鬼殺隊一般隊員は鬼滅の夢を見るか?   作:あーけろん

10 / 14
漸く辿り着きました、無限列車編。微力ながら全力を尽くします。

※主人公の名前は正しくは「こやない ごんべえ」です。誤解を与えてしまい、誠に申し訳ありませんでした。詳しくは後書き後に記載してありますので、そちらを読んで頂ければ幸いです。

※追加 設定集に基づく自己解釈が描写されています。苦手な方は注意して下さい。



鬼殺隊一般隊員は月下に舞い、叶わぬ夢を見る 上巻

 

 

 

 

 

 

『–––––悪鬼ヲ滅スルハ鈴ノ祈リ也』

 

 

 

 

 

 

________________________

 

 

 

 

 

 

–––––––シャンシャリンという軽快な鈴の音が二度鳴り、藍色の刀が月明かりに反射する。

柔らかい物と硬いものを一緒くたに切り裂いた感覚を覚えると、右頬に生暖かい液体が付着する。妙な暖かさを感じるそれを親指で拭い、一瞥する。

 

「が、ぁぁ………」

 

赤黒い、鉄錆に似た匂いを放つそれを一目見てから踵を返し、左手に持っている日輪刀を鈴の音と共に納刀する。背後で焦げる様な匂いと共に、何かが崩れ去る音には一切興味を示す事なく、雑嚢から取り出した水筒を一度煽る。

 

「…これで、四十と二つ」

 

口の端から溢れる水を拭い、小さく呟く。

先程刻んだ鬼を最後に、付近の鬼の出現情報は一掃した。これで今日の鬼殺が終了した、という事になる。

 

「鴉。一応確認するけど、これで付近の掃討は完了したんだよな?」

 

傍に控える、闇と同化した鴉に問いかける。すると「カァ!」と一度泣き、バサバサと飛び立って自分の肩口に止まる。

 

「間違イナイ!鬼ノ出現情報無シ!休メ!権兵衛、休メ!」

「…ありがとう、鴉」

 

鎹鴉の嘴の下を何度か撫でると、視線を空へと移す。

 

「…そうか。もうすぐ満月だな」

 

空には殆ど丸いお月様が浮かんでいる。いつもより空気が澄んでいるからか、色も黄金色に近く、普段より大きく見える月は見事で、お月見団子でも食べたくなる程に綺麗だった。

 

「帰ろうか、鴉」

「カァ!」

 

一度大きく鳴くと、大きな翼を広げて肩口から飛び立つ。そのまま空高くまで飛んでいく様を見て微笑み、自分も脚を蝶屋敷へと向ける。

 

「…鈴の音は祈り、か」

 

ふと頭の中に浮かび上がったその一節を呟き、背中に吊られた鈴鳴り刀を一瞥する。

–––あの本を書いた人は、どの様な思いであの一節を詠んだのだろう。鬼を殺して鳴らす鈴の音に、祈りを見出したとでも言うのだろうか。それはあまりに、救いがないのではないかと、意味もない考えが浮かぶ。

 

「早く帰って翻訳の続きをしないとな………ん?」

 

屋敷に帰ったから待っている細かい作業に辟易としていると、耳に何かが羽ばたく音が聞こえる。その音の主が徐々に近づいてきているか、次第に音が大きくなっていく。

自分の鴉と良く似た羽ばたき音だと勘繰り、音の主を探すために上を見回すと、一匹の鴉がこちらに近づいて来ていることがわかった。

鴉もこちらを認識したのか、甲高い声で夜に声を響かせる。

 

「伝令!小屋内権兵衛!直チニ産屋敷邸ニ向カワレタシ!繰リ返ス!直チニ産屋敷邸ニ向カワレタシ‼︎」

「––––鬼殺隊本部から、召集命令?」

 

紫の手拭いを首に巻いた鴉の言葉を聞き、小首を傾ける。何か緊急事態が発生したのか、それとも、知らずうちにまた何かやってしまったのか、判断がつかないからだ。

 

「…わかった。屋敷まで案内してくれ」

 

そこまで考えるが、とにかく悩んでいる暇が惜しいと首を縦に振るう。何もなければそれでよし、何かあれば即座に対応出来るよう心構えをしなければならないと、心に楔を打ち込む。

 

「鴉!蝶屋敷の皆んなに、帰りが少し遅くなることを伝えてくれ‼︎」

「……カァー」

 

遠くより聞こえる了承の声を聞き、目の前の鴉に向き直る。

 

「案内は任せるよ。なるべく急ぎで頼む」

 

「任セロ!」と意気込み、空高く飛び立つ案内役の鴉を見て、その後を駆出す。

 

「…ほんと、いい月だね」

 

眩い月が地面を照らす夜。まだまだ続く夜を想い、産屋敷へと走る脚を早めた–––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

________________________

 

 

 

 

 

–––––––––雲一つ見当たらない、とある一夜の月下。藍色の羽織を微風にたなびかせ、瞳を閉じて首を垂れるひとりの少年がいた。

背中には大男の背丈に勝るとも劣らない長さの刀が吊られ、傍には黒塗りの鞘に収められた短刀が置かれている。

 

「–––久し振りだね、権兵衛。あれから元気だったかい?」

 

打てば響くような、流麗な声色だった。聞く者の心を休め、落ち着かせる響き。

権兵衛と呼ばれた少年の前に、二人の童に連れられて佇む、額に大きな痣を持つ青年の言葉に、権兵衛は静かに口を開く。

 

「はい。お館様におかれましても、壮健そうで何よりです。益々のご多幸を、心より願っております」

「ありがとう。それと、急に呼びつけてしまってすまないね」

「どうかお気になさらず。私は鬼殺隊の一隊員、ましてやお館様の願いであれば即座に応じるのが常と判断しております」

 

権兵衛が頭を下げる青年、産屋敷輝哉が小さく頷く。

 

「ありがとう、権兵衛」

「…それで、柱でもない自分を何故ここに?」

 

鬼殺隊を担う柱ではないにも関わらず、鬼殺隊の本部に呼ばれた事を問う権兵衛。その言葉に僅かに悲しげな空気を漂わせる輝哉だが、直ぐにそれを霧散させる。

 

「鈴の呼吸について、少し分かった事があったんだ。それを伝えようと思ってね」

「––––鈴の呼吸について、ですか」

 

権兵衛の纏う雰囲気が少し変わった事を目敏く感じ取る。穏やかな雰囲気の中に混じった冷たい鋼の様な雰囲気は、目の見えない輝哉には手に取るように感じられた。

 

「何かあったのかい?少し雰囲気が変わったけれど…」

 

輝哉の問いに僅かに沈黙するが、やがて「はい」と頷く。

 

「実はつい先日、と言っても一週間程前ですが、自身の義理の妹が、師範から鈴の呼吸について記した書物を持ってきたのです」

「義理の妹……あぁ、小屋内柊さんだね。腕の立つ医者だと聞いているよ」

 

お館様の口から妹の名前が出てきた事に僅かに驚き、目を開く。

 

「ご存知でしたか。鬼殺隊の隊員ではないから、てっきり知らない物とばかり…」

 

その言葉に輝哉は「うん?」と首を捻る。

 

「聞いていないのかい?君の妹は、医療員として鬼殺隊に入隊しているよ」

「–––––はっ?」

 

突然の言葉だったからか、素っ頓狂な声を上げる権兵衛。妹は立派な医者なのだから、鬼殺隊なんて危険な職に就かなくても十分生きていけると思っていたからだ。

 

「最近のことだけどね。しのぶからの強い推薦があったから、隠の扱いで入隊を許可したんだよ」

「そうですか、しのぶさんが…」

「妹が鬼殺隊に入る事には反対かい?」

 

輝哉の言葉に首を横に振るう。

 

「いえ、彼女は自分よりもしっかりしています。彼女が鬼殺隊に入ると自身で決めたのであれば、その決断を、自分に止める資格はありません」

 

一切の澱みなく言い切るその姿勢から、心から反対していない事が窺える。その言葉は、まさしく権兵衛の本心を示していた。

 

「それに、蝶屋敷に居てくれれば、自分ができ得る限り守る事が出来ますから」

 

屈託のない笑みを浮かべる。その明るい口調を聞いた輝哉は、これから話さなければならない内容を思い、悲しげな顔を浮かべる。

 

「–––––今から話す事はあくまでも過去の話だよ、権兵衛。それを理解して欲しい」

「過去の話、ですか」

 

輝哉の言葉の端から何かを感じ取ったのか、権兵衛の口が引き締められる。僅かに沈黙が流れた後、輝哉が穏やかな声色で話始める。

 

「鬼殺隊の本部に眠る資料を確認した所、過去に三人、鈴の呼吸の使い手がいた事が判明した。君を含めれば、今までに四人の使い手がいた事になるね」

「…………」

 

その事実を聞いても、権兵衛はなんの反応も返さない。その後に続く言葉を待っているからだ。

 

