鬼殺隊一般隊員は鬼滅の夢を見るか?   作:あーけろん

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誤字報告、感想及び評価ありがとうございます。作者のかけがえのないモチベーションの一つとなっております。
また誤字報告に関しまして、最新話のみならず過去の話までご指摘頂いて本当に頭が下がる思いです。これからもどうかよろしくお願い致します。

※一部描写を訂正しました。


鬼殺隊一般隊員は恩師と邂逅する

「–––––さて、まずは自己紹介しないといけないね」

 

炭治郎と老人しかいない蝶屋敷の客間。木製の机を挟み、湯気の立つ湯呑みを互いに一度呷ると、老人が静かに話し始める。

 

「私は鈴嶺(すずみね)鈴嶺弥生(すずみねやよい)だ。小屋内権兵衛と小屋内柊の育ての親で、過去に水柱を務めていたしがない老人だよ」

「水柱という事は、冨岡(とみおか)さんや鱗滝(うろこだき)さんの前に柱を務めていたと言う事、ですか」

「その通りだけど…意外だね、鱗滝の名前を知っているなんて」

 

炭治郎から鱗滝の名前が上がった事に驚くと、手に持っていた湯呑みを机に置く。

 

「はい。鱗滝さんは、自分の育手なんです」

「育手……成る程」

 

どこか安心したように口元を綻ばせる。その仕草にどこか既視感を覚えるが、それをどこで見たのかと思考を巡らせる事なく会話が続く。

 

「彼の修行は厳しかっただろう。良く頑張ったね」

「確かに厳しい人でしたが…それ以上に、優しい人でした」

 

厳しく辛かった修行時代だが、あの人のお陰で今の自分がある事を確信している炭治郎ははっきりと断ずる。

その毅然とした姿に笑みを浮かべると「所で」と言葉を続ける。

 

「彼はまだ天狗のお面を付けているのかい?」

「はい。付けています」

「…そうか。いや、個々人の自由だからね、うん」

 

「なんでまだ付けてるんだ…もう引退したんだろう…」と指を目に当てる。何か関わりがある事を察するが、それの興味よりもヒノカミ神楽の話の優先度が超えたのか、炭治郎が「あの」と会話を切り替える。

 

「それでその、ヒノカミ神楽––––日の呼吸について、何か知っているんですよね」

「少しばかりね」

 

鈴嶺の視線が炭治郎に向けられ、和やかだった雰囲気が消える。

 

「伝承によると、日の呼吸を扱う剣士は君の様に(ひたい)(あざ)があり、花札に似た耳飾を付けているとの事だ。恐らく君は、その剣士の直系か親族なんじゃないかな」

「けれど、うちは代々炭火焼の家系です。過去に剣士がいた事なんて…」

 

権兵衛に良く似た、とても穏やかな声色だと炭治郎は感じる。緩やかな風の様に静かな声は、彼の口調そのものだ。

 

「そもそも、この痣だって後から出来た物です。自分がその、始まりの剣士の直系とはとても思えません」

 

実際の所、炭治郎の額にある痣は幼少期下の子供を庇って出来た火傷痕に、最終選別時に会敵した手鬼と呼ばれる鬼から負傷した怪我が重なって出来た物だ。

その事実を聞いた老人は眉を顰め、下顎に指を当てる。

 

「…過去に何かあったと捉えるべきだろうね」

「それで日の呼吸とは、具体的にどんなもの何ですか?」

 

老人が手に持っていた湯呑みを置き、黒い視線が向けられる。

 

「極めて端的に話すのであれば日の呼吸とはつまり、始まりの呼吸だよ」

「始まりの、呼吸」

 

炭治郎が復唱し、鈴嶺が頷く。

 

「すべての呼吸の生みの親であり、今も残る呼吸を形成した原初の技だね」

「それって、凄いものなんですか」

「凄いよ。まず間違いなく、最強の呼吸だ」

 

はっきり「最強」と言い張る。

その声に揺らぎは無く、炭治郎も匂いから嘘は言っていない事を感じ、微かに手汗が浮かび上がる。

 

「そんなに凄い呼吸が、どうして自分の家系に…」

「詳しい事はわからない––––けど、鈴の呼吸の剣士に日の呼吸の剣士。この二人が同じ時代に現れたという事に、私は運命を感じているよ」

「鈴の呼吸…それって、権兵衛さんの」

 

鈴の呼吸。鬼殺隊所属、階級甲の小屋内権兵衛が会得した全集中の呼吸であり、鬼の血鬼術を弱めることの出来るとされる物。

 

「そう。彼が鈴の呼吸を会得したと聞いた時は驚いたよ。碌に教えてなかったからね」

「教えなかったんですか?どうしてそんな…」

「習得出来ない可能性が高かったから。だったら、確実に使える水の呼吸を教えた方が戦力になる」

 

あっけらかんと言い放ち、再び湯飲みを啜る。

 

「鬼殺隊の人手不足は君も知っている所だ。才能ある人間はなるべく早く前線に投入する、当然さ」

「けど……」

「それに、鈴の呼吸に限らず全集中の呼吸は全員が使える訳じゃない。使うには、明確な才能が必要なんだ」

 

「例えばこれ」と告げ、徐に杖を持ち上げる。その持ち手を引き抜くと綺麗な藍色の刀身が覗かれ、太陽の光に反射して綺麗に光る。それは、権兵衛が使っていた鈴鳴り刀と同じ光だった。

 

「その杖、仕込み刀だったんですね」

「お洒落だろう?鉄珍に作って貰ったんだ」

 

おちゃらけた風に笑うと抜かれた刀身を机に置き、その表面を指で撫でる。

 

「日輪刀が色付くのは才能がある者だけだ。これに色が付かない人間は総じて全集中の呼吸が使えない、若しくは剣の才能がないと思ってまず間違いない」

「成る程…」

「けどね、鈴の呼吸は日輪刀が色付いたから出来る訳じゃないんだ」

 

仕込み杖を納刀すると、困った笑みを浮かべて肩を竦める。

 

「鈴の呼吸を扱うには全集中の呼吸に加えて、極めて繊細な剣筋が要求される。全集中の呼吸が出来るからといって、鈴鳴り刀を鳴らすことは出来ないんだよ」

「難しい技なんですね…」

「その通り。あまりの難しさから使えない人が殆どだったよ。––––だから、権兵衛が鈴の呼吸を会得したと聞いた時は本当に驚いたよ」

 

そう言い、多少の寂しさを感じさせるように笑う鈴嶺。しかし、そこで炭治郎はある疑問を覚える。

 

「それじゃあ、鈴嶺さんも鈴の呼吸を使えなかったんですか?」

「私は使えなかった訳じゃ無い。使い(こな)せなかったのさ」

 

そういうと小さく息を吐き、人差し指と中指を持ち上げる。

 

「私が使えた鈴の呼吸は壱の型と弐の型だけで、それ以外は使えなかったんだよ」

「二つだけ、ですか」

「うん。しかも一度使うとかなり疲れてね、とてもじゃ無いけど連発なんて出来なかったんだ」

「それって、自分のヒノカミ神楽と同じ…」

 

一度使うと多大な疲労を伴うヒノカミ神楽と同様だった事実に驚愕する。何故なら、現在鈴の呼吸を使う事のできる小屋内権兵衛は技を難なく連発しているからだ。

 

「だからこそ、権兵衛の異常性が光るという訳だね」

 

日の本中を駆け回るズバ抜けた筋持久力に、夜更けから夜明けまで鬼と戦い続ける人並外れた体力。その二つを併せ持った権兵衛だからこそ為せる技、というべきだろう。

 

「権兵衛は私の想像の遥か先を行った。本当に、自慢の弟子だよ」

「鈴嶺さんも、権兵衛さんと同じで育手の人から鈴の呼吸を教わったんですか?」

「…うん、そうだね」

 

変わらない口調だけれど、その言葉に何か別の感情を感じる。

 

「その人は鈴の呼吸を使えたんですか?」

「いや、師匠は鈴の呼吸は使えなかった–––––––––––使えなかったんだよ」

 

鈴嶺が木目の天井を見上げ、力なく呟く。無力感に満ち、悲観に暮れたその声からは、何があったのか想像もする事ができない。

 

