……前々から執筆していたんですけど、偶々クリスマスと被っただけなんですけどネ。
主人公達が奈落の底に落下した後のクラスメイト達の視点です。一部オリジナル要素を含みます。正直つまらないかもしれません。
それでも構わないという方はどうぞ!
青黒い光を全身から放つ巨体な魔物が断末魔を上げ、騒音を撒き散らしながら石橋は巨大な瓦礫と化して崩壊する。
一人の少女が巻き添いを食らい奈落の底へ吸い込まれていくのを目にし、少女の跡を追い自ら奈落の底へ身を投げ出す少年の姿を、香織はまるでスローモーションのように緩やかに感じられる時間の中で見つめたことに絶望してしまう。
香織の頭の中で、昨晩に誓った約束が何度も流れていた。“二人を守る”という約束を。
「離して! ゲン君とハジメちゃんのところに行かないと! 約束したのに! 私がぁ! 私が二人を守るって! 離してよぉ!」
無我夢中で飛び出そうとする香織を雫と光輝が必死に羽交い締めにする。細い体にあるのが信じられないほど尋常でない力で引き剥がそうとする香織。
「香織ッ、ダメよ! 香織!」
このままでは香織の体の方が先に壊れてしまうかもしれない。しかし、今彼女を手放してしまえば迷うことなく崖を飛び降りることは容易に想像できる。
香織の気持ちを誰よりも分かっている雫だからこそ、掛ける言葉が思い浮かばない。ただ悲痛に名前を連呼することしかできない。
「香織! 君まで死ぬ気か! 南雲達はもう無理だ! このままじゃ、体が壊れてしまう!」
「無理って何!? ゲン君もハジメちゃんも死んでない! 行かないと、きっと助けを求めてる!」
光輝なりに香織を気遣った言葉だったが、今の香織に掛けるべき言葉ではない。
誰がどう考えても助からない、辛い現実を受け止める心の余裕など錯乱する香織にはなかった。彼女の必死さに周りの生徒もどうすれば良いのか分からず狼狽するばかり。
その時、カツかつと歩み寄ったメルド団長が香織の首筋に手刀を落とす。一度は痙攣を起こしそのまま意識を失くす香織。驚きながらも動かなくなった香織を抱き抱え、光輝はメルド団長を睨む。
「メルドさん、貴方は何をして——!」
「光輝! ……すいません、ありがとうございます」
香織を止めるためとはいえ手荒な真似をしたメルド団長に対する光輝の抗議を遮り、クラスを代表するかのように雫はメルド団長に頭を下げる。
メルド団長は毅然とした表情を保っていたが、痛めている心を隠しているだけだった。無理もない、これから未来があった若者の中から死者が二人も出てしまったのだ。
「礼など……止めてくれ。もう誰一人も死なせるわけにはいかない。全力で迷宮を離脱する……彼女を頼む」
「言われるまでもなく」
離れていくメルド団長を見つめながら、口を挟めず仏頂面をした光輝から香織を受け取った雫は、叱りつけるように告げる。
「私達が止められないから団長さんが止めてくれたのよ。分かるでしょ? 今は時間がないの。香織の叫びが皆の心にもダメージを与えてしまう前に、何より香織が壊れる前に止める必要があった……ほら、あんたが道を切り開くのよ。全員が脱出するまで……ハジメちゃんも言っていたでしょう?」
雫の言葉に、光輝は確かに頷いた。
クラスメイトの方を見ると、大半の者が精神にも多大なダメージが刻まれているのが分かった。クラスメイトが眼前で死んだのだ。つい最近まで死とは無縁だった学生達が呆然自失の表情に染まるのは無理もない。中には「もう嫌だよぉ……!」と座り込んで泣き出す子もいる。
ハジメが激昂したように、今の彼らにはリーダーが必要だと気づかされる。
「ああ、早く出よう……皆! 今は生き残ることだけを考えるんだ! 撤退するぞ!」
