幻想々話 - いつの日か、鬼札を手に   作:荒木田久仁緒

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鬼札 (おにふだ) 【名】

(一)カードゲームで、他と違う特別な効果を持つ札のこと。切り札。ジョーカー。

(二)花札の一つ、「柳に鬼の手」の図のこと。



見知らぬ客


 

  夕暮れの名残はすでに西の山ぎわへと追いやられ、人里の空は夜のとばりに覆われつつあった。

  ところどころに提灯の明かりが家路を急ぎ、ぱたりぱたりと木戸が閉じられてゆく。そんな通りの一角にある豆腐屋の中で、店番の娘は、まだ幼さの残る小さな口で、ふわあと大きなあくびをした。

  そろそろウチも営業終了、戸締りをして、お夕飯たべて……あ、寺子屋の宿題やらなきゃ。そんなことを考えながら、また、ふわわあ、ぷう、とあくびを吐き出し。

  目を開けたら、女が立っていた。

 

「ひゃあ!?」

 

  何の気配もなく。今その一瞬、土間の真ん中に湧き出したみたいに。

  白い下地に紺の前掛けの、見慣れぬ意匠の着物。短めの金髪の上には、奇妙な形の帽子を乗せて。整った切れ長の眼の中で、髪と同色の瞳が、行灯の明かりに照らされて妖しく光っている。

  娘が息を呑むほどの、美女だった。

 

「……どうした?」

 

  声を聞きつけて、頭に手ぬぐいを巻いた親父が、店の奥から顔を出した。

 

「あ、いや、なんでもないよ、お父っつぁん。えーと、お客さん……ですよね? もう店じまいなんで、あんまり残ってないですけど……」

 

  並べたタライやザルの上の品々を手で示し、愛想笑いを作って、見知らぬ女に問いかける。

 

  親父はそんな娘を見、女を見て、やや眉をひそめたが、何も言わず、奥へと戻っていった。

 

「がんもどきを四つ。それと、油揚げを全部」

「全部……って、今あるだけ、ですか? 大きいの二枚、小さいの五枚ありますけど」

「ええ、それで」

「はぁい」

 

  手早く紙に包んだ品を差し出すと、女は大きな硬貨を娘の手に落とし、釣りはいい、と言って、包みを手に取り、滑るように店を出て行った。

 

「……あんな人、この辺にいたっけ?」

 

  硬貨を売り上げ箱にしまいながら、ぼそりとつぶやく。

  すると、奥から親父の声がした。

 

「ありゃあ、妖怪だよ」

 

「うえっ!?」

 

  驚きの声を上げて、店の奥を見やる。親父はこちらに背を向け、仕事道具をたわしで洗っている。

 

「……ひと月か、ふた月だかに一度、あんな風にふらっと現れて、油揚げを買っていく。俺がまだ、お(めえ)ぐらいの歳の頃から、ずーっと……姿は少しずつ違うがな。気味は悪ぃが、何をするでもねえんで、黙って商売してやってんだ。……わざわざ他所で話したりするんじゃねえぞ」

 

「……うん」

 

  今しまったばかりの硬貨を、また箱から取り出して、しげしげ眺めてみる。たまにしか見ない額面の、手垢のついていない綺麗な光沢と、そのずしりとした重さは、とりあえず木の葉ではなさそうだった。

 

「今日はもう(しめ)ぇだ。表、閉じてこい」

 

  言われて、娘は戸口へと小走りに駆け出た。いつものように、木戸を閉めようとして。

  ふと、通りに首を突き出し、左右を伺う。

  さっきの客の姿は、もうどこにもなかった。

 

「あれが、妖怪、かあ……」

 

「おい、何してる。夕飯にするぞ」

「はぁーい」

 

 

 

  ◆ ◆ ◆

 

 

 

  先ほど買った品を手に提げ、女は提灯も持たずに、夜道を歩いていた。人里の中の道ではない。里の外、家どころか畑すらない原野の中を這う、いつ人が通ったかもわからぬ小道。

  東の空、神社の方角には、大きな満月が山の上に顔を出し、星よりは遥かに強いその光が、在るか無いかの小さな道と、その上を行く女と、いつのまにか女の背中に生えた何本もの、金色のふさふさした尻尾とを照らしている。ただ南の方には、やや低く厚い雲の影があり、それはそろりと空を覆うように広がり始めていて、いずれ月の輝きも、そこへ飲みこまれてしまいそうに思われた。

 

  やがて女はそんな小道をも外れ、道なき草むらの中へ、その向こうに広がる森へと、歩みを進めていく。

 

  いや、よく見れば道はあった。

  女の周りに、だけ。

 

  女が歩みゆく先にも、歩みさった後にも、道はない。ないように見える。だが、女は道の上を歩いている。やはりいつのまにか手に現れていた傘が開かれ、ぽつ、ぽつ、と鳴り始めた音に追われるように、辺りから月の光が消え去り、ほどなくザアザアと草木を打つ水滴すら見えぬ闇となっても、女の足取りには何の迷いもなく、深い森の中を歩き続けていた。

 

  どれほどの距離を進んだか。

 

  雨はややその勢いを弱めながらも、しとりしとりと降り続いて、森を湿った闇で覆っていた。

  ゆるやかな上り坂となっている、見えるものにだけ見える森の中の道を、女はまだ歩いている。どこまでも、ひたすらに、止まる気配もなく。

 

  そう、気配も、前触れもなく。

  ふと、女の足が止まった。

 

  その細く高い鼻を、二、三度、小さく鳴らす。

  嗅ぎ取った匂いは。

  血。

 

  女は立ち止まったまま、足元の地面を見下ろす。依然としてそこには、道があるのかも分からぬ濃い闇がわだかまっている。しかし今、淡く金色に光り始めた女の瞳は、ほとんど土に染みこみ洗い流されようとしている幾つかの血の跡を、分析し、浮かび上がらせ、はっきりと捉えていた。

  血痕は、道を横切るように滴っている。それを追って、女の視線は、まず左へ。そして、右へ。

 

  道の右側、草むらの奥に、何かがあった。

 

  服の裾を露に濡らしながら、腰ほどの高さに生い茂る草をかきわけた女の手が、それをつまみあげる。

 

  泥と血と、獣の匂いのする、真っ黒な毛玉だった。

 


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