――スキマを抜ければ、そこは奇妙な宙だった。
果ての見えぬ宙には幾つもの道路標識やがらくた。
挙句の果てには電車なんてものまで漂っている。
特に目を引くのは、そこら中に見える数多無数の瞳。
近くにあるように見える瞳でさえ、決して触れることができない。
生き物の気配などないこの宙にいる命は、立香自身と彼女のみ――
「ようこそ、私の
八雲紫。幻想郷の賢者――いや、今の彼女は失われたモノを求める一人の少女。
上も下も前も後ろもない宙で、彼女と向き合う。
「ネクロファンタジア……」
「ここは境界の定まらぬ可能性の宙にして、形無き原初の海。どこでもあって、どこでもない――そんな場所よ」
ゆったりと、余裕をもって彼女は説明する。それはそうだろう。
八雲紫と藤丸立香。1対1になってしまえば、力の差は天地ほどに離れているのだから。
「戦力の分断は戦術の基本――卑怯なんて、言わないわよね?」
「――っ!?」
身構える立香に、紫は諭すように語りかける。
「安心しなさい。最初から殺すつもりはないわ。――契約もあることだし」
「……契約?」
「でも、最後に一度だけ聞いておこうかしら? 私に手を貸すつもりはない?」
「断る」
立香の疑問を無視し再度の提案をしてくる彼女へと、はっきりと意思を示す。
「……この状況でも、か。分かってはいたことだけど、人間って不合理な生き物。時に生き物として欠陥なんじゃって思えるくらいに――でもだからこそ、か……」
紫は納得したかのように宙を仰ぎ、そして立香に視線を戻す。
「だったら無理やりにでも協力してもらいましょう」
「――何を、するつもり?」
「あなたを私の式神にします。あなただけではなく、カルデアスタッフ全員を」
「そして、異聞帯攻略を?」
「ええ、しばらく不便はするかもしれないけど事が終われば開放するわ。――後はこちらの世界で、好きに生きるといいでしょう」
――やはり、彼女は……
立香は何となく勘づいていたことを、改めて考える。
そして、口にする。
「聞きたいことがある」
「何かしら?」
「あなたが――君がオレに問うたことと一緒だ。君には、本当に世界を滅ぼす覚悟があるのか?」
「――っ」
紫の余裕が、僅かに揺らいだ。
「異聞帯の人たちを、虐殺する覚悟が――」
「……それでも、やらなくてはいけないのよ。私の世界を取り戻すためには――そう、これはどこにでもある当たり前の弱肉強食のお話」
「でもそれに納得できなかったから、幻想郷を作った」
「………………」
沈黙する彼女に、立香は一つの確信を告げる。
「オレには、君が無理をしているようにしか見えない」
「あなたに私の何がわかると――」
「わかるよ」
紫の抗弁に、自分の言葉を重ねる。
「オレも、ずっと無理しているから」
元々は、本当に何の変哲もない学生だったのだ。
それがレイシフトの適性を見出され、何も知らぬまま人類史を巡る旅を始めることになった。
命のやり取りどころか喧嘩すらろくにやった事がない
早々命の危機を感じることなどない現代日本で、ずっと生きてきたのだ。
怖い事もあったし、辛い事もあった。無理を通さず進めるはずもなかった。
「でもオレにはみんながいたから、何とか頑張ることができた。でも君は、一人でそんな場所に行こうとしている。それにこれから向かおうとしている異聞帯のことだけじゃない。この幻想郷でも君は……」
「――もう、それを言う資格は私にはないのよ。安全策を取っていたからと言って、私が自分の欲望のために幻想郷を利用していたことには変わりない」
「それは後ろめたさ? だからもう、幻想郷にいる資格はないと思っている?」
「……親しくもない女の懐に、踏み込み過ぎよ」
「オレもそう思う。でも多分、誰かが言わなきゃいけない事なんだ」
はっきりと、彼女の瞳を見据えて。
「君は多分、自分で思っているよりもずっと優しいから」
「――っ!」
本当に目的のみを優先するのなら、もっとやりようはあったはずだ。
自分を式神化して操ることができるなら、仕掛けられるタイミングは他にもあった。
でも彼女は真っ先に、対話という選択肢をとった。
