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「そんなに変じゃないよな……」
宙に浮かぶ魔法の明かりを先行させて森を進むゴドリックは、一人ごちた。
「……それはまさか、先程の偽名の事を言っておるのか?」
ヴィヴィーの静かな残響を伴う声が、嘆かわしげに尋ねた。ゴドリックは再び剣を佩いていた。しまっていた訳ではなく、村人に警戒されないように魔法で見えないようにしていたのだ。右手で馬を引き、枯れ葉の堆積を踏みしだいて歩く。彼は左手の杖をすぐに使えるよう心構えをしていた。浜辺の村の娘が「影」を見たように、森は異形の者達の棲み家であり得た。夜であればなおさらだった。しかしゴドリックの声は緊張を微塵も感じない、のんびりとしたものだった。
「そうだよ」
「妾にも変な名前に聞こえたぞ。苗字にヒッポグリフはないじゃろう」
ゴドリックは首をひねる。
「そうか?」
「そうじゃ。人ではない妾にも解るぞ。大体どうして名を偽る」
「この島じゃ、俺がお尋ね者だからだ。あんたにも解ってるはずだろ?」
「魔法使いの間でじゃろう?」
「あの村人たちが、俺のようにひょっこり現れた魔法使いに喋らないとは限らないからな」
多くの魔法使いはマグルの村や町の中や、その周縁に住んでいた。しかし魔法使いの方が数は少ないので、魔法使いと会った事の無いマグルの方が多かった。ゴドリックが先程別れを告げた村人たちのように。
「その村人じゃ。そなた……」
ヴィヴィーが何かめんどうくさい事を言いそうだとゴドリックが警戒したとき、木々の間に光るものを認めた。
「あれだ」
歩を速めて木の間を縫うように進むと、月光を映し出す小さな池が現れた。鬱蒼としたオークの天蓋がぽっかりと口を開け、半月の浮かぶ星空が覗いていた。水辺には柳が枝を垂らし、星明りに青白く照らし出されている。その陰にはまばらな葦の群生。黒い水面には小さな蓮の葉が点々と浮かび、月の影はそれらを従えるように光っていた。ワインを分けた男が言っていた「北の森の池」にたどり着いたのだ。
ゴドリックは水際の草むらが水にひたる所までやってきて、剣を抜いた。薄く光る銀の剣の切っ先を水にひたし、池の中央へ向かって呼びかける。
「ヴィヴィー」
その声は森の池をより一層静かにしたようだった。風が柳を揺らし、雲が月を横切る。ゴドリックが黙って黒い水面の星影を眺めていると、そこに波紋が横切った。波紋は水際へ向かい、蓮の葉や葦、水面に突き出た石などにぶつかり幾重ものひだとなって中央に帰ってゆく。すると、音も立てずに池の中心が沸き立つように盛り上がった。それは星の光を纏った女の頭となる。頭が持ち上がって首が、胸元が現れ、白く輝くドレスに身を包んだ肢体が長い銀髪を引きながら水面の上に出現した。彼女は閉じた目をそっと開け、きらめく髪飾りを揺らしながら顔を上げた。正面にゴドリックが立っているのを認めると、優美な笑みを浮かべ、静かに足を踏み出した。白い素足で水面を歩く。彼女は水際でゴドリックの前に立った。
「こうして顔を合わせるのは、この島に帰って来て初めてじゃな、ゴドリック」
その声、喋り方は剣から聞こえてくるヴィヴィーそのものだ。『水の剣』に住む彼女は湖沼の水面の上に仮の肉体を作る事ができた。それは彼女が本来なら湖沼に住む妖精だからだ。
ゴドリックの目に映るその姿は薄く光り、この世のどんな女性にも例えられない人外の美貌を持っていた。背は高くゴドリックの顎の下まであり、それに比して頭は小さく、気品よく伏せがちな切れ長の目は大きく見える。顔の左右に銀髪の下から突き出るのは、剣のように尖って長い彼女の耳だった。朝露を思わせる水晶の小粒を連ねた輪が小さな頭を覆う銀髪を巡って揺れ、その宝飾は彼女のドレスにもふんだんに使われている。内側を透かすような光を滲ませる生地は、地上の如何なる素材製法でも織り出す事のできないものだった。
ゴドリックはいつの間にか旅の相方の姿に見入っている自分に気付いた。ウィリアムはこの姿のヴィヴィーに惚れていたのだ。
