詩船達はトンネル内の暗い道を戻っていく。香澄は歩きながら、傷の血を服で丁寧に拭っていた。血が苦手なレイの為だろう。
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バス--
バスに辿り着いた詩船達は、同行者達に化け物を探知するレイの力が本物だった事を告げ、加えてこの先の崩落の事も伝えた。
詩船「明石海峡大橋で四国に入るルートは諦めるしかないか…。」
レイ「………すみません……。」
高嶋「レイヤちゃんが謝る事じゃないよ!あのお化けが出てくるのはレイヤちゃんのせいじゃないから!」
詩船「他に本州から四国へ渡るルートは2つある。瀬戸大橋か、しまなみ海道かだ。この2つだと瀬戸大橋の方が近い。そっちに行こう。」
詩船はバスを走らせ、瀬戸大橋の方へと向かうのだった。
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道中、コンビニ--
暫くバスを走らせ、詩船は無人のコンビニにバスを停める。ここで詩船とレイが3時間ずつ交代で仮眠を取る事にしたのだ。6時間のタイムロスにはなるが、必要な時間だった。2人はここまで殆ど寝ていない。みんなの足となるバスを運転出来る詩船、化け物を探知出来るレイ。化け物を倒せる香澄と同様に、2人も重要な役目を担っている。少しのミスが全員の命取りとなる為、充分に能力を発揮出来る状態にしておかなければならなかった。
詩船「もし化け物の接近を感知したら、すぐ叩き起こしてくれ。」
レイ「分かりました。」
そう言伝し、詩船はバスのシートを倒して仮眠を取った。
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3時間後--
時間きっかりに詩船は目を覚ます。窓の外は未だに暗かった。バスの中を見ると、同行者達の殆どが外に出ているようだった。車内に残っているのは、70歳ぐらいの老夫婦に医者の青年、幼い少女、そしてレイだけ。レイはケースから楽器を取り出し少女に歌を聞かせていた。
詩船「何やってるんだい?」
レイ「え!?あ、いえ……。」
声をかけると、起きてきた詩船に気付き、気不味そうに顔を伏せる。レイの代わりに少女が答えた。
少女「おうたをうたってもらってたんだ。」
楽しげに少女は答える。
詩船「へえ……。」
レイ「はい……少しでもこの子の気晴らしになればなって…。」
少女「あとね、おねーちゃんはえもうまいんだよ!」
そう言って少女は詩船にスケッチブックに描いた絵を見せた。
詩船「ほう、上手いじゃないか。地図を描けるだけじゃなかったんだな。」
レイ「………はい。」
目を合わせずレイは返事をする。どうやらレイは詩船の威圧感を感じ取っているようだった。
少女「おねーちゃんはしょうらい、えほんをかくひとになるんだって!」
詩船「そうなのかい?」
レイ「えっと……はい。本当は音楽もやっていきたいんですけど…。」
詩船「良いじゃないか。夢を持つ事は良い事だ。今はこんな状況だが、安全な場所へ避難出来て、普通に暮らせるようになったら、また絵を見せてくれ。」
レイ「っ!?…………ありがとうございます。」
詩船がそう言うと、レイは驚いた様な顔をし、照れ臭そうに頬を染めた。
詩船「さあ、今度は和奏が仮眠する番だ。ちゃんと寝れる時に寝ときな。あの化け物を感知出来るのは和奏だけだからね。」
そう言って詩船はバスから降りようとすると、レイが声をかけた。
レイ「詩船さん、香澄ちゃんの事で……。」
詩船「高嶋がどうかしたか?」
レイ「香澄ちゃんが……出来ればあの化け物とあまり戦わないようにしたいんです。仕方ない時もあるんですけど……。」
詩船「どうしてだ?」
レイ「香澄ちゃんの体…傷だらけなんです。香澄ちゃんはあの化け物を倒せる力があるけど…………戦ったら傷付きます。香澄ちゃんみたいな小さな子が傷だらけになってまで戦うなんて………。」
詩船「…………確かにそうだ。」
ここにいるのは家族でもないし友達でもない。ただの他人だ。他人の為に自分の命を掛けて化け物と戦う子供など普通はいない。
