*ハッフルパフの隠れ里はホグワーツと同じく<姿表わし/くらまし>禁止になっているという説明が抜けてました!すいません*
5
一角獣の尾を芯にした柳の杖。その白く細い杖身に銀の細工の握りが嵌っていた。
気絶した誘拐者から杖を取り戻したヘルガ姫が、その握りの頭を指でつまんで回転させると入れ物のフタのように取れた。内側には白い組みひもが収まっていて、杖の柄と“フタ”を繋いでいる。彼女はそれをピンと引っ張った。
「これでよし」
「何だそりゃ」
ほっとした笑みを浮かべるヘルガ姫にゴドリックは尋ねた。
彼らの横にはゴドリックの魔法で失神したイアンが体を縛られ横たわっている。ゴドリックが荷の中に積んでいたロープを使い、<捕縛呪文>で縛ったのだ。
「この紐を引っ張ると、わたしの友達に今いる場所を教える事が出来るの。」
「へえ、大した仕掛けだな」
ゴドリックには初耳の装置だった。
「イアン殿にまず杖を取られたから使えなかったんだけど、これで迎えに来てくれるはずよ」
そう言うとヘルガ姫はゴドリックに向き合って杖を構えた。
「む、やるか?」
ゴドリックも素早く構えて対峙した。
「ちがうよっ。ふ・く!乾かしてあげるからじっとして」
「ああ、すっかり忘れてたぜ」
彼は腿に張り付く布地をつまんだ。
「ちゃんと立ってね。いくよ」
ヘルガ姫は杖をゴドリックに向かってかざした。真っ直ぐに突き付けるのではなく、指先で軽く摘まむように持っている。彼女はその杖先にそっと息を吹きかけた。
すると、杖先に届いた吐息が暖かい風となってゴドリックに吹き、身に着けた服をはためかせて生地が吸った水分を見る見るうちに飛ばして行った。風がやむと服はすっかり乾き、ホカホカと暖かかった。
彼女の魔法の仕草は、ゴドリックが今までに見たことの無いものだった。おそらくハッフルパフ家に伝わる作法なのだろう。魔法使いは家ごと地域ごとに、伝統の呪文や作法、独特の魔法を伝えている事があった。
「おおすげー!ぜんっぜん濡れてねえ。しかも何だかいい匂いがするな」
ゴドリックが腿を上げて鼻を近づけると、花のような香りがした。
「ふふ、こう見えてわたし、服を乾かすのは得意なの」
得意気に胸をそびやかすヘルガ姫は、上目でゴドリックを見上げて付け加えた。
「服を吹き飛ばして燃やしちゃうことも無いんだよ」
「ああ、たいしたもんだ!」
ゴドリックはからからと笑って彼女の小さな頭を撫でくり回す。すると、重々しい咳ばらいが残響付きで聞こえた。ヴィヴィーだ。ゴドリックはすぐに手を浮かせた。
「わ、悪い、姫さん。つい……」
「ううん、別にいいよ」
言葉とは裏腹にヘルガ姫の笑顔にはわずかな翳りがあり、ゴドリックの罪悪感はいや増すばかりで反省した。
彼は、自分もまだ子供だった頃から年下の面倒をよく見ていた。それは姉のように慕っていた少女が自分にそうしたように、彼もまたそうしようとしたからであったが、今では性格の一部として定着してしまっていた。子供好きなのである。だからこそヘルガ姫に対する態度が、無意識のうちに子供に対するものになってしまうのだ。
ヘルガ姫の見た目はやはり十を越したくらいの子供にしか見えなかった。童顔だとか体が小さいとかでは無く、本当に幼く見えた。
『呪われておる』
ヴィヴィーはヘルガ姫を見てそう言ったのだ。彼女の体の成長は、何者かによって止められてしまったのだろうか。
