【完結】サメ映画をご存じない!?   作:Wolke

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XXX5 とかくにサメの世は住みにくい

 夕闇に染まるに世界に、人々は安堵を覚えるようになっていた。忌まわしき太陽が西の地平に消え、藍色にも似た薄闇がわたしたちの輪郭を曖昧にする。影に覆われた世界にこそ、わたしたちの安寧があった。

 

 外套のフードを取る。似合わないサングラスを外し、カチューシャのように頭上へ載せる。最後に顔の下半分を覆っているアフガンストールを取り払った。

 

 外気が素顔に触れる。大きく息を吸った。

 

 たったそれだけで、たまらない解放感を味わえる。なんて窮屈な世界になったのだろう。いつまで窮屈な世界にしがみつかなければならないのだろう。

 

 黄昏時の暗闇が心地よいのは、一寸先が完全な闇であることを隠し通してくれるからか。

 

 わたしと建造物の境目がぼやけるように、あちらとこちらの境界をあやふやにしている間は、絶対的な無がそこまで忍び寄っていることに気づかないフリができるからか。

 

 もうすぐ人類は無に帰る。すでにみんなが気づいている。けれど誰も口にしない。わかりきったことを口にするだけ無駄だからか。言葉という明確なものにした瞬間、現実になると恐れているのか。

 

 もう曖昧であやふやな中にしか、わたしたちの安穏は無いのだろう。

 

 安心に覆われた世界をわたしは歩く。あこちゃんと歩く。ふたり並んで、世界の影に呑まれていく。

 

 あこちゃんは口元を覆うアフガンストールを顎までずらし、花が綻ぶ前の形をした唇を露出させた。ほかはわたしと似たり寄ったりだ。カッコよさだけで選んだサングラスを外套の襟首にぶら下げて、ネコ耳といった遊びが入っているフードはそのまま被っている。

 

 そういえば、とあこちゃんが口を開いた。

 

「今日新しいカレンダーもらったけど、そろそろ一年が経つんだよね」

 

「そうだね……あっという間、だったかな……」

 

 災厄。虐殺。暴食。ラッパが鳴った日。終わりの始まり。あの日をなんと呼ぶのかは人によって様々だが、わたしは〈大崩落〉と呼んでいる。落ちるところまで落ちきった、というニュアンスだ。あこちゃんは終末や審判の日など聖書から引用しようとしていたが、最終的にわたしと同じ呼び方に落ち着いている。

 

〈大崩落〉から一年。ガンマ線バーストシャークの暴威を許してから早一年。毎日を生き延びるのに必死で、過ぎ去った時間の量を掴めない。

 

「それで思い出したんだけどね、新しい元号って結局なんだったのかな?」

 

「──────ああ……あったね、そんな話……」

 

 思い出すのに少しばかり時間がかかった。改号が決定した瞬間は、各地のシステムエンジニアたちが悲鳴を上げていたっけ。Unicodeすらコードを予約するだけしておいて、肝心の文字列は空白のままリリースしていたはずだ。あれだけ世間を騒がしたニュースも遠い昔の出来事であり、日本列島から人類が消えるまで平成の時代は続いていく。

 

 前に進めなくなった人類を置き去りにして、時間だけが進んでいく。

 

 隣を見る。時代に取り残された少女を見る。あこちゃんは腕を組んで、「うーん」と唸りながら考え事に没頭している。

 

 ───あこちゃんは高校生になれなかったんだ。

 

 巴さんを筆頭したAftergrowの顔馴染み、そして友希那さんや今井さんたちと同じ校舎に通う未来を奪われて、彼女はわたしと廃墟と化した街中を歩いている。ほんの少しだけ、運に味方されてしまった薄闇の中を歩いている。

 

「ちょっと気になってきたかも。首相官邸とか入ったらメモとか残ってないかなぁ……」

 

「さすがに、残ってないと思うよ……。あったとしても、ぜんぶ電子データでやり取りしてたんじゃないかな……?」

 

「じゃあもう全部壊れちゃってるね」

 

「うん」

 

「──────」

 

「──────」

 

「──────NFOのデータ……」

 

「つらくなるだけだから、その話はやめよう……?」

 

