何もない空の上。群青色の空が辺りを包み込み、自分を包み込んでいた。
「ここは……」
ターナケインはどこかの空を漂っていた。まるで、海の上でぷかぷかと浮かぶように。眼下に広がるのは、まっさらな空と雲、そして海……いや、その海がパックリと割れて滝のようになっていた。それが、幾千もの先の空の果てまで続いている。
「ここは……?」
もう一度問いただす、答えはない。海面の先には、地平線が見えない。何も、全てが青と白に塗りつぶされたかのような、そんな場所だった。
明らかに非現実的な場所に、ターナケインは辺りを見回す。誰もいない。あたりは自分と空一色だった。
が、その孤独もすぐに終わった。ターナケインは、真後ろから手をかけられた。ねっとりとした液体が、べちゃりと付着する。
「!?」
すぐさま後ろを見る、そこにはターナケインと同じく空に浮遊する一人の人間がいた。だが、その人間は原型を留めていなかった。
「な……な……」
皮膚が焼けただれ、全身が火傷した人間の姿。もはや、種族が何だか分からないレベルである。そいつが、まるで屍者── リビングデッドのようにターナケインに纏わりついてきた。
「や……やめろ!!」
ターナケインはこのふわふわとした浮遊感のあるこの空を、泳いで逃げようとする。が、その行手を阻むように彼の後ろにも人がいた。
振り返る、そいつは右腕をもぎ取られてぷらぷらさせていた。痛そうに悶えている彼は、焼けただれた先ほどの奴と違い、飛行服を着ていた。そのデザインは、パーパルディア皇国の竜騎士のものだった。
「こいつら……まさか……」
ターナケインは戦慄した。この二人は、どちらもターナケインが撃ち落とした竜騎士だった。何度か乱戦になっていくうちに、焼夷弾や徹甲弾で撃ち抜かれて、燃え尽きたりした竜騎士を見てきた。
自分が覚えている中で、パーパルディア皇国の竜騎士と対峙したのは、エスシラントでの大空戦しかない。こいつらは自分が殺した竜騎士だ、そこで悟った。
さらにターナケインの周りに、竜騎士のリビングデッドがどんどん出てきた。彼の周りに集まり、下の海上に引き摺り下ろそうとしている。その途端、釣り糸がぷっつりと切れたかのようにターナケインはリビングデッドと一緒に落下し始めた。
「助け……助けて……!」
ターナケインは墜ちていく。下は海原、高度およそ5000メートルから自由落下していく。落下傘は無い、このままだと死ぬ!
その時、虫の羽音のようなプロペラ音が鳴り響いた。水素スタックの轟きと、翼が風を切る音が聞こえてくる。
「!!」
見えた、それはアイレスVだった。翼で空を切り、胴体のマークをターナケインに見せつける。そのマークは、海猫だった。
「シャルルさん……!」
和解した相手の名前を呼ぶ、ターナケインは空から落ちていった。
「シャルルさん! シャルルさん!!」
シャルルさんは臆することなく飛んでいく。
「ハッ! ハァ……ハァ……ハァ……」
自分の声で目が覚める。寝ぼけた目蓋は今のでパッチリと覚め、真っ白なシーツが胸の前にかけてある。
周囲を見渡すと、ターナケインが収容されているガナドールの営倉であった。窓の外にはエストシラントの街並みが見えている、占領したエストシラント港である。
「これは……」
ターナケインは夢だったことを安心しつつ、先ほど見た夢の中のことを思い出す。自分が殺してきた人間が、そのまま出てきた。まるで、自分に恨みを持っているかのようなその出立は、ターナケインの恐怖を煽った。
今思い出しても、恐怖で汗がにじみ出る。ターナケインは首を振るって、それを忘れようとする。
「あ……」
そこで、ターナケインは気づいた。自分は今、自分で殺した人のことを忘れようとしていた。
『僕は考えないようにしているよ』
『……人が死ぬことは悲しい、だからもう何も考えない事にしたんだ。そうすれば、もう悲しむ事もなくなるから…………』
