外伝3部5話。
目を閉じると蘇るあの日の光景。自分の身勝手な行動で大切な人が死んでしまったあの日の光景。
何も出来なかった自分が嫌だった。神様は残酷だ。何も出来ない自分を生かしたのだから。
レイ(私は凡人だ--)
レイ(平凡な両親の間に生まれ、平凡な家庭で育ってきた。特別な過去なんて無いし、特別な秘密だって無い。特別な能力も無い。)
レイ(私は凡人だ--)
レイ(絵に描いた様な凡人だ--)
レイ(香澄ちゃんとは違う。詩船さんとだって違う。あの日、白い化け物が現れた日、私は大切な人を助ける為に何も出来なかった。)
レイ(化け物の居場所を感知する力だって、香澄ちゃんの化け物を倒す力に比べたら、全然特別なんかじゃない。)
レイ(香澄ちゃんだったら、きっと私のお父さんとお母さんを助ける事が出来たんだろう。詩船さんだって化け物を恐れずに、的確に立ち回れる頭脳と運動能力を持ってるから、助ける事が出来たかもしれない。)
レイ(あの2人は特別だ。どうして私は香澄ちゃんや詩船さんみたいに特別じゃないんだろう?)
レイ(どうして私は特別じゃないんだろう?)
レイ(どうして私はこんなにも力が無い凡人なんだろう?)
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マイクロバス、車内--
詩船「両親が化け物に殺された?」
高嶋「はい……。」
瀬戸大橋へ向けてバスを運転しながら、詩船は香澄と話をしていた。レイは気絶する様に眠っている。今まであまり寝ていなかった上に、"血を見る"という苦手な行為によって精神的に摩耗したのだろう。
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レイ「あ…………。」
レイ「ああぁ、はぁっ………す、すみません、すみません!私の……私のせいで……はぁ………はぁ……!」
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あの時の、怪我をした女性の流血を見たレイの反応は、余りにも過剰に思えた。血が苦手な人は珍しくない。しかし、レイの血に対する反応は、単純な苦手とは一線を画すものだった。
詩船が香澄にその事を尋ねると、香澄は言いづらそうに目を逸らす。話すよう促すと、香澄は仕方なく話し始めるのだった。
高嶋「レイヤちゃんのお父さんとお母さん……あの白いお化けに殺されたみたいなんです。私は亡くなってるところを見た訳じゃないんですけど………初めて私がレイヤちゃんに会った時、レイヤちゃんは血塗れで、目も虚で……目の前でお父さんとお母さんが白いお化けに殺されたって……。」
以前詩船は、レイから香澄と出会った時の事を聞いたが、それとは話の内容が違っていた。レイはあの時自分の両親が殺された事は話していない。
目の前で起こった両親の死という悲劇--
レイの血に対する異常な恐怖心は、これが原因なのだろう。2人が話していると、医者の青年が詩船に話しかけてきた。
青年「すみません、そろそろ……。」
医者である青年はここまでの移動中ずっと同行者達の健康状態を気遣っていた。こうしてこまめに休憩を挟んでいるのはこの青年の提案だった。
詩船「ああ、そうだね。」
詩船は近くのコンビニの駐車場にバスを停車させる。ここ暫くは約30分毎にバスを停めて休憩を取っていた。
女「ねえ、また停めるの?」
運転席付近に座っていた茶髪の女が不満げな声で尋ねてくる。
青年「私達の中には高齢者や怪我人もいます。出来る限り、休憩を取りながら移動するべきですよ。」