「とにかく、始まりの呼吸とされる日の呼吸はとても強力なものだ。もし物にできたのであれば、鬼殺に大いに役立つだろう」

 

「精進あるのみだね」と笑い、一息に湯呑みを呷ってから息を吐く。

 

「わかりました。その、色々と教えてくれてありがとうございました」

「此方こそ、鱗滝の弟子と話せて良かったよ」

 

そう言うと引き締まった雰囲気一転し、緩やかな空気が流れる。鈴嶺が空いた湯呑みに時間が経って少し濃くなったお茶を急須から注ぐと、一度呷ってから口を開く。

 

「所で炭治郎君。一つ頼みがあるんだけど、良いかな」

「なんでしょうか?」

「権兵衛に贈られてきた荷物がどこにあるか教えて欲しいんだけど、頼めるかい?」

「良いですけど、何かあるんですか?」

 

こてんと首を傾ける炭治郎に「いやね」と多少恥ずかしそうに頰を掻く。

 

「––––––私の愛弟子がどんな人達を救ってきたのか、それに興味があるだけさ」

 

そう言って微笑む姿は、権兵衛が浮かべる優しい微笑みにそっくりだった––––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「––––––それじゃあ小屋内さんは、兄と尾張(おわり)の方で出逢ったんですね」

 

千寿郎君の淹れてくれたお茶と栗羊羹(くりようかん)に舌鼓を打ち、会話に花を咲かせる。

 

「そうだね。雨が降っている時だったから、よく覚えているよ」

「その時の鬼はどんな鬼だったんですか?」

「巨大化する鬼だったよ。煉獄さんが居なかったら、夜明けまで粘る事になっていただろうね」

 

柱の中でも煉獄さんの第一印象はそれはそれは強烈だった。迫力ある顔もそうだが、なにより圧が凄かったからだ。

 

『戦場に鈴は不要だろう‼︎外す事をお勧めするぞ‼︎』

 

強い眼光と共にそう言われた時は、それこそ貴方の髪の方が戦闘に不要になるのでは、と愚考した程だ。

 

「それからも何度か煉獄さんとは合同で任務が重なってね、気が付いたら色々と面倒を見て貰っていたよ」

「兄上らしいですね」

「何事も正面から突破しようとする所は、流石にどうにかして欲しかったけどね…」

「あ、兄上らしいですね…」

 

障害の(ことごと)くを粉砕して鬼の頸を斬る姿は多くの隊士に勇気を与える物だろう。しかし、見ているこっちとしては緊物だ。

 

「けど、鬼の策ごと頸を斬る事のできる人は稀だ。杏寿郎さんは、紛れもない最強の一角だよ」

 

圧倒的な剣術と身体能力で血鬼術毎鬼を殺す事ができるのも一つの才能だ。迅速な討滅は時間的余裕を生み、次の現場に向かう時間を早めることができるからだ。

自分に彼のような突破力があれば、と考えた事だって一度や二度じゃない。より多くの人を救う為にと邁進していた自分にとって、煉獄さんの後ろ姿は憧れの一つだった。

 

「小屋内さんは凄いです。兄と一緒に、肩を並べて鬼と戦えるなんて」

「…千寿郎君?」

 

俯き、唇を噛み締める千寿郎君。視線を巡らせると、袴を強く握りしめている事が分かる。

 

「私は、鬼殺の剣士にはなれません。兄の様には、なれません」

「…そこまで断言するって事は、日輪刀が色付かなかったんだね」

 

悔しさを滲ませながら頷く彼に「そっか…」と相槌を打つ。

炎柱の弟の日輪刀が色付かなかったという事実は多分、目の前の少年を相当に追い込んだのだろう。なまじ兄の才能が圧倒的であるが故に苦しんだ筈だ。その事は、彼の悔しそうな声色から容易に想像が付く。

 

「本当なら、兄の弟である自分が柱の控えとして実績を積まなければならないんです。けど、私は……」

 

言葉の端々から悔しさが滲む。煉獄さんが重傷を負ったと言う事実も、彼の罪悪感に拍車を掛けているのだろう。

兄に、自分の憧れに届かないと明確に突き付けられる辛さは、自分には分からない。この子にとって自分は「向こう側」の人間で、幾ら言葉を弄してもなんの慰めにもならないだろう。

 

 

「…凄いね、千寿郎君は」

 

 

––––––––それでも、言わなくちゃいけない場面だと思った。

 

 

「えっ…?」

「声を聞いていると分かるよ。君はまだ、諦めてないんだろう?」

 

悔しさに塗れた声––––けど、まだ諦めていない事だけは分かった。

 

「無駄かもしれない、報われないかもしれない。そう思っても尚頑張り続けられる人は、本当に強い」

「けど、自分には才能なんて…」

「才能の一言で片付けられる程、君の覚悟は安くは無いよ」

 

栗羊羹を楊枝で一口大に切り、そのまま口の中に放り込む。

俯き考え込む彼を横目にした後、玄関側の襖(・・・・・)を一瞥し、暖かいお茶を呷って羊羹の甘味を打ち消す。

 

「煉獄さんは今怪我を負っている。快復する事は間違いないけど、全快するまでには時間がかかるだろう。その間、彼に稽古を付けてもらうのは如何だろう?」

「けど、兄の時間を自分に割いて貰う訳には…」

「良いんじゃないかな。もしかしたら、最近弟と話せていないって寂しがってるかも知れないよ?」

「…そうでしょうか?」

「うん、煉獄さんはあぁ見えて寂しがり屋だから」

 

暫く悩んでいる素振りを見せる千寿郎君だけれど、やがて「…わかりました」と頷く。

 

「今日、兄に頼んで見ますね」

「それが良い」

 

栗羊羹の最後の一欠片に楊枝を刺し、お茶と共に口の中に入れる。うん、とても良い和菓子だった。

 

「さて、それじゃあここらでお暇させて貰おうかな」

「えっ?兄はまだ帰ってきてませんけど…」

「お兄さんとはまた後日会う事にするよ。それに、この後少し用事もあるからね」

 

畳から立ち上がり、千寿郎君に軽く会釈する。

 

「今日は話せて良かったよ。頑張ってね、千寿郎君」

「小屋内さんも、またいらしてください」

「ありがとう、それじゃあまた」

 

そう言って襖を開ける–––––前に「あぁ、そうだ」と声を上げる。

 

「見送りは大丈夫。それよりも、新しくお茶を淹れてあげて」

「へっ?それって如何言う–––––––」

「それじゃあ、お邪魔しました」

 

千寿郎君の言葉を最後まで聞く事なく襖を開け、外に出る。

 

「…さて、と」

 

襖を最後まで締めると、襖の直ぐ近くに佇んでいる包帯を巻いた男性––––煉獄杏寿郎さんに向き直る。

 

「聞き耳を立てるなんて感心しませんよ。煉獄さん」

「うぅむ…悪気は無かったのだがな…」

 

悪かったと思っているのか、眉を下げて肩を竦める。その仕草に「別に気にしてませんよ」と笑い掛け、そのまま言葉を続ける、

 

「本当にいい弟さんですね。折れず曲がらず、素晴らしい人です」

「そうだろう。千寿郎は自慢の弟だ!」

「ちょ、声が大きいですって」

 

突如声量を上げる彼の唇に指を当てる。近くに千寿郎君がいるのだから、もう少し考えて欲しい所だ。

 

「…千寿郎君の事、ちゃんと見てあげてくださいね」

「言われるまでもない。お館様から頂いた余暇を使って、千寿郎を鍛え抜くとも」

「そこまで言うなら安心です」

 

意気揚々と頷く彼に釣られて笑みを浮かべる。この人と千寿郎君なら、例え日輪刀が色付かなくとも、鬼殺の剣士にならなくとも大丈夫だ。そんな、根拠のない確信がある。

 

「それじゃあ、自分はここで失礼します。無限列車のお礼は、また改めてですね」

「お礼は必要は無いのだが…了解だ。その時は飯でも行こう」

「是非、お願いします」

 

「ではな、権兵衛少年」と手を上げる煉獄に頭を下げ、その場を後にする。

 

