鬼殺隊一般隊員は鬼滅の夢を見るか?   作:あーけろん

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当初の予定より一月程度早いですが、これより後半パート開始です。






大正の空に鈴の音は鳴る
鬼殺隊一般隊員は目を覚まし、事態は回る


–––––日の光を通さないとある一室。四方に灯された蝋燭が光る其の部屋にて、白と赤に揃えられた巫女服を纏った女性が文を開く。

 

「……そうですか。鈴鳴り刀は役目を終えましたか」

 

何枚にも及ぶ文を瞬く間に読み終えると流麗な声色で呟き、暫くの間瞳を閉じると「誰か」と声を上げる。

 

「お呼びでしょうか」

 

其の声からほとんど間が開く事なく側に黒装束を纏い、顔の見えない人物が横に侍る。物音一つ立たずに現れた人物は忍のような出立で巫女に頭を下げ、次の言葉を待つ。

 

「当代の鈴鳴り刀が其の役目を終えました。内宮の蔵を開き、玉鋼を里に送ります」

「承知しました」

 

影となって消えていく人物に視線を向ける事なく、巫女は再び文に目を向ける。

 

「…小屋内権兵衛、ですか」

 

絹のような白い肌に掛かる磨き抜かれた黒髪を指で払い、とある少年の名前を呟く。其の声には万感の念が込められているのか、どんな感情を持っているのか判別がつかない。

開いた文を丁寧な動作で閉じると巫女服の懐に仕舞い込み、静かに立ち上がる。その時、耳に飾られた小さな鈴が「チリン」と小さく音を鳴らす。

 

「手紙を書きます。紙と筆を用意して下さい」

「かしこまりました」

 

側に控えた白に統一された巫女服を着た少女が頷き、歩き出す巫女に追従する。

 

「それと、小屋内権兵衛を此処にお呼びします。招待の手続きをお願いします」

「…よろしいのですか?彼は当代の鈴の剣士とは言え、人を殺めることを厭わない狂人ですよ」

 

明らかに嫌悪の表情を浮かべる侍従に対し、「構いません」と凛とした声で肯定する。そのあと、黒真珠の様な綺麗な瞳が後目に向けられる。

 

「彼は極めて優秀な鬼殺隊剣士であり、私達と縁深い鈴の剣士です。ここに呼ぶのに、ほかに理由はいらないでしょう?」

「しかし、御所は最高神を祀る神聖な場所。両腕どころか、臓腑まで血に染まった者を呼び、剰え巫女様がお会いになるなど…」

「言葉が過ぎますよ」

 

声色に冷たさが混じるのを感じると「…失礼しました。では手続きを済ませておきます」と不服ながらも首を垂れる侍従を見て視線を正面に戻す。

 

「…明治の時代に鈴の音は鳴りませんでしたが、幸いな事にこの大正の時代にて使い手が現れました。彼が、あの忌まわしき悪鬼を滅する事を祈りましょう」

 

三叉槍を持った二人の門番が巫女の姿を見ると頭を下げ、荘厳な鉄扉を開ける。開かれた景色には晴れやかな空が覗かれ、暗かった部屋に光が指す。

 

「…願わくば、彼が最後の鈴の剣士である事を」

 

哀しげな巫女の祈りは、微風に揺られた鈴と共に空へと消えて行った–––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『–––––行ってきます、アオイさん』

 

権兵衛さんの病室に飾る花瓶に水を入れていると、脳裏に彼の姿が浮かぶ。穏やかに笑って屋敷を離れたその人は、死に体になって帰って来た。

 

「––––––権兵衛さん」

 

穏やかな笑みを浮かべていた顔に走る火傷、身体中に張り巡らされた裂傷、そして、剣士の要とも言える右腕は殆ど炭になっていた。

あの時の彼を思い浮かべると、今でも背中に冷や汗が浮かび上がる––––もしかしたらあのまま死んでしまうのではないか、と。

あの人に限ってそんな簡単に死ぬ訳ないと理解出来ていても、心は常に不安を囁く。現に、拳大の穴が空いたにも関わらず僅か五日で目を覚ました彼は、十日が経った今でも目を覚さない。その事実が、私の心に毒を垂らし続ける。

 

「…お願いします、どうか」

 

–––––––優しいあの人を、死なせないで。

 

 

心の中で居もしない神様に祈る––––だって、これじゃあんまりにも救いがなさすぎる。

本当に多くの人を救ったその少年は結局救われる事なく鬼に殺されてしまいましたなんて、酷すぎる物語だ。

 

「–––あっ」

 

いつのまにか花瓶から溢れていた水を慌てて拭く。––––駄目だ、こんな調子じゃすみ達にも心配をかけてしまう。

そうだ、隊士が死ぬなんてよくある事だ。現に私だって、この屋敷で息を引き取る隊士を何人も見てきた。今回はそれが権兵衛さんなだけだ、そう、今回は––––––––。

 

「……グスッ」

 

自分の考えとは裏腹に、瞳からポロポロと涙が溢れる。…あぁ、駄目だ。権兵衛さんが死ぬ事を考えただけで、涙が止まりそうもない。

思わずその場に蹲って泣き叫びたくなる–––––––その時、ポケットから『チリン』と鈴の音が聞こえる。

 

『貴女が蝶屋敷に居てくれたから、今の自分が居ます。–––アオイさんが蝶屋敷に居てくれてよかったと、私は心からそう思います』

 

–––––そうだ。泣いている暇なんてない、立ち止まっている暇なんて無い。だってそれは、為すべき事を成した権兵衛さんに背く事だ。

 

『–––その鈴が、貴方の道を示すことを』

 

ポケットの上から鈴を握り締める。

あの時微笑んだあの人の為に、私は成すべき事を為さなくてはならない。ここで足掻くと決めたのだから、最後まで足掻き抜かなければならないのだ。

目元を拭い、権兵衛さんの病室の前に佇み二度ノックする。当然返事の無い事に若干胸が痛くなるが、首を振ってそれを無視する。

 

「失礼します。花瓶の水を–––––––」

 

病室には変わらず眠り続ける権兵衛さんと、その傍で手を握るしのぶさんの姿があった。

鬼殺隊の柱合会議から帰ってきてそのまま権兵衛さんの様子を見ていたのだろう、隊服のまま眠っているしのぶ様を見る––––––すると、その手が権兵衛さんの手を握っているのが見えた。

 

「…やっぱり、しのぶ様も心配なんですね」

 

寝ている彼女を起こさない様に静かに扉を閉じ、窓際に置かれていた花瓶を取り替える。

 

「早く目を覚まして下さいね、権兵衛さん。みんな待ってるんですから」

 

静かに呼吸する彼の頬に触れ、小さく笑う。その後再び足音を立てずに病室を後にする。

 

「–––––––––それじゃあ、早く起きないとですね」

 

手から花瓶が滑り落ち、小さい炸裂音を立てた割れる。けれど、そんな事実すら頭に入らない–––––––えっ?今、誰が喋った?

