「ふむふむ……まあ、こんなところでしょうか」
外界から切り離されたかのように静寂に満ちた客間に、少女の声が響く。
用が終わったとばかりに、少女は黒いコートを揺らしながら立ち上がった。
「もう帰るのかしら? こちらから呼び立てたのだし、もてなしくらいするわよ」
「お構いなく。……他のサーヴァントの皆さんは大抵古い時代の出身なのであまり気にならないでしょうが、幻想郷って私にとってはちょ~っとアナログ過ぎるんですよねぇ」
一応とばかりに呼び止めたのは、永遠亭の薬師八意永琳。
やれやれと肩を竦めるのは、ムーンキャンサー・BB。
「今でこそエーテルの体を得ていますが、本来は電脳生命体。ネット環境の一つもない場所は、些か座りが悪いのです」
「さながら胡蝶の夢といった所かしら?」
「一夜の幻を見る月の蝶ではあります。まあ私は奉仕することにも遊ぶことにも手は抜かない小悪魔系後輩なので、全力で現を抜かしちゃいますけどね!」
余裕を持った笑みで答えて見せるBBだが、一転思案気な顔を浮かべ問いかける。
「本題は終わったのでちょっとした雑談ですけど、最近ここのお姫様が私のセンパイにちょっかいかけているんですよ。……その辺り、保護者としてどうお考えなので?」
「気まぐれか物好きの類でしょう」
永琳は特に表情を変えずに言い切った。
「本当に結婚することになっても?」
「姫様は未婚だし、それも経験じゃないかしら」
「そこに愛がなくても?」
「珍しい事じゃないでしょう。それに、愛なんて結婚した後でも育めるじゃない」
「それはそうなんですけどねぇ。人類史観点からしても、恋愛結婚の割合が上昇したのは比較的近年の話ですし、今だって国や地域によっては相手を自分じゃ決められないなんて、珍しい話じゃないですから」
BBはうんうんと、分かりましたと頷いて見せる。
「でもちょっと淡白すぎません? もっとこう――燃え上がるような何かがあったりとかは……」
「そう言われても、こういう性分だから。――それに、所詮は定命と永遠。彼に特殊な処置をしない限りは、精々100年程度の付き合いでしょう? 永遠の前では瞬きのような時間。お互いが合意の上なら、目くじらを立てるほどのことではないわ」
「つまり、そちらのお姫様からしたら一時の気の迷いのようなものだと?」
「別にそこまで言うつもりはないわ。姫様だって考えた上での告白だったはずよ……多分」
「自信なさげですね」
「最近は、奔放さに磨きがかかっているから。誰からの薫陶かしらねぇ」
困ったように息を吐く永琳に、BBも肩の力を抜く。
「私もまだまだ恋愛初心者ではありますけれど、輝夜さんのは“恋”とも“愛”ともまた別ベクトルな気がします。月人特有の精神性でしょうか……まあ、今は考えても詮無いことですか。今日はなかなかに有意義な時間でした。そろそろ失礼しますね」
黒コートと長髪を翻し立ち去ろうとするBBを、永琳はもう一度だけ引き留めた。
「最後に一つ、いいかしら」
「何でしょうか?」
「地球が生まれる以前より存在した、別世界の月からの使者。あなたは月の都を――月の民を、どう思ったかしら?」
「んーーー、そうですねぇ……紆余曲折を経たとはいえ、私は人類の健康管理AI。その観点からすれば、あまり月の民には興味が湧かないのですが。反面月の都の技術には、多少興味を惹かれていますけど。でもまあ――」
BBはゆっくりと、邪悪な笑みを浮かべる。
「少なくとも――センパイをからかうよりは、面白くなさそうかなぁって」
揶揄するように、嘲笑うように、月の癌は去っていった。
――程なくして、BBが開けっ放しにしていった襖から一人の女性が顔を出す。
現在地上での謹慎中で永遠亭に居候をしている、綿月依姫である。
「失礼します――お客人は帰られたようですね」
依姫は自然に部屋へと入り、先ほどまでBBが腰を下ろしていた座布団に座り永琳と向かい合う。
「わざわざ八意様が呼びつける程の人物。事前にカルデアのサーヴァントとは聞いていましたが、一体どのような相手なのですか?」
「別世界における月――そこに住んでいた者だそうよ」
「ということは、カルデアのある世界における月の民という訳ですね。それならば少し親近感が湧きます」
「いいえ、違うわ」
「えっ」
「カルデアとはまた別の平行世界からの来訪者よ。とある特異案件の解決の為に、カルデアのある世界に送りこまれた――本人はそう言っていたわ」
「そ、そうでしたか……これはとんだ早合点を……」