「帰ったぞ千寿郎!」

「兄上、お帰りなさい。丁度今さっき小屋内さんが–––––」

 

楽しそうな二人の会話を背景に煉獄家の廊下を歩く。

なるべく音を立てない様に玄関にたどり着き、草履を履いて外に出ると微かに赤みを帯びた空が目に映る。

 

「…帰るか」

 

眩い西日に微かに目を細めた後、蝶屋敷への家路を辿ろうと足を踏み出す–––––––すると、右後方から「おい」と声が掛かる。

 

「…?」

 

その声に振り向くと、煉獄さん達と似た顔立ちに無精髭を生やし酒瓶を片手に持つ男性が視界に入る。多少離れていても酒の匂いがする事から、相当飲んでいる事が伺えた。

 

「もしかして、元炎柱の––––––」

「千寿郎に余計な事を吹き込むな」

 

 

たった一言。もしかしたら酔っぱらった衝動で吐いた言葉かも知れない–––––––けれど。

 

 

「–––––––そうですか」

 

 

––––––––その一言は、自分にとって致命的だった。

 

「千寿郎には幾ら稽古を付けた所で無駄だ。才能のない者の背中を押して、お前は何がしたいんだ?」

 

憤怒と侮辱が混じった声に肩を竦める。

 

「才能があるかないかについては、限界まで足掻いた後に決まる物です。芽吹いてもいない草に、良し悪しも付けられないでしょう」

「詭弁だな。お前の何気ない一言が人を殺すんだ」

 

言われのない言葉をぶつけられても尚、なんの感情も浮かんでこない。言葉と言うのは話す人によって重さが全く異なるのだな、と見当違いな考えすら浮かぶ。

 

「杏寿郎を含めた私の息子達にはなんの才能もない。いつかは鬼に殺されるのが関の山だ」

「例えそうだとしても、死ぬその時までにあの人達は何百の人を救うでしょう。私は、そんな彼らを心から尊敬します」

 

言外に貴方は尊敬に値しないと告げる。その意図を理解したのか、眉間に皺が走り怒りが露わになるが、相手にする必要は無い。

 

「用事があるので、そろそろ失礼します」

 

諦めた人間に何を言っても仕方ないと考え、再び踵を返す。煉獄家の門から道に出るその刹那に、首だけ振り返って無精髭の面を睥睨する。

 

「–––––諦めた人間が、必死に足掻こうともがく人間を嘲笑うのは楽しいだろうな。精々死ぬまで愚痴を零してろ」

「–––––––貴様‼︎」

 

手に持っていた酒瓶を地面に落とし、弾かれた様に向かってくる男性。大きく振りかぶられた拳は自分の頭部目掛けて振るわれるが、その前に身体を捻って胴元に肘を叩き込む。

 

「ガッ–––––––⁉︎」

 

全集中の呼吸によって強化された肉体は彼の筋肉を容易く破り、口から酸素を吐き出させる。鳩尾に入った肘を引き抜き、そのまま右頬を左拳で殴り付ける。

殴られた男性は鞠の様に弾かれて壁に激突し、口から唾液の混じった血を吐き出して地面に(うずくま)る。

 

「貴方が何に絶望し、諦めたのかは知らない。元炎柱だ、きっと自分では想像もつかない何かがあったのでしょう」

 

蹲っている彼の襟元を捻り上げて持ち上げる。体液で汚れた覇気のない顔が間近に映り、そのまま背中から壁に叩きつける。

 

「けど、それは貴方の問題だ。貴方の気持ちを、あの二人に押し付けるな」

「何も、知らない小僧が…!」

「何かを知ってしまって足を止めるより、何倍もマシですよ」

 

彼の目から闘気が消えたのを見計らい襟元を離して手を払う。その後、再び彼の瞳を一瞥する。

 

「さっきの動き…貴方、まだ戦えるじゃないですか」

「…チッ」

 

座っている姿勢からあれだけの速さで疾走する身体能力…とてもじゃないが、酒に溺れている中年のそれでは無かった。

 

「どうして諦めたんですか。貴方程の腕があれば、何人もの人が––––」

「煩い!人間は産まれた時から能力が決まっている、所詮私も貴様も、そこらにいる有象無象に過ぎないのだ‼︎」

 

身を裂く様な叫びだった–––そしてその言葉は、自分の嫌な部分を突き刺した。

 

「–––––だからって、諦めるわけにはいかないでしょう」

 

力なく拳を握り、か細い声で呟く。

––––才能がない有象無象。そんなの、殆どの隊士が痛感している事だ。

目の前で取り零した命、手の届かなかった命––––数えるのも億劫な程見てきた、惨劇の数々。その度に唇を噛み、自らの不甲斐なさに静かに涙を流して来た。

 

「…お前」

「足を止めたら、それだけ悲しむ人が増える。腕を止めたら、それだけ鬼が人を喰う隙を与える。有象無象だからって、諦めて良い訳がない」

 

無残に焼け焦げた右腕–––––自分の無力の象徴を一瞥し、一息吐く。

 

「…其方が仕掛けて来た事とは言え、やり過ぎました。怪我が酷い場合は、烏を通して然るべき金額をお支払いします」

「…ふん、いらん心配だ」

 

強がっている口調で口元を拭い背を向ける男性を見遣る。足下が覚束ない姿勢から、言葉よりも効いているようだ。

これ以上話す事もないとその場から立ち去ろうとすると、背中から声が掛けられる。

 

「おい小僧。最後に聞かせろ」

「…なんでしょうか」

「–––––何故、お前は鬼殺隊として戦う」

「そんな事ですか。簡単ですよ」

 

–––––頰を緩やかな風が撫で、微かに鈴の音が残響する。

どうして血を流してまで、辛い思い出をしてまで戦うのかなんて、その理由は一つしかない。

 

「–––––––鬼の存在が許せないから、只それだけですよ」

 

眩い西日が頰を指す。もうすぐ、日が暮れようとしていた–––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「父上⁉︎どうしたんですかこの怪我は⁉︎」

「えぇい煩い!酒に酔って転んだだけだ‼︎」

 

赤を通り越して青くなった頰に手を当て、覚束ない足取りで玄関の戸を開ける父に千寿郎が駆け寄る。しかしそれを手を振って拒むと、そのまま壁伝に歩く。

 

「転んでそんな怪我はしませんよ!一体誰が–––」

「む、父上!酔って転ぶとはやはり飲み過ぎでしょう!手を貸しましょうか?」

「えぇい、黙っておれ‼︎」

 

その様を見た杏寿郎は快活に笑い、父親に手を貸す–––が、それも当然跳ね除けられる。

 

「…少し考え事がある。暫く放っておいてくれ」

 

何やら含みのある一言と共に自室の戸を締め切る父親を、二人の息子が見守る。少しの間襖を見続けると、やがて杏寿郎が「…ふむ」と顎に手を当てる。

 

「権兵衛少年には借りを作ってばかりだな」

「えっ?という事は、あの怪我は小屋内さんが…?」

「幾ら酒に酔っているとは言え、父上は元炎柱だ。それをあぁも打ちのめせる人物など、彼以外に居ないだろう」

「しかし、どうしてそんな…」

「父上が何か言ったのだろう。悪戯に力を振り翳す少年ではないからな」

 

目に見えて動揺する千寿郎の頭に手を置き、優しく撫でる。すると快活な笑みを浮かべ「それより見たか、千寿郎」と意気揚々と語る。

 

「何をですか?」

「父の顔だ。何かを真剣に考える素振りなど、母が死んでからはてんで見ていない。恐らく、権兵衛少年に何か考えさせられることを言われたのだろう」

 

心底嬉しそうに語る杏寿郎の姿に首を傾けるが、兄が嬉しいのなら自分も嬉しいと千寿郎も笑う。

 

「もしかしたら、父上も変わるかも知れないな」

「そうでしょうか…?」

「かも知れん…だが、まずは飯にしよう!」

「わかりました、では準備をしますね」

「俺も手伝おう千寿郎!」

 

機敏な動きで手を上げる杏寿郎に首を振り、毅然とした声で断る。

 

「駄目です。兄上は怪我人なんですから」

「…むぅ」

 

