「さっきぶりだけどちょっといいかしらん?」
宴会も終わりに近づく中、立香とマシュに近寄ってきたのは地獄の女神ヘカーティアであった。
「はい、大丈夫です。オリュンポスの話で何か聞き忘れでも?」
マシュの応答にヘカーティアは赤い髪を揺らして首を横に振る。
「友人を紹介しておこうと思ってね』
ゆったりと近寄ってきてヘカーティアに並んだのは、中華風の衣装に身を包んだ派手な美人。
その背中からは、尾を模したかのようなオーラが複数本揺れているのが見て取れる。
「はじめまして、だな。私の名は純狐。月の民に仇なす仙霊である」
前半の紹介は普通であったが、後半は不穏なもの。
立香たちもそれぞれ自己紹介を交わし、そのことを尋ねる。
「その、月の民に仇なすってことは、ぐーやたちとは仲が悪いんですか?」
「ぐーや?」
「あっ、輝夜です。蓬莱山輝夜」
というか今も博麗神社でアーキタイプ:アースと遊んでいるので(立香視点)、仲違いしているというのなら喧嘩にならないか心配だった。
そんな心配をよそに、純狐はくつくつと笑ってみせる。
「月の姫に対して、随分と面白い呼び方をしているな」
「まあ、たしかに」
「なに、心配は要らぬさ。本命は月の都に籠った嫦娥。地上に住む堕ち人にまで手を出すつもりはない。それに今は、しばしの休戦期間故にな」
言葉同様、穏やかな純狐の態度に立香も胸をなでおろす。
「しかし、せっかくの宴だというのに随分とヘカーティアの長話につき合わせてしまったようだな」
「あら、こっちに矛先向いちゃう?」
わざとらしく拗ねてみせるヘカーティアに対し、涼し気な様子の純狐。
「ただでさえ大変な仕事に就いていると聞く。休息の時を奪うのはあまり感心しないぞ?」
「あの、心配していただくのはありがたいですが、私たちも話をする分は苦になりませんので」
「ほら、マシュもこう言ってるじゃない。良い娘よねぇ~。ウチの巫女とかやってみる?」
「いえ、せっかくのお誘いですが、私には先輩のメインサーヴァントとしての務めがありますので」
「残念、フラれてしまったわ」
「ええい、やめないか。頭の星が頬にめり込む」
ヨヨヨと純狐の肩に頭を乗せるヘカーティア。
なのだがその頭上に帽子のように設置された球体が、ちょうど純狐の顔に当たりそうになっていたため、迷惑そうに手で押しやっていた。
「まったく・・・・・・人の子に粉をかけるのもほどほどにしておくべきだろう。お前たちの神群は特に、一度人に入れ込み始めたら際限がないからな。底なし沼かブラックホールのようなものか」
「その心は?」
「破滅するか宙に昇って星座になるかだ」
「それは他の
「完全に否定しないあたりが……いや、いいか。そういうことにしておこう」
そういえば――と、純狐は立香たちの方を見る。
「異聞帯とやらの話を聞くと言っていたが、どうだった?」
立香とマシュがヘカーティアと話していたのは、大西洋異聞帯。
星間都市たる神々の山稜――剪定されたオリュンポスの話であった。
「ええ、興味深い話だったわ。こっちとは違ってあっちの十二神が宇宙から来た機械なのは驚いたわよん。同じ神話と名を司れど、中身はここまで違うものなのね」
これまでの検証で、立香たちの世界と幻想郷を有する世界では、大まかな歴史や神話が同一であれどもその内実が大きく違うことが判明している。
同じ名、同じ役割を持つ存在でも基本的には別人レベルで差があり、シェイクスピアなどは『同じ演目を、違う舞台、違う役者で演じているようなものでしょう』と評していた。
「築き上げた社会体制が月の都みたいなのは、正直気に喰わなかったけど」
「それでも――」
マシュが、口を挟む
「それでも大神ゼウスは人を愛し、人に奉仕し続けた偉大な機械でした。その命が枯れ果てるまで、ずっと……」
「へぇ」
ヘカーティアの、神の視線がジッとマシュに向く。
その重みに気圧されそうになるものの引かない姿に、地獄の女神はフッと相貌を崩した。
「そうね……安易な反発ならば暴言と受け取るけれど、ゼウスを撃ち落とし、オリュンポスを看取ったあなたたちにならそれを言う資格はあるわ。趣味じゃないというのは変わらないけれど、そこに至ったゼウスたちの意地、苦悩、献身。それらは賞賛しましょう」
それに――と、ヘカーティアはウインクして見せる。
「引導を渡したのがあなたみたいな素敵な女の子なら、ゼウスも満足ってものでしょう」