わずかに顔に朱が差した元教え子に、永琳はフッと微笑みかけた。
「事情が複雑だから仕方ないわ。こちらの世界とは、だいぶ違う歴史を辿っているようだし……」
「違う歴史――平行世界ですか。そちら方面にはあまり手を出していないのですが、存在自体はかねてより月の都でも検証されていますね」
「豊姫の方がこの話題は得意だったわね。彼女――BBがいた世界では、月は一つの巨大な結晶体――コンピュータだったそうよ」
「へっ?」
突然の発言に、依姫は目を丸くした。
「地球が誕生する前から存在し、その始まりから終わりに至るまでを観察し、記録し続ける瞳――ムーンセル。彼女はその中に展開された電脳世界を運営するために生み出された電脳生命体」
「それは――いえ、しかし我々の世界の月は・・・・・・」
「ええ、少なくとも彼女の語るムーンセルではないわ。長年住み続けた私たちが断言するのだから、それは間違いない。――もっともその全容までは把握し切れていなかったと、つい最近思い知ったばかりだけど」
「――地獄の女神、ですか」
慎重に口を開いた依姫に、永琳は頷く。
「ヘカーティア・ラピスラズリ。月にまつわる女神でありながら、私たちにも存在を勘づかせなかった神性。あのような存在を見逃していた以上、他にも何か潜んでいないとは言い切れないわ」
永琳は小さく、息を吐いた。
「本当に、最近は足元が揺らぐようなことばかり」
「――それは……」
「人理、平行世界、剪定事象、人類悪。加えて外宇宙の邪神や、BBの語った遊星」
「遊星、ですか?」
「ええ、BBやカルデアのいた世界には、1万年以上前に遊星とよばれる侵略者から襲撃をうけたそうよ。その際、地球の神性は皆敗北したのだとか」
「……にわかには信じがたい話ですね。神々の多くは、強大な力を有しています」
八百万の神々をその身に降ろす、綿月の姫。
故にこそ、その力は文字通り身に染みている。
だが――
「だからこそ、よ。単純に自分より強大な相手が現れた時は、途端に太刀打ちできなくなる。それが神々の限界なのかもしれないわね」
依姫は押し黙った。そして思い出した。
少し前に自らが暴走した時、立ち向かってきたのは自分よりもはるかに劣るはずの人だったと。
「とはいえこちらには遊星なんて出現していないし、月の認識範囲にもそれらしき存在は訪れていない。単純にいないのか、全く別の宇宙を彷徨っているのか、そもそも食性が違うのか」
いくつかの可能性を上げるが、断言はできない。
結局すべては、“もしも”の話であった。
「もっとも今考えなければいけないことは、いるかどうかも分からない遊星よりも、剪定事象についてなのだけれど」
「確かに、到底無視できる話ではありませんね」
「ええ、あなただから話しているの。月の民たち――特に上層部には話してはダメよ?」
暗に信頼している――そう言われたようで、依姫の心は思わず弾む。
しかしそんな元弟子の心境を知ってか知らずか、永琳は話を続ける。
「一笑に付されるのならば、まだいいわ。でも月の都を離れたとはいえ、私の言葉には一定の重みがある――そう認識しているわ」
「ええ、それはもう。八意様は月の都の創生より関わっておられるお方。その言葉を無視できる輩など、おりますまい……若い兎ならちょっと分かりませんけど」
全力で肯定してくる依姫の姿に、永琳は少し苦笑してしまった。
最も一刹那の後には表情を引き締め直したのだが。
「あなたが言った通り、私は月の都の始まりより関わってきたわ。――結果として、月の都は完成された都市になった。数少ない天敵こそ存在するけど、それでも“存続”という一点に関しては、盤石に近い体制を整えた」
「はい。発展した月の都においてさえ、偉業と称するべきことです」
「――でも剪定事象の存在によって、それは揺らいだ」
いくら月の都が完成し、完結した空間であったとしても、それを内包する世界そのものが無くなってしまえばひとたまりもない。
「私も概要は聞いていますが――正直実感が湧かないところがあります。行き詰まった世界に訪れる自発的な切除、でしたか」
「でしょうね。剪定された世界の住人は、そうと知る事さえなく無に還るのだから」
「私ならまだしも、八意様までそうなるとは少し想像できません」
「買い被りが過ぎるわよ」
どうにも我が元弟子は、自らに対して過大すぎる評価を抱いているようだと、永琳は内心嘆息する。
「平行世界論は月の都でも考察・検証こそはされていても、実証も干渉も行ってはいなかった。――なぜなら、必要ないから」