どことなく寂しそうに呟く兄に笑い、父––––煉獄槇寿郎の部屋から二人が立ち去る。

 

「そうだ千寿郎、明日は朝から稽古を始めようか‼︎私は今怪我人だし、付きっきりで見てやれるぞ!」

「ありがとうございます!」

「最近はあまり見てやれなかったからな…。これも、良い機会だろう」

 

良い機会との単語に千寿郎が「そういえば」と何かを思い出し言葉を続ける。

 

「良い機会で思い出したのですが、今日の朝方お隣さんからさつま芋を貰ったんです。折角ですし、今日の夕飯に使いましょうか」

「そうか!それは楽しみだな‼︎」

 

煉獄家に杏寿郎の声が響き、それと同時に窓から爽やかな西風が吹き込む。清涼感に富んだその風は三人の金髪を撫で、快活な声を載せて屋敷の中を巡って行った––––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『–––––––助けて、お兄さん‼︎』

 

 

––––––あの時の記憶は、容易く自分の心を感情の炎で焼き焦がす。

 

どうして助けられなかったのか、どうして守る事が出来なかったのか。刀を抜くか否かで迷ってしまった自分への憎悪、あの少女を助ける事が出来なかった悔恨。その二つが織り交ぜられ、腐肉を煮詰めたようなどす黒い感情を生み出し続けている。

 

「…酷い話だ、本当に」

 

自分とあの酒飲みとの違いはたった一つ、諦めたのか、諦めなかったのかだ。前者が酒飲みで、後者が自分。二人の差なんてその程度だ。

自分の不甲斐なさに遣る瀬無い気持ちがあって、それに絶望して、その後どうしたかの違いでしかない。

 

「––––止めよう。考えるだけ無駄だ」

 

そこまで考えた辺りで頭を振り、濁った思考を遠ざける。

こんな事を考えた所で意味なんてない、勝手に自罰的になって勝手に赦された気になるだけだ。何の生産性もない。重要なのは自分が救えなかった人間である事、この一点だけだ。

 

「…もう蝶屋敷か」

 

嫌な思考のせいで体感時間が狂っていたのか、視界の端に見慣れた日本家屋が映る。すると、その門の目の前で白衣を着た柊がキョロキョロと辺りを見回している事が分かる。

やがて向こうもこちらを認識したのか、慌てた様子で此方に駆け寄る。

 

「兄さん!帰ってきましたか!」

「うん。ただいま、柊」

「どこに行っていたんですか!全く…心配したんですよ?」

「少し野暮用でね。それより随分焦っている様だけれど、何かあったのかい?」

 

心に残っている嫌な感情に蓋をし、いつもと変わらない笑みを浮かべる。すると柊は一度深呼吸した後、よく通る声で話し始める。

 

「落ち着いて聴いてくださいね––––––実は今、蝶屋敷に先生が来ています」

「…師範が?どうして蝶屋敷に」

「兄さんの様子を見に来たと言っていました–––––というより、あんまり驚かないんですね」

 

自分の反応が薄いと思ったのか、ふて腐れた様に頰を膨らませる柊に「そんな事ないよ」と苦笑する。

 

「けどね、あの師範だよ?やることに一々驚いていたらキリがない」

 

素手で六尺はある大熊を捻り殺したり、川に流れる大岩を容易く切り裂くのを平然とやるのが自分の師範なのである。そんな彼のやる事なす事に一々驚いていたら、心臓が幾つあっても足りない事請け合いだ。

 

「それはそうですけど…なんだか納得いきません。私なんて大声を出して驚いたのに」

「それだけ柊が素直で良い子だって事だよ。それで、師範は今どこに?」

「先程まで炭治郎さんと二人きりで話していたんですけど、今はしのぶさん達と一緒に兄さんの納屋を見ています」

「あれは別に俺の納屋じゃ…って、炭治郎君と話してた?」

 

柊の話に疑問符が浮かび、首を傾ける。

特に彼と師範に接点なんてない筈だ。それを態々二人きりで話すなんて、よっぽどの何かがあったと考えるべきだろうか。

 

「ありがとう柊。取り敢えず、今から先生の所に行ってみるよ」

「何かあったら呼んで下さいね、すぐに行きますから」

 

頭を下げる柊に手を振り、蝶屋敷の門を潜って外の納屋に向かう。玄関向かって右側の庭の隅に置かれた、かつて自分が勝手に増築したその場所には遠目ながら三人の姿が見て取れる。

鮮やかな色に染められた羽織を着た華奢な身体のしのぶさんに、隊服の上から白の割烹を被ったアオイさん。そして、漆に塗られた杖を地面に突き、長い白髪を後ろで一纏めにした老人の背後姿が見えた。

 

「–––––––お久しぶりです、師範」

 

多少離れた場所から声を掛ける。しのぶさんとアオイさんの視線が自分に集まり、最後にゆっくりと老人の視線が向けられる。

 

「権兵衛か。良かった、元気そうで何よりだ」

 

皺の増えた顔が弧を描き、目元が糸の様に細められる。そよ風の様に優しく笑うその仕草は、紛れもない師範の笑みそのものだった。

 

「権兵衛君、帰っていたんですね」

「お帰りなさい、権兵衛さん」

「ただいまもどりました…それより、納屋で何をしていたんですか?」

「権兵衛に贈られてきた品々を見ていたんだよ。それにしたって、凄い量だね」

 

そういうと右手に持っていた一枚の絵画を見せてくる。長い刀を携えてどこか寂しげに笑う剣士を描いた油絵であり、自分に贈られてきた品の一つだと分かる。

 

「これなんて権兵衛を模した絵だろう?凄い良く描けているから直ぐにわかったよ」

 

その絵を持って誇らしげに「これを描いた人は将来大成するに違いない」と笑う師範に苦笑する。

 

「自分はそこまで端正な顔立ちではないのですが…」

「謙遜する所は相変わらずだね。こういう時は胸を張ってその通りと言うのが正解だよ?」

「…考慮しておきます」

 

不承不承と頷くと「よろしい」と頷き、その絵に布を巻いて納屋へと戻す。その後、深い藍色の瞳が自分に向けられる。

 

「…君は、本当に多くの人を救ってきたんだね」

「師範のおかげです。師範が自分に剣を教えてくれたからこそ、今の自分があるんですから」

「私は道を示したに過ぎない。それを辿ったのは君だよ」

「…師範?」

 

自分を称賛する言葉だけれど、その声にはどこか別の感情が混じっている様に感じる。周りに視線を向けると、しのぶさんとアオイさんの二人もどこか元気がない様に思う。

そのちぐはぐさに違和感を覚えていると、師範が重々しい様子で皺の増えた口を開く。

 

「–––––––随分と目が濁ったね、権兵衛。初任務に送り出した時とは大違いだ」

「……色々とありましたから」

 

此方を咎める口調に頰を掻き肩を竦める。

本当に、筆舌に尽くし難い事が波の様にあったのだ。一年半前の自分とは、もはや似ても似つかないだろう。

 

「ここにいる二人からも聞いているよ。随分自分を追い込んでいたそうじゃないか」

「自分を追い込みたくて追い込んだ訳じゃありませんよ。自分を追い込まざるを得なかったから、それだけです」

「……その考えは、傲慢だよ」

 

そう言って目を伏せる師範を見て、彼が何を思っているのかを悟る。

彼は悔やんでいるのだ。只の凡人だった少年を、自分の身を削り戦いに明け暮れる一人の剣士に仕立て上げてしまった事を、後悔しているのだ。

 

「––––師範。自分は貴方に、本当に感謝しているんですよ」

 

–––––––けれど、その考えは甚だ見当違いだ。

 

「権兵衛…?」

「貴方が自分に剣を教えてくれたお陰で、本当に多くの人を助ける事が出来ました。そして、これからも多くの人を救えると考えています」

「けれど、その為に君は––––––」

「今までの行動は全て自分の意思で決めた事です。師範に剣を教えて貰ったからこうなった訳ではありませんよ」

 

今の自分に出来る精一杯の笑みを浮かべ、師範に笑い掛ける。

結局の所、自分は何処までも自分だけで完結しているのだ。師範に剣を教わらなくとも、誰に言われるまでもなく、この結論に達したのだろう。そんな、根拠のない確信がある。

 