光輝はクラスメイト達に向けて声援を張り上げる。
その言葉に触発され、クラスメイト達はノロノロと緩く、でも確かに動き出す。動ける者は脱出への階段を目指し、精神が不安定になっている者は光輝や周囲の呼びかけで何とか帰路を目指す。光輝は必死に声を張り上げ、残ったクラスメイト達に脱出を促し続ける。
その甲斐あってトラップから元の二十階層の部屋に戻ることができ、遂に迷宮の正面門に辿り着くことができた。
安堵の表情で外に出ていく生徒達、正面門の広場で大の字になって倒れる生徒達。多くが喜び合っているが、一部の生徒——未だに昏睡状態の香織を背負った雫、光輝、その様子を心配そうに見る龍太郎、恵里、鈴、そしてゲンが救った女子生徒は暗い表情のままだった。
そんな生徒達を横目に気にしつつ、二十階層で発見した新たなトラップに関する報告や南雲兄妹の死亡報告をしなければならないことに、メルド団長も憂鬱になりながらも顔に出さず、しかし溜息が溢れてしまう……
———◇———
精神の疲労でクラスメイトの誰もがホルアド町にある宿屋のベッドで深い眠りに陥る中、檜山大介だけは寝付けなかった。一人、宿の外に出て町の隅にある目立たない場所で膝を抱えて座り込む。
顔を膝に埋め微動だにせず、赤の他人から見れば激しく落ち込んでいるように見えるだろう。
だが……
「フ、ハハハ。ア、アイツの自業自得だ。兄妹揃ってク、クズの癖に……生きる価値すらないクズだから……神様の天罰だ……ヒヒ、ヒ」
歪んだ笑みと濁った瞳で罵る姿を隠しているだけだった。
クラスメイトや騎士団の誰もが死者が二人も出たことに悲しむ中、最初は動揺していたものの開き直って檜山だけは狂喜していた。これで邪魔者はいなくなった、あのクズのせいで酷い目に遭う自分に神様が機会を与えてくれた、と。
「へぇ〜、クラスメイトの死をそんなに喜ぶなんて、イイこと聞いちゃった」
「ッ!? だ、誰だ!」
誰もいないと確認したのに、背後から声を掛けられ慌てて振り返る。
「お、お前、どうしてここに……」
檜山が見つめる先にいたのは見知ったクラスメイトの一人だった。
「そんなことはどうでもいいよ、未遂レイプ魔さん。それより……ごめんねぇ? 君の仕事を横取りしちゃったみたいで。ねぇ、殺そうとした恋敵を横取りされるってどんな気持ち?」
「なッ………!!?」
心臓を鷲掴みにされた気分だった。瞳の奥に宿る自分以上の狂気に、檜山は呆然としてしまう。
「………お、お前がやったのかッ?」
『横取り』という言葉で檜山は確信した。
あの時、軌道を逸れて誘導されるようにハジメに直撃した火球は、目の前のクラスメイトが放ったものだと。
階段への脱出と南雲兄妹の救出。二つを天秤にかけた結果、香織の好意を取られたことや国中の女性に軽蔑されたことも含め、ゲンへの逆恨みが倍増された。今なら誰にも気付かれることがない、あのクズの大事な宝物を奪ってやろう、と悪魔が囁き、迷うことなく檜山は耳を傾けた。
バレないよう絶妙な瞬間を狙いハジメを突き落とそうとした………が、未遂に終わった。後方から自分以上の繊細な火球が放出され、狙い澄ましたようにハジメに着弾したのだ。結果、檜山の目論見通り、目障りな南雲兄妹は仲良く奈落の底に落ちたのだが。
「まぁ〜、そうなるかな。目的がどうあれ、利害の一致ってやつだよ。それよりもさ……面白いことを考えちゃった。南雲達を襲った
「は、はぁッ!? ふざけんなよ!! 俺はやってねえ! そもそも、俺がやったっていう証拠が……!」
「証拠? そんなもの必要ないよ。大事なのは“真実”じゃなくて“信憑性”、僕が話したら自ずと皆は信じるんじゃないかな? そ・れ・に……力に酔いしれて女子に暴行を加えた君に、説得力なんてないと思うけど? 女の敵さん」