自分が凶行に走らせ、この営倉に囚われるきっかけとなったあの言葉。それを、ターナケインは思い出した。
「あなたが言っていたのは……この事だったのか……?」
ターナケインは、計らずも夢でシャルルの言っていた意味を思い知らされた。そして、自分はいかに情けなく、シャルルの事を考えていなかった事を思い知らされた。
彼だって、自分が殺してきた人間のことを覚えていられないのだ。覚えていたら、自分が狂ってしまう。シャルルだって、その辛さを彼は耐えているのだ。
「ターナケイン、起きた?」
その時、営倉の外側から鍵のチャラチャラという音が聞こえてくる。それと、少女の声がターナケインの耳に届いた。
「メリエルさん」
栗色の髪の毛に、小柄な背丈、頭につけた白いカチューシャの三拍子。間違いない、目付役のメリエルだった。
「朝食だけど、来る?」
「あ、はい。行きます」
ターナケインはメリエルやシャルルの計らいで、目付役を付けての営倉からの自由行動が許されていた。鍵を開けてもらい、そのままメリエルの目付役でそのまま付いていく。
メリエルの後に続いて辿り着いたのは、ガナドールの食堂だった。もうすでに何人かの飛空士達が集まっていて、食事をしていた。
「ん?」
しかし、その飛空士達の様子がおかしい。皆顔を俯かせてぶつぶつと何かを呟いていた。中には、顔面蒼白の者もいる。
「これは一体……」
「……みんな、不思議なことだけど一斉に悪い夢を見たらしいの」
「悪い夢?」
「うん、見たのは全員エストシラントで虐殺をやらかした人でね……」
彼女がいうには、夢を見たのは全員エストシラントの上空で市民を虐殺して、爆撃機隊を危険に晒した飛空士達なのだという。この戦争が終わったら、処罰が下る飛空士達だ。
「俺は悪くない……妹を殺したあいつらが悪いんだ……なのにどうして……」
「あいつらだって同じ事した癖に……何で俺達だけこんな夢を……」
彼らは何かをぶつぶつと呟きながら、項垂れていた。皆一様に生気がない。
「何故か死体が追っかけてくる夢とか、死体が纏わりついてくる夢を見たらしいの」
「…………」
ターナケインは、同じような夢を見た者としてなんとも言えない気持ちになった。ターナケインは食事を運びながら、またそのことを考えていた。
──シャルルさんは、殺した人のことを覚えていられないんだ。
──それほど、彼の心は病んでいる……
ターナケインは改めて、自分の情けなさを感じていた。食事を終えた後、やってきた飛空長の命令でターナケインを含めた飛空士達が、全てブリーフィングルームに集まった。
「ターナケイン」
「シャルルさん」
そこには一足先に、シャルルの姿がいた。彼に挨拶して、今後の作戦について話す。
「レミールとかいう奴はリームに逃げたそうですね」
「うん、しぶとい奴だよ……彼女を捕まえない限り、この戦争は終わらない」
シャルルはそう言って鋭い視線を地図上に向けた、その先にはリーム王国が写っている。
「作戦を説明する」
飛空長の合図とともに作戦説明が始まった。黒板に取り付けられた地図とともに、矢印が描かれている。
「国賊レミールの居場所が分かった、フィルアデス大陸の外れのリーム王国だ」
飛空長がそう言うと、飛空士達に「おお」という小さい歓喜の声が上がった。いつまでもこのエストシラント港にいるわけにはいかない、さっさとレミールを捕まえなければ。
「この国は、準列強と呼ばれている国で、それなりに国力がある。だが、装備の質はパ皇軍以下だ、問題はない。
我々連合軍はエストシラントから飛空艦と陸上部隊が北上、聖都パールネウスを抜け地方都市アルーニにあるパ皇軍基地を飛空艦の打撃力で叩く」
地図に青い線が引かれ、連合軍の経路が示される。すでに占拠しているエストシラントから陸上部隊を引き連れ、北へ北上する。