そして、尋常ではないのは彼女ばかりではなかった。イアンだ。彼のゴドリックに向けた怒りや憎悪は度を越していた。求婚者としての嫉妬と言うには放つ殺気が多過ぎる。もっとも、やんごとなき身でありながら誘拐をするような男なのだから元々尋常ではないのだろうが……。
ゴドリックが噂に聞いたヘルガ姫の物語の実像は、謎に満ちていた。
思いにふけりながらマントを羽織ったゴドリックがふと見ると、ヘルガ姫が横たわるイアンにも<服乾燥魔法>を施していた。
「危ないぞ。余計な刺激を与えると失神から覚めちまうかもしれねえ」
「でも、風邪をひいちゃうよ」
「うっうう……」
イアンが呻き声を漏らした。ヘルガ姫とゴドリックの動きが止まる。見ると目蓋がぴくぴくと震えている。
「わっわわわ」
ヘルガ姫の慌てた声に反応するかのようにイアンの目蓋がうっすらと開いた。同時にゴドリックは杖を抜いた。
「ステューピファイ 麻痺せよ!」
杖先から赤い閃光が至近のイアンに放たれる。
「ぐあっ」
赤い光に飲み込まれたイアンは悲鳴を上げ、そのまま沈黙した。
「ああ、イアン殿!」
「言わんこっちゃない」
「だ、大丈夫かな二度も<失神呪文>を掛けてしまって」
屈んでイアンの顔色を確かめるヘルガ姫。
「白目剥いてるぅ……」
気味悪そうに言いながらも、彼女は指先で瞼を閉じてやり、脈を確かめた。
「見るからに丈夫そうなガタイしてっから大丈夫だと思うぜ」
ゴドリックは甲斐甲斐しいヘルガ姫の背中を眺めた。
「強いんだな、あんたは。誘拐されて、あんなに脅かされたってのに、そんな風に優しい」
振り返ったヘルガ姫の頬は少し赤みを帯びていた。
「そんな事無いよ、わたしには責任があるもの……」
「責任?」
俯いたヘルガ姫は顔を上げると、あべこべに質問をした。
「本当の勇気って、どういう事?」
「ん?」
「さっき、本当の勇気があるって、わたしに」
ゴドリックは顔が熱くなるのを感じて帽子のつばを引き下げた。
「言ったか、そんなこと」
その言葉は彼の深い場所にあり、滅多に口にできない筈だった。
「言ったよ、わたしを、あの……イアン殿をやっつける前に」
「あんときゃ頭に血が上ってたからな、はは……」
ゴドリックの照れ隠しに、ヘルガ姫は再び俯いた。
「勇気があると言うなら、あなたの方があるわ。自分の事ではないのに戦ってくれた……私は何もできなかったのに……」
「俺に勇気なんかねえよ」
ゴドリックの吐き捨てるような言い方に、ヘルガ姫は目を見張った。見上げると、帽子のつばの陰でゴドリックは口元に笑みを浮かべている。それなのに声は苦しそうだった。
「ただ、強いだけだ」
イアンを見下ろして嗤う。
「そこでのびてる野郎と同じさ。感情に任せて力を振りかざしただけ、むかっ腹が立ったからぶっ飛ばしただけさ。そんなこと、“怪物”にだってできるんだぜ」
「怪物?」
小首を傾げて瞬くヘルガ姫を、ゴドリックは目を細めて見つめた。
「あんたはその小さな体で、杖も持たず、恐れを乗り越えて立ち向かった。……その強さは一体何なんだ?」
傷つく事と泣く事しかできなかった幼い日々、ゴドリックをいつも庇ってくれた少女が「本当の勇気」を手に入れる事が出来ると言ってくれた。
彼女がゴドリックの前から去った日、それは確かにゴドリックに宿り、敵うと思えなかったロドルフを打ち倒した。あの時のゴドリックも、ヘルガ姫と同じように無力で強くはないにもかかわらず、恐怖に打ち勝ち、戦った。
