鬼殺隊一般隊員は鬼滅の夢を見るか?   作:あーけろん

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難産でした…(疲労困憊)





鬼殺隊一般隊員は柊の葉と出会う

 

「––––ようやくその域に達したか、権兵衛」

 

そよ風の吹く草原の上。愛弟子から送られてきた一通の手紙をそっと撫で、ひとり呟く。

 

「前回の鈴の呼吸の使い手から百二十余年……私では担い手にはなれなかったが、彼はなってくれた」

 

鈴鳴り刀を使い熟すことの出来る剣士の養成。これで、自分の務めは無事に果たせた事になる。

 

「鬼舞辻無惨を殺す為の一本の鏃が、漸く完成した。これで、奴に弓を射る事が出来る」

 

雑多な鬼をいくら殺した所で意味などない。大元を絶たない限り、悲劇は繰り返されるのだから。

 

「鈴の呼吸の子細を記した書物を届けたいが、誰に向かってもらうか…」

 

鈴の呼吸を会得した以上、かの呼吸は全て彼のものだ。だからこそ、その子細について記した書物を彼に渡す必要があるのだが……。

 

「–––そうだ。彼女に向かってもらおう」

 

信頼できる人物は誰かと頭で思い浮かべた時、ひとりの少女が頭の中で浮かぶ。確かに彼女なら守秘義務は完璧だし、なにより権兵衛に今最も会いたいと思っている人物だからだ。

 

「鴉や鴉や、少しお願いを聞いてくれるかい?」

「カァー?」

 

足元に控えていた鴉を持ち上げ、羽を一度撫でる。

 

「柊に、一度帰ってくるよう伝えてほしいんだ。なるべく早くね」

「カァー!」

 

コクコクと頷き、軽快に空に羽ばたいていった鴉を眺める。懐から一つの木箱を手に取り、再び空を見上げる。

 

「–––師匠。貴方の意思は無事、繋がりましたよ」

 

少しの雲が浮かぶ青い空は、どこまでも透き通って見えた––––––。

 

 

 

 

 

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「––––よし」

 

日が昇る前の早朝。纏まりのない髪を二つの蝶の髪飾りで二つに纏めてから席を立つ。それから押し入れを開き、淡い紫色の寝巻きから鬼殺隊の隊服を取り出す。

 

「………」

 

権兵衛さんと出会う前は、見るたびに多少の罪悪感にかられていた「滅」の文字を一瞥し、それに袖を通す。軽く身体を見回して不備がないかを確認すると、更にその上から白の割烹着を着込む。

 

『チリン』

「うん?」

 

その際に白の割烹着からコロンと紫色の鈴が転がり、透き通るような音色を響かせる。

床を転がったそれを手に取り、目の前に持ち上げる。鈴の表面を指で軽く撫でると、カラコロと綺麗な音を奏でる。

 

「…少しは、自分を大切にしてくれるのかな」

 

その鈴を見て。蝶屋敷防衛の任に就いた彼を思う。

鬼を殺すために、文字通り自分をすり潰していた彼––––いや、逆だ。

人を助けるために鬼を殺す。それを成すためには、自分をすり潰すしか道がなかったのだ。

なまじ普通の人ならすぐに折れてしまうその信念を、彼は貫いたのだ。

 

「今頃は寝ているはずよね」

 

なほ達に口酸っぱく言われた彼は一日三刻の睡眠を強制されている。そんな彼がこんな時間に起きている筈がない。

拾い上げた鈴をポケットにしまい込み、襖を開けて部屋から出る。

 

「…少し冷えるわね」

 

吐いた息が少し白くなる事を見て、軽く割烹着を握る。窓から外を見れば綺麗な半月から空から見え、まだ夜が明けない事がわかる。

殆どの人が眠りにつく廊下を音を立てないように歩く。朝とは違い、一切音がしない廊下はどこか別世界のように思える。

 

「…えっ?」

 

そのまま厨房へと脚を運ぶと、思わず声を上げてしまう。何故なら、縁台に腰を掛けて空を見上げている一人が見えたからだ。

藍色の羽織を着込み、鞘に入れられた大きな日輪刀を抱えて空を見上げるその人は間違いなく、小屋内権兵衛その人だった。

 