「月の都は、現時点で完成されている。物質的にも技術的にも満たされ、幻想郷とは違い資源も月の都内部だけで循環し切れている。だからこそ、平行世界に手を伸ばしてまで得るべきものはない。それどころか厄介ごとさえ引き寄せるかもしれない――そういう訳ですね」
「月の都が誕生して、私の目から見ても永い年月が流れたわ。――でも月の民の中には、新天地を目指そうとする者は現れなかった。手を伸ばすことを止めた。だって現状維持をするのが一番楽だし、それで満ち足りているのだから。……まあ、輝夜みたいなお転婆は出てきたわけだけど」
「臆病風にあてられたレイセンも、ですね。最近は、随分と芯が固まってきたようにも見えますが」
「地上での交流の中で揉まれているから。よりにもよって、純狐にまで気に入られるとはね……ちょっと話が逸れたわね」
仕える姫と現弟子の事はいったん棚上げにし、脱線した話を修正する。
「月の都は永遠の揺り籠。限りなく安定した箱庭。――でも安定と安寧よりも、無軌道な発展を止めない世界の方が、存続すべき世界として認められる傾向にある。……よくもまあこんな皮肉なシステムが生まれたものよね。安定した永遠を求めた世界こそが、真っ先に切り捨てられる側になるなんて」
「我々も――いずれは剪定される側だと、そういうことですか?」
依姫としては否定したい考え。
だが仮に自らの師が肯定してしまえば、それは現実のものになるだろうと確信する自分もいる――そんな複雑な心境。
だが永琳は、縦にも横にも首を振らなかった。
「それこそが、今の私の研究課題」
「へっ?」
覚悟していただけに、依姫としては少しばかり拍子抜けしてしまった。
最も次の言葉で、自然と身は引きしまってしまうのだが。
「即ち――
「・・・・・・地上も、月の都の一部みたいなものでしょう。それに私のような月の使者は地上に干渉し、歴史を作ってきた。そういう意味では、十分すぎるほど人理に干渉していると言えるのでは?」
「そうね。でもここ最近は、干渉を控えているでしょう? 特に月にロケットが到達したころからは、特に顕著に」
「それは……」
事実であった。
月の技術力からすればまだまだ未熟。子供のおもちゃかそれ以下の代物。
だが月の民たちを何よりも驚愕させたのは、あの程度の技術力で本当に月に降り立ってしまったという、その一点であった。
同時にそれは、月の民にある不安を抱かせることになった。
――下手な干渉を続けると、自分たちの存在がバレるのではないか? という不安を。
「地上の人口は今や70億を超える――本当に、笑ってしまうほどの数よね。数は繁栄のパラメータの一種ではあるけど、基盤となるべき世界を食いつぶしかねないほどともなると話は別。まるで敢えて自分を追い込むことで、更なるブレイクスルーを目指しているかのよう。背中を押すにも限度があるでしょうにね……そして同時に、月の統制が十分に行き渡っているのならば、ここまでの数にはならなかったはずよ。最早地上は、月の手綱から離れ始めている。そう判断するべきね」
「……はい。月の使者のリーダーとして、私の力不足です」
「別に責めている訳ではないわ。そもそも最早、私には責める権利もないでしょうし。これは単に時代の流れ――そういうことでしょう」
真面目過ぎる元弟子にフォローを入れつつ、永琳は銀の髪を揺らす。
「人理という概念には、不透明な部分が多いわ。何をもって人理と定義づけするのか? 如何なる基準をもって剪定されるか否かを判定するのか? その基準はいったい誰が決めたのか? 具体的にはどんな方法で世界の剪定は為されるのか? それなりに世の事象を識ったつもりでいたけど、久々に本腰を入れなければならない課題のようね」
「八意様ならきっと解き明かせると思います」
「ありがとう――でも、現時点で一つだけ言えることは……」
永琳は少しだけ悩まし気な表情を見せた後、その言葉を告げる。
「
「……それはとても、月の都で吹聴できることではありませんね」
師の発言に、依姫は知らず、薄く冷や汗を流す。
月の民からすれば自分たちこそが世界の中心であり、それを疑ってもいない。
それ故に大概の事には寛容であるし、関心も示さない。
だがもしたった今師が言ったことが事実であるとすれば。
もしも人理の主導権が地上にあり、地上が行き詰まれば月も諸共に消え去ると知ってしまえば――
「……ここまで話すつもりはなかったのだけれど、私だけで抱えるには思いの他重い事柄だったようね。余計な荷物を背負わせてしまったわ」
