【完結】サメ映画をご存じない!?   作:Wolke

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XXX9 おれも狂ってるし、サメも狂ってる

 黒髪を垂らし、夜中だというのにサングラスをかけ、パンツスーツに身を包む。記憶と何も変わらない立ち姿。ただ一点異なるとすれば、彼女たちが全員薄ら寒い笑みを貼り付けるようになったということ。その笑みはわたしに生理的嫌悪を催させる。わたしはかつての彼女たちの総数を知らない。いま何人生き残っているかも知らない。全員と顔を合わせたわけではないが、黒服さんとして会う人は、皆判を押したように笑っている。例外は未だ見たことがない。

 

 個人と言うよりも群体。

 

 群体と言うよりも組織。

 

 組織と言うよりも機構。

 

 徐々に人間味を無くしていく彼女たちの統治は、音もなく忍び寄る宇宙人の侵略のようだ。

 

 そしてその笑みは伝播する。居住区に住む人間は黒服さんたちの影響を受けたのか、常に空虚な笑みを浮かべて毎日を過ごしている。

 

 わたしが居住区に寄りつかない理由であり、新人スタッフさんからの警句を素直に受け取った理由でもある。

 

 不意に夜風がわたしの頬を打った。風に遊ばれる髪を押さえ、わたしは不信感を引っ込める。

 

「……こんばんは。病院にご用ですか?」

 

「はい。先日、長野から逃げてきた女性に会いに来ました」

 

「あっ、その人ならいま部屋に居ないよ。さっきあこたちと話してたんだけど、気分が悪くなったみたいで夜風に当たるって言ってた」

 

「ふむ……。ありがとうございます、宇田川様。では、院内を回りながら探してみようと思います」

 

「急いでるならあこたちも手伝おうか? あこたちはもう帰るだけだから。ね、いいよねりんりん」

 

「うん。いいよあこちゃん」

 

「そうですか。ではお願いします。急を要するわけではないのですが、優先順位が低いわけではないので」

 

 やはり黒服さんたちも外の様子は気になるのだろうか。懐かしき女子高生時代では、彼女たちは常に裏方に回って動いていた。けれど表立ったいま、こうして直接的に頼み事をしてくる機会が増えている。〈弦巻財閥〉の衰退を如実に表していた。

 

 わたしたちは別れを告げたばかりの彼女を探しに、再び院内へ舞い戻った。彼女の病室の前まで、黒服さんを伴って移動する。

 

「さっきはここで別れたんだ。向こうの方に歩いて行ったの」

 

 あこちゃんが通路の先を指さした。先ほどとは異なり逆路を進む。通路沿いの病室をちらっと覗くが、彼女の影はどこにもない。やがてわたしたちは廊下の突き当り、非常階段へ続くドアの前まで辿り着いた。黒服さんがドアを開ける。

 

「それでは私は上へ向かってみます。お二人は下へ。見つからなければ、そのままお帰りになってください」

 

「うん。わかったよ」

 

「あの……合図のようなものはどうしましょうか? 居なかったとしてもそのまま帰るわけには……」

 

 すると、彼女はどこからともなく手のひら大のハンドベルを取り出した。

 

「見つけたら一回、居なければ二回、これを鳴らすというのは如何でしょうか」

 

「わかりました。ベルは……階段を降りたところに置いておきます」

 

 そして黒服さんとは別れ、わたしたちは階段を下る。

 

「あこちゃん……滑らないように気を付けてね」

 

 非常階段は建物の外壁に沿って設置されている。風雨に晒された非常階段は、塗装があちこち剥げており、至るところに錆が浮き上がっている。階段の手すりを掴めば、手には赤茶けた粉末が付着した。かつんかつんと二人分の足音を響かせながら、わたしたちは地上に降り立った。

 

「下には居なかったみたいだね」

 

「そう、みたいだね。あこちゃん」

 

「どうするりんりん。もうちょっとこの辺見てからベル鳴らす?」

 

「……建物の陰くらいは確認しよっか」

 

 そうこう話していると、突然あこちゃんが頭上を向いた。

 

「りんりん、いま何か聞こえなかった?」

 

 耳を澄ませても、わたしには何も聞こえない。わたしは「ううん」と首を横に振った。けれど、あこちゃんの空耳ではないことはすぐに証明された。すぐ近くで何かが地面とぶつかった。軽い音だ。月明りに照らされるそれは、彼女が持っていたハンドバッグに違いなかった。

 

 荒事の気配を感じる。

 