ゴドリックはそれからも戦い続けた。大人の騎士たちに揉まれながら修行し、グリフィンドールの隠れ里を抜け出しては冒険をして、数多の悪人、イングランドの兵士達、邪悪な闇の魔法使いや魔獣と一人で戦い、大抵は勝った。そうするうちに彼は強くなり、権威あるグラストンベリの決闘大会で優勝してそれを証明する事が出来た。
だが、「本当の勇気」はいつの間にかどこかへ消えてしまっていたのだ。それを“怪物”の出現が思い知らしめた。あれはゴドリックの闘争と破壊から産まれたのだ。その赤い目には憎しみと怒りと残忍な殺意だけがある。ゴドリックが抱く怒りも闘争心も“怪物”を強くする餌だった。
“怪物”に対抗する為にこそ、「本当の勇気」が必要だった。上面の度胸でもなく、争いを楽しむ欲求でもなく、獣じみた闘争心でもない。しかし敵を打倒できると信じる心の強さ。それをもたらす物をゴドリックは、いつしか切実に求めるようになっていた。
「そ、それは……」
ヘルガ姫のか細い困惑した声に、ゴドリックは我に返った。どうやらジッと凄い目で見つめ続けてしまったらしい事に気付いて、ことさら陽気に声を出した。
「つまりだな、怖いのを乗り越えて戦う心意気ってやつさ。あんたにはそれがある。腕っぷしの強さなんかよりも、よっぽど高い値打ちの代物だぜ」
「それが、本当の勇気?」
「ああ」
ヘルガ姫は目を伏せ俯く。その視線の先には気を失っているイアンの顔があった。
「じゃあ、違うよ……そうしなきゃいけないから、責任を果たすために、そうしてるんだもの。全部わたしのせいだから……」
突然、ゴドリックはピンと来た。彼女がなぜ自分を誘拐したイアンに献身的なのか、答えを得たと思った。
「要するに男を夢中にさせた自分が悪いって事か……。そんなことねーよ。悪いってんなら、思いやりを忘れた男の方が悪い!な?」
ゴドリックは、元気づけるようにポンと背中を叩いた。しかしヘルガ姫は俯いたまま黙っている。ゴドリックは想像外の沈黙に、波うつ金髪に隠れた顔を覗き込むと、ヘルガ姫は痛みをこらえるように眉根を寄せ唇を引き結んでいた。
背中を強く叩き過ぎたからでない事はゴドリックにも即座に理解できた。ヴィヴィーの嘆息が聞こえる。
「そなたはデリカシーというものを学ぶ必要があるのう」
「な、何だよ、俺は悪くないって言ってるのに……。悪かったよ、姫さん」
ヘルガ姫が目を上げると、ぶっきらぼうな謝罪とは裏腹にゴドリックの顔は心底すまなそうで、思わず吹きだしそうになった。
「ううん、違うよ!あなたはちっとも悪くないよ」
ヘルガ姫はゴドリックを見上げてニコっと笑った。ホッとしたゴドリックが笑みを返した、その時。彼らの足元から呻き声が聞こえ、ゴドリックは反射的にイアンへ杖を向けた。
「ステューピファイ だまってろ!」
「ぐえっ」
三度赤い閃光に襲われたイアンは一度体を跳ねさせて昏倒した。
「イアン殿!ああっまた白目に!」
ヘルガ姫は慌てて屈みこみ、イアンの目蓋を閉じてやろうとした。その時。
「ヘルガ姫よ」
ヴィヴィーがはっきりとヘルガ姫の名を呼んだ。ゴドリックは驚いた。気位の高い妖精である彼女が人間に名前で呼びかける事は極めて稀だった。半年余り一緒に旅をしたウィリアムでさえ、彼女に名を呼ばれたのは死ぬ間際だったのだ。
「は、はい!」
威厳のある声に、ヘルガ姫はイアンの白目をそのままに振り向いた。
「その男の行動は元来の性質によるものじゃ。そなたの呪いはきっかけに過ぎぬ」
「呪い?」
ゴドリックは思わず口をはさんだ。
