りたいもの”があるから、魔法少女になった。
彼女だけではない。魔法少女はみんな、大なり小なりそうだったはずだ。
けど魔法少女になった時、多くのものが“守るべきもの”になった。
だが魔法少女はいずれ、誰もが現実にぶつかる。“守るべきもの”のために、“守りたいもの”を切り捨てねば立ち行かなくなる時がやってくるのだ。
「いつまでも魔法少女でなんていられない……! だって、綺麗な想いで、綺麗な心のままで、前だけを見ていられるのは、私たちが何も知らない少女だったからでしかない―――!」
救いたかったのは、魔法少女だけではない。
あらゆる願いを叶え、みんなを救いたかったから彼女は魔法少女になった。
だけどそんな夢物語は、いとも簡単に行き詰ってしまう。
誰かを助けるということは、誰かを助けないということ。
そんな当たり前の事から目を背けて。
助けなかったものを見ないから、彼女たちは魔法少女でいられた。
純粋で。優しくて。高潔で。頑張り屋で。自分の目に映るものを全部救うために手を伸ばせて―――自分の目に映らない範囲がどうなっているか深く考えない、子供らしい視野の狭さが、彼女たちを全てを救える奇蹟の存在でいさせてくれた。
「自分が何でもできる……! きっと誰だって助けられる魔法少女になれるだなんて……! あなただって、いずれ信じられなくなる! 私たちが魔法少女っていう奇蹟に縋れるのは、私たちが無垢な少女である間だけ! 知ってしまったら名乗れない……! 大人になったら魔法少女でなんかいられない! こんなもの……! 期間限定で見せかけだけ取り繕った、綺麗なだけの
切り捨ててきた。魔法少女の使命として、全てを。
自分も、親友も、何もかも犠牲にして、何もかもを救ってきた。
その結果が、いまのこの世界だ。
もう何を救うために何を切り捨てているかさえ、分からない。
「私たちは魔法少女になんて、なるべきじゃなかった……! あの世界が近づくごとに、私は私のそんな心さえ止められなくなる……! 他の魔法少女たちは全てあの世界に屈した! だって! もう傷つきたくない、そんな事になるくらいなら消えてしまいたいって想いは……! この世界に流れ着いた魔法少女みんなが想っていることなんだもの―――!」
ファースト・レディの心が慟哭する。
不思議とそれと噛み合って、少女の肉体を満たす力が奮い立つ。
魔法少女の終末の地と、剣群の荒野の癒着が加速した。
それを繋ぐ役割を強引に果たしている、クロエの体が軋みを上げる。
それでも、ファースト・レディは止まらない。止まれない。
守ってきたつもりだった。
辛い想いをした魔法少女を、せめて保護してきたつもりだった。
そうする事で、自分を保つことしかできなかった。
自分が綺麗なだけの魔法少女だなんて、彼女自身が一番信じられない。
それでも傷ついた魔法少女たちを守る事で、自分は今まで通りに多くのものを守り抜ける魔法少女なのだ、と誤魔化していた。
けれど、名前と一緒に辛い想いなんて捨ててしまおうと。
そう語り掛けてくる名無しの森に、誰も抗う事ができなかった。
それを選んだ魔法少女たちの気持ちが、分かってしまう。
彼女だって、本当はそのまま溶けてしまいたい。
でもそれを選んでしまったら、今までの犠牲はどうなる。
誰かに消されるまでもなく、彼女は自分の名前なんてとっくに忘却している。
そうまでしてこの世界を維持してきたのは何故か。
―――もっと早く、折れてしまえればよかったのに。
魔女に堕した友達を手にかけた時、心も死んでしまえればよかったのに。
自分の名前さえ失った時、魂が砕けてしまえればよかったのに。
ファースト・レディはそれでも。
そんな地獄の中で、それでも進んでしまえた魔法少女だった。
「それでも―――! 私は……っ、諦めない……!」
いつだって心を奮わせて、前に進むための言葉だった筈だけど。
いま、彼女が口にする『諦めない』はもう、自分の意志で『諦められない』だけで。
とっくに呪いと化した魔法少女としての誓いを胸に、彼女はまだ前だけを見据えた。
「その子を奪うつもりなら、あなたの事も排除する――――!
今までだってそうしてきた……! 守りたいものを自分で壊してでも、私は守るべきものだけは絶対に守り抜く……! もう、それしかないんだから――――!!」
涙を魔力の熱量で蒸発させて、彼女が前傾姿勢になる。
周囲に浮かべた剣群の中から二振り、両手に掴む。
射出と疾走を同時に行うと構えるレディの前で、イリヤは唇を噛み締めた。
「―――レディ……!」
「如何にただ飛ばしてくるだけでも、あの数の宝具が相手では物理保護ではどうにもなりません! それこそ、クロさんのように盾の宝具でもないと―――!
せめてセイバーかランサーのカードを
あれ、と。その言葉にイリヤが戸惑う。
そう。宝具の無数投射など、宝具でもなければ防げない。
分かっているのは何故だろう。
経験した事があるから? クロが宝具の盾で防いだところを、見ていたから?
