「あ、頭痛ぇ~・・・」
フード付きのマントを深く被り、腕と足を組みながら馬車に座る男はボヤく。その声は馬の蹄のたからかな音にかき消され、一見すると眠っているようにも見える。
「飲みすぎなんだよバンは!おかげでずっと僕は暇だったじゃないか!」
男の呟きは奇妙なことに返答があった。馬車に乗っているのは男と運転手だけだ。だが、運転手はそこそこの年齢をしたおじさんであり、返答があった声は十代くらいの女の声だ。もし、運転手がそんな声を出したのなら、あまりのギャップに唖然とするだろう。
「おい・・・あまり大きい声出すな、頭に響くだろ」
バンと呼ばれた男がそう言うと、マントの中がもぞもぞと動く。ついで、ぱっと何か小さい物体が顔を出す。
「あー!あー!あーーーーーー!!!」
「お前ふざけんなよ!耳元でギャーギャー騒ぐんじゃねー!・・・うぇ」
声の発信源は手のひらサイズの小さな人間だった。背中には四枚の羽が生えており、妖精(ピクシー)のようにパタパタと振るわせて空中を闊歩する。赤い髪を可愛く頂辺で団子状にに纏められ、肌は透き通るように白い。
「やべぇ、二重の意味で酔った。フィーナ・・・何か袋とかないか・・・?」
「え!?まさか吐く気なの!?やめてよね!僕の主(マスター)が馬車で吐くなんて恥ずかしいじゃないか!」
体を前方に折り、しきりに荒い呼吸をたてて、懸命に嘔吐しそうになるのを堪える。その姿がかなりひどく運転手までもが心配をする。
「お客さん大丈夫かい?なんならここらで止まろうか?間違っても馬車の中では吐くなよ。汚したらクリーニング代請求するからな」
そう馬車が汚れるのを心配する。なんとかといった様子で「大丈夫です」とだけ答えると、呼吸を整える為に深く深呼吸を始めた。
「すーはー。すーはー。すー「ドン!」はぅ!」
「うわっ。ちょっとおじさん!いきなり止まると危ないだろ!・・・ってバン!?」
「くっ、ん。・・・・あ、危うく吐き出すところだった・・・・・」
突然の衝撃で喉元まででかかったモノを胃へ押し戻すことに成功。危うく残り少ないお金を使わずに済んで、バンは内心安堵の息を吐く。
「わ、悪ぃ。大丈夫か?」
「何があったのさ?急停止なんかして。・・・まさかわざとお金を取るために止まったなんて言わないよね」
フィーナがジトっと睨む。
「おいフィーナ、それじゃ失礼だろ。前見ろ前」
馬車の数メートル先では円状にかなりの数の人垣ができていた。そのため馬車が通るようなスペースがなく、一時停止を余儀なくされていた。
「うわぁ。これじゃ通れないじゃんか。どうする?他の道から行こうか?」
「いや、待て。なんか様子がおかしい。一旦降りるぞ。じゃ、俺たちはここまででいいんで」
腰に吊るされた袋から、硬貨を数枚取り出して運転手に渡すと、サッと馬車から飛び降りる。
地に足を付けると、若干体をよろめかせる。
「あーあ。だらしないなぁ。ほら、早く行くよ。何が起こってるか確かめるんでしょ」
「ちょっと待て、三十秒だけでいいから」
「待たなーい。置いてくよー」
ひらひらとフィーナが飛んでいき、馬車も来た道を戻り、ポツンと残されるバン。自分から降りると言っておきながら、やっぱりそのまま馬車で行った方が良かったかもなどど後悔するが、最早後の祭りだ。
フードで顔色は伺えないがかなりしんどそうである。
「バーン!!早急に来てーーー!!!」
人垣の奥からフィーナの慌てた感じの呼び声が聞こえる。
崩れ落ちそうになる体を一歩ずつフラフラと歩きながら、人垣をかき分ける。
