【完結】サメ映画をご存じない!?   作:Wolke

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XX12 おとなたちにはいつもサメがいる

〈弦巻財閥〉の総本山として、現在は都庁が利用されている。都庁までは蒸気二輪(スチーム・バイク)で十分もかからない。走行しながら視線を上げれば、闇の中でも一層暗く存在感を醸している。定期的にライトアップされ、荘厳な雰囲気をまとっていたころが懐かしい。世界中で電力が絶えたいまとなっては見る影もない。というか影しかない。

 

 天高くそびえる伏魔殿は星々のきらめきを遮って、地上でギラつく数多の欲望を抱え込む。日々の利用者数は百分の一以下になっているだろうに、ここに集まる希求の純度は過去と比べ物にならない。死にたくないという切望を、黒服さんたちはここから現実という形で還元している。彼女たちが居なければ、放射線で汚染された物資を血で血を洗いながら奪い合う未来しかなかったはずだ。

 

 恐るべき統率であり、手腕だ。何よりも───東京で最も得体が知れない闇がある。

 

 最早無いに等しいルールだが、わたしは蒸気二輪(スチーム・バイク)を駐車するため、第一庁舎には地下駐車場へと続く入り口へ向かった。車高制限二.二メートル。そう記された駐車場へ続く道はシャッターで閉ざされ、先へ進めなくなっていた。

 

「停めてりんりん」

 

 入り口を観察するのに徐行まで速度を落としていたためか、あこちゃんの声は向かい風にも負けることなくはっきりと聞き取れた。わたしはあこちゃんの言葉に従って、シャッター前で蒸気二輪(スチーム・バイク)を停車する。

 

 わたしが声をかけるよりもはやく、あこちゃんは蒸気二輪(スチーム・バイク)を跳び下りる。そしてシャッターに耳を当てた。

 

「やっぱり聞こえる。りんりん! 中から蒸気が吹き出す音が聞こえるよ!」

 

 わたしは蒸気二輪(スチーム・バイク)のエンジンを止めて、あこちゃんと同じようにシャッターにへばりついた。けれど、わたしには何も聞こえない。耳は悪くない方だが、〈大崩落〉後に伸ばした能力値の差が如実に表れていた。

 

「わたしには聞こえないみたい。……けど、地下に何かがあるんだね」

 

「地下って、元々何があるの?」

 

「何もないよ……駐車場にしか使われてなかったはず……うろ覚えで自信ないけど……」

 

「そっか。じゃあ、地下から探してみようよ。こういうのは一番上か一番下のどっちかが怪しいって昔から決まってるし!」

 

「そうだね」

 

 わたしは頷いて、蒸気二輪(スチーム・バイク)を始動させる。そして第一庁舎正面玄関前で停車した。わたしは荷物の中から携帯タイプの瓦斯角燈(ガスランタン)に火を灯す。わたしもあこちゃんもある程度の夜目は利くが、はじめて訪れる場所を暗がりで探索できるほどではない。

 

 この世から無くなってしまった自動ドアをあこちゃんと手で開けて、わたしたちは庁舎に侵入する。人でごった返していた都庁は、二人分の足音がよく響くほどに様変わりしていた。中は伽藍とした空洞が広がっているかのようで、どこか虚ろな印象を受ける。

 

 ロビーの中央まで歩いたところで、あこちゃんがうつ伏せで寝転がった。

 

「あこちゃん……?」

 

「りんりんもやってみて。下から振動が伝わってこない?」

 

「ちょっと待って」

 

 言われた通り、瓦斯角燈(ガスランタン)を置いて、わたしも床へ横になった。片耳を床につけ、両掌を広げる。そうしてみると、たしかに、まったくの無音ではないとわかる。

 

「聞こえたよ、あこちゃん。聞こえたっていうか、振動を感じたって言った方がいいのかな」

 

「よかった~。あこの勘違いじゃないってわかって安心したよ~」

 

 わたしとあこちゃんは素早く立ち上がる。

 

「地下にはどう行けばいいの?」

 

「エレベータは電気が止まってて動かないから、非常階段から行こう」

 

 そしてわたしたちは非常階段を見つけて地下一階へと降りる。しかし、非常口の扉が開かない。薄い扉ならあこちゃんの蒸気鎖鋸(チェーンソー)で強引に開けるところだが、金属製の頑丈そうな扉まで力尽くで開けようとは思わない。地下一階は無視して二階、三階と下って行ったが、どの扉も開くことはなかった。