イアンの横暴のきっかけとなったのがヘルガ姫の『呪い』だとヴィヴィーは言ったのだ。ゴドリックの考えていた事とは大きく食い違っている――じゃあ、呪いってのは一体何のことなんだ――ヘルガ姫の小さな体に、何か不吉な影がまとわりついて見える気がした。
ヘルガ姫はじっとゴドリックの腰に吊り下がる『水の剣』を見つめた。逸る気持ちを爛々と光る瞳に映して、両手で首飾りを固く握ってヴィヴィーの次の言葉を待っていた。
その様子を見てゴドリックは、ヴィヴィーの言葉を遮る事が無いように口を結んだ。
高くなってきた太陽に揺れる木々の葉が透ける。
そして、春の陽気に沈黙が横たわった。
ゴドリックが口を開く。
「おいまさか、ヴィヴィー、それで終わりかよ」
剣は陽光で煌めくのみだった。
「よくわからんが、気に病むなって事らしいぜ」
ヴィヴィーの気高くも気まぐれな性質にゴドリックは慣れっこだったので、戸惑うヘルガ姫に通訳してやった。
すると、ヘルガ姫はがばと剣に取りついた。
「あなた、この呪いの事を知ってるの?」
沈黙する剣にヘルガ姫は顔を近づけた。
「この呪いを解く方法を教えて!」
黙りこくる剣にヘルガ姫の鼻先はくっつかんばかりだった。
見かねたゴドリックがぺしぺしと剣の柄を叩く。
「おい、何か言ってやれよ」
「嫌じゃ」
ヴィヴィーは澄ました声で答えた。
「お願い!」
ヘルガ姫の声には、やはりだんまりを貫くヴィヴィー。
ゴドリックはさらに柄頭をノックする
「おい、こら、意地悪すんなよ、おい」
十数度に渡るゴドリックのノックはヴィヴィーのか細い堪忍袋の緒を容易く引きちぎった。
「んもー!うるさいうるさいうるさい!妾とてそれが妖精の魔法であること以外は分からぬ!呪いを解く条件はあるのじゃろうがそれは呪いを掛けた者にしか分からぬものじゃ、直接聞くがよい!」
ヘルガ姫は最後まで聞くと肩を落とし、期待に満ちていた瞳の輝きをくすませて俯いた。
「あのな、そんな事が出来れば姫さんだって今必死にならないだろ!他にはねえのかよ」
ゴドリックは両手でせわしなく剣の柄や鍔を叩いた。沈黙を続ける『水の剣』を根気よく叩き続けると、ヴィヴィーが恨みがましい声で応じた。
「そなた、あとで覚えておれ。つねる」
「やるならやれ。あんたが姫さんを苛めるのが悪いんだぜ」
「苛めてなどおらぬ!そもそも悪いのはその娘じゃ、呪いを受け入れておる!」
ヘルガ姫は息をのんだ。
「なんだそりゃ。こうして呪いを解く方法を聞いてるじゃねえか」
少しの沈黙の後でヴィヴィーが発したのは震える涙声だった。
「なんでヘルガ姫の肩ばかり持つんじゃ。妾の気持ちを少しも考えてくれぬ」
ゴドリックはギクリとした。彼女がへそを曲げると、ひたすら何日も黙りこくって精神をじわじわと圧迫される毎日を過ごさなくてはならなくなるのだ。
「そ、そんなことねえよ。けどあんたが……」
「もう知らぬ!ばーーーーか!」
「ヴィヴィー!おい、ヴィヴィー」
ゴドリックの呼びかけに応えは無かったが、彼はもう剣を叩こうとは思わなかった。息をつくとヘルガ姫に振り向いて言った。
「この人は、少なくとも嘘は言わないんだ。本当にあんたに言える事はこれだけなんだと思うぜ」
ヘルガ姫は首を振った。
「わたしの方こそ我が儘を言っちゃった……ごめんなさい、ヴィヴィーさん。あなたの言う通りだわ。教えてくれてありがとう」
「……気安く呼ぶでない」
ヴィヴィーのかすれた声にヘルガ姫はビクリと肩を震わせた。それを見たゴドリックはすかさず言った。
「待て、違う。彼女は人間に対してはいつもこうだ。呼ぶなら……」