「あれ、アオイさんですか?」

 

やがて気配で気がついたのか、穏やかな笑みを浮かべた彼がこちらを見る。緩やかな雰囲気を纏い、笑いながら口を開く彼は普段よりも柔らかな印象を受ける。

 

「権兵衛さん、随分早いんですね」

「目が覚めてしまったもので。やる事もなかったから、こうして月を見ていたんです」

 

彼が指差す月は輝いているが、しかし空が白ばむ事で徐々に月が薄くなっている。

 

「もうすぐ朝ですね。アオイさんは朝餉の準備ですか?」

「えぇ、そうですけど…」

「でしたら手伝います。ちょうど手持ち無沙汰でしたので」

 

縁台から立ち上がり、壁に日輪刀を立てかける。相変わらず長いそれだが、何故だか彼が握るとそれが普通のように思えるから慣れというのは不思議なものだ。

 

「そういう訳にはいきません。また朝が早いんですから、もう少し休んでいて下さい」

「そこをなんとか、お願いしますよ」

「…あんまり人が良いと、色々と損をしますよ?」

 

事あるごとに何かを手伝おうとする彼に忠告する。蝶屋敷の清掃や在備品の補充、果ては怪我人の治療を施す彼は、まるでそうする事が当然のように行動する。

蝶屋敷のみんなは勿論、しのぶさんもそれは当然に把握している。けれど、度を超えない範囲については何も言わないようにしている。それが彼のやりたい事だという事がわかるからだ。

 

「たまにはゆっくりして、自分の為に何かをしてあげてください」

「優しいんですねぇ、アオイさんは」

 

貴方の方が何倍も優しいですよ、なんて言葉が喉元まで出てきたが、すんでのところで踏みとどまる。どうせ流されるのだから、言うだけ無駄だからだ。

 

「実は頂いた中にいい味噌があったんです。それでお味噌汁を作りたいと思いまして」

「お味噌汁だったら私が……」

「自分に宛ててくれた品ですから、せめて最初くらいは自分が使いたいんです。それくらいならいいでしょう?」

「…そう言う事でしたら」

 

「ありがとうございます」と笑うと、のんびりした様子で厨房へと歩き出すのを見て自分も後ろをついて行く–––––結局の所、彼はどこまでも優しいのだ。

 

「そう言えば、片付けの方は大体終わったんですか?」

「殆どは。ただ、少し片付けるのに難儀なものがいくつかありまして……」

「難儀なもの、ですか?」

 

下顎に手を当て、困ったように口を開く。

 

「壺や絵と言った調度品––––––後は、縁談のお誘いとかですね」

「そうですか、縁談のお誘い……縁談のお誘い⁉︎」

 

彼の口から縁談という単語を聞き、思わず声を荒げてしまう–––––それって一体……。

 

「う、受けるんですか?」

 

恐る恐る口にした言葉にふるふると首を横に振るう。

 

「まさか、自分には荷が勝ちすぎる話です。自分は、自分の荷物を背負うのに精一杯ですから。–––それに、自分と会うと多分、鬼のことを思い出してしまいますから」

 

「早く忘れた方が良いんですよ、鬼殺隊の事も、鬼の事も」と寂しそうに喋る彼に咄嗟に口を開くが、途中で閉じる。無責任に他人の人生を背負う事が出来ない、そう思ったからの言葉だと理解したからだ。

 

「…そうですか。先方にはお断りの手紙を?」

「えぇまぁ。…ただその、数が多くて」

「どれくらいあったんですか?」

「…ざっと十二ですね」

「じゅっ…⁉︎」

 

疲れた目を見せて呟く数に驚愕する。多くの人を救ってきた人だとは思っていたけれど、それほどの数のお誘いを受けるなんて……。

 

「………まぁ、その、少し驚きましたね」

 

どこか困惑した様子の彼を見て自分も口を開く。

 

「…権兵衛さんって、女性に人気なんですね」

「自分なんて、なんの特色もない凡だと思っていたのですけどね」

 

