「––––––あれぇ?起きたんだ?」
–––––強風が叩きつける無限列車の車両の上。そこには、人の良い青年の様な笑みを浮かべた存在が佇んでいた。
「まだ寝てて良かったのに、随分と早く起きたんだね?」
口調自体はとても柔らかく、聞くものの警戒心を解く声色している–––––が、その左眼には十二鬼月の証である「下壱」と刻まれている。
「…十二鬼月!」
「十二鬼月」と呼ばれる、鬼の中でも最上位に連なるそれを見て、炭治郎が小さく拳を握りしめる。
鬼の強さは人を食った数によって変わる。十二鬼月まで登り詰めたこの鬼は、恐らく百を下らない数の人を食ってきたのだと理解し、鋭い眼光を向ける。
「–––御託は良い。お前が俺に、あんな悪趣味な夢を見せたのか?」
強風が叩きつける車両の外だというのに、その声ははっきりと届く。
「悪趣味だなんて…とても良い夢だっただろう?」
「–––––まさか。紛れもない悪夢だったよ」
件の鬼、魘夢の言葉を皮切りに『シャリン』と鈴の音が鳴る。満月を背に抜刀する少年––––小屋内権兵衛が、ゆっくりとそれを右に開く。
「隙を見せたら斬り込め、炭治郎」
「はい!」
鈴鳴り刀の抜刀と合わせ、炭治郎も黒い日輪刀を鞘より抜き放つ。
「–––っ、その音色」
その音を聞いた途端、魘夢の表情が曇る。微かだが、脳裏に突き刺す様な痛みが走ったからだ。しかし、やがて「…あはは。僕は運が良いんだなぁ」と笑みを見せる。
「花札に似た耳飾りをした奴に、耳障りな鈴を鳴らす奴…お前たち二人を殺せば、僕は一体どれくらいの血を分けて頂けるんだろう?」
頰を赤くし、恍惚の表情を浮かべる––––––が、その表情は先程よりも鮮明に鳴る鈴の音によって遮られる。
魘夢が正面に視線を向けると、鈴鳴り刀を横に振り抜いた権兵衛が映る。その顔には何の感情も映し出されておらず、淡々とした視線が注がれている。
「–––––嫌な音色だな…耳障りだから、早く眠ってくれ」
『眠れぇ、眠れぇ』
––––––鬼血術、強制昏倒催眠の囁き
徐に突き出した左手の口から呪詛が放たれる。聞く者の意思に左右される事なく、強制に眠らせる言葉は二人にも届き–––––––––刹那、「カラン」という鈴の音と共に、魘夢の身体が右腕を残してから弾け飛んだ。
「––––––えっ?」
「煩いから、さっさと死ねよ害獣」
直後、楕円形の首が空を舞った。
_____________________
(振った所が見えなかった…!)
鬼に近づく素振りも、日輪刀を振り抜く姿も見る事が出来なかった。
聞こえたのは鈴の音だけで、瞬きをしたそこには、バラバラにされた鬼の姿があった。その一連の動作はまるで、幻術を見せられている様だった。
(俺と権兵衛さんには、隔絶した差がある)
簡単に追いつけるとは思っていなかった。けれど、機能回復訓練を得て、全集中の呼吸・常中を会得し少しは追いついたとばかり思っていた。
–––先はまだ遥か遠くで、壁はとても分厚い。
「炭治郎!油断するな!」
権兵衛さんの鋭い声に我を取り戻す。
「えっ?」
「–––––全く、本当に嫌な音色だね、その鈴。いや、刀が鳴っているのかな?」
背後に振り向くと弾かれた首が、列車と繋がって首だけで喋っている。
「その鈴の音が僕の術を阻害しているんだね…」
「あのお方の気に触る訳だ」と忌々しそうに吐き捨てる。
「手応えがなかった。恐らく本体じゃないんだろう」
「賢いね、流石は希代の鬼殺しってとこかな?」
血のついた鈴鳴り刀を振ってそれを落すと、鞘に納刀する。
「あれ?僕の事は切らなくても良いの?」
「無駄なことに労力を割く気はない。どうせ、その首も本体じゃないんだろう?」
権兵衛さんの問いに「ご名答!」と嬉しそうに笑う。
「今の僕は気分が良いから教えてあげる。君達が寝ている間に、僕はこの列車と融合したんだよ!」
「なっ–––––!」
列車と融合って、それじゃあ…!
「あはは、良い顔だね。その顔が見たかったんだよ」
「…悪趣味だな」
吐き捨てるように呟く権兵衛さんに鬼が笑う。
「この汽車に乗っている二百余名は僕の餌であり、人質さ!君たちに、二百余人の命を助け–––––––––」
直後、鈴の音と共に鬼の顔が三枚に下される。言葉を言い切ることなく首は肉片に変わり、空に消えていく。
「い、良いんですか⁉︎権兵衛さん!」
「必要な情報は取れた。問題はない」
いつのまにか抜刀したのか、藍色の刀身を月に反射させて呟く。そのあと、自分の肩に彼の手が置かれる。
「奴の本体を探せ、炭治郎」
「権兵衛さんが本体を探した方が…」
自分の言葉に頭を振るう。
「俺は探索には向いていない。だったら、鼻が効く君の方が適任だろう。…それに」
鈴鳴り刀を鞘に納めると、困ったように笑う。
「鈴鳴り刀は、列車の中で振るには長すぎるからね」
刀を一瞥して苦笑すると、それを背に吊る。その後、懐から漆に塗られた短刀を取り出す。
「乗客は俺がなんとかする。君は、一刻も早く本体を探せ」
「…わかりました!」
「頼むよ、炭治郎君」
そのまま別れようとする刹那に、鋭い叫び声が響く。
「––––––俺を忘れて貰っちゃ困るぜ‼︎」
荒々しい声と共に車両の天井が破られ、中から人影が露わになる。
「伊之助!目が覚めたのか‼︎」
刃こぼれした二振りの日輪刀を携え、上半身裸に頭に猪の被り物をした彼は間違えようもなかった。
「起きたか、伊之助君」
「なんだ、鬼はもう殺しちまったのか?」
首から上がない死体を見てぼやく。
「いや、残念ながらまだだ。鬼を殺すのは、伊之助君と炭治郎君の二人の仕事だよ」
漆塗りの鞘から鮮やかな水色の刀身が露わになる。水面を連想させるほどに磨き抜かれたそれには満月が綺麗に写り、幻想的な美しさを魅せる。
「俺は乗客を守る。–––––鬼の首は任せたよ、二人とも」
刹那、権兵衛さんの姿が消える。–––––任された以上、やり遂げるしかない。
「伊之助!鬼の本体を探すぞ‼︎」
「おう!何がなんだか知らねぇが、鬼は皆殺しだ!」
自らの鼻を頼りに、先頭車両へと進む。車両から鳴り響く斬撃音を頼もしく思い、全力で足を走らせた––––––––。
____________________________
–––––鈴の呼吸、漆の型
狭い車内の中を縦横無尽に駆け回り、蠢いている肉片を片っ端から削ぎ落としていく。
「…こうも数が多いと、辟易とするな」
短刀を振るう毎に血飛沫が舞い、車内を赤く染めていく。際限なく増え続ける肉の芽を延々と切り飛ばしながら、二両三両とを股に駆ける。
切り飛ばしたそれが百を超えるか否かの瀬戸際、ズドンと言う、豪雷の如き爆音が耳に届く。
「この音は…善逸君か」
雷の呼吸特有の鳴音が響く。彼が起きたという事は、この先二両は彼とねずこちゃんに任せれば良い。
「前二両は善逸君達が、真ん中三両は自分が、となると後方三両は……」
「–––––すまない!遅くなった‼︎」
その声の刹那、何かが衝突したのかと思うほどの衝撃が車両に届く。
「煉獄さん。後方の車両は?」
「問題ない!相当細かく刻んできたから、再生までに時間が掛かる筈だ」
「流石ですね」
相変わらずの適応力に舌を巻く。目が覚めた途端にそれだけ動けるのだから、やはり柱というのは別格なのだと今更ながらに思う。
