AD974 グリフィンドールの隠れ里
「ゴドリック、本当に恥知らずな奴だな。この意気地無しめ」
赤毛の少年の嘲った声。
追従する笑い声が森をこだました。
秋の森に二組の少年少女が向かい合っている。
赤毛の少年は顔立ちこそ12歳の年齢に相応だったが、その表情には憚りの無い傲慢さが現れていた。体つきは齢の割に大きく骨太で、小柄な大人と変わらぬ程だった。上等な生地で仕立てられた上着を革のベルトで締め、剣と杖を吊るしている。両隣に同じ年頃の少年二人を従えて堂々と腕を組む姿にはふてぶてしい貫録すらあった。
彼らと相対するのは少女だった。
赤みがかった茶色の巻き毛を背中まで伸ばし、色味の無い粗末な服をきっちりと着ている。他の少年たちよりも少し年上だが、そばかすの浮いた丸顔と大きな目のせいで大人びては見えなかった。しかしその表情は赤毛の少年を見据えて引き締まり、3人の少年を向こうに回して少しも揺るがなかった。
少女の後ろに、もう一人の少年はいた。
小柄でやせた体をさらに縮め、少女の背中からはみ出ないように努めていた。鮮やかな赤毛に縁どられた顔は怯えにわななき、涙ぐんでいた。齢はもう一人の赤毛の少年と比べると三つも四つも下に見えたが、実際には一つしか離れていなかった。そして彼らは髪の色だけでなく顔立ちもどこか似通っていて、眼は同じ琥珀色だった。この少年もまた質の良い服を身に着けている。
「恥知らずはあんたの方よ、ロドルフ・グリフィンドール」
少女は顔に似合わぬ冷たい声で少年の言葉に応じた。
「腰巾着と一緒じゃなきゃ弱い者いじめも出来ないのね」
ロドルフの脇で少年たちがいきり立った。
「腰巾着だと?!」
「てめえはスクイブ女じゃねえか」
スクイブとは魔法使いの家に生まれながら魔法の力を少しも授からなかった者の事を指す言葉だった。それを少年は明らかに嘲って言ったのだ。しかし少女は涼しい顔で笑みを浮かべた。
「ええ、そうよ。だから何?ご主人様に引っ付いているのが取り柄の巾着男さん」
「このクソ女!」
激昂した少年はベルトに吊り下げた鞘から杖を抜き放った。しかし彼の前を遮ったのは赤毛の少年の腕だった。
「ロドルフ様!」
ロドルフと呼ばれた少年は嘲り笑いに顔を歪めて少女の背後を覗くように顎を上げて見下ろし、声高に言った。
「おいゴドリック。聞いたか?愛しのお姉ちゃまが弱いものと認めて下さったぞ!よかったなあ、堂々と隠れていられる。そのまま妹になっちまったらどうだ?」
ゲラゲラと少年たちが笑うと森の木々にこだまし、少女の背中の後ろで小さなゴドリックは身を竦めた。
唇を引き結んだ少女は息を吸い込み腰に手を当ててロドルフを見据えた。
「弱いと言うなら、あんたもそうよロドルフ」
「何だと、パウラ」
ロドルフの顔が即座に険悪にしかめられた。パウラと呼んだ巻き毛の少女をギラギラとした目で睨む。だが彼女は毛ほども気にしない様子で見返した。
「ほら、すぐに殺気立つ。肝っ玉が小さい証拠ね。体が大きくて力が強くて魔法が得意でも心が弱いのよ。偉そうにゴドを恥知らずなんて言ったけど、手下とつるんで自分より弱い年下の従兄弟をいじめる方が弱虫よりも何倍も恥ずかしいわ、それで偉そうに剣なんか吊るして騎士様気取りなの?只の見習のくせしてあつかましいこと。ゴドに構う暇があったら鎖帷子のお手入れでもしなさいよ、腰巾着と一緒にね」
まさに立て板に水を流す如く。パウラは淀むこと無く一息に言い切った。
ゴドリックはパウラの背後からそっと青ざめた顔を出してロドルフの様子を伺うと、震えあがった。ロドルフがどす黒い顔をして光る目でパウラを睨んでいる。ニヤニヤと笑う少年二人も腰が引けていた。この場で堂々と立っているのはパウラとロドルフの二人だけだった。
ロドルフが落ち葉を踏みしめて少女に近づく。パウラはそれを小揺るぎもせずに待ち構えた。ゴドリックは大きくなってゆく従兄弟の顔に釘づけになりながらパウラの服をギュッと掴む。手を伸ばせば触れられる距離にロドルフが来た時、パウラは言った。
「わたしに触れない方がいいわよ。噛みつくから」
ロドルフはフン、と鼻で笑うと素早い動きでパウラの下顎を右手で掴んだ。そのままぐいと持ち上げ顔を上に向かせる。そばかすの頬に指を食いこませてロドルフは眉根を寄せてニタリと笑みを浮かべた。
