Fate/GRAND Zi-Order   作:アナザーコゴエンベエ

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ザ・フィナーレ・オブ・ザ・フィナーレ2012

 

 

 

『下には大量のモンスター……恐らくジル・ド・レェだ!』

 

『海魔、とでも呼ぶべきかな? 恐らく彼の所持していた本。

 あの宝具の効果によって召喚された魔物だ』

 

 ロマンの声。彼に続けて、ダ・ヴィンチちゃんの声。

 崩れた城から身を乗り出して、立香が眼下に広がる光景を見下ろす。

 そこは既に、尋常ではない数の海魔が跋扈する異界と化していた。

 

「ドクター、なんであんなに出せるの!? この城にいた分の何百倍!?」

 

『―――恐らく、だけど。ジル・ド・レェはファヴニールの抜け殻を養分にしている。あの金色の竜が残した外殻部分を、海魔に摂取させ増殖させているんだ。ジークフリートに破壊されたとはいえ、竜という存在を飼料として使えばこの状況を作るのも可能だと思う。

 ……ただしそんなものを食わせてしまえば、ジル・ド・レェ自身でも海魔の制御はもう効かないだろう。あれは既に周囲のものを捕食するためのだけの存在だ』

 

 視界を埋め尽くす海魔の中に沈んだ竜の残骸は、既に欠片も見えない。

 捕食を止めるにはもう遅い。もう終えてしまっている。

 

「じゃあ……」

 

『ジル・ド・レェの宝具の停止以外にあれを止める手段はないだろう。

 宝具が発動している召喚魔術を破棄する方法があれば別だけど……実質、彼を完全退去させる以外に方法はない。だが、そのためには――――』

 

「この敵の中にいるジル・ド・レェを探す必要がある、ですか」

 

 海魔に埋め尽くされた地上を見て、苦渋を顔に滲ませるマシュ。

 

 マシュ、マリー、アマデウス、エリザベート、清姫。

 現状では戦力では、海魔の軍勢を相手取るのに火力が足りなすぎる。挙句、この中で火力が優れる清姫はほぼ戦闘不能。相応の殲滅力を期待できるのは、エリザベートひとりだけ。それだってここまでの消耗がないわけではない。

 

「ジル・ド・レェだって、あのブレスを食らって無事なわけないはず……」

 

『……彼は騎士とはいえ、この時代の人間だ。英霊としての格はそう高くない。サーヴァント化していても、神話に語られるほどのドラゴンの攻撃に直撃して、長々と保つはずがない。

 今の行動は殆ど、悪足掻きに近いもののはずだが……』

 

「―――でしたら、彼はきっとジャンヌのために余命を使うでしょう」

 

 ジル・ド・レェには、ジャンヌのような神秘による耐久の支えはない。

 いや。あの竜の息吹に直撃していれば、ジャンヌでさえ退去していてもおかしくない。

 そういったレベルの一撃だった。

 

 ならば、ジル・ド・レェが本来あれに耐えられるはずがないのだ。

 だというのに彼はまだこの時代にいる。あの海魔たちがそれを証明している。

 

 それが何のためか、という本質。それはきっとマリーの言葉通りだろう。

 白でも黒でも、どんな形であれ彼のジャンヌへの想いは本物だ。

 その想いが暴走して、この世界を滅ぼすための特異点を形作った。

 だが根底には、彼女への信奉と敬愛があることには違いない。

 

「だったら何を狙う……?」

 

「そりゃ君。一人でも多く彼女を生贄にしてのうのうと生きてる人間たちを殺す、だろうさ」

 

 アマデウスが何のことも無いように言い、城の外に見える一角を指さす。

 霞んで見える光景。そこには、人間と海魔の戦闘らしき光景が―――

 

 その瞬間、空中で戦いを繰り広げていたジオウがその近くに落下した。

 アナザーウィザードもそれを追い地上へ。

 付近の海魔たちを気にも留めることさえなく、戦闘行動を続けるアナザーウィザード。

 ジオウは近くの人間たちに気づいたらしく、動きが鈍る。

 そのまま一方的に追い詰められていく光景。

 