「す、素敵ですか……ありがとうございます」
軽く頬を赤らめるマシュ。
その様子を見た純狐が肩をすくめてみせる。
「おや、ヘカーティアがこんなに素直に褒めるとは、明日は星でも降るか?」
「今日はいつもよりも饒舌ねぇ、純狐。まったく、旅人の守護も私の仕事のひとつよん」
二人の間にあるのは気安い友人同士の空気感。
「ま、万一ゼウスのヤツが報復のために化けて出るようなら、その時は私が松明で殴り飛ばしてやるわ」
「そ、それは頼もしいと言いますか、勘弁してあげてほしいと言いますか……」
マシュはしどろもどろになりながらも、先ほどから気になっていたことを尋ねる。
「あの、先ほど嫦娥とおっしゃいましたが――月の女神の?」
「うむ、いかにも。我が不俱戴天の敵である」
「嫦娥に、純狐さんと言うと……中国神話の大英雄、羿にまつわる逸話の? ですが、あの二つの逸話は――」
「そのあたりはちょ~っとだけややこしい話なのよね」
純狐に先立って答えたのは、ヘカーティアだった。
両手を広げ、やれやれと首を振っている。
「未亡人の過去を漁るにはまだ絆ポイントが……んん? 考えようによってはいい機会、かしら?」
ひとり首をひねる地獄の女神。
純狐を見、立香を見、うんうんと頷いて見せる。
「まあ、世の中いつも唐突なものだものね」
「ヘカーティア? 先ほどから何を――」
「ここらでひとつ、清算の時ってやつよ」
ヘカーティアはゆったりとした様子で立香の前に立つ。
「えっと?」
「少々お手を拝借、っと――」
敵意も悪意もない、自然な所作。
故にこそ止める間もなく、離れる間もなく、女神の手はマスターの手に触れる。
右手の甲に刻まれた令呪に、そっと――
この世界においては地獄の女神として知られ、自らもそう名乗るヘカーティア。
だが実際のところ、彼女の持つ顔は非常に多岐に渡る。
そのひとつは、
変化は、瞬くよりも早くその詳細を明らかにした。
「これは――召喚式の強制励起!? サーヴァントが召喚されます!」
異変に勘付いた宴会参加者たち。
ある者は様子を伺うに留め、ある者は瞬時に動き出す。
そしてその何よりも早く見慣れた召喚サークルは完成し、1騎のサーヴァントが現界した。
《BBの見解》
『そうですね。彼女のことは、さわり程度ですが聞き及んでいました』
『ええ、以前の八意女史との会談のときに、チラリとですが』
『“純化する程度の能力”、でしたか』
『全てのモノが、名付けられる前に持つ純粋な力』
『
『あいにくとBBちゃんによるはちみつ授業は課金パッケージ。お安くないのです』
『え? ちなみに幾らかですって? QPではなくサクラメント払いになりますよ』
『コホン、それはさておき――』
『直に彼女とその力を確認したのは、先のサバゲー大会でのお話』
『参加者名簿にはなかったのですが、大会の最中にふらりと姿を現しました』
『とはいえ彼女が直接戦闘することはなく』
『お気に入りの兎さんへの助力として、協力体制にあったミドチャさんに件の純化を施したわけです』
『するとなんということでしょう』
『ミドチャさんは100g300円くらいの庶民御用達のお茶から2000円くらいの高級茶にまでパワーアップしてしまったのです!』
『いえ、感覚的な話であって、実際の強化倍率が約6.5倍って訳ではないので悪しからず』
『とはいえドーピングでスーパーパワーを手に入れたミドチャさん』
『千切っては投げ、千切っては投げのエクステラな無双ゲー!』
『まああの人の無双とかあんまり見たくなかったので、そろそろ手を打つかと思っていたところ――時間制限があったようでして』
『途中でパワーアップが切れて、性能の落差から隙を見せてのピチュンなのは、しっかりと笑わせてもらいました』
『バッチリと録画もしているので、しばらくはこれで遊べますね!』
『あと違法な強化ではあったので、当然ペナルティは発令しました。知っての通り、私は公正なゲームマスターなのです』
『え? 純狐さんにではなく、もちろんミドチャさんにですよ? 参加者なので当然でしょう』
『ただ、ですねぇ……』
『純化による強化。私はアレによく似たモノを知っています』
『――神話礼装――』
『そう呼ばれるものを、ご存知ですか?』
《シオン・エルトナム・ソカリスの見解》
『概念というものは、魔術を行使する上で非常によく用いられるモノです』