「なんじゃ、人を見るなり暗い顔をしおって」
そう言う彼女に屈託はなかった。ゴドリックは目をつむり帽子を取って押しかたまった赤い髪の毛をくしゃくしゃとかき回した。
「別に」
ヴィヴィーは僅かに目を見開いて、ゴドリックに顔を近づけた。
「頬が少し腫れておるぞ。」
浜辺の村で髭面の男の拳を受けた時、ゴドリックは自ら後ろに飛ぶことで威力を殺していたのだが、それでも小さな損傷はあった。
「大したことねえよ」
ゴドリックは舌で頬の裏側を確かめながらそう言ったが、ヴィヴィーは彼の頬を手のひらでぴたりと覆った。その姿の印象とは違い、しなやかな指先や手のひらはほんのりと熱を帯びて温かかった。ヴィヴィーは手をどけると顔を引いてゴドリックの頬をあらためる。跡さえ残さず治っていた。
「うむ、良し」
ゴドリックは頬をさすりながら言った。
「ありがとな。でもこんな細かい事にあんたの魔法を使わなくてもいいんだぜ」
「なにを言う、水くさいのう」
「まさかりでパンを切るようなもんだ。勿体ねえ」
「よいではないか、ゴドリック」
ヴィヴィーは急にゴドリックの胸に寄りかかった。彼の心臓の音を聞くように頬を寄せ、手のひらをそっと這わせた。
「どう使ってもよい。妾はそなたの物なのじゃから」
ゴドリックは彼女の両肩を掴んで引き離した。
「ゴドリック!」
いきり立つヴィヴィーにゴドリックは腕を掴んだまま冷静に言った。
「あんたは俺の物じゃねえし、俺もあんたの物じゃねえ。……いちいち俺を惑わせるな」
ヴィヴィーは大きな白い袖で口元を隠して恨みがましくゴドリックを睨んで言い返した。
「惑わせてなどおらぬ」
袖をどかす。笑みを浮かべていた。
「からかっておるのじゃ」
「ヴィヴィー!」
いきり立つゴドリックにヴィヴィーは再び袖に口元を隠して忍び笑いをした。ゴドリックは歯噛みして唸るが、気を取り直して話を始めた。
「んで、この場所はどうだ?」
「少し濁りぎみじゃのう」
彼女は片眉を上げ、袖の裾から水草をつまみあげて投げ捨てる。
「そうじゃなくってなぁ」
ゴドリックが苛立ち交じりに言うとヴィヴィーは唇を尖らせ、その妖しい美貌を急に子供っぽくさせた。
「相変わらず武骨な男じゃ。本題に入る前に少しは会話を楽しもうとは思わぬのか」
「それはもう十分だろ。それに会話ならいつだってしてる」
ムッツリと返事をするゴドリックに、彼女は自分の両頬に手を添えて言い聞かせた。
「こうして顔と顔を合わせてのものとは違うじゃろう。そなたも妾の美しい姿を見る事は稀なのじゃからこの時を大事にせい」
慣れっこになっているとはいえ、ゴドリックは押し付けがましい物言いに苛立ちを越えてうんざりとした。
「稀と言う程じゃないだろ。川でも沼でも井戸でも、あんたは水の湧いてる場所ならどこでも出て来れるじゃねえか」
面倒くさそうな口ぶりに、ヴィヴィーはあっという間に不満を爆発させ白銀の髪をふり乱した。
「川は嫌じゃと言うとろう!流されそうになるんじゃ!沼も嫌じゃ!濁ってて体がきれいに作れぬから嫌じゃ!井戸は地上のそなたと離れすぎておるから嫌じゃ!今のようにそこそこの澄んだ池や泉や湖で体を作れる機会が稀じゃと言っておるのじゃ!」
じゃ、と言うたびに拳を振って大きな白い袖を揺らす姿は駄々っ子じみていたが、軽く腕を組み斜に立ってゴドリックに流し目を送ると、彼女本来の美貌を取り戻した。
「どうじゃ、今宵の妾はそこそこに美しかろう」
自ら「そこそこ」と言う自己評価の厳しさに、ゴドリックは思わず微笑んだ。月が雲に隠れ、ヴィヴィーは闇の中に白い水晶のように薄く光って佇んでいる。実際彼女はどんな湖沼に現れても変わらず美しかった。水質に影響されるのは彼女の内から発せられる白い微光の加減くらいのものだ。
「あんたはいつでも美しいよ」
ゴドリックの正直な評価をヴィヴィーは満足げに受け取った。
「そうじゃろうとも」
「さ、早く教えてくれ、ここは『命の泉』に相応しい水源なのか?」
ヴィヴィーはせっかくの上機嫌に水を差されて拗ねた顔になったが、話を進めてくれた。
「こんなところじゃ」