突然の事に呼吸が浅くなり、目元に涙が浮かぶ。本当に、本当にゆっくりと振り向く。

 

「アオイさん、大丈夫ですか?怪我は……」

「––––––ご、んべえさん…?」

 

意図せず口から声が漏れる。

そこには、穏やかな藍色の瞳で心配そうにこちらを見る、いつもの彼の姿があった。

 

「えぇ。おはようございます」

「ッ–––––良かった……‼︎」

 

落ちた花瓶に視線を向ける事なく、彼の身体に抱きつく。ちゃんと聞こえる心臓の音と、彼の優しい声色に再び涙が溢れ、視界をどうしようもなく歪める。

 

「本当、死ぬかと思いました」

「当たり前です!こんな大怪我を負って…!」

「…けど、ちゃんと帰ってこれました」

 

穏やかな光を湛える藍色の瞳が細められる。それから、噛み締めるように口を開く。

 

「––––––ただいま戻りました。遅くなって、すいません」

 

その言葉を聴いた途端、堰を外したように止めどなく涙が溢れ出す。それを何度も目元を擦って、今できる精一杯の笑みを浮かべて言い放つ。

 

「……お帰りなさい、権兵衛さん」

 

窓から差し込む日差しが眩しい。けれど、嬉しそうに笑う彼の笑みの方が何倍も眩しかった–––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「–––それじゃあ権兵衛さんが目を覚ました事を皆さんに伝えて来ます。それと柊さんを呼んできますから、その間絶対安静ですからね」

 

床に落ちて割れた花瓶をそそくさと片付けると、真っ赤に腫れてしまった目元のまま病室から出て行く彼女を見送る。

 

「…しのぶさん、もう起きても良いんじゃないですか?」

 

左の掌にあるしのぶさんの手が微かに揺れるのを感じ、声を掛ける。

 

「…気づいていたんですね」

 

どこかバツが悪そうに頭を上げる彼女に苦笑する。

 

「花瓶が落ちた時の音で目が覚めていたでしょう。どうして狸寝入りなんて––––––」

「それに気づかないという事は、貴方も冨岡さんと同類って事ですね」

「…どういう事ですか?」

「人の感情にとことん疎いってことですよ。…いくら私でも、あの中目を覚ます勇気はありません」

「………?」

 

何やら小難しい事を言っているしのぶさんに疑問符を浮かべる。しかし、その前に聞きたいことがあったので一度頭を切り替える。

 

「それよりしのぶさん。一つ聞きたい事があるんです」

「なんでしょう?」

「自分の、鈴鳴り刀についてです」

「…覚えていないんですか?」

 

悲しげに首を傾ける彼女に頷く。

 

「……情けない話ですけど、夜明け前の記憶がないんです。けど、この腕に残る感覚が確かなら––––」

「––––えぇ。貴方の刀、鈴鳴り刀は真ん中から折れていました」

「……そうですか、ありがとうございます。教えてくれて」

 

その言葉を聴いた途端、心に残っていた違和感が消える–––––そっか、やっぱり折れたんだ。

一年と半年以上、夥しい数の死体を積み上げてきた刀が役目を果たした事実にどこか安心している自分がいる事に気付く。

師範から貰った刀を折ってしまった罪悪感よりも、これ以上師範から貰った刀が血に濡れなくて済むと言う事実に安堵する。

 

「刀鍛治の里には既に刀の発注をしています–––––けれど、その…」

「…何かあったんですか?」

 

歯切れが悪くなった彼女。何か悩んでいるのか、少し考え込むが直ぐに口を開く。

 

「貴方の刀が届くのは未定、だそうです」

「–––––未定、とは」

「わたしにもわかりません。只、里長の鉄池河原鉄珍からの手紙には確かに『鈴鳴り刀が出来るのは未定である』と」

「理由は書いてなかったんですか?」

「えぇ。ですが、短刀については直ぐに用意するとの事です」

 

鈴鳴り刀が作られるのは未定で、短刀の方は直ぐに用意できると言う事は、鈴鳴り刀はやはり通常の刀とは異なるのだろう。しかし、未定というのは……。

 

「それと、現場に残っていた鈴鳴り刀からこの鈴が回収されたので置いておきます」

 

その言葉と共に、自分のすぐ横に刀に付けていた鈴––––鳴らない鈴が置かれる。

 

「今は刀の事は気にせず、療養に専念した方がいいと思いますよ。…それに、その右腕では満足に刀も振れないでしょう」

「…それもそうですね」

 

僅かに温度を感じるだけの右腕を一瞥する––––––我ながら、随分と手酷くやられたようだ。

 

「–––さて、私は一度部屋に戻ります」

「わかりました。…その、しのぶさん」

 

立ち上がり、病室の戸を開けて外に出ようとする彼女に声を掛ける。「なんですか?」と振り返るしのぶさんになんて言おうか一瞬迷う…が、自分に気が利いた言葉がかけられる訳がないと自分の思いをそのまま吐露する。

 

「昨日は、手を握ってくれてありがとうございました。…お陰で、いい夢を見れた気がします」

 

キョトンした表情を浮かべたあと俯く。

 

「…あの、しのぶさん?」

 

失礼だったろうかと心配が過ぎる。すると、しのぶさんがいつも浮かべている笑みを無くし、何処か悔しそうに呟く。

 

「––––––そう言う所ですよ、権兵衛君」

「…はい?」

「なんでもありません…早く良くなって下さいね」

 

しかしそれも一瞬で、再び可愛らしい笑みを浮かべるとそのまま部屋から出て行く。

 

「…帰って、来たんだな」

 

一人になった病室で、一人木目の天井を眺める。微かに鼻につく藤の花の匂いと薬品の匂いに、何処か安心する。このまま微睡に任せて再び眠ろう、そう考えて目蓋を閉じる–––––瞬間、大きな音を立てた戸が開かれる。

 

「権兵衛さん!目が覚めたんですね‼︎」

「起きやがったな鈴野郎!早速勝負だ‼︎」

「目が覚めてくれて本当に良かったです〜!」

「これで、ぐすっ、ひと安心ですぅ…!」

「うぅ、権兵衛さーん‼︎」

 

思い思いの言葉と共に大勢が病室に雪崩れ込んでくる。その様子に一瞬呆気に取られるが、すぐに笑みを浮かべる。

 

「良かった、皆んな元気そうで」

「権兵衛さんが一番元気ないですよ…っていうか、その傷で普通に喋れるって…」

 

ひっついてきた三人娘の頭を撫で、化け物を見るような目を向ける善逸くんに苦笑する。

 

「ちょっと‼︎権兵衛さんは重傷者なんですから、いきなり大勢で尋ねるなんて何考えているんですか⁉︎」

「兄さん…良かった…」

 

病室に髪を逆立てたアオイさんと涙を浮かべた柊が病室に入ってくる。いつもと変わらない、騒がしい蝶屋敷の日常の一幕に小さく呟く。

 

「––––本当に、帰ってこれて良かった」

 

部屋の喧騒に紛れて自分の言葉は誰にも届かなかったけれど、こうしてここに自分がいる事が、何より嬉しかった–––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「––––一回落ち着こう、すみちゃん達。ね?」

「落ち着きません!さぁ、早く食べて下さい‼︎」

「ほら、あーん?」

「折角アオイさんが作ってくれたのに、冷めちゃいますよ?」

 

箸に持ち上げられた鮭を差し出してくるすみちゃんから顔を逸らす。なおも追随してくる彼女の顔から逃れようと首を振るうが、一向に諦める気配がない。

 

「片腕が使えなくてもご飯は一人で食べられるよ。それより、他の患者さんについていた方がいいんじゃないかな?」

「誰より重症な権兵衛さんが他人の心配なんてする必要なんてありません!」

「こう言う時くらいお世話させてください!」

「往生際が悪いですよ〜!」

「むぐぐ……」

 

自分より何歳も下の少女に世話を焼かれる事実に羞恥するが、折角のご飯が冷めてしまうのも勿体ない。数瞬その天秤の前に頭を捻り、唸り声を上げる。

––––が、三人の心配そうな視線を負け、肩を竦めた後におずおずと口を開く。

 

「はい、どうぞ!」

「美味しいですか?」

「熱くなかったですか?」

 

途端に顔を明るくした三人に見られながら鮭を食べる。

口の中に入れられた鮭を咀嚼すると鮭の甘味と仄かな塩味が口の中に広がる。焦げのない絶妙な焼き加減の鮭に舌鼓打ち、一つ頷く。

 