ゴドリックの脳裏に異国の親友の顔が浮かんだ。彼はこう呼んでいた。
「貴婦人、とでも呼んでやってくれ」
「貴婦人……ありがとう、貴婦人さん」
応えは無い。ヘルガ姫が目で見上げると、ゴドリックは微笑んで頷いた。ちゃんと聞いているはずだ。
イアンが唸る
「ステューピファイ 寝てろ!」
「ぐおっ」
「イアン殿ー!」
「とりあえずここから離れるぞ、さっきからこの男、失神から目を覚ましかけてる。意思や体力で魔力に抵抗してんだ。」
「それと、単に騒がしいからじゃな」
ヴィヴィーがムッツリと付け加えたのでゴドリックはホッとした。
「でも……」
「余所者の俺にはコイツを裁く資格がねえ。俺に出来るのは、こいつをぶっ飛ばす事と、あんたを安全な所まで連れてくことだけだ。たとえばコイツの手下があんたを捕まえようとするかもしれねえからな。」
イアンは縛られている上に、彼の杖はヘルガの懐に入っていた。
ゴドリックにはこの誘拐騒動がどのような経緯で起こったのか分からなかったが、イアンに手を貸す者がいる可能性がある以上、彼女を安全な場所に送り届けるのが当たり前だと考えていた。
ゴドリックのきっぱりとした言葉に、ヘルガ姫はそわそわとした様子で答えた。
「送ってくれなくてもいいよ、ほら。迎えが来てくれるから」
先程引っ張った杖の紐を見せると、ゴドリックは彼女の杖を観察した。
「それ、何にも起こってないように見えるぜ。本当に動いてるのか?」
「えっ。あれ、ひもを引っ張るだけって聞いたんだけどな」
そう言って何度も引っ張る。強く引っ張るとすっぽり抜けてしまった。
「ああ、壊れちゃった!」
「その仕掛けで友達が来ているにしても今すぐには来ないだろ、こっちからも街に向かえば途中で会える。そしたらあんたを引き渡すさ」
「でもっ」
「ひとつ言っとくが、俺はあんたがお姫さんだからって恩を売ろうなんて思ってねえからな」
「そんな事で言ってるんじゃないよ!」
突然高くした声に目を丸くするゴドリックを、ヘルガ姫はもどかしげに見つめた。
「本当はたくさん何でもお礼がしたいよ!でも……」
言葉を切ったヘルガ姫は、何かを決意して口を開いた。
「あなたは、ゴドリック・グリフィンドールなのでしょう?」
絶句したゴドリックに、彼女は堰を切ったように訴える。
「だから今は街に近づいちゃいけないわ。グリフィンドール騎士団が来ているのよ……見つかったら、いくらあなたが強くても大勢で囲まれて八つ裂きの刑になっちゃうよ!」
正体を知られていたという事実と少女の勢いに面食らいながらもゴドリックは言い返した。
「そんな刑は騎士団にないはずだぜ」
「ロドルフ殿はあなたをそうしたがっていたわ!」
「……あいつが来てるのか」
ゴドリックは並大抵の魔法戦士と戦っても負けない自信はあったが、この従兄弟とは実力が拮抗していた。出会えば死闘を覚悟しなければならない。
「あなたは私を救ってくれた」
興奮に頬を染めたヘルガ姫の瞳には頑固な光があった。
「だから今度は私があなたを助けたいの!」
「まだ救ってねえよ、途中だ」
「ちがうよ、あ、あなたは……」
ヘルガ姫は突然言い淀んだ。熱くなった頭で何か大事な事を、言うか言うまいかと迷っているようにゴドリックには見えた。
「ううぅ」
イアンが呻いた。
「ステューピファイ 静かにして!」
「ぐへっ」
ヘルガ姫は乱暴に杖を振り、そして我に返った。
「ああっごめんなさい!」
「何て容赦の無い攻撃だ……」