「遅いよ!いや、それよりアレ!やばいんじゃない!?」
上空から戻ってきたフィーナは、円の中心に指をさす。その方向を辿り視線を向けると、片手にナイフを持った覆面と銃を持った二人の覆面、そのナイフを首に当てられて拘束されている女性、取り囲むように銃を持った兵団。
「なんだこりゃ?」
「いや、見て分かれよ!どう見てもあの女の人が人質だろ!」
「で?今どんな状況だ?」
「言ったじゃん!?女の人が人質にされて兵団の人たちも手が出せないんだよ!あの三人が悪人!分かった!?」
「よし、じゃあ助けるか。フィーナ、頼むぞ」
「ああーもう、分かったよ。かなり酔いが酷いのがね・・・!」
バンは円の中心に向かって歩き出す。その足はフラフラとまだ覚束ない。人垣から数メートル出た所で気づかれる。
「おい君!なにやってるんだ!ここは危険だ、早く離れて!」
「てめぇ、何近づいてるんだ酔っ払い!」
兵団の一人と銃を持った覆面の男が同時に叫ぶ。それでも尚、足を止めることなく覆面の男達の方へと近づく。その距離僅か四メートル程。
「それ以上近づくなよ!ちょっとでも動いてみろ!その頭に銃弾ブチ込むぞ!」
そう言われてやっとピタリと足を止める。
「マントを脱げ。ただし妙なマネはするなよ。お前もこの女も、命の保証はできねぇからな」
「ひっ・・・!」
ツーっと女性の首から一滴の血が垂れた。
言われるがまま、バンはマントを脱ぎ捨てる。バサッっとした音とともに表れた素顔。太陽は丁度、人垣ができている広場の上空を通り過ぎようとしていた。顔を遮るものがなくなり、光をモロに受けてしっかりと全容が伺える。
浅黒い肌に黒い髪。漆黒の瞳。十代半ば頃の顔つきで、険悪な表情は酔いの為かはたまた怒りからか。
その姿を見た瞬間、その場にいるほとんどの人物が驚愕、嫌悪、恐怖、憤慨、軽蔑などの表情を浮かべた。だが、誰一人として好意的な者はいない。
「お前黒人か!?うわ、近寄んな汚らわしい!そんな醜い姿見せるんじゃねぇ!!!」
ナイフを持つ男がバンに向かって罵声を浴びせる。次いで―――バァン!と銃声が響いた。銃弾は覆面の男の一人が持つ銃から飛び出し、バンの足元で弾ける。
突然の出来事に兵団も警戒を強めた。
「お前みたいな人種はこの世からいなくなれ!!!同じ空気を吸ってると思うだけで反吐がでるぜ!!!」
今の世の中ではこのような光景も珍しくはない。黒人は昔から白人に奴隷として扱われ、同じ人間と見られてはいなかった。当然、黒人には人権はないとされ、家畜同然の生活を強制し、束縛し、無理強いを課す。それが数百年続いた迫害と差別の時代があった。それも決して遠い出来事ではない。今でこそ法的に表向きにはなくなったものの、その根深い差別は続いている。
「分からん」
辺りからもコソコソと侮蔑めいた声がそこらかしこで上がっていた。兵団も、最初は覆面の方に警戒していたものを、バンにも警戒の色を見せ始めている。
「俺は昔からそういうことは慣れっこだけどよ・・・お前達がそれを言うか?」
ポリポリと後頭部をかきながら、心底呆れたようにバンは言葉を紡ぐ。これだけの差別を一心に受けながら、さほどの動揺もない。自分で言っていたように慣れているからなのか。
「ああ!?喋ってんじゃねぇ!ブラック(black)の癖にそんな権利あると思ってんのか!?」
聞く耳持たずと言った感じで、銃を持った男がスタスタとバンに近づき、こめかみに銃口を突きつける。いつ撃ってもおかしくない状態だ。
(ふー、だいぶ覚めてきたな。このところ運動不足だったし、やってやろうじゃねーか)
