中央暦1639年12月23日夜
マルノーボ区
暗い暗い夜の底、貧民街と化しているマルノーボ区の一角で、ゼリスマリムは魔道通信の電源を入れた。相変わらずこの時間は好かない、あのパワハラ上司に何てどやされるか、本当ならば絶対に通信を開きたくない相手だ。
「ダクシルド様、すみません……報告が遅れました……」
『ゼリスマリムか、報告の遅れはいつもの事だな。それで、敵の情報は掴めたか?』
いかにも偉そうな口調で、ダクシルドはゼリスマリムに問いただす。
「それが、衛兵が戦地に向かうこのがなかったので、戦地や城への侵入はできませんでした」
『何ぃ? そんな馬鹿な……南門を襲撃した時はパニックになったと言っていたではないか』
ゼリスマリムは西での戦闘を見ていたわけではない。しかし、エスペラント側が勝利した原因はなんとなく分かる。
十中八九、岡の存在だろう。しかし、ゼリスマリムには彼のことを話す気はなかった。もはや親友のような親しみを感じている彼のことを言えば、どんな辛い命令を下されるかわからない。どうか聞かないでくれ、察しないでくれと内心願うしかない。
『まさかとは思うが……ゼリスマリム、エスペラントに来たという天ツ上の兵士だが、奴は今何をしている?』
しかし、その願いは無駄に終わってしまった。命令形で質問された為、答えないわけにはいかない。重く震える口を、ゆっくりと開くしかない。
「か、彼は王宮科学院で兵器や武器の生産を手伝っています……最近爆発事故があったみたいですが、今でも出入りしています……」
そこでゼリスマリムは、答えをはぐらかす事にした。これで察しの悪い人間なら、スルーしてくれるはずだと。
『やはりか……その天ツ上の兵士が、何かしらの知識を与えたことは間違いなさそうだな……』
しかし、ダクシルドは妙なところで察しがいい人間であった。本当にいらない、勿体無い能力だと思う。こんな上司には、無駄な持ち腐れである。
「は、はい……」
ゼリスマリムはその答えに賛同するしかなかった。しかし妙だ、ダクシルドが変な所で察しがいいとはいえ、ここまで直ぐに柔軟な考えをできるとは思えない。何か、この頭の硬い奴の考えを変える要因があったのだろうか?
『くそっ……存在がもう少し早く分かれば、暗殺くらいはできたが、今更仕方無い……まぁ、どの道魔王軍によってエスペラントは滅ぶしな』
「…………」
『それから、ゼリスマリム。貴様に最後の命令をくれてやろう』
「最後ですか?」
『ああ。それが終わったら貴様は自由だ』
数ヶ月間、強制的に命令を聞かされ続けたゼリスマリムにとって、それは嬉しいの一言に値した。それに、このまま上手くいけば岡とも戦わずに済むとホッとする気持ちであった。だが──
『今月末、エスペラントに総攻撃を仕掛ける。それでエスペラントは文字通り終わりだ』
「はい……えぇっ!?」
『今まで散々ノスグーラに命令されてうんざりしていたが、それももう終わりだ。お前は適当な所に逃げるでもしていろ』
「それじゃあ……ビーコンは……」
『ビーコンの回収は更地になった後だ。その日は、我々もしばらくこの地から退散する事にする。そして、これでノスグーラとも晴れておさらばだ。ビーコンは頑丈にできているから、壊れる心配はあるまい。それに、この国は存在すら知られていない辺境の地、全員死んだ所で問題なかろう。分かったな?』
「……はい」
命令には必ず了承してしまう。どんなに嫌な命令であっても、指示された通りに動くしか無い。なら……ゼリムに出来ることはただ一つ……
◇◆◇◆◇◆◇◆
エスペラント王国から北に数十キロ
バグラ火山
「あの懸念を魔王に伝えなくてよろしいのですか?」
部下の一人が、会議室にてそう言った。ダクシルドは机に頬杖をかけながらそれに答える。
「良いさ、どうせ教えようがあの性格では信じない。それにどの道、俺たちは31日にはおさらばする予定なのだからな。もう関係ないさ」
