その合図は、一筋の赤い狼煙だった。
ガチャガチャと鎧の間から鳴る足音を立て、一挙に進軍して行く巨大な軍勢、人一人が人馬の波となって押し寄せてくる人の津波だ。
クワ・トイネ公国西部、国境線の街ギムへ向けてロウリア軍(ロ軍)は歩兵2万、重歩兵5千、特化兵1500、遊撃兵1000、魔獣使い250、魔導師100、そして竜騎兵150を一挙に進軍させてきた。
宣戦布告はない、完全なる奇襲であった。彼らの一糸乱れぬ一通りの陣形は進行速度が速く、クワ・トイネ軍(クワ軍)の体制を整える時間を少なくさせる。
「ロウリアからの通信はないか?」
「ダメです!魔信は届いているはずですが、全く応答がありません!」
西部方面騎士団団長モイジは、焦りを感じていた。西部方面の兵力は兵力5000、飛竜24騎などとあまりに少ない。多少の兵力差なら作戦次第で負けない戦いはできる。しかし、今回は圧倒的すぎる兵力差がそれを阻む。
「ロウリアめ……レヴァームと天ツ上の軍事演習が終わった直後に仕掛けおって……」
クワ・トイネ政府からは宣戦布告が起こったという情報は全く入っていない。レヴァームと天ツ上の軍事演習、それが終わって彼らが帰還したところを見計らった奇襲攻撃だった。宣戦布告なしに攻撃を仕掛けるという卑劣極まりない戦の手段。ロウリアはそれだけ焦っているということだろう。
「あの演習が裏目に出たか……住民の避難は!?」
「現在、飛空艦の最後の便が到着。残りの住民の収容作業に入りました!」
この事態に、レヴァームと天ツ上も黙っていたわけではない。現在、戦闘可能な飛空艦はマイハーク港にて補給作業を行なっているため、出撃するには間に合わない。散々砲撃をしたり、高速での艦隊機動を行なって電力を使い果たしたのが仇となった。
しかし、レヴァーム天ツ上本土からやってきていた輸送飛空艦はその限りではなかった。彼らは積荷を下ろし、空っぽの状態でマイハーク港に停泊しており、格好の輸送手段だった。飛空艦なら陸地など関係なしに輸送任務が行えるため、今現在彼らは全力を持って住民の避難作業に加わっている。
「よし。第一、第二飛竜隊直ちに離陸し敵ワイバーンに当たれ!それからレヴァームと天ツ上の飛空艦に連絡!住民の乗艦作業を急ぐよう伝えろ!!」
「はっ!!」
モイジの的確な指示の下、周りの兵士たちが弾け飛ぶようにそれぞれの持ち場に着く。近くの滑走路からはワイバーン達が飛び立ち、一矢報いようとするがそれはブラフである。
モイジは防衛を命令したが、彼らを含めたギムの全員はこのギムを放棄することを決定していた。そのため、あらかじめ住民達の何人かは疎開をしており、残っているのは飛空艦の最後の便で連れて行く人々だけであった。
そしてギムにいる兵士達は決して捨て駒ではない。この戦いをしのげば、彼らも飛空艦で撤退する手はずとなっていた。
彼らはギムの住民が逃げる時間を稼ぐために奮闘した。先遣隊の150という圧倒的数字に対し、クワ軍のワイバーン隊は多勢に無勢の中、あの演習で培った空戦技能でロ軍ワイバーン達を翻弄した。
ワイバーン隊のほとんどがレヴァーム製の散弾銃などで武装していた、レヴァーム軍が少しでもワイバーン隊の戦術を広げるための武器提供であった。
ワイバーン隊は空を飛び回りながら竜騎士やワイバーンに12ゲージのショットシェルを浴びせまくった。未知の武器に混乱して行くロ軍ワイバーン隊は完全に混乱状態になった。
しかし30分後、残っていたのはロ軍のワイバーンだけであった。クワ軍のワイバーンは奮戦した、そのおかげでギムの住民達は順調に飛空艦へと収容されていったからだ。
戦いは陸戦へと移る、ワイバーンを全滅させられたクワ軍であったが、陸軍にも機関銃や小銃などが大量に配備されており、それらが猛威を振るって先遣隊を足止めした。彼らは訓練期間を全て全うしていなかったが、それでもこのギムを守りたいその一心でこの地に居残った。