バンは会話を続けることを早々に諦め、集中するために瞳を閉じた。周りからは、自分の命を諦めた風に写ったかもしれない。
バンは左目に熱い感覚が宿るのを感じながら、決戦の合図とも言える言葉を呟いた。
『連結(リンク)!』
パッと目を開くと、そこには黒く澄んでいたはずの左目が真っ赤に輝いていた。瞳自体が光を帯び、炎のように揺らめく。
いきなり声を荒らげたバンに驚いた男は、咄嗟に銃の引き金を引こうと指先に力を入れようとした。その時、上空で騒然たる音量の叫び声が轟く。
「がぁあああああああああ!!!!!」
その場にいる全員が何事かと空を見上げた。
―――それはほんの数秒の出来事だ。
上空を見上げた者は、太陽の光により目がかすみ、反射的に目を閉じる。
その瞬間。バンは隣の男の鳩尾(みぞおち)に見事な拳骨を喰らわせると、次いで銃を奪い取り発砲。銃弾は覆面のナイフの甲に辺り、手から弾き飛ばし、数メートル先にまで飛来。
その後、四メートル程の距離を瞬時に縮める。そこでやっと視界が回復した銃を持つもう一人の男が、バンに向かって三発撃つ。だが、その前に前蹴りで銃を持つ腕を蹴飛ばした為、銃弾は上に向かって飛んで行った。驚愕で固まったそいつに、蹴った足を戻しつつもう一方の足で股間に飛び蹴り。最後は女性を拘束している男が、まだ先ほどの衝撃で手の痺れが抜けていないうちに、数秒前の自分がされていた感じで、こめかみに銃口を当てる。
「動くなよ」
端的に勝利宣言を告げる。そこには慈悲もない冷徹なものだ。男は顔をしかめると(覆面のせいでしっかりとは分からないが)女性から手を離した。女性は兵団の方へと駆け込み、すぐさま安全な場所に誘導される。鳩尾と股間を押さえている男二人も身柄を確保されていた。
「さっきお前、俺に醜いとか汚いとか見るだけで苦しむ腐敗物とか言ってたよな」
「いや~そこまでは言ってなかったと思うよー」
羽を羽ばたかせながら降りてきたフィーナが突っ込みつつ、バンの肩に着地。ポテっと座り込んだ。
銃口を突きつけられてる男は何も言わず、キッとバンを睨み続ける。
「俺はよっぽど、こうやって人に危険や迷惑を与えているお前らの心の方が汚いと思うぜ。これは持論だが、物事を見た目で判断することは愚か者のすることだ。外見も立派な価値観の一つだが、それだけを信用するのは、本質を理解できず、偏見や先入観に惑わされ、前へ進む道を閉ざすぞ。高級レストランで出てきた料理が凄く豪華で色鮮やかでも、いざ食べてみると、実際の味がそこらの大衆料理と変わらなかったら嫌だろ?」
「う、う~ん?例えがなー?」
「うるせぇ。ま、これに懲りたらこんなこと辞めるんだな。あと、俺は細かく言うとブラックじゃねーよ。ムラートだ。白人と黒人のハーフな。肌の色だって黒っていうより茶色に近いだろ?これだけでもお前らが、見た目に惑わされてる証拠だ」
そう言って親指を自分の顔に指差すバン。
「わ~、凄いドヤ顔」
「あ、あれは!」
兵団の方から驚きの声が上がる。まさか、他にも仲間がいたのかとバンとフィーナは辺りを見渡すが、どうやら声を上げた人物はバンを注視しているようだ。強いて言うなら、そのバンの手だろうか。
「手袋持ち(ガントレット)・・・!夜会の参加資格!!」
「え!?あいつが!・・・本当だ!つまり、あのヴァルプルギス上位百名に入ってるってことか!!」
次々と驚嘆する声が後を絶たない。覆面の男も、これには目を見開いていた。
「あ、これはヤバイ」
何故かフィーナに至っては顔が青ざめていた。
