異変の兆候にいち早く気づく機会があったのはNASAのハッブル望遠鏡を使った研究者であった。
望遠鏡が撮影したデータを画像解析し、現像された遠い宇宙の光景に目を通す。画像データにはガンマ線バーストが写っていた。
ガンマ線バーストとは、まだ不明確な箇所は多いものの、ブラックホールの発生に伴う爆発現象と考えられている。天地開闢たるビックバンを除けば、この宇宙で最も強いエネルギー放出と言われている現象だ。
銀河系の中で言えば、ガンマ線バーストが起こり得るのは数百万年に一度という、稀少と言えば稀少なものだ。しかし、銀河系の外まで観測範囲を広げれば、全天で日に一度観測できるかどうかといった割り合いになる。
発生理由を考えれば珍しいのだが、全宇宙規模で考えるとありふれた現象である。画像データを解析した研究者も写真でならいくらでも見たことがある現象だった。けれど、今しがた望遠鏡から送られてきたデータを解析し、自分がその光景の第一発見者となれば、さすがに高揚を隠すことはできない。
「なあおい! ちょっとこれ見てくれよ!」
研究者は弾んだ声のまま、ディスプレイをぐいと回転させ、隣の席に座る同僚へと声をかけた。
同僚は「どうした?」とディスプレイを覗き込み、興奮冷めやらぬ口調でデータ解析が終わったばかりの画像にガンマ線バーストが写っていたことを説明される。
「へぇ、やったじゃん。日に一回は地球のどっかで観測されてるとは言え、当たりを引くことなんて早々ないだろう?」
「そうなんだよ! いやぁ、自分の手で形にしたものに決定的な瞬間が写ってるとテンション上がるな!」
とはいえ話はそれだけなのだ。研究者は胸の奥が燃えるかのような高揚感を誰かに知ってもらいたかっただけであり、誰かひとりにでも話をしたらそれで満足してしまった。
同僚の時間をこれ以上もらうのもなんだか気が引けて、適当に話を切り上げてディスプレイを元の角度に戻そうとする。そこで同僚が待ったをかけた。同僚は件のガンマ線バーストを指差して、
「ここ見てみろよ。なんだか───サメの形に見えないか?」
と言った。
同僚に言われ、研究者も指差されている箇所に注目する。残光の影響なのか、先端は流線型の丸みを帯び、ちょこんと跳ねたように見える光が背びれのように見えなくてもない。とはいえそれはパレイドリア現象の粋を出ないレベルだ。言ってしまえば、雲の形状から動物や物体の形を連想するようなもの。たしかに魚のような形に見えなくもないが、それをサメと直結させるのは偏り過ぎと言うべきか。研究者は苦笑を漏らした。
「おいおい。勤務中に呑むんじゃねぇよ。クビになっても知らねぇぞ」
「冗談だよ冗談。でもまあ実際そういう風に連想したんだからしょうがないだろ。なんていうか、ロールシャッハテストやったような気分だ」
「お前の中でどれだけサメが深く根付いてるのかは知らんけど……まー、流行ってるもんな、サメ映画。よくわかんねぇけど」
「そうそう。よくわかんねぇけど流行ってんだよ。実際スゴいぜ、あれ観るとサメに生まれ直したくなる」
「───やべーやつじゃん……」
同僚は冗談ともつかない調子で喋るので、研究者は彼の言葉に少しだけ引いた。そんな研究者の心情などお構いなしに、同僚は言葉を続ける。
「もしもこれがサメ映画だったら、きっとガンマ線バーストシャークとかタイトルが付くんだぜ」
「最強じゃねぇか。俺たちみたいな一介の星オタクも海辺で騒いでるカップルも見境なく食われちまうな」
くだらない戯言に、どちらともなく笑い出す。
さすがにこちらは冗談だとわかったので、研究者も冗談をもって返した。
「さて、そろそろ仕事に戻るか」
という言葉を皮切りにして、お互いに仕事を再開した。
結局、異変の兆候を目にしたとしても、それが世界の危機だと判じられる人間など、この地球にはいなかったのだ。
◇
実際に異変を察知したのは国際宇宙ステーションの乗組員であった。
とはいえ彼らは正確に異変を察知したわけではない。たとえば国際宇宙ステーションにはキューポラと呼ばれる観測用モジュールが建造されている。これはドッキングした宇宙船を肉眼で確認したり、地球観測所として使われる設備である。
キューポラには六枚の横窓とひとつの天窓があり、全方位の観測を可能としている。そしてちょうどキューポラを利用していた乗組員は見た。横窓の半分が真白に染まるのを。目がくらむほどの光を見た乗組員の視力は永久に失われ、同時に心肺も二度と動き出すことはなかった。
他の乗組員も同様であった。数秒ほど長く苦しんだかの違いがあるだけで、ほとんど即死と言って過言ではない死に様を晒している。また、国際宇宙ステーション自体もすべての機能が故障していた。人間が作った装甲や放射線防護など、去来したモノにとっては障子紙に等しく、生命維持装置を筆頭にあらゆる制御系装置が沈黙した。この瞬間、国際宇宙ステーションはただ宇宙に浮かぶ棺桶と化したのだ。
刹那にも満たない邂逅でこの惨状を作り出した下手人は───ガンマ線バーストシャーク、と呼ぶのが適当であろう。
本来なら、ガンマ線バーストが地球に飛来する確率など無きに等しい。ガンマ線バーストは細いビーム状に太陽が生み出す百億年分のエネルギーが凝縮されており、そのエネルギーは一方向へ直進する。
全宇宙を遊技盤とし、目隠しをしたままビリヤードをするようなものだ。ガンマ線バーストが地球に到達する心配をすることは杞憂であると言って差し支えない。