医者の青年は優しく諭す口調で説明するが、女は反論した。
女「でも、それじゃあ四国に辿り着くまでにどれだけ時間が掛かるか分からないじゃん。出来るだけ早く安全な場所に行って、バスから降りて休めるようにした方が体にも良いんじゃないの?」
彼女の言う事も決して間違ってはいない。休憩を挟みながらゆっくり進む事、休憩を取らずに早く目的地に着く事。どちらが良いかは今の時点では分からないからだ。
青年「私は医師としての判断を--」
詩船「私の判断だよ。」
詩船は青年の言葉を遮った。
詩船「このバスを運転してるのは私だ。どういう方針で進むかは私が決定する。不満があるなら、降りて一人で行けば良いさ。」
そう告げると、茶髪の女は口をつぐみ黙り込むのだった。
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コンビニ内--
詩船はバスから降り、コンビニに入った。奈良を出発してから、既に3日以上経っている。奈良を出立してから生きている人間には一度も出会っていない。しかし、コンビニの棚を見ても、商品は殆ど残っていなかった。休憩の度に、こうしてコンビニやスーパーに立ち寄っているが、ここ暫くは店内に物が殆ど残ってない事が多くなっている。
蛇口を捻ってみても水すら出ない。食べ物が無くても最悪人は耐えられるが、水が無ければ人は1日すら耐えられない。このまま四国へ着くのが遅れれば、食糧不足は死活問題になってくるのは目に見えていた。
コンビニのバックヤードに足を運ぶと、先に来ていた黒シャツの男とその取り巻きが、残っていたペットボトルの飲み物をスーパーの袋に詰めている。
詩船「他の人の分も残しておくんだね。」
男「分かってる。独り占めする気はねぇよ。」
詩船が釘を刺しながらミネラルウォーターを3本取ると、男は不満げにそう答えるのだった。その瞳は黒く濁っており、人を殺しそうな目をしているのが側からでも分かった。
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マイクロバス、車内--
詩船はバスに戻る。休憩時間は、それぞれが自由に過ごしているのだが、ここ数時間は休憩になってもバスから外に出てくる人が減っているようだった。疲労が蓄積して、外に出るのさえ億劫になっているのかもしれない。
詩船「香澄。」
ペットボトルを1本香澄に手渡す。
高嶋「ありがとうございます。」
詩船「流石のお前さんでも疲れが溜まってきたか?」
高嶋「あはは…はい。でも、なんだかそれだけじゃなくて……。」
乾いた笑いを浮かべ、何かを言いかける香澄。
詩船「何かあったか?」
高嶋「気のせいかもしれないんですけど、なんだか変なんです。バスに乗ってる人達が……。」
詩船「変?」
詩船は運転中は運転席から動けない為、車内全体の動向を把握する事が出来ない。しかし、香澄は時々バスの中で席を移動し、他の同行者とも話をしているようだった。
高嶋「休憩中でも、外に出たがらない人が増えてるんです。」
詩船「そうだね。それは私も分かっていた。ただ単に疲れが溜まっているだけじゃないかい?」
高嶋「なんだか、それだけじゃないみたいなんです。疲れてるというか……"外に出る事を怖がってる"みたいで…。」
香澄の言う事が正しいなら、疲れているとは話が違ってくる。確かに化け物を怖がり外に出ないという事は心理的には理解出来る。だが、奈良を出立したばかりの頃は、外に出る事を"怖がる"人は1人としていなかった。
詩船(私が気付いてないところで、何かが進行してるのか……?)