「それより、権兵衛少年も眠らされていたのか?」
「えぇ、まぁ。––––––酷い悪夢でしたよ」
意図せず声色が冷たくなる。––––自らの恩人を、しのぶさんを利用した鬼に憎悪が湧き起こるが、今は乗客の安全が最優先だと思考を切り替える。
「鬼の本体は炭治郎君と伊之助君が追っています。二人ならば、間違いなく大丈夫です」
「君が鍛えたのだろう?なら問題はない筈だ!」
「そう言って貰えると幸いです」
「––––それよりも、だ。権兵衛少年は件の鬼を見たか?」
「左目に下壱と刻まれていました––––間違いなく、十二鬼月です」
「…そうか。相手はやはり、君を狙っていたのか?」
その言葉に一度頷き、「ですが」と口を開く。
「花札に似た耳飾りの奴、とも言っていました。恐らく、竈門炭治郎君の事でしょう」
「竈門少年も狙われている…そうか、鬼舞辻を見たからか」
「鬼舞辻を見た?炭治郎君がですか?」
自分の問いに「うむ。お館様が言ったのだから、間違いはない筈だ」と頷く煉獄さんを見て、顎に指を当てる。
「成る程…だから炭治郎君を……」
彼が狙われている理由がはっきりした。狡猾な奴の事だ、自分の顔を見た奴の事を生かしておけないのだろう。
他にも色々と聞きたい事はある–––––が、まずは乗客を助けなければ話にならない。刻んだ肉の芽が再び再生しているのを視界の端で捉え、彼に向き直る。
「真ん中の三両は自分が担当します。後方の三両は、お任せしても大丈夫ですか?」
「了解した!では、また後で合流しよう!」
再び轟音と共に後方車両に戻っていた彼を見送り、日輪刀を逆手に持ち替え疾走する。尚も蠢く肉の芽に対し、自分は刃を振るい続けた–––––––––。
____________________________
––––––––無限列車の変化は、唐突に現れた。
「––––––ッ⁉︎」
突如として足場が揺れ、車両全体が絶叫したのかと思うほどの奇怪な叫び声が響く。客室が縦横無尽に揺れ動き、呼吸を使わなければまともに動くことすら出来ない。
「これは–––––––!」
突如として消えていく肉の芽を見て、鬼の本体が討伐されのだと理解する。けれど、このままでは車両自体が横転し、乗客から負傷者が出ると脳裏で警鐘が鳴らされる。
「–––––権兵衛少年!聞こえるか⁉︎」
「っ、煉獄さん⁉︎」
後方の車両から鋭い声が届く。
「このままでは乗客に多くの死傷者が出る!技を出して列車の勢いを止めるんだ‼︎」
「–––––了解です‼︎」
その言葉に従い、反動をつけて列車の壁を蹴り、列車の窓から外に躍り出る。地面との反動を膝を使って無理やり押さえ込み、そのまま鈴鳴り刀を抜刀する。
「–––––鈴の呼吸、弐の型」
刃先を持ち替え、峰の部分を列車に向ける。大きく息を吸って酸素を取り入れ、身体に火を灯す。
「
上段から叩き切るように刀を振り下ろし、跳ねようとする列車を無理矢理地面に押さえ込む。巨大質量に押されて身体が跳ねるのを利用し、刀を横向きに薙ぐ。
––––––鈴の呼吸、参の型
尚も跳ねようとする列車に三閃、暴れ回る車体を地面に吸い付ける。
(まだだ、まだ足りない!)
暴れ続ける列車に技を縦横無尽に技を叩き込んでいく。鈴の呼吸に限らず、水の呼吸も利用して暴れる列車を押さえ込む。衝撃を抑えてくれる鬼の肉をなるべく削がないように技を出し続ける。
(死なせない、誰だって…!)
決死の思いで技を使い続ける。繰り出した技が十を超え、二十を超え–––––––––––。
「––––––止まった、か」
繰り出した技が三十を超えるか超えないかのあたりで止まった汽車を眺め、一息吐く。車体が潰れていない所を見て、なんとかなったようだと安心したからだ。
(…っ)
刹那、両腕に微かな痺れが浮かぶ。汽車という巨大質量に技を繰り出し続けたのだ、反動があって然るべきだろう。
「炭治郎君達は、無事なのか…?」
恐らく鬼の首を取ったのであろう二人の姿を目で探すが、姿を捉える事が出来ない。そのまま探しに行こうと脚を動かす–––––––––––直後、今まで感じた事のない重圧が背中に襲いかかる。
「………ッ」
濃密な気配。今まで遭遇してきた鬼のどれよりも濃い気配を感じるが、辺りを見回してもその正体を見つけることが出来ない。
鈴鳴り刀を鞘から抜き放ち、辺りを見回す––––––––その直後、空から落雷が降り注ぐ。
「ッ、なんだ⁉︎」
快晴の空から突如として降り注ぐ落雷を大きく跳躍する事で避ける。攻撃された方向へと視線を向けようとするが、その前に直感がこの場から離れろと強く警報を鳴らす。
その感覚に従いその場から離れる–––––刹那、自分が数瞬前に居た所に空気の壁とも言うべきナニかが地面に大きな跡を付ける。
「これは––––––」
「カカッ。まるで猿のような身のこなしよのう」
––––––––ソレは、暗い森の中から現れた。
天狗のような出立に、八つ手の団扇を手に取ったそいつは、舌に「樂」という文字を見せながら嗤っている。しかし、肝心なのはそこでは無い。
「上弦の、肆…‼︎」
右目に刻まれた「上弦」の二文字に、左目に刻まれた「肆」の一文字。それは、紛れもない上弦の鬼の証だった。
「––––腹立たしい。可樂よ、早くあのお方に鈴鳴りの剣士の首を献上するぞ」
「そう怒るな積怒。折角の獲物だ、楽しまなければ損ではないか」
もう一つの声が聞こえるが、森の影に隠れているのか姿を見る事ができない。奥からは草木の匂いに混じって、血の匂いすら感じる。
「本当に、上弦の鬼が現れるなんてな」
鈴鳴り刀を肩に構えて、「チリン」と音を鳴らす。すると奥から憤怒の声が再び響く。
「忌々しい鈴の音だ。腹の底まで響く、悍しい音色だ。そのような雑音を響かせていては、あのお方も心底お怒りになるだろう」
「違いない!では、早速始めようではないか‼︎」
森の奥からもう一人の鬼が現れる。似たような姿をしている事から分裂でもしているのかと勘繰る––––––が、あるものを見た途端、思考が停止する。
「––––––––––はっ?」
自分でも驚く程、間の抜けた声が溢れる。
別に、奥から現れたもう一人の鬼に驚いた訳ではない。その鬼の舌に、怒という悪趣味な刺青が入れてあるからでもない–––––その鬼が持っている、一つのものについてだ。
「お前––––––––––一体、何を、持っているんだ?」
「…なんだ、これが気になるのか?」
そう言うと、手に持っているそれが投げつけられる。それは鈍いを音を立てながらちょうど真ん中に転がり、その全貌が明らかになる。
「–––––あぁ」
それは、紛れもない人の頭部だった。赤黒い断面から地面に血が染み込んで行く事から、ついさっき殺された事がわかる。
––––問題は、その顔に見覚えがあるという事だった。
『貴方が来てくれて、本当に安心しました。けど、だからこそ思うんです–––私はもう、臆病者でありたくない』
その覚悟を持った視線を、俺は知っている。
『貴方は、自分のやってきた事を誇るべきだと思います–––助けられてばっかりな私が言うのもアレですけど』
照れ臭そうに話す声色を、俺は知っている。
『私は、私の命を諦めたりしない‼︎』
自らの胸を打った、あの言葉を俺は知っている。