幻想郷に対しても同じ。
その誕生から今に至るまで、ずっとずっと育み見守ってきたのだ。
義務感だけで済む話ではない――ならばそこにあったのは、きっと“愛”なのだろう。
「……くっ?」
そこまで考えたところで、立香の意識が揺らいだ。
「始まったわね」
「何、が……」
「言ったでしょう? ここは境界無き宙。ここに浸り続ければ、どんな存在であろうと自分を保ち続けることはできない。――この私以外は」
紫の手のひらに、光の文字の帯が浮かぶ。
「カルデアからの存在証明がない今、あなたは間もなく意味消失によって消え去る。そうなる前に、あなたに式を打ち込みます」
「――な!?」
「例えあなたの妄言が正鵠を射ていようと、最早私のやることは変わらない。次にあなたがはっきりと自意識を取り戻すとき、もうあなたの戦いは終わっています。――さようなら、我が先達。あなた達を乗り越えて、私は過去を取り戻す」
光の文字の束が、紫の手から離れる
それは刹那の間に立香へと到達し、取り囲み――
弾き飛ばされた。
「……なんですって?」
紫が目を細める。予想外の出来事だったのだろう。
ネクロファンタジアは彼女の支配領域。
だからこそ、そこで起きる未知の事態に動揺を隠せない。
「あなたが優しいというのは、私も同意します」
立香から幽体離脱するように、一人の少女が姿を現した。
青い瞳に青い髪、そして真っ赤なサンタ帽。
「あなたは結局、幻想郷を明確に脅かした比那名居天子を殺さなかった。それが答えなのでしょう」
「ドレミー・スイート!? まさか、彼に憑りついていた!?」
紫にとって、完全に予想外の登場人物。
立香にとってもそれは同じ――夢の中であった女の子。
「こんにちは――そしてこんばんは、カルデアのマスター。ですがその眠りは夢にすら至らぬ絶無。そこへは到達させませんのでご安心を」
「……夢の支配者たるあなたが、一体何の用かしら? 以前の意趣返し?」
「ああ、あなたにはそちらの顔ばかり見せていましたね」
「? ……一体何を?」
「私は獏――あなたの悪夢を食べにきました」
――紫が、虚を突かれたかのように息を飲んだ。
「悪夢、ですって……? いえ、いいでしょう。確かにあなたは、元よりそのような妖怪。ですが夢を主体とするあなたに、この場で一体何ができると――」
「あなた自身が言ったでしょう。ここは“どこでもあって、どこでもない”と。
紫の表情が、今度こそ驚愕に彩られた。
「莫迦なっ!? この空間の支配権を奪われた!?」
「夢の世界であるのならば、私に干渉できない道理はない。あなたが夢を見ている時、夢もまたあなたを覆っているのです」
「そんな屁理屈みたいな理由で――」
「屁理屈云々に関しては境界を操るあなたに言われたくはありません。――とはいえ私の支配権は精々2割といった所ですか」
「そのようね……結局大勢は変わりません。あなたには、早々に出ていって貰いましょう」
「あなたの境界は、万象に影響を及ぼしうる力です」
「……それがどうしたというの?」
「それは同時に、万象から影響を受けうるということを、あなたは自覚すべきでした。あなたの支配権にひびがはいった今――ほら、来ますよ」
ネクロファンタジアに、亀裂が入った。
そこから姿を現したのは――
「マスター! ご無事ですか!?」
「マシュ!」
同時に立香の意識もはっきりとする。
『存在証明を再開――ってうわ!? これ結構危ない状態だったよ!?』
ダ・ヴィンチちゃんの慌てる声。でも今は、それが何とも頼もしい。
他の面々もこの空間に入り込んでくる。
宮本武蔵、博麗霊夢、レミリア・スカーレット。
そして最後に現れたのは、初めて見る黒髪の美しい少女――
「……蓬莱山輝夜?」
紫が困惑したように、その名を呼んだ。あるいはドレミーの時以上に、なぜ彼女がここにいるのかわからないと言うように。
「立香君! そっちの青髪の可愛い女の子は!?」
「味方! そっちの子は!?」
「マスターが消えた後、急に神社の中から出てこられました! その後この空間への道を拓いてくれて……」