空を見上げて詩船は呟いた。漆黒の空は何も答えてはくれない。
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ガソリンスタンド--
そこからまたバスを走らせる事30分、詩船はガソリンスタンドにバスを停車させた。燃料補給の為だった。バスを停めた振動でレイが目を覚ます。
レイ「ここは……?」
詩船「バスの中だ。お前さん、意識を失って倒れてたのさ。そんな長い時間じゃないがね。バスはまだ兵庫を抜けてない。」
高嶋「レイヤちゃん、大丈夫?水を飲んでね。詩船さんが持ってきてくれたから。」
香澄はレイにミネラルウォーターを手渡した。
レイ「ありがとう……。」
バスの中にいた数人が外へ出て行くが、香澄の言った通り、以前より外出する人が減っていた。バスに残っている人は、殆ど全員が暗い顔をして俯いており、窓の外さえ見ようとしていない。
詩船「レイ。起きてすぐに悪いが、この辺りにあの化け物はいるかい?」
レイ「えっと……いないと思います。多分………。」
詩船「だったら暫く寝ておけ、香澄。お前さんがいざって時に力を発揮出来なければ、私達は全滅だ。」
高嶋「……はい、分かりました。」
香澄はレイの事を心配しているようだったが、自分の役目は自覚していた。香澄はシートを傾けて目を閉じる。
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詩船は燃料補給の為外へ出た。空は相変わらず暗い。燃料補給の準備をしているとレイがバスから降りてきた。
詩船「バスから降りて大丈夫か?」
レイ「はい……まだ、気分は悪いですけど。」
詩船「気分の問題じゃない。バス内にいる人達が、外に出る事を怖がり始めているからね。」
レイ「そうなんですか…?」
詩船「ああ。奈良を出立した頃には、そんな症状は無かった。人の心は予測が出来ない。お前さんが両親の死について嘘をついたのも、どういう心理か分からないしね。」
レイ「…………香澄ちゃんから聞いたんですね。」
詩船「ああ。香澄はあまり話したくなさそうだったが、私が強く訊き出した。両親を目の前で殺されたんだってね。」
燃料を補給しながら詩船は尋ねると、レイは口を開くのだった。
レイ「……はい…………。あの白い化け物が現れた時…避難場所を確認しに行くって言った時、夜だったから両親に止められたんです。それも当然でした。避難場所に指定されたのは家の近くの学校だったから、確認する必要も無かったし、奈良では他の地域ほど大きな災害は起こってませんでしたから………。夜中に外に出る必要はなかった。普通に考えれば分かる筈なのに、あの時の私は………どうかしてたんです。」
詩船「…………。」
詩船は燃料を補給しながら黙ってレイの話に耳を傾けている。
レイ「どうしても外へ出ようとする私に、両親は根負けして、3人で外へ出ました。」
詩船「娘が勝手に出て行こうとするのなら、両親はついて行こうとするだろうね。」
レイ「3人で外へ出て……学校の近くに来た時…地震が起こって、あの化け物が現れたんです。その化け物は私の目の前で大きな口を開けて……お父さんは私とお母さんを逃す為に私達を突き飛ばして……………--」
レイは目を閉じる。目を閉じれば今でも鮮明にその時の光景が目に浮かんでくる。
レイ「お父さんの身体は噛み砕かれ…骨も内臓もぐちゃぐちゃでした。悲鳴の様な声を上げながら、逃げろって叫んでたんです。私とお母さんは、お父さんの口や裂けたお腹から出た血を被って………お母さんは私に逃げろって言って、私は逃げて……お母さんは、お父さんを助ける為に、あの化け物に向かって行って………助けられるわけないって分かってるのに………。」
詩船「そうか……。」
レイ「結局私だけ生き残りました。両親は私に付き添っただけなのに……あの夜、私が外に出ようとしなければ……お父さんとお母さんは死ななくてよかったかもしれない…私のせいで………。」
詩船「あの夜は全国各地に化け物が出てきていた。別にお前さんに同行していなくても、化け物に遭遇していた可能性は高い。」
レイ「…………………。」
詩船「香澄の手甲--あれを身に着けた時、香澄は身体能力も高まっているらしい。私も試しに着けてみたが、何の変化もなかった。あれは香澄専用なんだろうね。香澄が使うからこそ、化け物に致命的なダメージを与える事が出来る。あの手甲を見つけたのはお前さんなんだろ、レイ?」
レイ「…………はい……。」
