とある飛空士への召喚録   作:創作家ZERO零

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第4話〜混沌〜

 

「これはひどい…………」

 

 

大刀洗湾にどりついた飛空駆逐艦『竜巻』の艦長、米秋の第一声はそれだけだった。飛空駆逐艦竜巻から見下ろす淡島の港、そこにあったのは立派な軍民兼用の立派な港……ではなく、もはや港だった何かだ。

 

大刀洗湾の港は散々な光景であった。コンクリート固めの桟橋はまるで抉られているかのように断崖絶壁となり、周りの自然でできた海岸線すらもぶっつりと切り取られたように崖が切り立っていた。

 

海の海抜は深く沈み込み、断崖絶壁と合わさって登れなくなってしまっている。洋上の軍艦や民間の船舶たちがその深い海に浮かんでいるが、乗務員たちは乗り降りができずに困り果てていた。

 

中には混乱の影響なのか、船同士で衝突を起こして転覆しているものもいた。死者がいなければいいが。さらに悲惨だったのはドックにいた船たちだ。ドックから海へとつながる桟橋はぶっつりと切り取られた崖になっており、これではもう海に下ろすことはできないであろう。

 

 

『クレーンを使って乗組員を救助しろ!なんとしてでも助け出せ!!』

『海流がまだ乱れてる!洋上艦は衝突に注意するんだ!!』

 

 

通信回路からは怒号が飛び交っている。

 

 

「一体何が起きているんだ……」

「わかりません。情報によればあの現象の後、光が覚めてみればこの有様だったと。さらに海流も乱れ、衝突する船が相次いだそうです」

 

 

原因は不明、それが現実だった。十中八九あの現象による被害の一つだと思われるが、一体全体どうしたらこうなるのかがつかめない。

 

 

「艦長、司令部より新たな命令を受信しました」

 

 

先ほどの現象の不安や混乱が残る中、それを打ち破ったのは竜巻の通信士官の一報だった。米秋艦長は「うむ」と答えると、電報の紙を抱えた士官が艦長のいる上部艦橋まで登って内容に耳を貸す。

 

 

「はい、『飛空駆逐艦竜巻はドックに入港、補給の後、天ツ上政府の外交官を乗せてレヴァームへと出航せよ。なお、レヴァーム政府からの許可は下りている』……との事です」

「外交官を乗せてレヴァームまで行けと?」

「はい、なんでもこの事態に対して共同で対策を取るとのことで……」

「そうか、……目的地は?」

「行き先はトレバス環礁。外交官はそこから民間の飛空機に乗り換えるようです」

「了解した、全艦にこの命令を通達。着陸の後、再びの出航準備にかかれ」

「はっ!」

 

 

その号令とともに、竜巻は淡島のドックに到着した。港は大騒ぎだが、陸上にある飛空艦のドックは無傷で残っている。竜巻はそのドックへ向かってだんだんと降下して行く。飛空機械が滑走路に着陸するかのような出で立ちとやり方だ。

 

 

「高度100、降下率異常なし」

「降下率そのまま!」

「降下そのまま、ヨーソロー!」

 

 

飛空艦の着陸手順は簡単だ。着水と違い、わざわざ揚力装置のプロペラを垂直にする必要がないし、プロペラを縦にしたままゆっくりとドックに降下すればいい。

 

 

「高度50、40、30、20」

「ランディングギヤ下ろせ」

「ランディングギヤ下ろします!」

 

 

まず着地用のランディングギヤが竜巻の4面から下され、着陸態勢に入る。同時に空気抵抗も上がり、降下率が上昇する。そして高度がだんだんと下がって行く。陸上に設けられた飛空艦ドックの四角い箱庭がしっかりと真下に映る。

 

 

「ペラ停止、フラップ下ろせ」

「ペラ停止!フラップ下ろします!」

 

 

高度がある程度下がったところでプロペラを停止、ここは地表なのでわざわざ揚力装置のプロペラをフェザリグする必要はない。同時にフラップを下ろし、失われた揚力を補いながら降下する。

 

 

「着地します」

 

 

キキッというタイヤの音とともに竜巻が着地する。衝撃はほとんどない、見事なまでの地表着陸だった。着陸した後、竜巻は補給作業に入る。燃料となる海水を補給して、乗務員に束の間の休憩を与える。この後すぐに次の任務が待っているので、少しは休ませておいたほうがいい。