「彼らは苗字や出自、年齢も大きく異なっていた。けどね、一つだけ、共通した事実があったんだよ」

 

そこで息を止め、瞳を伏せる。その仕草を見た権兵衛は続く言葉を静かに待つ。

 

「それは、彼らの死因だ」

「死因、ですか」

「そう。––––––鈴の呼吸の剣士は皆、上弦の鬼と差し違えて死亡しているんだ」

 

生暖かい微風が産屋敷邸に流れる。植えられた木々が揺れ、ざわざわと騒めく。どれくらいの沈黙が流れただろうか、その風が止んだ後、権兵衛が堅く結んでいた口を解いた。

 

「––––そうですか」

 

––––その言葉は、穏やかな海のように静かな声色だった。鈴の音のように煌びやかでも流麗でもない、ただ淡々とした声。その声色が、何より権兵衛の気持ちを表していた。

 

「鬼舞辻無惨は、君の事を相当憎んでいる。まず間違いなく、強力な鬼を差し向けてくる」

「そうでしょうね。あれだけ多くの手下を殺めたのです、苛ついて当然でしょう」

「…もしかしたら、次に遭遇するのは上弦の鬼かもしれない」

「覚悟の上です。その時は自身の全霊を尽くし、彼の悪鬼を滅殺してみせます」

「––––死ぬ気なのかい、権兵衛」

 

この百年、上弦の鬼を殺めて見せた剣士は誰一人としていない。そして、遥か昔に上弦を打倒せしめた鈴の呼吸の剣士も、その激闘で命を落としている。

この話を輝哉は聞いた時、脳裏に上弦の鬼と差し違える権兵衛の姿が容易に想像できた事実に、一人恐怖した。権兵衛ならばやりかねない、いや、間違いなくそうするだろうという確信が彼の心にあった。

 

「極力死なないように立ち回ります。私も、まだ死にたくはありません」

「…そうか」

 

その言葉を聞き、僅かに声色を和らげる輝哉。しかし、「––––ですが」と権兵衛が言葉を続ける。

 

「市井の人達や隊士が襲われている場合は、その限りではありません」

「––––身代わりになって死ぬ、ということかい」

「はい」

 

確認を取る輝哉に小さく頷く。その口調からは、自分が皆を助けるという傲りや、浅はかな英雄願望は、一切読み取ることのできない。自然体で発した言葉であるが故に、輝哉は自身の想像が間違っていない事を悟る。

 

「…君が死んだら、柱の皆や、大勢の人達が悲しむ」

「それは、誰が死んでも同じです。私は、私の命が特別だとは思えません」

「……蝶屋敷の人達と随分親しいと聞いたよ。彼女らを、泣かせる気かい?」

「–––––––それは」

 

輝哉の言葉に、初めて言葉を詰まらせる。その沈黙が、権兵衛がどれだけ蝶屋敷の皆を想っているのかを物語っていた。

–––しかし、その想いだけで立ち止まれる程、小屋内権兵衛の覚悟は小さくも無いのだ。

 

「…自分が死ねば多分、屋敷の皆や妹は泣くでしょう。彼女達は優しいですから」

 

噛み締めるように呟く。置いてかれる辛さを人より多く味わってきた彼だからこそ、その言葉には重みが含まれる。

 

「それでも、三日も泣けば彼女らは前を向いてくれます。あの人達は優しいですけど–––––––––それ以上に、強い人達ですから」

「…君は随分、蝶屋敷のみんなを信頼しているんだね」

「自分を側に置いてくれた女傑達です。彼女らがいる限り、鬼殺隊は安泰でしょう」

 

抑揚のない、聞き心地の良い言葉に輝哉は目を伏せる。–––––こんなにも優しい少年が、死を覚悟しなければならない現実を憂いているからだ。

 

「私は、私の意思で戦場に鈴の音を鳴らします。上手く祈れるかはわかりませんが…それでも、自分なりに頑張りますよ」

 

祈るという、権兵衛らしからなぬ言葉に違和感を覚えた輝哉が口を開く。

 

「珍しいね、権兵衛が祈るなんて言葉を使うなんて」

「師範から頂いた書物の冒頭に刻まれていたんです。『悪鬼ヲ滅スルハ鈴ノ祈リ也』と」

「鈴の、祈り……」

「どんな意図で記された言葉かはわかりません。ですが、何らかの意図があるのかもしれません」

 

シャリンと音を立て、権兵衛が鞘から鈴鳴り刀を抜刀する。いつもよりも眩く輝く月に照らされたその刀は、ついさっきまで血に塗れていたとは思えないほど綺麗に輝く。

徐にその場から立ち上がり、それを片手で振り下ろすと「シャリン」と音を鳴らす。

 

「…綺麗な音色だね」

「自分もそう思います。ですが、担い手がこれでは形無しです」

 

自嘲したように笑うと、チャキンという金属音とともに鈴鳴り刀を納刀する。

 

「件の書物には、他に何か書いてあったのかい?」

「鈴の呼吸の型の動きが事細かに記されている点と……これはまだ解読できていないのですが恐らく、舞の手順のようなものが記されていました」

「…舞?」

 

鈴の呼吸とは全く関係のない言葉に疑問を零すが、それに権兵衛も同調する。

 

「私も詳しいことはわかりません。難解な言い回しが多く、読むのに難儀している所でして…」

「目下解読中、ということだね」

「はい。なるべく早い解読を目指します」

 

その言葉を皮切りに、再び沈黙が流れる。穏やかな風が庭先の木を揺らし、池に波紋を投げ掛ける。

 

「…私から一つ提案があるんだよ、権兵衛。聞いてくれるかい?」

「命令ではなく、提案ですか」

「そう。あくまでも私のわがままだからね」

「はぁ…それで、提案というのは…?」

 

輝哉が静かに口を開く。

 

「上弦の鬼の襲来に備えて、権兵衛には常に柱の誰かと行動してほしいんだ。…頼めるかい?」

 

僅かな沈黙。先程よりも冷たい風が肌を撫で、藍色の羽織の端が揺られる。

 

「…一剣士である自分には、いささか過剰な待遇かと思います」

「君のおかげで首都近辺の鬼の掃討がかなり進んだ。一人を君に着かせる事くらいは問題ないさ」

「…柱の方々が納得するとは思えませんが」

「いや、間違いなく納得するだろう。寧ろ、この話を持ちかけたら喜んで手をあげてくれるだろうね」

 

権兵衛の言葉に輝哉が蓋をする。柱は権兵衛の重要性を十二分に理解しているし、彼自身の人間性も高く評価している。この話をもちかければ、宇髄や煉獄辺りは間違いなく手をあげるという確信が輝哉にはあった。

 

「…自分は随分と慕われているのですね。本当に、ありがたいことです」

 

微かに震える声色に、輝哉が頷く。

 

「これも、一重に君の成してきた功績と、直向きな君を見てきた彼らの評価だよ」

 

穏やかな日差しのように、優しげに笑う輝哉。対する権兵衛はその言葉に笑みを浮かべ、口元を和らげる。

 

「……前までの自分ならば、にべもなく断っていたのでしょう。自らの死地に、誰かを巻き込みたくないと」

「––––権兵衛」

「ですがそれは、自分を叱ってくれた人たちに対する侮辱だと、私は考えます」

 

権兵衛が伏せていた顔を上げ、空に浮かぶ月を見上げる。そこには、満月に近い月が眩く輝き、権兵衛と輝哉の二人を照らしている。

 

「–––心得ました。柱と協力し、かの上弦の鬼を討伐してみせます」

 

凛とした声だった。普段の温厚な声色とは全く異なる、鋼を思わせる響きを聞き、輝哉は頷く。

 

「頼むよ、権兵衛」

「はい。任せて下さい」

「…それと、少しこっちに来てくれるかな?」

 

手招きをする輝哉に従い、足元まで寄る。すると、彼の掌が権兵衛の頭に載せられ、優しく撫でられる。

 

「私の願いを受け入れてくれて、本当にありがとう。どうか、生きて帰ってきて欲しい」

「–––––明日死ぬかもしれない隊士に心を裂いても、苦しいだけですよ」

 

小さく呟く。鬼舞辻に目をつけられて、今後無事に生きていられると思うほど、権兵衛は楽観的ではない。早いか遅いかはともかく、必ず命を落とす事を覚悟しているからこそ、輝哉の優しさを突き返す。

 

「構わないさ。私の心よりも、君の方が苦しいだろう?」

「…約束は出来かねます。私は貴方に、待ち人にはなって欲しくありませんから」

「それでも、だよ」

 

なおも頭を撫で続ける輝哉に何を思いついたのか「すいませんお館様、今から少しお時間を頂けませんか?」と輝哉の顔を見る。

 

「別に、構わないけれど…」

「ありがとうございます」

 

僅かな困惑とともに輝哉の手が離れたのを見計らって、権兵衛が立ち上がる。そのまま刀の置かれた場所まで戻ると、鞘に収められた鈴鳴り刀を手に持つ。

 