「そうでしたね。ですが、帰ったらレヴァームと天ツ上に関する情報を集めなくてはなりませんね……」
「少ない予算でやれるかは分からんが、是非とも集めたいところだな。こんな物を作れる国だ、油断できん」
ダクシルドは鹵獲したコブラマグナムをじっくりと眺めながら、各部の点検をしている。5発もあれば、マラストラスくらいは余裕で倒せるだろう。
「今までこいつで射的練習をして来たのだから、もしもの時は必ず当ててやるさ」
ダクシルド達はコブラマグナムの構造を魔法で完全に把握し、弾丸の複製まで行えるようになっていた。そのため、射的練習もしている。
「さて、問題はタイミングだ。
「最悪、マラストラスが来た時を見計らって倒すしかありませんね」
「その日の状況によって臨機応変に……か……」
ダクシルドにとって一番苦手な部類のやり方だ、できれば避けたかった。今は勤務時間外だが、今後の自分たちの身の安全の為に議論を重ねるのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ノバールボ区
闇を照らす松明と魔法灯の光の中、淡い光を頼りに進む暗い夜道を、何人かの人間が武器を持って歩いていた。彼らは国内の治安維持を担う憲兵隊、その隊長は剣聖ジャスティードである。
「全く……あのオカとかいう男が来てからは散々だ……」
「「「…………」」」
部下達は、ジャスティードの愚痴を聞いているだけで口を挟まない。それもそのはず、彼らは四六時中ジャスティードの愚痴を、散々に聞かされ続けているからだ。
「騎士団の花形は剣士だというのに……何が銃は強しだ……」
最近、岡が来てから騎士団に変化が訪れている。重騎士、剣士が花形だった騎士団において、銃士の地位が急激に向上したのだ。それも全て、王国最強の銃士ザビルに岡が決闘で勝ったからである。
岡が国内の地位や名声や信頼を獲得してしまったため、彼は騎士団の運営に噛むようになった。その一環として、装備の強化を銃編重に舵取りしてしまったのだ。
不満はそれだけでは無い、意中の相手であるサフィーネと岡の距離が近い。非常に近い。何せ同居している上、夜はちゃんと帰れと岡ぎサフィーネに叱られたという話まで耳に入る。知りたくはなかったが、人から話を聞く立場の憲兵である以上、いらぬ情報まで入ってくる。
「署長、誰かいますよ」
「ん?」
部下の報告を聞いて、すぐさま頭を切り替えるジャスティード。
「あれは……ゼリムとかいう、ラボレーオ区の預かり男ですね」
「こんな時間に何してるんだ?」
「街角を曲がった。あの先は……」
間違いない、サフィーネらが住む家の方角だ。ジャスティード達は息を殺し、距離を保ちつつその後を追う。
一方のゼリムはジルベニク宅の前に着くと、扉の前でうろうろしていた。エスペラント王国民との不用意な接触は禁じられている。ダクシルド達に関する事を喋るのも禁じられている。人を食う姿を見せるのも、魔族であることをバラすため禁じられている。
しかし、エスペラント王国民ではない岡との接触はできる。だがいきなりジルベニク家の戸を叩くことは、流石にできないし勇気がいる。
サフィーネ、バルザスと暮らしていることは周知だったので、彼らと接触できない。どうするかと悩んでいたときにやってきたのは、ジャスティード達であった。
「おい貴様! こんな夜中に何をしている!?」
「ひっ!?」
気づかれたので慌てて逃げようとするゼリム。しかし、魔族としての身体能力の解放は命令で禁じられているので、あっという間に追いつかれて捕まった。
「こんな夜中にうろうろしているとは、怪しい奴だ!」
「なぜ逃げる!? 誰に会いに来た!? 答えろ!!」
憲兵達が恫喝し、ゼリムを追い詰めようとする。しかし、そのタイミングでジルベニク家の扉が開いた。中から一人の青年が出てくる。