「特に顔とか」と冗談めいた口調で笑う彼にはっきりとした口ぶりで言い放つ。

 

「女性は顔だけで男性を選ぶ訳じゃありません。きっとその人たちは、権兵衛さんの優しいところに惹かれて手紙を送ったのでしょうね」

「…そうでしょうか?」

 

自信がないのか、語尾を低くする彼に言葉を重ねる。

 

「間違いなくそうです。貴方が自信を持たないと、貴方と結婚したいと思ってくれた人達に申し訳ないですよ」

「アオイさんは凄いですね。そこまで考えが回るなんて」

「凄さで言ったら鬼を二百体殺した貴方の方が凄いです。何度も言っていますが、貴方はもっと自信を持って下さい」

「…敵わないなぁ」

 

嬉しいような、困ったような笑みを浮かべ再び前を向く。すると、ふと彼が口を開く。

 

「アオイさんは、誰かから結婚を申し込まれた事は無いんですか?」

「えっ⁉︎結婚、ですか?」

「はい。アオイさんは可愛いから、きっと人気があると思って」

「可愛っ……⁉︎」

 

矢継ぎ早に飛んでくる言葉に顔が熱を持って行くのがわかる。それを口にする彼は特になにも気にしていないのか、平然としたままだ。

 

「…お世辞として受け取っておきます」

「別に、お世辞と言うわけじゃ……」

「お世辞として受け取っておくんです!それでいいですね⁉︎」

「…あっ、はい」

 

自分がどうして声を荒げているのか理解できていないのか、キョトンと首を傾ける彼に少し怒りが湧いてくるが、意味のない事だと思考を切り替える。

 

「それと、軽々しく女性に可愛いとか口にしてはいけませんよ。いいですか?」

「勿論です。今のところ、直接口にしたのはアオイさんが初めてですから」

 

あっけらかんと言い放つ彼に、思わず言葉を失う。––––この人は、本当に……。

互いに会話に困ったのか、少しの間沈黙が包む。歩く音が等間隔に響くのを感じつつ、ふと私が口を開く。

 

「…権兵衛さんは、こういう人と結婚したいだとか、そんな希望はあるんですか?」

 

突然の言葉に目を点にする。ある程度瞬きをすると、言葉の意図を理解して口を開く。

 

「…考えた事もありません。自分は、そういう人並みの幸せから縁遠い人生を生きていくものと思っていましたから」

「あくまでも仮に、です。何かありませんか?」

「うーん…そうですねぇ…」

 

我ながら何を聞いているんだろう、とは思う。–––けど、どうしても聞いてみたいとも思った。この人は、どういう人を求めているのかわからなかったから。

権兵衛さんはどこまでも自分の中で完結していて、そこに他人の介在する余地はほとんどない。だから、他人にどんな事を期待しているのか、少しだけ興味があったのだ。

小さく悩む素ぶりを見せるが、やがて静かに口を開く。

 

「–––おはようを、言ってくれる人が良いですね」

「おはよう、ですか?」

「はい」

 

どこか照れ臭いのか、ほんのり赤くした頰を少し掻くと気恥ずかしそうに口を開く。

 

「朝起きたら寝ぼけた目でおはようって笑い合えて、ご飯を食べる時は一緒に頂きますをして、どこか出かける時には行ってらっしゃいの言葉で送ってほしい。それで、帰ってきたらお帰りって出迎えてくれて、寝る時にはお休みって言い合える。そんな人が良いですね」

 

『生きていて、声を聞けるだけで嬉しいこともあります。–––人が簡単に死ぬ世界ですから、変わらず居てくれる事が救いになる事だってあるんです』

 

その時、前に権兵衛さんが口にした言葉が脳裏で蘇った。変わらず居てくれて、声が聞こえるだけでも嬉しい–––あの言葉はきっと、自分の気持ちをそのまま口にしたのだ。

普通の人生を送っていれば感じることのない、ごくありきたりな幸せだけれど、この人にとってはそれが何より嬉しい事なのだと、幸せな事なんだと感じる。

 

「すいません。あんまり面白い話ができなくて」

「い、いいえ。私こそ不躾な質問をしてすいませんでした」

「気にしないでください。–––本当に、そんな人がいれば良いんですけどね」

 

