ヘルガ姫の懐からイアンの杖を取り戻したのは屋敷しもべ妖精の魔法の見えない手だ。
彼が本気になれば一息にこの場にいる十数人の魔法使いの手足を封じること可能のはず……しかし彼は主人の後ろにさがって控えていた。
攻撃的にギラつくイアンの眼とは対照的にひっそりと畏まっている。
「あの男、妖精の手を借りるつもりはないらしいの。殊勝なことじゃ」
ヴィヴィーの反響する囁きは面白くもなさそうだ。
「やはりまだ姫の側にいたか、余所者」
イアンは拳を固めるヘルガ姫でも動揺する恋敵達でもなく、ゴドリックをひたと睨みつけていた。
「再び相見えたからには見過ごすことは出来んな」
ゴドリックは彼が「やはり」と言った意味を理解して笑う。
「俺を追ってきたのかよ」
悠然と腕を組んで笑みを浮かべたまま睨み返すゴドリックに相対して、イアンは腰に手を当てて威圧的に顎をそびやかした。
「負けは認める。油断したとも言わん。だからこそ我が名にかけて敗北を雪ぐのだ」
「ははっ目的が変わってるんじゃねえのか?欲しいのは勝ち負けじゃなくて姫さんだろ?」
ゴドリックの呆れたような笑みを含んだ声に、イアンは口の端を釣り上げて犬歯を見せる。
「同じことよ。己の誇りにかけて掴み取るべきものだ」
「くだらねえ」
吐き捨てたゴドリックの笑みは消え失せている。
「てめーは強さを頼みに優しい者をねじ伏せようとしてるだけだ」
冷めた口調とは裏腹に双眸が帽子の影で星のように煌めき、攻撃的な意思を発している。
イアンは愉快そうに目を細め、杖をまっすぐにゴドリックへ向けた。
ゴドリックは怒りに熱くなる一方で、従兄弟であるロドルフが近づいている事を考えていた。対決を避け彼の旅を続けるためには、この決闘を早く終えなければならない。
しかし無言呪文の“早撃ち”は既に見せている。通じるとは限らなかった。
彼は腰に佩いた剣の、革を巻きつけた柄を握ると一気に引き抜いた。
左右対称の優美な曲線を描く諸刃に陽光を白く弾く。
埃にまみれた放浪者の手に似合わぬ清く澄んだ銀の剣に、その場の誰もが目を見張った。
ゴドリックは空をひとつ薙ぎ、腕を真っ直ぐに伸ばして切っ先をイアンに向ける。
刃渡り90センチ近くの片手剣は少しも揺らぐこと無く数十歩先の敵に突きつけられた。
「剣だと……?」
イアンは片眉を上げて呟いた。
魔法使い同士の戦いに剣が持ちだされることは稀だった。例え魔法や呪いが込められた剣を持っていても、切り結ぶ間合いに入る前に杖先から放たれる呪詛に打ち倒されるのが常だからだ。
「ゴド君!」
囁き声とともにゴドリックのマントの裾が強く引かれた。
いつの間に足元に来たのか、息を荒らげたヘルガ姫が眉を吊り上げて見上げている。
「なんだい姫さん。危ないぞ」
ゴドリックはイアンから目を離さないまま訊いた。
「これはわたし達の問題……あなたには関係ないのよ」
先刻の言葉を繰り返すヘルガ姫の囁きは熱がこもっていた。
「いいや、これはもう俺と奴のケンカだ。引っ込んでな」
「騎士団が来るのよ!そうすればわたしは助かるけど、あなたは……」
「いつ来るかわからないんだろう。それまであんたの侍女や求婚者たちに戦わせるつもりか?」
ヘルガ姫は唇を噛んだ。
ゴドリックは彼女が「もう誰も傷付けたくない」と泣いたことを思い出していた。気絶したイアンをも、彼女は気遣っていたのだ―――「わたしのせい」だと言って。
ただの優しい心持ちではない。何かの因果が彼女を縛るのだ。
「姫様!」
レアも馬を降りてゴドリックのもとに駆けつけてきた。そして鋭い目でゴドリックを一瞥すると言った。