「–––––––尾崎、さん」
けれどそれが、どうしようもないほどに儚いものだと言う事を、突きつけられた。
「ん?なんだ、知り合いだったか?それは可哀想な事だなぁ」
「––––ッ」
快活な笑みを浮かべていた口元は苦悶に歪み、目元には涙の跡がある––––その人は見間違いようもない、上総と那田蜘蛛山で出逢った、尾崎さんの頭部だった。
蝶屋敷を出て任務に復帰したのは知っている。見送りだってした。任務だから、死ぬ事だってあると頭では理解している、けど、けれど––––––。
思考が回り、考えがうまく纏まらない。すると、錫杖を持った鬼が口を開く。
「分裂を手伝ってもらってな。せめてものお礼に、一思いに殺してやったわ」
「そう言えば、死ぬ間際に誰かの名前を叫んでいたのう。確か––––––––」
可樂と呼ばれた鬼が嗤う。
「そうだ、権兵衛さんとな‼︎あれは傑作じゃったな!助けなど来るはずも無いのになぁ‼︎」
––––––––その言葉を聞いた時、脳の一部が焼き付いたような気がした。
___________________________
満月の月が地面を照らす夜。微かに残響が残る無限列車付近にて、ソレは土埃を巻き上げながら現れた。
「––––お前が鈴の剣士か?」
瞳に「上弦 参」と刻まれた、全身に模様の入った鬼が指を指す。その先にいるのは、白に炎を連想させる赤が入った羽織を着込んだ青年––––煉獄杏寿郎だ。
(上弦の鬼…!凄い重圧感だ…)
降り立った上弦の鬼を見て炭治郎が戦慄する。下弦なんて目じゃ無いほどの濃密な血の匂いが彼の鼻に付き、肩を震わせる。
「いや、残念ながら違う。俺は炎柱、煉獄杏寿郎だ」
煉獄が肩を竦め、首を振るう。
「炎柱!今まで戦ってきた柱の中に炎は居なかったが…素晴らしい闘気だ」
炎柱という単語を聞き、嬉しそうに口元を綻ばせる。…が、やがて残念そうに目元を下げる。
「しかし残念だ。今は命令を遂行する身、本来ならばお前と心ゆくまで闘争を–––––」
–––––炎の呼吸 弐の型 登り炎天
上弦の言葉を遮るように煉獄が刃を振るう。真っ赤な刀身は寸分の狂い無く鬼の腕を裂き、そのまま喉元へと迫る。
「権兵衛少年の元へは行かせん‼︎」
大きく距離を詰める煉獄に対し、地面を砕く程の跳躍をもって無理矢理距離を取る。
「素晴らしいな、杏寿郎‼︎」
「行かせん!何があっても‼︎」
––––––壱の型 不知火
距離を取った上弦に踏み込むが、あと少しの所で躱される。そのまま背後に下がり、斬られた部分の血を舐める上弦の鬼。
「素晴らしい剣技…任務が無ければお前を鬼に勧誘していた所だ。だが、俺の目的はあくまでも鈴の剣士、炎柱ではない」
その言葉を聞いた時、煉獄が徐に口を開く。
「–––––逃げるのか」
何気なく発した言葉だった。その言葉を耳にした上弦の参–––––– 猗窩座が微かに眉を潜める。
「…なに?」
「聞こえなかったのか。逃げるのか、と聞いたんだ」
「お前こそ何を言っている。聞いていなかったのか?俺の目的はあくまでも鈴の剣士、貴様のような……」
「鬼殺隊最強を誇る柱から逃げて、只の一般隊員を殺しに行くと言うのだな」
ピキリと、何かが張り詰める音が響く。
「–––どうやら今代の炎柱は頭が弱いらしいな」
「自分の臆病さを俺のせいにしてもらっては困るな」
煉獄が肩を竦める––––––直後、地面がひび割れる轟音と共に土煙が上がる。
「–––––予定変更だ、まずは貴様の脳髄から叩き潰す」
「臆病者に取れる程、炎柱の首は安くは無いぞ‼︎」
鋼のような拳と真紅の刃が交錯する。無限列車を舞台とする二つ目の決戦が今、幕を開けた––––––。
________________________
–––––一方、上弦の肆と権兵衛との戦闘は、甲高い鈴の音を皮切りに始まった。
–––––鈴の呼吸、壱の型 鳴き地蔵
権兵衛の振るった鈴鳴り刀の音色に二人が顔を顰める–––––刹那、可樂の団扇が左腕ごと空を飛んだ。
–––––弐の型 清酒一刀
流麗な水をも思わせる一振り共に「シャリン」と鮮明な鈴が鳴り響く。予備動作のない一振りに可樂は驚愕し、積怒が錫杖を構える。
「っ、貴様ァ‼︎」
万雷を思わせる雷が権兵衛に降り注ぎ、権兵衛の身体を焼いていく。
露出した肌がじりじりと焼け焦げていくが、先ほどよりも威力が弱まっているのか、それを無視して肉薄した可樂の首を切り飛ばす。
「ガッ–––!」
(威力が弱まっている–––!これが鈴の音の効力か⁉︎)
雷が有効打にならないと判断した積怒は錫杖を持って権兵衛と迫る––––が、突如頭に反響する鈴の音に足が鈍る。
–––––– 肆の型 天上麒麟
その致命的な隙を権兵衛が見逃すはずもなく、流麗な音色と共に頭と胴体が泣き別れする。
(こいつ––––––本当に人間か⁉︎)
脳裏で積怒が驚愕を露わにする。まだ全力を出していないとは言え、上弦の力を持った我々が瞬く間に首を跳ねられたからだ。
弱まっているとはいえ、雷を正面から受けたにも関わらず、動きが一切鈍っていない事実に微かに恐怖する。
「…本体じゃないのか」
権兵衛が小さく呟く。
首を跳ねられた二つの首、普通の鬼ならばここで鬼殺は終了となる–––が、かつて分身体を百を越す数を殺した権兵衛はこれで終わりではないと本能で理解していた。
事実、刎ねられた頭からは身体が、首を刎ねられた身体からは瞬く間に頭が生える。
「これ以上やらせるか、鈴の剣士‼︎」
可樂の身体から生えた鬼–––––哀絶が三叉槍を権兵衛に突き出す。
的確かつ迅速な槍捌きは、寸分違わず権兵衛の心臓へと向かい––––––––その柄を、権兵衛の腕に掴まれた。
「なっ––––––ガッ⁉︎」
体勢を崩された哀絶に肉薄し、その顔面に鈴鳴り刀の柄を思い切り叩きつける。顔面が潰れ、よろめいた所に日輪刀を振るう–––––前に、その襟元を掴む。
「こいつ、背中に目でも付いているのか⁉︎」
錫杖を構え、再び雷を放とうとする積怒へと投げ付けられる。勢いを持った肉体はそのまま積怒へと衝突し–––––瞬間、重なった身体に鈴鳴り刀が振るわれる。
–––––陸の型 暮れ破魔矢
「カランカラン」と鈍い響き共に二つの身体が鮮血とともに地面に崩れる。グシャ、と二つの肉体を権兵衛が踏み抜くと、どす黒く濁った瞳が残った二体の鬼へと向けられる。
「––––なんなのだ、こいつは」
顔の半分が鮮血に塗れる権兵衛を見て、再生したばかりの可樂が微かに震える。憎悪に満ちた視線と共に振るわれる刀が同族を薙ぎ倒し、その血を全身に浴びているのだから、恐怖を煽られるのも仕方ないと言えるだろう。
–––––漆の型 神風渡り
そう思った直後、権兵衛の姿が可樂の前から消える。視界から消えた権兵衛を捕らえようと視界を回すと、「馬鹿者!上だ!」と空喜の声が響く––––が、その声に間に合うはずもなく、やがて鈴の音と共に可樂の首が再び地面に落ちた。
(何故だ!何故身体の再生が遅い‼︎)
首を切られたばかりの可樂が呻く。本来なら瞬きの間に再生が終わる怪我であっても、回復の速度が鈍っている為治りが遅い。
それに、本来なら分裂する筈の体も、微かに肉片が動くだけで動き出す気配すらない。
(鈴の音が、これ程耳障りだとは…!)