 

米秋艦長は副長と一部士官とともに竜巻の艦橋上部にまで登ると、太刀洗港を見下ろした。相変わらず酷い有様で、洋上の船たちは皆海岸線にできた断崖絶壁のせいで使い物にならなくなっていた。

 

 

「これでは洋上艦は全滅だな」

「はい。飛空艦などは被害が無い模様なので、今後は飛空艦しか動かせないでしょう」

「……おそらく原因は」

 

 

米秋艦長は海の向こうを見据える。その先には、遠く遠くの海が沈み込むように見えなくなり、青空との境界線を作っていた。

 

 

「あの地平線か……」

 

 

あの現象の後に現れ始めた海原が沈み込む現象。丸い球体惑星で地平線と呼ばれる現象だった。少なくとも、あの地平線がこの現象の全ての原因と天ツ上では言われている。

 

今の今まであんな地平線は自分たちのいる惑星には現れていなかった。自分たちのいる惑星は今まで平面惑星だと言われてきたからだ。しかし、そんな平面惑星にいきなり地平線が現れた。

 

今まで平面だった大陸が、いきなり球面惑星に歪んだらどうなるだろうか?湾曲した面に対し、平面の大陸。海岸線は崖となり、大陸の海抜は高くなる。大変な地殻変動が起きていないだけマシというが、それでも大変な事態だった。

 

しかし、普通は平面惑星がいきなり球面惑星になることなどあり得ない。そうなれば大陸も地殻変動が起きて形が丸くなるはずだがらだ。ならばこんなことが起こるのなら、可能性は一つしかない。

 

 

「まさか……大陸が転移したのか…………」

「私もそうとしか考えられません……」

 

 

大陸が別の惑星に転移した。職業軍人が証明できるものではないが、あくまで仮説だ。しかし、それならばいきなり地平線が現れたのも頷けるのが恐ろしい。

 

 

「どうなることやら……これは我々に対する試練なのか……」

 

 

米秋艦長は空を仰ぐ。空は天球のような形に歪み、天ツ上全体を包み込むような光景であった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

一時は「世界は暗闇に閉ざされて、朝はもうやってこない」とまで騒がれたが、日の出は普通にやってきた。

 

日が昇ったのはあの現象から6時間後の朝6時であり、両国の国民は安堵した。世界が闇に閉ざされるなんてオカルトな結末は起こらずに済んだと。しかし政府からは原因は全く発表されておらず、またさらなる混乱が予想されていた。それはこの国でも同じであった。

 

帝政天ツ上。

 

大瀑布に隔てられたこの世界において、この国家の名前を知らぬ者はいないであろう。大瀑布に隔てられた海の向こう側、人々が東海と呼んでいた場所にある大陸国家。かつての中央海戦争にて十倍の国力を持つレヴァームに戦争を仕掛け、善戦したサムライの国。

 

戦争後は、レヴァームから歩み寄りを始めたおかげで双方の仲は良くなっていた。かつてお互いを差別し合っていたとは思えないくらいの歩み寄りであった。

 

その間に天ツ上は経済を発展させ、戦後復興の名目のもと天ツ上はかつてない大成長を遂げていた。天ツ上製の質のいい製品が大瀑布を超えてレヴァームへと輸出される貿易によって彼らの経済は発展し、レヴァームとの国力の差も五分の一になるまで成長している。

 

そんな天ツ上もあの現象と大瀑布消失のニュースを聞き、大パニックとなっていた。人々は「この世の終わりだ」や「神々が怒っている」等々の根拠なき憶測が広まり、首都東都の街は大混乱に陥った。

 

 

「全くとんでも無いことになった……」

「ええ……」

 

 

帝政天ツ上外務省庁舎、立派な煉瓦造りの庁舎にて外交官の朝田と田中はそう呟くことしかできなかった。外交官、と言っても彼らの相手はレヴァーム皇国しか今のところいない。普通なら一度に様々な国を相手に交渉をする外交官だが、相手がたった一国しかいないために暇な職業だった。

 

そして、彼らも国家の緊急事態として深夜にもかかわらず召集された。しかし、彼らのやることは不安を押しのけて窓の晴れ渡る空を見上げることだけだった。物理学者でも天文学者でもない彼らにとっては、何かをしたくても何もできないのが現状であった。

 

 