 死の光とともに降り注いだ電磁パルスが、世界中のあらゆる電子機器を破壊した。例外は電磁パルス攻撃を想定している自衛隊や各国の軍事施設くらいなものだ。けれど発電所そのものが炉を落としているため、もう世界に文明の火が灯ることはないのだろう。

 

 今でこそ蒸気機関が復権し、多少マシにはなったが、一年前は石器時代にまで逆戻りした生活を送っていた。

 

 よく生き延びれたものだと我が事ながら感心する。想像以上の生き汚さに辟易する。わたし自身、わたしがここまでしぶといとは思ってもみなかった。あるいは、こうも強運に恵まれているなんて。

 

「あこたちは運がいいのかな? 悪いのかな?」

 

「運は良いよ……絶対に……」

 

「あこね、今でもたまに自分がどうしてここに立っているかわからなくなるときがあるんだ。変かな?」

 

「ううん。変じゃないよ……わたしなんて、だいたいいつも、そんな感じだよ……」

 

〈大崩落〉の瞬間、わたしとあこちゃんは池袋の映画館に居た。地下上映室で呑気にポップコーンをつまみながら、映画鑑賞へと洒落込んでいた。

 

 貫通力の高い放射線が飛び交う中で地下二階程度の障壁は何の意味も成さない。しかし、ガンマ線バーストシャークは東京からほどよく離れた場所を通り過ぎていった。地球が球体である以上、直径部分に近づくにつれ、宇宙へと逃げる放射線が多くなる。角度の問題だ。地下二階分の気休めがわたしたちを救ったのだろう。

 

 日本海側では〈大崩落〉から一週間も持たず命を落とす人に溢れていたと、東京まで逃げ延びてきた人が言っていた。ギリギリの差だったに違いない。

 

 また、〈大崩落〉直後はまだ電気製品が生きていた。つまり、電車が使えたのだ。わたしたちは映画の感想を述べ合いながら、映画館から東池袋四丁目駅へ向かった。その移動中に激しい雷を伴った黒雲が空を覆った。降り出した雨は土砂降りという言葉すら生温く感じたほどだ。ずぶ濡れにされたわたしを見かねて、あこちゃんからこのまま宇田川家に招待される運びとなった。

 

 池袋からなら、あこちゃんの家が近い。驟雨に打たれたせいか悪寒を感じていたわたしは、遠慮することなく宇田川家にお邪魔することにした。

 

 都電荒川線で早稲田駅まで移動し、宇田川家にお呼ばれする。そこでお風呂を借りた。いまにして思えば、その行為がわたしたちの身体に付着していた放射性物質の過半数を洗い流すことに一役買い、延命の助けになっていたのだろう。

 

 入浴中に停電が起き、日本列島に雷が絶え間なく落ち続けた。東京では特にスカイツリーに集中していたらしい。あまりにも数が多すぎたために、スカイツリーが雷という橋を介して天地を繋いでいるように見えたのだとか。

 

 嵐が一段落すれば、あとはもう知っての通りだ。

 

 世界は───(サメ)に近づく形で変容していた。いま世界では、死というのものは大抵サメの形をしている。

 

「……なんて言うか、居心地が悪いって、言うべきなのかな……?」

 

「わかるわかる。サメ映画に毒されすぎちゃったのか、いまいち緊張感とか持てないんだよね。普通に考えて意味わかんないし!」

 

 口元から八重歯を覗かせてあこちゃんはけらけらと笑った。

 

「うん。それもあるけど……どう言えばいいのかな。わたしたちは普通に、いつも通りの価値観で物事を判断していただけなのに、結果的にそれが最適解だったことがおかしいというか……都合が良すぎるんじゃないかなって───まるで……」

 

 そう、まるで。

 

「わたしたちが生き延びることは最初から決まっていて、本当はわたしたちの意思や決断なんて関係なくて、すべて決められた通りに、全部()()()()物事が進んでるような……そういう、居心地の悪さ……」

 

「えー? りんりんは考えすぎだよ。これを狙ってやってるなんて、本当に神様でもないと無理だよ。それにあこたち以外にも生き残ってる人はいるし、あこたちが特別扱いされてるわけじゃないと思うよ」

 

「うん。そう、だね……考えすぎ、かな……?」

 