彼女は池の方に振り向くと片手を差し伸ばす。すると風もないのに水面にさざ波が起こった。魚が跳ねる。一匹ではなく百匹近くもの魚群が水面すれすれに湧き、そこから何匹もが空中へ飛び出しては落ちて行く。まばらだった葦は岸を覆って青々と茂り、蓮は葉の数を増やして花を咲かせた。
再び顔を出した半月に照らし出された森の池は、急速に生命力を溢れさせていた。
「すごいじゃないか」
ゴドリックは再び素直な賞賛を送ったが、振り返ったヴィヴィーは満足していなかった。
「ここに長年溜まっていた力を開放したにすぎぬ。一時的なものじゃ。すぐに枯れるし、死ぬじゃろう」
ゴドリックは剣を抜き、薄く白い光を放つ刀身を掲げた。
「試すのか?無駄じゃぞ」
「一応やっとかないと分からねえからな」
ヴィヴィーは拗ねた口調で答えた。
「棲み家を余分に放り投げられる妾の気持ちになってみよ」
ゴドリックは聞かずに剣を振りかぶると、池の中心に向かって投げ入れた。剣は光の残像をひき、回転しながら水面に落ちて沈んだ。沈みゆく剣の光はすぐに見えなくなった。
それから数秒は何も起こらなかった。やがて、ぼんやりとした光が池の底で発生した。それは剣の沈んだあたりだった。光は徐々に池の底を広がっていき、覆い尽くすと、段々と上昇していき水面に達した。水面全体が小さな月のように輝き、そこかしこに鬼火のような燐光を発し立ち上っては消えて行った。
ゴドリックは水際に立って片手を目の前にかざして見守った。光は秒を重ねるごとに増していき、池の水辺を囲む木々を白く照らすほどに強くなった。ゴドリックの視界が白光で埋め尽くされ、体に光の圧を感じた。しかしそれは急に止んでいった。いつの間にか閉じていた目を開けると、水面は光を失い、池の底がぼんやりと光るのみだった。その領域も狭くなっていって、とうとう消え失せた。
元通りの池を照らす月明かりはより一層弱々しく感じた。ゴドリックはため息をついたが落胆はしてなかった。
「だめか……『命の泉』はここじゃない」
「うむ、ここでは『水源』が弱すぎるのじゃ」
ヴィヴィーが池に手を掲げると、水底から剣が柄を上にして浮かび上がり、水面の上に切っ先を付けて空中に静止した。そして彼女が指先を動かすと、剣は切っ先で航跡を描きながら水面を滑り、ゴドリックの前に停止した。彼は柄を握って切っ先を持ち上げた。すると、そこに魚が刺さっていてゴドリックは思わず高笑いをした。
「粋な事をするな、女神さま」
ヴィヴィーに向かって言ったのだが、彼女も目を瞬かせて魚を見つめている。
「妾ではない。偶然じゃ……いや、まさか彼女のしたことか……」
ヴィヴィーは水辺の一角へ顔を向けた。ゴドリックが杖で魔法の光をその方へ飛ばすと、 石造りの小さな祠が照らし出された。近づいて見るとその屋根はゴドリックの腰までの高さで、大きさの揃った石で作られた三方の壁で支えられていた。苔と雑草に大半を覆われていて、鎮座する本尊も同様だった。しかし光で照らしてみると、それが佇む女性を象った物だと判る。祀られていたという女神の偶像に違いない。
「女神様、か。これが、あんたのお仲間なんだな?」
ゴドリックは祠の向こう側に立つヴィヴィーに問うた。祠は池に背を向けて立っているので、水面に立つヴィヴィーは直接祠の中を見る事が出来ない。彼女の体は水面の上でしか形を保つことが出来ないのだ。
「そうじゃ。ここには確かに『水の乙女』が居たのじゃ」
「今は?」
ヴィヴィーは首を振った。
「いない」
「妖精郷に帰ったのか?」
妖精郷とは現世の向こうにある妖精の故郷で、ゴドリックは一度だけ訪れた事があった。 そこでヴィヴィーに出会ったのだ。
「いいや、きっとこの池に溶けたのじゃろう」
「溶けたあ?!」
ゴドリックは頓狂な声を上げヴィヴィーを見、祠を離れて水際に立った。池を見回しよく観察した。そんな彼にヴィヴィーは忍び笑いをした。
「いくら見ようともここは只の池じゃ。さっき我らがそれを確かめたばかりじゃろう」
ゴドリックは池の冷たい水を掬いながら言った。
「『水の乙女』が溶けたってんなら、何かが特別になるんじゃないのか?」