「天ツ上全土が大混乱になっているというのに……何もできないとは……」

 

 

その時、朝田たちのいる執務室の扉がバタンと勢いよく開かれた。外交官仲間が焦った口調で報告をする。

 

 

「大変です!レヴァームに新たな動きがありました!」

「なんだと!?」

 

 

外交官の報告に、朝田は目を見開いて驚きしかなかった。

 

今まで彼らはレヴァームの動向に対して迅速に対応できるように待機を命じられたのだ。この不可解な現象に乗じて、レヴァームに動きがあるかもしれない。その時、すぐさま交渉のテーブルを用意できるのは彼らだけだからだ。

 

そして、そのレヴァームに直接的な動きがあった。何かの軍事行動だろうか?それとも停戦条約の破棄だろうか?もし本当ならば、それだけでも緊急事態だ。

 

 

「何にが起きたんです?レヴァームの動きとは……?」

「そ、それが……」

 

 

外交官仲間は息を整えて報告をする。

 

 

「レヴァームから直接連絡がありました。レヴァームは天ツ上と同盟を結びたいとおっしゃっています」

「!?」

「ど、同盟ですか!?」

 

 

朝田たちは信じられない思いで溢れかえった。

 

レヴァームとは朝田たちの交渉により、戦争から四年で停戦条約を結んでいる。それはつまり戦争が停止している状態であり、実質的な敵であることには変わりはない。まだ戦争は終わっていないのだ。

 

レヴァーム側が友好的とは言え、二国間は緊張状態。そんな相手に講和条約も結んでいないのにいきなり同盟を持ちかけるとは、朝田は信じられなかった。

 

 

「いきなり同盟を……?」

「ええ、講和条約の締結も望んでいるようで相当な譲歩に走ったようです。なんでも、この不測の緊急事態に対し、共に解決へ導くための親愛なる友人が欲しいと言っております」

「親愛なる友人か」

 

 

たしかにこの謎の現象と大瀑布の消失は天ツ上どころか、人類全体の危機に等しいと考えてもいい。その解決のためには、天ツ上と手を結ぶほかないと。レヴァーム側は相当な大決断をしたようであった。

 

 

「それに対し、政府はなんと?」

「はい、直ちに外交官はレヴァームとの交渉のテーブルに着くように命令が来ています」

「……政府の要求は?」

「政府もあの戦争を繰り返したくないようです。なので、講和条約に肯定的で同盟関係の締結も視野に入れているとのことです」

「政府側も譲歩したか……」

 

 

朝田は納得する。この四年間で経済を発展させたとは言え、まだレヴァームとの国力の差は五倍に近い。またあの勝てるかもどうかわからない戦争を繰り返したくない政府は、レヴァーム側から来た願っても無い譲歩のチャンスに飛びつく形だ。

 

 

「わかった、今すぐ出発しよう」

「はい、政府が飛空駆逐艦を用意しています。淡島まで飛空機で移動してそこから出発します」

「?、いくらなんでも飛空艦でいくのか?せっかく大瀑布がなくなったんだから洋上艦でもいいんじゃないか?」

「それが……」

「?」

「現在、天ツ上全土の洋上艦の港が使い物にならなくなっているんです……」

 

 

そう、彼の言う通り天ツ上の港は全て断崖絶壁に変化してしまい、使い物にならなくなっていた。洋上艦は接岸できないので実質全滅、その中で唯一使えたのが空を飛ぶ飛空艦であったのだ。

 

 

「そ、そうなのか……わかった。飛空駆逐艦のいる淡島まで急ごう」

「はい!」

 

 

朝田は部下を連れ、会議室の扉を勢いよく飛び出していった。外交官市庁舎の前の車に乗り込み、そのまま東都の飛空場までノンストップで向かって行く。

 

東都は混乱状態にあった。民衆が暴徒化寸前であり、政府に対してこの事態の説明を求めている。政府庁舎には数万人規模の民衆が集まり、プラカードを掲げたり、暴言を吐いたりと混沌としている。さらに、道行く東都の街もかなり乱れている。ところどころで略奪が行われたのか店のガラスが破られ、チラシが紙吹雪のように舞っている。

 

 

「ひどい有様だ……」

 

 

朝田は思わず呟いた。そして、一行は飛空機械に乗って淡島まで乗り継いだ。太刀洗港で待っていた飛空駆逐艦敷島に乗ると、彼らはすぐさま交渉のテーブルへと出発した。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

