「やめてくれ! ここは病院だぞ!」
病室の入り口から、若々しいエルフの鋭い声が轟く。白銀に近い金髪を後ろでまとめた、目鼻立ちが整った美しい女性だった。ズボンを履いており、身軽そうに見える。
「さ、サフィーネ……何故ここに……」
「君! その手を離してやってくれ! ここは病院なんだぞ!」
その言葉にハッとした岡は、ジャスティードを掴んでいた手を離してやる。ジャスティードは咳き込みながら、掴まれていた首を押さえてしゃがみ見込む。
「き、貴様……! 憲兵隊である私を掴みかかるなど、貴様は重罪……」
「何を言うか、貴様が死者を馬鹿にしたのは私も見ていたよ。今回は貴様が悪い」
「な……!?」
ジャスティードは彼女の言葉に顔を青くする。
「……チッ。あの程度で馬鹿にされたくらいで怒るとは、兵としても人間としてもまだまだだな」
「死者を冒涜しといて、その言い草は感心しないな。別に私から上に報告したっていいんだよ?」
「これは我々憲兵の仕事だ。とにかく、一応上には報告する。こやつが魔族だとしても、一体であれば騎士団の管轄下に置いておくだけで問題なかろう」
ジャスティードが岡の処遇を暫定的に決めると、サフィーネがまた割ってくる。
「じゃあ私が彼の面倒をみよう」
「な、何!?」
「別に問題ないだろう? 私だって騎士団、それも遊撃隊小隊長だ。いざとなれば自分の身くらい自分で守れる。決まりだね」
「う、ぐぅ……」
急速に周りのことが決まっていく、その早さに岡が口を挟む暇もない。
「……チッ、もういい!」
と、最後に負け惜しみのようなことを言って去っていくジャスティード。岡も、それを見て怒りつつもだんだんと冷静になる。
「はぁ……」
筋肉痛の中掴みかかったので、妙に筋肉が痛む。ため息を一つ吐きながら、岡は妙な奴に絡まれたと思いながら後ろ姿を見送っていた。すると今度は、サフィーネが近づく。
「すまない。憲兵がいつもあんなものだ、勘弁してやってくれ」
「まあ、どこの場所にもああいう人物はいますから……」
「そうか──と、言葉は通じるんだったか?」
「はい、ところで貴方は?」
「私はサフィーネ・ジルベルニク。騎士団遊撃隊第5小隊の隊長をやっている」
「帝政天ツ上陸軍所属、岡真司伍長です」
サフィーネが差し出した右手を、岡は軽く握る。
「貴方はあの時助けてくれた人ですよね? 覚えていますよ」
「ああ──覚えていてくれたんだな、嬉しいよ」
岡は最初に助けてくれたのが彼女だったことを、ついさっき思い出した。するとサフィーネは、さっきまでの印象とは打って変わって、年頃の娘のようにコロコロと笑う。これは確かに、男なら惚れてしまうだろうと思う。
「貴方は、自分──僕が魔物だと疑っていないのですか?」
「魔物? 人に化けるとしたら魔族だろう。私は君の乗ってきたあれが落ちていくところを見ていたし、君が大怪我をしているのも、他に大勢死んでいるのも見た。疑うわけがないよ」
「そう、ですか……」
目を伏せる岡を見て、サフィーネはしまったと思う。
「あ……えっと……さっき憲兵隊に質問されてうんざりしているかもしれないけど、私からも聞きたいことがあるんだが……」
「何でしょう?」
「君たちが乗ってきたあれは、あの船みたいなやつは私たちでも作れないか?」
と、サフィーネは目を輝かせて質問してくるが、岡は貴方を悩ませる。飛空艦の事を言っているのだろうが、あれはこの国では作れるとは思えない。そもそも、天ツ人である岡ですら空を飛ぶ仕組みをよく知らないのだ。
このエスペラント王国はあまり工業力や技術力が高いとは思えない。ここで飛空艦を作ることは不可能だ。しかし、それをはっきり言ってしまってはこの国を侮辱することになる。
「あれは……複雑すぎて、多分無理だと思います。一卒兵の私ですら、あまり構造は知りませんし……」