「うん、美味しい。流石アオイさんだね」

「それじゃあ次は漬物です!」

「食べたいものがあったら言ってくださいね?」

 

次々と料理を差し出す彼女達に左腕を上げる。

 

「いやいや、後は一人で食べるよ」

「「「え〜?」」」

「右腕の怪我が長引きそうだからね、左腕の感覚を掴んで置きたいんだよ。だから…ね?」

「う〜…」

 

寂しそうに俯く三人に言われようもない罪悪側が臓腑から滲み出るが、それを理性で押さえつける。第一、左腕で食べる練習をしなければ最期、右腕が治るまで誰かに食べさせてもらう羽目になる。それは絶対に避けなければならない。

 

「兄さん、容態は–––––––」

 

そんな最中、白衣を着た柊が病室に入ってくる。自分の状態を見るやにこりと微笑み「あらあら」と口元に手を当てる。

 

「可愛らしい少女達に甲斐甲斐しく世話を焼いて貰えてるみたいですね」

「茶化すな柊。お前からも説得してやってくれ」

「良いじゃないですか。三人共、兄さんの事を本当に心配していたんですから」

「…それはそうだけどなぁ」

 

柊の言葉で罪悪感に重さが増す。ここは恥を忍んで彼女達の為に受け身に徹するべきでは、なんて思考が浮かび始める。

その可能性を考えていると、三人がこてんと首を傾ける。

 

「それを言うなら、柊さんだって凄い心配していたじゃないですか」

「そうですよ!権兵衛さんが目を覚ますまでどこか上の空でしたし…」

「寝ている権兵衛さんの手を握って泣い–––––––––」

「ちょ、ちょっと三人共⁉︎それは別に言わなくても……」

 

慌てて手を振る柊を見てにっこりと笑う。–––––––そうか、そんなに心配してくれていたんだなぁ……。

 

「な、なんですか。何か言いたい事があるんですか?」

「いや、俺には勿体ほど良い妹だなと思ってね。ありがとう、心配してくれて」

「う、うぅ…」

 

手に持っていた診察書で顔を隠す柊。もっとも、端から見える耳の赤さからどんな表情を浮かべているのかは簡単に想像が付く。

その柊を見たからか、すみちゃんが「そうです!」と手を上げる。

 

「柊さんも権兵衛さんにご飯を食べさせてあげては如何でしょうか?」

「私が、ですか?」

「柊さんもとっても心配していたんですから」

「やってあげて下さい!」

「……そうですね」

「…本気か?」

 

頷くと診察書を傍にある机に置き、すみちゃんから箸を取ってお椀から白米を一口分摘み、そのまま身を乗り出して自分の口の前に差し出す。

我が妹ながら整った顔立ちが近づき、これが赤の他人だったら恐らく自分は赤面していただろう、なんて他人事の様な感想が頭を過ぎる。

 

「兄さん、口を開けてください」

「…俺は到頭、妹からも世話を焼かれるのか」

「重傷者なんですから、これくらい我慢して下さい。…それとも、私よりすみちゃん達の方が良いですか?」

 

少し、本当に少しだけれど、言葉に寂しさが含まれるのを感じる。その時、柊の頰に僅かに朱が差していることに気付く。–––そりゃこんな見られながらだと、いくら兄相手でも恥ずかしいよな。

 

「……あむ」

 

このまま意地を張るのは良くないと割り切り、多少勢いをつけて箸の上に乗った白米を頬張る。

 

「お、美味しいですか、兄さん」

「…うん、美味いよ」

 

心配そうに尋ねる彼女に頷く。すると「そ、そうですか」と途端に嬉しそうに表情を明るくし、次は胡瓜の浅漬けを差し出してくる。

 

「それじゃあ次は漬物ですね。順序よく食べるのが健康のコツですから」

「いやちょっと待て。さっき一回で終わりじゃないのか?」

「良いじゃないですか。偶には妹に世話を焼かれて下さい」

「えぇ……」

 

 

 

 結局、その日の昼食の殆どは柊に食べさせて貰った。やけに生き生きとする妹に口を挟む事は叶わず、そのまま済し崩しで流された結果だ。

当然だが、今まで生きてきた人生の中で一番疲れた食事だったというのは、言うまでもないだろう––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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–––––兄の右腕に触れ、唇を噛む。それは、先程まで感じていた微かな幸せを吹き飛ばすに余りある事だった。

 

「…痛みますか、兄さん」

「いや、全然」

「本当ですか?医者相手に強がっても意味がありませんよ」

「本当だよ––––––何せ、あまり感覚がないんだからね」

 

そう言って微笑むと右腕を一瞥する兄に、より一層唇を噛み締める。兄さんは自分の怪我の重さを正当に理解しているからだ。

 

「感覚がなくなったのは、いつですか?」

「上弦の戦闘中…右腕を殴打した時か、相手の雷で焼かれた時だと思う」

「殴打か雷……となるとやはり、雷による重度の火傷が原因ですね」

 

診察書に書き漏らしの無いよう、事細かく兄さんが言った事を記録していく。顔色は至って普通で、右腕の以外の外傷に付いては殆どが完治済み–––––普通の医者が聞けばひっくり返る程の回復力だ。

 

「それで柊。率直な意見が聞きたいんだけど–––」

「右腕の完治までの時間、ですよね」

 

神妙な顔つきで頷く。その表情から、治る事を確信しているが、それまでの時間が測れないのだろうと推測する。しかし、これ程迄の火傷では……。

 

「…正直言って、細胞が壊死していない事が奇跡です。いくら兄さんの回復力が人並み外れているとは言っても…動くまでに一ヶ月、完治までに二ヶ月と考えて良いかと」

「二ヶ月………それが最短と考えて良いのか?」

「えぇ。腕の神経まで焼かれる程の重傷ですから、それくらいは見るべきかと」

 

「二ヶ月か…」と呟き、顎に手を当てる兄の横顔を見る。その顔はいつもよりもどこか切なげで––––––––それを見た瞬間、背中に嫌な予感が過ぎる。

 

「––––––兄さん。まさかとは思いますけれど、右腕が完治せずに鬼を殺しに行くなんて、そんな馬鹿な事はしませんよね」

「…まさか。鈴鳴り刀もないのに、そこまで無謀じゃないよ」

 

そう言って頭を振る兄を見据える–––––それなら、どうしてあんな表情をしたのか。目が据わり、静かに呟く兄さんの姿は、修行時代の兄に戻ったようだった。その事を言及しようと口を開く…が、途中で閉ざす。今の時点で追及した所で意味なんてない。

 

「…本当に、無理はしないで下さいね」

「もちろん。だって、俺が死んだら柊は三日三晩泣くんだろう?」

 

そう言って左手で頭を撫でる兄に多少の怨みが篭った視線を向ける。

 

「……それ、あと一週間追加して下さい」

「十日も泣いたら流石に涙が枯れるぞ?」

「だから、妹の涙を枯らさないで下さいって事ですよ」

 

困った様に笑う兄に冷たく言い放つ。「そうだなぁ…」と呟くと、頭に載っていた手が降ろされる。

 

「なら、柊のために死ぬ気で生きようかな」

「是非そうして下さい」

「–––うん、頑張るよ」

 

いつもと変わらない兄に笑みを浮かべ、傍にある席から立ち上がる。午前の診察は、これ位で十分だろう。

 

「私はもう行きますけど、何か欲しいものはありますか?」

「あぁ〜…だったら、自室から鈴の呼吸の書物を持ってきてくれ。時間があるし、読み進める事にするからさ」

「一人で大丈夫ですか?もし良ければ私も手伝いますよ?」

「いや、大丈夫」

 

首を振って私の提案を断ると、笑みを潜めて静かな口調で続ける。

 