「まずい……ソウゴが……!」

 

 どうするべきか。いや、選択肢が飛行能力を持つエリザベートしかない。

 けど彼女一人だけであの海魔の腐海で何を―――

 その瞬間、空より無数の棘に分裂する槍が放たれ、大量の海魔たちが消し飛んだ。

 

「ランサーさんの宝具……!」

 

 周囲を一掃したランサーが更なる掃討に移る。

 それを見たソウゴが、アナザーウィザードとの戦闘に集中できるようになった。

 ランサーが海魔、ソウゴがアナザーウィザード。

 ならば立香達はすぐに、恐らくあそこにいる人間たちを狙いとするジル・ド・レェを追わねば。

 

「マリーさん、またあの馬車できる?」

 

「え? ええ、大丈夫よ。流石にそろそろ危ないけれど、この距離なら何とかしてみせるわ。

 でも敵まで全部どうにかするのは……」

 

「ならば俺の剣で風穴を開ける。その隙に進め」

 

 差し込まれる、竜殺しの声。

 振り返ってみれば、そこにいるのはジークフリートとゲオルギウス。

 全速力で城を上ってきた二人が合流する。

 

 即座に確認するようにジークフリートの目を向けると、彼は力強く頷いてくれた。

 

 ―――だが彼らは既に、ファヴニールと死闘を経てきたのだ。

 魔力は心もとないだろう。

 

「ジークフリートは宝具、あとどれだけ撃てる?」

 

「流石にもう二度三度全力で放てるような魔力はない。マスターの令呪があれば別だが……一度全力で放った後は、一体ずつ斬り伏せる程度の仕事しかできないだろう」

 

 バルムンクを握り締めながら、そう口にするジークフリート。

 まともに放てるのは後一度。だがそれで確かに切り拓いてみせる。

 彼は言外にそう口して小さく笑う。

 

「……じゃあ撃ってもらう。ここから飛び降りて、まずはジークフリートの宝具。それに開けてもらった道をマリーの宝具で、マシュとゲオルギウスに守られながら突っ切る。できるかな?」

 

『……ただあの海魔たちの狙いは、恐らく餌―――高い魔力だろう。呼び出したジル・ド・レェの意志がある程度反映されて、黒ジャンヌ……あの竜を守ろうとはするかもしれないが、それ以外の高い魔力は格好の餌と見られると思う。

 ジークフリート。キミが宝具を放てば、恐らく周辺の海魔は一気に押し寄せてくるぞ』

 

「つまり宝具を放てば道を切り拓き、かつ囮になれるということだろう?

 一度の宝具解放で得られる戦果としては上々だ」

 

 英雄がロマニの言葉に不敵に笑い返す。

 そう宣言されたロマニは軽く目を瞬かせたあと、少し困った風に口元を引き攣らせる。

 

「ありがとう。マシュ、宝具いけるよね?」

 

「はい!」

 

 マスターの声に応え、盾を握り直すマシュ。

 彼女たちの様子を見てから、真っ先にジークフリートが飛び降りた。

 怪物の氾濫する大地に向けて落ちていく大英雄。

 落下しながら呼吸を入れた彼が手にする魔剣から、エーテルの渦が迸る。

 

 彼に続くため、マリーが展開した馬車に乗り込む立香達。

 更にマシュとゲオルギウス、エリザベートが馬車上へと立つ。

 そうして準備を終えた馬車もまた、空へと飛び立つように壁から飛び出した。

 

「エリザベート、お願い!」

 

「分かってるわよ、このくらい……重っ!?」

 

 エリザベートの翼が羽ばたいて、馬車の天蓋を押さえつける。

 車輪が強引に城の壁に叩き付けられ回りだす。

 もはや崖から落ちるようなものだが、そんな状況を力尽くで疾走に変える。

 火花を散らして壁面を蹴る車輪が、馬車を更に加速させていく。

 迫りくる地上、大地を見据えて突き進む彼女たちの前で―――

 

 先に飛び降りたジークフリートが、地上へと降り立った。

 落下の衝撃で地表を割りながら、しかしその大英雄は揺るがない。

 姿勢を崩すこともなく、着陸した時点で既に体勢は整っている。

 