「––––––すぅ」

『シャリン、シャリン』

 

一息に刀を引き抜くと、先程よりも鮮明に鈴の音が鳴る。

そのまま鞘を地面に置き刀を肩に構えると、シャンと鈴が鳴り始める。徐に始まるその剣舞は、目の見えない輝哉にも流麗だとわかる程に、洗練されている。

 

「これは……鈴の呼吸の舞か」

 

心地よい鈴の音に、光を映すことのなくなった瞳を閉ざす。彼の両の手を握る二人の童もまた、その舞に目を見開く。

 

––––––鈴の呼吸、伍の型。神楽舞・天女

 

瞳を閉ざし、尚も流麗に舞うその姿は、彼が生粋の剣士である事を忘れてしまうほど、流麗な舞だった。

 

「…凄い」

 

誰かが口にした言葉だったか。満月に近い、明るい月に反射した鈴鳴り刀からは際限なく鈴の音が響き、産屋敷の庭に響いていく。

さざめく木々に小池の水の音、小石を弾く音ですら、その舞を引き立たせる材料となる。その舞は当に、神前に捧げられる神聖な舞そのものだった。

 

「–––––––以上です」

 

どれほど鈴の音が鳴っただろうか、その舞は瞳を開けた刹那に終わり、チャキンという金属音と共に鈴鳴り刀が鞘に収められる。

 

「これが、自分に出来る精一杯です」

「…凄かったよ。権兵衛は、舞うのが上手いんだね」

 

輝哉の賛辞に苦笑すると、再び地面に首を垂れる。

 

「必ず生きて帰る事を、お約束はできません。しかし、私は剣士として、鈴の呼吸の使い手として、過去の隊士同様、自らの責務を果たします。だからどうか、安心して下さい」

 

端々に力の籠もった言葉に、輝哉が「…そうか」と微笑む。

 

「なら私は、鬼殺隊の当主として、君が生きて人生を全う出来る事を願おう」

 

どこかに祈るようなその言葉に権兵衛が笑う。

 

「大丈夫です。私は、中々に打たれ強いですから」

 

再び微風が屋敷に吹き付ける。ザワザワとさざめく木々の音が屋敷に溶け、水面には小さな波紋が浮かぶ。いつぞやのように軽口を叩く小屋内権兵衛と、悲しげに笑う産屋敷輝哉の密談は、その音を最後に幕を閉じた––––––––。

 

 

 

 

 

_________________________

 

 

 

 

『–––––でしたら、しのぶさんみたいな女性が良いですね』

 

「平常心……平常心……」

 

机に並べられた薬学の資料や毒のサンプルを前に、一人呟く。冷静になろうと思い至り始めた資料作りだが、いざ始めるとどうにも集中できていない自分を自覚してしまう。

脳裏に思い浮かぶのは、先日の鬼殺隊定期報告会に顔を出した、とある一般隊員の事だ。

 

「あの子は、本当に…」

 

人の心に何か爪痕を残さないと気が済まないのか、なんて思考が過ぎる。それほどまでに、彼の印象が強く心に残っている事を自覚してしまい、机に顔を伏せる。

 

「–––そう言えば、彼はいつ帰ってくるんでしょう」

 

机の上にある、藤の花が入った小瓶を指で転がす。

昨晩には帰ってくる予定だった筈が、急用ができたと鴉が知らせてからまだ帰ってきていない。既に日は高く上り、眩い光を地面へと降り注いでいる時間だというのに、だ。

何かあったのではないか、と少しの不安が浮かぶが、彼ならば大丈夫だろうという信頼がその不安をかき消す。

 

「…さて、炭治郎君たちの様子でも見に行きますか」

 

このまま燻っていても意味がないと思い至り、席を立つ。そのまま部屋から出ると、突然現れた人影にぶつかり「あっ」と声を上げる。

突然のことによろめいてしまい、足元が覚束なくなる。そのまま転ぶ––––––前に、温かな腕に抱えられる。

 

「…えっ?」

「––––大丈夫ですか?しのぶさん」

 

驚いた様な表情と、申し訳なさそうな表情を混ぜた、言いようもない顔を浮かべた彼の顔が視界一杯に映る。少し垂れ目の優しそうな顔立ちに浮かぶ、深い藍色の瞳がこちらを掴んで離さない。微かに彼の吐息が当たり、少しくすぐったいと思うほど、近くに彼の顔が––––––––。

 

「ご、権兵衛君?もう離してくれて大丈夫ですよ?」

「…あっ、すいません」

 

柔らかな暖かさが離れ、地面に降り立つ。顔が急激に熱を持つ事を感じるが、なんとか冷静さを取り戻して正面に向き直る。

すると、僅かに頬を赤くした権兵衛君が頬を掻いて視線を逸らしているのが目に入る。

 

「こちらこそすいませんでした。怪我はありませんでしたか?」

「こちらは大丈夫です。すいませんでした、前も見ずに…」

 

ペコリと頭を下げる彼に「大丈夫ですよ」と微笑む。

 

「それより、帰っていたんですね」

「えぇ。つい先程」

 

咄嗟に手放したのだろう、床に落ちている雑嚢を肩に掛ける。

 

「何か急用があったみたいですけど、何かあったんですか?」

「鬼殺隊の本部から招集が掛かったんですよ。話がある、という事で」

「お館様が……?」

 

お館様が直接呼びつけた事実に驚く。柱合会議か、余程緊急の事案がない限り本部に呼びつけにならないお館様が、柱でもない権兵衛君を呼んだ事が異例だからだ。

 

「なんのお話があったか、聞いても大丈夫ですか?」

「…あー、今回は喋れない内容でして」

 

バツが悪いのか、あははと乾いた笑みを見せる。

 

「何か重要な事だったんですか?」

「えぇ。––––すいません、これ以上は」

 

雰囲気に冷たい何かが入り込んだ事を感じ、「…まぁ、言いたくないのなら」の会話を終わらせる。「ありがとうございます」と礼を口にする彼だが、その雰囲気はいつもと少し違う様に感じた。

 

「–––大丈夫なんですよね、権兵衛君」

 

何が、なんて言葉を返す事なく、彼がいつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべる。

 

「はい、大丈夫ですよ」

「…なら良いです。もうお昼過ぎですけど、ご飯は食べてきましたか?」

「近くの街で蕎麦を食べてきました。美味しいお店だったので、今度紹介しますよ」

「それは楽しみです」

 

他愛のない会話を挟んだ後「それじゃあ、一度部屋に戻ります」と言い、その場を後にする彼を笑顔で見送る。

視界から彼が消えた事を確認した後、そっと両腕を、さっき抱えられた部分を抱える。

 

「…思えば、男性に抱き抱えられたのは初めてかもしれません」

 

温厚そうな顔立ちからは想像もつかないほど、鍛えられた身体だった。宇髄さんや悲鳴嶼の様な鋼を思わせる筋肉ではない、どこかしなやかさを秘めた筋肉。

自分と僅か二寸程度しか変わらない背丈にも関わらず鬼の首を容易に切る事が出来るのは多分、あの身体に理由があるのだろう–––––そこまで考えた辺りで、何を考えているんだと自分の中で落ち込む。

 

「…炭治郎君達の所に行きましょうか」

「しのぶさん?」

 

突然の言葉に思わず肩を震わせる。振り向くとそこには、洗濯したばかりの白い包帯を山の様に抱えた柊さんが立っていた。

 

「ひ、柊さん?何かありましたか?」

「い、いえ…しのぶさんこそ大丈夫ですか?何か上の空でしたけど…」

「大丈夫です。少し考え事をしていただけですから」

 

前屈みになり、怪しむ様な素振りを見せるが、やがて「…まぁ良いです」と姿勢を正す。

 

「兄さん程ではありませんが、しのぶさんも無理をしがちなんですから。ちゃんと休まないとダメですよ」

「分かってますよ。現に最近はよく眠れていますから」

「それはよかったです–––そうだ。今アオイさんが大学いもを作っているんです。良ければ如何ですか?」

「大学いも……良いですね。後でお邪魔しますとアオイに伝えておいて下さい」

 

「わかりました」と頷くと、包帯を抱えたまま廊下の影に消える––––その時「あぁそれと」と首だけ振り向く。

 

「しのぶさん、また体重が減っていますよ。忙しいのは理解しますが、ちゃんとご飯を食べて下さいね」

「–––––えぇ」

 

その言葉を最後に消える柊さんを見て、一つ息を吐く。

 

「–––ごめんなさい、柊さん。私の体重はもう、増えることはないんですよ」

 

懺悔のような呟きは、誰の耳にも届くことなく屋敷の廊下に消えていく。縁側から見える太陽の光にどこか虚しさを感じながら、私は炭治郎君達の所へと向かった––––––––。

 

 

 

 

 

_______________________

 

 

 

 

 

 