立香が輝夜と呼ばれた少女を見ると、彼女もまた立香を見つめてくる。
まじまじと、それはもうまじまじと。
「ふーん、確かに普通ね」
それが輝夜の第一声だった。
「念の為、藍に足止めを言づけておいたはずだけど?」
それに答えるはレミリア。
「それならウチの美鈴が相手をしているわ」
「……あんな木っ端妖怪一匹に、藍の相手がつとまるわけがないでしょう」
「何があったかは知らないし興味もないけど、今のあいつなら任せられそうだったから任せてきた――それだけよ」
「――っ」
紫は知っている――博麗霊夢のここぞという時の勘の良さを。
彼女がそう言い切ったのなら、冗談でも何でもないということを。
「結局来てしまったのね」
「当たり前でしょう。これは異変で、主犯はあんた。だったら巫女の私が退治するまでがセットなの」
続き、輝夜へと視線を移す。
「あなたはどういうつもりかしら、輝夜? 宇宙人の出る幕はないわ。物見遊山のつもりならエリア51に帰りなさい」
「どこよそれ。まあ簡単な話なのだけど……」
輝夜は立香の顔を改めて見る。
「彼に関しては、私の方に先約が入っているの。後からしゃしゃり出てきたやつに勝手に篭絡されても困るのよ」
「……相変わらず、あなた達の言うことは意味不明ね」
「そんなに難しい話ではないのだけど」
「あなたも私の敵に回るということかしら? 単独顕現を得た今ならあなたの能力でも、あるいはフェムトファイバーでさえ――」
「ああ、別に物見遊山っていうのは間違いじゃないわ」
あっけらかんと、輝夜は言い放った。
「私はただ、あの2人が認めた殿方の雄姿を見物しに来ただけ。ほら、私姫だし? 殿方の戦場であんまり前に出るのははしたないかなって? ついでにおまけは連れてきたけど」
「よくもまあいけしゃあしゃあと……」
「私、男を立てる女なの。ばぁやは、まあ色々とあれだけど」
そう言って彼女は、何かを思い出したかのようにクスリと笑った。
「――ああ、でもそうね。折角の機会なのだし……難題の提示はしておこうかしら?」
輝夜はスッと宙を駆け、立香の前に移動する。
「藤丸立香――あの二人の契約者」
「あ、ハイ」
「あなたに最新の難題を与えます。――無理難題を言いつけてきた私の中でも、間違いなく過去最高難易度。達成するためには、想像を絶する苦難と困難が待ち受けていることでしょう」
月の姫は厳かに、そしてどこまでもやわらかに告げた。
「
藤丸立香――人生で初となる、求婚を受けた瞬間だった。
――いや、別に初ではないのだが。きよひーとか。
マシュなんかあまりの衝撃の為か口をパクパクさせている。いや、立香も同じ気持ちだが。
他の面々もポカンとしているし――いや、霊夢は少し頬を赤く染めて目を逸らしている?
「あなた、バカじゃないの?」
最初にフリーズから復帰した紫が、率直にそう告げた。
対する輝夜は、余裕をもって答えて見せた。
「殿方のやる気をくすぐるには、こうするのが一番いいのよ。複雑怪奇な少女と違って、殿方の心境なんて単純なもの。やぁねぇ、長く生きているのにそんなのことも知らないのかしら?」
「知らないわよ! これまで男の人とお付き合いしたことなんてないんだしっ! あっ……」
しまったという表情になる紫。
いたたまれない沈黙が、辺りを包んだ。
そんな中輝夜はそそくさとドレミーの元まで移動し、ひそひそ話を始める。
「聞いたドレミーさん? あんないかにも経験豊富ですって顔して、殿方とお付き合いしたこともないんですって」
「あんまりそんな事言っちゃだめですよ、輝夜さん。恋の一つも出来ていれば、ここまで拗らせてはいませんから」
「聞こえているわよあなた達! わざわざちゃんと聞こえる声で言うのなら、ひそひそ話の振りなんてしないでくれる!?」
言い放ち、息を吸い、そして大きく吐く。
――その一連の動作を行い、紫は改めて一同を睥睨する。
「――まあいいわ。何人増えようと同じ事。茶番はここまでにして、早々に決着をつけましょう」
「それには私も同意見です!!」
――いつの間にか、武蔵が紫の背後まで迫っていた。