「書物の運搬の為だけに柊を呼んだんだ。多分、よっぽど人の目に触れさせたくないんだと思う」

「けど、それなら私が協力しても…」

「柊が届け物を途中で開ける子じゃない事は、師範が一番わかってる筈だよ。柊に届け物を任せたのも多分、そういう実直な所を買ってのことだと思う」

 

憶測を混ぜながら持論を話すいつもとは異なる雰囲気の兄に一瞬呆気に取られるが、やがて口を開く。

 

「…意外です。兄さん、そこまで師範の考えが読めるんですね」

「只の予想だよ。それに、師範とは結構長く一緒にいたからね」

「それは私も同じなんですけど…」

「俺の方が三年も長いよ。それで、頼めるかい?」

「わかりました。特に断る理由もないですし、すぐに持ってきますね」

「ありがとう、助かるよ」

 

病室の戸に手を掛け、それを開く。そのまま部屋を後にしようと足を踏み出す–––––その時、脳裏にとある事実が浮かび上がり足を止める。

 

「そうだ。兄さん、今度近くの街でお祭りがあるのを知っていますか」

 

首を振る兄を見る。

 

「いや、知らないな」

「ちょっと大きい催しで、花火も上がるそうですよ」

「花火かぁ…最近は全然見てないね」

「それで、丁度良い機会だから屋敷の皆んなで行こうって話があるんです」

「良いじゃないか。行ってくると良い」

 

何やら他人事の様に話す兄に微笑みかける。

 

「何言ってるんですか、兄さんも行くんですよ」

「…えぇと、俺怪我人なんだけど」

「今診察しましたけど、右腕の怪我以外は殆ど完治しています。それに、お祭りも三週間後と少し間が空きますから」

「––––お祭りかぁ」

 

何やら納得した様にうんうんと頷き、何が楽しいのか、藍色の瞳が細められる。

 

「わかった。怪我が悪化してなければ、是非とも参加させてもらうよ」

「それでこそ兄さんです。…それじゃあ件の物を持ってくるので、少し待ってて下さいね」

 

軽く手を振る兄の見送りを受けて今度こそ部屋から出る。兄が何に楽しさを見出したのかはわからないけれど、取り敢えずは頼まれたものを取りに行く。

 

………今思えば、私はこの時に思い出して置くべきだったのだ。兄が嬉しそうに何か企み事をする時は、大抵なにかが起こる事を–––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「よぉ権兵衛‼︎漸く目を覚ましやがったなこの野郎‼︎」

 

書物に悪戦苦闘していると、唐突に病室の戸が開かれ快活な声が響く。

六尺はある背丈に鍛え上げられた肉体が備わり、逆立ちしたって勝てそうもない男前の顔立ちの男性と言えば、その人物は一人しか当て嵌まらない。

 

「お久しぶりですね、宇髄さん。あれから元気でしたか?」

「元気でしたかったってな…お前が一番元気が無いんだろうが」

「いいえ?見ての通り、至って健康かつ元気ですよ」

 

呆れた声を上げる宇髄さんにひらひらと左手を上げる。実際の所、身体全体に鈍痛があるだけで後は至って健康だからだ。

 

「柊としのぶさんの腕が良いからですね。今でも普通に歩けますよ?」

「その怪我で良くまぁそんなことが言えたもんだな…」

「火傷が酷いだけで、身体機能は結構回復してますから」

「その火傷は命に関わる奴だろうが。良いから寝とけ」

 

そう言う宇髄さんに「了解です」と頷く。すると「…それで」と神妙な顔つきに変わる。

 

「その右腕、感覚あるのか?」

 

彼の視線が自分の右腕、包帯に巻かれて素肌が殆ど見えないそれに向けられる。

 

「今は無いですね。ですけど、必ず戻りますよ」

「…馬鹿野郎が」

 

冷たい口調に悔しさが滲んでいる事を感じる。僅かに伏せられた視線と声色から、その場に居なかった事を悔いていることが手にとる様にわかった。

 

「自分の力不足が原因です。別に、誰が悪い訳でもありません」

「柱を一人着かせれば安心だと思っていたんだ。こればかりは、俺たち柱とお館様の見通しが甘かったと言わざるを得ない」

「もし二人も自分に着いていたら流石に断っていましたよ。柱は鬼殺隊の最高戦力なんですから」

「…最高戦力、か」

 

自分の傍にある椅子に静かに座り、力の篭った視線が真っ直ぐ向けられる。

 

「実際の所、どうなんだろうな」

「どう、とは」

「鬼殺隊の最高戦力が柱だってお前は言うけどよ。俺は正直、そう思っていない」

「まさか。柱は間違いなく–––––––」

「確かに俺を含めて柱は強い、そこら辺の隊士よりもな。けど、それはお前ほどじゃないって考えている」

 

どこか確信めいた口調で呟く彼に口を閉ざす。自分を貫く視線が、反論を許さないと暗に告げていたからだ。

 

「この一年と半年でお前は夥しい数の鬼を殺してきた。それだけの短期間で俺達を、悲鳴嶼さんを抜かすなんて異常だ」

「雑魚鬼も含まれていますから。数はそれほど…」

「数もそうだが、お前は上弦と対峙し生きて帰ってきている。数だけじゃないのは明らかだろ」

「それは、煉獄さんも同様でしょう」

「煉獄の報告書の中に、鈴の音が響いた途端に鬼が苦しみ出したと報告が上がっている。それが無ければ危なかったってのが、煉獄の主観だな」

「…買い被りですよ」

「買い被りじゃねぇ、純然たる事実だ」

「–––––むぅ」

 

何を返しても言い返される。この問答自体に何の意味があるのかと思考するが、全くわからない。この問答を始めた宇髄さんの意図を読めずにいると「…悔しいけどよ」と宇髄さんが口を開く。

 

「お前が今、一番鬼を殺すのが巧いんだと思う。…俺を含めた柱の連中は、お前の背後を追っている状況だ。だからよ、やっぱり今の鬼殺隊の柱はお前が––––––」

「違いますよ、宇髄さん」

 

無礼を承知の上で言葉を遮る。どうやら、宇髄さんは自分とは異なる考え方を持っているようだ。

 

「確かに自分は、他の人より鬼を殺す事が得意です。ですけど、柱は只鬼を殺して成れる訳じゃないと、俺は考えています」

「…どう言う訳だ」

「考えてみて下さい。今の柱の中に、致命的に、人として欠損している人って居ますか?」

「居ないだろう。そんな奴が柱になれる訳もないしな」

「えぇ。ですけど、鬼を殺す事が得意なだけで柱が選ばれるのであれば、そういう破綻者が1人位いてもおかしくないでしょう?」

「何が言いたいんだ?」

「––––柱に選ばれる人は、すべからく優れた人格者です。それは多分、お館様が鬼を殺すよりも人としての優しさが大切だと理解しているから何でしょう」

 

こうして見舞いに来てくれる宇髄さんを始め、甘露寺さんや煉獄さん、しのぶさん達柱は、中には勘違いされやすい人もいるけれど、全員が飛び切り優しい人達だ。鬼を決して許さず、人を守る為に命を顧みない集団だ。

「鬼」を決して許さない点だけ見れば自分も同じだが、自分の「鬼」と普通の鬼では定義が異なる。人を殺めた、傷つけたという一点で鬼と断じる自分の様な破綻者が、優れた人格者であるはずがない。

 

「…なら一層、お前の方が向いてると思うが」

「向いてませんよ。襲いかかってきたからと言って人間を肉達磨に変えるような狂人が上官にいる組織なんて、ちゃんちゃらおかしいでしょう?」

「そういう問題なのか……?」

「はい。そういう問題です」

 