ゴドリックがちょっぴり戦慄を覚える程鮮やかな<失神呪文>だった。ヘルガ姫は慌てて屈みこむとイアンの脈を取る。
「ああ、違うの勢いで思わずやってしまったのイアン殿ごめんなさい……大丈夫かしら」
ほとんど泣きそうなヘルガ姫に、しゃがれた声が受け答えた。
「大丈夫でごぜえます。イアン坊ちゃまはこれくらいじゃあ、めげたりしねえでごぜえます」
「そ、そう?でも後遺症とか」
「大丈夫大丈夫でごぜえます。この方は乱暴な分丈夫に出来てなさるから大丈夫でごぜえますよ、姫様」
「それは逆なのではないか?丈夫に出来てる分乱暴になってしまったのではないのか?」
ヴィヴィーが気難しげに横槍を入れた。
「ほ、言われてみればそうかも知れねえでごぜえます」
「お姫さん、そいつは誰だ」
ゴドリックはヘルガの横にしゃがむ小さな異形の人型を指さした。
「うん、この人はイアン殿の家の屋敷しもべ妖精……何であなたがここに?!」
ヘルガ姫は文字通り飛び上がって驚くと、そのまま後ろに下がってその姿を見下ろした。
ぼろきれのような何かを纏った骨ばった痩せた体は、小さなヘルガ姫のさらに半分ほどの身長で、体に不釣り合いな大きな頭蓋から半分飛び出た眼球は顔の面積の半分を占め、その間から長い鼻が突き出している。長いのは耳も同様で、まばらな毛髪から横に伸びて角のようだった。彼は“屋敷しもべ妖精”と呼ばれる妖精の一種で、その名の通り屋敷に住みつき主人に奉仕するのを生きがいとする風変りな者達だった。
「さっきそこら辺から現れたぞ」
ゴドリックはヘルガ姫の横の空間を適当に指さした。彼ら妖精は人間の魔法のように<禁止>に囚われずに<姿現し>する事が出来たから、隠れ里の中でも自由に移動する事が出来た。
「もちろんイアン坊ちゃまを探しに来たのでごぜえます」
妖精はヘルガ姫の質問に丁寧な返答をした。
ゴドリックが妖精とヘルガ姫の間に割って入る。その目は既に油断なく妖精を監視している。後ろに庇ったヘルガ姫を押すようにして後ろへ下がり間合いを取った。
「坊ちゃまが姫様を連れてくるのを森の中でお待ちしておりましたのでごぜえますが……」
人の拳大の瞳がさらに見開いてゴドリックを見る。
「あなたがおやりになったのでごぜえますね」
ゴドリックは素早く杖を抜いて構えた。彼ら『屋敷しもべ妖精』は人間に対して卑屈なほど従順で大人しい性質だった。しかしその魔法力は人間を凌ぎ、杖も呪文も必要とせず只思うだけで確実な魔法を使えた。それは普段屋敷の主人への奉仕に使われるが、ひとたび主人の危機に際すれば極めて攻撃的に行使されるのだ。
ゴドリックはその光景を一度だけ目にした事があった。その屋敷しもべ妖精は、魔獣マンティコアを従えた闇の魔法使いを指先だけで圧倒し、無力化した。
「気を付けるのじゃぞ」
ヴィヴィーの声にも緊張があった。
「分かってる」
「だ、だめよ!」
妖精との間に割って入ろうとするヘルガ姫を、ゴドリックは右手で押さえた。
「じっとしてろ」
そして、そのまま右手を剣の柄に掛けた。剣を振るえば身元が知られてしまう可能性があったが、今はそれを気にするべきでは無かった。立ち上がってもゴドリックの膝までしか届かないこの異形の小人は、強力な敵なのだ。
ゴドリックの精神が戦いに集中してゆく中、妖精の声音は拍子抜けするほど日常的だった。
「あっしは、坊ちゃまを失神から目覚めさせなきゃいけねえでごぜえます」
彼は言い含めるようにゴドリックをじっと見た。
