そこに現れたのはかつての英雄の名を持つ少女だった--
かつて四国の地は滅亡の危機に瀕していた--
西暦の時代、突如として空から災いが降ってきたのだ。街を壊し、人を貪り、全てを蹂躙尽くされ絶望に打ち拉がれる中、大社と呼ばれる組織、そして"勇者"と呼ばれる湊友希那達5人の少女が誕生し、天からの災い--バーテックスを殲滅すべく立ち上がった。
しかし、バーテックスが持つ強大な力に1人ーーまた1人と勇者はその命を散らし、人類は天の神に赦しを請い後の世を生きていく事となり、大社も大赦へとその名前を変えた。
終末戦争--
後にこう呼ばれる聖戦に人類は敗北したのだ。そして残された神の加護を受け、四国の周りには植物の根のようなもので出来た巨大な壁で覆われ、籠の中で生きていくようになった。
当初人々は再び起こるかもしれない恐怖により、怯えて生きていく者も少なくなかった。しかし、時が経てばその恐怖も薄れ、平穏な日常を取り戻し、何不自由無い生活にその身を浸していった。
神世紀29年--
大赦は壁の外に関する記録を全て検閲し、"勇者"も雲の上の存在と認識されるようになっていった。そんな仮初の平和が訪れた四国に、再び勇者の名を持つ少女が現れる--
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神世紀29年7月、嶽山山頂--
黄昏の空気が満ちた山頂に佇む鳥居。その下に1人の少女が立っていた。ブロンドヘアーで猫の耳の様な髪型、花の髪飾りをつけた少女は後ろを振り返り、やって来るもう1人の少女に微笑んだ。
?「待ってたよ。良く私の言葉の意味を理解して此処まで辿り着いたね。」
それが芙蓉香澄と倉田ましろの出会いの瞬間だった。
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時間は数時間程前に遡る--
その日の朝もいつも通りに倉田ましろは目を覚ます。夏の暑さが部屋中を包み込んでおり、起きるといつも汗だくになっていた。
倉田「……そろそろエアコンつけた方が良いかな…。」
身支度を済ませキッチンへ行き、パンを焼いてベーコンと卵で軽い朝食を作った。テレビをつけると、丁度天気予報をやっているところだった。
テレビ「今日の天気は快晴。日中の気温は30度を越えて真夏日になる見込みです。また、大赦の発表によれば、神樹様と海上の壁に異常はありません。」
テレビを聞き流し、パンを食べながらましろは学校から貰った志望校調査票の用紙を見る。用紙はまだ空欄のまま。ましろは取り敢えず用紙に日付を書き込み名前の欄で手が止まる。
神世紀29年7月2日 倉田--
倉田「……………はぁ。」
数秒書く手が止まる。軽い溜息をついて再び名前を書き始めた。漢字で。
倉田香澄--
香澄--
それがましろの"本当の名前"--
ましろは香澄という名前が嫌いだった。何故ならあたかも"特別な存在"であるかのような"印"だったから。だから普段、友達にはましろという別の名前で呼んでもらうようにし、友達もましろの思いを汲んであげていた。
倉田(特別な名………か。私は全然そんな存在なんかじゃないのに…。)
そんな事を思っていると、母親が自室から大きな欠伸をしながら出てきた。
倉田母「おー、おはよう、香澄。」
倉田「ご飯出来てるから、顔洗ってきてね。」
倉田母「はいはーい。」
母親が顔を洗っている間に朝食をもう1人分作っておいた。暫くして洗面所から戻ってきた母親の顔は、目の下にクマが出来ており、目も充血していた。
倉田「昨日、夜遅くまで起きてたの?」
倉田母「原稿の締め切りが近くてね。でも、明日で終わるから。」
ましろの母親の職業は翻訳者。西暦の海外の文献ーー小説から論文まであらゆるジャンルを日本語に翻訳する仕事である。その為作業が夜遅くまで続く事もザラにあるので、朝食はましろが作っていた。一緒に朝食を食べていると、母親が机の上に置いてあった志望校調査票に気がついた。
