雪火の魔女 作:光子大爆発
それは雪が舞い散る夜のことだった。
レインレイク。
氷雪に囲まれるがゆえに雨など滅多に降らないスノリア地方には似つかわしくない名を持つ小都市は一夜にして変貌していた。
「……ッ!」
町唯一の商業街の裏路地に身を潜め、変わってしまった街を少女は覗き見る。
少女の名前はスレイ=シーモア。12歳になるどこにでもいるような、しかしながら、おそらくこの町の最後の住人になってしまった少女だ。
「お嬢ちゃん、隠れんぼは楽しかったかい? 」
いつのまにかスレイの背後から声がする。
穏やかな美声の持ち主だ。声音も優しい。しかし、スレイはその声を聞いたと同時に身体の震えが止まらなくなった。
なぜならば、背後にいるこの青年こそが、レインレイクを人間の町から悪魔の都市に変えてしまった元凶なのだから。
「はは、怯えちゃって可愛いねえ。ああ、この町は実にいいよ。良質な魔力を持った子がごろごろいる。特に君はその最たるものだ。おかげでいっぱい悪魔を受肉させられるよ」
青年が舌舐めずりをしてスレイを眺める。とはいえ、それは本当にスレイを見ているわけではない。青年はスレイに宿る魔力だけを見ており、青年にとっては素材の吟味でしかなかった。
「……あなたの欲望のせいで、みんながこんなになって悪いとは思わないの?」
その目に微かに怒りを想起させられたのか、スレイは問う。それに青年は幾ばくか驚いたのち、何事もないように答えた。
「悪いとは思うよ。けど、仕方ないじゃないか。僕は悪魔と一緒に居たい。しかし、悪魔は基本的に魔力喰いでね、維持に手間がかかるんだよ。だったら自活する知恵を悪魔に与えればいい。けど、そのためにはどうしても人間が必要なんだ」
「それはあなたの理屈でしかないじゃない! なんで我慢しなかったのよ!」
「我慢? 僕に限らず魔術師に我慢なんて不可能だ。なにせ頭に思い描いたことを実践したくてしょうがない。そして魔術以外は基本的に二の次さ。社会通念さえも邪魔なら従わないだろうね」
滔々と青年は語る。スレイはそれを聞いて再び身体を震わせるた。
「……ふむ、君もみんなの後を追わせてあげようと思ったけど気が変わった。屈服させて侍らせた方が面白そうだ。見た目もかなりいいしね」
そう青年が言うと呪文を唱える。するとスレイは力なく横たわった。
「はあ、この町は本当にすごいな。美人も多いし、平均魔力量も多い。それになによりこの娘だ。人間としての格が違う。おかげですごい悪魔を作れそうだよ」
スレイを担いで、青年は歩を進める。
天の智慧研究会第二団≪地位≫、ゴービル=ブリランテ。白金術と悪魔召喚術を極めた悪辣敏腕魔術師であった。
レインレイクにはカタコンペという施設がある。この地にかつて根付いていた北方秘蹟教が聖エリサレス教会からの弾圧を避けるために地下に掘った施設で、北方秘蹟教が断絶寸前にまで陥った現代においてもレインレイクで最も厳かなところだと町民から敬意を払われている。
そこに今、宮廷魔道士団特務分室執行官のグレンとアルベルトは任務で訪れていた。
「ひどい有様だな……」
カタコンペの中は酸鼻を極めた。
悪魔の糧にされたのだろう、ところどころ食いちぎられた屍や無残に犯された少女たちが力なく横たわっている。
「……ッ!」
思わずこみ上げた吐き気をどうにかグレンは収める。
「……町の仕掛けが分かった。人口全てが悪魔に変化させられたわけではない、一定の魔力量以下の連中はこのように糧になっていたようだ」
「なんてことを……! これが人間のやることか⁉︎」
「恐らく、奴は人間を資源として見ているのだろう。ゴービルはことさらに堪え性がない。傾倒した魔術を実現するためには隠密性すら時にはかなぐりすてる」