地面のないこの宙ではあるが、そこら中に浮く標識やガラクタを足場に移動したのだろう。
もとより彼女は兵法家――不意打ちだろうが躊躇わない。
「だから攻撃など無意味だと――!?」
そう言いかけた紫が武蔵の一撃に回避という選択肢をとったのは、長年培ってきた勘故か。
そしてその判断は正しく――武蔵の斬撃は、紫の頬に薄い切り傷を付けていた。
「くうっ――!?」
直後、大きく距離をとる。
結果紫がいた空間に放たれた斬撃は空を切り、武蔵は惜しそうな顔をする。
「ちょっと! 何でアンタは切れるのよ!?」
「知りませんが、切れるものは切れる!」
レミリアの言葉に、武蔵は端的に返す。
その答えは、切られた側である紫から示された。
「ありえない……今の私に傷をつけられるなんて、それこそ――まさかあなたの目は、■■と同系統のっ!?」
「武蔵ちゃんオフェンス! マシュはディフェンス! 他のみんなは援護を! 武蔵ちゃんの剣を、届かせて!」
一連の結果を見た立香は、瞬時に指示を飛ばす。
同時に一同は認識を共有する。この戦い――鍵を握るのは武蔵だと。
「ならば、私が道を作りましょう」
ドレミーが言うと同時に、ネクロファンタジアの中に幾つもの柱が出現する。
「ナイス! 可愛くて有能なんて最高!」
武蔵は柱を足場に、早速駆けだす。
「境界でみなさんの体を直接弄らせる真似もさせないので、ご安心を。私はこの場の制御に力を割くので、加勢は出来ませんが」
「十分! ありがとう!」
立香は礼を言い、ドレミーは頷く。
対する紫は顔を険しくしながらも、一帯に弾幕を展開する。
「このタイミングで、天敵ですって? 何よ、これ……なぜこうも、あなた達にばかり都合のいい風が吹く!? ドレミーならまだしも、普段何もしない引きこもりまで動くなんて!!」
「私、幾ら事実だとしても口にしない方がいい事があると思うのだけど」
「黙りなさい! まるで運命が味方でもしているように――まさか!?」
紫はハッとしたかのように、レミリアを見る。
「え? 私? 別に何もしてないけど」
「そこはせめて何かしておきなさい! そんなだからカリちゅまなんて言われるのよ!」
「風評被害!?」
レミリアは愕然とした表情を浮かべながらも、同じく弾幕を撃ち放つ。
そんな中霊夢は静かに立香の元によると、そっと耳打ちする。
「ねえ? あの剣士は、紫の無想天生擬きを破れるかしら?」
「必ず」
「即答ね――だったら私のやることは決まっているか」
一方武蔵は、柱を蹴りつつ紫への距離を詰めんとする。
「くうぅぅぅっ! 前からも後ろからも雨あられ! これは西部の鉄火場以上ね!」
色とりどりの弾幕の雨を潜り抜け、時に切り払う。
突進してくる廃電車を逆に足場にし、彼女を突き刺さんとする魔神柱を切り捨てる。
時に開いたスキマから卒塔婆や墓石が飛び出るが、それすらも避けて通る。
「剣技一つでなんてでたらめ――それにスキマが思うように使えない……ドレミー・スイート。まさかここまで!」
忌々し気に目元を歪めながらも、手を掲げる。
その動作に連動するように紫の背後に魔神柱が顕現し、無数の瞳を光らせる。
「『焼却式――
数えるのも馬鹿らしいほどの弾幕と熱線が、ドレミーを狙う。
ドレミーは今現在、ほぼ無防備。――が、それを黙ってみてはいない。
夢の支配者の前に身を躍らせるのは、カルデアの誇る盾の乙女。
「真名、凍結展開。これは多くの道、多くの願いを受けた幻想の城──呼応せよ! 『
顕現するはモザイク交じりの白亜の城。
焼却式に続き、無数の弾幕や極太のレーザーも降り注ぐ。
「っ!! なんて圧力――でも、凌ぎきって見せます!」
それでも夢想の城は、少女の心が折れぬ限り決して崩れない!
――そしてその光景を横目に宙を駆ける、紅い悪魔。
「ほら! 飛ぶわよ!」
「わお! 美少女に抱かれて飛ぶなんて、新鮮な体験!」
レミリアは後ろから武蔵を抱きかかえ、縦横無尽に飛び回る。
さながら弾幕の網目を縫う曲芸飛行のように――
カクカクと直角に、時に曲線を描きながら――
――が、生き馬の目を抜くように飛ぶ彼女の羽を熱線が貫く!