倉田母「志望校?もうそんな季節だっけ?」
倉田「目標は早めに決めておいた方が良いんだって。参考程度だけど。」
倉田母「そっか。まぁ、公立でも私立でも好きなところを目指せば良いよ。お金の心配はしなくてもいいから。」
倉田「…………うん。」
背中を押してくれる母親の言葉に頷き、ましろは学校へと向かうのだった。
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通学路--
いつもより少し早めに出たので、まだ始業まで時間があった。ましろは通学路の途中にある琴弾公園へ立ち寄った。琴弾公園は有明浜に接している為、朝早くでも散歩をしている人の姿も多い。ましろは水平線に目を向けた。視界の端から端まで、長く大きな"壁"が四国を取り囲むようにそそり立っている。
西暦2015年--
突如として海に出現し、瞬く間に四国を取り囲み四国は外界と隔絶された。それ以降、壁の外に出た人間は"勇者"と"巫女"と呼ばれる特殊な女性だけだと言われている。
ましろの本名でもある"香澄"は、今から30年程前、バーテックスと言われる化け物から四国を守った勇者の1人に倣って名付けられたものであり、生まれた際に特別な所作をした人に与えられる名前だ。
ましろは浜辺に座り込み、再び志望校調査票を見て溜息をつく。
倉田「はぁ………。」
倉田(進学するより、私は"力"が欲しい。)
しかしその力について問われても、ましろは答えられないだろう。
倉田(1人で生きていける力?)
物心ついた時にはましろの家には父親はいなかった。理由を尋ねても、大人になったら教えると言われごまかされてしまう。
倉田(何をもって大人になったっていうんだろう?)
1人で子供を育てるという事は、大変だった筈だ。世間からの目や風当たりの悪さも多少なりともはあっただろう。しかし、ましろの母親には"力"があった。語学が堪能で何カ国語も使い熟す事が出来たからだ。神世紀になって以降、翻訳者の数は激減し、母親が持っていた"力"は重宝され、生活が出来る程の収入を得る事が出来ていた。
"力"が--"お金を稼ぐ力"があったから、ましろの母親は1人で堂々と生きてこられ、ましろを女手1つで育てる事が出来たのだ。
"力"があれば困難な道でも歩いていける。逆に"力"が無かったら、ちょっとした事で躓いて惨めな人生を送らなければならない。
倉田(私は"力"が欲しい--進学なんてしてる暇があったら、私は"力"を得る為の行動をしたいんだ。)
倉田「ふぅ………。」
今日だけで何回溜息をついたか分からない。結局、調査票には何も書く気が起きなかった。ましろは立ち上がり砂を払って学校へ向かった。
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月ノ森中学--
ましろが通う学校は月ノ森中学校。しかし四国各地の地名が、近いうちに変更されると言われている為、この中学校も名前が変わると言われていた。ましろの友達曰く、花咲川中学校になるとの噂。
校舎に近づくと、ましろの目の前に突如1枚の紙--いや、大量の紙が花びらの様に空から落ちてきた。
倉田「………え?」
出所を辿りましろは上を向く。すると校舎の屋上の縁に立った小柄な少女が、紙を撒いていたのだ。人形の様に整った顔に、少し赤みがかかったブロンドヘアーで猫の耳の様になっているのが特徴的。遠くからでも分かる程の美少女だった。しかし、ましろのその予想は一瞬で裏切られる。
?「倒行逆施!壁と神樹と勇者にまつわる真実の深淵は、私達から遠ざけられている!私達は目を隠された愚民じゃない!深淵を覗くか覗かざるか選択するのは私達であるべきだ!深淵に臨む志を持つ者達よ、私の元に来て!!」
その口から発せられた言葉は、その美少女っぷりを打ち消して余りある程、訳が分からないものだったのだ。
倉田「な、なんだろう………。」
そう思いながら見ていると、教師2人が屋上に姿を現し、捕まってしまった。