自分は嵌められたのだと自覚した檜山。まるで空腹のネズミの眼前に餌を撒き散らして檻の中に誘導するかのように。誰の耳にも入ることがない巧妙な手口で、そっくりさんと言われた方がまだ信憑性がある目の前の嗜虐的な笑みで見下す同級生に、心臓を握られたのだ。
「お、俺にどうしろっていうんだ……!?」
「まぁまぁ、落ち着きなよ。別にすぐあれこれしろって命令するわけじゃないんだから。取り敢えず、僕の手足となって従ってくれれば良いよ」
「そ、そんなの」
「白崎香織、欲しくない?」
道具として利用されるぐらいなら先に殺してやると、ドス黒い感情に囚われ始める檜山の耳に、悪魔の音色が囁いた。
「な、何を言って……」
「僕に従うなら、いずれ彼女を君のモノにできるよ? ……まぁ、別に断るなら僕はそれでも構わないけどね。でも、もし噂が流れて、君の大好きな白崎香織の耳に入れば……」
「ッッ! や、止めろ!? わ、分かったよ! 何でもする。いや、します! だからどうかっ……」
「アハハハハハ、素直な男性は好まれるよ? ま、僕は君なんて眼中にないけどね」
選択の余地なんて最初からなかった。小馬鹿にした態度を崩すそうともせず、言葉のナイフで自分のプライドを傷つけ続けるこの人物に従うしかない。
「まぁ、お互い共通の利益のために仲良くやっていこうよ。あ、言っておくけど、僕の本性ことは誰にも漏らさないようにね——未遂レイプ魔さん?」
楽しそうに笑いながら踵を返すその人物の後ろ姿を見ながら檜山は苛立ちと恐怖をいっぺんに味わう。
ゲンが奈落へと身を投げ出した時の香織の姿。その必死さがどんな言葉より雄弁に彼女の思いを物語っていた。忘れたくても、否定したくても脳裏から決して消えることのない光景だ。
「——い、いや、まだだ。俺はまだ一線を超えてない……ヒヒ、ヒヒヒ……大丈夫だ。俺は上手くいく、間違ってない……」
再び膝に顔を埋め、すっかり正気を失った思考に染まり、まだチャンスはあると自分に言い聞かせる。
しかし、人生を懸けたチャンスを捨てた瞬間だった。
犯罪の片棒を担ぐことのない、人としての一線を超えることのない、平穏な日常に戻れるかもしれないという大事なチャンスを不意にしてしまったのだ。その愚業に気づくこともできない彼はある意味幸せなのかもしれない……
———◇———
迷宮で死闘と喪失を味わってハイリヒ王国王宮内へ帰還してから、既に五日が経過していた。
王国に戻ってからメルドは南雲兄妹という同胞が死亡したことを上層部に正確に報告した。訓練での様子、道のトラップによる強制転移、戦死した勇敢な二人の戦士が時間を稼いでくれたことで生き残ることができたことを。
…………因みに、その勇敢な戦士の片割れがそもそも今回の死闘の発端だということも報告しようとしたが、少し躊躇しかけたとか。
しかし、現実は無慈悲だった。メルドの訴えも虚しく、勇者一行の中から出た死亡者が“無能”の南雲ハジメと“不明”の南雲ゲンと知った途端、愕然とした王国側の人間は誰もが安堵の吐息を漏らしたのだ。国王やイシュタルですら例外なく。
神の使徒たる勇者一行は無敵でなければならない、魔人族に勝つための希望の星であるために。
『死人に口なし』と言うように、中には二人を罵る者まで現れた。
公の場で発言したのではなく、物陰でコソコソ世間話したという感じではあるが「死んだのが役立たずの兄妹で良かった」だの、「神の使徒でありながら無能など死んで当然の報いだ」だの、「反乱分子となりえる者が死んで清正した」だの、好き放題だ。
死んだのが片方だけでなく兄妹一緒というのは、ある意味で言えば彼らは幸運だろう。もし