 構えた宝具には、既に彼が残していたほぼ全ての魔力が込められていた。

 着地と同時に振り上げられる魔剣バルムンク。

 噴き上がる神代の息吹が刃と成って。

 

 そうして、形成されるのは真エーテルで形成された魔剣の真骨頂。

 真名を解放し最大の一撃を振り下ろすまで、彼が地に下ろしてから一秒足らず。

 蒼色の魔力の迸り、魔剣が齎す黄昏が世界を覆う。

 

「“幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)”――――!!」

 

 一閃、振るわれた刃と同時に奔る極光。

 眼前に広がる海魔たちを悉く薙ぎ払う。魔剣より放たれた圧倒的な威風。

 それが彼方の目的地までの道を切り拓き―――

 

「“疑似展開/人理の礎(ロード・カルデアス)”ッ―――!!」

 

 次の瞬間、高速で落下してきた馬車の勢いを殺すための盾が開く。

 軋みを上げる馬車はしかし、その強引なまでの着地に耐え切った。

 下を向いていた馬首を目的地に向けなおし、硝子の馬は今度こそ正しく疾走を開始した。

 

 微笑み、それを見送るジークフリート。

 遠くなる馬車を見ていた彼が、すぐに表情を引き締める。

 

 無限に等しい数が溢れる海魔が、真エーテルの波動に惹かれだす。

 視界を埋め尽くしていた連中を消し飛ばしてなお、海魔に品切れはない。

 化け物たちはジークフリートの手にする剣を目掛け、集まりだしていた。

 

「これで魔力はほぼ尽きた。すまないが、今の俺は餌にしても大して腹は膨れないぞ。

 ……だが、まあ。それを残念に思う事はない」

 

 エーテルの残光を曳き、魔剣が唸る。

 大剣一振りで三匹、海魔が弾け飛び、溶解液が飛散した。

 ジークフリートの動きは止まらない。

 閃光そのもの、バルムンクの剣閃が海魔たちを次々となます切りにしていく。

 

「―――“竜殺し”と呼ばれる者は、全てを使い果たした先にこそ強さを試される。

 ファヴニールだったものを喰らって生まれたものどもよ。

 己が身をもって試してみるといい、俺が背負う事になった“竜殺し”という称号を」

 

 

 

 

 最後の疾走、限界を超えてももうあとはあの目的地まで保てばいい。

 その覚悟で魔力を燃やし、スピードに変えるマリー。

 

 そんな全力疾走する馬車を、横合いから極大の爆風が襲う。

 

「なに――――!?」

 

 悲鳴染みた疑問の声。

 確認のために視線を送った先では、アナザーウィザードが地上を地獄に変えていた。

 だというのなら、あのジオウはあの地獄の業火の中に沈んだのか。

 確認する―――ためには、繋がりをもつクー・フーリンもジークフリートもこの場にいない。

 

「ドクター……!」

 

『ッ、待ってくれ……! 今の攻撃の魔力の余波で、状況が……!

 少なくとも、ランサーもジークフリートもまだ戦っている……信じるんだ―――!』

 

 馬車に気づいたか、アナザーウィザードがこちらを振り返る。

 ゆったりとした動き。まるで最大の敵を排除したかのような余裕。

 そんな相手の様子に、立香が思わず顔を顰めた。

 

 ジオウを炎の渦に沈めた竜が、その翼が生み出す推力でもってこちらへと殺到する。

 対して、ゲオルギウスが即座に身を乗り出した。

 圧倒的な速度で迫るヒトガタの竜。

 それの突撃を守護聖人が正面から受け止めようとして―――

 

 竜と竜殺しが交差する直前、アナザーウィザードの体がバキリと割れた。

 

「ガ――――ッ!?!?」

 

 立香達のみならず、本人さえも驚愕に目を見開く事態。

 空中で急停止した怪物が苦しむようにもがき、身を捩る。

 

 直後、アナザーウィザードの目前に魔法陣が展開した。

 その中から飛び出してくる、黒いジャンヌを抱えた白いジャンヌの姿。

 