自嘲気味にため息を吐く永琳に、依姫は慌てて捲し立てる。
「いいえっ! そのようなことは……まだまだ未熟な身ですが、八意様の重荷を少しでも共に背負うことができるのならば本望です! というか是非とも背負わせてほしいと言いますか」
「え、ええ……? ありがとう? でもちょっと落ち着いてくれると嬉しいわ」
依姫は差し出されたお茶を丁寧に口にし、一旦心を落ち着ける。
同時にポーカーフェイスを保ちながらも思わずがっついてしまった自分を恥じるが、永琳が再び話始めた事柄に耳を傾ける。
「一応、万一の時の対応策も考えてはいるのだけど……」
「さすがです、八意様。情報も少ない今の状況でさえ、手を考えられていたとは……」
「――とはいえ、単純な話なのよね。それに相応にリスクも大きいし、月の都だって今の在り方を保っていられないでしょう」
「それは一体……」
「すでに一度はやろうとしたでしょう? その延長線上にあるものよ」
「――つまり、月の都の遷都ということですか?」
月の都を――正確には月の都の罪人の一人を激しく憎む天敵・純狐。
かつてその襲撃に晒された時、対応策の一つとして考えられたのが地上への遷都。
下準備だけ行い、結局実行に移されることはなかったのだが……
「地球を基準とした世界の剪定の影響が、宇宙全体にまで及んでいるとは考えにくいわ。地球がそこまでこの宇宙において、特別な惑星だとは思えない。おそらくだけど、広く見積もっても太陽系の内側辺りに区切りがあるんじゃないかしら?」
「なるほど……つまり人理の影響下から出てしまえば、剪定は免れるということですね。確かにそれならば――」
「・・・・・・でもきっと、そこには人理とは別の剪定の基準が設けられているんでしょうね。そもそも剪定が発生するのは、無限に分岐する平行世界を維持するだけのエネルギーが存在しないから。だったら宇宙のどこに行ったとしても、何らかの剪定基準があると考えるべきだわ」
「この宇宙を構成するシステムこそが、我々が挑むべき敵だと?」
「本来は、迎合するしかない事柄なんでしょうけどね。でも幸いというか、一か所だけ剪定の影響を受けないであろう場所がある」
「それは――?」
永琳は目を瞑り、その名を口にする。
「
「そのような場所が……しかし、技術的な目途は立っているのですか?」
「それはこれからの課題ね。でも月の技術と輝夜の協力があれば、十分に可能性はあるわ」
永遠と須臾を操る程度の能力――数ある異能の中でも、極めて特殊な位置づけの力。
時間と空間に密接にかかわる力ゆえ、虚数空間への干渉も可能だろうと永琳は推測する。
それどころか、輝夜単体ならば世界が剪定されたとしても普通に生き残るかもしれない。
「いざとなれば、カルデアとの取引も視野に入れるべきね。……だけど、一番の問題は技術的な話ではないのよね」
「それは――確かにそうですね」
永琳の言葉に、依姫は深々と頷く。
即ちその問題とは――
「技術の面をクリアしても、結局最後に行きつくのはその問題。地上への遷都とは訳が違う。正真正銘、未知の世界への旅立ち。果たしてどれだけの月の民が、首を縦に振るんでしょうね?」
「長い永い安寧に浸ってきた月の民に、今更新天地に旅立つだけの精神性が存在するのか――実際の所、自信がありません」
「とはいえ今はまだ、仮定の話で先の話。でもこういう可能性と選択肢もあるということは、覚えておいてちょうだい」
「承知しました。今しばらく胸に秘めておきます」
「ええ、頼むわ。でも――」
永琳が脳裏に思い浮かべるのは、かつての月の異変。
一度目は関わる事もなく元弟子たちの手で対処され、二度目は自らも手を出した事件。
「人理と剪定事象を念頭におけば、かつての月面戦争もまた違う意味合いを帯びてくるかもしれないわ」
「あの戦いが、ですか?」
依姫自身も関わりがある、二度の月面戦争。
とはいえ最早終わった事案として、過去のものとなっていたのだが――
「あの戦いは、八雲紫が月の実情を詳しく把握するためのものだったのかもしれないわ。――というよりも、今の私と同じく、月の都がどこまで人理の主導権を握っているかを判断するための試金石」
「月の技術奪取も、第一次月面戦争の意趣返しも、全てダミーということですか? しかしそれならばわざわざ戦争を仕掛けるまでもなく、話し合いを設ければ済む話だと思いますが」