「大丈夫!?」
「すぐ治るっ! でもここからは走れ! ほら、霊夢が足場を作ったわ!」
武蔵の周囲に、幾つもの正六面体状の結界が現れる。
トントンと、軽快に結界を蹴り進む。
その勢いのまま更に紫へと迫らんとするが――
「くっ!? 糸っ!?」
「『八雲の巣』――なかなかの健脚でしたが、そこで打ち止め。所詮は剣客。その剣の届く内に、私の姿はない。あなたは契約の範囲外――このまま霊核を潰します」
「……認めましょう。“剣豪宮本武蔵”では、あなたには敵わない。でもそっちも忘れているんじゃない? 今の私は、“サーヴァントの宮本武蔵”だっていうことを――!!」
その啖呵に同調するように、立香が叫ぶ。
武蔵の意図を、つぶさに読み取って。
「令呪をもって命ずる――」
右手の甲に刻まれた刻印を掲げ――
「跳べ!! 武蔵ちゃんっ!!」
三つある絶対命令権の一つ。
ノーモーション且つノータイムでの空間転移。
宮本武蔵は光となり――その直後、八雲紫の眼前に迫っていた。
「つっ――舐めるなっ!!」
刀を振り抜かんとする武蔵に、紫はスキマから取り出した愛用の傘の切っ先を最速最短で突き放つ。
それは単なる雨除けや日除けに非ず。
膨大な妖力を纏った、下手な魔剣を上回る凶器。
「――伊舎那大天象っ!!」
対する武蔵も、無空にしてその生涯の具現たる奥義を振り放つ!!
「あら」
その光景を見ていた輝夜は、口元をほころばせる。
心底珍しいものを見たと言わんばかりに。
「――
赤い華が咲く――
凶器と化した傘の切っ先は、武蔵の胸を大きく貫いていた。
「武蔵ちゃんっ!!」
立香の叫び――それに対し武蔵は口元から血を垂らしながらも、ニイっと笑みを返して見せた。
「その宿業――確かに断ち切りました!!」
紫の背後――魔神柱パラドックスに縦の大きな亀裂が入り、割れた。
そして異形の魔神と繋がっていたスキマ妖怪。
紫はその美しい顔立ちに脂汗を浮かべながら、唸る。
「くっ!? でもまだ――ネガ・グレイズが機能停止しただけ! 私はまだ、負けては――!!」
「いえ、終わりよ」
静かに――そして絶対の宣言を、背後に立った博麗の巫女が告げる。
「あの似非無想天生が機能停止しただけ? バカ言うんじゃないわ。繋がっていたせいか、アンタへのダメージも大きい――もう境界の力もうまく使えなくなっているんでしょう?」
「霊……夢」
「第一、あの動きのキレのなさは何よ? 情けない――大方手に入れたばかりの力を持て余していたんでしょう? さっきまでの紫は無敵だったかもしれないけど、それでもいつものアンタの方がよほど手強かったわ」
「――ぁ」
「いい加減、少し頭を冷やしなさい。そしてこれが本家本元――『夢想天生』」
霊夢の周囲に数個の陰陽玉が浮き上がり――放たれた無数の札が紫を包み込んだ。
◇
――光が晴れると、一同は博麗神社の境内へと戻っていた。
真っ先に目に入ったのは、傷だらけで双剣を持ったまま膝をつき荒い息を吐く美鈴と、その傍らに倒れ込んだ九つの尾を持つ女性。
「あら美鈴、大金星じゃない」
「はぁー、はぁー、いえ、アハハ。この怪異殺しの剣のおかげですよ。それに藍さんも、迷いがあったんでしょうね。そうじゃなきゃ普通に負けてました」
マシュは胸に大穴を開けた武蔵に心配そうに駆け寄る。
「武蔵さん! すぐに回復能力を持ったサーヴァントに来ていただいて――」
「いやー……ごほっ。いえ、いいわ。今回は時間切れっぽい。もう少ししたら次の世界に跳びそうだから、その時に一緒に治るでしょう」
そして境内にて仰向けに倒れていた紫が、呆然としたように告げる。
「負け、か……本当に、肝心な時ほどうまくいかないものね。ねぇ、カルデアのマスター。私はどうして、負けたのかしらね?」
立香は少し考えて、答える。
「多分、誰にも頼らずに自分だけで何とかしようとしたから――じゃないかと」
「バカバカしい」
霊夢にバッサリと切って捨てられた。