「―――ジャンヌ!? マリーさん」

 

「ええ! 今、馬車を回すわ!」

 

 馬車を引く硝子の馬のクイックターン。

 投げ出されたジャンヌに向け、馬車が盛大に揺れながら方向転換する。

 空を舞いながら体勢を立て直し、危うげなく馬車の上に着地したジャンヌ。

 

 動く様子のない黒いジャンヌ。

 そんな竜の魔女を抱いている彼女の顔は、憂いに満ちているように見えた。

 

「ジャンヌ、大丈夫!?」

 

「―――はい。ご迷惑をおかけしました。ですが、こうして……」

 

 表情を引き締めて、彼女は黒ジャンヌを抱きなおす。

 それに合わせ、だらりと揺れる一切の力を感じさせない腕。

 魔女には既に意識がないように見える。

 

 その様子を見て、ゲオルギウスが声をかけた。

 

「どうなされるおつもりですか?」

 

「最後の、決着を。どうか私につけさせてほしい」

 

 ジャンヌはそう言ってゲオルギウスを、立香を見つめる。

 彼女にとっての決着とは、恐らくいま向かっている場所でつけるものだ。

 

 ―――立香が首を縦に振る。

 そんな反応を見たゲオルギウスが苦笑し、馬車から飛び降りた。

 

「では、こちらの足止めは私がなんとかしましょう。せめてそちらが決着をつけるまでは」

 

「じゃあアタシも付き合うわ。なんか、話が難しくなってきたし。

 こっから先はアタシたちの出る幕じゃなさそうだもの」

 

 続いて降りるエリザベート。

 彼らが体が罅割れたアナザーウィザードの前に立ちはだかる。

 

 マリーがその様子に頷いて、前を見た。

 彼女の意志に呼応して、硝子の馬が再び疾走を開始する。

 目的地へ向け加速していく馬車を背に、竜殺しと竜の少女がそれぞれ武器を構えてみせた。

 

 体が崩壊していくのをアナザーウィザードは止められない。

 それを見たエリザが、呆れるように呟く。

 

「……って言っても、勝手に倒れちゃいそうだけど」

 

「そうだとよいのですがな」

 

「グ、ゥウウアアアァッ――――!!!」

 

 バラバラと崩れていくアナザーウィザード。彼は咆哮を轟かせると、自分の体に出来た罅の中に自分の腕を爪ごと突っ込んだ。一度突っ込んだ腕を引き抜くと、その竜の爪の間に―――アナザーウィザードウォッチがあった。

 

 瞬間、アナザーウィザードが砕け散る。

 人型を失って、竜へと回帰する怪物の姿。

 

 まるで自爆するような流れに、エリザベートが軽く眉を上げる。

 

「やっぱり! って、ドラゴンはまだ残るのね」

 

 アナザーライダーとしての契約者を、アンダーワールドを経由して奪還された。途中からは完全に体をアナザーウィザードラゴンが支配していたが、今の状態でこの体を維持することはできなかった。だから―――()()()()()()()()()

 

 彼は器用に爪を繰り、アナザーウォッチを起動する。

 

〈ウィザードォ…!〉

 

 そうしてウォッチを放り、大口を開けて呑み込んだ。

 その瞬間、竜の体は大きく変化して再びアナザーウィザードへと変貌する。

 

 ―――だが、カラーリングは金色ではない。赤色だ。

 彼を金に染めていた()()が、同時に奪還されてしまったから。

 取り戻さねばいけない。彼の、絶望から湧き出す無限の魔力を。

 

「結局戻るのね、けどちょっと弱くなってる?

