幻想々話 - いつの日か、鬼札を手に   作:荒木田久仁緒

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踏み進むために


 

  ちち、ち、と雀の鳴く声の中、少女はゆっくりと目を開いた。

 

「……あれ……?」

 

  ねぼけまなこのまま、布団の上で体を起こす。

 

  部屋の正面の障子が開け放たれていて、廊下の向こうには縁側、縁側の先には小さな庭と、それを囲む木々の上に、どんよりと曇った空が見えた。

 

  ぼーっとした頭の中に、少しずつ、昨日の出来事が思い出されてくる。

 

「……そっか……ここは……」

 

  にじんだ涙を、ぐしぐしと手でぬぐって。

  それから、自分が抱きしめていた、何かに気づく。

 

「……なんだ、これ」

 

  柔らかい金色の毛に包まれた、細長くて暖かい、ふわふわしたもの。

 

「起きたか」

 

  そのふわふわが、喋った。

 

「うひゃあ!?」

 

  毛を逆立てて悲鳴を上げ、畳の上に放り出す。

 

「そろそろ朝食ができる。布団を畳んでおけ」

 

  そう言ってするりと縦に立ち上がったそれは、ぴょこぴょこ跳ねながら、もう片方の障子戸の前へ移動すると、先端を動かして器用に戸を開き、その向こうの台所で料理をしている藍の背中に、もう一度ぴょんと跳ねてくっついた。

 

  少女は少しの間、腰を抜かしたまま固まっていたが、やがて大きく息を吐く。

 

「……お、おどかすなっ!」

「おどかすつもりはなかったが、お前がどうしても離してくれないのでな」

「なっ……知らない、そんなの!」

「いいから早く布団を畳め。もうできる」

 

  ぐつぐつと鳴る鍋のフタを取ると、湯気と一緒にいい匂いが部屋いっぱいに広がった。

 

 

 

 

 

  干し魚の煮付け、野菜と油揚げの味噌汁、玉子焼き、漬物、鶏肉の炊き込みご飯。

  めったに見ない豪勢で温かい食事に、少女は目を丸くしつつも、使い慣れない箸で片端からがつがつと貪り、お代わりも食べ尽くすと仰向けに寝転がって、ふくれたお腹を手でさすりながら、あー、と満足げに啼いた。

 

  しばらくすると、洗い物を済ませた藍が戻ってきて、少女を見下ろし、声をかける。

 

「足の具合は、もう良いようだな」

 

「え? あ、うん……」

 

  起き上がり、すっかり忘れていた右足の包帯を取る。

  昨夜の薬湯が効いたのか、人狼本来の回復力で、傷は綺麗に治っていた。

 

  しばし何かを思いながら、その跡を手で撫でていた少女は、上目遣いに顔を上げ、

 

「……あの。あり……」

 

  言いかけた目の前で、唐突に藍の尻尾の一本が、また外れて畳の上に直立した。それを藍が右手の人差し指で軽くはじくと、あっという間にむくむくと膨れ上がって、一人の女のかたちへと変化する。

 

  金色の髪と瞳、奇妙な帽子、白と紺の着物。

  背中に尻尾がないことを除けば、頭のてっぺんから足の先まで、藍とまったく同じ存在がそこにいた。

 

「うわっ!? な、な、何!?」

 

  慌てふためいて、二人の藍を交互に見ながら、少女は思わず壁際へ後ずさる。

 

「屋敷を空にするのは、無用心だからな。出かける時には、こうして留守番を置いていく」

 

  尻尾が生えているほうの藍──本体が、何でもない事のように言った。

 

「そ、そう……。

 え? 出かけるの? どこへ?」

 

「……お前のいた竹林へ、調査にな。たぶん昼すぎには戻る」

 

  それを聞いた少女の耳が、ぴょこんと立ち上がり、続けて少女自身も立ち上がる。

 

「あたしも、行く!」

 

「ついてくるな。邪魔だ」

 

  藍の視線は冷ややかで、言葉はどこまでもそっけない。

 

「あそこはあたしの住処(すみか)だ! あたしが確かめにいく!」

 

  それでも強く声を上げ、目に力をこめて、食い下がる。その様子をじっと見つめ、少しの間、藍は何かを考えこんでいたが、やがて小さな声で呟いた。

 

「……遅かれ早かれ、か」

 

「え?」

「なんでもない。その格好で行く気か?」

 

  その言葉に少女は、首をうつむけ、自分の体を見下ろす。

  もうだいぶ着崩れた、薄い長襦袢一枚。部屋着としてはともかく、外を歩けるような服装ではない。

 

「う……。お、お前が、あたしの服、捨てたからだろ!」

「あれもボロボロだったがな。……ちょっと待て」

 

  分身のほうの藍が、するりと廊下へ出て、どこかへ消えた。

  しばらくして戻ってきたその腕に、服らしきものを抱えている。

 

「着てみろ。少し大きいかもしれんが」

 

  うん、と頷いて、それを受け取り、襦袢の帯を解きかけた少女の、動きが止まる。

 

「こっち、見るな! 出てけ!」

「……どうせ人狼は、ここ数日は毛むくじゃらだろう」

「うるさい! それが嫌なの!」

 

  牙を剥きだしてうなる少女に、軽く肩をすくめて二人の藍は廊下へ出ると、後ろ手に障子戸を閉めた。

 

 

 

  ひとしきり、ばさばさと布の鳴る音が響いたあと、障子が内側から開く。

 

「……着たけど」

 

  小奇麗な洋服をまとった少女が、そこに立っていた。

  鮮やかな赤と白を基調に、襟と裾には黒い飾り布。背中に穴はないが、尻尾は足元まで大きく広がったスカートの中に、すっぽり納まっているようだった。

 

  藍はそれに軽く視線を走らせてから、ふむ、と言って少女の前にしゃがみこむと、襟首や袖をいくらか引っ張って、全体の形を整える。

 

「まあ、こんなものか」

 

  立ち上がって(きびす)を返し、廊下をどこかへ歩いていく。少女はその背中と、その場に残ったほうの藍とを、やや混乱したような顔で見比べていたが、

 

「……あ、あっちか」

 

  ぱたぱたと、揺れる金色の尻尾を追って駆けていった。

 

 

 

  廊下を少し歩くと、玄関らしき場所に出た。

  先に土間に下りて靴を履いた藍が、下駄箱の奥から紙包みを取り出す。包みを開くと、小さな黒い靴が入っていて、それが石敷きの上にそっと置かれた。

 

「これ、履くの?」

「裸足のほうがいいなら、好きにしろ」

「……履く」

 

  細っこい足をきゅっと押しこんで、とんとんと足踏みをする。

 

「大きさは大丈夫か?」

「うん」

 

  足を包む靴の色と形、それと感触を確かめていた少女は、改めて自分の着ている服に眺め入った。

 

  腕の先まで隠れるひらひらの袖。そこから出した小さな手で、鮮やかに色分けされたスカートをちょんとつまみ、腰をひねるようにして、はためかせてみる。

  ふわりふわりと広がって揺れる、さらさらした布。自分の周りで踊る、瑞々しい色彩。

 

「ねえ、あのさ……」

 

  どこか嬉しそうな表情を浮かべて、顔を上げた少女の目に、開かれた引き戸の向こうで遠ざかっていく藍の背中が映る。

 

「って、置いてくな!」

 

  屋敷の門へとつながる石畳の道を歩いていく藍を、少女は履いたばかりの靴を鳴らして追いかけた。

 


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