「そんなもの、紫がバカだからに決まっているでしょう。そして私が巫女だった――理由なんて、それくらいのものよ」
「ふ、ふふふ……本当に、容赦ないわね。霊夢は……でも、それでも私は――」
ポツリポツリと、紫は呟く。
「空想樹の存在で、世界を丸ごとなんて欲が出たけど――私は……本当はただ、もう一度だけでも会って、ちゃんとお別れを言いたかった」
「………………」
「叶うなら幻想郷も見てもらって――こんな素敵な場所を作ったんだって、自慢したかった。ふふ――きっと、目を輝かせて喜んだでしょうね。本当に、そういうのが好きだったから」
「紫、アンタ……」
「あなたにも、会ってほしかった。霊夢は素敵な巫女だから、きっと彼女も気に入ったと思うわ。幻想郷は、全てを受け入れる……でも一番来てほしい相手は、いつまで経っても現れることはない――それは、残酷な話なのかしらね」
誰も、何も言えなかった。
賢者と呼ばれた少女の、本当に内に秘めた願いを前に……
「あの~、紫さん?」
――が、それでも口を開く者がいた。
「何かしら、宮本武蔵?」
「いえね。ちょっと聞きたいんだけどひょっとして、あなたが会いたい人ってあなたが言っていたオカルトサークルの相方って人? 私の天眼と同系統の目を持っているってのもその人?」
「ええ、まあそうだけど……」
「だったら生きているかもしれないわよ。その人」
「は?」
突然の告白に、紫はポカンとした表情になった。
「何を隠そうこの女武蔵。剪定から逃れ平行世界漂流の原因となったのはこの天眼なのです。だったら私と同系統の目を持っているっていうんなら、同じように生き延びている可能性はあるはずよ」
「……確かに、可能性はあるけど。それは、あまりにも希望的観測。それこそ天文学的な――」
「うん、その通り! でもそこでもう一つ。あなたの話を聞いてちょっとデジャヴを覚えていたんだけど……」
武蔵はマシュに支えられながら、この世界最後の時間をそれを伝えるために費やす。
「私も漂流者として数多世界を渡り歩いてきたわ。その中でもいろんな出会いがあってね。打倒父親を目指して日々地下闘技場で戦いに明け暮れる、ちょっとゴツイけど可愛らしい格闘少年とか。一市民と思いきや実は宇宙人とのハーフで、巨大な絡繰り人形を操る騎士だった可愛い系の少年とか」
「いきなりアナタの性癖をカミングアウトされて、私にどうしろと? 境界を弄って私に可愛い男の子になれと?」
「いやー、アハハ! つまりはまあ、いろんな人に出会ってきたって訳でして! とある世界で出会った彼女もその一人。――彼女とは名前を交わすこともないほど僅かな時間の逢瀬だったけど、彼女は何よりも優先して“その質問”をしました」
武蔵は紫の瞳へと指を差し、その言葉を告げる。
「『境界が見える気持ちの悪い目を持った女の子を探しているけど、知らないか』って?」
「――あ……」
紫は呆然とした面持ちで、その言葉を受け入れた。
「彼女があなたの待つ人なのか――あなたが彼女の探し人なのか。それを確かめる術はありません。それでも――少しは希望が持てる話でしょう? ってああ! もう時間!? 立香君、マシュさん――またいつかね!」
武蔵はそう言い残すと、光の粒子となって消えていった。
――そして紫は、自らの顔を手で覆った。
「――そっか。……そうよね。放課後のカフェテラス――待たされるのは、いつも私だった。今回はその時間が、ちょっと長くなっているだけで――」
憑き物が晴れたかのような、穏やかな声音。
――その表情を窺い知ることはできないが、きっと……
「あなたの悪夢、美味しく頂きました」
ドレミーは人知れずそう言い残して、その姿を消していた。
〇ドレミー・スイート
夢を食べる妖怪。八雲紫の長年の悪夢を食べるべく、行動していた。
〇蓬莱山輝夜
元月の姫。蓬莱人。かつて夢で共に過ごした二人が語った少年。彼に会うべく行動し、最新にして最大の難題を提示した。
〇博麗霊夢
幻想郷の素敵な巫女さん。自分勝手に暴走する割と困ったちゃんを退治すべく行動した。