「どうした、噛みついてみろよ」
元の場所に取り残された少年たちが笑い声を上げる。パウラは無表情にロドルフを見下ろすように見返している。
「やめてよ、ロドルフ」
絞り出すような声がパウラの後ろから発せられた。ゴドリックだ。パウラの背中から顔だけを出してロドルフを見ていたが、その目が向けられた途端に地面を凝視した。
「なァんか聞こえた気がするなぁ、ゴドリック」
ゴドリックは地面の赤や黄色の枯葉を見るばかりで何も答えなかった。
「どうやら鈴虫でも鳴いたらしい」
ロドルフの言葉に少年たちが爆笑する。彼はそのままパウラと体が触れんばかりに近づくと顔を覗き込んだ。二人の身長は頭一つ分以上離れていて、少女の首は折れてしまいそうに見えた。
「お前の足元から聞こえた気がしたぞ、パウラ。スカートの中に鈴虫を飼ってるのか?見せてみろ。おい、お前たち」
二人の少年は含み笑いをしながら顔を見合わせるとパウラに近づいてきた。ゴドリックは震えながらパウラを見、二人の少年を見、ロドルフを見、またパウラを見た。彼女は顎を掴まれてもなお恐れる様子もなく堂々と腰に手を当てロドルフを見返している。
二人の少年はロドルフの両脇にしゃがみ込むとパウラの踝まであるスカートのすそを掴んだ。
「や、やめてよ、やめてよ」
ゴドリックのか細い声を少年たちがあざ笑う。彼はロドルフを見上げるが、目が合うとやはり俯いてしまった。ロドルフは蔑みに顔を歪ませた。
「どうした、もっとしっかり鳴けよゴドリック。せめて犬のように吠えて見せろ。そしたら首輪くらいは恵んでやるぜ?」
ロドルフの足元で声高く笑う少年の耳に、低いうなり声が聞こえた。
「ハハッ本当に犬みたいな声出してやがる」
パウラを「スクイブ女」と罵ったその少年は、次の瞬間絶叫した。
彼はスカートのすそから手を離そうともがいている。スカートのすそが逆に彼の手を離さないのだ。
「助けてくれ、スカートが噛みついてる!」
もう一人の少年は素早く手を離した。愕然とするロドルフの手をパウラは振り払い、強気な笑みを浮かべて言い放った。
「噛みつくっていったでしょ!」
その声に反応するかのようにスカートのすそが持ち上がり、皺を寄せた鼻面が現れた。その下には赤い血を付けた白い牙がズラリと並んだあぎとが開き、続いてふさふさとした黒い毛並みの体が現れたかと思うとロドルフに踊りかかっていた。大きな犬だった。
ロドルフは顔に噛みつこうとする犬を掲げた両腕で防いだが、のしかかられて倒れ込む。
黒い犬は闘志を絶やさず、その長い鼻面で何度もロドルフの顔面を狙って牙を打ち鳴らしている。辛うじて犬の首を両腕で押さえて獰猛な牙を遠ざけているロドルフは、さっきまでの悪辣さを放り出して悲鳴を上げた。
「うあ、ひいっ!やめろっ!おいっお前ら、早くコイツをどかせ!早くしろ!」
少年の一人は噛まれて血を流す手を押さえ、呻き声を上げてうずくまっていた。もう一人は襲われるロドルフを引けた腰で眺めていたが、彼の声に奮起して杖を抜く。
その手に飛んで来た石がぶつかる。彼は悲鳴を上げて杖を取り落とした。
少年が振り返るとパウラが足元の石を拾い上げる所だった。彼女はそれを手の上で投げては取りながら、声高く言った。
「次は目ん玉にぶつけるわよ!」
少年は早々に杖を拾う事を諦め、手を押さえて後ろに下がった。パウラはそれを見ると、石を待たない方の手の指を口に咥え、指笛を吹く。すると黒い犬はロドルフの上から躊躇なく飛び退いた。
ロドルフは顔についた細かい傷を押さえながら立ち上がると即座にベルトに吊った杖に手を掛けようとした。黒い犬が敏感に察知して低いうなり声を発して攻撃の姿勢を取る。ロドルフは忌々しげに舌打ちをして手を胸の前に漂わせた。犬は唸り声をやめない。ロドルフが一歩下がると犬は一歩前に出て、唸り声を高くする。ロドルフは目だけでパウラを睨んだ。
「何だこの犬は!」
「番犬よ。親切な人がくれたの。よく訓練されてるでしょ」
彼女はゴドリックがロドルフ達に追われて森に入ってきたのを見て犬をスカートの中に隠していたのだ。ロドルフ達の不意を打って確実に痛手を負わせるために。
「ハッ!スカートの中を守る番犬かよ」
