一体どれだけの時間が経過したのだろう。一年を地球が太陽を一周する時間と定義するなら、すでに前提が崩壊している。地球は無くなった。ほどなくして太陽系も消滅した。基準となるべきものは何一つ残っていない。
いや、何一つ残さなかったと言うべきだろうか。当時のわたしは焦燥に犯されていた。何が何でも早くあこちゃんを目覚めさせなければと焦っていた。結果として、太陽系を構成する惑星や、惑星間にある衛星、宇宙塵、固体物質、大小問わずあらゆるサメ因子とそれが発するサメエネルギーを簒奪した。そのエネルギーは自己の進化とあこちゃんの生命維持に回した。最終的に、わたしは太陽を丸呑みできるほどに進化したのだが、あこちゃんが長時間活動できるようにはならなかった。
氷川姉妹の焼き回しを見ているようだった。
ヘイフリック限界というものがある。動物体細胞で起こるもので、平たく言うと細胞の分裂回数は決まっているというものだ。
けれど、物質界に囚われている生物には、サメ因子の活性化に耐えられる回数が決まっていたとしたら。あこちゃんがその限界を迎えつつあるのだとしたら。進化の果てにあるのものが自滅なのだとしたら。
そんな仮説を、わたしは思いついてしまった。
わたしはこれ以上あこちゃんにサメエネルギーを注げない。
あくまでも仮説だ。そういうこともあるかもしれない。けれどもし事実だったとすれば、他ならぬわたしがあこちゃんを殺してしまう。
わたしは『壁』を突破した。肉体を捨ててエネルギー体となることで、わたしの意思が続く限り、わたしが消えることはない。けれどあこちゃんが、わたしと同じ道を辿ることはないだろう。わたしは高次の存在を認識するために、ロレンチーニ器官を魔改造した。それを足掛かりとして、肉体を捨てるに至ったのだ。
いまのあこちゃんはほとんどを微睡みの中で過ごしている。もうあこちゃんに進化の方向性をコントロールできるほど、強固な自我が残っているとは思えない。
わたしにできることはあこちゃんを延命させることだけ。
あこちゃんを守るのは簡単だった。わたしの身体は恒星サイズにまで肥大している。それであこちゃんを包み込めばいいだけだった。あこちゃんのバイタルをリアルタイムで確認するために、物質化させた胎盤と臍の緒はそのままだ。名実ともに、わたしはあこちゃんを孕んだと言っていい。
わたしの
あこちゃんとともに幸せに暮らす。
それはこんな、介護染みた未来を思ってのことではない。
しばらくの間、わたしは停滞していた。何かをする目的が見いだせなかったためだ。あこちゃんの鼓動に耳を傾けながら、かつての日々に思いを馳せていた。
もしもあのころに戻ることができたなら───
当たり前と言えば当たり前の思考。しかし、その思考にわたしは疑問を持った。
───できるのではないか?
いまのわたしは太陽系の総計よりも大きなエネルギーを抱えている。このまま肥大と進化を繰り返していけば、やがて不可逆すら可逆にできるのではないか。
どこまで行ってもサメはサメ。けれど、どこまでも行けるのがサメなのだ。
『壁』は突破できるとすでに我が身が証明している。どうせ無為に在ることしかできない身の上だ。挑戦しない理由がない。
わたしは動き出した。差し当たって星雲や星団を対象とし、あらゆるサメ因子を食い散らかそうとした。
乱獲は、一筋縄ではいかなかった。
サメだ。
太陽系があった座標から離れれば、そこにはわたしの行く手を遮るように数多のサメが泳いでいた。それらもかつては惑星だったのか、どれもこれも莫大なサメエネルギーを秘めている。質量はエネルギーと等価であるため、元になった惑星が巨大であるほどプラネットシャークも強大になる。恒星を元にしたスターシャークともなれば、常に体内で核融合を行っている。太陽よりも強く輝くスターシャークは数多くのプラネットシャークを食していた。
翻って、わたしはエネルギーが質量を持つほどに高密度化した存在だ。
出自こそ矮小な人間だろうと、一方的に食われる道理はない。わたしに物理攻撃が通用しないこともあって、サメとの食い合いはどちらがより貪欲に相手を貪れるかという勝負になった。惑星と同等の質量を持つサメを食い散らかし、着実に力を付け、やがてスターシャークすらも飲み下せるようになった。