「戦いたいと言っているのです。そうしてもら……」
「だめ!」
ヘルガ姫は拳を握り断固として拒んだ。
「イアン、勝手な事をぬかすな!」
その声はオスカーという若君のものだ。
「よくもおめおめと姫と俺達の前に現れたものだな」
ゴドリックとイアンの間にヘルガ姫の割り込んだことで、自分を取り戻したらしい。
若君達は馬から降りてヘルガ姫の前に出て、イアンに杖を向けた。
「おい、あんたら!」
前を塞がれる形になったゴドリックが声を上げても聞く耳を持つ者は居ない。
「敗北の恥辱を抱いて帰るがいい。帰れる場所があるならな」
「やるというなら俺たちが相手になるぞ」
求婚者達の怒声と十の杖を向けられてイアンは高笑いした。
「何がおかしい!」
若君の一人が声を上げる。
その時、ゴドリックは騎馬の駆け去る音に振り向いた。
騎士見習いの一人が町の方へ駆けてゆく。ロドルフに状況を知らせに行くのだろう。
残った二人はどうやら見守る事に決めたようだ。
さもありなん。ウェールズの上流階級子息達のにらみ合いを、見習いの身分で仲裁できるはずもない。
「俺達は一人の女を巡って争う敵同士のはずだ。それが肩を並べて俺に杖を向ける。おかしいのは貴様らだろう」
言い放つイアンと対峙する十人の間で急激に殺気が高まってゆく。
イアンの出現に動揺していたはずの若君達は、オーガーのごとく食いつきそうな顔で彼らの敵を睨んでいた。
イアンも同じくして好戦的な顔が残忍さを増す。
(さっきと同じ……)
ゴドリックは、ヘルガ姫が彼に微笑みかけた時の再現を見ていた。この空間に満ちるのは闘志ではない。不自然なまでに増幅された感情。憎悪と殺意だ。
ゴドリックの目の端で金髪がなびく。ヘルガ姫が駈け出していた。
にたりと嗤うイアンを10人の杖が狙い、そして呪文を乗せる息が吸い込まれる。
「待ってください、約束が違います!」
両手を広げたヘルガ姫が若君達の足元をすり抜けて前に飛び出すと、両手を広げて前へ出た。
ヘルガ姫はオスカーたちの方に顔を向けている。
若君達は弾かれたように杖をひいた。
「姫様!」
レアは男達を押しのけてヘルガ姫の後を追い、矢をつがえた弓を持ってイアンに鋭い視線を向ける。
この時、若君達は憑き物が落ちたようにケロリと殺意を拭い去っていた。
(これもさっきと同じだ……)
若君達はゴドリックの目の前で変身ともいうべき変貌を遂げたというのに、彼ら自身はこだわりもなく無自覚に見える。
「姫!危ないことを……」
「約束が違います、オスカー殿!」
伊達男を取り戻したオスカーの気遣わしげな非難を遮るヘルガ姫の態度は厳しい物だった。眉を逆立て大きな薄茶の瞳でまっすぐに見上げている。
そして10人の男達を見回して言った。
「わたくしたちの間での争いは、公正な場での決闘以外は認めないと取り決めたはずです。このような場所での乱闘が公正と言えますか?」
「姫、それを破ったのはイアンの方だろう」
「あなたを守るためです。下がってください!」
若君達の抗議にヘルガ姫は声を高くした。
「どうしてもこの場で争うというなら!」
そして顔を背けてうつむき、ポツリと言った。
「もう、絶交しちゃいます」
「なんだそりゃ」
ゴドリックは思わずこぼしたが、求婚者達には抜群の効果をあらわした。
「そんな!」
「なんという残酷なことをおっしゃるのか!」
「いっそ死ねと言ってくれえ」
男達はヘルガ姫の言葉にのたうち回らんばかりだ。
「茶番はそこまでにしていただこう、ヘルガ姫!」
苛立つイアンの声にゴドリックは頷きたくなった。
