今回はとある飛空士シリーズお馴染みの、殴り合いです。
「住民を避難させるだと!? 貴様何を言っている!?」
エストシラント市市庁舎にて、とある男同士が睨み合っていた。片方は、怒鳴り散らしてもう片方の男の胸ぐらを掴んで叫び散らしている。彼は、パーパルディア皇国皇都防衛隊の陸将メイガだ。
「我が軍の防衛能力を信用できないとでもいうのか!!」
「知ってますとも! 確かに皇軍は強い! ですが、レヴァームと天ツ上は現にアルタラス奪還艦隊を全滅させているんですよ!!」
そのメイガに向かって臆することなく反論するのは、軍人ではない。彼は小綺麗な衣服に何も装飾をつけていない、どちらかと言えば資産家や市長といった出立だ。彼の名はシルガイア、このエストシラントの市長を務める男だ。
「この皇都が戦場になることだってあり得るじゃないですか!!」
「それがどうした! それは海軍の練度が低かっただけだ! それにレヴァームと天ツ上はムーからの支援を受けている! 海では負けて当然だ!」
シルガイアの反論を聞かずに、メイガはエストシラントの外のある丘、陸軍基地のある場所を指差してさらに怒鳴った。
「だが見よ! 我が陸軍の圧倒的な戦力の数々を!! 兵士100万人以上、装甲地竜3000以上! 更にはワイバーンオーバーロード達も制空権を担っている! 奴らはこの皇都の空を見ることなく死ぬのだ!!」
メイガ将軍はそう言って自信満々に答えた。
「ですが! 奴らの飛行機械を前に、ワイバーンオーバーロードでも全滅しているのですよ! もしエストシラントの市民に砲火が飛んできたら、どうするつもりなんですか!?」
「それは……知らん! 対策は機密だ!! それに、貴様はここまで完璧な防御なのに住民を避難させるだと!? 貴様我々が負けると思っているのか!」
そう言ってメイガはしらばっくれて、逆にシルガイアを問い詰めた。彼にとってはシルガイアは敗北主義者に見えていることだろう。
「海で勝てないなら、敵は必ずこのエストシラントに上陸してきますよ! その時、住民達はどうするつもりなんですか! 敵は降伏した相手ですら虐殺しているのですよ!!」
「し……知らん! とにかく、市民には犠牲を出させないし上陸もさせない! 住民の避難は絶対に認めんぞ!! 分かったな!!!」
そう言ってメイガは市長室の扉を勢いよく開けて、ツカツカと歩いていった。彼の後ろ姿を睨みつけながら、シルガイアは呟く。
「全く軍は何もわかっていない……これでは市民の犠牲が出るだけではないか……」
そう言ってシルガイアは、軍の姿勢を真っ向から否定した。彼にとって今のパ皇軍は、はっきり言って職務を全うしていない。自らの私利私欲や面子のために活動することしか出来ない、愚か者の集まりだと思っていた。
「仕方ありませんよ……軍は連戦連敗で焦っているんです。自らの面子が潰れるかもしれないという恐れが、彼らの頭を固くしているんです」
シルガイアの秘書の言葉に、シルガイアはうなずく。敵であるレヴァームと天ツ上によって、軍が連戦連敗していることは市民にも噂程度で知られていた。きっかけは、アルタラス奪還部隊が敗走して帰ってきた時だった。
その時から、エストシラントにいる住民達は次第に気付き始めた。この戦争が負けていることに。
さらに、帰還してきた海軍兵士からの情報で、敵であるレヴァームと天ツ上は降伏しても相手を殲滅していることも判明した。その情報にエストシラント市民は恐怖した、次は自分たちの番だと。
「市民が武器を持って戦おうとするなんて……」
シルガイアは窓の外から武器を持って訓練を行う市民達を見据えた。軍はエストシラントの上陸に備えて、市民にも武器を持たせて訓練を行なっていた。
こんなの狂ってる、シルガイアはそう思っていた。軍は本来市民を守る立場、それなのに市民を守らずに市民に武器を持たせて戦わせるなんて、あってはならない事だ。
「私が士官学校にいた頃は、軍はこんなのではかった……」
シルガイアは過去、若い頃にパーパルディア皇国軍の士官学校に入っていたことがある。卒業もして士官になったが、良い結果は出せずにそのまま何十年もそのままであった。
いつしか、彼は軍の道を諦めて政界に入った。そこでなんとか努力を繰り返し、いつしかエストシラントの市長になるまでになっていた。
「バルスは……こんな軍をどう思うだろうか……」
シルガイアはかつての士官学校での同級生、バルスを思う。成績、運動能力、殆ど変わらなかったが、少しだけシルガイアだけが劣っていた。それが、市長になった今でもずっと蝕んでいた。
地龍とトカゲ、天と地、神と塵芥。劣等感を表す言葉がシルガイアの中で膨れ上がり、ますます惨めな気持ちに苛まれていた。