「そうなのか? どれくらい難しいんだ?」
「1隻作るのに人が何百何千単位で必要ですし、作るには専用の設備と専門の知識を持った人が必要です。飛ぶためには、高度な計算機も必要です」
「高度な計算機? よくわからないが、たしかにそういうものは我が国にはないなぁ。残念だ、空飛ぶあれなら魔獣達との戦闘に使えるかもしれないのに……」
と、逆に話の方向が何だか怪しくなっていった。まるで、魔獣というここグラメウス大陸特有の生物と戦っているかのような言い方だ。
「そう言えば……先ほどの憲兵の人からも言ってましたが、もしかしてここの患者さん達は……」
「そう。皆、魔獣共と戦って傷ついたもの者だ。ここ最近は襲撃頻度が増えていて、我々常備軍だけでなく予備役も総動員して国の防衛に当たっているんだ」
この地の魔物達には統率性がなく、本能のままに人を襲うだけであったと聞いた。が、ジャスティードとサフィーネの話を聞く限り、まるで統率して襲いかかってきているかのようだ。
となると、この地で噂になっていた魔王とやらが復活したのではないかと疑う。いつぞやのタイミングで、ちょうどいい時に魔王が復活したのであれば、襲撃頻度が高いことも納得できる。
「被害はどうなっているんですか?」
「すでに二つの地区が魔獣に侵入され、2万人以上が犠牲になっている」
「2万人……」
岡はその言葉に少したじろぐ。その数字は中央海戦争の軍民合わせての犠牲者よりも少ないが、それでも雑多な自然災害の犠牲者よりも遥かに多い。2万人の犠牲者は、本物の戦争の犠牲者の数だ。この地では本当の戦争が起こっていると思うと、中央海戦争以後に入隊した岡にとっては許しがたい事に思える。
「北西の鉱山区だからまだそれだけで住んでいるんだ。だが、侵攻が進めばもっと被害が大きくなるだろう。だけど、あの当該地区は比較的広大な土地だから、取り返す算段もないんだ」
と、横からサーシャとバルザスも入ってくる。
「そうなんです……2万人の半分は、常備軍が消耗した兵員の予備役でして……」
「君のところは知らんが、我々エスペラント王国軍は常備軍より予備役の方が多くてな。常備軍は6千人で、予備役は総人口の半分ほどの13万人。まあ今も、その数は減っているがな……」
と、説明される軍の構造に岡は不思議に思った。常備軍より予備役の方が多く、逆転している現象はレヴァームでも天ツ上でも、その長い歴史を見ても存在しなかった。
昔多くの国があったレヴァームのある西方大陸でも、このような国体の国はない。まるで国民皆兵士。おそらく魔物から国や民を守るために、すべての国民を戦えるように訓練したのだろう。
ちなみに、天ツ上陸軍の兵員は平時で約100万人程、予備役はそこまで多くない、徴兵制度も廃止されている。一方のレヴァーム陸軍は平時で230万人、レヴァームでも徴兵制度は廃止されているが、予備役はかなり多い。
「さて、少し話を長くしすぎたね。君の処遇については元気になってから考えよう。父さん、オカは何日くらいで退院できる?」
と、サフィーネがバルザスに尋ねた。
「父さん?」
「そ、私の父さん。バルザス・ジルベルニク」
バルザスがサフィーネの父だとわかって、先ほどジャスティードに厳しい口調で接していた理由を察した。岡が何かを察したのをバルザスも感じ取り、苦笑いする。
「まあ、そのことはいいだろう。魔力がほとんど戻らないのが気がかりだが、体はほとんど大丈夫そうだな。3日ほど様子を見て……」
「あ、あの……自分は1日寝ていたんですよね?」
「そうだが……どうしたのかね?」
「ひとつだけやっておきたい事があるんです……サフィーネさん、サーシャさん、お願いできますか?」
「「うん?」」
◇◆◇◆◇◆◇◆