 

「中から閉じられてるよね?」

 

「うん……わたしもそう思う。物で押さえてるっていうよりも、扉自体をがっちり固定してるような……」

 

「鍵がかかってるだけならガチャガチャってちょっとだけ動かせるもんね。それができないってことは、なんて言うか、ドアと壁を接着剤でくっ付けてるみたい」

 

 どちらにしても、扉は開けられないという結論に達した。わたしたちは一階ロビーまで戻って、地下階に行く方法を考える。

 

「地下で何かが動いてる。なら、定期的にメンテナンスとかが必要になるはずだから、完全に封鎖してるわけじゃないと思う」

 

「ほかに地下に行く方法ってエレベータだけだっけ?」

 

「うん。そのはずだよ……」

 

「じゃあエレベータのドア開けて、ロープ伝いに上り下りしてるとか?」

 

「うーん。すごいめんどくさそうだけど……ほかに行く道も無いし、確認はしておこうか」

 

 わたしたちはロビーに備えられているエレベータの前まで移動する。あこちゃんと力を合わせ、エレベータの扉を開けようと試みたが、扉はぴくりとも動かない。あこちゃんはエレベータの乗り場ボタンを連打しているが、こちらも同様に何の反応も示さなかった。

 

 ただ、瓦斯角燈(ガスランタン)で照らされた乗り場ボタンのパネルに、小さな縦長の穴が空いている。これは───

 

「やっぱり使えなかったね、エレベータ。でも、下でなんか鳴ってるんだから、どこかから行けないとおかしいよね。うーん…………わかった! つまり、この一階のどこかに地下室へ通じる隠し扉があるんだよ! 都庁のどこかに隠し扉を開ける鍵があるはず! それで地下にはフロアボスが眠っていて、大魔姫あこの深淵より這い寄る秘められし力がドドーン! ってぜんぶ解決する流れだよ! きっと!」

 

「案外、間違ってないかも……」

 

 わたしはずっと首から下げている真鍮の鍵を取り出した。パネルに空いた小さな穴。そこへ鍵をあてがえば、するりと抵抗なく収まった。鍵を回す。力はいらなかった。かちゃりと音を立てて鍵が回る。

 

 壁の中、床の下から、はっきりと蒸気の吹き出る音が聞こえてくる。この一年ほどですっかり耳慣れてしまった、蒸気機関が駆動する音。唖然とするわたしたちを尻目に、エレベータの扉が開いた。

 

 思わずあこちゃんへ視線を向ける。大掛かりな仕掛けに驚いた顔がわたしを見つめ返していた。わたしも同じ表情を浮かべているはずだ。

 

 どちらともなく、わたしたちは頷き合った。先へ進もうと意思を伝える。わたしたちはエレベータに乗り込み、地下三階へと降りた。探索は一番下の階から。順番に昇っていく方が楽だろうと判断した。

 

 扉が開く。

 

「りんりん、ここって駐車場なんだよね……?」

 

「うん。そうだよ。間違いなく、駐車場だった」

 

 わたしたちの前には真っ直ぐ廊下が伸びていた。空間は十分な光で満たされている。廊下の壁に等間隔で設置された瓦斯洋燈(ガスランプ)が煌々と光を放っているからだ。駐車場に使える広大なスペースは無い。かつての名残を表すように、床には駐車位置を示す白線がそのままになっている。

 

 壁や天井には夥しい数のパイプが張り巡らされている。中で行き交っているのは高圧の蒸気に違いない。当然、〈大崩落〉後に増設されたものだ。かつての最先端技術は、変貌してしまった世界に合わせて蒸気の力に取り換えられていた。

 

 新陳代謝の速度に息を呑む。

 

 わたしは手元の瓦斯角燈(ガスランタン)の火を消した。無用の長物となった道具を片付けて、先へ進む。ここは東京で一番明るい場所だろう。なのに、一歩進むごとに深い闇に呑まれている気がしてならない。

 

「りんりん。なんか焦げ臭くない?」

 

 すん、と鼻を鳴らす。少し遅れて、わたしの鼻も異臭を捉えた。真っ先に瓦斯(ガス)漏れを疑ったが、瓦斯(ガス)の匂いではない。瓦斯(ガス)とは本来無臭のものだ。爆発事故を防いだり、危険をすぐに察知できるよう刺激臭を混ぜ合わせている。製法が完全に再現できているわけではないのか、〈大崩落〉の前後で瓦斯(ガス)の匂いは変化している。