それこそ星が生まれ、死ぬまでの時間を、わたしは宇宙に存在する数多のサメを食らうことに費やした。
惑星を食べ、恒星を食べ、その果てに、わたしは銀河へ牙を立てた。
銀河とは恒星やコンパクト星が重力によって構成された巨大な天体を指す。ならばこの、地球を生んだ天の川銀河はすでに銀河とは呼べないのかもしれない。最早、天の川銀河に主だった天体は存在していない。すべてわたしの糧となった。
渦を巻くようだった天の川銀河も今ではサメの形に変質している。けれど、このギャラクシーシャークはガワだけの存在と言っていい。ここまで大きくなると物質界に存在しているとは言い難く、わたしと同じ概念めいた存在だ。つまり、とても食い出がある。
天の川銀河を一片すら残さず吸収し、わたしは正面から他のギャラクシーシャークと渡り合える力を手にした。次の次元に手をかけれるようになったのだと実感する。わたしはまた進化の道を一歩進んだ。
そして、次の闘争が始まる。次の暴食を始める。
わたしは有り余ったエネルギーからいくつかの星雲を生成した。わたしのサメエネルギーから作られた星雲を、飛び道具として活用する。それは容易く他のギャラクシーシャークに食われたが、むざむざと相手に吸収されることはない。存在を保ち続けるように、防護膜を徹底して作り込んだ甲斐があった。純粋なわたしのサメエネルギー結晶は、わたしの分身と言える。食べられた分身は、敵ギャラクシーシャークの内側から、相手を構成する星雲や星団を食い潰していく。
要するに、内側と外側から同時にサメを食べているのだ。
ひとつの銀河が発生し、終息するまでの時間をわたしはそうやって過ごした。
最後の一匹になるまで。つまり、この宇宙でわたし以外のサメがいなくなるまで。
すべての銀河を平らげると、わたしは宇宙へ牙を立てた。残された暗黒物質や細々とした宇宙塵をまとめてサメエネルギーに変換する。わたしはそのすべてを取り込んだ。ひとつの宇宙がわたしとなり、わたしは宇宙そのものになったのだ。
そして、次の闘争が始まる。次の暴食を始める。
わたしは複数のブラックホールを作り出し、衝突させることによって次元の壁を食い破った。さすがにこれは力加減が難しく、成功するまでに星が二つ三つ寿命を迎えた。けれど、一度コツを掴んでしまえば簡単だ。
次元の壁を越えた先に存在するユニバースシャークの喉元に食らいつく。もうここまで来ると、サメの本能すら残っていないようだった。熱的死を迎えるだけの、膨張するだけの存在。自分以外の他者がいないからか、ユニバースシャークは無知蒙昧にして、盲目白痴と言える。『壁』を突破できなかったサメなど、わたしにとって格好の餌でしかなかった。
無限とも思えた多宇宙をわたしはひたすら食らい続けた。それこそ宇宙が終焉を迎えるのではないかと思えるだけの時間が経過した。
わたしが観測できる範囲で、ユニバースシャークの反応は消失した。わたしはサメ因子を活性化させ、溜まりに溜まったサメエネルギーをすべて使い切る勢いで進化の階段を駆け上った。わたしの存在が上位者へと昇華する。
わたしが食い破ってきた次元の壁やその向こう側を、すべて観測下に収められる。わたしの外側には、もう如何なる生命も存在していない。
世界とは、わたしを指す言葉になった。わたしこそが世界の中心である。
わたしの内側にすべてがある。時間も空間もあらゆる次元を構成する要素が、わたしの中で渦巻いている。
わたしは『壁』を突破した。そして───タイムボルテックスシャークへと進化したのだ。
〝随分、待たせちゃったね……でも、ここまで来れたよ、あこちゃん〟
呟くだとか、念じるだとか、そんな次元の話ではなくなっていた。ひょっとすると、新たな概念を生み出しているのかもしれない。
〝約束を果たすよ、あこちゃん……今度こそ、二人で幸せに暮らそう……だからいま、産み直すからね……〟
わたしはタイムボルテックスシャークとなった己を収斂させる。数え切れない物質、概念が『一』になるまで収縮する。
わたしが極点となったそのとき、わたしの意識すら消失し───
白金燐子の宇田川あこに対する愛が、天地開闢を伴って爆発した。