 色にゴージャス感が足りなくなったものね」

 

「軽口はそこまでに。来ます――――!」

 

 今すぐ目の前の敵を排除して、契約者を取り戻す。

 そのために、アナザーウィザードが暴れ狂う。

 

 

 

 

「ジャン、ヌ……ダルク……!」

 

 目の前の生前のジル・ド・レェを潰すこともなく、ただ茫然と声を上げる。

 その目はどちらのジャンヌ・ダルクも見ていた。

 白い聖女は動かなくなった黒い聖女を抱えながら、ジルにゆっくりと歩み寄る。

 

「おぉ……! おぉおおお……!!」

 

 悲嘆の叫び。

 

 今自分が串刺しにされていることさえ忘れたように、彼もよろよろと彼女たちの方へ歩み寄っていく。その手は黒いジャンヌの方へ差し出され、悲哀の感情に戦慄いているように見えた。

 もはや用無しと投げ出されたジルが地面に転がった。彼にも一度視線を向けた聖女が、道半ばで足を止める。

 

「……ジル・ド・レェ。最後に一つ、貴方に訊きたいのです」

 

「―――――」

 

 ジャンヌが足を止めたように、ジルもまた足を止める。

 彼を見る彼女の目には、けして責める色合いは浮かんでいなかった。

 

「……復讐を私は望んでいなかった。だが、貴方は望んだ。

 それはそれでいいのです――――けれど、()()()()()()()()()()()?」

 

 ジル・ド・レェの息が止まる。

 

「貴方の手により絶望の中に生み落とされた少女。

 彼女に、何かを選ぶ権利は与えられていましたか?

 ―――いえ。貴方は、彼女にそれを与えましたか?」

 

 ジャンヌの視線が下に向き、自分が抱いた少女を見る。

 ジル・ド・レェに望まれて生まれた少女。

 彼の憎悪を晴らすために望まれた復讐者。

 

「私は望んで死地に向かった。けれど彼女は全てが死地から始まった。

 それが……貴方の望んだジャンヌ・ダルクだったのですか?」

 

 復讐を望むはずだ、と彼は言う。

 あのような裏切りが許されるはずがない、赦していいはずがない、と。

 だからこそ、ジャンヌ・ダルクの復讐を代行するジャンヌ・ダルクを願った。

 

 ―――ジル・ド・レェは。

 己の憎悪を晴らすためだけに、救われない少女を一人生み出した。

 

「それ、は……」

 

「ええ、私ならそれでも選ぶでしょう。始まりが死地であっても、きっと平和のためにと命を燃やすことを厭わない。

 ……なのに。そのジャンヌ・ダルクの異常性を否定し、復讐に走った貴方が。なぜ、それを他に誰かに押し付けてしまったのですか? 他ならぬ、貴方がジャンヌ・ダルクならざるジャンヌ・ダルクなれと願った少女へ」

 

 ジャンヌ・ダルクは復讐など望まない。

 だから、復讐を望むジャンヌ・ダルクを願った。

 ―――ジル・ド・レェは、この世界に。

 最初から。始まりから、既に蹂躙されていた聖女だったものを生み出した。

 

 他の何でも止められぬ、と感じられたジル・ド・レェの狂騒が止まっている。

 この機しかない、と。

 人であるジルが、彼の胴体に突き刺さったままの剣を掴もうとして―――

 

「ジル」

 

 その聖女からの懐かしい呼びかけに、動きを止めた。

 振り向けば、彼女は小さく首を横に振っている。

 

 ―――それに従い、ジルが動きを止める。

 

「……ジル・ド・レェ。貴方が復讐を志したことより。この国を焼いたことより。もう一人の私を作ったことより。

 私は……かつて小娘でしかなかった私をあの時導いてくれていた貴方が、今の彼女を導こうとしてくれなかったことが―――何より、哀しい」

 

 彼女の言葉に、ジル・ド・レェの膝が落ちる。

 限界を執念で凌駕していた彼の姿が、魔力に還り始める。

 

 ジャンヌ・ダルクを炎に沈めた者どもを呪った。

 その呪いを晴らすために―――地獄の中に、ジャンヌ・ダルクを生み出した。

 彼女の身を焼いていた憎悪は、ジル・ド・レェによって与えられたもの。

 貴女をその地獄に堕とした者どもを呪え、と。

 

 彼が何より誉れとした聖女の似姿を持つ少女に、聖女と同じ苦しみを与えた。

 彼の憎悪を晴らさせる、そのためだけに。

 