メルドの予想とは裏腹に、意外な人物が二人を貶していた貴族を殴り倒したのだ。怒りに身を任せた龍太郎である。
聞いた話では、元の世界でも一方的に南雲兄妹、特に兄の方を嫌っていたはずなのに、どこか思うところがあったのだろうか。
それに続いて正義感の強い光輝も激しく抗議したことで王国や教会も不味いと判断したのか、貴族を殴った龍太郎には厳重注意だけで免除にし、南雲兄妹を罵った人物は処分を受けたようだが……
光輝は無能にも慈悲深い優しい勇者であるという噂が広まり、光輝の株が上がっただけで、それとは逆にハジメやゲンは勇者の手を煩わせた役立たずという評価は覆らなかった。
あの時、クラスメイトの誰かが放った流れ弾が、彼らを死に追いやったというのに。
クラスメイト達は図ったように、あの誤爆の話をしなかった。自分の魔法は把握していたはずだったが、“万が一自分の魔法のものだったら”と思うと、誰もが口を閉ざしてしまうのだ。自分が人殺しであることを思いたくない故、あれは南雲兄妹がドジったせいだと思い込むようになった。そもそも原因は
あの時の経緯を明らかにしたいメルド団長だったが、イシュタルから生徒達への詮索を禁じることでそれは叶わなかった。食い下がるも、国王にまで命じられて堪えるしかなかったのだ。
「香織……貴女が知ったら、怒るでしょうね? ……私もよ」
あの日から一度も目を覚ましていない香織の手を取って呟く雫。
医者の診断では体に異常はなく、精神的ショックから心を守るため防衛措置として眠りについているのだろうということだった。故に、時間が経過すれば自ずと目を覚ますと。
しかし、それでも五日間も経っているのだ。雫も心配になってくる。
その時、不意に握り締めていた香織の手がピクッと動いた。
「——香織? 聞こえる? 香織!」
必死に呼びかける雫の声に応じたように、香織の瞼が震え始めゆっくりと目を覚ました。
「……雫ちゃん?」
香織はしばらく焦点が合わない瞳で辺りを見渡していたが、やがて頭が活性化してきたのか雫と視線を合わせてくる。
深夜の時間帯に起きたらしく、部屋の灯りも消して真っ暗であるため雫の顔が香織にはよく見えなかったが小さく笑ってる様子だった。
「……えぇ、雫よ。香織、体はどう? 違和感はない?」
「う、うん。平気だよ。ちょっと体の節々が怠いけど、寝てたからだろうし……」
「そうね、もう五日間も眠っていたのだもの……怠くもなるわ」
体を起こそうと奮起する香織を補助しつつ、雫は香織にどのくらい眠っていたのかを伝える。
「五日? どうして……そんなに……私、確か迷宮に行って……それで……」
香織が記憶を取り戻すに連れ、精神的ショックを与えた要因である記憶を忘れようと体が反応し、頭に痛みが走りながらも——悲劇を思い出してしまった。
「それから……あ………………ねぇ、ゲン君は?」
「ッ…………」
その問いに、雫は何も答えなかった。香織にこれ以上の精神ダメージを避けるようなベストな返答が思い浮かべず、答えることができなかった。
雫が何も答えない様子で、香織は自分の記憶に刻まれた悲劇が現実なのだと悟ってしまう。だが、そんな現実を容易に受け入れられるほど香織は強くない。
「雫ちゃん……嘘、だよね? 私が気絶した後、ゲン君やハジメちゃんも助かったんだよね? ね? そ、そうでしょっ? ここ、お城の部屋だよね? 皆で帰って来られたんだよね? ゲン君は……ハジメちゃんのところにいるよね? だったら訓練所かな? そこにいるんだよね? ……私、ちょっと行ってくるね。ゲン君にトラップを引き起こした説教をしなくちゃ……だから、離して? 雫ちゃん」