詩船「両親のお陰でお前さんが生き残ったから、香澄に手甲を渡せたんだ。香澄が化け物を倒す事で、沢山の人の命が救われてる。ここにいる人達は、香澄とお前さんに命を助けられたんだ。両親の犠牲で、多くの人が救われた。」
レイ「でも………。」
詩船「納得出来ないかい?人は命の重さを単純に数で考える事は出来ないからね。」
レイは俯いたまま小さく呟くのだった。
レイ「……私だけが化け物に殺されてればよかった…。」
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その後レイは、ふらふらとバスの中に戻って行った。詩船の方も燃料補給が終わり、戻ろうとしたところで、一人の女性がキョロキョロと辺りを見回しているのに気が付いた。その女性は、以前転倒し足を怪我した人だった。
詩船「何してる。怪我してるんだ、あまり動き回らない方が良い。」
女性「でも、あの……娘がいなくなったんです。」
詩船「いなくなっただと?」
女性「はい。私が怪我で休んでいる間に、娘だけでバスの外に出て行って……。いつまで経っても戻らないから、心配になって探してるんですが、見つからないんです。」
その言葉を聞き詩船は周囲を見回した。詩船達が今いる場所は山の麓にあるガソリンスタンド。周囲は民家と森林のみ。隠れる場所はいくらでもあった。
詩船「その子がバスを出て行ったのはいつ頃だ?」
女性「20分程前だったと思います。リボンを付けてる5歳の子です。道に迷って戻って来れなくなったのかも……。」
その少女は前にレイが絵を描いてあげていたあの少女だった。
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マイクロバス、車内--
詩船はバスに戻り、同行者達に事情を話す。レイは酷く動揺していた。
レイ「すぐに探しましょう!もしあの化け物がまた来たら……。」
焦燥感の混じる声で言うレイだったが、他の同行者達の反応は鈍かった。車内の騒めく声で香澄が目を覚ます。
高嶋「…あの、何かあったんですか?」
レイ「一緒に来てた女の子がいなくなっちゃったの。一人でバスの外に出て、迷子になって帰れなくなっちゃったのかも…。」
レイの説明を聞き、香澄は慌てて座席から立ち上がった。
高嶋「大変だ!すぐ探さないと!」
レイと香澄、女性はバスの外に出て行く。しかし、他の人達は座席から立ち上がらない。
青年「私も探そう。」
少し間が空き、医者の青年が立ち上がった。詩船は青年の後に続き外へ出るのだった。
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ガソリンスタンド--
詩船「あんたはまだ比較的、判断力が残ってそうだね。聞きたい事がある。」
青年「………何ですか?」
詩船「バスの乗客達が、次第に外に出なくなってきている。疲れて動くのが辛くなってるだけかもしれないが、"外に出るのを怖がっている"という意見もあった。あんたから見てどう思う?」
青年は暫く黙り込み、言葉を選ぶようにして口を開いた。
青年「…………そうかもしれません。体力がない高齢者だけでなく、若い人も外に出たがらなくなっています……。あの化け物に遭遇する度に、その傾向が強くなっているようにも思えます。」
"恐怖心"--
あの化け物に対する恐怖心が同行者達に広がっているようだった。
詩船「分かった。他に車内で気になる事はあったか?」
青年「……そうですね…食べ物を貰いましたが……。」
詩船「食べ物?」
青年「はい。座席の後ろに座ってる黒いシャツの男性とその友人達が、休憩場所から持ってきた食べ物を、他の人達に分けて配ってるようなんです。その時はやたらと愛想が良くて、以前とは別人のようでしたけど……。」
青年がそう言うと、詩船はその黒シャツ達の行動の意味を考えるのだった。
ずっと向こうの小さな通りに貧しい家がある。窓が一つ開いていて、テーブルについたご婦人が見える。顔は痩せこけ、疲れている。彼女の手は荒れ、縫い針で傷付いて赤くなっている。彼女はお針子をしているのだ。
その婦人はトケイソウの花をサテンのガウンに刺繍しようとしている。そのガウンは女王様の一番可愛い侍女の為の物で、次の舞踏会に着る事になっているのだ。
その部屋のベッドでは、幼い息子が病の為に横になっている。熱があって、オレンジを食べたいと言っている。母親が与えられるものは川の水だけなので、その子は泣いている。
「ツバメさん、ツバメさん、小さなツバメさん。私の剣の柄からルビーを取り出して、あの婦人にあげてくれないか。両足がこの台座に固定されているから、私は行けないのだ。」
オスカー・ワイルド『幸福の王子』