 ジャンヌ・ダルクは憎悪しない。

 だが彼は、彼女にジャンヌ・ダルクの名を与えた上で憎悪しろと言った。

 ジャンヌ・ダルクであって、ジャンヌ・ダルクではないもの。

 彼女は自分さえ定かではなく、地獄の中で彷徨う迷子の少女だった。

 彼がそうしてしまった。

 

 ―――私にいつかそうしてくれたように、貴方にはそんな少女を導くことができたはずなのに。

 

 怒るでもなく。憎むでもなく。憐れむでもなく。

 そんな迷子の少女の顛末を、ジャンヌ・ダルクは哀しんだ。

 

「――――……あぁ、なんと。

 どれだけ言い訳しようとも、私も所詮貴女を見捨てた凡愚の一人であったか……」

 

 憎悪のままに少女を一人生み出して。

 そうして生み出されたジャンヌ・ダルクを前にして、それでも顧みることさえなかった。

 自分が与えた彼女の苦しみを慮ることさえしなかった。

 

 かつて自分を導いてくれたフランスの誉れ、騎士の鑑。

 そう言って、己を誇りとして語ってくれる聖女。

 

 だが彼は今回、少女の抱いていた苦しみに目を向けさえしなかった。

 ジャンヌ・ダルクを火刑に処した者たちと同じように。

 彼女をただ苦しめ、それを当然のように見過ごしていた。

 

「それでも、まだ……この身を焦がす後悔は今なお、この心に焼き付いているのです……私はあの時、貴女のために剣を執るべきであったのに――――」

 

 ―――ああ、また見過ごしていた。

 彼を狂わせるほどに精神を焼き尽くした、聖女を殺す炎を。

 

 ジャンヌが誉れとしてくれた騎士はもういない。

 彼女の命を見捨て、信仰を唾棄し、その似姿までも苦しめた。

 

「……あの時の貴方は、それを私が望んでいないと想いを汲んでくれただけでしょう」

 

 ジャンヌの視線が、人のジルへ向く。

 彼女を見返すことができず、彼は小さく視線を逸らしてしまう。

 静かに消えていくジルは、半ば炭化している両腕を大きく天へ掲げた。

 

「おお、天にまします我らの父よ―――この罪、全て我が心より生じたもの。

 この身は幾度地獄に焼かれても構いませぬ。だがせめて神よ……彼女は、その御許へ……」

 

 最後に彼は、動かない黒い聖女を見つめながら消失した。

 ()()()の消失に続き、ジャンヌの腕の中にあった黒い聖女も消えていく。

 

 そこに残されたのは、超魔力の水晶体。

 聖杯だけ。

 

 それを手にしたジャンヌが、祈るように目を瞑る。

 ゆっくりと瞼を開いた彼女は、既にその瞳に哀しみを残してはいなかった。

 

「ジル。貴方は散らばってしまったフランス軍を率いて、この地をできるだけ離れてください。

 まだ超常の戦いは終わっていません」

 

「ジャンヌ……! わたしは……!」

 

 自分の心情を吐き出そうとしたジルをジャンヌが手で制する。

 

「この邂逅は、本来ありえないもの。

 ……私は貴方が生きるこの先に、幸福があるようにと祈っています」

 

「ッ、―――はっ! ありがとうございます、ジャンヌ・ダルク。

 私は散った部隊を再編し、一時撤退します……!」

 

 サーヴァントであるジルの乱入により瓦解したフランス軍。

 それを纏められるのは、彼しかいない。

 彼が走り去るのを見送るジャンヌの背中に、マリーが声をかける。

 

「……本当にそれでいいの? ジャンヌ」

 

「ええ。例え特異点の修正が終われば夢と消える光景だとしても……

 いえ、消えてしまう光景だからこそ、私が彼に残すべき言葉はありません」

 

 彼女が手の中に納まった黒ジャンヌだったもの。

 聖杯へと視線を送る。

 

『よし、聖杯は回収に成功した! この特異点はこれで修正可能だ……って!?』

 

『ふむ。これは一時的にあの竜が聖杯そのものである黒ジャンヌと融合していた影響かな?