「グリフィンドール騎士団がここに向かっているのですよ。彼らと一人で争うおつもりですか」
「騎士団など!見掛け倒しの者達にすぎん」
イアンは一笑に付した。
グリフィンドール騎士団の精強さはブリテンの魔法使いで知らぬものはいない。
「ヤケになってらっしゃるのかしら」
レアがボソリと小さくつぶやくと、ヘルガ姫はそれをかき消すように声を張った。
「いいでしょう。貴方のお好きになさいませ!」
ヘルガ姫の言葉にゴドリックを含めた男達は耳を疑い、それをよそに彼女はさらに言った。
「ただし、わたくしとの決闘に勝ってからにして頂きます」
「何を言われる、ヘルガ姫!奴と戦うのなら我々が……」
「いけません!」
言い募るオスカーに背を向けたまま、ヘルガ姫は杖を抜いた。
「わたくしの身を守るのです。まず私自身がやらなければ」
「ばかな!」
「それなら俺が」
求婚者達の声を振り切る様にヘルガ姫はイアンに杖を向けた。
「さあ、わたくしの挑戦を受けるのですか?イアン殿!」
イアンは深くため息をついた。
「いたし方ありませんな……ボーグル!」
「へい」
イアンの傍らに控えていた屋敷しもべ妖精は、主人に応えて骨ばった腕を頭上にさし上げた。
彼が人間の二倍以上長い節くれだった人差し指をくるくると円を描くようにまわすと空間が渦を巻き、その手を飲み込みかき消した。
「姫さん、避けろ!」
「へ?」
ゴドリックの警告に振り向く間もなく、ヘルガ姫の杖を持った右手を妖精の手が掴んでいた。それは宙に出現した拳大の小さな渦から突き出されている。
屋敷しもべ妖精ボーグルがイアンの側に居ながらにして数メートル先に立つヘルガ姫の手を掴んだのだ。
「ご無礼お許しくだせえ、ヘルガ姫様」
ボーグルはペコリとお辞儀すると、頭上の渦に飲み込まれた手を勢い良く引っ張った。
するとヘルガ姫は空中の渦から突き出た手に引っ張られ、その渦の中に体ごと引きずり込まれると、次の瞬間にはボーグルの頭上の渦から出現して彼の上に落下した。
「きゃあっ」
「ふぎゃ!」
ボーグルが押しつぶされて悲鳴を上げる。それと同時にイアンの呪文が飛んだ。
「エクスペリアームス 武器よ去れ!」
ヘルガ姫の杖がその手から弾かれ宙を舞い、イアンはそれを掴みとった。
「俺に逃げ帰れと?それは出来ぬことだと貴女にも分かっておられることでしょう」
「わたくしは、貴方にも、誰にも傷ついて欲しくないのです!」
しかしそれを願うのはヘルガ姫だけだった。
彼女の忠実な侍女が迷いなく矢を放つとイアンは目に見えぬ防壁で防いだ。
それを皮切りに求婚者達が杖を横暴な恋敵に向け、口々に呪詛を放った。
イアンは襲い来る光線や衝撃を魔法の盾で防ぎ、あるいは身をひねり、凌ぎきると若君達の足元に杖を向けて吠えるように呪文を唱えた。
「エクスパルソ 爆発せよ!」
男達とレアの目前で地面が大音響とともに砕けた。
密集していた彼らの視界は舞い上がった土埃で覆われ、耳は音を失った。
驚いた馬が散り散りに走り去ってゆく。
同時にイアンは猟犬のごとく駆け出し、敵集団の側面に回り込んだ。
草や花びらの交じる土煙を風上から見透かし、動く影を発見次第呪いを放ってゆく。
(あの余所者はもう倒れているのか……?)
犠牲者達は失神し、石化し、ナメクジを口から吐き続けて戦闘不能に陥った。
十名に届いたはずだが、それが誰であるかは土煙が収まらなければ確認できない。
イアンは油断なく薄れつつある土煙の向こうを見透かした。
影が動く。すかさず杖を向けた。
「ステューピファイ 麻痺せよ!」
赤い光線が生き残った影を襲い、命中した……その瞬間。
ギィィン!