ワイバーン隊が彼らを足止めしても、彼らはむしろ機関銃でワイバーンを何騎か撃ち落とし、小銃の一斉射撃で軽歩兵達を撃ち倒した。
しかし、彼らに配られた武器弾薬はわずか少数。多勢に無勢でどんどん劣勢に追い込まれていった。
しかし、彼らは一歩も引くことも撤退することもなかった。飛空艦に乗ろうとすれば乗れたのに、乗り込んで逃げる気配すらない。たまらず飛空艦の艦長がモイジ将軍に撤退を進言するが、彼らは清々しい声でこういった。
「先に行くがよい!我らがギムの布石とならんことを!」
彼らの勇気を支えていたのはただ一つ、このギムにいる愛する家族達を守りたい、その一心であった。自分たちはクワ軍の騎士団、子供や老人を守るのが自分たちの仕事。それを全うして死ねるのであれば、彼らにとっては本望に近かった。
苦渋の末、飛空艦の艦長はギムの住民全員が飛空艦に乗ったのを見計らい、撤退することにした。飛空艦が垂直離陸をしてギムの町から離れていったのと、ギムにいた守備隊が玉砕したのはほぼ同時であった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「なぜだぁ!!!なぜ住民が誰一人といない!!!」
怒りに任せて剣を空振りしているのは先遣隊の副将アデムであった。彼の目線の先には猛将と謳われたモイジが腕と足を縄で縛られてアデムの前に座らせられている。
彼が怒りをあらわにする理由、それはギムの住民が誰一人としていないからだ。彼はギムを落とす前、先遣隊に抜擢されギムの亜人を達を嬲ることができることを楽しみにしていた。
しかし、蓋を開けてみればギムはもぬけの殻。いたのは騎士団の連中だけで、楽しみにしていたギムの住民達は人っ子一人いなかった。
アデムは性格が悪い。人格は残忍な方向に歪んでおり、弱いもの達を男女問わず嬲る事を何よりも楽しみとして生きている人間だ。それ故に今回のギムへの侵攻で男女を嬲れる事を楽しみにしていた。しかし、結果はもぬけの殻というわけのわからない現実だけであった。だが、アデムが怒っているのはそれだけが理由ではない。
「住民達はどこだぁぁぁぁ!?さっきの空飛ぶ船は一体なんだぁぁ!?この魔導杖はどこから入手したぁぁ!!答えろぉぉぉぉぉぉ!!」
「ふん、貴様らに教えるわけがなかろう」
挑発的な態度でしらばっくれるモイジ。アデムが怒号をあげて質問する内容は、確実にわかっているはずだが、彼はまったく答えようとしない。
手足を縛られているにもかかわらず、飄々とした態度でこちらにニヤリと笑っている。ギムにいる兵士は玉砕し、完全に負けているのにまるで挑発するかのような態度はアデムの癪に触る。
「殺すっ!!殺してやる!!私を侮辱した貴様は最も残忍な方法で殺してやるっぅぅぅぅ!!」
「ああそうか、ならば好きにするがいい」
「ぐぬぅぅぅぅぅ!!!!」
アデムは怒りのあまり地団駄を踏んで何もない地面を踏みにじる。アデムの顔はくしゃくしゃに歪みきっており、頭に血が上って顔全てが真っ赤に膨れ上がっている。
アデムは思わず自分の剣の柄を握りしめると、上段からモイジの首めがけて一気に振り下ろした。モイジの首がいとも簡単に吹き飛び、近くに転がる。痛みが神経を伝達するよりも早い速度で振り下ろした、屈辱もなく残忍でもないまっさらな殺し方だった。
「この死体は私の魔獣に食わせる!!首はそこらへんの道にでも飾っておけ!!」
アデムは残忍に殺すと言いつつ、あっさりと首を放ってしまったことに苛立ちながら、そこらへんの部下に命令する。
「アデム君、落ち着きたまえ……」
「分かってます……!分かってますともぉぉぉぉ!!」
アデムがここまで激怒しているのにはこれの他にも理由があった。アデムが先程まで怒号をあげてまで問いただしていたのは、ギムで見た全てのことだ。
まず一つはギムの守備隊やクワ軍のワイバーンとの戦闘でいくつか見られた謎の光弾を放つ魔導杖の存在。これのせいでワイバーンが10騎も撃墜されて、地上兵にも死者が出ている。