鈴の音が鳴り響く度に脳裏に反響し、言いようもない頭痛が発生している。自らの血に反応する様なそれに、思わず耳を覆いたくなるほどだ。
「耳障りな事この上ない!消えろ童‼︎」
爆音、衝撃。上空より放たれる衝撃波が地面へと降り注ぎ、地表を抉り取っていく。
大量の土煙を巻き上げ、視界が利かなくなった空から空喜が嗤う。これだけの範囲を抉れば無事では済まないと確信しているからだ。
「–––––––なっ」
–––––尤も、その思い上がりの代価は土煙より跳躍する権兵衛によって支払わされるのだが。
–––––水の呼吸 玖の型 水流飛沫・跳魚
額から一筋の鮮血を流した権兵衛が跳躍する。瞬く間に空に躍り出た権兵衛は鈴鳴り刀で空を飛翔する空喜の片翼を捥ぎ取る。
「ガッ⁉︎」
翼を切られて蹌踉めく空喜の襟元を掴み、二度殴ってから自らの下に持ってくる。身をよじりなんとか避けようとするが、首元に短刀が突き立てられて身動きが封じられる。
「き、さまぁぁぁぁ⁉︎」
再び轟音、衝撃。先程と同じ程度の砂埃が巻き上げられ、再び視界を埋め尽くす。
「–––––––それで、俺はあと何回、お前らを殺せば良い?」
憎悪に満ちた声が、再生したばかりの三人に響き渡る。「シャリンシャリン」という流麗な音色と共に「が、ぁぁ」と空喜の呻き声が上がり、ピチャピチャと何かが跳ねる音が響く。
「あと何回首を切ればお前らは死ぬ?あと何回臓物を曝け出せばお前らは死ぬ?あと何回殺せばお前らは死ぬ?」
「––––––ッ」
「答えろよ、害獣共」
砂埃が晴れ、鮮血を浴びる権兵衛と身体をズタズタにされた空喜の姿が明らかになる。鬼の身体を何度も突き刺し、身体に鮮血を浴びる権兵衛は、まるで鬼の様だった。
「–––––ヒィィ」
そしてその姿は、本体の危機感を煽るに足るものであり–––––––––瞬間、太鼓の音が鳴った。
____________________
「–––––ゴホッ、ゴホッ」
視界がチカチカと明滅し、徐々に景色が見え始める。
「一体、何が……」
強い衝撃を受けたのか、背中の鈍痛に顔を顰めながら立ち上がる。大量の土煙を巻き上げたそこは何も見ることは叶わず、ただ茶色の煙が視界を覆い尽くしている。
(…っ、腕が重い)
両腕に倦怠感を感じる。微かに痺れていた腕を酷使したからだと思われるそれを思考から外し、傍に転がっている鈴鳴り刀を拾い上げる。
「煉獄さんや、炭治郎君達は無事なのか……?」
耳にもビリビリと振動が残っている事から、相当な衝撃が発生したことが判る。この衝撃に巻き込まれた心配もあるが、列車の近くでこれだけ大規模な爆発があったにも関わらず、煉獄さんの姿が見えない事自体引っかかる。
(煉獄さん達にも何かあった、と考えるべきだな)
何とか状況を把握しようと聞き耳を立てる––––すると、憎悪に満ちた声が耳を打つ。
「––––同族の血は美味かったか?」
「–––––ッ⁉︎」
太鼓の音。刹那、先程とは比べものにならない程の落雷が降り注ぐ。背筋に流れる直感に従いそれらを全て避けると、再び太鼓音。豪風によって瞬く間に土煙が払われ、中心にいる存在が明らかになる。
「のう、悪鬼よ」
背中に憎と書かれた五つの太鼓を背負った、まるで雷神を象ったかのような鬼からは、先程の四体とは比べられない程強い気配を感じた。威圧感が質量を持っている、とでも言えばいいのか。辺り一帯の空気が重くなった様な錯覚を覚える。
「五体目……いや、違う」
先程の鬼達の姿が見えない。それに先程の雷–––––恐らく、四人が融合してあの鬼が生まれたと考えられる。
「奇妙な鈴の音を鳴らし、同族の血を浴びる––––––正に鬼の様じゃのう」
右手に握る鈴鳴り刀の切っ先を鬼へと向ける。体格はさっきまでのどの鬼よりも小さいが、その身より放たれる威圧感は比べるべくもない。
「–––どの口が言うんだ」
だが、そんな事はどうでも良い。奴が人を傷つける悪鬼であり、俺は鬼を殺す鬼殺隊員である…必要な情報は、これだけだ。
–––––漆の型 神風渡り
鈴鳴り刀を携えたまま地面を踏み抜く。瞬きの間にその鬼の元へと接近する。
「だから、その鈴の音が煩いと言っておろうに」
「–––ッ‼︎」
動物の牙の様なバチを徐に太鼓に叩きつけると、地面から巨大な竜の頭が現出する。その巨大な首は口を開けて此方を向き、此方を喰らわんと待ち構えている。
––––– 肆の型 天上麒麟
高く跳躍し、その首を避けて鬼へと刃を振るう。が、その途中に強風に薙ぎ払われ、地面へと衝突する。
「ガッ–––––⁉︎」
「骸を晒せ、悪鬼め」
肩口から地面と衝突し嫌な音が耳に響くが、二つの太鼓音が響くと同時に竜の頭と雷が視界の端に映り、その場から飛び起きる。
「鈴の呼吸、参の––––––」
地面を擦る様に地面を駆け抜け、そのまま鈴鳴り刀を上方に構える––––––刹那、ガクンと腕が落ちる。
「な––––––⁉︎」
「人の身とは斯様に脆いものよ。やはり、生物として欠陥品よな」
突如力の入らなくなった右腕に驚愕する暇もなく、襲い来る竜の首を跳躍する事で避ける。
(さっきの衝撃で腕が折れたのか⁉︎不味い、この鬼相手に片腕じゃ––––––‼︎)
「それはもう見飽きたわ」
その声と共に地面から二つ目の竜の首が現れる。空中で回避行動を取れる筈もなく、そのまま空高く突き上げられ肺から酸素が吐き出される。
「–––––ガハッ」
口から鮮血が吐き出され、赤い粒となって宙を舞う。手元からも鈴鳴り刀が離れ、自分と同じく空に投げ出される。
バキバキと体が悲鳴を上げている。二度に渡る強烈な打撃は、それだけで自分の身体の三割を機能不全に追い込む程のものだった。
(このままじゃ、何も出来ずに殺される)
血が紛れ、赤くなった視界が流れ行く景色を捉える。このまま地面に衝突すれば間違いなく死ぬ、何か方法を考えないと––––––。
(あれは…煉獄さんか?)