「わかんなくなってきたぞ…」と頭を抱える宇髄さんに苦笑する。この人もおちゃらけている様に見えて実際とても頭が良いから、色々と悩んでいるのだろう。

 

「俺は、なんて言われても柱にはなりません。お館様にも明言していますからね」

「…ったく。病人の癖に可愛げのない奴だなぁ」

「すいません、性分ですから」

 

いつぞやの様に話す宇髄さんに笑みを浮かべる。すると「…さて」と席を立ち上がり、自分に背を向ける。

 

「さて、元気そうだし俺はもう行くわ。ちゃんと休んでおけよ」

「ありがとうございます、宇髄さん。…それと、最後に一つ」

「んあ?」

「俺は、宇髄さんが柱で良かったと、心からそう思っていますから」

 

それを言い放った直後、背を向けた宇髄さんがピタリと止まり「あ〜!」と呻き–––––直後、振り返って自分の頭を乱暴に撫で回す。

 

「なんでお前はいつもそうなんだよ!ったく、怒るに怒れねぇじゃねぇか‼︎」

「ちょ、宇髄さん⁉︎」

「良いから黙って撫でられとけこの野郎!」

「わわわ…」

 

なすがままにされて髪の毛がボサボサになるまで撫でられると、最後に頭に優しく手が乗せられる。

 

「––––お前が生きて帰ってきて良かったよ、権兵衛」

「宇髄さん…?」

 

今まで聞いたこともない声色に疑問符を浮かべる。安心とか、心配とか、後悔とか、いろんな感情が混ざっているその声–––––しかしそれも一瞬で、「さて、今度こそ帰るわ」と病室の戸を開け放つ。

そのまま宇髄さんを見送り–––––その時「あっ」と声を上げ、彼を呼び止める。

 

「そうだ宇髄さん、少し良いですか?」

「んだよ、まだ何かあんのか」

「はい。少しご相談に乗って欲しい、と言いますか…」

「–––脱走の相談なら受け付けないぞ?」

 

訝しげに睨む宇髄さんに首を振るう。

 

「しませんよ。実はですね––––––––––」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

_____________________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

–––––––一週間後。

 

 

一つの影が木々の隙間から朝日が眩しい森林の中を駆け抜ける。それは地面の凹凸を跳ねる様に走り、時折木の枝々を跳躍してはを繰り返す。

 

(身体の動きが鈍い…こんなんじゃ上弦と遣り合うなんて不可能だな)

 

その影は身体の違和感を如実に感じつつも、足を止める事はない。右腕を白の包帯で吊った状態で姿勢を崩さず、尚且つ変な癖をつけない様に意識しつつ木々の間を巡っていく。

天狗と見間違うほどの身のこなしを軽々と行い、多少開けた場所にて足を止める。微かに上がる息と体温に鈍っていると痛感する影–––––––小屋内権兵衛は一人で息を吐く。

 

「思った以上に右腕の損失が痛い…そんなに大した事ないと思ったんだけどな…」

 

僅かに動くようになった変わりに、常に鈍痛を発する様になった右腕を一瞥し愚痴を零す。一部位が使えなくなる弊害が、自身の体幹に大きく作用するのだという事実を痛感した彼は、少し辟易としながら荒々しい断面の切株に座り込む。

 

『–––––だいぶ良くなりましたから、軽い訓練は解禁します。ですけれど、過度なものは控える様に。』

 

昨日の昼の診断を受け、きつめの口調でそう言い放った主治医、小屋内柊の言葉を頭の中で反芻する。–––森の中を駆け回る程度、別に過度とは言わないだろうと頭の中で結論づける。

 

「…次はいつ、襲ってくるんだ」

 

彼の脳裏には常に上弦の鬼の襲撃への警戒がある。鈴の呼吸によって弱体化されていたにもかかわらず、それでも尚圧倒された鬼が自分を明確に狙っているからだ。

あんな化け物染みた力を持っているにも関わらず、あの上弦は肆という称号が与えられていた。それはつまりあの鬼の上にまだ三匹も強力な鬼があるという事であり、その事実は権兵衛を焦らせる事にあまりある事だった。

備えなければならないという強迫観念が走る。しかし、権兵衛には肝心の刀が手元に無い。『鈴鳴り刀』という特異な刀、簡単に作れると思うほど権兵衛は楽観的ではないが、それでも未定という先行きの見えない時間が提示されると思うほど悲観的でも無かったのだ。

 

「里に行くか…いや、鬼舞辻に狙われている俺が行くのは得策じゃない。けど未定と言うのも…」

 

いっそ鈴鳴り刀ではなく、鈴鳴り刀と間合いが同じ普通の刀を打って貰うかと思考が過ぎる–––が、すぐにその思考を頭を振って消す。弱体化込みであそこまで追い込まれたのだ、真正面から戦えば間違いなく地面に沈む羽目になる。

結局の所、今は身体を鍛える以外にやる事は無いと結論付け再び立ち上がる。脚を伸ばすなどの軽い柔軟を行った後、再び森へ脚を向けて駆け出す––––––––その直後、視界の端に蝶を模した羽織が映り込む。

 

「右腕がまだ治っていないのに、随分激しい運動をするんですね、権兵衛君?」

 

某少年曰く、『顔だけで飯が食える』と言わしめるだけの美貌の持ち主が隙間から朝日が指す森の中に佇んでいる。目尻を下げて苦言を呈する彼女を見ると権兵衛は「あぁ…」と頰を掻き、その脚を止める。

 

「激しい運動、とは思ってないんですけど…」

「あれだけ飛んだり跳ねたりしているのに、そんな言い訳は通用しませんよ」

「個人の裁量、とか…」

「個人の裁量よりも社会の常識を理解して下さいね?」

「…返す言葉も御座いません」

 

流れる様に論破された権兵衛は肩を竦めて頭を下げる。しのぶは「はぁ…」とため息を吐くと、再び笑みを浮かべる。

 

「一度休憩にしてはどうですか?丁度朝ご飯もありますし」

「えっ?」

 

手に持っている笹に包まれた物を権兵衛に見せる。

朝御飯、という単語を聞き目を一瞬輝かせる彼だが、直ぐに訝しげな視線へと変える。

 

「…なんですか、その態度は」

「いや、あの…そろそろ来るんじゃないか、と思いまして」

「何が来るんですか?」

 

煮え切らない態度の権兵衛にしのぶが追求すると、権兵衛が目を逸らして小さな声で呟く。

 

「……睡眠薬とか」

「–––––––––欲しいんですか?」

「いえ滅相もありません。疑ってすいませんでした」

 

咲き誇る様な笑みに言葉にしようのない程の感情の黒さを感じ取った権兵衛は忍びも驚くほどの変わり身を見せる。いくら身体が頑丈な彼であっても、毒を使う彼女を怒らせるのは得策ではないと考えるからだ。

 

「人の厚意を疑うのはよくありませんよ、権兵衛君」

「仰る通りです…」

「えぇ、現に私も少しばかり傷付きました」

「本当にすいませんでした……」

「–––––本当に悪いと思ってるなら、私のお願いも聞いてくれますよね?」

「も、勿論です」

 

何やら怪しげな笑みを浮かべるしのぶに冷や汗を掻きながらも頷く。「ありがとうございます、権兵衛君」と微笑むと、さっきまで権兵衛が座っていた切株を指差す。

 

「それじゃあ、あそこで一緒に朝ご飯を食べましょうか」

「–––––––えっ?」

「なんですか、お願いを聞いてくれるんじゃ無いんですか?」

「…それは、まぁ、構わないんですけど」

「なら早く食べましょうか。もう日が登ってから随分経ちますから」

「ちょっ……」

 