「…うーむ」

 

部屋に用意された、小さな机の前に筆を持って唸る。机には手紙用のしっかりとした真っ白な紙が置かれ、そこにはなんの文字も書かれてはいない。

炭を擦って筆を取ったまでは良いものの、書く言葉が全然浮かんでこないというのは問題だ。師範の下でちゃんと勉学に励んでおけば良かったと今更ながらに思うが、言ってもどうしようもない為ため息しか出てこない。

 

「けど、とりあえず題名はこうだよな」

 

紙の左側に多少大きく『遺言』と筆を走らせる。達筆とはとても言えない文字ではあるが、読めない文字ではないから良しとする。

 

「なんて書こうかなぁ……」

 

産屋敷から帰る途中に、近くの街で買ってきた高い紙だが、何を書けば良いのかが思い浮かばない。

今までの鈴の剣士達は皆、上弦の鬼と刺し違えて死んでいると聞いた時、書かなければならないと思ったこれだが、中々どうして内容が難しい。

 

「資産は取り敢えず妹に処分は任せるとして…後は何を書こう」

 

事務的な事を書き終えると、そこには大量に余白が残っている。買ってくる大きさを間違えてしまったと思い至るが、この余白に何か気の利いた言葉でも書こうと考える。

取り敢えずは蝶屋敷のみんなへの御礼でも書こうかな、そう思って筆を走らせ–––––––––。

 

「兄さん?入りますよ」

 

–––––––瞬間、机には置かれた紙を目にも止まらぬ速さで丸め、雑嚢に叩き込む。

その直後、何やら良い匂いのするものを持った柊が戸を開けて入ってくる。机の上にある墨と筆を見たのか「珍しいですね」と覗き込む。

 

「兄さんが墨を使っているなんて…万年筆はどうしたんですか?」

「いや、ちょっと気分転換をと思ってね」

「ふーん……?」

 

ジト目を向けられるが、笑みを浮かべて誤魔化す。その目はすぐに終わり、「兄さん、これ」とお皿を渡してくる。

砂糖の甘い匂いとさつま芋のほのかな匂いが混ざったそれは、自らの予想通りのものが載せられていた。

 

「大学いもか。美味しそうだね」

「アオイちゃんが作ったんですよ。おやつにでもって」

「ありがとう。後でお礼を言いに行かないとな……」

 

差し出されたその皿を手に取る–––––が、強い力で掴んでいるのか、受け取る事が出来ない。いつぞやの時と同じ状況に眉を潜め、「…柊?」と視線を向ける。

 

「その前に、少し相談があるんです」

「相談?柊がか?」

 

「はい」と頷くと、ストンと正面に正座する。大学いもの乗った皿を手放すと自分も正面に向き直り、彼女と視線を合わせる。

 

「それで、相談って一体どうしたんだ?」

「その前に、ここで話すことは他言無用です。良いですね?」

「…物騒な話なら勘弁だぞ?」

「違いますよ。…これは、とある隊員の話です」

「とある隊員?」

 

やたらと濁った言い方に疑問符を浮かべるが、そのまま聞き続ける。

 

「その人は優秀な鬼殺隊員です。今まで多くの鬼を屠ってきています」

「…それで?」

「その人は身長が151cm、体重が37kgなんです」

「–––––体重が、37kg?」

 

身長151cmに対し、体重が37kgというだけで相当な痩せ気味という事がわかる。しかし、それだけならただ痩せ気味な女性というだけで、もっとご飯を食べろと言えば済む話だ。

–––問題なのは、その人が優秀な鬼殺隊員という一点に尽きる。

 

「鬼を殺すだけの筋肉があるのにその体重…内臓に何か疾患があるのかも知れないね」

「私もそう考えているんですけど…」

 

柊も頭を悩ませているのか、うーんと首を捻っている。

 

「所で柊、その人って一体…」

「…ごめんなさい、医者として、個人情報はお伝えできないんです」

「いや、そうだよな。変な事を聞いた」

 

申し訳なさそうに目を伏せる柊の頭に手を置き、二、三度ほど撫でる。

 

「とにかく、その人には一度精密検査を受けてもらった方がいいかも知れないね」

「ですね。私から打診してみます」

「それが良いと思うよ」

 

彼女の中で結論が出たのか、「それじゃあ私はアオイちゃん達と大学いもを食べるので」と立ち上がる。

仲良くおやつを食べるという柊の言葉に自然と笑みが溢れる。

 

「わかった。後で自分からも伝えるけど、アオイさんに大学いもありがとうって伝えておいてくれ」

「わかりました–––––それと兄さん」

「なんだ?」

 

天女のような優しい笑みを見せる柊に、目を細めて笑いかける。

 

「相談に乗ってくれたから詳しくは言及しませんが、隠し事をするんだったらもっと上手くやって下さいね?雑嚢の中に入っているそれ、最初からわかっていましたから」

「–––––––あ、あはは」

 

「それでは」と颯爽と部屋から出て行った柊に手を振り、そのあと息を吐く。––––––どうやら、蝶屋敷で遺書を書くのは辞めたほうが良いようだ。

 

「…それにしても、体重37kgか」

 

もう使わない墨をいらない紙に吸わせ、ゴミ箱へと捨てる。その際、柊から聞いたとある隊士の事が脳裏に浮かぶ。

 

『––––––ご、権兵衛君?もう離してくれて大丈夫ですよ?』

「…まさか、な」

 

背筋を嫌な感覚が走るが、首を振ってそれを有耶無耶にする。たしかに彼女は紙のように軽かったけれど、そんな疾患があるようには見えなかった。

 

「…さて、取り敢えずは頂きますか」

 

片付けが一通り済んだあと、爪楊枝の刺さった大学いもを手に取り、口の中に放り込む。

 

「–––甘いな」

 

砂糖の甘さとさつま芋の甘さが噛むたびに広がっていく。やっぱり甘いものは美味しいとどうでも良い事を考えながら、次の大学いもへと楊枝を突き刺した––––––––––。

 

 

 

 

 

 

_________________________

 

 

 

 

 

 

 

「…そうか。明日にはもう、みんな出立するんだね」

 

すっかり日の落ちた、明るい月が照らす夜。甚兵衛から小豆色の隊服へと袖を通し、藍色の羽織を羽織った権兵衛が少し寂しそうに笑う。

 

「はい。明日の診断で完治が認められれば、その日から自分たちは任務に向かいます」

「本当は行きたくなんてないんですけどね…」

「そんなことより勝負しろ鈴野郎‼︎」

 

権兵衛の姿とは相反して、炭治郎、善逸、伊之助の三人は白の病人服を着ている。完治の宣告を受けていない彼らは、まだ任務への参加を許されていないからだ。

権兵衛の肩には見慣れた鈴鳴り刀が吊られ、これから遊撃に向かう事が伺えた。

 

「こら伊之助!権兵衛さんに失礼だろう!」

「相変わらず元気が良いね、良い事だ」

 

猪頭をわしゃしわしゃと撫でる権兵衛に「うがぁー!」と声を上げる伊之助。猪頭にさえ目を瞑れば、愚図る弟をあやす出来た兄という構図で見る事が出来る。

 

「まさか全員カナヲちゃんに勝つなんてね。いや、正直驚いたよ」

「権兵衛さんの教え方が良かったからですよ」

「いや、確かに炭治郎よりは上手だったけどさ…」

 

現蟲柱の継子、栗花落カナヲに訓練とは言え、全員が勝ち星を挙げた事実を素直に称賛する権兵衛。並の隊士では歯牙も立たない相手に、僅か一月程度で互角程度に渡り合う事が出来ているのだから、彼らに光る才があるのは間違い無いのだろう。

 

「回復の呼吸は問題なし。止血の呼吸はまだ詰めが甘いけど…それも、実践で経験を積めば自ずと上達するだろう。本当に、よく頑張ったよ」

 

横に並ぶ三人の肩を叩き、誇らしそうに笑う。

 

「権兵衛さんのお陰です!忙しいのに、俺たちの面倒まで見てくれて…本当にありがとうございました!」

「そんなことはない、頑張ったのは君達なんだから、そこはもっと自信を持って」

 

「そうだ」と何か思い立ったのか、権兵衛が懐に入れていた布を取り出し、それを開く。そこには、赤、青、黄色に染められた、三つの鈴が入っていた。

 

「あの、これって…」

「これは、俺からの細やかな贈り物だよ」

 

赤の鈴を炭治郎に、青の鈴を伊之助に、黄の鈴を善逸に手渡す。それぞれが鈴を揺らすと、音色が違う事に気づく。

 

「それぞれが音に気づくように、音色を変えてある。視界を遮られた時に鳴らすと良いよ」

「ありがとうございます!」

「なんだ?これがあると鬼を殺せるのか?」

「いや、そんなわけないだろ」

 

各々がその鈴を持った事を見ると、権兵衛が目を伏せて呟く。

 