何か使えるものがないかと辺りに視線を向ける–––––その時、視界に人影が映った。
白の羽織を纏った剣士と、何やら模様を入れた誰かが戦っている。白の羽織は間違いなく煉獄さんで、相手は––––––。
「上弦の、鬼–––––!」
離れていても判る程の濃密な気配を肌で感じ、思わず叫ぶ。近くには炭治郎君と伊之助君の姿も見えたことから、恐らく二人を庇いながら戦っているのだろうと推測する。
「不味い、このままじゃ……」
上弦の鬼相手に、誰かを庇いながら戦える筈がない。援護に向かおうにも、今向かった所で上弦を引き連れるだけだ。
(煉獄さんが死ねば、次に狙われるのは炭治郎君だ。今の彼の実力で、相手になる筈がない)
思考が徐々に冷たくなる。自分が今、何をどうすれば良いのか、その答えが徐々に浮かび上がってくる。
(この鬼を残して死ねば、煉獄さん達を含めた列車の乗客は間違いなく皆殺しにされる––––それは、許容出来ない)
その答えが固まると身体が熱くなり、末端まで熱が通る。
「そろそろ終いじゃ。疾く死ねい」
空に浮かぶ自分に向かって竜の頭が再び放たれる。あれをもう一度喰らえば最後、死ぬ事は避けられないだろう。
「––––––––やる事は、ひとつだ」
空に舞う鈴鳴り刀を左手で掴む。月光に瞬く藍色の輝きを一瞥し、迫りくる竜へと視線を向ける。
–––––––鈴の呼吸 壱の型 鳴き地蔵
地面より迫る竜の額に一閃。刀を打ち付けた反動で身体を回し、竜の背中へと降り立つ。
(この鬼の首を斬る–––––なんとしても‼︎)
瞬間、竜の首を落ちる様に駆け抜ける。
「っ、血迷ったか」
太鼓の音色と共に二つの雷が迫るが、それを感覚のない右腕で受けとめる。
「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ⁉︎」
雷が接触するや否や、言いようもない激痛が瞬く間に広がり、右腕を黒く焼いていく––––––が、駆け抜ける脚は決して止めない。
「面妖な…!」
再び太鼓音。視界に豪風が吹き荒れるのを見て、竜の背を跳躍する。視界の端に風が吹き抜けるのを確認し、再び竜の背を駆け抜ける–––––––残り十丈。
「えぇい、止まらんか‼︎」
咆哮、衝撃。身体がバラバラになると錯覚しそうな音の衝撃波が体に響き、プツリと右耳から音が消える。視界がぐらぐらと揺れ、身体中から血が噴き出、死の感覚が近づいていると直感する。
(構うな‼︎一撃にだけ集中しろ‼︎)
欠損した右耳に意識を取られる事なく、鬼へ視線を向ける。
鬼の首を視界に捉えると深く、大きく息を吸う。––––––機会は一度、外す事は許されない。
鬼との距離が三丈を切った辺りで再び跳躍し、使えない右腕の替わりに肩に鈴鳴り刀を担ぐ。
「–––––鈴の呼吸、捌の型」
既に左腕を残して、体の感覚は残っていない。この一撃が終われば、自分は鬼殺隊として生きられなくなるかもしれないという恐怖が脳裏を過ぎる。
–––––––それでも、この鬼だけは殺さなければならない。ここで鬼を残して自分が死ねば、次は煉獄さん達が殺される。
自分の何を犠牲にしても、それだけは絶対に赦してはいけない。
「貴様–––––––‼︎」
浮き足立つ鬼の首に狙いを定め、噛み締めるように唱える。
「––––––––––
瞬間、鈴の音が世界に広がった–––––––––––。
__________________________
『––––––リィィィン』
「これって、権兵衛さんの…」
その鈴の音は、煉獄達の戦場にも響き渡った。聞く者の心に澄み渡るような、透明な音色。どこまでも響いて行くと錯覚するようなそれは、激闘を繰り広げる二人の耳にも入る。
「––––なんだ、この音色は」
「…権兵衛少年?」
僅かに手を止める二人。けれど、互いに上弦と柱。鬼と鬼殺隊の頂点を競う二人がそれに聞き入る筈もなく再び刃と拳を交える––––––刹那、猗窩座の拳が微かに震えた。
「–––––––?」
戦局に置いて、なんの影響もないその変化に微かに疑問符を浮かべる猗窩座。けれど、その変化は唐突に現れた。
「っ、ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁ⁉︎」
猗窩座が突如、耳を押さえて絶叫する。顔を青くし、瞳から血を流すその姿は、尋常とは思えない。
何かは分からないが、此処を好機と捉えた煉獄が即座に赤刀を構える。
––––––炎の呼吸 伍の型 炎虎
地面を割るほどの踏み込みと共に煉獄が地を駆け、そのまま喉元へと刃を振るう––––が、首を半分ほど切った辺りで後方に飛ばれる。
「チッ––––––‼︎」
––––––破壊殺・滅式
地面に向かって放たれる拳が地を割り、大量の土煙を発生させる。
(なんだ、この嫌な鈴の音は⁉︎)
この間にも猗窩座の頭の中には甲高い鈴の音が反響し、脳裏を暴れまわっていた。割れんばかりの音が際限なく鳴り響き、思考をかき乱して行く。
(これが鈴の音色…‼︎やはり消さなければならない‼︎)
改めて鈴の危険性を確認した猗窩座はその土煙に紛れ、音の鳴った方向へと向かう。
「逃げるのか、猗窩座‼︎」
「まずは鈴の剣士を殺してからだ‼︎」
人ならざる速度で戦場を離れ、音の震源地へと向かう。
(あいつだな)
猗窩座の視界に膝を突き、右半身が黒くなった半死半生の隊士が映る。
(半天狗はやられたのか、無能な奴め)
上弦でありながら、柱でもない隊士を仕留め損なった事実に苛立つ。見たところ再生する様子も見られない事から、恐らくこの場にはもう居ないのだろうと結論付ける。
(あの刀が音の元凶か!)