しのぶの手に引かれると切株まで連れて行かれ、そこに一緒に座る。

切株にしては大きなそれだが、二人が座るにはやや手狭であり、少し揺れるだけで肩が触れてしまうほど二人の距離は近い。

しのぶは特にそれを気にする事なく膝の上で笹の葉の包みを紐解き、中から海苔に巻かれた形の整ったお握りを取り出す。多少大きめに握られたそれを権兵衛に「はい、どうぞ」と微笑みながら手渡し、権兵衛も「あ、ありがとうございます」と受け取る。

 

「食べないんですか、権兵衛君」

「………あの、しのぶさん。その、少し近いような気が–––––」

「そうですか?私はそう思いませんけど……」

 

 

––––––––頼むから自分の顔の良さを自覚して下さい‼︎

こてんと首を傾けるしのぶに、彼が心の中で絶叫する。それと同時に、これは善逸君も勘違いを起こしてもしょうがないと納得し、かつて憐憫の視線を向けたことを謝罪する。

心配そうに目尻が下がるきれいな瞳に絹のように白い肌、こてんと傾けられた仕草には愛嬌が溢れており、普通の男なら卒倒し即座に求婚するのではと見当違いな思考を巡らせる。

 

「……頂きます」

 

このまま居るのは色々と不味いのではと勘ぐった権兵衛は大きな一口でお握りを頬張り––––––––その後、「うん?」と疑問符を浮かべる。

 

「お口に合いませんでしたか?」

 

その仕草を見て微かに不安そうな表情を浮かべるしのぶに「あぁ、いえ」と頭を振ると、まじまじとお握りを見つめる。

 

「これ、アオイさんが作ったお握りじゃないんですね」

「どうしてそう思うんですか?」

「––––すいません、確証は無くて。只何となく、アオイさんじゃないと思いまして」

 

「何言っているんでしょうね、俺」と恥ずかしそうに頭を掻く権兵衛にしのぶがパチパチと手を叩く。

 

「当たりです、権兵衛君」

「…えっ?」

「それを作ったのはアオイじゃありません。本当、よくわかりましたね」

 

「それじゃあ…」とおずおずと口を開き、しのぶの方を見る。

 

「このおにぎりは、しのぶさんが作ったんですか?」

「それも当たりです。流石ですね」

 

当てられたからか、先ほどよりも嬉しそうに微笑むしのぶ。しかし、それとは対照的に権兵衛の顔は沈む。

 

「…その、さっきは疑ってしまって本当にすいませんでした」

 

純粋な善意を疑うなんて、それこそ鬼みたいじゃないかと歯噛みする。しかし、そんな事は些事だとしのぶが微笑む。

 

「気にしないで下さい。さっきの事は、こうして一緒に朝ご飯を食べた事で相殺されていますから」

「しかし…」

「いいんです。権兵衛君も、あんまり気にしすぎる人は女性から好かれませんよ?」

「…元より好かれてないから平気です」

 

強がるように呟く。

その言葉に微かに、本当に微かにしのぶの肩が震える。あまりに一瞬の出来事の為権兵衛も視認出来なかったそれだが、変化はしのぶの声色から見て取れた。

 

「––––––へぇ。縁談のお誘いを十二も受けた人とは思えない発言ですね」

「あ、あれはですね……」

「自分を貶める発言ばかりしていると、本当に自分の価値が落ちてしまいます。少なくとも、私の前ではそういう発言は今後一切しないで下さい。良いですね?」

「は、はい…」

 

有無を言わせない迫力と共に捲し立てられ即座に頷く。それを見たしのぶは「よろしい」と満足げに頷くと、小さめのお握りを一口摘む。

 

「…しのぶさん、一つ聞きたいことがあるんですけど」

 

権兵衛がお握りを一つ食べ終えると隣に座るしのぶに向き直る。

 

「なんですか、改まって」

「女性に贈り物をする時って、どれくらいが相場なのでしょうか」

 

 

 

 

 

 

–––––––––––––瞬間、世界が止まったような気がした。

 

 

 

「…えっ?」

 

何を言われたのか、思考が停止したしのぶに気付く事なく権兵衛が続ける。

 

「実は、近々女性に贈り物をしようと考えているんです。どれくらいの物を贈るのが良いのかな、と–––––––しのぶさん?」

「あっ、す、すいません。少しぼんやりしていました。それで、なんでしたっけ?」

「女性に贈り物をするときの相場です。どれくらいの物が良いんでしょうか?」

「…そうですね」

 

胸に走る違和感に無理やり蓋をし、動揺を悟らさないように笑みを浮かべる。

 

「あまり高過ぎる物もよくありませんが、そう言う物は権兵衛君の気持ちの大きさによる物です。貴方が相手を想って考えた品でしたら、きっと喜んでくれると思いますよ」

「そうですか!成る程…」

 

何やら考え出した権兵衛にしのぶが話かける。

 

「…もし良ければ、誰に贈るか教えて貰えますか?知っている人なら力になれるかもしれませんよ?」

「いえ、それは大丈夫です。自分で、ちゃんと考えたいんです」

「–––そうですか。なら、頑張って下さい」

 

そういうとしのぶが切株から立ち上がり、軽く羽織を叩いて木屑を落とす。権兵衛に背を向けて歩き出すと、ふと「権兵衛君」と口を開く。

 

「大丈夫です。貴方の想いは、きっと伝わりますよ」

「…しのぶさん?」

 

こてんと首を傾け、疑問符を浮かべる権兵衛に「なんでもありません」と微笑むと、権兵衛の視界からすっと消える。

 

「…なんのこっちゃ?」

 

意図はわからなかったけれど、何となく応援してくれているんだなと結論付ける。しのぶを見送った権兵衛は顎に指を当てて「むむむ…」と唸り、眉間に皺を寄せて悩む。

 

「自分の想い、かぁ…良し!」

 

権兵衛は一人意気込み、切株から立ち上がる。

しのぶと権兵衛、二人の気持ちは微かに、けれど決定的にすれ違っていた–––––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

_____________________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

–––––何だか、あまり良い気分ではない。

 

蝶屋敷の廊下を歩きながら今の自分の感情を分析し、その結論を導く。そう、あまり良い気分ではないのだ。

朝日の昇らぬ内から鍛錬を始め、おおよそ身体を慣らすためとは思えない動きで森の中を疾走していた彼。毎度の事ながら、自己評価が異様に低い彼–––––そして、女性に贈る物について相談してきた彼。

別に、彼が誰を好いて誰に贈り物をしようが構わない。寧ろ、そういう相手ができた事を喜ぶべきだろう。

しかし、しかしだ。鬼殺隊定期報告会であんな事を宣っておきながら、その本人相手にそう言った相談を持ちかけるのは人として…いや、男としてどうなのだろうか。

 

「…はぁ」

 

意図せず小さなため息が溢れる。

彼に悪気があるわけではない事はわかっているのだ。他人に誠実であり続けようとする姿勢は、それこそ縁談の話から重々理解している––––が、それで納得するのかと言われればそうではないのだ。

あの話が無ければ午後にでもお茶に誘い、件の言葉の真意を聞こうと想ったのだが当てが外れてしまった。蝶屋敷一帯の鬼は権兵衛君によって掃討が済んでいる為目撃情報も無く、おかげで任務もない。仕方ないから毒の研究でも始めよう、そう思い立ち自分の部屋へと向かう。

 

「あっ、しのぶさん」

「しのぶ様、お帰りなさい」

 

晴れやかな気分とは言えない心持ちの中、廊下でアオイと柊さんの二人に出会う。アオイは医療品を、柊さんは診断書を持っている事から、ついさっきまで診察を行っていたことがわかる。

 