しかし、ソレには意思があり、物理法則を超越した特性を兼ね備えていた。
ガンマ線バーストシャークは宇宙空間を泳ぐ。その高濃度のエネルギー体は既存の法則など知ったことかとばかりに、サメのように身体をくねらせた。
国際宇宙ステーションに到達してからわずか一秒後。ガンマ線バーストシャークは北極圏から地球へと降臨した。ガンマ線バーストシャークはユーラシア大陸からアフリカ大陸にかけて、まるで何かを探すように地表を舐めると、南極圏から再び宇宙へと帰っていった。それは一秒にも満たない時間だった。一秒にも満たない時間で、地球上の七割近い生命は死に絶えた。
その様子をガンマ線バーストシャークの通り道となった国家ではこのように見えていた。
まず北の空に閃光が走った。日中であるにも関わらず、その激しい閃光に屋外を歩いていた多くの人々が足を止めた。その光はどんどん明るさを増し、最終的には空一面が太陽のように光り輝いた。
あまりの眩しさに人々が目蓋を閉じ、目を手で覆おうとも、すでに網膜は回復不能と診断されるほどに焼け付いていた。その閃光は水爆の爆発を間近で見てしまったのに等しい。
人々は急激に吐き気を催し、その場に崩折れる。これは大量のミュー粒子を一身に浴びたためだ。ミュー粒子とは荷電粒子の一種であり、大気圏の上層部でガンマ線が原子に作用したときに生成される。
平たく言えば、ミュー粒子とは放射線そのものだ。ミュー粒子を浴びた人体は臓器や細胞に甚大なダメージを受け、生きながらにして死んでいく。長くて数分ほど悶え苦しみ、絶命するのだ。
また、ミュー粒子は貫通力の高い物質でもある。一般家屋程度の薄い壁なら簡単に通り抜け、建物内に居る人間にも屋外に居る人間と同等の被害を与えた。例外は無い。
加えて、ガンマ線は原子と原子の結合を破壊する。これは人体に限った話ではない。ガンマ線バーストシャークが大気圏に侵入した際、すでに空気中の原子結合の破壊は行われている。そして原子と原子の結合が破壊された場合、そこには電場が生じるのだ。
その電場から強力な電磁パルスが発生し、あらゆる電子機器をショートさせる。車や電車などの制御系システムは瞬く間に故障する。操縦者がすでに死んでいる可能性も高いが、何かにぶつからない限り走行が止まらないことには変わりない。車の往来があるすべての道路は、事故の見本市に早変わりする。
また、家庭内でも事故は起こる。家電製品がショートした際、国中のすべての製品が大人しく沈黙するだろうか。家屋に電力を供給している電線。それに繋がっている電圧機などが、一切火花を散らさず故障すると断言できるだろうか。火種は山のようにあり、引火しやすいものはそれこそ海のように広がっている。
そしてそれに対処できる人間はすでに死んでいるのだ。
奇跡的にガンマ線バーストシャークの暴威を生き抜くことができた人間がいたとしても、彼らは火災などの二次災害によって命を落とす。逃げる先などどこにもない。
混乱は無かった。恐懼が人々を襲う前に、絶対的な死が国家を覆った。
◇
緩やかに異変を察知したのは、アメリカ大陸など、ガンマ線バーストシャークの通り道から反対側にあった大陸の住人たちだ。
ガンマ線バーストシャークが地表を蹂躙したとき、地球の反対側にある大陸ではオーロラが見えていた。本来なら北極圏や南極圏など極域周辺でしか見られない現象が、大陸中で、果ては赤道直下の上空でさえも観測できた。
簡単に言ってしまうと、オーロラとは大気の発光現象である。
太陽風のプラズマが地球の磁力線によって高速で降下し、大気中の原子を励起することによって発光すると考えられている。
プラズマ───つまりは荷電粒子群と電磁場が相互作用し合っている状態のことだ。ガンマ線バーストシャークはただそこにあるだけで荷電粒子たるミュー粒子を撒き散らし、原子間の結合を破壊することにより電磁場を作り出している。
ガンマ線バーストシャークが通過した場所では致死量の十倍以上にもなるミュー粒子が放出されている。しかし地球の裏側ともなれば、その破滅的な影響力でさえも弱まりを見せる。中心部では数秒から数分で億単位の死人を出した死の光でさえも、地球の裏側では万人を楽しませる極光になってしまう。
事実、それは幻想的で美しい光景だった。
緑白色のゆらめきが、赤、紫、黄、桃、と千変万化の顔を見せ、まるで人々をどこか遠いところに誘っているようですらある。空一面がそんな風に変わってしまい、不気味に思う者もいた。けれど突如オーロラが出現した原因などわからないまま、次の異変が訪れたのだ。
ガンマ線バーストシャークは原子間の結合を破壊しながら移動している。結果として電場が生まれ、大気には電荷が無尽蔵に蓄積された状態になっている。蓄積された電荷は、自然と放電という形を取る。この場合の放電とは───雷を指した。
オーロラが輝いていた空が、瞬く間にどす黒い暗雲に覆われた。激しい稲光とともに雷鳴が大陸中に響き渡る。稲光はオーロラに変わって空一面を輝かせ、大陸中に降り注いだ。雨雲が雨粒を落とすような感覚で、雷が大陸全土に落ち続けたのだ。
雷の嵐。そう形容するほかなかった。
逃げ遅れた何万もの人間が雷に打たれて絶命した。山に落ちれば立ちどころに山火事へと姿を変え、工場地帯に落ちればあっという間に火の海に変わった。
上は雷の洪水で、下は火の海。これなーんだ? そう問われて、生き残った人々はようやく理解した。
───世界の終わりが、やって来たのだ。