左手にある半ばから折れかけている日輪刀に嫌な気配を感じた事から、一気に距離を詰める。
–––––––破壊殺・空式
跳躍の最中に術式を展開する。瞬く間に射程に隊士が入り、縦横無尽に張り巡らされた拳が殺到する。
「権兵衛少年ーーー‼︎」
背後から煉獄が疾走しているが、間に合う距離ではない。確実に仕留めたと猗窩座の口元に笑みが浮かべ––––––その直後、驚愕に顔を染めた。
「なっ–––––」
––––––水の呼吸 玖の型 水流飛沫・乱
膝をついた状態から、半死半生とは思えない速度で跳躍、瞬く間に木々の間へと身を躍らせる。
––––––鈴の呼吸 壱の型 鳴き地蔵
––––––破壊殺・乱式
酷い刃毀れを起こした藍色の刃と鋼のような拳が激突する––––––瞬間、カキンと何かが折れる音が響く。それと同時に藍色の鋼が月の光を反射して宙を舞い、地面へと突き刺さる。それは、権兵衛の使う鈴鳴り刀そのものだった。
障害物の無くなった拳は、勢いを保ったままそのまま権兵衛の心臓へと向かい–––––––。
「…やっぱり、短い方が使いやすいな」
その拳を、短くなった鈴鳴り刀に斬り裂かれた。
「貴様–––っ⁉︎」
軽口を叩く権兵衛に左拳を振るうが、その直前に水色に煌く物体を視認する。なんとか避けようと身を捩るが、その前に胸部へ深々と何かが突き立てられて姿勢を崩す。
–––––––水の呼吸 漆の型 雫波紋突き
短い日輪刀で二つしか使えない型の内の一つ。極めて短い日輪刀から放たれるその突きは、上弦であっても視認する事が出来ない程素早いものだった。
「舐めるな、餓鬼‼︎」
「ガッ––––––⁉︎」
貫かれた胸に構うことなく、空いた脇腹に猗窩座の鋭い蹴りが撃ち込まれる。蹴られた権兵衛は受け身を取る事なくゴム鞠のように地面に二度三度と叩き付けられ、口から鮮血を零す。
「ま、だ……」
「…本当に人間か」
微かに左腕が動いたが、やがてその腕も地面に落ちる。
右半身の殆どを炭に変え、内臓を潰されたにも関わらず、尚も動こうとした人間に微かに戦慄する。
「惜しいな…鬼ならば、その傷すら瞬く間に再生するだろうに」
その様を眺め、止めを刺そうと拳を振り抜く––––––が、背後より迫る溢れんばかりの闘気を感じてその場から立ち退く。
––––––––炎の呼吸 玖の型 煉獄
豪炎とも思しき一閃が振り抜かれる。その研ぎ澄まされた一撃は猗窩座の首への狙いは外したものの、その両腕を遥か空高く切り飛ばす。
「–––––これ以上、権兵衛少年に近づく事はこの俺が許さん‼︎」
「邪魔を––––‼︎」
地に伏す権兵衛を庇うように、煉獄が猗窩座の前に立ち塞がる。額から血が零れ、顔の半分を血に染めているにもかかわらず、その姿は上弦ですら気負されるほどの凄みがあった。
弾き飛ばされた両腕が再生し、再び構えを取る猗窩座…だが、空が白ばんで行くことに気づき、憎悪に満ちた視線を向ける。
「勝負は預けるぞ、杏寿郎‼︎次会った時は必ず、この俺が貴様の脳髄を潰してやる‼︎」
そう言って身を翻し、森の中へと跳躍する。
「逃さん–––––––」
「…ァ、がぁ」
そのまま猗窩座を追うべく力を込めるが、背後より聞こえた蚊の鳴くような声に脚を止める。
「権兵衛少年!しっかりしろ、権兵衛少年––––ッ」
すぐ様権兵衛の側に駆け寄り、身体を起こす–––––その時に気付く。権兵衛が負っている傷が、命に直結する物だと言うことを。
「止血の呼吸をするんだ!君なら出来るだろう⁉︎」
「…む、ちゃを、いってくれます…ね」
「喋るな!止血に集中しろ!」
目の下を青くした権兵衛が微かに笑みを浮かべる。
「炭治郎君や…伊之助君は、無事ですか?」
「無事だとも!全員生きている、君を含めてな!」
「そ、うですか…良かった…」
安心したように目を細める権兵衛を見て、煉獄の瞳から一筋の涙が溢れる。
「死ぬな少年!君は多くの人を救うんだろう⁉︎君は生きて、生き抜く責務がある‼︎」
「………で、すね。ただいまって、約束–––––」
その言葉を皮切りに、権兵衛の瞳が閉じられる。
「…目を開けろ、権兵衛少年!権兵衛少年‼︎」
東の空より、陽光が差し込む。煉獄杏寿郎の声が白空へと駆け抜け、消えて行く。無限列車の激闘は、こうして幕を下ろした––––––––––。
_____________________
––––––––小屋内権兵衛の負傷の一報は、瞬く間に鬼殺隊に広がった。
「嘘…!権兵衛君が…⁉︎」
「上弦の鬼にやられたのか…クソッ」
「南無…無事を祈る事しか、私には出来そうもない…」
「権兵衛が……そっか」
「あの馬鹿がそんな簡単にやられる訳がない。誤報じゃないのか?」
「…そうか」
「あの野郎…簡単にくたばったら容赦しねぇぞ」
小屋内権兵衛という、柱に匹敵する人材が重傷を負ったという事実に柱全員が驚愕する。ましてや、鬼殺隊の中で権兵衛が殺してきた鬼の数は二百五十に達する。それだけの鬼を殺せる権兵衛であったとしても、上弦の鬼に勝つことは難しいのだと危機感が露わになる。
「おい、聞いたか?鈴鳴りの剣士が死に体らしいぞ」
「嘘だろ⁉︎権兵衛さんが死にかけるなんて…」
「なんだ、あの人はもう死んじまうのか?」
「わからん。只、いつ死んでもおかしくない状態なのは確かだ」
それだけの実力者が倒れたという事実は、殆どの鬼殺隊員の恐怖を煽る結果となった。権兵衛に助けられた鬼殺隊員の数の多さ故に、その動揺は大きく広がった。
「––––––酷い」
一方で、誰よりも身近で権兵衛の治療を行った小屋内柊と胡蝶しのぶもまた、その怪我の酷さに愕然とした。
「兄さん…」
右半身を覆うほどの大火傷。右腕に至っては一部が炭化しており、完治するのかどうかすらわからない程の重症。それだけでも命に関わるが、それに加えて全身に罅の様な裂傷が張り巡らされ、内臓器官も折れた肋が突き刺さって損傷が酷い。
–––––正に、生きているのが奇跡という容態だった。
「––––––緊急柱合会議を行う。柱の皆んなに、召集を掛けてくれ」
無限列車の一件から混乱が収まらない一週間と半分が経過し、鬼殺隊当主である産屋敷輝哉から緊急柱合会議の開催が宣言される。
その間にもまだ、権兵衛の意識は戻っていなかった–––––––––。
______________________
––––––––鬼殺隊本部 産屋敷邸
「…みんな、こんな忙しい時によく集まってくれたね」
「お館様の御用命があれば、すぐさま駆けつける所存です」
「ありがとう、いつも助かっているよ」
お館様の声に九人の柱全員が頭を下げる。
なんら変わりない柱合会議の始まりだが、雰囲気の端々には隠しきれない動揺が紛れている。
「…さて、色々と話す事はあるけれど…杏寿郎」
「はっ」
額に包帯を巻き、羽織から覗かれる肌にも白の包帯が見える煉獄が頭を下げる。
「君が生きて帰ってきてくれて、本当に良かった。よく頑張ったね」
「…いえ、私は権兵衛少年の事を助ける事ができなかった未熟者です。その様なお言葉を掛けて頂く資格はないと存じます」
言葉の端々に悔しさが滲み出ている。柱という鬼殺隊最強の称号を得ていながら、隊士一人守れなかった自分の力不足を悔やんでいるからだ。
しかし、そんな煉獄とは裏腹に輝哉は優しげな声で口を開く。
「そんな事はないよ、杏寿郎。君が居なければ、きっと権兵衛は帰ってこなかった」
「しかし……」
言い縋る煉獄に「それに」と多少口調を強める。
「君がそんな事を言ったらきっと、権兵衛が悲しむ。あの子の事は、よく知っているだろう?」
「…そうですね」
「失礼致しました」と頭を下げる煉獄に微笑むと、再び全員に向き直る。
「それでしのぶ。権兵衛の容態はどうなんだい?」
「…厳しい、と言わざるを得ません」
輝哉の心配そうな問いに、胡蝶が眉に皺を寄せて応える。
「そんな…!権兵衛君、そんなに悪いの?」