大瀑布があったであろう場所を超え、トレバス環礁のドックに迎え入れられると、朝田たちはレヴァームの用意した旅客機に乗り換える。ちなみにこの旅客機、レヴァーム空軍の爆撃機グラナダⅡを改造したものだ。

 

数時間のフライトののち、朝田たちが皇都エスメラルダの飛空場に着くとそこは彼らにとって見慣れたエスメラルダの姿でないことにすぐに気づいた。

 

 

「どうやらここでも混乱が広がっているようですね……」

「ああ……」

 

 

朝田の補佐としてついてきた篠原が思わず呟く。車に乗り換えた一行が車窓から見ているのは経済の中心として栄えたエスメラルダの新市街ではなく、混乱と略奪による爪痕の残るボロボロの姿だった。

 

今エスメラルダは戒厳令が敷かれているため、もう暴動などが起こる気配はない。しかし、これは天ツ上の東都でも起きていた事だった為、他人事ではない。

 

一行は、そのまま橋を越え旧市街の宮殿まで直接案内された。外交の場とはいえ、直接宮殿まで案内するのはどう言った意図があるのかは分からなかった。が、それほど急務という事であろう。そのまま彼らは交渉の場として使われる来賓用の交渉室に案内されて身構えていた。

 

 

「いよいよですね……」

「ああ、俺たちの交渉次第でレヴァームと天ツ上の命運が決まるかもしれない……」

 

 

朝田は緊張する。それだけ今回の交渉はそれだけ重大な責任を背負っていた。やがてガチャリという音がして扉が開くと、レヴァーム側の人間であろう数人の人物が入ってきた。その面々に、朝田たちは思わず立ち上がって礼をする。その中になんとレヴァームのトップ、ファナ・レヴァーム執政長官が含まれていたからだった。

 

 

「こ、これは執政長官殿!わざわざおいでくださるとは……」

 

 

朝田たちがぴっちり45度で礼をする。天ツ上において、目上の人に対してする最上位の礼の仕方だった。レヴァームのトップと呼ばれる人間がわざわざ外交の場に出でくるとは、朝田たちも思っていなかった。光芒5里に及ぶと呼ばれる美貌が少し微笑む。

 

 

「頭をお上げください、今回の交渉の場は対等な立場なのですから」

「あ、ありがとうございます……」

 

 

というものの、ファナ長官の前では思わず恐縮してしまう。そんな一幕とともに、交渉は始まった。

 

天ツ上側は朝田、田中、篠原他数名。朝田の補佐の篠原は会談の内容を本国に伝える裏方の仕事に就く。レヴァーム側はファナ執政長官、マクセル、ナミッツ他数名、人数は天ツ上側と一緒だ。

 

お互いが名乗りあって社交辞令を交わすと、交渉が始まった。

 

 

「別の星に転移……ですか?」

「はい、わたくしどもはこの現象をそう考えております」

 

 

交渉が始まってすぐ、ファナ・レヴァームからそんな突拍子も無い言葉が出てきた。朝田たちはとてもじゃないが、信じられない現象だった。

 

 

「今回の現象。まず地平線の出現と海岸線の起伏、これはこの世界が急に球面惑星になったと考える他ないでしょう。そうでなければ、この一連の現象は説明できません。大瀑布がなくなったのも重大な証拠です」

「確かに……言われてみればこの現象は別惑星への転移と考えても良い……」

 

朝田たちは信じられない雰囲気だったが、改めて証拠を並べられるとこれで納得してしまうのも恐ろしい。

 

 

「にしても、レヴァームと天ツ上が一緒に転移とは……」

「はい、二国間が一緒に転移したことが幸いでした。片方のみではこの窮地を脱することが出来たかどうか分かりませんから」

 

 

ファナ執政長官はそれを言うと少し目を閉じて呼吸を整える。そして、いよいよ本題へと入った。

 

 

「二国はこうして転移してきました。この世界は謎だらけです、どんな窮地が訪れ、どんな困難が待ち受けているのかわかりません」

 

 

そこで、とファナは続ける。

 

 

「わたくしどもはレヴァームと天ツ上の間で早急に講和条約を締結させ同盟を結び、共にこの困難を乗り越えて行きたいと思っております」

 

 