「––––君達の行く末を、その鈴が導きますように」

「なんです?その言葉?」

「師範からの受け売りでね。鈴は魔除けの意味もあるけど、それを持つ人の道を示す為のものでもあるからさ。君達の活躍を、蝶屋敷から願っているよ」

「その、権兵衛さんは、今から任務ですか?」

 

善逸の言葉に頷く。

 

「そうだね。少し遠出になるから、明日までには帰れそうもない。見送りをする事は出来ないけど、そこは許してほしい」

「いえそんな…!その、頑張って下さい」

「ありがとう、善逸君」

「権兵衛さん!最後に質問良いでしょうか?」

 

気遣う言葉に笑みを浮かべると、炭治郎が手を上げる。

 

「構わないよ。何か聞きたいことでもあるのかい?」

「ヒノカミ神楽って言葉、聞いたことありませんか?」

 

「ヒノカミ神楽…」と僅かに眉を潜めたあと、肩を竦める。

 

「…ごめん、聞いた事はないね」

「そうですか……。それじゃあ、火の呼吸については?」

「…それも、ないかな。力になれなくてごめん」

 

聞いたことのない単語を聞き、頭を下げる。それを見て「気にしないで下さい!俺もよくわかっていないんですから!」と炭治郎が慌てふためく。

 

「所で、それが一体なんなのか聞いても良いかな?」

「はい。元は自分の父が使っていたんですけど…この前の那田蜘蛛山の時、その舞を思い出したら技が使えたんです。権兵衛さんの剣もとても綺麗だから、何か知っていると思ったんですけど……」

「舞……わかった。こっちでも少し調べてみるよ。何かわかったら、鴉を使って連絡する」

「お願いします!」

 

「舞」という単語にどこか鈴の呼吸に近いものを感じると、頭を下げる炭治郎の頭を二、三度撫でる。

 

「夜も遅い。明日から任務なんだから、もう寝たほうが良い」

「わかりました。権兵衛さんも、頑張って下さい‼︎」

「今度会ったら勝負だからな!覚えておけよ!」

 

揃って屋敷の中に戻っていく三人を眺めた権兵衛は、掌を固く握り締める。

 

「–––––死ぬなよ、三人とも」

「…それは、権兵衛さんもでしょう」

 

多少棘のある声色に振り向く。そこには、腰に手を当て、微かに怒気を露わにしているアオイの姿があった。

彼女の姿を見ると、権兵衛が「起きていたんですね」と笑う。

 

「まだ夜は更けたばかりですから。それより、これから遊撃ですか?」

「はい。少し遠出になるから、明日には帰って来れそうもありません」

 

遠出、という言葉に眉を潜める。

 

「…あまり遠くに行くなとしのぶ様から言われていると思いますけど?」

「あはは…すいません。帰ったらお説教はちゃんと聞きますから」

「お説教を言われないようにして下さい。全く……」

 

乾いた笑みを零す権兵衛にため息を吐く。何度言っても変わらないのだからと割り切っている彼女だが、だからと言って言わなくても良い理由にはならないのだ。

 

「…ちゃんと帰って来ますよね、権兵衛さん」

「–––––えぇ、必ず」

「…なら、良いです」

 

藍色の瞳と青い瞳が交錯すると、アオイが後ろ手から竹の葉に包まれた何かを差し出す。

 

「これ、おにぎりです。良かったら食べてください」

「ありがとうございます!本当、いつもすいません」

「気にしないでください。これくらいしか、わたしには出来ませんから」

 

差し出されたそれを受け取ると、権兵衛が「そんな事ありません」とかぶりを振る。

 

「アオイさんのお陰で本当に色々助かってます。だから、自分を悪く言わないで下さい」

「………それ、権兵衛さんが言います?」

「…何がです?」

「–––なんでもありません」

 

疲れたように肩を落とすアオイに疑問符を浮かべる。この人はいつも…!と彼女の心の中に炎が灯るが、今言っても仕方ないと無理矢理割り切る。

再び権兵衛とアオイの視線を合わせると、彼女が小さく、けれどはっきりと口にする。

 

「行ってらっしゃい、権兵衛さん。ちゃんと帰ってきて下さいね」

「はい、行ってきます」

 

その言葉を皮切りに、背を向けた権兵衛の姿が門から外に消える。権兵衛が視界から消えた後も、アオイは門に視線を向け続ける。

 

「––––待ってますから」

 

月明かりが厚い雲に覆われていく中、か細い声は暗い夜空に溶けていく。彼女の小さな祈りは月に届く事なく、夜が更けて行った––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

_____________________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「–––––––鴉、情報を」

「目的地、無限列車‼︎行方不明者四十人以上、隊士モ三人消息ヲ絶ッテイル‼︎」

 

東から朝日の登る眩い、とある石の上。牛皮の水筒から水を一口煽ると、鴉からの情報に耳を傾ける。

 

「随分大きく動いているな……。何か他に情報はあるかい?」

「無イ!詳細ハ不明‼︎」

「聞き込みからやるしか無いかな」

 

丘の上から下を見下ろすと、駅を持つ大きな街が一望出来る。

 

「…酷いな」

 

あの街で四十人もの人が消えている事実に心が冷たくなるような感覚を覚えるが、頬を叩く鴉に意識を現実に戻す。

 

「とりあえずは腹拵えでもしようか」

「カァ!」

 

雑嚢から竹の葉に包まれたおにぎりを取り出す。紐を解くと大きめに握られたおにぎりが三つ綺麗に並び、端には沢庵が添えられている。

そのうちの一つを手に取り、三角の頂点を頬張ると硬めに炊き上げられたお米と絶妙な塩味が口の広がり、二、三度と食べ進める。

 

「美味いなぁ…」

「うむ!たしかに旨そうだな!」

「そうでしょう。なんたってこれはアオイさんが握った––––––––––」

 

バッと顔を横に向ける。そこにはうんうんと頷き、口の端から涎を垂らす金髪の男性–––––––鬼殺隊現炎柱、煉獄杏寿郎が佇んでいた。

目見間違えでは無いかと疑い目を擦るが、もう一度見開いた視界に再び圧を感じる顔が近くにある事から現実の事だと漸く理解する。

 

「……お久しぶりです、煉獄さん?」

「久しいな、権兵衛少年‼︎」

 

いつのまにか石の横に座っている煉獄さんに頭を下げる。––––気配なんて一切感じなかったぞ…。

そんな自分の戦慄を知ってか知らずか、「それよりも、だ」と彼の顔がこちらに近づく。

 

「そのおにぎり、一つ貰っても良いだろうか?」

「………どうぞ」

「かたじけない!」

 

竹の葉に乗ったおにぎりを差し出すと、目にも止まらぬ速さでそれを平らげる。「美味い美味い‼︎」と頷いているから気に入ったのだろうか、だったらもっと味わって食べた方が良いのでは、と考えてしまう。

取り敢えずは自分も食べてしまおうと食べかけのおにぎりを頬張る………中身は梅だった。

 

「アオイと言っていたが、それは権兵衛少年の許嫁殿か?」

「違いますよ。蝶屋敷に住み込みで働いている女性でして、色々と世話を焼いてもらっているんです」

「そうか!随分と手が混んでいるおにぎりだと思ったから、よもやと思ったのだがな」

 

手が混んでいる、という言葉に反応する。

 

「アオイさんは優しいですから。本当、見習いたい位です」

「君はもう少し自己評価をした方が良いな!」

「…皆さん口を揃えてそう言うんですね」

「皆が口を揃える程、君のそれが手に負えないと言う事だな‼︎」

「……うぐ」

 

完膚なきまでに叩きのめされてしまったので、沢庵をパリパリと咥えて不貞腐れる。「ハハハッ」と軽快に笑う煉獄さんに恨めしそうに見つつ、二つ目のおにぎりを少しちぎって鴉に上げる。

 

「煉獄さんこそ、最近働きすぎでは?」

「何を言う。最近は休みが多すぎて身体が鈍ってきた所だ」

「そうなんですか?」

 

彼の言葉に疑問を呈する。

 

「うむ!権兵衛少年が帝都付近の鬼を一人で殲滅する勢いで殺しているからだな!」

「……黙秘権を行使します」

 

歯に衣着せぬ物言いに閉口する。基本的に自分が悪い為、反論することが出来ないのだ。

 

「なに、悪いことでは無いのだ。権兵衛少年が鬼を滅する度に救われる人がいるのだからな!」

 

空を上げるの彼の横顔を眺める。しかし、やがてその視線がこちらに向けられる。

 

「–––ただ、そのために自分を蔑ろにするのは良くないと俺は思う」

「…否定はしません。事実ですから」

「当然だな!否定しようものなら、ここで一発指導しなければならなかった!」

 

にぎり拳を作る煉獄さんに苦笑する。

 

「–––どうして煉獄さんがここに居るのかは、聞きませんよ」

 

