幻想々話 - いつの日か、鬼札を手に   作:荒木田久仁緒

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油揚げ


 

  しばらくして、小さな布袋を手にした藍が部屋に戻ってきたとき、少女は泣きはらした目を手でこすりながら、椀の中に残っていた雑炊をちょうど平らげたところだった。

 

  障子を開けた藍に気づくと、あ、と声を上げて椀を放り出し、逃げるように畳を這って、部屋のすみっこへ縮こまる。

 

「まだ欲しければ、雑炊はあるが」

 

「いらないっ! それより、あたしの服はどうした!」

 

  自分が裸であることに、ついさっき気づいた少女は、両腕と尻尾で体を隠しながら、顔を赤くして小さく叫んだ。もっとも、その体で毛に覆われていない場所は、顔のほかには手のひらと足の裏くらいではあるのだが。

 

「ああ……ドロドロのボロボロだったから、捨てたぞ」

「んなっ……」

 

  抗議の声を無視して、藍は部屋の襖を引き開ける。そこは押入れになっていて、奥のほうを探っていた手が、やがて畳まれた白い布をつかみ出した。

 

「とりあえず、これでも着ておけ」

 

  投げ渡されたのは、長襦袢だった。子供用らしく、仕立てが小さい。腰の後ろには小さな穴が開いていて、尻尾をそこから出せるようになっている。

 

「自分で着られるか?」

「バカにするなっ、それくらいできる!」

 

  ぷうと頬を膨らませる少女を横目に、藍は隣の台所へと下りた。

  布袋に入っていた紙包みから、いくつか粉のようなものを取り出して、湯呑みの中へ。ちょっと考えて、棚にあった小壷を手に取り、白い粉を一匙、二匙、そうしてヤカンから湯を注ぎ、くるくるとかき混ぜる。

 

  盆の上に湯呑みと、雑炊の入った鍋と椀、それにいくつかの惣菜の皿を乗せ、部屋の中へ戻ってくると、ガタついた着付けで襦袢を巻いた少女の膝の前に、濃い緑色の液体が入った湯呑みを置いた。

 

「なにこれ」

「毒消しだ。飲め」

「……いらない」

「そうか。まあ好きにしろ」

 

  そう言うと盆をちゃぶ台の上に置き、座布団に座って食事を始める。

  そんな藍と湯呑みとに交互に目をやってから、少女はそっと湯呑みを手に取り、中の液体をひとくち含んだ。

 

「……苦っ!」

 

  うえー、と舌を出す。

 

「砂糖が足りなかったか?」

「いや、甘いけど……それでも苦っ……」

「飲まないと、いつまでも傷が治らんぞ」

「うー……」

 

  唸りながら、ちびちびと少しずつ、湯呑みに口をつける。その中身がようやく無くなるころには、藍も食事を終え、台所で食器を洗い始めた。

 

  隣から聞こえる水音に耳を傾けながら、少女は壁によりかかり、ぼんやりと宙を見つめていた。

  時々、じんわり目尻に涙が浮かび、それをぬぐっては、小さく鼻を鳴らす。

 

  やがて洗い物を終えた藍が、何かの乗った皿を手に戻ってきた。ちゃぶ台を押入れに片付けると、代わりに文机と紙束を出してきて、皿をかたわらに置き、少女に背を向けて、取り出した万年筆で何やら書き物を始める。

 

  ふわりといい匂いがして、少女の鼻腔をくすぐった。

 

  皿の上にいくつか積み重ねられた、茶色くて、平べったいもの。

  甘く、おいしそうな匂いは、そこから漂っている。

 

  つと、藍の右手が皿の上に伸び、一口大のそれを一つ、指先でつまみあげた。

  そのまま口の中に放りこみ、もぐもぐ口を動かしながらぺろりと指をなめて、再び書き物に戻る。

 

「……それ、何?」

「油揚げを煮付けたものだ。私はこれが好物でな」

「あぶらげ……」

 

  ごく、と少女が唾を飲みこんだ。

 

  そっと、その体が動く。

  四つん這いで、音を立てないように、静かに皿に近づいて。

  手を、伸ばしかけた時。

 

「勝手に取るな」

 

「!!」

 

  また壁際へ飛びすさった小さな体が、勢いあまって柱に後頭部を打ちつけた。

 

()っつ……!」

 

「……欲しいなら、欲しいと言え」

 

  涙目で頭をさする少女に、背中を向けたままの藍から、やんわりと声がかかる。

  それを聞き、しばらくうじうじと何かをためらっていたが、やがて意を決して口を開いた。

 

「……ひとつ、くれ!」

「どうぞ」

 

  言い終わる間もなく、皿の上から油揚げをひったくる。

  芳醇な香りを漂わせるそれを舌の上に乗せ、もしゃりと噛みしめたとたん、中から温かく甘辛い汁がじゅわっと染み出して、小さな口いっぱいに広がった。

 

「……!」

 

  少女の目が丸く見開かれ、耳がぴんと立つ。

  むしゃむしゃと夢中で咀嚼し、喉を鳴らして飲み下すと、とろけるような味と喉越しが、するんと胃の中へ落ちていった。

 

  はあ、と溜息を吐く。

  指先と口の中にわずかに残った汁を、舌でかき集めるように味わって、それもごくんと飲みこむ。

  そしてもう一度、小さな溜息。

 

  視線が、じっと皿に注がれる。

  尻尾が無意識に、ぱたぱたと動く。

 

  その目の前で、今度は藍がまた油揚げをつまみ、口に入れるのを見届けて。

 

「あの……えっと……」

 

「……もう一つだけだぞ」

 

  言うが早いか、また油揚げが一つ、皿から口の中へと消える。

  今度はじっくりと、時間をかけて、ゆっくり噛みしめ、少しずつ喉の奥へと落としこんでから、少女は背中を壁にもたせかけて、再三、大きな溜息をついた。

 

 

 

  紙をめくる音。万年筆の走る音。

  どこかから、コチコチと聞こえる時計の音。

  台所の小窓から染み入ってくる、かすかな雨音。

  そして、ときおり油揚げをつまむ音が、部屋の中を流れていく。

 

  どれくらい、音と時間が往きすぎたか。

 

  藍の背後で、とさ、と何かが落ちた。

  見れば、少女の体が壁際に横たわり、目を閉じて、すうすうと寝息を立てている。

 

  万年筆を置いて立ち上がると、静かに押入れの戸を開き、取り出した布団を床に敷いて、その上にそっと少女の体を横たえ、丁寧に掛け布団をかぶせてから、文机の前へ戻ろうとした。

 

  その体が、後ろから何かに引っ張られる。

 

「……?」

 

  振り向くと、目を閉じたままの少女の小さな手が、藍の尻尾の一本を、しっかりとつかんでいた。

 

「……か…さん……」

 

  薄く開いた唇から、そんな音が漏れる。

 

 

  そのどこか苦しそうな、悲しそうな寝顔をしばらく見つめて。

  藍は布団のわきに座ったまま手を伸ばすと、文机のほうを自分の前に引き寄せ、書き物を再開した。

 


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