鬼殺隊を抜けて、ありきたりな生活を送れば手に入る幸せだと、きっと彼は理解している。けれど、それを理解しても尚、この人は鬼殺隊であり続けるのだろう。鬼を殺し、人を守るために。

 

「…何があるかはわかりませんし、断言は出来ません」

「…アオイさん?」

 

諦めた口調で話す彼を見て、つい口からこぼれてしまう。

これから伝える言葉を考えるだけで自分の顔が熱を持ち、赤くなっているのがわかる–––だけど、それでもちゃんと口にしておきたかった。

 

「–––––––ですが、私が此処にいる限り。そして、貴方が此処に居続ける限り、私は貴方におはようと言い続けます。出掛ける時も行ってらっしゃいの言葉で送りますし、寝る前に会えばおやすみなさいと言葉を返します」

 

キョトンとした表情を一瞬浮かべる––––––––直後、照れくさいのか、少し顔を赤くして笑う。陽だまりにも似たその笑顔は、見ているこっちが嬉しくなるほどだった。

 

「––––ありがとうございます、アオイさん。その言葉を聞けただけでも、今まで走り続けた甲斐がありました」

「…さ、さぁ!早く朝御飯の準備をしますよ!」

 

顔が高熱を持つことを感じ、そそくさと厨房へと向かう。その道中で地面から太陽が覗くのが見え、少し目を細める。

普段とは異なる朝の始まりだったけれど、こう言うのも悪くない。権兵衛さんといると、心からそう思えた––––––。

 

 

 

 

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「助けて下さい権兵衛さん!いやほんと、死んじゃうんですよ‼︎」

「……急にどうしたんだい、善逸君」

 

庭先で鈴の音を響かせながら素振りをしていると、突然背中に金髪の少年が飛び込んでくる。自分の隊服にしがみつき、プルプルと震えているところを見ると、何かに怯えている事がわかる。

 

「何かあったのかい?もしかして鬼?それならすぐにでも––––」

「そうなんです!いや、正確に言えば鬼じゃなくて……!」

「…?」

 

善逸君の言いたい事が分からず疑問符を浮かべるが、やがて聞こえてくる足音を聞いてその意図を理解する。

 

「貴方は……!また戸棚にあるお饅頭を食べましたね!何度言えば気がすむんですか‼︎」

「ひぃぃぃ!ごめんなさいごめんなさい!」

 

怒気を露わにし、つかつかと歩み寄るアオイさんを見る。あの様子だと、随分手を焼いているらしい。

 

「お願いします権兵衛さん!俺をかばって下さい!」

「そうは言っても……」

「それに権兵衛さんの邪魔までして!良いから来てください!今からお説教です!」

 

首元を掴まれ、ズルズルと引き摺られそうになるのを自分の隊服をがっしり掴んで離れないように堪えている–––隊服が伸びるから出来ればやめて欲しいんだけど……。

 

「まぁまぁ。アオイさんも少し落ち着いて…」

「落ち着いてどうにかなるなら疾うに落ち着いています!この人は言っても聞かないからこうするしか無いんです!」

 

一応可哀想なのでなんとか弁護をしようと試みるが、取りつく島もない様子に苦笑いを浮かべる。なおも悲鳴をあげる善逸君を、獅子が子を谷に突き落とすように感じつつ手を離そうとし、そこで「あれ?」と声をあげる。

 

「そういえば善逸君、機能回復訓練はどうしたの?この時間だとまだやってる筈だけど…?」

「あっ、あの、それは……」

 

言葉に詰まる善逸君の代わりに、アオイさんがどうしようもないものを見る目で善逸君を見る。

 

「その人はサボりです。サボって戸棚のお饅頭を食べているんです」

「あっ、ちょっと!いや違うんですよ権兵衛さん!これには深い事情が……!」

「…そっか、サボりかぁ。それは良くないね」

 

隊服を掴む腕を瞬く間に解き、代わりに善逸君の二の腕をがっしりと掴む。

 