 また、曖昧にしようとする。自分が生き残った理由すらも、自分でも他人でもないモノへ押し付けて、明確にすることを恐れている。一度ちゃんとした形にしてしまえば、そこからすべてが壊れてしまいそうな恐怖がある。形があるものはいつか壊れるから。壊れないでいるためにはあやふやなままでいるしかない。

 

「ねぇ、りんりん。あの家なんてちょうどいいんじゃないかな?」

 

 話の流れを断ち切って、あこちゃんが民家を指し示す。三階建てで一階はガレージになっている。見たところ窓も割れておらず、十分家屋としての役割を果たしてくれるだろう。

 

 わたしはあこちゃんの言葉に頷いた。

 

「あの家にしようか」

 

 わたしたちは引っ越しの準備中だった。基本的にわたしたちは宇田川家を住処にしていた。けれど生き残った人々は新宿駅周辺を居住区として使い始めたために、交通機関が動いていない早稲田はやや不便な立地になってしまった。彼らと没交渉のまま生き延びられるほどわたしたちに力はない。なので、新宿駅近くに住処を変えることにしたのだ。蒸気二輪(スチーム・バイク)の燃料節約にもなるし。

 

 わたしはその家の玄関扉をノックする。どうせインターホンは壊れている。押すだけ無駄だろう。ドン! ドン! ドン! と、ノックというよりも拳を打ち付ける音が静謐な夜闇に吸い込まれる。あまりにも静かなため、この一区画には響き渡ったのではないかと思えるほどだ。

 

 反応は何もない。やはり生きている人間は居ないようだった。

 

 わたしはアフガンストールを巻き直し、蒸気二輪(スチーム・バイク)を操縦するときに着けているゴーグルを装着した。あこちゃんも口や鼻、目を覆って防護する。

 

 互いに頷き合うと、わたしは玄関扉を開けた。鍵はかかっていない。鍵をかける余裕もなく逃げたのか。はたまたいつでも逃げ出せるように、あえて鍵はかけていなかったのか。わたしたちには都合が良いのでそのまま土足で上がらせてもらう。

 

 一階には脱衣所と浴室があるだけだった。脱衣所横の階段を登り、三階まで上がる。突き当りのドアから順番に開けていくと、一室で大量の黒蠅が霧のようにわだかまっていた。唸るような羽音にたじろぐも、すぐに部屋に入って、ドアを締める。

 

 黒蠅が銃弾のようにわたしの身体に刺さる中、この部屋にある窓をすべて全開にする。黒蠅たちを追い立てて、重低音の合奏から解放された。部屋には白骨と化した亡骸がひとつ転がっている。屋外にある死体は強すぎる紫外線によって乾燥し、骨と皮だけのミイラになるが、屋内の死体はこうして蛆虫の餌場となる。

 

 ガンマ線バーストシャークの影響を、昆虫はほとんど受けていない。元々昆虫は放射線に強く、ダメージを負ったとしてもすぐに修復してしまうらしい。結果として、虫にたかられた死体は放置され、骨と髪と乾燥したわずかな肉がこびりつく姿を晒すことになる。

 

 わたしは死体が着ている服の肩口部分を掴む。あこちゃんはパンツの裾部分を掴んだ。そして二人で持ち上げると、「せーのっ!」と窓の外へ放り投げた。誰かが懸命に生きた確固たる証だとしても、弔う余裕がわたしには無い。あこちゃんは申し訳無さを感じているのか、窓の外へ向かって手を合わせていた。

 

 その間にも、わたしは室内の惨状を検める。床に染み込んだ腐った体液は完全に乾ききり、もう二度と落ちそうにない。けれども日が当たらないことで微生物も生き延びていたのか、鼻を刺すような腐臭もさして気にはならなかった。かなり長い時間放置されていたらしい。過酷な世界でも生き延びられる大自然の掃除屋たちが、不快な要素を薄めてくれていたようだ。

 

 この部屋は使えないにしても、この家自体は使えるだろう。そこまで判断して、わたしもあこちゃんと同じように手を合わせた。

 

 ───この家はこれからわたしたちが使います。明け渡してくれてありがとう。

 

 死者の安息など一切考えない、身勝手な感謝が心に浮かんだ。

 

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