「報告書にもあげましたか、命に関わる傷を三つも受けているんです。幾ら権兵衛君でも–––––」
「そんな泣き言は聞きたくねェぞ、胡蝶。奴は助かるんだよな?」
不死川の言葉に微かに眉が上がった胡蝶だが、すぐに口を開く。
「先程も言いましたが、権兵衛は今とても酷い状態なんです。生きるか死ぬかも分からないんですよ?」
「そんな事はわかってるよ。けど、奴はまだ息をしてる。なら、助かる見込みはあるんだよな?」
「–––それがわかったら、苦労なんてしませんよ」
微かだが、はっきりと怒気が混じった声に沈黙する。胡蝶が怒りを、しかもお館様の前で露わにする事自体初めてだったからだ。
「不死川、胡蝶は全力を尽くしている。言葉は慎め」
「–––––了解」
悲鳴嶼の言葉に渋々、と言った様子で頷く不死川。
「煉獄の報告書は読んだ。上弦相手に、よく生きて帰ってきた」
「そう言って貰えるとありがたいが…」
「鴉の報告によると、権兵衛も上弦の鬼と戦闘を行ったらしい。となると、敵は二人の上弦を権兵衛に送り込んできた事になる」
「…確実に殺す為だな」
宇髄の静かな口調に全員が肯定する。鬼舞辻がそれほどまでに権兵衛を危険視している事が今回の一件で把握することが出来たのは、数少ない戦果の一つだろう。
「…っていう事は、鈴の呼吸は鬼舞辻にとっても有効って事だよね」
「間違いなくそうだろう。–––––だが」
「まさか、鈴鳴り刀が折れちまうとはな……」
激しい爆発があった地点には半ばより折れた藍色の大太刀––––––鈴鳴り刀が鎮座していた。尋常ではない量の傷が刻まれていた事から、余程の激戦だった事が判る。
「…それよりも、報告書にあったんだけど……その、首だけの死体については、身元は分かったの?」
甘露寺が気まずそうに口を開く。無限列車付近に転がっていた隊士と思われる頭部だが、爆発とは遠くの位置で発見されていたのだ。
「えぇ、前に一度、蝶屋敷で治療を受けた事がある隊士ですね。…そして、権兵衛君とも知古だったと聞いています」
「…そっか」
小さく呟く。目の前に知り合いの隊士の生首が投げられる––––それがどんなに悔しかったか、想像する事すらできない。
「––––皆んなには話していなかった事があるんだけど、良いかな」
会議の場に沈黙が流れると、徐に輝哉が口を開く。
「なんでしょう、お館様」
「実は、私の呪いについて話すべき事があるんだ」
「お館様の呪いについて…?」
「うん」と頷くと、穏やかな口調で言葉が紡がれる。
産屋敷の呪い。一族の全員の短命の原因であり、二十を超えると身体が腐り始め、激痛を伴いながら死に至るという呪い。鬼舞辻無惨という鬼を一族から輩出してしまった為と思われているそれを聞き、柱達の顔が強張る。
「まだ確証は取れてないんだけど…恐らく、鈴の呼吸の音色には、私の呪いを和らげる力があると思うんだ」
「……はっ?」
「そ、それは本当ですか、お館様⁉︎」
興奮覚めぬ様子の不死川を手で制す。半分立ち上がり掛けたその膝を再び戻すと、再び輝哉が口を開く。
「私も確認はしてないんだけどね。私の妻、あまねからそう証言されている。蜘蛛の糸のようにか細い可能性かもしれないけど、ね」
「鈴の呼吸––––––けど、それって」
「うん、つまりは、権兵衛が目を覚さないと出来ないという事だね」
「そんな…!」
当代において、鈴の呼吸を扱う事ができる剣士は小屋内権兵衛を除いて一人もいない。
件の権兵衛は現在意識不明の重篤な状態であり、肝心の鈴鳴り刀に至っては折れて消失している。–––実際に効果があるのかなど、試し様が無かった。
「権兵衛はまだ鈴の呼吸の書物は解読中と言っていた。それが全て紐解かれれば、また何かわかるのかもしれないね」
「しかし、権兵衛は……」
「私は信じているんだよ、実弥。彼が目を覚ますことをね」
静かだけれど、確固たる信念を感じる輝哉の言葉に会議の場が静まる。
「彼は優しい少年だけれど、その優しさを実行するだけの強さも兼ね備えている。私は、そんな彼が生きていると信じたい」
「それに」とお館様が微笑む。
「君達だって、権兵衛はきっと目を覚ますと信じているのだろう?」
「–––––それは」
言い淀む実弥に、「はい!」と甘露寺が手を挙げる。
「わ、私は信じています!権兵衛君が、また目を覚ますって‼︎」
「俺も当然。信じている!彼にはまだ借りがある、ここで死んでもらっては困るからな‼︎」
「私も、権兵衛が川を渡ることなくこちらに戻る事を信じている」
「…まぁ、権兵衛の生命力って鬼並みだし」
「権兵衛のことだ、けろっと目を覚まして、また鬼を殺しに行くだろうよ」
「…まぁ、信じていないこともないが」
「私も信じています。彼ならばきっと、今回の窮地を乗り越えてくれると」
柱の殆どの言葉に、輝哉が口元を和らげる。
「ありがとう–––––義勇と実弥はどうなんだい?」
「…奴は鬼殺隊にとって重要な戦力です。死なれては困ります」
「………彼奴は強いからな」
「うん。ありがとう、二人とも」
緊迫していた会議の雰囲気が和らぐ。それは聞く人の心を落ち着かせる輝哉の声もそうだが、柱が権兵衛へ寄せる信頼の厚さも原因の一つだろう。
「彼の治療に必要な物は惜しみなく言って欲しい。必ず用意してみせる」
「ありがとうございます、お館様」
「…今は権兵衛の無事を祈ろう。どうか、彼が再び鈴の音を鳴らすようにね」
その一言を最後に、緊急柱合会議は終了する。襖の隙間より見える外は、綺麗な月が浮かんでいた––––––。
_______________________
窓から微かな月明かりが差す、締め切られた個室。音を立てないように戸を開くと、慣れた薬品の匂いと共に花の香りが漂ってくる。
「…まだ寝ていますね」
その部屋の真ん中に置かれた大きなベッドの上には、一人の少年が仰向けになって寝ている––––––上弦の鬼と死闘を繰り広げ、身体に甚大な傷を負った、小屋内権兵衛君だ。
静かに彼の横に移動し、半分焼け焦げた首に優しく触れる。微かに感じる暖かさと鼓動を感じると、一つ息を吐く。
「…本当に、ひどい怪我」
身体中に包帯が巻かれているが、時折覗かれる肌の一部が黒く変色してしまっている。煉獄さんの報告によれば、この状態にも関わらず、彼は呼吸を連発し上弦と戦闘を繰り広げたという事だ。–––無茶が過ぎる、とは思う。
静かに息をする彼の頰に触れ、小さく撫でる。こうして見ると只の幼い少年の様に思えるが、それが彼の本質ではない事は重々理解している。
–––––けれど、そんな彼だからこそ、心配せずにはいられないのだが。
目を離したら最後、どこかに消えて行ってしまうと考えてしまう程、彼の生き方は刹那的だ。
多くの人を助け、多くの人を導き、そしてあっという間に消える。その生き様は、まるで流れ星のようだ。
「誰かが…この子の手を引っ張らないと行けない」
焼け焦げてしまった掌を握る。自己愛にあまりに乏しい彼は、自分を愛したり、赦したりする事はないのだろう。始まりの鬼殺を経て壊れてしまった彼は、自分を愛する事をしない。
––––––なら、誰かが代わりに愛してあげれば良いのだ。今はまだ無理かもしれないけれど、いつか彼が自分を赦せる日が来るまで、変わりに彼を大切にしてあげれば良い。
「…なんて、彼が目覚めると決まった訳でも無いんですけどね」
聞く人は誰もいなくなった部屋で呟く–––––どうやら私も私で、権兵衛君の怪我に動揺しているらしい。
こんな状態をアオイやカナヲに見せる訳には行かない、そう思い立ち席を立つ。
「––––––えっ?」
その時、彼の手を握っていた手が握り返されていることに気付く。本当に弱々しい力だけれど、その手は確かに、自分の手を握り返していた。
「権兵衛、君…?」
振り向き、彼の顔を見る。少しの時間、食い入る様に彼の顔を眺めると、静かにその目蓋が開かれた。