二つ目のおにぎりを一口頬張り、呟く。お館様の会話の後、示し合わせたようにここに居る彼に、どうしてなんて理由を問う必要が無いからだ。

 

「構わないとも。俺は俺の意思でここに居るのだからな」

「相手は上弦の鬼かもしれません。下手を打てば、煉獄さんと言えど死にますよ」

「それはどの鬼相手でも同じ事だ。いつ死ぬかなんてことに、一々怯えてなどいられない」

「–––––すいません。巻き込んでしまって」

 

堪らず下げた頭だが、その上に大きな掌が乗せられる。

 

「気にすることは無い。むしろ、長らく生きらえている悪鬼を誘き出してくれて感謝したい位だ」

「…しかし」

「それに、謝らなければならないのは俺の方だ」

 

自分の言葉を遮ると、掌を下ろす。

 

「どうして、煉獄さんが謝る必要があるんですか?」

「君が鬼舞辻無惨に目をつけられるほどに鬼を殺しているのは、一重に俺達柱の力が地方まで及んでいないからだ。本来なら、俺達の役目なのだがな…」

 

頭を下げる煉獄さんに笑う。

 

「そんなことはありません。貴方達は十二鬼月という、埒外の化け物を討伐する責務がありますから。地方に湧く悪鬼程度は私を含めた、他の隊士に任せれば良いのです」

「……時間があれば、ここでその勘違いを徹底的に正すのだがな」

 

渋々と言った様子だが、頭を上げる。

 

「さて、朝餉は済んだか権兵衛少年!」

「えぇ、ちょうど終わりました」

「よし!それじゃあ早速鬼の情報の聞き込みに向かうぞ‼︎」

「了解です–––––お願いします、煉獄さん」

 

差し出した右手が、大きな右手に握り返される。自分と良く似た、硬い掌だった。

 

「それと権兵衛少年。この一件が終われば、君は煉獄家で説教と訓練だから、覚悟しておくと良い」

「––––––えっ?」

 

「行くぞ!」と走り出す煉獄さんの後を慌てて追いかける。さっきの言葉が冗談だと良いなと空を見上げるが、そこには透き通るような青空があるだけで、答えを出してくれる筈も無かった–––––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

_____________________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「–––––––あの、煉獄さん。少し聞いて良いですか?」

「なんだ、権兵衛少年」

「街で聞き込みをした結果、なんの収穫も無かった事はわかりました」

「そうだな。どうやら相手は相当上手く事を運んでいるらしい」

「えぇ–––––だからって、進んで鬼の手の内に入る必要もないと思うんですけど」

 

窓枠の景色が流れ、雑多な音が耳に入る車内––––––無限列車の客室でぼやく。鬼の血鬼術がなにかも把握していないのに敵地に踏み込んだのだから、煉獄さんの豪胆さには舌を巻く。

 

「何を言う。手を拱いている間にも犠牲者は増えているのだ。ならば!ここは我々手練れ二人が囮となって鬼を引き寄せ、首を切るのが一番だろう!」

「仰っている事はわかります。ですが、もしかしたら十二鬼月が相手の可能性も––––––」

「そこの女中!牛鍋弁当を五つ頼む‼︎」

「駄目だ、全然聞いていない」

 

女中から受け取った牛鍋弁当をもの凄い勢いで食べ進めていく某炎柱にため息を吐き、窓枠を眺める。

 

「…思えば、列車に乗ったのはこれが初めてかも知れません」

「むっ?それは意外だな。てっきり使い込んでいるとばかり」

 

口の端に米粒を付けた煉獄さんが訪ねてくる。

 

「最高速度では明らかにこっちが早いんですけど、入り組んだ土地が目的地なら、自分の足で突っ切った方が早いこともありますからね」

「…やはり君は、少しおかしいようだな」

「煉獄さん程じゃあありませんよ」

 

日本中に鉄道が走れば良いのに、なんて絵空事が頭に浮かぶが、そんなことはありえないと頭を振るう。

 

「…それにしても、煉獄さん本当によく食べますね」

「権兵衛少年も食うか?」

「いえ、自分は結構です」

 

煉獄さんがとてつもない勢いで牛鍋弁当を食べ進めていくのを茫然と眺めている–––––––––そんな時だった。「あれ?」という、間の抜けた言葉が耳に入ってきたのは。

 

「……冗談だろう?」

 

恐る恐る声のした方を向く。そこには、予想通りの人物が三人、雁首を揃えて驚いたように目を見開いていた。

 

「なんで、権兵衛さんがここに…?」

「なんだ!お前も主の腹の中に入ったのか‼︎」

「ちょ、伊之助!その格好であんまり騒ぐなって…!」

 

揺れる車内で目を見開く。炭治郎の言っていた任務が無限列車のことを指していた事を理解し、脳を木材でぶつけられたような衝撃を覚える。

 

「君たちは権兵衛少年の継子達か!」

「いえ、彼らは違います。というか、わたしは柱ではないので継子は居ません」

 

山のように積み上がっていた牛鍋弁当を女中の人に渡すと、煉獄さんが三人を見る。

 

「…ちょっと待って下さい。柱と権兵衛さんが一緒にいるってことは、今回の鬼って相当強力なんじゃ…」

「そうだな!俺個人の主観だが、今回の一件は十二鬼月が手を引いていると考えている!」

「ギャー!やっぱりぃぃぃぃぃ!やだ俺列車降りる!」

「ちょ、善逸!列車の中で騒ぐのは辞めるんだ!」

 

周りの視線が集まってきたので、「とりあえず座りなよ」と三人を促し、自分が席を立つ。「いえ、俺たちは…」と遠慮する炭治郎に「良いから」と無理矢理座らせる。

 

「自分は少し外の空気を吸ってきます。–––炭治郎君はヒノカミ神楽の事を聞きたいんだろう?」

「えっ?なんでそれを…」

「彼が炎の呼吸の使い手だからね…ゆっくり話してて良いから」

 

そう言って肩を叩き、傍に置いてある細長い木箱を持って座席から離れる。客室から外に出ようと扉を開けると、そこに顔の痩けた男性の車掌と鉢合わせる。

 

「おっと、すいません」

「いえ…それより、切符を拝見します」

「あぁ、はい」

 

その顔を見て、病気なのかなんて取り止めのない考えが浮かぶ。

懐から取り出した切符を渡し、改札鋏で切符を切って貰う。そのまま切符を受け取り、外に向かう–––––––––直後、視界がぐにゃりと曲がる。

 

(–––––これは、血鬼術か⁉︎)

 

意識に作用する血鬼術だと瞬時に理解し、炭治郎君達に声を発しようと振り返るが、思ったより術の周りが早く、もはや意識が朦朧として口が思うように開かない。

 

(ま、ずい…意識が––––––)

 

足腰に力が入らず、力なく床に倒れ込む。

 

(にげろ、みんな…!)

 

その言葉は届く事なく、自分の意識は闇に落ちていった––––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

_____________________

 

 

 

 

 

 

 

 

–––––––目が覚めたら、蝶屋敷の縁側だった。

 

「…あれ?」

 

なんで俺がここに居るんだ?鬼は、無限列車は……無限列車?

何やら思考が混乱している。なんで、俺は蝶屋敷の縁側に……。

 

「やっぱり、ここにいましたか」

「–––しのぶさん」

 

聞き心地の良い声に振り向くと、そこには花のように可憐な笑みを浮かべたしのぶさんが立っていた。

 

「駄目じゃないですか。怪我人が立ち歩くなんて」

「…えっ?怪我、ですか」

 

その言葉を聞き下を向く。そこには白の病人服を着た自分の身体があり、頬を触れば大きな貼り材が貼ってある。

 

「ほら、まだ意識が混濁しているんですから、無理をしては駄目ですよ」

「あ、あはは…すいません」

「全く…隣、失礼しますね」

 

「よいしょ」と横に座るしのぶさん。…何故だろう、いつもよりも雰囲気が柔らかい。張り詰めていた空気感が消えて、かわりに草原のように穏やかな雰囲気を纏っている。

 

「…ふふっ」

「何かおかしなことでもありましたか?」

 

突如微笑むしのぶさんに首を傾ける。すると、「あぁ、いえ」と俯く。

 

「こうして、二人でいる事が幸せだな、と少し思いまして」

「…そ、そうですか」

 

顔が熱くなる事を感じる。しのぶさんの顔もここなしかほんのり赤く、いつも以上に可憐に見える。

そうして少しの時を庭を二人で眺めているが、空気にいたたまれなくなったのでしのぶさんに話しかける。

 

「…あの、何か良いことがありましたか?」

「なんですか、急に」

「いえ、なんだか、機嫌が良さそうだったので」

 

「…そうですね」と小さく頷くと、静かに話し始める。

 

「もう、誰かの想いを背負う必要が無くなったので」

「…そうなんですか?」

 

疑問符を浮かべると、心配そうに紫色の瞳がこちらを見据える。

 

「–––––権兵衛君?本当に大丈夫ですか?」

「えっ?」

 

突如、しのぶさんの綺麗な顔が至近距離に迫り、額が当てられる。女性特有の可憐な匂いと藤の花に似た香りが合わさった良い匂いに顔が熱くなるが、やがて「…熱はありませんね」と顔が離される。

 

「やっぱり休んだ方が良いですよ。私が付きっきりで看病しますから」

「い、良いですよ!これくらい、大した怪我じゃないので」

「何を言っているんですか。鬼殺の貢献者で1番の重傷者なんですから、少しは私に甘えて下さい」

「だからそんな–––––––––えっ?」

 

–––––––今、しのぶさんは、なんて言った?