「なんの騒ぎですか?」
家から出てきたのは寝間着姿のサフィーネ、サーシャ、バルザルに岡であった。サフィーネの寝間着姿を見られてジャスティードは内心喜ぶが、直ぐに頭を切り替える。それに、岡がいる事は彼には不愉快だからだ。
「あれ? ジャスティードさんにゼリムさんじゃないですか。どうしました?」
「これは岡殿。この夜更けに家の前に怪しい動きをしておりましたので、捕まえて事情を聞こうとしていました」
ジャスティードの部下が答える。
「お、オカ様ぁ……」
「なるほど、とりあえずはゼリムさんを話してあげてください。そんな大勢で押さえつけたら、怖くて話せませんよ」
「む、しかし……」
「大丈夫ですよ、ゼリムさんはいい人ですから」
岡は自分が弱音を吐いた事を、ゼリムが黙っててくれた事を知っている。岡はいつの間にか、ゼリムに信頼のようなものを感じでいた。
「ゼリムさん、こんな時間にどうしたんです?」
「す、すみません……でも、どうしても教えなくちゃいけないことがあって……」
「教えたい事?」
「敵が……31日に攻めてきます。総攻撃で、全軍でやってきます」
「な、なんですって!?」
あまりに重大で、しかも唐突な内容を教えられた。その事の重大さに、全員が狼狽する。
「嘘つけ! 魔王軍共が後1週間ちょいで攻めてくるだと!? くだらない嘘も大概にしろ!!」
思わず信じられず、ジャスティードが激昂する。それもそうだ。この情報はその真偽次第でエスペラント王国の運命が分かれる。
「待ってくださいジャスティードさん。ゼリムさん……それは確かなんですね?」
「嘘ではないです」
もしこの情報が本当なら、万全の対策が取れる。だが、欺瞞情報だった場合は国が滅びてしまう。それくらい危険な賭けである。
「……いくつか質問します。それはゼリムさんだけがわかる予兆みたいなものですか?」
「違います」
「では、どこかで誰かに聞いた話ですか?」
「そうです」
「それは誰ですか?」
「言えません」
「どこか、は言えませんか?」
「……言えません」
岡の質問と、それに一つづつ答えていくゼリム。しかし、肝心なところははぐらかされたのでジャスティードは苛立ちを覚えた。
「貴様……! 誰かに聞いたと言いながら、それが言えないだと!? ふざけ……」
「ジャスティードさん」
岡はジャスティードに顔を向け、無言で首を左右に振る。そうする事で、無言のメッセージを送られたジャスティードは身を引いた。
「ゼリムさん、貴方がこの情報を伝えるのは、もしかして危険なことでは?」
「いいのです。結果はわかりませんが、俺はどのみち……」
それ以上は言えなかった、ダクシルドの存在を明かすことになるからだ。
「ゼリムさん、貴方の情報をこの国の皆さんが信じられるかどうかは分かりません。ですが、私は信じたいと思います」
「な!?」
「最後にゼリムさん……あなたは……」
狼狽するジャスティードをよそに、岡は言葉を続ける。一瞬言い淀み、間が開くが、ゼリムに聞こえるくらいの小さな声で尋ねた。
「……あなたは、私のことを慕ってくれますか?」
「!」
ゼリムにとって、その答えはもう決まっているようなものだ。
「はい……! もちろんです……!」
それを聞き、岡は安心したように向き直る。
「ではゼリムさん、また明日から頑張りましょう。忙しくなりますよ?」
「すみません、オカ様……」
「はい、おやすみなさい」
ジャスティードはゼリムを何もなしに帰した事で、露骨に不満そうな顔を向ける。
「なぜ帰した? あいつはこんな夜中に、妙なことを言いにきただけだぞ?」
「いえ、大丈夫です。自分は彼を信頼していますから」
岡がそう言うと、「後悔しても知らないからな」と言い残して、彼は部下を連れて去っていった。そのタイミングを見計らい、サフィーネとサーシャ、そしてバルザスの三人が話しかける。