アルベルトはそう言って淡々と歩を進める。一方、グレンは少女たちを助け起こそうとするが、アルベルトに止められる。
「どうしてだ、アルベルト! こいつらはまだ生きているんだぞ!」
「肉体的にはな。だが、人格は完全に破壊されている。実質は死んでいるようなものだ。一様に人格破壊が成されていることから奴の悪魔召喚術は恐らく空いた人格に悪魔を宿らせ存在そのものを変質させるものだろう」
言うとアルベルトは聖句を唱え、【プラズマ・フィールド】を起動させる。するとたちまちのうちに周囲は一掃された。
「行くぞグレン。この敵は逃してはならない。生かしておけば、他の街にこの惨状が波及する」
「……すまない、アルベルト。また嫌な役をさせちまった……!」
「そう思うなら今回の任務に平素以上に励め。このような惨劇を繰り返させないことこそが彼らに報いる唯一の道だ」
なんとも言えない後味の悪さを抱えながらグレンたちはカタコンペを進んで行く。
そうして最深部、ひときわ開けたところにたどり着く。しかし、そこでグレンたちは衝撃的な光景を目にした。
「≪嫌あああああああああああッ≫!!」
カタコンペに響き渡る少女の絶叫。
しかし、それと同時に少女に相対していたゴービルが苦痛の表情を浮かべて昏倒する。
少女は尻餅をついてそれを呆然とした様子で眺めたのち気絶した。
「おい、お前! 大丈夫か⁉︎……ってアルベルトまた止めるのか⁉︎」
「ああ。馬鹿なことはよせ。今の光景を忘れたか。あの少女は無意識ながら魔術を暴走させて奴の息の根を止めた。油断していたらお前までやられかねない」
強い力でグレンの肩を掴むアルベルト。その表情はやけに真剣だった。
「忘れてなんかいないッ! だが、こいつは確実に助けを求めている! 見捨てられるかよ!」
「また『正義の味方ごっこ』か。救いようがないな貴様は。……だが、どちらにせよあの少女は脅威だ。拘束しておく必要性はある。念のため【愚者の世界】は起動しろ」
「無理を言ってすまないな。……それにしても今日は謝ってばかりだな俺」
「織り込み済みだ。この任務を受けた時から予想は出来ている」
「はっ、このツンデレさんめ」
「ふん、額を撃ち抜かれたくなければ、早く行け」
アルベルトに追い立てられるようにしてグレンは少女の前に立つ。年の頃はグレンより一回り下で、あどけなくも整った顔立ちと青みがかった銀髪が特徴的だった。
(まさか、こんな娘がゴービルほどの外道魔術師を討ち取るなんてな)
少女を横抱きに抱えてグレンたちはカタコンペを去る。
未だに自分の腕の中に眠るこの少女が、ゴービルを倒したことをグレンは信じられずにいる。
「ん、あれ? ここはどこ?」
そうこうしているうちに少女が目を覚まして、あたりを見回していた。
「ん。目を覚ましたか。ここはレインレイクのカタコンペの外だ。町にはもう悪魔はいない」
「お兄ちゃんたちは誰?」
「俺の名前はグレン=レーダス。こいつの名前はアルベルト=フレイザー。レインレイクの異常を聞いて駆けつけた軍人だ。お前の敵じゃない。それで、お前の名前は?」
「スレイ。スレイ=シーモア。この町に住んでたけど……。これからわたしはどうなるの?」
問われてグレンは押し黙る。まさか、危険因子だから軍に連れて帰るとは言えなかった。
それを見かねたのかアルベルトが言い放つ。
「スレイと言ったな。お前はこの町における最後の生き残りだ。ゴービルもすでに死んだ。事情を聞くために軍に来てもらう」
「そう、なんだ。やっぱりわたしだけ、か……」
廃墟になった町を眺めながら、スレイは一人寂しく呟いた。
これが三年前レインレイクに起きた災厄。
悪魔変換事件。
スレイ一人を残して住民は全て悪魔とその糧と化して姿を消した悪夢的な事件だった。