「師範が俺に、人を救う手段を教えてくれたんです。本当に、感謝してもし切れません」

 

自惚れる訳ではないが、自分が刃を握ったお陰で助けられた命は確かにあった。だからこそ、師範は悪くないと胸を張って言い切れるのだ。

 

「それにですね。今の自分には守りたい、絶対に守り抜くと決めた場所も出来たんです」

「…もしかして蝶屋敷(ここ)、ですか?」

 

しのぶさんの言葉に頷き、屋敷へ視線を送る。

 

「自分はこの場所に何度も命を救われました。一生掛かっても返せるかわからない恩が、此処にあるんです」

 

身体の怪我は勿論、ここにいる人達が自分を「人間」足らしめてくれているのだと思う。この場所を知る事がなければ、自分の心はとっくに擦り切れていただろう。

 

「そんな大切な蝶屋敷(ここ)を守る力をくれたのは師範です。だから師範は何も悪くない、むしろ誇るべきなんです。私は弟子に、戦うための最高の術を与えたって」

「…全く、本当に面倒臭い弟子を持ったものだね」

「今更ですよ、そんなの」

 

心底呆れた様に溜息を吐き、その後困った様に笑みを浮かべる。自分が幼い時によく見た、呆れながらも許す時に浮かべる笑みだった。

 

「色々と言いたい事はあったけれど、今の権兵衛には意味がないだろう。だからせめて、一つだけ言わせて欲しい」

「何でしょうか?」

 

手に持つ杖から藍色の刃を光らせ、にっこりと笑う。

 

「孫の顔を見せるまで死ぬ事は許さないから、そのつもりでね」

「–––––––善処します」

 

下手をしなくとも鬼を殺すよりも厳しい難題に、捻り出す様に頷く。

とんでもない事を言ってくれたものだと内心辟易する自分と、師範らしいと微笑む自分が混在する。

 

「孫の下りは冗談とは言え、強ち全部が冗談という訳じゃない。鬼が居るこの世では、君は人並みの幸せを享受する事を拒むだろう?とことん自分に厳しい悪癖があるからね」

「別に悪癖とは言えないのでは…?」

「悪癖です」

「悪癖ですね、間違いなく」

「……ハイ」

 

しのぶさんとアオイさんの二人ににべもなく告げられ肩を竦める。ちょっと頑張り屋なだけなのに…。

 

「だから、まずは鬼を出来得る限り滅殺すると良い。そして、自分が納得出来るまで日輪刀を振るい続けたなら、その後は誰かと結ばれて、幸せになって欲しい。それが、私から君への最後のお願いだよ」

「…わかりました。約束します」

 

並々ならぬ想いを含む声に、静かに頷く。

 

「ありがとう–––––そろそろ夜になるね」

 

その言葉に倣い空を見上げると、茜色に輝いていた空が黒く染まり、月が輝く夜が訪れる。

 

「––––鈴の呼吸は剣技に非ず、神前に捧ぐ神楽也」

 

暗くなる空を黙って見上げていると、ふと師範が口ずさむ。

 

「鈴の呼吸の書物に書かれた一文だ。私と私の師匠はその言葉の意味が最後までわからなかったけれど、もしかしたら権兵衛には分かるかもしれないね」

「どうでしょうか。師範も知っての通り、自分はあまり頭が良くないので」

「感覚の問題さ。そういうものは、頭の良し悪しに関わらず直感的に理解できるものさ」

 

どことなく寂しそうに笑うと、藍色の眼が向けられる。その時、聞かなければいけない事を一つ思い出す。

 

「師範、鈴鳴り刀の事についてお聞きしたい事があるのですが…」

「権兵衛の事だ、完成までの期間が未定と聞いて焦っているのだろう?」

「…良くご存知で」

 

心の内を見事に当てられて苦笑する。

 

「鈴鳴り刀の製刀には特殊な玉鋼を使う。完成が未定なのは、それがいつ届くかわからないからだね」

「特殊な玉鋼、ですか」

「うん。私も詳しいことはわからないんだけれど、陽光山の麓にある神社からその玉鋼が里に送られるらしい」

「…何故神社が?」

「言ったろう?私も詳しい事はわからないと」

 

どうして日輪刀の鍛造に神社が関与するのかと思考するが、何の関係性も見出す事の出来ずに思考を手放す。

師範に聞こうと口を開くが、肩を竦めて「神道は秘密主義だからなぁ…」と零す師範に何かあった事を悟り、事前に閉ざす。蛇がいると分かっている藪を態々突く必要もない。

 

「それにしたって、ここまで長い間私の日輪刀を使うとは思っていなかったよ。自分の刀が欲しいとは思わなかったのかい?」

「特には。それに、師範の刀の方が綺麗な色ですから」

「…そうか。なら良かった」

 

どこか嬉しそうに目を細める師範を眺め、再び視線を空に向ける。すると何かを思い出したのか「そういえば」と口を開く。

 

「私が寄木細工に入れて送った鈴はまだ持っているのかい、権兵衛」

「えぇ。ですけど、あれにどんな意味が…?」

「師匠から聞いた言葉によると、あれは約束の鈴と言うらしい。鈴の呼吸を使う剣士が肌身離さず持っていたとされている物だね」

 

特別な鈴だとは思っていたが、どうやら自分が思っていたよりも重要な何かを抱えているのかもしれないと考える。

 

「約束の鈴、ですか…」

「まぁ、鳴らない鈴を鈴と言い張るなんておかしな話だとは思うけどね」

「それでも、師範から贈られた物ですから。大切にしますね」

 

軽く胸を張ってそう告げると、師範がキョトンとした様子で固まり、少し経つと息を吐く。

 

「––––本当に、鬼狩には勿体ない程良い子だね、権兵衛は」

「…どういうことですか?」

「自慢の孫って事だよ」

 

言葉の意味が分からず首を傾けると硬い掌が自分の頭に乗せられ、優しく撫でられる。何度もしてもらったその感覚に、自然と笑みが溢れる。

 

「さて、私はもうそろそろお暇させて貰おうかな」

「もう遅いですし、屋敷に泊まって行ってはどうでしょう?」

「権兵衛にも会えましたし、もう大丈夫です。お心遣いだけ受け取っておきますね」

 

しのぶさんの誘いを丁寧に断ると、自分の頭から手を離して背を向ける。

 

「–––権兵衛、くれぐれも身体には気をつけるんだぞ」

「はい、師範こそ」

「柊にもよろしく言っておいてくれ。それじゃあ皆さん、良い夜を」

 

その言葉とともに視界から師範が消え、何かが空を切る音が微かに響く。–––––立ち振る舞いから察していたが、まだ衰えは来てないらしい。

 

「…何者なんですか、あの人は」

「一応、先先代水柱ですね」

 

目を見開くしのぶさんに笑って語る。

 

「そういう訳ではなく……まぁ、良いです。夜も更けて来ましたし、そろそろ屋敷に入りましょうか」

「そうですね」

 

「私は夕餉の準備をしますね」と先に屋敷に入っていくアオイさんを見送り、しのぶさんと二人並んで屋敷の玄関へと向かう。

 

「良い月ですね、しのぶさん」

「えぇ、今日は月が良く見えます」

 

穏やかな西風に乗って微かに藤の花の香りが鼻に届く。鬼達の夜は、始まったばかりだった––––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「…にしたって、今日は疲れたなぁ」

 

蝶屋敷の縁台に腰掛け、小さく息を吐く。

煉獄家への訪問や突然の師範来襲という濃い内容の1日を過ごした為か、普段よりも疲労が溜まっている様な気がする。

 

「こういう時は甘い物に限るよ」

 

自身の側に置いたお盆の上に置いてあるカステラを一つ手に取り、半分頬張る。和菓子とは異なるハイカラな甘さに舌鼓を打ち、玄米茶の芳ばしい香りを楽しんでから一口啜る。うん、美味しい。

 

「うまうま」

 

玄米茶の余韻をカステラで打ち消し、再び玄米茶を啜る。身体に溜まっていた疲労が霧散していく様に覚えながら、再びカステラを手に取る––––––その時、耳に慣れた鈴の音が聞こえる。