恋愛関係については、魔理沙共々割と初心。東方鈴奈庵がソース。
〇レミリア・スカーレット
永遠に幼い紅い月。今回の盤面を揃える上で、”彼女は”運命を操ってはいない。
〇紅美鈴
レミリアから貰った怪異殺しの双剣を手に、ジャイアントキリングを成し遂げた。
〇八雲藍
お狐様。九つの尻尾がファン垂涎。本件に関しては迷いもありいつの間にか負けていた。ファンの方ごめんなさい。
〇宮本武蔵
平行世界を彷徨うストレンジャー……なのだが、今回の一件では■■■■■の代理として召喚されていた。
〇魔神柱パラドックス
博麗神社は貧乏神社である。つまりそこに巣くっていたかの魔神に素材なんて(目逸らし
〇八雲紫
・経歴①
とある汎人類史が剪定事象となった際の生き残り。数多の世界と時代を彷徨い、やがて自分の世界が終わり取り戻す方法がないと悟った後、東方世界線に居座った。
そして自分の居場所として幻想郷創設に着手した。
「どうせならば、自分のように居場所を失ったものを受け入れられる場所にしよう」
世界の剪定を防ぐためとか、自分が妖怪だからとか色々理由はあったが、最初の動機はそうだった。落枝蒐集機構を搭載した結界を張り、外の世界で否定されつつある幻想たちを積極的に受け入れた。その機能は紫の想像以上の効力を発揮し、やがて彼女の脳裏には一つ考えが浮かんでしまった。即ち「この機能を使えば異聞帯の要素さえ取り戻せるのでは?」という、最悪の考えが。
・経歴②
彼女は長い年月をかけ幻想郷を慈しみ、育んできた。愛すべき新たな故郷だった。だからこそ「かつての故郷の為今の故郷を利用する」という考えは、彼女をひどく悩ませた。魅力的でありながら、手を出してしまえばまた自分の居場所を失ってしまうかもしれない禁断の果実――それも今度は、他ならぬ自分自身の手で。
結局思いつきこそしたものの長年実行に移すことは出来ず、自問自答と机上の空論を繰り返す空回りの日々。――その間にも時代は進み、博麗大結界を新たに張り――彼女に二つの転機が訪れた。
・経歴③
一つは剪定事象からの来訪者アリス・マーガトロイド。厳密に言えば彼女は世界が剪定される前に逃がされた魔法使いであり、元の世界でも縁があった幻想郷に漂流してきた。その為落枝蒐集機構が効果を発揮したとは言い難いが、それでも幻想郷では紫に次ぐ異聞帯出身者だった。
もう一つは博麗霊夢の誕生。歴代博麗の巫女の中でも飛び切りの才能と霊力を誇る、最強の巫女。また良くも悪くも人妖に対し平等であり、ある意味では幻想郷の体現者とも言えた。「彼女がいれば大概のトラブルはなんとかなる」。紫はそう判断した。
また当時の幻想郷はよく言えば安定――悪く言えば停滞期にあり、淀みのようなものが生まれ始めていた。それを払拭するためでもある――そう自分に言い訳しつつ、紫は霊夢の一定の成長を待った後結界の箍を恐る恐る、少しずつ外し始めた。
・経歴④
結果として幻想郷には新たな移住者が増え、反面異変も増えたがそれも何とか処理し切れた。隣合わせではあったものの交流が薄かった各種異界との交流も増え、幻想郷には新たな風が吹き始めた。ただもう一つの狙いであった異聞帯関連については、まるで進行がないまま……そして幻想郷に、カルデアと呼ばれる組織が来訪した。
・経歴⑤
カルデアと紅魔館勢力との対話――それは盗み聞きしていた紫に大きな衝撃を与えた。長年欲していた異聞帯を蘇らせる手段――それが目の前に現れたのだ。それに他の手段が手に入るのなら、もう幻想郷に負担をかけずとも済む。身勝手と分かりつつも、それが彼女の決断を後押しした。彼女はカルデアに侵入し詳しい情報収集を始めた。さすがに途中で見つかったものの、相手が話の分かるアラフィフだったため幾つかの契約を結び情報と技術の提供を受け、本編へと至る。
・経歴⑥
八雲紫は限定的にビーストの霊基を手に入れたが、本編中においては結局獣足りえなかった。――世界を滅ぼす大災害など偽りの仮面。ただ今一度の再会の機会を欲する、一人の少女である。