一体いつ、そんな光景を――――
「……わたしのホルダーから、カードを……っ!」
美遊が体を必死に動かし、その足を何とかして持ち上げる。
彼女の太腿に巻かれたカードホルダー。そこには3枚のカードが入っている。
もう、そんな宝具投射をする相手との戦闘経験があるのに。
その直前から彼女たちは、カードを執行者と分割管理して持っていなかった筈なのに。
―――なら、このカードは。
と、横にブレそうになる思考を、美遊は頭を振って追い払う。
そんな事は後から考えればいいだけだ。
魔力を持つ人間や魔力で動くものがそれに触れれば、拘束される。
だからこそ、そこにタカウォッチとコダマスイカが飛び付いた。
魔力など関係ない、自律型の機械。
その礼装を完全に外す事はできない。
四肢と胴体に幾条も絡みついたそれは、一本二本どうにかしても意味がない。
だがホルダーからカードを抜きだせる程度になら、何とか。
リボンを掴み、思い切り引くコダマ。嘴に引っかけ、思い切り引くタカ。
拘束されたままの美遊も、彼らと反対方向へと足を引く。
そうして生まれる、ホルダー部分の隙間。
「お願い、します……!」
「うん、任せて」
そこに立香が指を差し込み、カードを纏めて引き抜いた。
彼女はそのまま流れるように、引き抜いたカードを振り向きざまに投げ放つ。
「イリヤ!!」
カードが投げ放たれた直後、レディが空中で凍結させていた宝具を動作させる。
発射される無数の剣弾。
一つ一つが宝具であるそれは、ただの一撃で物理保護があるイリヤの命にさえ届く。
そんな弾幕を前にして、イリヤは大きくステッキを振り上げた。
クラスカードに向けられたルビーが、力の解放のために魔力を漲らせる。
「イリヤさん、セイバーかランサーの
「
そう言い返し、彼女はそのままステッキを振り抜いた。
予想外の行動に困惑するような反応を見せるルビー。
分からない。なぜ、そう思うのか。
それでも確かに、彼女の心の中には確信だけがある。
だったらどうするのか、イリヤに答えはないはずだった。
けれど、確かにここにある。クロが彼女の中に残した感覚だけじゃない。
分からないはずなのに、確かな感覚を憶えている。
「
投擲されたカードがイリヤの目前にまでやってくる。
それを目掛けて突き出した彼女の手が、1枚のクラスカードと空中で交わった。
呼応して展開される大規模な魔法陣。
発動した儀式の余波として放たれる魔力の渦。
それを突き破って迫りくる無数の宝具を前にしながら、少女は叫ぶ。
「―――――
―――吹き抜ける黄金の風。それに揺らされる白い花弁。
魔力の嵐の中に生まれる、幻想的でさえある凪。
その直後、白刃が躍った。
黄金の光を曳いて舞う切っ先が、絶え間なく降り注ぐ剣群を切り払う。
数十、百に届こうかという宝具の雨が、全て斬られて霧散していく。
立ち昇る魔力の残滓。
黄金の霧越しに、二人の魔法少女が再び邂逅する。
「クラスカード、セイバー……!」
―――そんな、黄金の剣を持つ百合姫を前にして。
こみ上げる未知の感覚に、ファースト・レディが一歩後退った。
が、彼女はすぐに体勢を立て直して前に踏み出す。
「今更、なんなの……! あなたは……! 一体なんだっていうの――――!」
「わたしは……あなたと同じ、魔法少女」
少女が手にした聖剣を奮う。
唸る剣閃の風圧で、周囲に散った魔力の残滓が舞い上がった。
薄れて消えていく黄金色の灯、宝具の残照。
そんな淡い光に照らされて、白百合のドレスが酷く際立ち、輝いて見える。
騎士王の姿を借り受けた魔法少女。
彼女がポニーテールに纏められた髪を揺らしながら、強く立ち誇る。
「―――わたしは、イリヤスフィール・フォン・アイツベルン!!
まだ分からない事はいっぱいあるけど、一つだけ絶対にそうだってわたしにも分かった事がある。いま必要なのは……
救うためにずっと戦い続けてきた魔法少女を前にして。
いまなお魔法少女として戦い続けてる少女が、そう言って煌めく双眸を向けた。
―――魔法少女は、誰もがそうしてきた。
そうして多くの人を救い、救った人に利用され、願いを踏み躙られてきた。
ファースト・レディは、これからも続くその地獄の円環を誰より知っている。
魔法少女は願いの果てに、その輝きから程遠い深淵に葬られる。
何にも縛られず空を翔けていた希望は、やがて積み重ねられていく呪いの重みに屈して、飛べなくなって、立てなくなって、底なし沼のような絶望の中で溺死する。
それを誰より知っている原初の魔法少女が、慟哭するように叫び声を上げた。
「―――その想いが、そんな理想がいつか、あなたを奈落へ堕とす……!
その道の先にあるのは、地獄だけなのだから――――!!」
「―――堕ちない、堕とさせない。
この願いを呪いに堕とさないために、わたしたちは夢を見続けてる!
わたしたちは、誰よりも夢を
星の聖剣を両手で握り、彼女はレディと対峙する。
レディの赤い外套が翻り、それに呼応して無数の宝剣が奔った。
白のドレスがふわりと広がり、その動きに合わせて舞う白刃が全てを切り払う。
宿したカードは剣と弓。
その力を十全に行使するほどに力を漲らせた魔法少女が、衝突した。
ふわふわ時系列。
「子供の頃、僕は魔法少女に憧れてた」
「それは流石に諦めるしかないな……」
「僕は大人だから無理だけど、僕の夢は士郎が―――」
「爺さん。俺はならないし、なれないぞ?」
「ああ―――安心した」