「………行かなくて良いわ。二人はいないの……」
「そっか、訓練所にはいないんだ……じゃあ食堂かな? ゲン君はそこでハジメちゃんと一緒にご飯を食べているのかな? 私もご飯を食べなきゃ……ねぇ、雫ちゃん。離してくれる?」
現実逃避するように次々と言葉を紡ぎゲンを捜しに行こうとする香織の腕を掴み、雫は押し殺した苦し紛れの声で事実を告げる。しかし香織は屁理屈を言うだけで現実を受け止めようとしない。
「……香織、分かっているでしょう?」
「やめて……」
「香織の覚えている通りよ」
「やめてよ……」
「彼は、ゲン君は……ハジメちゃんと一緒に」
「ちがう。やめてよ……やめてったら!」
「香織……彼は、死んだの」
「違う! ゲン君は死んでなんかいない! 絶対、そんなことない! だってゲン君が言ったんだもん! “俺は最強のシスコン“だから、死なないって!」
首を振りながら現実を直視せず、何とか雫の拘束から逃れようと香織は暴れる。雫は口を閉ざし、そんな香織の腕を離そうとしなかった。
「どうして雫ちゃんはそんな酷いこと言うの!? 勝手に決めつけないでよ!」
「……に、して」
「雫ちゃんはゲン君のこと好きじゃないから、そんなこと平気で言えるんだ!」
「……い……げんに、して」
「雫ちゃんはゲン達が死んで、どうでも良いって思っているの!?」
「良い加減にしてって、言ってるのが聞こえないのッ!!?」
部屋中に雫の絶叫が響き渡った。
叫びと共に月の光に照らされた雫の素顔が明らかとなり、香織は一瞬言葉が詰まって躊躇した。
両方の瞳から決壊したように留まることなく溢れ出る涙の筋。何度も拭った跡がある真っ赤になった瞼。隠しているが僅かに震えている肩。それらが雫の心情を物語っていた。
「どうでも良いわけないでしょッ!? 私だってできることなら助けに行きたいわよッ! だけどッ、あの時、ゲン君に頼まれたのよ……貴女を頼むって……助けに行きたいのを我慢して、貴女を守る役目を託された私の気持ちが香織に分かるのッ!!?」
振り解こうと暴れる香織の腕を掴み、香織が寝ていたベッドへと押し倒す。
「私だって信じたくないわよ、彼が死んだなんて……でも、あの状況なのよッ? 例え落下から助かったとしても、危険な魔物が住む場所で、水も食料もなしに、どうやって生き延びれば良いのッ? 生きているなんて根拠が、どこにあるのよ!? 教えてよ……誰でも良いからッ……二人は生きているって、言ってよぉッ……!」
後半から本音を漏らしながら香織を抱き締め、先程の香織と同じように生きて欲しいと雫は懇願する。抱き締められながらも香織は涙ぐみながら聞き続ける。
「いつも勝手すぎるんだから……バカッ……! ゲン君の、バカァッ……!!」
「ッ……ごめん、ねッ……雫ちゃんっ……ごめんね……!!」
二人は嗚咽を漏らしながら泣き続け、冷え切った互いの体を温め合うように抱き締める力を緩めなかった。心の傷をお互い舐め合うかのように。
どれくらいそうしていたのか、窓から見える夜空はすっかり朝陽を迎え入れ、すっかり赤く染まっていた。香織はスンスンと鼻を鳴らしながら身じろぎし、今にも消えそうな声で呟く。
「ねぇ……雫ちゃん……あの時、ハジメちゃんを狙って撃った犯人って……誰か知ってる?」
「……分からないわ。誰も、あの時のことは触れないようにしているから……」
「……そっか」
「恨んでる?」
「……分からないよ。でも、もし誰か分かったら……きっと恨むと思う。でも……多分我慢できないと思うから、その方が良いと思う……」
「そう……」
俯いたままポツリポツリと会話する香織の目は真っ赤で、同じく真っ赤な目の雫は心配そうに見つめた。やがて香織は起き上がると真っ赤になった目をゴシゴシと拭いながら顔を上げ、決心したように雫を見つめる。