「そうよ。あんたみたいな色魔が呪文を唱えるよりも先に、喉笛を噛みちぎってくれるの」
そう言うとパウラは指を口に咥えた。犬の唸り声が大きくなり、頭をグッと下げ、今にも飛び掛からんとして見えた。ロドルフは再びパウラを睨み据える。
「パウラ……ただで済むと思うなよ!」
彼は踵を返すと走り出した。犬が大きく吠えると少年たちも逃げ出した。黒い犬は吠えながら三人を追ったが、パウラの指笛でいくらも駆けない内に戻ってきた。
「姉ちゃん……」
ゴドリックは、はしゃぐ犬の頭を撫でるパウラの背中におずおずと声を掛けた。
振り返ったパウラは目じりを下げて優しく微笑んでいた。
「もう大丈夫よ」
優しい声音にゴドリックの目に涙が浮かぶ。
「でも、ロドルフが」
「タダで済むと思うなって?あーんなの悔し紛れの捨て台詞よ。もしアイツが里の者に手を出したのをシドニウス様が知ったら、お仕置きどころじゃすまないもの。そうでしょ?」
「うん……」
頷いたまま俯くゴドリックの頭をパウラはくしゃくしゃと撫でた。
「ゴドは血が繋がってるから、そうもいかないだろうけどね」
ゴドリックの目に溜まる涙が大きくなった。
「僕はこんな所に来たくなかった。騎士になんてなりたくない。父上の所に戻りたい……」
口にしてしまった切望は、とめどなく涙を押し出して止まらなかった。
「ゴド……」
パウラはゴドリックの髪を優しく撫でつけた。
「ゴド。ねえ、ゴード」
愛称を間延びさせるような優しい呼びかけにゴドリックが顔を上げると、彼女は屈んで顔を近づけていた。そしてにっこり微笑んで言った。
「ゴド、あんたってほーんと、怖がりで弱虫で泣き虫でなっさけないわね!」
思わぬ言葉が突き刺さり、ゴドリックは泣き顔をさらに歪ませた。
「でも、そこがゴドの良い所だと思うわ」
「ど、どう、して……?」
涙にひきつる声で辛うじて尋ねるゴドリックを、パウラはじっと見つめた。
「怖がりで、弱虫だからこそ、本当の勇気を手に入れられるのよ」
不意にゴドリックの涙でぬれた顔が暖かい布地に押し付けられ、冷えた体は抱擁されていた。パウラは抱きしめたままでゴドリックに語りかける。
「本当の勇気を持つ者は誰よりも強くなれる。ゴドはその資格を持っているのよ。だからシドニウス様はゴドを養子になさったのだわ……強い騎士に育てる為に」
その時、近くをうろついていた番犬が「おれも混ぜろ」とばかりにパウラに飛びつき、ゴドリックは声を上げて飛び退いた。危害は無いと知りつつも、彼はこの大きな獣が怖かった。
パウラが尻尾を振る番犬をあやしながら見渡すと、森はだんだんと暗くなりつつあった。半刻を待たずに日は暮れるだろう。
「ゴド、今日はどうする?お館へ帰るの?それともウチに来る?」
ゴドリックは目元を袖で拭いながらパウラを見た。
「……姉ちゃんの所がいい」
「ん。じゃ、行こっか」
パウラは微笑みかけると番犬を従えて森の奥へ歩き出した。ゴドリックは急いでその横に並んだ。そして少女を見上げてその肩や胸の上で揺れる赤茶色の巻き毛や、白い頬に浮かぶそばかすや、濃い睫毛に縁どられた瞳を眺めた。その瞳がゴドリックを見る。
「どうしたの、ゴド」
ゴドリックは、頬を解きほぐしていくように微笑んだ。
「姉ちゃんに会えたから、ここに来て少しだけ良かった」
パウラは僅かに目を見開くと、急にゴドリックの頭を片手で抱え込んで抱き寄せた。
「ゴードー、あんた生意気なこと言うじゃないっ」
ゴドリックはパウラの嬉しそうな声を聴きながら腕の中でもがいた。
「苦しいよ、姉ちゃん」
「ほれほれ~」
陽気に笑い声を立てるパウラは逃すまいとますます強く抱きしめ、ゴドリックは悲鳴を上げながら引きずられるようにして歩く事になった。葉の落ちた木立は黒々とそびえて続き、そのあいだを折り重なるような二人が落ち葉を踏みしめて歩いてゆく。紫の空の下でオレンジ色に光る雲が浮かんでいた。
「姉ちゃん」
「んー?離してあげないわよ」
「さっき言ってた事」
「ん?」
パウラが近すぎて見にくいゴドリックの顔を見ると、琥珀の目が見上げている。
ゴドリックは少しためらった後に尋ねた。
「本当の勇気って、何?」
(AD974 グリフィンドールの隠れ里 おわり)