 

「…うん?」

 

途中まで持ち上げたカステラをお皿に戻し、音の鳴った方を見遣る。すると、廊下の影から竹を咥えた少女が小首を傾けながら現れる。

 

「こんばんは禰豆子ちゃん。それ、気に入って貰って何よりだよ」

「むー」

 

右手に括られた鈴を鳴らしながらとてとてと歩み寄り、此処が定位置と言わんばかりにぽすんと膝に収まる。そのまま身体を揺らして何かを待つ様に目を細める彼女に微笑み、優しく頭を撫でる。

 

「むー♪むー♪」

「ご機嫌だねぇ」

 

頭を撫でられてご機嫌なのか、ニコニコと笑う彼女の愛らしい姿を見て頭を撫で続ける。

 

「むー?」

 

少しの時間そうしていると、今度は別の足音が耳に聞こえる。規則正しいその足音は徐々に近づいてきて、禰豆子ちゃんと同じ廊下の影から一人の少女が現れる。

 

「–––––権兵衛さん?」

「こんばんは、カナヲちゃん。任務から帰ってきたんだね」

 

普通の隊服とは異なる洋袴を着用した端正な顔立ちの少女、栗花落カナヲちゃんが影から顔を出す。肩に羽織った白の羽織が微かに土に汚れている事から任務帰りだと察し、微笑みと共に労いの言葉を掛ける。

 

「お疲れ様。もし良かったら甘い物でもどうかな?」

「……頂きます」

「うんうん、素直なのは–––––––うん?」

 

一度頷き、静かに隣に座る彼女を見る–––––なんだろう、雰囲気が前よりずっと丸くなった気がする。

そんな自分の視線を知ってか知らずか、お皿に乗せられたカステラを手に取ってパクパクと食べ始める。その様子に呆気取られつつも、もう一つある湯飲みに急須から玄米茶を注ぎ彼女に手渡す。

 

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

 

湯呑みを受け取り一度呷るその姿は眩い月に当てられてか、まるで一枚の絵画の様に様になっている。それにしたって、雰囲気が随分と柔らかくなったに思える。表情こそ前と変わらないが、那田蜘蛛山の時のこの子を知っている自分からして見れば別人の様だ。

 

(…ま、良いか)

 

何かあった事は間違いけれど、別に詮索するに値しないと断じて湯呑みを呷る。彼女の雰囲気から察するに、事態が好転したのは間違いないからだ。

 

「…むー?」

 

そのまま少しの間そうしていると膝から禰豆子ちゃんが顔を出し、カナヲちゃんをこてんとつぶらな瞳で見つめる。

 

「貴女も居たのね、禰豆子」

「フガ!」

 

そんな彼女の頭をカナヲちゃんが優しく撫でる。その時微かに、本当微かだが、人形とは違う心からの微笑みを浮かべたカナヲちゃんを見た–––––初めて人間らしい表情を、見る事が出来た。

 

「–––––そっか。君の心にも、火が灯ったんだね」

 

その表情を見た時、口から安堵に塗れた声が意図せず溢れる。

 

「…えっと」

「炭治郎君は凄いな、本当に。人の心を拾い上げる事が出来るんだから」

「…………ど、どうして炭治郎だと分かったんですか?」

「禰豆子ちゃんに向ける表情で分かるよ。今まで無表情だったから余計に、ね」

 

「あぅ…」と赤くなった顔を俯かせる彼女に微笑み、空に浮かぶ月を見上げる。澄んだ空に浮かぶそれは眩く輝いていて、暗い夜を照らしている。

そんな月を見上げていると、ふと頭に一つの名案が浮かぶ。

 

「そうだ。二週間後のお祭り、炭治郎君達と周るのはどうだろう?」

「…えっ?」

「二人きりは善逸君や伊之助君がいるから難しいかも知れないけれど、同期同士親睦を深めるのも良いと思うよ」

「…っ」

 

なんて答えるのか迷ったのか、懐から銅貨を取り出して震える手で弾く––––––前に、その手を左手で抑えて彼女の瞳を覗き込む。

 

「カナヲちゃん自身は、どうしたいんだい?」

「–––––––––その、一緒が、良いです」

 

耳まで顔を赤くし、本当にか細い声でそう囁く彼女に頷き「だったら勇気を出さないとね」と肩を叩く。

 

「大丈夫、彼はきっと快諾してくれるよ」

「…そうでしょうか?」

「むー!」

「ほら、彼女もそうだって言っているよ」

 

賛同の意思を見せる禰豆子を抱き上げる。

気を抜くと彼女が鬼であることを忘れそうに成る程、彼女は人間らしい。

 

「–––わかりました。今度、炭治郎を誘ってみます」

「それが良い」

 

話が纏まったのでカステラを食べようとお皿に手を伸ばす––––が、その手は空を切って終わる。

 

「…あれ?」

 

皿を見るとさっきまでは確かにあったカステラが全て無くなり、白い底面が悲しげに鎮座しているだけだ。

 

「お茶ご馳走様でした。その、お休みなさい、権兵衛さん」

「あ、うん。お休みカナヲちゃん、良い夜を」

 

湯呑みのお茶を飲み干したのか、ペコリと頭を下げて縁台から立ち去るカナヲちゃんを半ば呆然としながら見送り、その後、再び空になった皿を見遣る。

 

「……意外と食いしん坊なのかな」

「むー?」

 

こてんと首を傾ける禰豆子ちゃんに苦笑し、少し温くなった玄米茶を二度啜る。

芳ばしい後味は相変わらずだが、何故か先程よりも苦い様な気がする。

 

「––––––––これは案外、俺の案が功を奏したかも知れないな」

 

甘味がなくなったお茶会に少しの寂しさを感じながら一人呟く。空にはそんな事は知らないと言わんばかりに月が輝き、俺と禰豆子ちゃんの二人を照らしていた––––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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–––––––蝶屋敷の客間の一室。夜明け前の奇妙な青さが空を支配する時間帯にも関わらず、明かりを付けないその部屋で布が擦れる音が断続的に響く。

 

「こうして見ると、やっぱり酷いな…」

 

布の擦れる音–––––包帯が解かれる音が止み、それが巻かれていた右腕が露わになる。

肩口から指先にかけて無数の火傷痕が見受けられ、肌色だった肌も薄黒く変色してしまっている腕を見た少年が呻く。その後右腕の動作を確認する様に拳を握っては解くを二度繰り返し、溜息を吐く。

 

「–––––感覚はまだ鈍い、か」

 

元の色に戻るには年単位の時間が必要と思われる右腕を一瞥すると、箪笥から新しい包帯を取り出して先程よりも薄く右腕に巻き付けて行く。この状態で生活するのは注目を集めると判断したからだ。

 

「機能回復が必要なのは間違いないけれど…まぁ、祭りまでに動けるようになって良かった」

 

包帯を巻き終えた少年は安堵した声を上げた後、白の流から鬼殺隊の隊服––––––ではなく、青を基調とした淡色の和服と藍色の羽織を羽織る。

 

「にしたって、俺には派手すぎないか…?」

 

袖を通した和服には各所に白の錦糸で鈴を模した飾縫いが施され、細部にまで手が込んでいる事から名高い職人が織った布である事が伺える。そんなお洒落な和服に袖を通した自分に口を曲げつつも「…まぁ、良いか」と納得する。

 

「なんたって、今日はお祭りだからなぁ」

 

今日を指し示す日付にはやや汚い字で「祭当日」と書かれている。

日付に間違いが無いことを確認した後、部屋の中央に並べられた風呂敷を一枚手に取る。

風呂敷の上に「胡蝶しのぶさんへ」と筆で書いた手紙を載せて一緒に持ち上げると、少年はしたり顔で笑う。

 

「後は、皆んなが起きないように枕元にこれを置いていくだけだな」

 

「喜んでくれると良いなぁ」と呑気に笑う少年––––––小屋内権兵衛が音を立てないように戸を開け、廊下に出る。

まだ日が出ない早晩の寒気に僅かに肩を震わせると、いそいそと廊下を歩き出す。彼の目的はまだ、始まったばかりだった–––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「…ん」