詩船「分かった。私も出来るだけ高嶋が戦わないで済むよう気をつける。」
レイ「ありがとうございます。」
詩船「さあ、さっさと寝な。3時間後に起こしてやるから。」
レイ「あの…。」
詩船「何だい?まだ何かあるのか?」
レイ「私の事はレイって呼んでくれませんか?」
詩船「………そうかい。じゃあ、これからはそうするよ。」
レイ「ありがとうございます。」
レイは少しだけ柔らかい微笑みを浮かべた。それは詩船が初めて見たレイの笑顔だった。
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駐車場--
詩船はバスから降りると、タバコを取り出し火をつける。
詩船(やはり………ある程度までなら人と仲良くなるのが上手いと我ながら思うね。)
少し会話をすれば、レイも多少なりとも詩船に心を開いてくれた。しかし"ある程度"以上には決してならないだろう。そもそも2人とは相性が良くない。香澄やレイは善良な人間だが、詩船はそれとは程遠い人間なのだから。
高嶋「はあ!えいっ!」
駐車場の奥から香澄の声が聞こえた。よく見ると、香澄は武術の練習をしているようだ。
詩船「練習か、香澄。」
声をかけると、香澄は少し驚いた様な顔をした。
詩船「ん?どうかしたか?」
高嶋「香澄って……。」
詩船「え?」
高嶋「今まで高嶋って呼んでたのに、さっきは香澄って……。」
先程レイから下の名前で呼んでくれと言われた為に、何となく香澄の事もそう呼んでしまったのだ。
詩船「嫌だったか?」
高嶋「いえ、良いですよ!私も詩船さんって呼んでますし!」
詩船「そうか。」
高嶋「そう言えば、詩船さんは何か格闘技でもやってたんですか?」
詩船「ああ。護身術として身につけた程度だ。
高嶋「詩船さんは凄いです!詩船さんの言った通りに戦ったら、凄くあのお化けを倒しやすくなりました。」
詩船「年齢的に考えても多分私の方がお前さんより格闘技を習ってた期間が長いだろうし、試合以外での実戦経験も多い。だから状況に応じた戦い方が分かるってだけだ。」
詩船はある程度要領良く生きているが、それでも詩船の生き方には敵を作る事も多かった。格闘技はそんな自分を守る為に習い始めたのだ。実際、絡まれたりする事も多かったし、喧嘩をする事も何度かあった。
詩船「そう言えば、レイが香澄の事を心配していたぞ。あまり戦わせたくない、とね。レイの言う事も一理ある。子供が大人を守る為に危険を冒して戦うのは、あまり良い事では無いしな。普通は逆だ。」
高嶋「でも、私しかあのお化けを倒せないみたいですから。私だって戦うのは怖いですけど……それでも他の人を守れるんだったら戦います。」
その一言に詩船は内心かなり驚いていた。高嶋香澄という少女は物事の中心に自分を置いていないのだ。本当は足がすくむ程の怖さでも、他人を守る為に自分を犠牲にして立ち向かう。誰かが傷付くのなら、自分が傷付いて他の人を救おうとしているのだ。この少女は本当に子供なのだろうかと常々思う。
詩船「どうしてお前さんはこんな妙な子供になったんだろうね。」
高嶋「妙なって……ひどいです。変なのかな、私。」
詩船「そうだね。普通の子供なら、お前さんみたいな行動は出来ないさ。親と逸れて、化け物と戦って………普通は泣いたり喚いたりするくらいしか出来ない。」
高嶋「私は体を動かす事くらいしか出来ないですから……。変な事が起こって、お化けも出てきて、凄く困った事になってますけど、私は頭が良くないから考えてもどうすれば良いか分からないですし、ひたすら体を動かそうって思ったんです。」
詩船「……………。」
高嶋「私の家の近くに神社があるんです。そこの神主さんが言ってました。"人はいつか死ぬ。悲しい事は誰にでも起こる。長い人生も短い人生でも、自分にいつどんな事が起こっても、後悔しない様にいつも一生懸命に生きなさい。"って。なんだか上手く説明出来ないですけど、戦う事が私の一生懸命。私は詩船さんみたいに車の運転は出来ないし、レイヤちゃんみたいにお化けの居場所は分からないから。」