「オカ、よくわからないがさっきのは誰だったんだ?」
サフィーネがまず初めに問いかける。
「ゼリムさんと言って、ラボレーオ区で働いている人です。私の友人ですよ」
「へぇ……オカが友達と呼ぶなんて珍しいな」
と、「私にはそんなこと言ってくれないのに……」と、変な所で頬を膨らませるサフィーネを説得するのは少し骨が折れた。
「で、オカ君。彼に質問したことはなんだったんだい? 私にはどうも回りくどい感じだが……」
バルザスに問われ、岡は少し悩む。
「……誰にも言わないでもらえますか?」
「もちろん」
「当たり前だ」
「約束します」
それを聞き、岡は重大事項を伝える。
「ゼリムさんは……多分、敵の間者です」
「「「なっ……!」」」
「それじゃあ、尚更捕まえないとダメなんじゃないのか!?」
「待ってください。彼はもう危険ではありません。何故かと言うと、おそらくですが最後の命令を下されたのだと思います」
「どう言うことですか?」
サーシャが質問してくる。
「総攻撃でゼリムさんも死んでこいと言われたのでしょう。どのみち、と言うのは死を覚悟した言葉です」
「その命令者が誰か、と言えなかったのは?」
「これはおそらく、彼も操られているからでしょう。『悪意なき敵』というのは黒騎士の事だと分かりましたが、ゼリムさんも同じ方法で操られているのでは無いでしょうか?」
「だから命令に逆らえず、禁じられていないことだけを伝えにきたのか」
「じゃあオカ、31日に敵が攻めてくるというのは……」
「おそらくは、本当です」
場が静まり返る。本当にそうなら、この情報を手に入れた事は物凄い幸運だ。万全の対策が取れる。
「……なあオカ君、もしゼリム君が操られていても、彼は危険では無いと言い切れないよ? どうして捕まえなかった?」
「彼がこの国で何をしていて、どんな情報を流していたかわからないからです。それに……」
岡が言いにくそうにするので、代わりにバルザスが続ける。
「……彼が魔族だと決まったわけでは無い、か」
「そうか……確かに人が操られている可能性もあるからな。それを確かめる手段は今のところない……」
「そういう事です。自分たちにできる事は、31日に向けて少しで準備を進めることだけです」
三人にそう言うと、全員が頷いてくれた。明日からまた忙しくなる、その思いと不安を胸に、それぞれの寝室に向かう四人であった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
グラメウス大陸深淵部
魔王城
魔王の居城である魔王城、そこでは魔王ノスグーラが頬杖をつき、指をトントンと苛立ちを見せていた。彼の前には、報告係の鬼人族の姿がいる。ダクシルドの部下だ。
「ですから……そういう訳で総攻撃を31日に行います、その時まで何卒お待ちいただくよう……」
報告を任された鬼人族は、震える声で魔王に伝える。魔王ノスグーラは苛立ちを隠さず、不満そうな声根で喋る。
「お待ちお待ちと……お前達は一体いつまで待たせるつもりだ? これでかれこれ一ヶ月以上予定が遅れているぞ?」
「で、ですから…….これで最後にございます……」
「そうか、分かった。もう良い下がれ」
「はい……」
そう言って鬼人族は去っていく。その後ろ姿をノスグーラは見送りながら、隣のマラストラスに話しかける。
「マラストラス」
「はい」
「31日の総攻撃とやらには我も加わる」
「左様にございますか?」
「ああ、それどころか私が指揮を取る。もうあの自称光翼人は役に立たん、31日に処分てしまえ」
「はっ……分かりました」
魔王の命令に忠実なマラストラス、彼は翼を広げて魔王城の中を飛び回る。
「31日に処分……ダクシルド様に伝えなければ……」
その様子を部屋の影から見ていたダクシルドの部下の鬼人族は、新たな報告を胸に抱く。