ファナ・レヴァームは強くしっかりとその意思を伝えた。五里の光芒の目がキリッとしまりつけ、彼女の決意をあらわにしている。

 

 

「わかりました、今私は天ツ上より全権を預かっております。この場であの下らない戦争を終わらせましょう」

 

 

交渉というゲームの中で、あの愚かな中央海戦争が終わりを告げようとしていた。

 

交渉は着々と進む。まず、レヴァームと天ツ上の間で起こった中央海戦争の完全終結を宣言、正式な講和条約を結んだ。もはや、二つの国の間に憎悪など存在しない。これであの戦争は終わり、お互いを人間として認め合うことができるようになった。

 

次に、レヴァームと天ツ上の間で平等な安全保障条約を結ぶ。実質的な同盟のような内容のそれは、この世界を生き抜くために必要となる。

 

途中、両国軍の管理や処遇。さらには軍事バランスをどうするかなどで協議された。その結果、両国軍の軍事バランスを調節する条約が締結された。さらには両国が持っていた軍事技術などを技術交流会などを用いて隔たりをなくす措置がとられた。

 

これで天ツ上の持つ酸素空雷、レヴァームの持つ近接信管などの中核技術などが両国に輸出され、軍事バランスが整えられる。そうすれば、もう両国の間で戦争は起きなくなるだろう。

 

交渉は休憩を挟んで丸2日かかった。いや、それしかかからなかった。国の行く末が決まる交渉が数日単位で終了することは少ない。それだけレヴァームは天ツ上と同盟を結びたがっていたということだった。

 

その進展は天ツ上政府に伝えられ、交渉が着々と進んでいることに安心した。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

中央歴1639年1月23日

 

クワ・トイネ公国海軍の軍船ピーマの上でミドリ船長は焦っていた。クワ・トイネ公国の領海周辺に濃い霧が発生、視界は百メートルもかくやというほどの濃霧だった。

 

公国北東方面、そんな濃い霧に覆われた海を哨戒していたら遠くの空の上に真っ黒い物体を発見したのだ。それがなんなのかを確かめるため、近づいてみればそれは異形だった。

 

空に浮かぶ船、異形をなんとか形容するならばそんな感じであろう。黒光りする船体に、ピーマをも超える大きさの巨体。まるでクジラを思わせるような魚影だ。

 

そして、霧でよく見えないが、帆が付いていないのだ。船体の横には何の用途かわからない風車が付いている。そして、何より奴は空を飛んでいたのだ。

 

 

「一体なんなのだ……あれは……」

 

 

ミドリ船長は思わず呟く。船が空を飛ぶなど第二文明圏の飛行船でもなければ無理な話だが、あれはどう見ても飛空船の規模ではない。飛行船を見たことのある彼は、そもそも基本的な構造自体が全く違うことを感じ取っていたのだ。というか、プライドの塊の多い第三文明圏の飛空船が、こんな場所までやってくるなんて考えられなかった。己の憶測では推測しきれない。

 

 

「船長……どうしますか?」

「……魔信で司令部まで連絡しろ。とりあえずは接触だ……臨検をするぞ」

「了解です!速度上げるぞ!よーそろー!!」

 

 

そう言ってミドリ船長は部下に指示をし、ピーマを加速態勢に入らせる。船底からオールが飛び出し、立派な帆を張って速度を上げる。太鼓の音ともにオールがリズムよく漕ぎ出して、ピーマは向かって行く。その間で、ミドリ船長は考えに耽る。一体あの船はどこのどいつのものなのだろうか?

 

 

「!?、所属不明船が加速しました!」

 

 

魚影が動き出したのを見張員が確認した。ミドリ船長も双眼鏡を手にそれを確認するが目を疑う。速さが異常なまでに早いのだ。

 

 

「な、なんて速さだ……!」

 

 

あの巨体でありながらピーマよりも早く動いて接近してくる。一体どこの所属の船なのだろうか?この世界は広い、自分たちが把握している範囲の外から未確認国家が新たに誕生したのかもしれない。

 

あの巨大飛行船を作れるほどの国はそうそういないだろう。下手をすれば列強であるパールパルディア皇国の国力、いやもしかしたら神聖ミシリアルをも技術で超えているかもしれない。

 