・矛盾内包
愛する幻想郷と、それを利用してきたという後ろめたさ。大事な人の為に、無辜のその他多数を殺す。覚悟を問いながら、自身の覚悟は定まらない。彼女は多くの矛盾を抱えながら、それを実行に移しある程度は押し通せてしまうだけの力を持っていた。
それが幸か不幸か――それは誰にも分らない。
・大空魔術・顕界にて冥界(ネクロファンタジア)
紫の宙。無数の瞳とガラクタが漂う異空間。境界の定まらぬ可能性の宙にして、形無き原初の海。どこでもあって、どこでもない場所。その性質上、その内部に侵入した者は長時間自身の存在を保つことができず、時間経過と共に意味消失を引き起こす。――なお常時境界が不安定という訳でもなく、そこは紫の塩梅次第。
・ネガ・グレイズ
境界を操る程度の能力により自らの存在の境界を限りなく曖昧にすることにより、自身の存在の可能性を極限まで拡散。本来はそのまま消滅するところだが、単独顕現により存在が確定しているため“存在しないのに存在する”という矛盾した状態が成立してしまっている。不透明な透明妖怪。あらゆる干渉を受け付けず、当たり判定が消失する。
博麗霊夢の夢想天生をモデルにでっち上げた急造スキルであり、カルデアの戦績を知った八雲紫が『確実に勝利できる力』よりも『絶対に負けない力』を必要としたことから誕生した。
その反面相殺し合うためか単独顕現のランクが最低限まで落ち、素の耐久力も著しく減少している。とはいえ弊スキルが発動している限り、あらゆるダメージは発生しない。
――同時に自身の存在が曖昧になっている故の副作用か、素が出やすくなる。具体的には胡散臭さや余裕が激減し、ポロリと本音が出ることが多くなる。八雲紫はこの副作用を把握していない。
本スキルを突破するためには、八雲紫の存在を確定するための手段が必要。例えば日本神話に語られる『天沼矛』。例えば『数多ある可能性を一つに集約させる瞳』。例えば『星を見ただけで今の時間が分かり、月を見ただけで今居る場所が分かる目』。この性質は、「どこに行っても、どんな姿になっても見つけてほしい」という、彼女自身の願望の顕われかもしれない。
なおネガ・グレイズという名称は八雲紫が勝手に命名しただけであり、本来ビーストが有するネガスキルではない。仮に彼女がサーヴァントとして召喚された場合、本スキルの登録名称は『イマジナリー・メリー』となる。
〇アリス・マーガトロイド
七色の魔法使いにして、人形遣い。剪定されゆく世界から逃がされた少女。現在では幻想郷に腰を据える。
神社に遊びに行くのは、懐かしい誰かの面影を求めて。
魔法の森での迷子に親切なのは、自分も迷子だから。
都会派を名乗るのは、かつて住んでいた場所を忘れないため。
今は、“失われた世界の神霊”の召喚すら可能にするカルデアの召喚システムに興味を持っている。
紫とは異聞帯出身者同士ということでシンパシーがある。……実は二人は同じ世界の出身なのだが、本人たちはお互いにそのことに気付いていない。
本SS初の、まともな戦闘シーン。ちょっとあっさり風味で紫が押されっ放しに見えるかもですが、ご勘弁を(汗) ちゃんとした戦闘シーンは初めてなので……
今回紫が敗北した原因は――
・天敵である武蔵がいたため。
・ドレミーにより境界の力に対する妨害を受けていたため。
・事前の立香からの口撃で精神的に揺らぎが出ていたため。
・もともと本人にも迷いがあったため。
・予想外に早い開戦で、魔神柱の力に慣れる時間がなかったため。
・どこかの誰かが盤面に駒を揃えていたため。
・霊夢がいたから。
――等々、多岐に渡る理由があります。決して余裕のある勝利ではありませんでした。
ドレミー周りは、マーラ戦をモデルにした“概念による殴り合い”がモデルですね。
ともあれ一応山場は越え、後は東方恒例の“アレ”と“舞台裏の指し手たち”のお話。残りは1~2話くらいになるかと思います。