「当時の彼女からすれば、月の民が話し合いに応じるかどうかさえも不透明だったんじゃないかしら? それに私たちが抱いたものと同じ懸念を、紫も持っていたのかもしれないわ」
「万一月の民が、自分たちに世界に対する主権が存在しないと確信してしまった時に、どういう行動に出るか――という話ですか」
論理的な方法を模索するのならばまだいい。
だが圧倒的な技術的有利を笠にきて、暴走染みた行動を起こすことがあれば――
「人理や剪定事象に関する知識は、彼女が月の民に対して持っていた数少ないアドバンテージ。故に厳重に秘匿する必要があった」
「そのために二重三重にダミーの理由を用意したという訳ですか。やはり侮れない相手ですね」
難しい顔をする依姫に、永琳も頷く。
「第一次月面戦争で、紫は月の民のスタンスをある程度把握した。無暗な殺生を好まないというところもね。それを前提に、第二次月面戦争ではより大胆な手をうってきた。結果として、彼女は何人かの協力者を月の都の中に入れることに成功したわ」
「何人かというと、霊夢もですか? しかし彼女は――」
「何も事情を知らない、余計なフィルターを通さない視点からこそ見えるものもあるということよ。霊夢だって、自分がスパイだなんて自覚は全くなかったでしょう。ただ月に行って、観光して、帰って土産話をしただけ。そこからでも読み取れるものはあるわ。ただまあ――」
永琳は真剣な表情を崩し、ほころんで見せる。
「あのスキマ妖怪も、最近は随分と丸くなったようだけど。いえ、憑き物が落ちたというべきかしら? 少なくとも、もう彼女から月に対して何か仕掛けてくることはないでしょう……まあその事実こそが逆に、“月の民が人理の主導権を握っていない”という仮説を補強するものでもあるんだけど」
「……ままならない話ですね」
「“彼方立てれば此方が立たぬ”ということかしら。それでも彼女は、この世界がすぐに剪定されるようなことはないと判断した――時間はまだあるのだと、前向きに考えるとしましょう。……それにしても、今日は“おそらく”とか“かも”とか、仮定形の話ばかりだったわね。月の頭脳もちょっと鈍ったかしら?」
「いえ! 決してそのようなことは――」
◇
――一方その頃。
「ねえ、メリー」
「何かしら、蓮子」
「ちょっと小耳に挟んだんだけど、あなた昔月面都市に攻め込んだことがあるんですって?」
「それがどうかしたの?」
「単にらしくないなーって。なんでなの?」
「……色々と事情があったのよ。そう、複雑かつ難解な。まるでフェルマーの最終定理が小学生の宿題に見えるような事情が――」
「ふーん、じゃあちゃんと真面目な理由があったんだ。メリーのことだからてっきり、幻想郷に他の勢力の妖怪が攻め込んできて、戦うのが嫌だったから誰もいないと思い込んでいた月に跳ばして頭を冷やさせようとしたら、実は原住民がいて攻め込んできたと勘違いされたとか、そんなオチかとばかり思っていたけど」
「…………………………ナニヲイッテイルノカシラ。ソンナワケナイデショウオホホホ……」
〇BB
月の蝶にして、癌。EXクラスムーンキャンサー。人類の健康管理AIであるが、健康管理を独自解釈し過ぎている。辞書を見て。何でもできるラスボス系後輩で人前ではテンション高めに振舞うが、一人になると自己嫌悪するタイプ。
〇月の都
技術的にも物質的にも完成された都市。住民は生命の輪廻を遠ざけ、寿命を捨てている。兎たちの笑顔が絶えず、住民は皆明るい。
……FGO視点で見ると「あっ」ってなっちゃう場所。
〇月面戦争 主犯の八雲紫女史の秘匿コメント
「アレよね……思いついた瞬間は『コレだ!』と感じても、後からよくよく考えると穴だらけだったというか。
やっぱり、思い付きをその場で実行に移すべきじゃなかったわ。おかげで余計な因縁まで背負っちゃったし。
第二次月面戦争の目的は幾つかあったけど、一番は“幻想郷の賢者からの謝罪を月の都が正式に受け入れた”という形に持っていくこと。つまり第一次月面戦争の清算。
月もいろいろときな臭くなっていたみたいだから、過去のことを理由に地上が巻き込まれることを避けたかったんだけど……結局そんなの関係なしで遷都しようとしてきたのよねぇ。私もやらかした手前、あんまり人のことは言えないんだけど」
今回は月のお話でした。二次創作によって解釈が大きく分かれる月面戦争ですが、ここではこういうことで。発端が些か間の抜けたものに見えるかもですが、戦争は悲しいすれ違いから始まることも多いのです。つまりうっかり属性。