「––––––––おはようございます、しのぶさん」
開かれたその瞳は、穏やかな藍色の光を湛えている。月明かりを映すその光は、権兵衛君の鈴鳴り刀の様に綺麗だった。
「権兵衛君、目が覚めて…!」
「はい。ご心配を、お掛けしたみたいですね」
身体を起こそうとしたのか、顔を顰める権兵衛君に「まだ寝てて下さい。貴方は今、凄い怪我をしているんですから」とベッドに戻す。
「すいません。どうやら、まだ動く事はできないみたいです」
「当然です。本当に、酷い怪我なんですから」
「あはは……」
肩を竦めると、困った様に口元を緩める。その一連の仕草は、紛れもない権兵衛君のものだった。
「大丈夫ですか?どこか痛むところはありませんか?」
「……強いて言うのであれば、右腕に感覚がありません」
「右腕が…」
一番怪我が酷かった右腕を一瞥する。先程から右腕を動かそうとしているが、微かに筋肉が動くだけで腕自体は微動だにしない。
「…これは、機能回復が辛そうですね」
「機能回復って……まだ動くと決まった訳でもないのに…」
彼の右腕の状況は、悲惨の一言に尽きる。楽観的思考を咎めると、権兵衛君が笑みを浮かべる。
「動きますよ。だって、この腕はしのぶさんの暖かさをちゃんと感じていますから」
「–––––えっ」
そう言って微かに掌が握られる。
「…すいません、嫌な気持ちになりましたか?」
「い、いえ。只、少し驚いただけです」
思わず笑みが消えてしまうが、権兵衛君の心配そうな声色を聞いて無理やり笑みを浮かべる。けれど、うまく笑えているかはわからなかった。
「…煉獄さん達は、無事でしたか」
「えぇ。列車の乗客も、みんな無事です」
「そうですか…本当に、良かった」
自分の言葉に安心したのか、ゆっくりと目を細める。噛み締める様なその呟きは、彼の本心を表している様だった。
「自分が倒れてから、どれくらい経ちましたか?」
「大体二週間程度です。この怪我で、よく目が覚めたものです」
「頑丈さには、多少なりとも自信がありますから」
そう言って笑みを浮かべる。その笑みにつられて私も少し笑うと、権兵衛君が目を閉じる。
「…上弦の鬼は、明らかに自分を狙っていました」
「煉獄さんからも、そう聞いています」
「自分が生きていると知られれば、奴らは再び襲ってくるでしょう」
「そうでしょうね、鬼は執念深いですから」
「…やっぱり、自分は–––」
「それより先を口にしたら、私は貴方を赦しませんよ」
彼が言葉を言い切る前に突っぱねる。「…容赦ないなぁ」と穏やかに笑うと、藍色の瞳が私を見つめる。
「今はしのぶさんのご厚意に甘えさせて頂きます。ですが、もし蝶屋敷に何か–––––」
「ほら、起きたばかりで無理をするから…」
そこまで言った辺りで、突如顔を顰める権兵衛君。肺の辺りを抑えている彼の肩を優しく撫で、「大丈夫ですよ」と声を掛ける。
「そんな状態で、将来の心配なんてする必要はありません。今の貴方の仕事は、休む事なんですから」
「…そうさせて頂きます」
やや不貞腐れたように頷く彼に笑みを零す。
「何か必要なものはありますか?今から準備しますけど…」
「いえ、特には…もう、眠るので」
そう言って目蓋を閉じて枕に顔を埋める彼に「そうですか」と微笑む。
「それじゃあ、権兵衛君が寝るまで監視していますね」
「…別に、抜け出したりしませんよ?」
「信用すると思いますか?」
「……本当に手厳しい」
権兵衛の横に座り、彼の掌を再び握る。すると、彼も手を握り返してくる–––––その時ふと、鬼殺隊定期報告会での彼の言葉が脳裏に浮かぶ。
「…そう言えば権兵衛君。一つ聞いても良いですか?」
「…なんですか?」
「鬼殺隊定期報告会で、権兵衛君が言った好みの女性なんですけど、アレって本当ですか?」
「…嘘を、吐いた覚えはありませんよ」
なんて事ない口調に、それが本心だという事がわかる。微かに頰が赤くなるのを感じつつ、次の質問を投げかける。
「それじゃあ権兵衛君は、私の事をどう思っているんですか?」
「…………」
「…権兵衛君?」
突如として黙ってしまった彼。少し待つがいつまで経っても返ってこない様に「…まさか」と思い、口元に耳を寄せる。
「すぅ…すぅ…」
「––––全く、どいつもこいつも」
整った寝息を立てる彼に、何故だか無性に負けた気分に陥るが、ため息を吐いて気を紛らわせる。別に、またの機会に聞き直せば済む話だからだ。
「–––––それにしても、今日は月がよく見えますね」
権兵衛君の病室から浮かんでいる月を眺める。眩く輝くその月に笑みを浮かべると、その月が薄くなるまで、私は権兵衛君の手を握り続けた–––––––––。
_______________________
–––––––夢を、見た。
–––––––鬼の居なくなった世界でみんなと笑い合っている、そんな荒唐無稽な、けれど幸せな世界だ。
–––––––俺は、その夢を見て『こんなのあり得る訳ないじゃないか』って鼻で笑ったけど。
––––––––心の中では、誰よりもその夢が叶う事を願って居たんだ。
鬼殺隊一般隊員は夢を見る。それは決して叶うことのない、泡沫の様な夢だけれど………。
その夢を見た少年は、心の底から嬉しいと笑った。
小屋内権兵衛
他人を愛し、自分を愛さなかった少年。百年ぶりに現れた鈴の呼吸の使い手であり、上弦の肆と死闘を繰り広げ分身体である憎珀天の首を落とすことに成功した稀代の剣士。
彼の累計鬼殺数は二百五十弱を誇り、入隊から僅か一年と半年程度で全鬼殺隊員の鬼殺記録を抜き去った異例の人物。
基本的にはお人好しだが、人を殺す、もしくは殺そうとする存在には一切の容赦を掛けることなく惨殺する冷徹さも持ち合わせている。自らの定める境界線に厳格であり、その一線を超える者には一切の容赦をしない。
自分にどこまでも無頓着であり、良く良く周りの人達からお叱りを受けている。特に女性陣からのお叱りが多く、彼自身ほとほと困り果てている。最近は妹にすらよく怒られるようになり、兄としての威厳を気にしているとかいないとか。
鈴の呼吸 弐の型 清酒一刀
鈴の呼吸の中で使い勝手の良い技の一つ。技の構えから発生までの時間が短く、牽制技として有効に働く。流れる水のような流麗な響きが特徴とされる。
鈴の呼吸 参の型 陽光立つ篝火
斬るのではなく叩くように振るわれる型。皮膚が硬い、もしくは守りが厚い鬼に対して有効とされる。鐘の様な重厚な音色が響く。
鈴の呼吸 捌の型 神前祈祷・終の鐘
最も大きく、透き通る様な音色を響かせる鈴の呼吸最強の型。鬼血術を封じ、鬼そのものを弱体化させる事の出来る技とされている。その音色を効いた鬼はたちまち頭を抱え、消えない鈴の音色に苦しむ事になる。
あまりの音色の大きさから、連発すると使用者の鼓膜が破れてしまう諸刃の型でもある。
小屋内権兵衛(キメツ学園の姿)
キメツ学園の何でも屋。勉強を除くありとあらゆる事を人並み以上に熟すことのできる、生粋の器用貧乏。頼まれた事は殆ど断らず、いつも穏やかな笑みを浮かべていることから、下級生から「キメツ学園に住む妖精」と呼ばれている。
誰にでも人当たりがよく優しい為多くの人から慕われているが、特にそんな事を気にしている様子はない。お昼休みには決まって人気のない中庭にある隅っこのベンチで一人、のんびりとお弁当を食べている為、多くの人ががそこを訪れるとか。
平凡な顔付きだが、穏やかな笑みと綺麗な藍色の瞳からか意外とモテるらしいが、詳細は不明である。一時薬学研究部のとある部員との関係が囁かれたが、本人の鶴の一声で否定された。
好きなものはスーパーに売っている割引されたお団子である。
あーけろん
前半パートを無事に完走できたことに感極まった出来損ないの哺乳類。
※活動報告に更新及び今後に向けての注意書きがあります。其方も閲覧して頂ければ幸いです。