「なお、このアルーニには73カ国連合も加わり、北と南から包囲する」
地図上に緑色の線が引かれる。73カ国連合の侵攻路である。彼らとは通信で連絡をし合っており、互いの連携は容易い。
「そして、陸上部隊を引き連れてカースを抜け、進路を北東に取り、アルークを抜けてリーム王国へ侵攻する。以上が作戦だ、何か質問は?」
手を挙げるものはいない。今回の作戦には、安心して臨めそうだ。
「よし、作戦開始は本日一三:〇〇だ、各員準備を忘れるな!」
「「「「はっ!!」」」」
◇◆◇◆◇◆◇◆
「神聖ミリシアル帝国とムーから外交文書が届きました……」
「…………」
リーム王国王都ヒキルガ、王城セルコ城にて、諸侯のキルタナがミリシアルとムーから届いた外交文書を読み上げる。
神聖ミリシアル帝国及びムー国は、自由パールネウス共和国の樹立を支持するものとする。そして以後、自由パールネウス共和国に支援を惜しまない。
皇女レミールは自由パールネウス共和国の平和を乱す国賊とみなす。彼女の身柄拘束を目標と掲げる神聖レヴァーム皇国と帝政天ツ上にはあらゆる支援を惜しまない。
国賊レミールを匿っているリーム王国は、レヴァームと天ツ上へその身柄を即刻引き渡せ。
なお、この命令が受け入れられない場合は、第三文明圏全域が敵となり、宣戦布告をされるであろう。神聖ミリシアル帝国とムー国、そして神聖レヴァーム皇国と帝政天ツ上も彼らへの支援を惜しまない。
第三文明圏を敵に回すか、大人しく引き渡すか、選択肢は二つしかない。貴国の賢明な判断を期待する。
「以上です……」
その会議室の場に、沈黙が流れた。レヴァームと天ツ上どころか、ミリシアルにムーもパールネウスを支持し、リームにレミールの身柄引渡しを求めてきている。
しかし、簡単に引き渡すわけにはいかない。そんなことをすれば、最新式装備のパーパルディア皇国軍がリームへ攻めてくる。ならそもそも亡命を受け入れるべきじゃなかったと、誰もがバンクスを恨み節であった。
「あああぁぁぁ───!! あああああぅうううぉぉぉぉぉぉ!!!」
王城の中に響き渡る、突然の奇声。
「国王陛下!! どうされました!!??」
「ああああぁぁぁぁぁ──うぁぁぁぁ──」
国王バンクスは泣き叫びながら、顔をひっかき、付近の花瓶をたたき割る。そのほかにも、辺りにある絵画やテーブルの上の書類をビリビリに破く。
「お気を!! お気を確かに!!」
「奴らが、奴らが攻めてくる!! 差し出しても攻めてくる!! なにもかも終わりだぁぁぁぁ!!!」
そう言って顔をビリビリに掻く。その錯乱した様子を見て、側近は先ほど話していた事に思い至る。
「国王陛下!! パーパルディアに脅されてしたと言えばなんとかなるのではないでしょうか?」
「相手はレヴァームと天ツ上だけじゃない! 73ヵ国に、ミリシアルにムーだぞ!! 無理だ! 無理だぁぁぁぁ!! おおぉぉぉぉ!!」
国王バンクスの泣き叫ぶ声は夜通し王城に響き渡るのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
話は少しだけ遡る。去年1639年の12月、丁度パーパルディアとの戦争が始まった頃。その海沿いの沿岸部に20隻の潜水艦が到着した。
デル・ガラパゴス級潜水艦、神聖レヴァーム皇国の最新鋭潜水艦だ。それが、夜間のうちに溪谷を飛行してとある秘密基地にたどり着いた。
『デル・ガラパゴス級潜水艦』
スペック
基準排水量:2400トン
全長:110メートル
全幅:10メートル
機関:小型揚力装置4基
武装:
空雷魚雷発射管10門(艦首6門、艦尾4門)
20ミリ機関砲2基
同型艦:180隻
大瀑布を越え、通商破壊を行うのが主任務のレヴァームと天ツ上の潜水艦には揚力装置が付いている。