話を聞く程に香澄の精神性は常軌を逸している事が分かる。強いから化け物相手に立ち向かえるのでは無い。立ち向かえる心があるから香澄は強いのだろう。ベクトルは違うが、その異質な内面に詩船は一種の親近感の様なものを感じ取るのだった。
詩船「…………香澄は友達が少ないだろ。」
その言葉は今までの香澄を見てきた事による推察から出たものだった。この少女は生まれてこの方全員を分け隔てなく大切にしてきているのだろう。だが、それは裏を返せば誰も大切にしていないと同義だ。"大切にする事自体を大切にしてしまっている"のだ。だからその行為の向かう先である相手を香澄は見失っているのかも知れない。
高嶋「え?うーん……どうかな…分からないです。」
詩船「私には分かるさ。私にも友人はいないから同じ様なものだけどね。」
高嶋「詩船さんは友達がいないんですか?」
詩船「ああ。」
そう答えると、香澄は少し考えて手を差し出して言った。
高嶋「私は詩船さんと友達になりたいです。」
その行動に詩船の口角が少し上がる。
詩船「そうかい、ありがとね。」
詩船はその手を握る。今まで詩船は誰かとの友人関係が長く続いた事はなかった。きっとこの関係も長くは続かないのだろう。
しかし、考えるとこうした"何日も友人と一緒に旅行する"という事は初めての経験だった。それならば、今まで築いた事のない関係を香澄やレイと築いていけるのかもしれない。香澄の心は凄く繊細だと感じる。ならばいつかこの子にも、それに相応しい"本当の親友"というものが出来るかもしれない。
レイ「詩船さん!香澄ちゃん!!」
バスの中で仮眠していた筈のレイが焦りながらバスから出てきた。
レイ「あの化け物が近付いてるみたい!すぐに逃げないと!」
そう言った途端、道路の向こう側から白い化け物が姿を現した。香澄はすぐ大声で駐車場やコンビニにいる同行者達に向けて避難の指示を出す。
香澄の声を聞いた同行者達は慌ててバスに戻って行く。詩船もバスに戻りエンジンをかけ、いつでも発進出来る状態にしていた。しかし、1人の女性が声に気付くのが遅れ、化け物はその女性に狙いを定めたのだ。
高嶋「はぁぁぁぁぁっ!!」
香澄が走り出し、手甲を付けた拳で化け物を攻撃する。レイに戦うなと言われたのに、結局香澄は戦ってしまう。
香澄は化け物の一体を吹き飛ばし、女性を連れてバスの方へ歩いていく。
レイ「香澄ちゃん!」
心配で香澄に駆け寄ろうとバスから降りてきたレイ。それを見た香澄は慌てて叫んだ。
高嶋「レイヤちゃん、来ちゃダメ!!」
襲われそうになった拍子で転んでしまった女性は足を酷く擦りむいていたのだ。皮が破れ、拭っても血が止まらない。
レイ「あ…………。」
それを見た途端、レイの顔は青ざめ、ガタガタと震え始めたのである。
レイ「ああぁ、はぁっ………す、すみません、すみません!私の……私のせいで……はぁ………はぁ……!」
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運転席から近いバスの出入り口付近で、レイが青ざめて蹲っていた頃、詩船は車内にいる一部の人達からの強い視線を感じていた。黒シャツ男やその取り巻き達のものだった。その視線に込められていたものは怒りや苛立ち、焦り、不安、焦燥感といった負の感情。
とりわけ黒シャツの男は同行者の中でもかなり強いストレスに晒されているようだった。彼は元々バスの進みが遅い事に苛立っていた上に、これまでに三度も化け物に襲われている。しかもそのうちの一回は、危うく死にかけたのだ。
あの時の事が理由で、黒シャツの男は詩船に対しては憎悪も抱いているだろう。彼が抱えている感情は、少しでも突けば爆発しそうな程に膨張している。
詩船(……………今はまだやめておこう。まだまだ旅は長いんだ。)
そういう人間を見ると煽りたくなるのが詩船の癖だった。だから詩船は争い事に巻き込まれやすい。
ふと頭の中に夕焼け小焼けのメロディが浮かんでくる。しかし、それが流れたところで詩船達には帰る必要がないし、帰る場所もない。
彼女達は何処に向かっているのだろうか--