「ってことは、あの小さい子が、自動人形(オートマトン)!?」
「バカ言え!上位百名だぞ!もっと凄いのがあるに決まってるだろ!」
歓声がピークに迎えそうな頃、今まで喋らずに聞いていたバンが右腕を上空にかざした。全員に見せつけるように、高らかに声を張り上げる。
「ハッハッハ!そうだ!俺が第50位、登録コード
「ぎゃあーーーー!!!」
フィーナの顔が凍りつく。顔色も蒼白になっている。
まず、バンが吐いた。
殆ど汁っぽい嘔吐物は、明らかに許容量を超えた飲酒によるものだということは疑いの余地もなく、今の大声で限界を超え、体が拒否反応を起こし洗いざらいぶちまけたということは、容易に想像できる。
それを公共の場で、大勢の前でやってしまった。
そして一番の問題は、吐く前に名前を明かしたことである。民衆は目を丸くして視線をバンに釘付け状態であった。そんな中で胃の中全てを巻き出すつもりなのか、未だに吐くことを止めないのだから、もはや始末に負えない。
嫌な予感をフィーナは感じていたが、まさか予想の斜め下を野球のフォーク並に突っ切る結果には愕然とするしかなかった。
「きたねぇ!!!!寄るな!こっちに来るんじゃねぇ!そして、そんな気持ち悪いものを見せるなぁああ!!」
「おい、うぐっ・・・!・・・そういう・・こと・・・・見た目で判断するなっ・・・っげぇ・・言っただろ」
「ゲロのどこがキレイなんだよ!!どこをとっても汚いだろうが!!!」
人種や身分以上に、一人の人としての威厳は、この広場では失くなっただろう。民衆は、最初にバンの姿を見た時の顔色を取り戻しつつある。中でも特に多いのは軽蔑だろうか。
「ほらバン!これ着て逃げるよ!!」
脱ぎ捨ててあったマントをバンに覆い被せ、頭をどつくフィーナ。
「ちょっと待て・・・。十分でいいから」
「待てるかァ!!!少しは僕の気持ちも考えてよ!!!」
ゲシゲシと一切手加減なしにバンの後頭部を蹴りまくる。小さいとはいえ、今のバンにとってその衝撃はかなりの有効打だった。頭の中で巨大なベルが響くような錯覚を覚える。
「分かった。分かったから蹴るのヤメロ!」
奪った銃と覆面の男を兵団の方に投げわたし、急いで撤退を始める。ただし、銃には少しだけ吐しゃ物がついていたので誰も受け取ることはなかった。
「この国の人間は礼儀正しいよな。すんなりと道を譲ってくれるぜ」
「ひゃぶんバンにしかづきたくないひゃけだと思うひょ・・・」
そういうフィーナも、もみじのような手で鼻先を抑えながら距離を保って飛んでいる。
そうして、全力疾走すること二十分。バンたちが通うヴァルプルギス王立機工学院に着くまで、道行く人に奇怪な目で見られたのは言うまでもない。
「最悪の一日だったな」
「それは僕のセリフだよ・・・」
「ま、でもお前がいて助かった。よく見えてたぜ」
「そりゃどうも。まぁあんな一般人相手に負けるようならこの先やってけないしね」
「ああ、俺は夢の為なら泥を食おうが、片腕一本なくなろうが、どんなことでも受け入れて見せるぜ」
「だからって、吐くことはないだろ。お陰で僕はいい迷惑だったよ」
プンと頬を膨らませるフィーナが、バンの頭に座る。
「早く魔王(ワイズマン)になって、差別のない世界にしようね。みんなが笑って過ごせるように」
その声は安らかだが、バンの心に響く強い言葉だった。
「そうだな。『約束』したしな」
互いに顔が見えない位置にいるが、なんとなく考えていることは同じなような気がした。どちらからともなく笑い出すと、二人は口並み揃えて言うのだった。
「「んじゃ、飯にしますか!」」