「ヒッ!あの、権兵衛さん……?」

「アオイさん。あとは自分に任せて貰えませんか?」

「…良いんですか?」

「はい。あと出来れば、炭治郎君と伊之助君も呼んできてください」

「良いですけど、一体何をするつもりなんですか?」

 

ガクガクと震える善逸君を見て、ニッコリと笑う。

 

「少し、お話をしようと思います」

 

 

 

 

 

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「……大変だったねぇ。三人共」

 

蝶屋敷にある自室に三人を呼び、そこでお茶とお饅頭をお盆に乗せて出す。何やら震えている様子の善逸君がいるが、そんなに怖い雰囲気を出したつもりは無いんだけれど…?

 

「あ、あの…今から俺たちは何をさせられるんですか…?」

「なにもしないさ。言ったろう、お話をするだけだって」

 

震える善逸君にそう語りかけ、横一列に座る三人の前に自分も正座する。

 

「さて……カナヲちゃんと行う訓練はシンドイかい?」

「……えぇと」

「別に告げ口したりはしないさ。正直な所、どうなんだい?」

「…はい」

 

渋々といった様子で頷く炭治郎君に笑みを浮かべる。

 

「正直なのは良い事だ。いくら戦っても勝ち目のない相手と、立ち向かい続けるのはシンドいだろうさ」

「権兵衛さんも、そういう経験があるんですか?」

 

炭治郎君の質問に苦笑する。

 

「何度かね。勝ち目のない鬼と何度も戦って、それで辛勝した事も二度や三度じゃない」

 

自分で淹れたお茶をすすり、お饅頭を頬張る。「君達も食べな」と勧めると、三人がお饅頭を手に取る。

 

「けどね、それでも諦めちゃいけないんだよ。どんなに辛くともね」

 

湯呑みをお盆に置き、三人を見据える。自分よりも些か幼い顔立ちの彼等相手には酷かも知れないと脳裏に浮かぶが、それでも言葉を続ける。

傍に置いてある自らの日輪刀を持ち上げ、そこから刃を一部抜き放つ。

 

「君達は鬼殺隊員なんだ。鬼を唯一殺すことのできる、ただ一つの剣士なんだよ。そんな君達が諦めてしまったら、救える人も救えなくなる」

 

透き通るような藍色の刃を再び鞘に納めると、湯呑みを手に取る。

 

「君達の持っている日輪刀は友を、人を守るためのものだ。俺は、君達に力不足のせいで後悔はして欲しくない」

「友達を、守る…」

 

小さな声で呟く善逸君に頷く。

 

「負けても良い。逃げても良い。けど、諦めちゃダメだ。最後の最後まで足掻き抜け。––––それがいつか、隣にいる大切な人を助けるための力になるから」

 

湯呑みの底にあるお茶っぱの残骸を眺める。–––結局のところ、そこが肝心なんだと俺は思う。鬼という人外の存在を人の身でありながら狩るというのだ。生半可な覚悟では、潰されて終わるのがオチだ。

 

「–––それで、どうする?此処で彼女を超えることを諦めるか、それとも足掻くか」

 

最後の確認として彼等に問う。ここで諦めるのであればそれまで、ただ、もし抗うと決めたのであれば……。

 

「…足掻きます。俺は、鬼殺隊の隊士ですから」

「お、俺も…出来うる限りの範囲なら、頑張りたいです」

「やってやんよ!俺は山の王だからな‼︎」

「…聞くまでもなかったね」

 

各々覚悟を決めた口調で宣言したのを聞いて、自分の問いが無意味であったと笑う–––彼等ならきっと、蝶屋敷を守るに足る人物に成長してくれる。

 

「それじゃあ、先人からの助言をしようかな」

「助言、ですか?」

「うん。君達はカナヲちゃんと訓練をする上でどこが敵わないなと思う?」

「そうですね…。瞬発力と動体視力、大きく分けてこの二つだと思います」

 

それを聴き、あっけらかんと言い放つ。

 

「動体視力についてはあれは生まれつきのものだ。君達じゃあの子には追いつかないね」

 

自分の言葉に「そんなぁ…」と項垂れる三人を見て、やんわりと笑みを浮かべる。

 