 

「たしかに、焦げ臭い、ね……本当に、何かが燃えてるみたい……」

 

 進む度に息苦しさが増し、室温が上がっている気がする。天井や壁の上部には煤めいたものが散見されるようになった。身の危険を感じているのか、あこちゃんがわたしの手を握ってくる。あこちゃんほど鋭くはないわたしの勘も、ここは危険だと警鐘を鳴らしている。

 

 そして同じくらい、誰かにとって不都合な真実があると予見できた。虎穴に入らずんば虎子を得ず、だ。わたしは先へ進む。

 

 区画が変わったのか、壁に備え付けられた瓦斯洋燈(ガスランプ)が途絶えた。薄闇の中では防火扉が熱を放ちながら佇んでいる。ここまで来ると、わたしもあこちゃんも口元にハンカチを当てていた。

 

 布で手を保護しながら、わたしは防火扉を開ける。気圧差によるものか、酸素の流入を助けてしまったのか、轟と弱くはない風がわたしを嬲る。

 

 中では火が燃えていた。この一室自体が巨大な暖炉のようだった。木材など希少な資材を積み上げて、キャンプファイヤーでもしているかのよう。あるいは、護摩であろうか。立ち上る黒煙の大部分は天井に備えらえた巨大な換気扇から上階へと逃がされている。

 

「スタッフさん……?」

 

 室内を覗いたあこちゃんが呆然と呟いた。わたしはあこちゃんの顔をわたしの身体に押し付けるように抱き締め、彼女の視界を遮った。

 

 中には一組の男女が居る。燃え盛る炎のすぐそばで、一糸まとわず裸体を晒している。熱さなど感じていない、常軌を逸した目。だらだらと涎や体液を撒き散らしながら、見知らぬ男性は見知った女性を組み敷いていた。

 

 リズミカルに腰が打ち付けられる。生殖器からの快楽がこの世で唯一の(よすが)であるかのように、執拗に、何度も何度も、肉と肉がぶつかり合う。新人スタッフさんも拒むことなく、嬌声を上げて悦楽を迎え入れていた。

 

「なに……これ……?」

 

 わたしの呟きに答えるように、炎が不自然に揺らめいた。積み上げられた木材が崩れる。木片の間から円錐形の特徴的な鼻先が覗く。

 

「サメ!」

 

 わたしが叫ぶのと、あこちゃんが部屋に飛び込むのはほぼ同時だった。あこちゃんが蒸気鎖鋸(チェーンソー)を構える。蒸気二輪(スチーム・バイク)と違った小型の蒸気機関(スチーム・エンジン)は刃を回転させるだけの蒸気圧を瞬く間に生み出した。

 

 あこちゃんの接近よりもなお速く、火の中から生まれたサメは新人スタッフさんたち目がけて火を吹いた。新人スタッフさんに跨っていた男性は上半身を炎に包まれ、炭化し、崩れ落ちる。わたしは新人スタッフさんのもとまで走った。

 

 新人スタッフさんの身体で燻る火種を外套ではたく。彼女の髪に着いた様々な粘液はすっかり乾ききっており、所々皮膚がケロイド状になっている。ぜひゅー! ぜひゅー! と、尋常ではない呼吸音が彼女の喉から響く。もがき苦しむ新人スタッフさんを羽交い絞めにし、わたしはサメから離れるよう彼女を引きずる。

 

 炎をまとうサメに目をやれば、あこちゃんがその首を両断するところだった。間近な危機が去ったことにより、わたしは新人スタッフさんの容体を診る。

 

「し"ろ"、ね"……ッ!」

 

 爛れた手が、力強くわたしの服を掴む。濁りきった掠れた声は、わたしの名前を呼んだのだとかろうじて気づけた。風鳴りに似た荒々しい呼吸音。きっと炎を吸い込んで、気管まで焼け爛れてしまったのだろう。

 

「どうして……どうすれば……」

 

 戸惑いがわたしの口から漏れる。けれど、頭の中の冷めた部分は冷静に現実を突き付けてくる。小さなピースが次々と頭の中で組み合わさり、ジグソーパズルのように一枚の絵を描いた。