「私、信じているよ。ゲン君もハジメちゃんも生きているって、信じる」
「でも……香織、それは……」
香織の言葉に再び悲痛そうな表情で諭そうとする雫だが、香織は両手で雫の頬を包み込んで微笑みながら言葉を紡いだ。
「分かってる。あそこで落ちて生きている方がおかしいって……でも確認したわけじゃないから、可能性は一パーセントより低いと思うけど、決してゼロじゃないから……信じたいの」
「香織……」
「それに、ゲン君があれくらいで死ぬなんて思えない。だから私、もっと強くなって自分の目で確かめたいの。この気持ち、雫ちゃんも分かる?」
「……ええ、痛いほど分かるわ」
思い返せば、南雲ゲンと言う男は、突撃したダンプカーに直撃しても、九階の高層ビルから墜落しても、数秒経てば「ふぅ、痛かった〜」と頭部にたんこぶができる程度で済む頑丈だけが取り柄の男だ。あんな簡単に死ぬわけがない……そう雫は考え始めて、流れ落ちた涙の跡を拭う。
「きっとゲン君のことだから、今頃ハジメちゃんを救出して、騒々しいシスコン行為をしているかもしれないわね」
「うん! きっとそうだよ!」
香織や雫の目には狂気や現実逃避の色は微塵もない。ただ純粋に己が納得するまで諦めない、それまで彼の強さを信じている、という不屈の意志が宿っている。
「だから、雫ちゃん……力を貸してください」
そう言いながら、まっすぐな瞳で見つめてくる香織。いつも直球で進む誰かを彷彿とさせる力強い意志に、雫はもう止めることなどできないと悟り苦笑した。
「もちろんよ。私も納得するまで、とことん付き合うわ」
「雫ちゃん!」
香織は雫に抱きつき何度も礼を言い、対する雫も男前な返答をする。
その時、乱暴に扉が開けられた。
「雫! 香織が目覚めた……って……?」
「おう、香織はどう……なん……だ……?」
光輝と龍太郎だ。昏睡状態の香織と疲労困憊だった雫の様子を見に来たのだろう。訓練着だったようで、あちこち薄汚れている。
あれから訓練がより身が入るようになった二人だが、部屋の入り口で硬直していた。まるで知り合いの裏事情を目撃したかのような、気不味そうに。
「あ、あんた達、どうし——」
「す、すまん!」
「じゃ、邪魔したな!」
食い気味に雫の疑問を被せ、一目散に慌てて部屋を出て行った。そんな二人を見てキョトンとしている香織だが、賢い雫は何を勘違いされたのか一瞬で察知した。
現在、香織は雫の膝の上に座り、雫の両頬を包みながらキスできそうな位置まで顔を近づけている。雫も、香織を支えるように細い腰と肩に手を置き抱き締めているように見えなくもない。
そう。他の人から見れば、背景に百合が満開しそうな映像が出来上がっていた。この場に
「はぁ……さっさと戻ってきなさい! この大馬鹿共!」
深々と溜息を吐きながら声を張り上がる雫に対し、香織は未だに状況が呑み込めずキョトンとするだけだ。
この場に
———◇———
「——ぶえっくしょいッ!!」
「どうしたの? 風邪?」
「いや……なんか分からんけど誰かに噂されたような……あと何か滅多に見られない貴重映像を見逃した気がして」
「ふーん……それって最近、兄貴がハマっている百合アニメの再放送のこと?」
「多分それだな! 物語が進むに連れてファンからの反響を呼び起こし社会現象にもなった百合アニメ『魔法少女マジカル☆デルタ』! 個人的にそこまで百合好きじゃないけど、あれを見れば百合にハマる気持ちが分かるんだよなあ」
二人の少女に心配されている当の本人は元気に過ごしており(体の一部が欠如しているが)、奈落の底でどうでも良いヲタク話を繰り広げていた、とか……