 

「…あの、すいません」

「うん?なんですか?」

 

変わらず微笑むしのぶさんに、少しの違和感を感じ始める。

 

「自分って、なんの任務で怪我をしたんでしたっけ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

何故だろう、先ほどから胸騒ぎが止まらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…やっぱり、まだ記憶の混濁があるんですね」

 

 

 

 

 

 

 

 

それに、酷く頭も痛くなってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、自分は一体……」

「良いですけど、それを話したら素直にベッドに戻ってもらいますからね」

 

 

 

 

 

仕方ないと言う風にため息を吐くと、笑みを浮かべて語る。

 

 

 

 

 

 

「–––––––––––権兵衛君が、鬼舞辻無惨を斃したんです。貴方が、鬼殺隊の悲願を成し遂げたんですよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

–––––––––––あぁ。なんて、悪趣味なんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

_________________________

 

 

 

 

 

 

「––––しのぶさん?」

 

(あれが本体ね…)

 

下弦の壱、魘夢様の指示を受けて少年の夢の中に入ると、視界に温厚そうな少年が目に入る。外見と全く同じ姿をしていることから彼が『本体』である事を察し、視界に入らないように死角に入る。

 

(精神の核は………)

 

壁を伝って行くと、夢の世界の端を見つけ、そこに頂いた錐を壁に向けて突き刺す。するとぐにゃりと世界が破れ、無意識の領域が開かれる。

 

(早く終わらせて、幸せな夢を見せて貰わないと…)

 

そのまま足を無意識領域に踏み入れる–––––瞬間、濃密な血の匂いが鼻に付き、思わず顔を顰める。

 

「なによ、この匂い…!」

「…あれ、なんで此処に生きた人が居るんですか?」

 

–––––––無意識領域を開くと、目の前に血に染まった少年が映った。長い黒髪は血を被って所々赤く染まり、白い肌が鮮血から垣間見える。そんな惨状にも関わらず、口元には穏やかな笑みを浮かべている。

 

「ひっ、な、なんで無意識空間に人がいるのよ⁉︎」

「…?おかしな事を言う人だなぁ」

 

その少年は右手に持つ血に染まった獲物–––––––短い鉈を肩に担ぐと、「ま、良いか」と勝手に納得し、女性の手を取る。

万力にも似た力に抵抗することも許されず、そのまま無意識空間の中に連れ込まれる。

 

「やめて!離して‼︎」

「駄目ですよ。これも心の平穏を保つ為です」

「何を–––––––えっ?」

 

初めて無意識領域の中を視界に映す。

そこには、数えることすら億劫な程の首から上がない死体が辺りに転がっている。白い床は見る影もないほど血に汚れ、足の踏み場を見つけるのが苦労するほど腐肉が散乱している。–––––そこは言うなれば、死体遺棄場だった。

 

「ひっ––––⁉︎」

「ほら、あそこでお姉さんの首を切りますからね」

 

中でも死体が積み重ねられた部屋の中心部。そこには、真っ黒な玉が血に塗れている。

 

(あれが、精神の核…⁉︎)

 

二つ程見てきたその精神の核だが、そのどれとも似つかないほどどす黒く濁ったそれは、離れていても分かるほどに酷い血の匂いを放っている。

 

「あれが断頭台です。元は綺麗な水色だったんですけど、とある一件から黒く染まってしまいました」

「何を言ってるの⁉︎貴方、何を言ってるの⁉︎」

「大丈夫ですよ。首を絶つ事には自信がありますから」

「––––このっ、クソ餓鬼‼︎」

 

何をどうしてもびくともしない様に苛つき、少年の額に空いた手で殴り付ける。その時、殴りつけた手が硬いものを打ち付ける感覚を覚える。

 

「––––痛いなぁ」

「…えっ?」

 

その時の少年の髪が揺れ、額が覗かれる––––その額には、二本の角が生えていた。

 

「暴れても意味ないですよ。さぁ、行きましょう」

「やだ!離して!離してよ‼︎」

 

先程よりも力強く引っ張られ、断頭台までの道のりを無理やり歩かせられる。足には肉を踏み潰す感覚が走り、一歩進むたびに身体中に返り血が跳ねる様に悪寒が走り、意図せず涙が溢れる。

 

「やだよぉ…離してよぉ……」

「駄目ですよ。ちゃんとやらないと行けないんですから」

 

ついには精神の核のところまで連れてこられ、そこに強く頭を叩きつけられる。頭をがっしり掴まれているせいで身動きを取ることもできず、視界は血に塗れた鉈を掴んで離さない。

 

「悪く思わないでくださいね。これが、心に作られた『鬼』としての俺の役割なんですから」

「辞めて!私は–––––––––」

 

私の悲鳴を聞く事なく、いとも容易く振り下ろされる鉈–––––––その直後、視界が急に明滅する。

景色が目まぐるしく変わっていき、最後に暗くなる。それは、夢から出られた時の感覚だった。

 

(夢から出られたの?けど、どうして–––––?)

 

けれど、そんな事はどうでも良い。鉈が振り下ろされる前に目が覚めて良かったと安堵する。

 

(何だったのよ、あの餓鬼は………)

 

閉じていた目蓋を開く。怖い思いをしてしまった、無意識空間に人がいるなんて、一体どう言う–––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはよう。人の夢を見れて楽しかったか?」

 

目蓋を開くと、先ほどの少年と同じように穏やかな笑みを浮かべた少年が、小刀を携えて微笑んでいた。

 

「–––––––––––えっ?」

 

 

 

 

 

 

 

__________________________

 

 

 

 

 

 

 

「邪魔しないでよ‼︎あんた達が来たせいで、夢を見せて貰えないじゃないか‼︎」

 

–––––地を駆ける無限列車の車内に、少女の絶叫が響き渡る。それを聞き、炭治郎は唇を噛み締める。

 

(この人達、自分の意思で鬼に協力を……!)

 

女性以外にも三人程度の男女が手に鋭利な獲物を持ち、ジリジリと近づいてくる。

 

(権兵衛さんは無事なのか?姿が見えないけど………)

 

彼の視界には権兵衛の姿が写っていない。席を立って外に向かった事まではわかっているのだが、それ以外の事はわからないのだ。

 

(早く権兵衛さんを探しに––––––––––––あれ?)

 

–––––この時、炭治郎の頭の中に冷たい滴が落とされるような感覚が過ぎる。その滴は波紋を作り、徐々に思考に浸透して行く。

 

『人を喰う鬼は憎いし、人を殺す人も同じくらい憎い。奴らの様な害獣相手に、哀れみや悲しみを持つ事は出来ない』

「––––––あぁ」

 

か細い声が炭治郎の口から溢れ、徐々に顔が青くなって行く。まさか、という嫌な思考が頭を走って仕方ない。

 

「今すぐそれを降ろして下さい‼︎早く‼︎」

 

何を考えたのか、顔を青くした炭治郎は叫ぶ。しかしその言葉に当然従う筈がなく、四人は「はぁ?」と怪訝そうな顔を浮かべるだけだ。

 

「何言ってるのよ、あんた?」

「良いから!俺じゃあ、あの人を止められません‼︎だから––––––––」

「………お、おい…嘘だろ…?」

 

突如、獲物を持った男性が青ざめた表情を浮かべ、地面にそれを落とす。乾いた音が車内に響くと同時に、ガラガラと車内扉が開かれる。

 

「––––––––お前ら、炭治郎君に何を向けているんだ?」

 

直後、鉛にも似た雰囲気が車内に充満する。それを感じた炭治郎は恐る恐る振り返り、その光景に目を見開く。

 

「ご、権兵衛…さん?」

 

彼自体に何か問題があるわけではない。見たところ怪我をしている様子も無く、顔色も至って普通だ。しかし、穏やかな光を湛えていた藍色の瞳が光を落とし、どうしようもない程に目が座っている。

–––––その彼の手には、呻き声を上げる女性が吊られていた。

 

「ひっ⁉︎」

「なによ、あの男…!」

「まさか、鬼の協力者がこんなにいるなんてな。これじゃあ見つけられない筈だ」

 

あっけらかんと言い放つ。そのまま無造作に吊っていた女性を車内の真ん中に投げる。ドサッという重い音と共に落ちた女性は「ガハッ」と声を上げると、何度も咳き込み必死に酸素を取り入れる。