 まだ所有権をこちらが完全に確保できていない。

 つまり、あのドラゴンを倒して初めて、私たちが聖杯戦争の勝者と認められる、ということだ』

 

 そのダ・ヴィンチちゃんの声に次いで、通信先が俄かに騒々しくなる。

 うん? と首を傾げた立香が声をかけようとして―――

 

『ゲオルギウスとエリザベートが振り切られた―――!

 黒ジャンヌが聖杯に戻ったと知って、完全に聖杯の確保を目的に動い……!』

 

 瞬間、赤い閃光が戦場に奔った。

 狙いはただ聖杯を所持しているジャンヌ・ダルクのみ。

 前方に突き出した竜の爪を、彼女の霊核に向けて突き出す必殺の構え。

 

 それを咄嗟に旗で受け止めようとするジャンヌ。

 その行動こそ間に合ったが、踏ん張り切れずに彼女は大きく弾き飛ばされた。

 片手で聖杯を持っているが故、旗を支えていたのは片手だけ。

 あまりの衝撃に耐え切れず、旗が手放されて。当然のように、聖杯もまた――――

 

「し、まっ……!」

 

 宙を舞う水晶体。

 マシュが、マリーが、それを追おうとするが、誰よりアナザーウィザードこそが近い。

 

 再び彼が無限の魔力を得るために、それへと手を伸ばす。

 あとほんの数センチ、それで指先が触れる。

 

 ―――そんなタイミングで聖杯の直下の地面が爆発した。

 

 土塊を浴びるアナザーウィザード。

 彼は一瞬だけ驚き、しかし聖杯を得るために手を伸ばす。

 だがその手は、何も掴むことなく空ぶった。

 

「悪いけど、これは渡せない」

 

 加速が止めきれず、アナザーウィザードが突き抜けていく。

 聖杯の確保を失敗したことに、竜が雷鳴のような唸り声を響かせる。

 

 地表を爆破し地中から出現したのはジオウ。

 その体を覆うウィザードアーマーには、いまだ赤熱した様子が残っている。

 手に聖杯を乗せて全身から白煙を上げるその姿。

 彼を見た立香が、その名を叫んだ。

 

「ソウゴ――――!」

 

「うん、大丈夫。忙しくて返事できなかったけど、ロマンたちの通信も聞こえてた」

 

『なるほど……炎を避けて地面に潜り、そのままこっちまで来たってことかい?』

 

「まあ避け切れてなかったけど」

 

 ジオウが地中から飛び出してきたときにキャッチした聖杯を眺める。

 減速して空中で止まり、振り向くアナザーウィザード。

 聖杯を奪われた彼が発する怒りが、身を焼くほどに伝わってくる気さえする。

 

 彼は元から、この聖杯が生んだ黒ジャンヌとファヴニール、そしてアナザーウォッチの力で生まれたものだ。

 だからこそ、それは自分のものだ。みたいな主張自体があるなら、理解できないわけではないな、と彼は思う。

 

「これが黒ジャンヌ、だったんだよね」

 

「……ええ、そうです」

 

「そっか。そうなんだ……」

 

 体勢を立て直したジャンヌが答えてくれる。

 そうか、と彼は聖杯を手にしたままアナザーウィザードに向き直った。

 

「じゃあアンタ、この力を持つのに向いてないよ」

 

「グゥウウッ――――!」

 

 理性なき暴竜にかける言葉。果たしてそれを理解できたからか否か。

 アナザーウィザードはジオウに向けて、翼を用いて加速した。

 

 放たれる爪による斬撃。

 それを半身になって躱し、胴体へと蹴りを叩きこむ。

 それに構わず、むしろ蹴られた勢いで回転を加速して放たれる竜の尾。

 振り抜かれる尾による打撃に対し、掌を前に出す。

 コネクトで呼び戻されるジカンギレードが、竜尾と激突して受け止めた。

 

 だが、勢いを殺しきれずに押し込まれる。

 即座に相手の尾を受け止めているギレードを支点にし、ラッシュテイルを飛び越えてしまう。

 そのまま相手の胴に斬撃を一度。

 直撃を受けて火花を散らし、アナザーウィザードが蹈鞴を踏む。

 