?「や、やめろーーー!私は弾圧になんか屈しないよ!非暴力不服従!」
抵抗する少女を叱りつけながら、教師達は連行していってしまった。
倉田「なんだったんだろう…。」
呆気に取られながら、ましろはその少女がばら撒いていた紙を手に取り見る。
『求む!大人達の妄言綺語に抗わんとする者達!連絡は"勇者部"まで 080-××××-×××』
という内容が書かれてあったが、意味が分からなかった。見なかった事にして、その紙を捨てる事も出来たが、ましろは何故かその紙をカバンにしまうのだった。
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放課後、体育館--
クラスメイト「芙蓉さんだよ、それ。今朝騒ぎになったチラシのばら撒き事件でしょ?」
女子バスケ部の友達が休憩中に今朝の屋上の少女について教えてくれた。
倉田「芙…蓉……?」
クラスメイト「知らない?うちの学校じゃ結構有名だよ。二年生の芙蓉香澄さん。」
倉田「え………香澄!?」
奇しくも全く同じ名前だった。あの英雄の名前を持つ人が自分以外にもいた事にましろは驚く。
クラスメイト「まぁ、ましろが気付いてなかったのも無理ないかも。一年の時は学校にあんまり来てなかったし、その時は大人しい子だったんだ。二年になってから学校にも毎日来るようになったんだけど、あんな変な事言うようになったのは、ここ一ヶ月くらい前からかな。なんでも"勇者部"とかいう同好会みたいなものを作って、壁がどうのとか、大赦がどうのとか言い出したの。」
倉田「変なんだね……。」
クラスメイト「だろうね。でも、ましろが芙蓉さんに気付いてなかった理由って、ましろの性格のせいでもあるよね。」
倉田「どういう事?」
クラスメイト「ましろって、他人への興味が薄そうだもん。」
倉田「…………。」
言い返せなかった。薄々自分でも分かっていたからだ。だが実際それは違かった。ましろは自分の事でいっぱいいっぱいだった。どうすれば"力"を手に入れられるか、そればかりを考えている。だから自分と同じ学年にどんな人がいるか等考えた事もなかった。
クラスメイト「私も芙蓉さんの事あんまり詳しくないけど。」
倉田「そっか……ありがとう。」
ましろは踵を返して出口へと向かう。
クラスメイト「練習していかないの?」
倉田「しないよ。私、バスケ部じゃないから。」
クラスメイト「試合にだって出てるのに。」
倉田「それはバイト。一試合千円のバイト代を貰ってるもん。」
ましろはバスケ部ではないが、時折頼まれてバスケ部の試合に参加する事があった。試合に勝ったら、バイト代として千円貰う密約を部長と結んでいたのだ。同様にバレー部とテニス部でもバイトをしている。
クラスメイト「ましろなら、トップを目指せる素質があるよ!それに"香澄"だし!」
倉田「…………。」
睨み付けるましろ。クラスメイトは少し怯えたように頭を下げて謝った。
倉田「"香澄"って名前だけで特別な力がある訳じゃないのに…。」
"香澄"は特殊な理由があって名付けられる名前。だから、"香澄"の名を持つ人は、何か特別な"力"がある筈なのだ。実際殆どの人がそう思っている。勇者の活動を知っている30代以上の人は、特にその思い込みが強いし、もっと若い人でも無意識に"香澄"の名前を特別視している。
しかし、"香澄"という名前が付けられる理由は、生まれた時にたまたま逆手を打っただけの事。特別な才能や能力がある訳じゃない。
倉田「何でもそつなくこなせるだけだよ、私は。」
人より若干運動神経が良いだけ。たったその程度の事。バスケだってバレーだってテニスだってましろより上手い人は沢山いるだろう。特別な"力"では無い。最後にましろは一つ質問をする。
倉田「………あのさ、芙蓉香澄さんには、何か特別なところはあるの?」
クラスメイトは少し考え、
クラスメイト「見た目がすっごく可愛いってところ、かな。」
またましろは溜息をつき体育館を後にするのだった。