『そうですね……大雑把に言ってしまえば、カタチのないモノにカタチを与える行為』
『ある意味では根源――「 」――を人が理解し、扱える程度にまで切り分けて矮小化する行為、と言ってもいいかもしれません』
『名付けはその第一歩にして、決定的な楔』
『故に名付けや名前といったものは、魔術の世界において非常に大きな意味を持ちます』
『例えば――先の八雲紫氏』
『彼女は疑似ビースト化に際し、ネガ・グレイズというスキルを捏造しました』
『これは無敵性を獲得すると同時に、一種の封印であったとも考えられます』
『トリスメギストスⅡでの解析によれば、彼女がビースト霊基を羽織るのではなく本格的に染まった場合、発現したであろうネガスキルはゲーティアのネガ・サモンの亜種とでも言うべきモノ』
『――ネガ・ファンタズム――』
『ネガ・サモンに比べ干渉強度は劣るものの、サーヴァントのみならずより広範な神秘を封殺する、幻想殺しとでも言うべきチカラ』
『彼女からすれば、これは自分が持つには許容しがたい力だったのでしょうね』
『故にあらかじめネガの名を冠したスキルを捏造し差し替えることで、その発現を防止した訳なのです』
『話が少し逸れましたね』
『意味がないものに意味を与えることは、人間の持つ能力の中でも最たるものです』
『初代山の翁の振るう死の概念の付与などは、その窮みの一つと言えるでしょう』
『ですがその反面、名付けられ、概念付けされたモノは本来持っていた純粋な力を失うことになります』
『例えるなら、そうですね。名前を匣だとしましょう』
『カタチの無いモノは、匣に収めないと手に取ることはできない』
『ですが反面、匣に収めてしまえばその中身を見ることも触れることもできなくなる』
『名前を付けないと理解できないのに、名付けてしまえばたちまちその本質を見失ってしまう』
『根源を目指す魔術師ほど強く向き合うことになるジレンマですね』
『根源――例えるなら無尽の水量を誇る水源』
『そのままではとても利用できないから、小さな支流や水路を引いて活用している、と言えばイメージしやすいでしょうか?』
『その例に則れば純化の力は、引いた支流に元の水源の中身をそのまま流し込むようなものです』
『それも氾濫を起こさないように』
『匣を壊さず、匣に収まらない力を扱う』
『ありえない矛盾が成立してしまっている』
『私たちの世界の魔術師が知れば、ひっくり返ること請け合いでしょう』
『何故って? あの力を見れば、ある可能性を想起せずにはいられないからです』
『だってですねぇ、あの方。ひょっとして、その気になれば――』
『
『魔術を学び研鑽することが今一番メジャーな根源到達法だとすれば、純化は裏口入学――コネ入社みたいなものでしょうか?』
『はい? 考えが飛躍し過ぎじゃないかって?』
『ハハハ、そうですね。私もナイナイ! と言いたいところですが……』
『誰が言ったか、彼女の力は“神を生む力”』
『メディアさんあたりから聞いたことはありませんか?』
『神代の魔術師は根源など目指さない』
『なぜならば彼らにとって、根源とは神を通してすぐ傍に存在するものだから』
『神代の世において神と呼ばれるモノたちは――根源接続者だったんですよ』
《レオナルド・ダ・ヴィンチの見解》
『中国に伝わる伝承において、羿という人物は二つの逸話においてその記述が見られる』
『堯の時代と夏の時代の二つさ』
『この羿が登場する二つの逸話の関係性は諸説あるけど、ざっくりと差別化すれば、堯の時代は神々の登場する神話』
『比べて夏の時代は人の物語といった様相だ』
『単純に考えれば、同じ名前の別の人物であるとするのが妥当だろう』
『そして先の一件でヘカーティア・ラピスラズリ――』
『かの神性は冥府神や
『……まあ、幾ら多くの顔を持つと言ってもちょっと強すぎるけど』
『3つの霊基の内一つが衛星級、二つが惑星級とかどうなってるんだろ、アレ。ゴルドルフ君じゃなくても頭を抱えるよ』
『ともあれ彼女がカルデア式召喚式を解析して独自に召喚したサーヴァント・アーチャー』
『彼は明らかに前者――堯の時代の羿だった』
『これは召喚に際してマスターくんの令呪を経由した結果、かろうじて残った虫食い状態の霊基グラフから判明した事実だ』
『堯の時代の羿は、中国神話における最大の英雄のひとり』
『天帝の子たる九つの太陽を射落とした、太陽堕としにして神殺し』