昼になり、岡はサフィーネとサーシャに連れられて教会にやってきた。病院に運び込まれた際に着ていた軍服は血だらけだったので、今は洗濯中。上下は病衣のままである。
「ここが……」
「ああ」
この世界の教会はレヴァームと天ツ上のそれと違い、十字架も聖アルディスタ教の印もない。一方、ここエスペラント王国の教会には美しい造形のガラス窓が天井に嵌められており、太陽の光をやんわりと取り込んでいる。
「あの三体の像は──神様ですか?」
「ああそうだ」
サフィーネとサーシャの説明によると、真ん中は太古の昔から天国と死後の裁判を務める神アヌ、右が水を司る神アブス、左は豊穣と愛を司る女神だという。
かつて人間族はアヌ、ドワーフ族はアブス、エルフは女神と、それぞれ種族によって信仰する神々が違ったことも教えてくれた。神話によると、種族間連合という連合軍を組織した際、それぞれの神様を同格にして祀るようにしたらしい。
「女神様に名前はないのですか?」
と、岡は疑問に思った事を聞いてみる。
「当時、エルフの神は自らの神性と引き換えに聖アルディスタの使者をこの世に召喚したんだ。その時……」
「!? 待ってください、聖アルディスタの使いっていうのは!?」
いきなり、聖アルディスタについては何も知らないはずのエスペラント王国民であるサフィーネが、聖アルディスタの名前を出すのでいきなり驚いた。
「え? ああ、約1万年以上前にエルフの神が自らの神性と引き換えに召喚してもらった使い達だ。空を飛ぶ島に乗って現れ、強烈な魔導を放つ空飛ぶ戦船を用いて、窮地に陥っていた種族間連合を救ったんだ」
「……!?」
その言葉に、岡はかなり驚いた。『聖アルディスタ』という神様の名前は、レヴァームと天ツ上の間でしか知られていない名前である以上、異世界であるこの地の人々には知られていない筈だ。
しかし、彼女の説明ではまるで聖アルディスタを知っている世界からの使者が、この地にやってきたかのような言い方だった。それがどういう事なのか、岡は訳がわからなくなる。
「その後、聖アルディスタの使い達の助力によって魔王軍をトーパの地にまで押し返した、と伝えられている。どうやらその時に女神は名前を失ったらしいのだが……どうかしたのかい?」
「い、いえ……それが……」
岡はこの事実を言っていいのか思い悩む。しかし、これ以上変な事を言ったら、場を混乱させてしまうかもしれない。岡は逸る疑問を抑え込み、次の話題に行く。
「サフィーネさん」
地下から上がってきた魔導士達が、二人の後ろから声をかけた。
「ああ、司祭長、手を煩わせてすまなかったな」
「いえいえ、身元が分からないとはいえ、同じ人類。せめて徘徊者にならないよう祈りを捧げることは当然のことですよ」
この世界では、死体が魔素を浴びる事で悪しき精霊が宿り、徘徊者になる。それを防ぐために、死体には魔素が蓄積しないように魔法で保護する必要があるのだ。それが祈りと言うらしい。
「それで、こちらが?」
「ああ、彼が唯一の生き残り、オカ君だ」
岡は司祭長に自己紹介をして握手をする。そして、4人で地下を降りると、その一角に彼らがいた。
「ここです」
「みんな……」
『向日葵』の墜落で命を落とした、仲間達だった。身につけていたものはそのまま、バラバラになった肉体も出来る限りつなぎ合わせられ、安置されている。
「どうするのですか?」
サーシャが問いかけてくる。
「天ツ上では……遺体を火葬するんです。もしよろしければ、燃料を分けていただけませんか……?」
岡の希望通り、海軍と陸軍の兵士達の遺体は焼却されることになった。ノバールボ区の隣、ランゲランド区に約200名の遺体が移送され、魔導士達の火炎魔法で骨の状態にまで焼かれる。それを一体分ずつ認識表と共に木箱に収めた。
岡はその夜、人知れず泣いていた。