 

–––––––襖の隙間から陽光が差し込み、眩い光が目蓋を照らす。太陽の光に微睡み緩んでいた思考が少しずつ回り始め行くのを感じ、ゆっくりと目蓋を開く。

霞む視界に布団と畳が映り、今自分が横たわっていると理解する。昨日は確か、久しぶりに布団で寝ようと思って–––––––。

 

「…そう言えば、今日はお祭りの日でしたね」

 

いつもなら研究に明け暮れて机で寝る事が多いけれど、屋敷の皆でお祭りに行く為に布団で寝たことを思い出し、温もりの残る柔らかい布団から身体を起こす。

頰に掛かる髪を背後に払って目元を少し擦ると、やがて視界が鮮明になっていく。

 

「すみ達に和服を用意しないと…あと屋台で買い物する用のお小遣いも…」

 

本当なら親の元で遊んでいる年頃にも関わらずここで頑張って貰っているのだから、せめてお祭り位は年頃の女の子として楽しんで貰いたい。そんな罪悪感にも似た感情に少し暗い気持ちになるが、首を振ってその感情を振り払う。

 

「えぇと、前に買った和服は何処に–––––––」

 

掛け布団を外して立ち上がり、三人に前に買った筈の和服の場所を探そうと戸に手を掛ける––––––––前に、視界の端に見慣れない紫色の風呂敷が映る。

 

「…何でしょうか、これ」

 

戸に掛けていた手を降ろし、蹲み込んで枕元に置いてあるそれを見る。風呂敷の上には表に「胡蝶しのぶさんへ」と筆で書かれた手紙らしき物が鎮座していて、中身が自分宛のものだと分かる。

 

「…取り敢えず、手紙から見てみますか」

 

差出人には粗方見当がつくものの、とりあえずは手紙を手に取って中身を開ける。そこには、前に一度見た事がある筆跡で短い文が記されていた。

 

『しのぶさんへ 

柊から今日のお祭りは皆んなで行くと聞きました。

とても良い事だと思います。

そこで僭越ながら、普段のお礼を兼ねて自分から細やかな贈り物をしたいと思います。

枕元にある風呂敷の物は全て自分の気持ちです。今日のお祭りで使って貰えると嬉しいです。

 

小屋内権兵衛より』

 

「…相変わらず、味気のない文章ですね」

 

前に貰った手紙同様特筆する事のない手紙に苦笑し、それと同時にこの前の『女性に贈り物云々』の質問の意味をようやく理解する。突然贈り物をして此方を驚かせようと言う魂胆だったのだろう、年相応の少年らしい行動に自然と笑みが溢れる。あぁ見えて可愛い所もあるらしい。

 

「さて、どんな物が入っているんでしょうね」

 

朝から気分が微かに高揚するのを感じ軽い気持ちで風呂敷を解く。

 

「………えっ?」

 

中身を見た途端、口から声が漏れる––––––––––風呂敷の中には、それはそれは色々な物が入っていた。

巷で流行っていて手に入れるのが難しいとされる頬紅や口紅、小さいけれど細工の細かさに高貴さを感じる簪、光沢消しが施され花と蝶を模した絵があしらわれた下駄、どれも卓越した職人の技と素材の良さが見て取れる高級品の数々。

 

「…えぇと」

 

大凡手に入れようとしたら三月ばかり程掛かる事請け合いの品々が並ぶ中身に目を見開く––––けれど、贈り物はそれで終わりではなかった。

紙に包まれたそれらの品を丁寧に取り出していくと、下から一帯の帯と着物が出てくる。

その和服を手に取ると滑らかな感触が感じられ、非常に高価な糸で織られた織物だと言う事が分かる。

若干怖くなりながらもそれを拡げると、案の定と言うべきか、今まで見てきたどの着物よりも綺麗な色が目に映った。

 

淡い桃色を基調とした下地に所々蝶々が舞い、派手すぎない絶妙な色彩を保っていて、右袖にある銀の鈴の模様からこれを作った人がどのような人物なのか一目で分かる。帯は自身が普段来ている羽織と合う様に淡い緑色で淡白に纏められ、小さな鈴と蝶の刺繍が隅にあしらわれている。

 

「これ、一体幾らするんでしょう…?」

 

技一つ一つの細やかさを鑑みるに、並の職人が作ったものではない事が分かる。しかも和服を触った感触から高価な糸を使っているとも思われ、これ一式で幾らするかなんて想像だに出来ない––––あまり言っていい言葉ではないけれど、庶民に手に入る代物ではないと推測される。

 

『–––自分でちゃんと、考えたいんです』

「–––全く、権兵衛君らしいと言えばらしいですけどね」

 

いつのまに着物の柄を決めたのかはわからない…けれど、各所に施された鈴の模様から彼自身が考え職人に依頼した事が分かる。その事実が、なんだかとても嬉しかった。

 

「権兵衛君はどこにいるんでしょうか…」

 

広げた着物を丁寧に畳んで風呂敷に戻した後、自室の戸を開けて廊下に出る。まだ朝早いから何処にも出掛けて居ないとは思うけれど、彼の事だ。日が昇らぬ内から鍛錬に勤しんでいても不思議は無い。

となると行き先は道場か彼の自室の二択に絞られる訳だけれど……。

 

「––––しのぶ様〜!」

 

視線を回し彼の姿を探していると、ふと後ろからパタパタと三つの足音と声が聞こえ振り返る。

 

「おはよう、すみ、なほ、きよ。朝からそんなに走ってどうしたんですか?」

「おはようございますしのぶ様!聴いてください!」

「朝起きたら権兵衛さんから贈り物が届いていたんです!」

「今日のお祭りに使って欲しいって書いてありました!」

「あら、そうだったんですか」

 

きゃっきゃっと喜んでいる三人に微笑み–––––瞬間、頭に一つの予感が過ぎる。

 

「…所で、一体何が入って居たんですか?」

「えぇとですね…お揃いの柄の着物と、綺麗な模様の入った下駄、後は––––」

「可愛らしい柄の櫛と、鈴のついたがま口が入ってました!」

「–––––良かったですね、三人とも」

 

 

–––––––––権兵衛君、貴方と言う人は………。

 

 

動揺を悟られない様に上手く繕う。

実際に見ていないから確証はないけれど、彼の事だ。一人を贔屓するのは良くないと言わんばかりに三人分の着物も同じ所で依頼しているに違いない。そうなると、一体幾ら掛かったのか……。

 

「–––それでですね、しのぶ様。がま口の中に、権兵衛さんの手紙からお小遣いだと思われる物が入っているんですけど…」

「その、私達には分不相応と言いますか…」

「過剰、と言いますか…」

 

そう言い、真ん中のすみがおずおずとがま口を差し出してくる。見た目からはそんなに入っているとは思えない…が、それを持った刹那、何やら重い金属が入っている事を悟る。

 

「…もしかして」

 

そんな筈はないと、頭に浮かんだ一つの可能性を首を振って否定する。幾ら一般常識が一部欠如しているとは言え、まさか金貨が入っているなんて––––––––。

 

「……………」

 

–––––––そんな自分の考えを嘲笑う様に、開かれたがま口には一枚の金貨が静かに佇んでいた。

 

「–––––取り敢えず、これは一度預かって置きますね」

「私たちのもお願いします!」

「…三人全員にですか」

 

驚きが一周巡って冷静になり、一度ため息を吐く。あの人は本当に……。

 

「所で権兵衛君はお部屋に居ましたか?」

「それが、お部屋にも道場にも居ないんです」

「隊服が壁にかかっていましたから、鍛錬はしていないと思うんですけど…」

「妙ですね…」

 

鍛錬をしていないならば一体何処に居るのか。彼が普段居そうなところを頭の中で模索している–––––すると「あれ?朝からどうしたんですか?」と気の抜けた声が静かな屋敷に響き、其方を振り向く。

 

「おはようございます皆さん。今日はいい天気で良かったですね、これなら花火も上がりそうです」

 

–––––そこには、青の和服に袖を通した一人の青年が佇んでいた。

 

「…ご、権兵衛君、ですか?」

「そうですけど…もしかしてしのぶさん、まだ寝ぼけていますか?」

「いえ、そう言うわけではありませんが…」

 