 

 いつの間にか消えている反体制者。リア充を積極的に襲うサメの習性。大麻を始めとしたそのほかの麻薬。属性持ちのサメ。瓦斯(ガス)などの資源の出処。

 

 ひとつひとつは気にも留めなかった。世界は変わってしまった。変化した世界に適応できなければ死ぬ。それだけだと思っていた。

 

 しかしそれらが組み合わされば───笑顔のための生贄が誕生する。

 

「これが、これがあなたが見つけ出した真実(ほんとう)なんですか……ッ」

 

 新人スタッフさんの手を握る。人体が発してはいけない熱を帯びていた。

 

 後ろ暗いことなんて、誰にでもあると思っていた。綺麗なまま今日まで生き残ってきた人間なんてひとりもいない。けれど、これは、あまりにも───

 

「──────笑えない」

 

 資源の有無は死活問題だ。あるかないかで生存率は大きく変わる。そして効率よく資源を回収する手段として、彼女たちは属性持ちのサメという意味不明な存在を利用したのだ。

 

 サメを呼ぶには空気を読まず二人の世界に没頭する男女を揃えればいい。しかしそれでは確実にその男女はサメの餌になる。だから発想を逆転させ、食べられてもいい人材を確保した。反体制派という居なくなった方が都合がいい人間はごまんといたから。

 

 けれど自分がサメの餌にされるというのに協力的になる人間はいない。そこで彼女たちは心の箍を外す術を身に着けたのだろう。

 

 新人スタッフさんが数秒前まで浮かべていた瞳の色を思い出す。虚ろでありながら、悦楽には貪欲な眼。

 

 思い返せば、病院で黒服さんは大麻を回収していた。その場で処分することも可能だったろうに。そして、廃れてもここは東京だ。もっと危険な、幻覚性の強い薬物も、あるところにはあるのだろう。薬物なんて使わなくても、もっとシンプルに洗脳の手法だって用いているかもしれない。

 

 なんにせよ。薬物や洗脳でバカなカップルを作り出し、燃料になりそうな炎属性のサメを呼び出す場を整え、ついでに邪魔者を消す算段もつけ、愚かなフューアルシャークからは使える素材を余さず剥ぎ取る。

 

 とても無駄がない。効率的だ。その手際の良さは笑ってしまいそうなほど、虫酸が走る。

 

「りんりん! ヤバいよこのサメ! なんか鱗がパチパチしてて、ちっちゃい爆発みたいなのしてる!」

 

 あこちゃんの方に意識を向けようとした瞬間、新人スタッフさんが喘ぐように口を開閉させながら、上体を起こそうとした。

 

 掠れた呼吸音に混じって、何かを伝えようとしている。彼女の最期の言葉だ。それを悟ったわたしは一言も聞き漏らすまいと耳を彼女の口元に寄せる。

 

「──────、──────」

 

「──────え?」

 

 聞き間違えてはいない。意図は正しく伝わった。なのに、彼女の意図がわからない。

 

 問い直す暇もなく、新人スタッフさんはコォォォと風穴を通り抜ける空気のような音を立てながら勢いよく息を吸った。苦しそうに胸を掻き抱き、生まれる前の胎児のように身体を丸める。そして、彼女は二度と動かなくなった。

 

「あこちゃん!」

 

 咄嗟に叫ぶ。

 

「───逃げるよ」

 

 有無を言わせず、わたしはあこちゃんを連れ立ってエレベータ室まで走る。

 

「りんりん。これって、黒服さんたちがやってるんだよね? 黒服さんたちは便利な道具をいっぱい作ってくれたよ。でも、あこたちが便利に使ってきた道具はぜんぶ───」

 

「───逃げよう、あこちゃん。もうここに、わたしたちに必要なものはないよ。こんなところに居ても笑えないし、幸せにはなれないよ」

 

「で、でも、りんりん。逃げるってどこに逃げればいいの……?」

 

 あこちゃんの声が不安に揺れる。その瞳は今にも涙を零しそうだった。

 

 その問いに対する答えは先ほど聞いたばかりだった。けれど、あこちゃんに正しく伝えきる自信がない。わたし自身が彼女の言葉の意味を推し量れないでいる。わたしの頭の中では、新人スタッフさんの最期の言葉がずっと繰り返されている。

 

 ───海へ。日菜に会え。

 

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