それが何なのか?一応魔導杖らしきものの鹵獲はしてあるが、魔導士に調べさせてもまったく分からないらしい。証拠人であるモイジは話さなかったし、そもそもさっきアデムが首をはねてしまった。
自分の配下の兵たちにいたずらな死傷者を出して出血を敷いた事がアデムの癪に触る。本来ならば、ほとんど死傷者を出す事なくギムを占拠して、そこにいる若い男女を嬲る楽しみを味わえたはずだ。しかし、それも叶わなかった事がさらに癪に触る。
しかし、本来ならばアデムはそれどころではなかった。
それは昨日アデムの目にもしっかりと確認された巨大な空を飛ぶ船、強力な爆裂魔法、そして黒と青の鉄竜達の存在だ。
アデムはあの空を飛ぶ巨大船を見てからいつもこうして癇癪を起こしている。それが何なのか、正体がつかめない。得体の知れないものを相手にしているかのような何かしらの怖さが、アデムから滲み出ている。
──アデムは怒りの裏に恐怖と焦りを抱えている。
パンドールにはそれが見抜けていた。それを癒すためにギムでの虐殺で心を穏やかにして、また虐殺でもしようかと気味の悪い妄想をしていたのだが、それも叶わなかったので焦りと恐怖の裏返しでこのように癇癪を起こしている。
「我らは何を相手にしようとしてるんだ……」
とは言え、怖がってばかりでは始まらない。こちらとしても本国に調査を依頼したりしたが、帰ってきた答えはなく、ただギムに侵攻して戦争を開始せよという指示だけだった。
本国が頼りにならない以上、自分たちで対処するしかない。パンドールはひとまず、エジェイ方面にまで侵攻する事を考えながらも、空飛ぶ船の正体がわかるまで警戒を怠らないように命じた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「現状を報告せよ」
「はっ!ギムの住民はレヴァームと天ツ上の飛空艦によって輸送され、全員無事です。ただ……ギムにいた守備隊は全滅し、現在ギム以西は、ロ軍の勢力圏となっております」
中央歴1639年4月22日、クワ・トイネ公国政治部会、軍務卿が感情を込めて発言する。ロウリア王国の宣戦布告なしの突然の侵攻に対し、一度は焦った部会の面々であったが、ギムの撤退戦がうまくいったことにより落ち着きを取り戻している。
「そうか……守備隊の奮闘には敬意を表しよう……そのほかの状況は?」
「諜報部の情報によると、ロ軍の作戦兵力は50万に匹敵します。また航空戦力では500騎以上のワイバーンを投入しており、海上では4000隻以上の艦隊が港を出港したとの報告がありました」
ギムでの撤退戦が成功し、レヴァームと天ツ上との軍事同盟があるとは言え、相手は自分たちの軍よりも十倍の兵力を有する本気の相手。彼らは本気で国を取りに来ている、それを自分たちに防げるかどうかは分からなかった。
「そうか……油断はできん状況だな。にしてもそれだけの戦力をロウリアはよく取り揃えたな、どこからか軍事支援があるのだろうか……?」
「情報ではパーパルディア皇国が彼らに軍事支援をしているとの未確認情報もあります」
「パーパルディアか……なるほど、それならばこれだけの兵力も納得がいく。それより、レヴァームと天ツ上はこの事態にどう反応した?」
カナタの言葉に対し、外務卿が発言をする。
「レヴァームおよび天ツ上両国政府は『ロウリア王国の宣戦布告なしでの軍事侵攻は見過ごすことはできない。同盟により、レヴァーム、天ツ上両国政府はクワ・トイネ政府に対し
その言葉に、政治部会のメンバー全員が「おお……」と言葉に包まれる。自国だけでは絶対に勝てないであろうロウリア王国、それに対して援軍を送ってくれるのであれば、願っても無い幸運だ。そのための同盟だ、絶望の淵を静かに朝日が照らそうとしていた。彼ら全員の目がより一層煌びやかに光が灯り、覇気を取り戻す。
「よし!すぐにレヴァームと天ツ上に
「はっ!了解しました!!」