「えぇ、今戻りました。何か変わった事はありましたか?」

「特には。善逸君達が騒がしい位ですね」

「それは元気そうで良かったです」

「権兵衛さんの様子は如何でしたか?」

 

権兵衛という単語を聞いて微かに顔が引き攣るが、それを悟らせないように変わらず笑みを浮かべる。

 

「やっぱりと言えばいいのか、かなり激しく動き回っていましたよ」

「過度な運動は厳禁だって言ったのに…!」

 

案の定怒りを露わにする柊さんに苦笑する。しかしその怒りは思ったより早く引いたのか、「…そうだ、しのぶさん」と視線を向ける。

 

「兄さん、何か変な事を言っていませんでしたか?」

「…変な事、とは?」

 

聞かれていたのかと一瞬身構えるけれど、次の言葉でその心配が霧散する。

 

「何かこう…祭りに関して、何ですけど」

「お祭り、ですか?」

「二週間後に迫った、蝶屋敷のみんなで行く事になっている催しです」

 

それを聞いた後思考を巡らせる。そう言えばそんな話をしたな、なんて軽い気持ちでその事実を思い出すが、しかしそれと権兵衛君にどんな関係が…。

 

「その話をしたとき、兄さんが何やら含みがある笑みを浮かべたんです。あれは多分、何か企んでる顔でした」

「そうなんですか?」

「はい––––––その、兄さんって色々と加減を知らない人なんで」

 

やや疲れた顔の柊さんにアオイと二人で同調する–––––全く持ってその通りとしか思えない。

しかし、変な事という漠然とした情報ではわからない。そう言おうと口を開く–––––––瞬間、自分を悩ませている言葉が脳裏に浮かぶ。

 

「そう言えば、私に女性に贈る物の相場について聞いてきましたね」

「それです‼︎それで、しのぶさんはなんて答えましたか?」

 

身を乗り出す彼女にやや気圧されながらも、つい先程の事を思い出してそれを口にする。

 

「貴方の想いの量による、そんな感じの言葉を返しました」

「想いの量、ですか…」

「けれど、本当に権兵衛君の想い人への贈り物についてかも知れませんよ?」

「その可能性も否定は出来ませんが、まず無いと思っていいと思いますよ」

 

やけに確信を持って話す柊さんに少しムッとなり、すぐさま口を開く。

 

「どうしてですか?権兵衛君だって男性です、気になる異性位–––––」

「しのぶさんやアオイさん、栗花落さん見たいな見目麗しい人達と一緒に生活しているんです。それで普通の人に惹かれる訳がありません」

「あの、柊さん。カナヲやしのぶ様はわかるけれど、私は……」

「それに兄さんは情に厚い人です。決して外見に惹かれて一目惚れをするような人じゃありません」

「無視は酷いと思うんですけど⁉︎」

「…成る程」

 

彼女の推論に頷く。

前半については否定し兼ねるが、たしかに権兵衛君は一目惚れをしそうに無い。もしその可能性があるならば、縁談の話だけでも聞いていた筈だ。

 

「そうなると、なんで権兵衛君はあんな聴き方をしたんでしょう?」

「そこは引っかかります。何事も直球で聞いてくる人です、そんな遠回しに聞くような心遣い、誰かからの入れ知恵がなければ…」

「…入れ知恵かどうかはわかりませんが、そういう女性への気遣いができる人なら、音柱様からの助言があったのかもしれませんね」

「宇髄さんならたしかにあり得ますね」

 

多少むくれたアオイの言葉に成る程と納得する。たしかに、あの人なら彼にそういう助言をしてもおかしくない……そうなると、あの時の権兵衛君の言葉は本当に想い人への贈り物についてでは無いという仮定が生まれる。しかし、肝心の何が目的なのかはわからない。

と、そこまで考えた辺りで、自分が先ほどまで感じていた微かな不快感が拭われている事に気付く。

 

「…しのぶさん?何か嬉しいことでもありましたか?」

「えっ?顔に出ていましたか?」

「はい。なんというか…その、失礼かもしれませんが、にやけている様に感じました」

「…さぁ、どうでしょうね」

 

意味深な笑みを浮かべる–––––全く、我ながら単純な精神構造をしているようだ。

 

「取り敢えず、権兵衛君については一度放置で大丈夫でしょう」

「大丈夫でしょうか…?」

「常識は弁えていない人ですけれど、他人が嫌がる事はしない人です。今は、彼が何をするのか様子を見てみましょう」

「…まぁ、しのぶさんがそう言うなら」

「アオイもそれで大丈夫ですか?」

「……あっ、はい。それで大丈夫です」

 

何か考えていたのか、少しぼんやりしているアオイが多少慌てて頷く。

 

「それじゃあ、今日も一日よろしくお願いしますね、二人とも」

「はい、しのぶさん」

「わかりました」

 

二人の言葉に笑みを浮かべ、その場を後にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しのぶ様、もしかして––––––––」

 

アオイの放った一言は、自分の耳に入る事は無かった––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

_____________________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「–––––良い天気だな」

 

箒を掃いていた手を止め、雲が散見し青空が大半を占める空を見上げる。降り注ぐ太陽から丁度良い暖かさを感じ、まさに絶好の幸楽日和と言える。こんな日だからこそ、普段引きこもって酒を煽っている父にも外に出て欲しいと思うけれど、それは叶わないと思うと微かに憂鬱になる。

 

「…まだ終わってないや」

 

地面に舞っている木の葉を捉え、普段箒を使い始める–––––すると、視界の端にとある男性が映る。

 

「なんだ、あの人…?」

 

その人は、傍目から見ても普通とは異なっていた。素材が良さそうな白の流に藍色の羽織を羽織り、怪我人なのか、右腕を包帯で吊っている。一見すると少し裕福な家の人なのかと思うが、空いた左手に担がれたそれが普通の人間では無い事を告げている。

左手にあるそれ–––––何か入っているのか、パンパンに膨らんだ紫色の風呂敷を持っているのだ。子供一人程度軽く入りそうな大きさのそれを軽々と持ち上げているその姿は、右腕が包帯に吊られている事からとても不釣り合いだ。

思わずまじまじと見つめてしまったが、その男性も自分を見たからか軽く会釈する。そのままゆったりした速さで歩いてくると、自分を見据えて立ち止まる。

 

「失礼します。鬼殺隊現炎柱、煉獄杏寿郎さんの家はここで大丈夫でしょうか」

 

穏やかな声色だと感じた。兄のような力強い声とは違う、細波のような声。悪い人じゃ無いと雰囲気から感じ取り、箒を抱えて口を開く。

 

「はい。そうですけど…」

「そうですか、良かった。鎹鴉の案内も絶対じゃありませんから」

「鎹鴉、という事は、貴方も鬼殺隊の隊員なんですか?」

「えぇ。生憎右腕がこんな状態でして、階級を示す事はできないのですが…」

 

申し訳なさそうに目を伏せる彼に、微かに警戒心を持ちつつ問う。

 

「それでは、お名前をお聞きしても宜しいでしょうか?」

「はい。自分は鬼殺隊所属、階級甲、小屋内権兵衛です」

「小屋内権兵衛さん………」

 

なんだろう、どこかで聞いたことがある名前、それもつい最近聞いた名前だ。どこで聞いたのか、それを思い出そうと思考に更ける–––––その時、チリンと鈴の音が鳴った。

 

 

 

『小屋内権兵衛さん、ですか?』

『うむ‼︎極めて優秀な剣士でな、俺よりも多くの鬼を僅か一年で殺した人物なのだ!』

『兄上の鬼殺数を…凄い人なんですね』

『しかも権兵衛少年は少し変わっていてな、戦場で鈴の音を鳴らすのだ!今度紹介するから、千寿郎も楽しみにしていると良い』

 

 

「もしかして、あの小屋内権兵衛さん、ですか…?」

 