「ならぬよ。もとのままの、自然の池のままじゃ。ここに住んでおった彼女は、池そのものになったのじゃ」
「何でそんな事になるんだ?皆に忘れられたからか?……守護者が、居なくなったからか?」
「そうじゃな、守護者の喪失は大きい。夫にして子にして守るべき者にして、地上との繋りであるのじゃから。『水の乙女』は大地を潤して豊穣もたらし、<守護者>はその水辺を守り役目を代々受け継いでゆく。それが古の我らと人との繋がりであった」
ゴドリックは立ち上がると池を見通した。
「寂しくなって……自害したって事か」
「自害ではないぞ、ゴドリック。人間の観念でどう伝えればよいのか……あるべき姿になったと言えば良いのかのう。肉を持たぬ我らは、そなたら人間と違って他の自然との間に隔たりを持たぬ。死んだ訳ではないのじゃ、変わったのじゃよ」
「あんたもこうして消えるのか?守護者が、いなければ」
ヴィヴィーはしばし興味深げにゴドリックを見上げていたが、ふと優しげな笑みを浮かべた。
「そうじゃな。妾も彼女と同じ『水の乙女』じゃ。いつか同じになろう」
ゴドリックはその笑みに目を奪われたが、顔を背けて言った。
「あの人が見つかって、もし困ってたら助けてやりたい。それが今俺が生きている理由なんだ」
「ゴドリック」
「その為にもう一年も待たせちまったあんたとの約束、『命の泉』は必ず見つけ出す。けど、その後は俺のやらなきゃいけない事をやる。だから、<守護者>にはなれねえ」
「よい、ゴドリック」
ヴィヴィーは左腕をゴドリックの左腕に絡ませ寄り添った。彼らは互い違いの方を向きながら、それぞれに地面と水面に立って体を寄せ合っていた。
「何度も聞いた話じゃ。苦しい顔をするでない」
言われて初めてゴドリックは自分の表情に気付いて空いている手で覆った。
「<守護者>にならずとも、妾がそなたの物である事には変わりないぞ。そなたは『水の剣』を所有し、『命の泉』を探索しているのじゃから」
ヴィヴィーはゴドリックの腕を放すと、白い素足で水面に波紋を作りながら彼の前に回り込んだ。
「その言い方が嫌なんだ」
ムッツリと言うゴドリックに、ヴィヴィーは構わず機嫌の良い笑顔を向けた。
「じゃから魔法も遠慮なく使うがよい」
「……薬がある」
するとヴィヴィーは目を冷たくして言った。
「それもあの村で随分失くしてしまったのう」
結局浜辺の村では新しい魔法薬の壺の封を開け、普通の薬も随分消費した。
「妾の魔法は水辺でしか使えぬ。そうでない場所で重傷を負ったらどうするつもりじゃ。その為の薬じゃと言うのに。妾がそなたの性分じゃから仕様がない、と黙っておれば景気よくポンとあげてしまいおって……何が「また作ればよい」じゃ。魔法薬など作れぬくせに」
一言ごとに悪化していくヴィヴィーの視線の冷たさを防ぐようにゴドリックは手のひらを向けて言った。
「大丈夫だ、魔法薬なら手に入る。これから行くハッフルパフの隠れ里は都のような街を持った里なんだ。市もある。魔法薬は必ず手に入るって」
「成程、それを見越しての大盤振る舞いだったと」
「ああ、もちろんだ」
口調は力強かったが見事に目が泳いでいた。ヴィヴィーはこの嘘が下手な赤毛の若者をしばらく横目で眺めた後、ため息をついて空を見上げた。
「見よ、雲が厚い。朝は雨かも知れぬ。そなたは早く寝た方が良かろう、妾も帰るとする」
「ウェールズは晴れの方が珍しいって聞くからな」
ゴドリックがヴィヴィーに剣を逆手に持ったまま差し出すと、彼女は白く微光を発する手を柄頭に被せるように置いた。そしてふと、足元の切っ先に目をやった。
「なんじゃ、まだ魚を刺しっぱなしじゃったのか。せっかくの頂き物じゃ、新鮮な内に食べるがよい」
そして池を振り返って暗い水面に語りかけた。
「濁っているなどと言ってすまなかった。そなたはそこそこに美しいぞ」
言い終えると彼女の体は白い霧になって崩れ、闇に溶けた。
ゴドリックは切っ先から魚を抜いた。立派な鱒だった。それを片手に持ったまま池に振り向き、少し考えた後生真面目な顔で言った。
「いただきます」