金属を打ち鳴らしたような甲高い音が響き、光線があらぬ方へ飛び去った。
「何?!」
呪いを逸らされたのだ。
魔法の攻撃を食い止める盾の魔法ではない。別種の防御が働いた事が見て取れた。
土煙が千切れた草花とともに吹き流されてゆく。
その向こうで擦り切れたマントがたなびいている。
白く陽光を反射する銀の剣を掲げるゴドリックがそこに立っていた。
「大丈夫か?」
ゴドリックは左手で引き寄せているレアに訊いた。だが彼女は瞬きを返すだけで答えない。
「まだよく聞こえないのじゃろう」
ゴドリックはレアの二の腕を離すと一歩前に出て再びイアンに剣の切っ先を突きつけた。
イアンの表情には余裕も高揚も消えて険しくゴドリックを見つめていた。
「今、何をした」
「魔法さ」
ゴドリックは短く答え、そして駆けた。
「ペトリフィカス・トタルス 石化せよ!」
イアンの杖先から黄色い一条の光線が迫り来るゴドリックに向かって発射された。
ゴドリックはそれを避けたり足を緩めたりする素振りもしない。
向かってくる光線に剣を向ける。
ギィィン!
魔法は剣に当たり甲高い音を響かせた。剣の表面を青い火花を散らしながら光線が滑りゴドリックの後方に受け流され消えていった。
「ステューピファイ! ディフィンド! リクタスセンプラ!」
イアンは間髪をいれず矢継ぎ早に魔法の矢を放った。
そのいずれもをゴドリックは足を止めること無く剣で受け、金属音と青い火花をまき散らしながら空中へ逸らしてゆく。
只の剣には魔法を受け流すことなど出来ない。せいぜい受け止め焼き焦げを作るのが関の山で、衝撃で持ち主の手から弾き飛ばされるだろう。
「あれは……」
イアンは同じものを見たことがあった。
それは一年前の嵐の晩。
その悪人は数十人の魔法使いの包囲を蹴散らした。
その少年ともいうべき年頃の男が持つのは杖と剣。
包囲する者達に猛威を振るったのは杖ではなく、魔法使いらしからぬ剣の方だった。
その刃はいかなる呪いも青い火花とともに弾き、そして切り伏せた。
イアンは脳裏にその光景を蘇らせながらも、目前に迫った刃に対して呪文を放つしかない。
「インペディメンタ 妨害せよ!」
その見えざる壁は剣の主の突進を妨害するはずだった。
ゴドリックは剣を下から掬い上げるように一閃する。
魔法障壁は青い燐光を発する粒子に分解され、散っていった。
剣を振り上げたゴドリックと、呪文を唱える間合いを失ったイアンの視線が空中でぶつかる。彼は相手が誰であるかを確信した。
「お、お前が何故……」
それは、高名な騎士である叔父を殺して家から追放され、さらに魔法使いを殺め続けた狂える獅子が人間であった頃の名。
「ゴドリック・グリフィンドールっ」
死んだはずの男の刃が閃光と化してイアンの首へ走った。
巻き上げられた土煙が吹き流され爆発魔法で草原が抉られた痕が露わになる。
イアンは冷たく光る琥珀の目を見返していた。
彼の首筋に紙一重の隙もなく刃が押し当てられている。
「お前も俺と同じだ。自分の感情に任せて力を振るうしか能のない化け物なんだよ」
ゴドリックの低い声に熱はない。呪うように、淡々とした声で告げた。
「……それなら、どうしてやらない」
「彼女がそれを望まないからだ」
草を踏む軽い足音。
「やめて!ゴド君!」
走りながら乱れた呼吸でヘルガ姫が叫んだ。
「その人を殺さないでっ!」
ゴドリックは静かに剣を下ろした。イアンの首筋には毛ほどの傷も無い。
ヘルガ姫はゴドリック達の前に立ち止まると、息を切らしながらイアンを見上げた。
「イアン殿……お怪我は……」
ゴドリックには、その横顔から相手を案じる気持ち以外を見て取ることが出来なかった。
大きな茶色の瞳に見つめられたイアンは一瞬目を見開くようにすると、顔を逸らした。
「……ありません」
ヘルガ姫は小さく息をついて微笑んだ。
「よかった」
つづく