「寝起きの悪いお方でごぜえますから、そっと優しく、ゆっくりと起こさなくてはならないでごぜえます」
ゴドリックは彼の意図に気付いた。妖精の魔法なら失神から目覚めさせることなど一瞬で出来るのだ。
「あんた……」
妖精はヘルガに向かってペコリと頭を下げた。ゴドリックは踵を返すとヘルガ姫を引っ張っぱって、のんびり草を食むブーケファラスの方へ歩き出した。屋敷しもべ妖精が忠誠心と良心の狭間で出した好意に報いるために、少しでも遠くへ行かなくてはならない。
「離して、もういいから!わたし一人で帰れるよ!」
引っ張られながらも言い募るヘルガ姫に、ゴドリックは足を止めて振り返った。
「なんで俺をゴドリックだと思った?」
「それは……」
言い淀んだヘルガ姫は、目を逸らした。
「ロドルフ殿に似てるから……少しだけ」
「……そうか。」
ゴドリックは最初に顔を合わせた時、彼女が凝視していたのはこのためだったかと納得し、苦い顔をした。顔が従兄弟と言われる事は虫唾が走るほど嫌だった。
「あの人は、ゴドリックは死んだと言ってたわ。詳しい事は教えてくれなかったけれど」
「死んだ?」
思いがけない言葉にゴドリックはぎょっとした。
「噂でも、ロドルフ殿が一騎打ちであなたを倒したという事になってたから……みんなゴドリック・グリフィンドールは従兄弟に親の仇を討たれて死んだと思っているわ」
ゴドリックは思わず声を上げて笑った。
もう追われる身では無かったのだ。デンマークからブリテン島へ帰って来て以来魔法使いとの接触を一切断っていたから、一年の間にそんな事実が出来上がっていたつゆとも知らなかった。確かに、ロドルフとの一騎打ちの終わりを思い返せば、そう思い込まれてもしょうがないとゴドリックは納得した。
「でも、あなたを見てすぐに分かったわ。噂は間違ってるんだって……やっぱり全部間違ってたんだって……」
ヘルガ姫は囁くように言ったので、ゴドリックは聞き損ねそうになった。ゴドリックが問い返す前に彼女は顔を上げて言った。
「だから、もういいよ。せっかく死んだ事になってるんだもん。このまま、ロドルフ殿達に合わない内にこの里を出て行って。平気よ、わたし走るから。こう見えて走るの得意なんだから!」
まなじりを決して見上げるヘルガ姫に、ゴドリックは問いたいことが多くあったが、取り敢えずこれだけは言わなくてはならなかった。
「気遣ってもらって有り難いんだがな、あいにく俺はゴドリックじゃねえ」
「え?」
ヘルガ姫はもともと丸い目をさらに丸くした。
「俺はゴディバ・ヒッポグリフ。単なる旅人だ」
「そんな変な名前の人いないよ!」
「ほれ見た事か」
ヒッポグリフ氏の名乗りは即座に斬り捨てられ、相棒がとどめを刺した。ゴドリックはやり場のない悲しみを力に変えてヘルガ姫の腰を両手で掴んで持ち上げ、彼女は悲鳴混じりの笑い声を上げた。
「あはっあはははっくすぐったい!はなし、くひひっ降ろしてよ~~!」
「うるせえ!いいから、おとなしくしてろっ」
「そなた、今間違いなく誘拐犯に見えるぞ」
ヴィヴィーの声を無視するように白馬の元へ力強く歩くと、そっとヘルガ姫を鞍に乗せ、自分は鞍の後ろに跨った。
「ご……えっと、ゴディバ、さん」
振り返って呼びかけるヘルガ姫にゴドリックは「ゴドでいい」とだけ答え、掛け声と共に鐙の掛かってない足でブーケファラスの腹を軽く蹴った。
歩き出した馬の上で振り返ると、イアンの屋敷しもべ妖精が、横たわる主人の傍らで深々とお辞儀をした。
つづく