 押し返された竜が唸り、ジオウを―――彼の持つ聖杯を睨んだ。

 

「さっきまでさ。これ、アンタの中にあったのに。

 アンタ、たったあれだけの絶望(ちから)しか出せてなかったでしょ。

 これは―――もっと強い希望(ちから)なのに」

 

 相手の視線を吸い寄せている聖杯を持ち上げて。

 そう言ったジオウの周囲に、聖杯から巨大な魔力が放出されていく。

 溢れる魔力が、四色の光と変わって周囲に降り注ぐ。

 

 その魔力の奔流を前に、アナザーウィザードが一歩退いた。

 

「これに触れてると、何となく伝わってくるんだけどさ。黒ジャンヌがどんな想いだったかとか。どれほど自分になりたいって願ってたかとか。

 ―――もし、この力に正しい使い方があるとするなら、あの願いを叶えてあげること……絶望を希望に変えるために使うことが、正しいことなんだと俺は思う」

 

 聖杯の放った魔力とともにジオウが空中へと舞い上がっていく。

 

 逃げるべきだ、と竜の本能が叫ぶ。だがあの聖杯を取り戻さねば、この身の発端であるファヴニールが聖杯由来である以上、竜の存在はいずれ消え去ることになる。

 内なる弱気を噛み砕き、竜はジオウを追って飛翔した。

 

「グゴァアアアアアアアッ――――!!」

 

〈フィニッシュストライクゥ…!〉

 

 聖杯さえ取り戻せれば、魔力は取り戻せる。

 その判断をしていたかどうかさえ定かではない。

 だがアナザーウィザードはその身に宿した全ての魔力を振り絞り、ジオウへと突貫する。

 

 胸部のドラゴンの頭が足裏へと移動していた。

 咆哮を挙げるドラゴン。そこに全魔力が集中し、白い輝きとなって迸る。

 全ての魔力を放ちながら、光の矢と化してジオウへと殺到するアナザーウィザード。

 

 それを待ち受けながら、ジオウがドライバーにセットされているウォッチのスターターを押す。

 

「魔法は、きっと誰かを幸せにするためのもので―――

 そしてライダーの力は、誰かを守るためのものだ。ウィザードの力で悪い絶望(ユメ)を生み出すお前に、これは……使っていい力じゃないんだ――――!!」

 

〈フィニッシュタイム! ウィザード!〉

 

 ジオウの周囲に四つの魔方陣が展開される。

 赤い魔法陣、火のエレメント。

 青い魔法陣、水のエレメント。

 緑の魔法陣、風のエレメント。

 黄の魔法陣、地のエレメント。

 

 それら全てが生み出す力が、ジオウの足へと集中していく。

 ジオウの手がドライバーのリューズを叩き、そのまま回転させた。

 

「これで―――終わり(フィナーレ)だ!!」

 

〈ストライク! タイムブレーク!!〉

 

 四色の光を収束した蹴撃が、輝ける竜の突撃を迎え撃つ。

 全ての魔力を絞りつくした白い輝きが、四色が混じり合う輝きと衝突する。

 

 ―――拮抗は、一瞬。

 

 衝突した端から竜が砕かれていく。

 真っ先に頭部が砕け散り、ぶつけ合った足と胴体を粉砕してジオウの姿は地上まで突き抜ける。

 

 激突の末、空中に残された竜の残骸。

 翼と爪と尾の破片。それらが完全なる敗北に従うように、爆発四散した。

 爆発の中で、排出されたアナザーウィザードのウォッチもまた砕け散る。

 

 蹴り抜いた姿勢のままで着地、地面を削り飛ばしながら減速。

 自身が蹴り放った熱量に悲鳴を上げるように、ジオウの脚部からは白煙が吹いている。

 

 やがて地面の上で停止した彼が振り返り、空中の爆炎を見上げる。

 その姿勢のまま、仮面の下でソウゴ小さく息を吐いた。

 

「ふぅー……」

 

 そうして、やっと終わったとばかりに背中からばたりと寝転がる。

 こちらに向かってくるみんなを感じながら。

 

 

 


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