 あこちゃんは階段を一段抜かしながら駆け上がる。わたしもハンドバッグを拾うと、その後を追いかけた。ほどなくして、わたしたちは黒服さんが彼女を取り押さえている場面に遭遇した。彼女は非常階段の踊り場でじたばたと足掻いている。腕の傷が開いて、服にまで血が染み込んでいた。

 

「黒服さん、話をするだけじゃなかったの?」

 

 静かにあこちゃんが聞いた。荒い息を吐いているわたしとは違って、あこちゃんの呼吸はまったく乱れていない。踊り場には一寸ほどの豆煙管が転がっている。もう羅宇屋など無いというのに、粋な趣味だ。平時であれば、その小道具にあこちゃんは飛びついていただろう。

 

 しかし、黒服さんに殺意を向ける彼女の形相を前にしては、迂闊な行動などできるはずもない。

 

「彼女の仲間が大麻を所持していたことがわかったので話と荷物検査をしにきたのですが、まさか現行犯で取り押さえられるとは思ってもみませんでした」

 

 わたしは彼女のハンドバッグを開く。バッグの底には乾燥した葉っぱが小さく丸められて押し込まれていた。

 

 大麻。

 

 本当に、ネットの中の単語が身近になったものだと感心する。

 

 山籠もり。自生した植物。奪うか奪われるか。一時の快楽に身を任せ、暴走する人間。何があったかは、なんとなく察するところではある。

 

「……自生地域を奪われたんですか? それである分だけを持って、東京に逃げてきたんですか?」

 

「まあ、そんなところ」

 

 彼女は頷いた。彼女は身体から力を抜いて、抵抗をやめた。そして諦めたように口を開く。

 

「私たちでも生き残れたんだから、人の多い東京ならもっと生き残ってると思ってたわ。取り入るための上納品は用意できていたことだし」

 

「しかしそれは困ります。こちらも地盤が固まったわけではありません。不要な混乱をもたらすものは衆目に触れる前に排除しなければなりません」

 

「私の手持ちは、そのバッグの中身が全部。仲間に分けたり、サメから逃げるうちに、それだけになった」

 

「あなたにはもう少しお聞きしたいことがあります。ご同行願いますね」

 

 そう言いながら、黒服さんは慣れた手際で彼女の腕に手錠をはめた。捕縛のための道具はあらかじめ用意していたようだ。黒服さんは彼女を立ち上がらせ、わたしに向かって手を差し出す。わたしは彼女のバッグを渡した。

 

「軽蔑した?」

 

 彼女が言った。視線の先にはわたしとあこちゃんが居る。

 

「しないよ」

 

「今は、誰にとっても拠り所が必要ですから……」

 

 あこちゃんがわたしの手を握ってくる。

 

 精神的な支えは必要だ。わたしにとっての宇田川あこ。あこちゃんにとっての白金燐子。何かを支えにしなければ、人は立つことすらままならない。自身の生存が脅かされたわけでもないのに、他人の支えにとやかく言えるような余裕はないのだ。

 

「黒服さんだって、そこは変わりませんよね……?」

 

 何をいまさらとばかりに黒服さんは笑った。久しぶりに見る黒服さんの人間らしい笑みだった。

 

「はい。変わりません。我々は今も昔も、世界を笑顔にするために行動しています」

 

 彼女たちは地上へ降りていく。わたしとあこちゃんはそれを見送った。彼女たちと途中まで帰途を同じにできるほど気力が残っていなかった。服に錆が付くのも構わず、わたしは階段に座り込んだ。

 

「なんでかな……なんだかとっても、疲れちゃった……」

 

 あこちゃんとはまだ手をつないでいる。腕の筋を辿るように見上げると、わたしを心配そうに見下ろしている真紅の瞳と視線が交わる。

 

「それじゃあ、りんりんが回復してから帰ろっか」

 

 あこちゃんがわたしの隣に座り込んだ。院内から人の気配はするものの、わたしを見る目はない。わたしたちを睥睨している月すらも叢雲に隠れた。闇の中、寄り添ったわたしたちは互いの体温を分かち合う。

 

 わたしが生きている証。わたしが膝を折らない理由。掌から伝わる温もりを、明日を生きる糧に変える。

 

 あこちゃんの潤む瞳を見ながら、ふと〈弦巻財閥〉が脳裏をよぎった。

 

 ───世界を笑顔に。

 

 システムの根幹思想は把握した。黒服さんたちは何も変わってなどいない。

 

 けれど、ハロー、ハッピーワールドの音楽がこの世界に響いたことはない。

 

 それがすべてだった。

 

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