服は人を着飾ると言うけれど、こうも変わる物なのかと驚愕する。普段病人服か隊服しか着ている姿を見ていないからか、着物を着た彼はっきり言って別人の様だった。

 

「その着物凄い似合ってますね!」

「別人かと思いました!」

「そうかな?自分には派手すぎると思うんだけど…」

「そんな事ありません!権兵衛さんにぴったりですよ‼︎」

 

どこか気恥ずかし気に頰を掻く彼を半ば茫然と眺めているが、すみ達の「しのぶ様もそう思いますよね!」との声に我に帰る。

 

「えぇ、とてもよく似合ってますよ。正直見違えました」

「ありがとうございます。そう言って貰えると嬉しいです–––けど、意外です」

「何が意外なんですか?」

 

彼自身の髪の毛を指差し、「髪型ですよ」と笑う。

 

「しのぶさんが髪を下ろした所を初めて見ましたけど、凄い似合ってます。やっぱりしのぶさんはどんな髪型も似合いますね」

「…あ、ありがとうございます」

 

心から言っている言葉に頰が微かに赤くなり、思わず顔を背ける。今自分がどんな表情をしているから分かるからこそ、それを彼に見せるのはなんだか負けた気分になるからだ。

 

「そう言えば権兵衛さんはこんな時間にどこに行っていたんですか?」

「近くの役所まで花火の観覧席を買いに行ってたんだ」

「花火の観覧席って凄い人気だったと思うんですけど、買えたんですか?」

「知り合いがいたお陰でね。もちろん、屋敷の皆んな全員分あるよ」

 

そう言って茶封筒から観覧券を取り出す彼に「お〜!」と彼女達が歓声を上げる。準備が良いというか、良すぎると言うか……。

キャッキャと喜ぶ三人に微笑むと、「そうだ」と権兵衛君が声を上げる。

 

「そう言えば枕元にある荷物には気付いた?一応目立つ所に置いて置いたんだけど…」

「そうです!すっごい綺麗な着物とか色々入っててびっくりしました!」

「けど、あんなに綺麗な着物貰って良いんですか…?」

「そうですよ、しのぶ様とかにも…」

 

どことなく心配そうな三人に「それは大丈夫だよ」と少し胸を張る。

 

「だって、しのぶさんを含めて屋敷にいる全員分用意してあるからね」

「…えっ?」

 

あっけらかんと言い放ち、すみ達が固まる。

大した事ないと言わんばかりの彼の口調に、思わず目を覆う。それと同時に、柊さんの心配がある種現実の物になってしまった事を理解する。

 

「–––権兵衛君、少しは加減する事を覚えた方が良いと思いますよ?」

「加減、ですか…?」

「えぇ。何もそんな、高価な物ばかり用意する事が大切な訳ではありません。些細な物でも、気持ちは充分伝わる物ですから」

 

彼は相手を大切にする余り、過剰な行動を取るきらいがある。その想いの源泉はとても素晴らしい物だとしても、行き過ぎた行動は万人には理解されない、必ず嫌な勘違いを生む。だからこそ、誰かがそれを正さないと行けない。

 

「…確かに、そうかも知れません」

 

自分の言葉を聞き、静かに頷く。

少し言い過ぎたかも知れないと僅かな後悔が過ぎると、「それでも」と彼はとても寂しそうに笑う。

 

 

「後悔だけは、したくなかったんです。…来年も、みんなで花火を観れるか分かりませんから」

 

 

「–––––––––––あっ」

 

 

–––––––その姿を見た時、自分がどうしようも無い思い違いをしていた事を悟った。

何事も無ければ、来年も変わらず祭りは行われ花火は上がるのだろう–––––けれどその時、今いる全員がいるとは限らないのだ。彼は誰よりもそれを理解していて、痛感しているから、こんな大掛かりな事をやってのけたのだ。年を越えれば、自分が死んでしまっているかもしれないから。

 

「こうして自分が此処にいる事が奇跡みたいなものです。だからせめて、こういう時位は自分のやりたい事をやろうって、そう決めていたんです」

 

「もしかして迷惑でしたか?」と心配そうに見る彼を見て、私は「いいえ」と首を振り、精一杯の笑みを浮かべる。

 

「贈り物、とても気に入りました。ありがとう、権兵衛君」

「…良かった。頑張って選んだ甲斐がありました」

 

–––––––––心から嬉しそうに笑うその姿は、私でも見惚れるほど晴れやかだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それはそうと、なほ達に金貨をあげたことについては認めていませんから。これからお説教です」

「えぇ……?普段頑張ってる三人にはあれでも少ないと思ったんですけど…?」

「それでも金貨はやり過ぎです。それに、三人はお金よりも権兵衛君と一緒に遊ぶ方が嬉しいと思いますよ?」

「–––––一考の余地はありますね」

「一考せずに実行して下さいね?」

「…ハイ」

 

肩を落として項垂れる彼に小さく微笑む。

私だけの贈り物かと期待させたのだから、これくらいは許して欲しいと心の中で謝罪する。

 

「権兵衛君。贈り物をする時は大勢にではなく、特定の誰かに上げた方が効果は高いんですよ?

「そうなんですか?」

「えぇ。覚えて置くと良いです」

「なんだかわかりませんが…わかりました。覚えておきます」

 

素直に頷く彼に「是非そうして下さい」と念を押す。

–––––他人の感情に疎く自罰的な彼は多分、私の気持ちに気付く事はない。それでも、砂粒程度の可能性があるのであれば……。

 

「早く気付いて下さいね?蝶々って、皆んなが思っているよりもずっと気が移ろい易いんですから」

 

蝶屋敷の屋根から晴天の空に一羽の鳥が羽ばたく。その鳥はどこまでも遠くを飛んでいき、青空に溶けて行った–––––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




小屋内権兵衛

当代の鈴の剣士。ずば抜けた体力と最適化された身のこなしによって極めて長い間戦闘を行う事のできる人物であり、鈴の呼吸と極めて高い親和性を持つ剣士。

少年時代を取り戻したとある剣士

初めてのお祭りを楽しみにしている少年。楽しみにし過ぎて色々と加減が効いていないのが玉に瑕だが、それも愛嬌の一つであろう。
因みに、彼女らに送った品物は全て彼の救ってきた人々の作った特産品であり、権兵衛が宇髄に相談しつつ自ら連絡を取って作成を依頼した。

鈴嶺弥生

小屋内権兵衛の育手にして過去水柱。江戸時代末期から明治初期までの間に柱として活動し、下弦を含む多くの鬼を屠ったとされる。性格は権兵衛の育手だけあって温厚であり、滅多な事がなければ怒りを露わにする事はない。鈴の呼吸の習得に血道を上げたがその努力は結ばれる事なく、壱の型と弐の型しか扱う事が出来なかった自分を今でも悔いている。

鈴嶺弥生の育手

かつての鈴の剣士の直系に当たる女性。しかし彼女が鈴鳴り刀を鳴らす事は叶わず、弟子である鈴嶺に全てを託したのち結核で命を落とす。最期の最後まで、鈴の音を鳴らせなかった自分の事を恨んでいた。

鈴の呼吸概略 弐

鈴の呼吸の習得が困難とされる所以の一つに、流麗かつ寸分違わない剣筋が求められる事が挙げられる。訓練の時ならいざ知らず、実戦において流麗な剣線を辿る事は極めて難しいと言わざるを得ない。その難しさから捌の型まで習得した剣士は過去に三人しか確認されておらず、権兵衛で四人目となる。
捌の型まで鈴の呼吸を扱う事のできる剣士は鈴の剣士と呼ばれ、特別な意味を持つとされる。

鈴鳴り刀

日輪刀の原料となる玉鋼が産出される陽光山。その麓にあるとある神社がより質の良い玉鋼を選出し、長い期間を掛けて清めたそれから鍛造される日輪刀の亜種。正しい剣筋で振るうと鈴の音の様な音が鳴る事が特徴とされる。

約束の鈴

白と黒に塗られた二つ一組の鈴。普通に揺らしても音が鳴る事はなく、どの様な意図で作られたのかは不明とされる。



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