恐る恐る口を開く。上弦の鬼と戦った兄と変わらない、いや、兄よりも酷い重傷を負っていて、尚且つ鈴の音を鳴らす人物。ここまで条件が揃っているという事は––––––。

 

「ええ。つい先日、煉獄さんと共に上弦の鬼と戦闘した、その小屋内権兵衛です」

 

神妙な顔つきで頷く。兄の話から勝手に筋肉隆々の超人かと思っていたけれど、まさかこんな普通な外見とは思っていなかった。

 

「貴方が…その、兄を救ってくれて、ありがとうございました」

 

精一杯頭を下げる。兄が生きて帰って来れたのは権兵衛さんのお陰なのだと、兄自身の口から何度も聞かされていたからだ。しかし権兵衛さんは申し訳なさそうに目を伏せ、逆に深々と頭を下げる。

 

「私は、煉獄さんを救っていません。寧ろ、自分が助けられた位です。お礼を言うならば、それは自分なのでしょう」

「そ、そうなのですか?兄は口々に権兵衛さん…小屋内さんのお陰だと」

「…相変わらず、優しいんですね」

 

彼がどこか寂しげにそう呟くと顔を上げる。そこには、悲しげに笑う顔があった。

 

「それで、先日のお礼をと思って本日参った次第です。煉獄さんは今いらっしゃいますか?」

「それが、兄は今丁度出かけていまして…」

「そうですか…なら、日を改めてまた来ます」

 

「失礼します」と軽く頭を下げた後、振り向いて歩き出す彼–––––その彼の背中に「あの!」と声を掛ける。

 

「多分ですけれど、兄はもうすぐ帰ってくると思います。良ければ、それまで家でお待ちになって下さい」

「…良いんですか?ご迷惑になるんじゃ」

「いえ、どうかお気になさらず。兄から貴方の話はよく聞いていますから」

 

その言葉に少し悩んだ素振りを見せるが、やがて一度頷き「それなら、ご厚意に甘えさせて頂きます」と笑う。

 

「でしたらご案内します。手荷物お預かりしますよ」

「いえ、それは大丈夫です。これ結構重いですから」

「随分と大きいですけれど、何が入っているんですか?」

 

あっけらかんとした口調で言い放つ。

 

「洋菓子です。煉獄さんは大層な健啖家ですから、気合を入れて買ってきました」

「え、えぇと…」

 

子供一人大程度の風呂敷一杯の洋菓子なんて、一体いくらになるのだろうと庶民じみたことが頭に浮かぶ。…やっぱりこの人も、兄に似てどこか変わっているのかも知れない。

 

「そう言えば、お名前を聞いていませんでした」

「あっ。す、すいません、うっかりしていました。自分は煉獄千寿郎、煉獄杏寿郎は、私の兄です」

「やはりそうでしたか!弟がいるとは聞いていたので、もしやとは思ったんですけど」

「やっぱり似ていますか?」

 

しっかりと頷き、笑みを浮かべる。

 

「えぇ、とても。これからよろしくお願いしますね、千寿郎さん」

「はい、こちらこそよろしくお願いします」

 

とんでもない剣士とは聞いていたけれど、思っていたよりもずっと優しい人だった。やはり先入観は宛にならないと思い、二人で家の門を潜った––––––––。

 

 

 

 

 

 

_____________________

 

 

 

 

 

 

 

 

「–––––ごめんください」

 

権兵衛が煉獄家に赴いている最中、一人の老人が蝶屋敷の門を叩く。

それから少し経つと慌ただしい音が徐々に玄関に近づき、やがて戸が開かれる。

 

「すいません、お待たせしました」

 

隊服を纏い、微かに汗を滲ませた少年–––––竈門炭治郎が笑みを浮かべて応対する。対する老人はその少年、正確に言えば額の痣を見るや目を見開き「…まさか」と呟く。驚愕に満ちたその声色に炭治郎は不思議がり、心配そうに声を掛ける。

 

「あの、お爺さん?」

「あっ、あぁ。すまない、少し惚けていた」

「大丈夫ですか?お体が優れない様なら…」

「いや、心配ご無用。これでも鍛えているからね」

 

そう言って手に持っていた杖–––––漆で塗られ、持ち手に小さな鈴が三つ付けられたそれを見せる。持ち上げられた杖は「チリリン」と音を鳴らし、玄関に響かせる。

 

「それよりも君、その額の痣と耳飾りは…」

「これですか?」

 

額の痣と花札を模した耳飾りを指差し、驚きの表情を見せる。白髪の長い髪を後ろで一つにまとめ、皺の走る顔から老人だと炭治郎は判断するが、彼の優れた嗅覚は普通の老人ではない事を告げていた。

 

(なんだろう、この人。どこかで嗅いだような匂いがする…)

 

強いていうのであれば、権兵衛に近いそれを感じる。その時「炭治郎さん?何かありましたか?」と彼の後ろから声が掛かる。

炭治郎が振り向くとそこには白衣を着た少女、小屋内柊が佇んでおり彼の顔を見据えている。

 

「あぁ、柊さん。実は今、老人の方が見えていて…」

「老人?また兄さんに––––––––––」

 

柊が老人の顔を見た直後、まるで石になったかのように固まる。その様子を見た炭治郎が「ひ、柊さん?」と心配そうに声を掛ける––––––刹那、蝶屋敷の玄関に鋭い声が響き渡る。

 

「ど、どうして先生が蝶屋敷にいらっしゃるんですか⁉︎」

「へっ?先生って事は、もしかして……」

「やぁ柊。久しぶりだね、元気そうでよかった」

 

叫びにも似た驚きを見せる柊にケラケラと老人が笑う。

 

「元気そうで良かった、じゃありません!どうして此処にいるんですか⁉︎」

「権兵衛が酷い怪我を負ったのと、鈴鳴り刀が折れたと聞いたからね。様子を見に来たんだ」

「けど……」

「それよりも、だ。そこの少年、名前は?」

「竈門です、竈門炭治郎」

「そうか、では炭治郎。少し時間は取れるかい?」

 

柊に向けていた笑みを潜め、刃にも似た鋭い表情を見せて口を開く。

 

「始まりの呼吸、日の呼吸について、君は知っているかい」

「––––––––えっ?」

 

蝶屋敷の玄関に、炭治郎のか細い驚愕の声が響く。

 

「その様子なら、どうやら知っているようだね。…まさか、権兵衛の見舞いに来た先で、始まりの剣士の系譜に出会うとは」

 

「因果だな…」と呟く老人に、炭治郎が鬼気迫る勢いで近づく。

 

「ヒノカミ神楽について、何か知っているですか⁉︎」

「そのヒノカミ神楽と言うのは知らないけれど、日の呼吸については少しばかりね。話をする前に、上がらせて貰って良いかな」

 

老人とは思えない動作で玄関を上がり、その際にも鈴の音が鳴る。屋敷に響くその音は、事態が再び動き出す事を暗示していた–––––––––。

 

 

 

 

 

 




小屋内権兵衛(右腕損傷)
上弦の肆との戦闘の結果右腕の一部が炭化した状態。足回りには特に問題はないが、右腕が使えない弊害で体幹が脆くなっている。短刀を用いた戦闘を行う事はできるが、当然のことながら推奨はされない。

小屋内権兵衛(良かれと思って)
良かれと思って何かを企てる少年。毎度のことであるが、色々と加減が効かない。

胡蝶しのぶ
小屋内権兵衛を案ずる少女。薄々自分の感情に気がついているものの、柱という身分や件の人物の性格を考慮し色々と迷っている。

神崎アオイ
小屋内権兵衛を憎からず思っている少女。現在は美味しい団子を作るために色々研究しているとかいないとか。



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