「けど、それなら瞬発力を鍛えれば良い。二つでボロ負けの所を一つ対等に渡り合えるようになれば、それで戦いにはなるだろうね」

「瞬発力を鍛えるにはどうすればいいでしょうか?」

「取り敢えずは走る事だ。足腰の筋力を鍛える事が出来れば、自ずと瞬発力は身についてくる」

 

「女性と男性じゃ生まれつき筋肉の面で大きく差が出る。だから、決して彼女に地力で勝てない訳じゃないさ」と言葉を区切る。

 

「地道な訓練が大事、と言う事ですね…」

「勿論。基礎なくして応用はありえないからね。ただ、もう一つだけ君達が彼女に勝てない要素がある」

 

自らの胸に手を当て、大きく息を吸う。

 

「それはつまり、呼吸さ。全集中の呼吸を常に行い、身体そのものを作り変える。これが出来ないと、彼女に勝つのは一生かかっても無理だろうね」

「一生、ですか……」

「うん。一生」

 

はっきりと断ずる。全集中の呼吸・常中が出来るか出来ないかで隊士としての質は劇的に変わる。それこそ、月とすっぽんのように。

この場合、月がカナヲちゃんですっぽんが彼等だ。

 

「あの、全集中の呼吸って、少し使うだけでもかなり疲れるんですけど」

「それを続けてこそ、だね。何事も継続が肝心だよ」

 

身体に負荷を加えて作り変えるのだ、それが楽なはずがない。

 

「どうやったら一日中出来るようになるんですか?」

「とにかく肺活量を増やす事と、あとは癖をつける事だね。まずは意識して全集中の呼吸の感覚を身体に覚えこませるのが一番だ」

「…すげぇ大変そうなんですけど」

「大変じゃない訓練なんてないさ。善逸君だって、地獄のような訓練を経て鬼殺の剣士になったんだろう?」

「それは、そうですけど…」

 

渋面を浮かべ、嫌そうに喋る彼に苦笑する。才能はあるんだけど、こういう後ろ向きな所はなんとも言えないね……。

 

「わかりました。俺、頑張ります!」

 

意を決したように呟く炭治郎君を見て微笑む。…彼のこういう前向きな所は、俺も見習わなくちゃいけない。

 

「それでこそだ。何か分からない事があったら遠慮なく訊きに来て欲しい。出来うる限り、力になるよ」

 

三人がお饅頭とお茶を平らげるのを見て、席を立つ。

 

「君達はまだまだ強くなれる。それだけは、俺が保証するよ」

 

最後の激励の共に「さぁ、訓練頑張って」と彼等を送り出す。彼等が凡百の隊士で終わるのか、それとも光る何かを見つけるのか、此処が文字通り分岐点になるだろう。

 

「…頑張れよ。三人共」

 

いつか蝶屋敷を守るであろう三人に向け、一人になった部屋で小さく呟いた。

 

 

 

 

 

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機能回復訓練に向かう途中の廊下にて、ふと誰かが口を開いた。

 

「–––なぁ。結局権兵衛さんって、鬼殺隊の中でどれくらい強いんだ?」

 

それは、善逸の唐突の疑問だった。

 

「えっ?権兵衛さんの強さ?」

「うん。俺たちよりも遥か高みにいるのはわかるんだけどさ、それが鬼殺隊の中でどれくらいの強さなのかわからないんだよ」

「俺の出会った半々羽織野郎と雰囲気は似てるけどな」

「伊之助、冨岡さんを半々羽織野郎なんていうのは良くないぞ」

 

伊之助を軽く注意した後、善逸の言葉を反芻する。確かに権兵衛さんの強さが鬼殺隊全体のどの辺にいるのかは分からない。鬼殺隊最強を誇る柱ではないと言うことは、那田蜘蛛山の一件で把握している。

–––けど、自身が柱達に感じた匂いと、権兵衛さんから感じる匂いには大して違いを感じる事が出来なかった。いや、むしろ……。

 

「権兵衛さんでも柱になれないって事は、柱はもっと強いって事なのかな?」

「どうだろう…?一度全員と会った事があるけど、強さの匂いはそんなに違いがあるとは思えなかった」

「ふーん…。なんか謎めいてるよなぁ」

 