そんな国と衝突してしまったら……今緊張状態にあるロウリア王国どころではない。やがて両者が一定の距離に近づくと、魚影は速度を緩めてピーマに取り付く。まるでこちらを見下し、蔑むかのように魚影が見下ろしてくる。

 

 

『我々は帝政天ツ上海軍である!貴船は天ツ上の領海内に侵入している!所属と目的を明らかにせよ!』

 

 

魚影から人の声とは思えないほどの大音量が響き渡る。思わず耳を塞いでしまうほどの声の大きさだ。おそらく、魔法で声を増幅しているのだろう。恐怖で顔が疼くむ。しかし、彼らは腐っても軍人。意味不明なことを言う魚影に対しては断固として祖国の海を守る義務がある。

 

 

「我々はクワ・トイネ公国海軍である!領海に侵入しているのは貴船の方だ!所属と目的を明らかにせよ!」

 

 

拡声器にも頼らずに勇ましく声を荒げて訴えかける。この飛行船を作ったのがどこの国かは分からないが、それでも軍人としての責務を果たさなければならない。たとえ相手がパーパルディア皇国のようなプライドの塊であってもだ。

 

一触即発の状況が続く、片方が動けば必ず戦端は開かれる。しかし、しばらくすると魚影の方から動きがあった。

 

魚影は艦首の向きを変えてゆっくりと霧の向こう側へと速度を上げていったのだ。ミドリ船長は追尾しようとしたが、全く追いつけない。もはや船とは思えない、ワイバーンもかくやと言う速度であっという間に振り切られてしまった。

 

 

「所属不明船……去って行きます……」

「一体なんだったんだ……」

 

 

魚影が霧の向こうに消えて行く様は、ミドリ船長に不気味に映った。まるでその向こうに何かがあるかのように見えた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

天ツ上軍は警戒網を元に戻して外洋に飛空艦を出していた。港は使えないので、洋上艦は使えず飛空艦のみなので警戒網は前よりも少ない。そんな事情の天ツ上軍の梅型駆逐艦『梅』は天ツ上領土の南側、元々大瀑布があった場所を南下しながら警備をしていた。

 

梅型駆逐艦は燦雲型駆逐艦の後継として作られた天ツ上最新鋭艦で、中央海戦争を経ても数多くが生き残っている。梅はその一番艦であった。

 

 

「艦長、無視してよかったのですか?」

「馬鹿を言え、俺たちは領海侵犯したんだぞ」

 

 

梅の艦長である実篤中佐と副館長はそんなやりとりをする。実篤中佐は天ツ上人にしては珍しい長身で身長は190センチを超える巨漢だ。彼から発せられる言葉は一つ一つに重みがある。

 

霧雲は周りの海に霧が発生した事を察知したが、進路を変えずにそのまま南下していた。そして、レーダーが小さな艦影を捉えたのだ。最初は暗礁かの思ったが、それは動いて加速しており船だと言うことがわかった。

 

そして、接触してみればそれは教科書に出てくるかのような小さく古めかしいガレー船であったのだ。

 

しかし、それよりももっと大きな問題があった。不明ガレー船がやって来たのは南側、ガレー船の航続距離からしても天ツ上からここまでやって来れるはずがない。ならば、その船は南側からやって来たと言うことである。

 

西海と東海に挟まれた南側には人の住める場所はない。大陸どころか島すら存在していなかった筈だ。人類は東方大陸と西方大陸しかない筈だった。しかし、それが覆っている。南側から船がやって来たと言うことはそこに人の住む土地があると言うことだった。

 

 

「すぐに司令部に報告をしろ、南側から不明船がやって来たとな」

「はっ!」

 

 

実篤艦長はすぐさま通信士官に連絡を頼んだ。そして、艦長席にて杖をついてうなだれる。

 

 

「これは……大変なことになったぞ……」

 

 

南側に人のいる土地がある。それだけでも大変な事実だ。考えられる原因はただ一つ、実篤艦長は手元から書類を取り出す。天ツ上から届いた電報であった。そこにはこう書かれていた。

 

 

『大瀑布が消失し、地平線となるものが現れたことに対しレヴァームと天ツ上両政府の憶測は一致した。神聖レヴァーム皇国と帝政天ツ上は異世界へと転移したと正式に認めるものとする』




『梅とミドリ船長の接触』
今まで文明のかけらもなかった地域からガレー船がやってきたことによって、彼らはクワ・トイネの存在を知ることになります。

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