『幸か不幸か確認はできなかったものの、強力な太陽特攻と神性特攻を備えた宝具を持つだろう』
『ちなみに太陽特攻が刺さる相手には神性特攻も刺さる場合がとても多いけど……マスターくんもこの辺りは重々承知だろう』
『現代でこそ太陽は核融合する天体として知られている』
『でもかつての人は、それだけ太陽に対して神を見出すことが多かった証左だろうね』
『話を戻すけど、大英雄のエピソードには必須と言っていいほどセットになるものがある』
『そう――悲劇だ』
『彼もその例に漏れず、太陽を射落とした羿はその親である天帝の不興を買い、妻ともども神籍をはく奪されて地上に落とされている』
『もともと太陽への対処を命じたのは天帝自身だけど、殺されるとまでは思っていなかったんだろうね』
『丸投げした上司、現場の判断で動いた部下』
『いつの時代だって、立場や視点が違えば齟齬は発生するものなんだろう』
『とはいえこうやって“人間になった逸話”があるからこそ、羿は神でありながらサーヴァントとして召喚できたのだろうね』
『いや、カルデアではちょいちょい召喚しているけど、本当は神霊クラスがサーヴァントとして召喚されるっておかしい事だからね?』
『――さて、地上に落ちた羿だが、彼の活躍は終わらない』
『各地で暴れ回っていた数々の悪獣を次々に退治してのけ、その偉業を人々に称えられた』
『まさにゴッドスレイヤーにしてビーストスレイヤー!』
『協力してくれればものすごく頼もしいサーヴァントだけど、知っての通りすでに退去を確認している』
『残念ながら、ね』
『そして羿は西王母から天に帰るための不老不死の薬を入手した』
『ちなみに羿の飼っていた犬がこの薬を食べてしまって太陽と月を呑む天狗になったという逸話もあるけど……これは今はいいか』
『ここからは逸話は幾つかのパターン別れるんだけど、結果はおおよそ一つに収束する』
『妻である嫦娥が薬をひとりで全部飲んでしまい、羿を置いて天に昇ってしまうんだ』
『嫦娥――そう、嫦娥だ。月の女神、太陰星君。決して、夏の時代の逸話に登場する純狐ではない』
『――にも関わらず、だ』
『あの純狐を名乗る仙霊は、堯の時代の羿の妻だという』
『これは果たして、どういうことかな?』
『知っての通り、サーヴァントという有り方は別の逸話や信仰が混ざり込む余地が大いにある』
『マスターくんも、伝説に語られる自分の過去が実際にどうだったか不明瞭、というケースには度々遭遇したことがあるだろう?』
『実例を上げるなら、シグルドとジークフリートの関係性に近いかもしれない』
『二人が別人なのは今となっては明白だけど、シグルドが召喚される前のブリュンヒルデはたびたびジークフリートをアレしようとしていただろう?』
『神話的、逸話的に似ているということは、それだけで照応が発生しうるものだ』
『そういう意味では、サーヴァントはその時代を生きた英雄そのものではない』
『今回召喚された堯の時代の羿にも、夏の時代の羿の伝承が混じっていた――そういうパターンは十分ありうる』
『他に考えられるのは、この二つの羿にまつわる伝承が、実は同じ時代、同じ場所で起こっていたというもの』
『というよりヘカーティアが我々にした説明からすれば、こちらの可能性の方が高い』
『一人の羿に、二人の妻――嫦娥と純狐』
『元はひとつの伝承が、時間を経るにつれ二つに別れ、後の時代で再編され、まるで別々の伝承になった――これもまたありうる話だろう』
『――そして、そのどちらでもない可能性』
『実際問題として、純狐に真相を聞くのが一番早いんだろうけど』
『今回の一件、我々は蚊帳の外で終わってしまった』
『同時に真相究明の優先度は、カルデアとしては決して高くはない』
『微小特異点のように、放っておけば人理の瑕になる――という話でもないからね』
『むしろ下手な追求はどこで地雷を踏むか分からない』
『――なんせ、夫婦間の問題、だって話だからね』
○神=根源接続者についての補足
本作中では神であれば無条件に根源接続者である……
という訳ではないものとする。
神の成立過程が様々である以上、その全てが根源への路を開いていると考えるのは不自然であり、根源接続者であってもその程度には差があると考えられる。
ラブソングなお姉ちゃんのようにおおよそ全能と言える存在から、特殊な視界を得るに留まっている者まで同一に根源接続者カウント。