彼とは少し前に再会していた、例え手の届かない存在になったとしても、一方的に羨む存在になったとしても、バルスはシルガイアを忘れていなかった。
『おおシルガイアではないか。久しいな、元気にしていたか?』
その一言が、シルガイアにとって何よりも嬉しい言葉だった。彼の『戦死は怖くない』という言葉を思い出す、すべてを手に入れた者はこうも自信を貰えるのかと羨ましく思った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
中央暦1640年1月18日
早朝。
澄みきる青空では、身を切るほどの冷たい風が吹く。朝日が地平線から漏れ出て明るくなり、世界の色が目まぐるしく変化していく。その明るい鮮やかな空を、魚影と思しき影が埋め尽くす。
初めは雲海の中に煌く、一つの雨雲かと思われた。しかし、その魚影達は一気に数を増やして空を覆い尽くした。
神聖レヴァーム皇国と帝政天ツ上の飛空艦隊が、威風堂々と歩みを進めていた。艦隊は空に布陣し、アルタラスから北上してエスシラントを空爆するための空母艦隊を展開する。
アルタラスからは、レヴァームの爆撃機編隊が飛行して空母から発艦した護衛のアイレスV達と合流する。この作戦では、エストシラント方面をレヴァーム艦隊が、デュロ方面を天ツ上艦隊がそれぞれ担当することになった。
レヴァームのアイレスVは航続距離が短いため、サン・ヴリエル飛空場からは直接エストシラントまで行くことはできない。そのため、途中まで空母を使って爆撃機編隊と合流するのだ。
この作戦には、この戦争の推移がかかっている。それを無駄にしないためにも、両国軍の兵士たちは意気込んでいた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
青い空がよく見える甲板上、空母ガナドールの甲板上でターナケインは腕に手錠をかけられ、佇んでいた。
「何がチャンスだ……!」
ターナケインは海猫の計らいで独房から連れ出され、空母ガナドールに乗り合わせていた。だが、ターナケインはこの状況に満足いっていない。まるで、まだ舐められているかのような不快感がターナケインをまだ蝕んでいた。
「この空で……何をしろってんだ……」
ターナケインは不愉快感を口であらわにした。自分の翼はもうもがれている、それなのにこんな空に上がって一体何をさせるつもりだと、ターナケインは不満しかない。
『飛空士各員! 最上甲板に集合せよ!』
と、艦内スピーカーから飛空長の号令がかかる。ターナケインにとっても馴染み深い声だが、今はどんな人の声でも苛立ちが募る。手錠をかけられているとはいえ、一応ターナケインも飛空士のため、最上甲板に向かった。
最上甲板では、ガナドールの飛空士達が全員集まって扇状に開いていた。ターナケインもその中に混じり、飛空長の説明を待つ。ふと隣に、海猫の姿が見えた。右掌に包帯を巻いて、まっすぐと正面を見ていた。海猫とターナケインの会話は終始無かった。
「作戦予定時刻まであと少しとなった、これより作戦概要を再説明する」
キリッとした顔立ちの飛空長が、ターナケインをチラリと見たがすぐさま前へ向き直る。
「アルタラスのサン・ヴリエル飛空場から爆撃機隊が発進した。我々ガナドール飛空隊の任務は艦上爆撃機雷撃機によるエストシラントへの空爆。及び爆撃機隊の護衛だ」
黒板には、エストシラントまでの地図と航路が描かれている。それを頭に叩き込み、覚える飛空士達。
「戦空機隊各員は爆撃機隊を援護し、先行して上空の目標を排除せよ。爆撃機隊との合流は上空で行う、以上!」
その言葉を合図に、飛空士達はシュッとして自分の飛空機に乗り込んで点検を行う。まだ作戦まで時間はあるが、予めの整備をしておくのだ。
「…………ターナケイン」
ターナケインを呼ぶ声が聞こえる、海猫の声だとわかるとターナケインはあえてそっぽを向いた。
「……君は、この作戦に来るかい?」
「…………いいえ、行きません」
「そうか……分かったよ」
そう言って、海猫はターナケインを尻目にとぼとぼと歩き、自分の飛空機に乗り込んだ。
「ターナケイン、僕は君を許すよ。だけど、君が来ないならそれでいい」
それをターナケインは一目も見ることはなかった。
「ターナケイン」
と、傍から別の人間の声が聞こえた。若い女性の声、メリエルだ。
「ちょっと格納庫まで来て」
メリエルの声音は、なんだか鋭かった。彼女が怒っているらしい事がターナケインには分かった。
「なんだよ? 出撃するんだろ?」
「悪いけど、まだ時間少しあるから。とにかく来て」
ターナケインは顔を顰め、ガナドールの階段を伝って格納庫まで行く。その道中、ターナケインは彼女が放つ怒りの炎が見えているようだ。ガナドールの格納庫では、爆撃機や雷撃機に爆弾を傾注する作業をしていた。