 

「権兵衛さん……!」

「炭治郎君は下がっていると良い。血が入ると目に悪いから」

 

引き摺ってきた木箱を放り投げると、懐から水色の短刀を引き抜く。車内の照明に照らされた水色の刀身は綺麗な色を魅せる。

 

「待ってください!この人達は…!」

「自ら鬼に協力した悪鬼の配下だろう。–––全く、嫌な夢を見せてくれたものだよ」

 

炭治郎の擁護に、唾棄するように呟く。権兵衛の額には血管が浮かび、傍目から見ても激昂している事がわかる。

 

「嫌な夢って…!魘夢様は幸せな夢を見せてくれた筈よ‼︎」

「それが気に食わないんだよ。ただ他人から与えられた、幸福な未来なんて、悪夢以外の何者でもない」

 

「鬼らしい、浅はかな考えだ」と吐き捨てる。すると、チャキと短刀を斜に構える。

 

「鬼に進んで協力したんだ–––––末路は、言わなくてもわかるよな?」

 

権兵衛から放たれる殺意が四人に向けられる。持っていた獲物を地に落とし、カタカタと肩を震わせるが、そんな事はどうでも良いと権兵衛が車内を駆け––––––––。

 

「むーー‼︎」

 

––––––––その腕を、桃色の少女が掴んだ。

 

「禰豆子……!」

「––––なんの、つもりだい?」

「むー!むー!」

 

首をブンブンと横に振り、がっしりと腕を掴む彼女を権兵衛が見つめる。

 

「彼等は君とは違う、自分の欲望に他人を害する害獣だよ。それなのに、どうして止めようとする?」

「むーー!」

「…わからないよ、俺には」

 

そのまま強引に腕を振り解こうと力を込める–––––が、今度は炭治郎も同じように腕に捕まる。

 

「駄目です!権兵衛さんが、人を殺しちゃ駄目です‼︎」

「やめろ、炭治郎。どうして止めようとする?こいつらは…」

「人間です!彼等はまだ、人間なんです‼︎」

 

真っ直ぐな瞳が、権兵衛の濁った瞳を突き刺す。

 

「違う、こいつらは––––––」

「間違いを犯しても、人は罪を償ってやり直す事が出来るんです‼︎だから、刃を収めて下さい‼︎」

 

必死の形相を浮かべる炭治郎に困惑した表情を浮かべる。彼等は害獣だ、人を傷つける、鬼と変わらないのに–––––。

 

「それに、俺はもう、権兵衛さんのあんな悲しそうな姿を見たくないんです‼︎」

 

その言葉に一瞬動きを止める権兵衛––––が、再び拘束を解こうと力を入れる。そんな彼に対し、炭治郎は言葉を重ねる。

 

「蝶屋敷で隊士を殺した後の権兵衛さんからは、抱えきれない悲しみを感じました!権兵衛さんだって、辛いんでしょう⁉︎」

「…話は後だ。とにかく今は–––––」

 

早急に害獣の首を斬らないといけないと腕に力を込める。が、より一層強く掴まれて思うように動けない。

 

「むー‼︎」

「絶対に離しません!絶対に!」

 

より一層力強く腕を掴む二人。ねずこに至っては、目の端に涙すら浮かべている。その様を権兵衛は見つめる––––––その後、困った様に笑みを浮かべ、「参ったなぁ…」と頭を掻く。

 

「–––––全く、どこまでもお人好しな兄弟だよ」

 

それは、普段の権兵衛と変わらない、穏やかな声色だった。

 

「権兵衛さん……って」

 

瞬間、車内に風が流れる。それから数瞬すると、震えていた四人の男女がバタバタと床に倒れる。

炭治郎達が掴んでいた腕はそこには無く、件の彼は車内の反対側まで瞬く間に移動していた。水色の刀身を鞘にしまうと、権兵衛は「ふぅ」と息を吐く。

 

「そんな…!」

「殺してはいないよ。首元に一閃打ち込んだだけだ」

「…えっ?」

 

権兵衛の言葉に呆気取られる。

「目が覚めたら死ぬ程痛いだろうけど、そこは我慢して欲しいね」と肩を竦めると、再び炭治郎と禰豆子の前まで戻る。

 

「–––––一度人を傷つけた人間は、例外なく鬼になる。君は彼等が罪を償うといったけれど、彼等が改心せず、また人を傷つけた時どうするんだい?」

「…わかりません」

「それでも尚、彼等を生かせと?」

 

鋼の様な鋭さを持った視線が炭治郎に向けられる。その視線に対し、炭治郎は真っ直ぐな視線で応える。

 

「––––––はい。だって、人は変われる生き物ですから」

 

そう言うと、炭治郎はとある方向を見遣る。そこには、微かに震えているものの、戦う意志の見受けられない痩せた男性が立っている。

 

「あ、あの…謝って済む問題ではないかも知れませんけど、本当に、すいませんでした」

「…彼は?」

「あの人は、俺の夢の中に入ってきた人です。けど、あの人は俺に刃を向けませんでした。–––だからきっと、この人達も大丈夫です」

 

そう言い、地面に倒れ伏している四人を見る。

 

「…随分と、力技の理論だね」

「す、すいません!別に、権兵衛さんの今までを否定した訳では……‼︎」

「––––けど、うん。悪くない考え方だね」

 

ぷるぷると震えている禰豆子の頭を撫で、「怖い思いをさせたね」と微笑む。コクコクと頷く彼女に「ごめんごめん」と謝る姿からは、先程まであった氷の様な雰囲気が感じられない。

 

「時間を取らせて悪かったね。–––––それじゃあ、本題の鬼退治と行こうか」

 

すると、傍に落ちている木箱を徐に開き、中から長い日輪刀––––––––鈴鳴り刀を取り出す。

 

「はい‼︎」

 

––––––––黒煙を上げながら、無限列車は地を駆け抜ける。激闘の発端は、まだ開かれてもいなかった––––––––。

 

 

 

 

 

 

________________________

 

 

 

 

 

「––––––これは、一体…」

 

産屋敷輝哉の妻である、産屋敷あまねの驚愕した声が、彼の寝室に響き渡る。

 

「どうしたんだい、あまね?」

「……もしかしたら、私の見間違えかも知れません。ですから、まだお話する訳には–––」

「構わないよ。–––私の、痣についてだろう」

 

産まれてからずっと、輝哉の体を蝕み続けている呪い。恐らくその進行が早まったのだろうと思い至り、悲しそうに笑う。

 

「それで、私の痣は今どうなっているんだい?」

「–––––僅かにですが、色が薄くなっています」

「–––––––えっ?」

 

––––はじめは、聞き間違いかと思った。けれど、彼女のよく通る声は鮮明で、聞き間違いようが無かった。

 

「それは、本当かい?」

「はい…本当に僅かですが、間違いないかと」

「どうして、そんな……」

 

悪化する事はあれ、良くなることなど一度もなかったそれが、どうして突然と輝哉は考えるが、その時、ふと鈴の音が頭の中に鳴った様な気がした。

 

「–––––もしかして、鈴の呼吸の舞を聞いたから?」

「鈴の呼吸と言いますと…小屋内権兵衛さん?」

「確証はない。けど、確かめる価値はあると思う」

 

「鴉を至急、権兵衛に飛ばして欲しい」と頼むと、あまねが慌ただしい様子で寝室から立ち去る。

ひとり静かになった寝室で、微かに震えた声で輝哉が呟く。

 

「鬼舞辻を倒す以外に、我が一族が定命を生きる事は出来ないと思っていたけど––––––」

 

–––––もしかしたら、ほかに道があるのかも知れない。その事実に思い至った時、どうしようもなく心が震える。

 

「鈴の呼吸は、一体なんなんだ…?」

 

小屋内権兵衛が再興させた、由緒ある呼吸法。鬼の力を弱める型だとばかり思っていたけれど、もしかしたら、本質は別にあるのかも知れないと思い至る。

 

「…権兵衛、どうか無事でいてくれ」

 

彼の目には映らない満月が、厚い雲に覆われる。それは、権兵衛の行く末を示しているかの様だった––––––––。

 

 

 

 

 

 




夢の中の少年

小屋内権兵衛が心の中に飼う、鬼の側面を持った自分。始まりの鬼殺を経て、心を壊さぬ為に作られた安全装置。無意識領域に転がっている死体は全て、権兵衛が殺めてきた鬼と人である。



※小屋内権兵衛という名前について。

主人公の名前ですが、「こやないごんべえ」と「おやないごんべえ」の二つの読み方で混乱する、というご指摘を受けました。私個人としては「こやない」という読み方で考えていたのですが、一話後書きの一文から「おやない」と呼んでいる人が多い事実が判明しました。
読者の皆様に誤解を与えてしまった事、誠に申し訳ありませんでした。一話にて改めてルピを降らせて頂きます。どうかこれからも拙作をよろしくお願い致します。





▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。