水素電池による発電によってほぼ無限に近い潜航時間を誇る潜水艦は、レヴァームでさらに改良されて、流体的な船体設計と揚力装置のオーバーブースト機能によって水中でも20ノットを叩き出せる。
渓谷の先の湖に作られた秘密基地にたどり着いたデル・ガラパゴス級潜水艦20隻は、そのまま物資を下ろして順々にレヴァーム本土に帰投していった。
そして、その数ヶ月後──
『こちら第3区! 敵の進軍スピードが速すぎる! 相手は魔導銃を連射している! 3個大隊だけでは到底対応できない、至急応援を要請する!!』
「了解、竜騎士21騎を派遣する。なんとか持ち堪えてくれ!」
『助かる、頼んだぞ!!』
パ皇軍即応隊長リスカは、魔信で悲鳴のような声に対応していた。73か国連合と呼ばれる烏合の衆に、パ皇軍は苦戦していた。カースはすでに反乱軍の手に落ち、カースの南端にある都市アルーニではすでに戦闘が起こっていた。
北から迫りくる73か国連合と、南から来るレヴァーム天ツ上連合に挟まれ、すでに退路を断たれた聖都防衛隊アルーニ基地はもはや基地として機能していない。
エストシラント、デュロに続くパ皇軍三大基地として知られていた聖都防衛隊アルーニ基地は、前後から挟まれて包囲殲滅されていた。
「リスカ隊長! 南からレヴァーム天ツ上連合の軍が迫っています! そちらにも竜騎士を!!」
傍らに控えていた副隊長が、リスカにそう進言した。しかし、アルーニ基地にも余裕がない。
「もうこれで竜騎士は全部だ! 滑走路もやられてワイバーンロードしか離陸できん!」
幸いにもここの地帯は大気中の魔素が多いため、ワイバーンロードは離陸できた。しかし、それだけで地上では劣勢を強いられている。
「南ではこれ以上耐えられません! 南にも増援を!!」
「もう送った筈だ!! 地上兵だけで頑張ってくれ!!」
作戦司令室では、怒号が飛び交っていた。北と南から挟まれている最悪の状況な上に、兵力も足りない。おまけに、通信では敵は魔導銃らしきものを連射してきているらしい。
それもそのはず、73か国連合には天ツ上製の武器や弾薬が配られていた。数ヶ月前にデル・ガラパゴス級潜水艦で属領に配られたこの武器は、それの使い方も訓練されているため、装備でも練度でも73か国連合にパ皇軍は対抗できないのだ。
『こちら南部方面軍! ワイバーンロードが敵の飛行機械に全部落とされた!! 至急応援……ザッ!!』
「なんだ!?」
突然相手との通信が途絶えたと思ったら、地鳴りのような響きが基地を揺さぶった。そして、その後に金切り音のような拍子の抜けた音が響いてくる。
「あぶないっ!!」
咄嗟に副隊長が、リスカに覆い被さって彼を庇った。その途端、巨大な爆煙と衝撃がリスカを包んだ。耳鳴りがし、何も聞こえなくなる。
「くっ……」
瓦礫に包まれて、その先に見える空から鯨のような物体が空を飛んでいるのが見えた。レヴァームと天ツ上の艦隊だった。
「ぐっ……レヴァームに天ツ上め……!」
そこで、リスカは力尽きた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「やったぞー!! パーパルディアに勝った!!」
「陸軍基地を吹き飛ばしてやったぞ! 流石はレヴァームと天ツ上だ!!」
兵士達が歓喜に満ちる。レヴァームと天ツ上から提供された武器であるボルトアクション式ライフルや機関銃を掲げ、自軍の勝利の貢献者を称える。
「勝利の鯨だ……あの船さえあればこの戦争は勝てる……!」
73カ国連合を束ねる司令官ミーゴも、思わず歓喜の声を鳴らす。彼も、レヴァームと天ツ上の飛空船の頼もしさを直に見ていた。
「「「「レヴァーム天ツ上万歳! レヴァーム天ツ上万歳!! レヴァーム天ツ上万歳!!!」」」」
レヴァームと天ツ上を讃える声は、兵士たちの間に広まっていった。