「なんですか? 時間がないから手短に……」
いきなり、ターナケインの左頬にメリエルの拳が炸裂した。ターナケインの頬に鈍い痛みが伝わり、思わず転げ回る。
「くっ……クハッ!」
口から血液が飛び出し、それを口から吐き出す。
「いきなり何をする!?」
「分からないの? シャルルさんがなんでターナケインに『一緒に行こう』って言ったことの意味を」
「そんなもの……分かるわけ……」
急に近づいた、メリエルの膝が腹部に突き立った。
「うぐっ」
ターナケインの体がくの字に折れ曲がる。他の整備士がギョッとして見守る中、メリエルはターナケインの頭の髪を掴んで叫んだ。
「ターナケイン、あんたは最低よ! シャルルさんがどんな気持ちであんたを誘ったと思って……」
と、ターナケインもやられ仕舞いだと耐えられなかったのか、両手の手錠のまま頭突きを繰り出した。
「へぇ……少しはやる気になった?」
メリエルは頭突きを食らっても、不敵な笑みを浮かべていた。
「殴り合いをしようじゃない、お互いの気持ちをすべてぶつけ合いましょう?」
「望むところだ……!」
メリエルは手錠の鍵をターナケインに投げて渡すと、ターナケインはいそいそと手錠を外す。片方だけ外したところで、ターナケインはファイティングポーズを取った。
ターナケインが繰り出す、禽獣の目つきのまま右拳を振り上げて、メリエルの顔面へ振り下ろした。殴られても、メリエルは楽しげに笑う。
「へぇ、女を殴れるくらいには度胸あるのね!」
「手加減なんて……しないぞ!!」
「でも足りないわ! 憎くもない相手には興味もない?」
「誰がお前なんか!」
「でもね、この世にはね、ナイフで刺されても心を許してくれる人だっているのよ!」
と、メリエルは隙をついて身体を横転させてターナケインを弾き飛ばすと、機敏な動作で立ち上がった。
「あんたが憎かった相手は! ナイフで襲い掛かられてもあんたを許した! シャルルさんはむしろ自分に責任があるって思っているのよ!」
ターナケインはよろけながら立ち上がるが、それをメリエルが掴みかかった。
「それなのにあんたは……あんたはずっと過去に囚われたまんま! 過去の戦争の傷から、抜け出せないでいるだけじゃない!!」
メリエルは掴みかかったまま、ターナケインに説教を掛ける。
「後ろを向いたままで、自分が情けないと思わないの!? あんたの相棒だって、浮かばれないじゃない!」
「うるさい! お前が相棒のことを偉そうにいうな!!」
「じゃああんたの復讐の相手は、さっきなんて言ってた!? 答えなさい!!」
そう言われてターナケインは記憶を探ってみた。そうだ……さっき最上甲板で海猫は自分に声を掛けていた。それをターナケインは無視していたが、今更思い出す。
『ターナケイン、僕は君を許すよ』
そう、海猫は確かそう言っていた。
「……え……?」
今更、そう問い返す。海猫の言葉がまた聞こえてくる。
『だけど、君が来ないならそれでいい』
ターナケインの口がぽかんと開いた。殴れて、切れて、腫れた唇から血を滴らせながら、海猫は自分を許したことを知った。刹那。ずん、とターナケインの脊髄が不可視の槍に串刺しにされた。
「……え……?」
ターナケインはその瞬間、またその問いを聞き返した。海猫は自分を許した? ありえない、自分は海猫に短剣を振りかざしたのに、海猫はその相手を許したのか?
「……う、嘘だ……っ」
ターナケインの口から嗚咽が流れる。呻きが漏れるたびに、情けなさが押し寄せてくる。海猫は自分を許したのに、自分は相手を許せないでいる。その違いが、耐えがたい痛みが、体の内側を散弾みたいに跳ね躍る。
「俺は……俺は……」
ターナケインはそう言って呟いた。油臭い格納庫で、頬から伝った水滴がポタポタと落ちた。
「あいつはナイフで襲い掛かられても、許したのに、俺はあいつを許せないで……」
吐き出せば吐き出すほど、ターナケインの中の神経がズタズタになる。
「俺を憎むことだって……出来たはずなのに……」
いつのまにか、嗚咽は慟哭になっていた。
「なんで……あいつは俺を憎まないんだ……?」
ターナケインは泣くしかなかった、もうメリエルを殴る気力も湧いてこない。しばらく黙ってターナケインを観察して、肩を竦めて笑った。踵を返し、ターナケインを置いて横顔だけを振り返る。
「今更復讐したって、相棒だって報われない。それが分かったら、ターナケイン、後はあなた次第よ」
ターナケインは言われようのない、答えの見つからない疑問を抱く。そして、泣いた。メリエルはそう言って、階段を登って最上甲板に出た。ターナケインは一人、格納庫で取り残された。