いまいち権兵衛さんの強さを測りかねている気がする。

蝶屋敷で戦った姿を見たときは、文字通り住んでいる次元が違うと肌で感じた。剣筋や足捌きや体捌きは勿論だが、それ以上に、彼の放つ気配そのものに圧倒的な差があった。

 

「権兵衛君が、どうかしましたか?」

 

三人で頭を捻っていると、可憐な花の匂いが鼻に付く。ふわりとした様子で目の前に現れたのは、ここを管理している胡蝶しのぶさんだった。

 

「胡蝶さん、おはようございます」

「はい、おはようございます。権兵衛君について何か話していたようですけど、何か問題でも起こしましたか?」

 

少々棘のある雰囲気の彼女に首を振って否定する。

 

「いえ、大した事じゃないんですよ。只、権兵衛さんは鬼殺隊の中でどれくらい強いのか気になって…」

 

自分の言葉に「あぁ、成る程」と納得して笑みを浮かべる。

 

「あの子は少々特殊でして、実力だけ見れば鬼殺隊の柱に匹敵する能力を持っています」

「やっぱり」

 

あのとき感じた匂いは間違っていなかったことを確信し、次の言葉を待つ。

 

「現役の柱から度々推薦は受けているんですけど…どういうわけか首を縦に振らないんですよ。困った人ですね」

「いや、それは……」

「それじゃあ、権兵衛さんと同じくらい強い人が甲にゴロゴロ居るわけじゃないって事ですか?」

「もし権兵衛君ほどの実力を持った隊士が十人もいれば、殆どの鬼はこの世から消えているでしょうね」

 

ニコニコととんでもないことをいうしのぶさんだけど、嘘を吐いている匂いはしない––––この人は、本気でそう思っているんだ。

 

「…そ、そんなに権兵衛さんは凄いんですか?」

 

恐る恐る聞き返す善逸に笑いながら口を開く。

 

「善逸君。貴方は津軽から日光まで一日で移動して、そこから鬼を殺す事が出来ますか?」

「普通に無理です。というか、そんな事が出来たら人間じゃないような…?」

「それが、それをごくごく当たり前のように熟すのが権兵衛君なんですよ」

「………はい?」

 

しのぶさんの言葉に絶句する。日本を一日で半分程度縦断する事すら困難であるのに、そこから鬼を殺すなんて正気の沙汰とは思えないからだ。

 

「日本を駆け回る人並み外れた機動力と、重傷を負いながらも鬼を殺すことのできる人外染みた持久力。さらには柱にすら匹敵するような剣の腕–––これらを一つに統合したのが、小屋内権兵衛というひとりの少年なんです」

「普通に人間じゃない……」

「…へ、へっ。中々やるじゃねぇか」

 

強いとは思っていたけれど、あまりに規模の違う話に震えてしまう。あんなに優しい顔をしているのに、そんなとんでもない事をしているなんて……。

 

「一応言っておきますけど、絶対に真似をしないで下さいね?あれは権兵衛君が極めて特殊な個体なだけであって、私たちのような普通の人間がそんな事をしたら3日と持たずに死んでしまいますから」

「も、もちろんです!というより、真似できる気がしない…」

 

どこか影のある口調にコクコクと頷く。–––この様子から、結構手を焼いてきた事がわかる。

 

「という訳なので、もし彼が何か無茶な事をしていたら私かアオイのどちらかに報告して下さい。然るべき対処をしますから」

「了解です!」

「お願いしますね」

 

一瞬で目の前から消える彼女を見て、どっと疲れが湧いてくる。何というか、とんでもない話を聞いてしまった……。

 

「…訓練、頑張ろうか」

「…だな」

「…うん、頑張ろう」

 

上には上がいる。けれど、高すぎる上は見ることすらできない。初めてその事実を知ったとき、只がむしゃらに努力するしかない事を知った––––––。

 

 

 

 

 

 

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腹部に巻かれた包帯を取り払う。包帯から覗かれた肌には少し白くなった傷跡が見えるだけで、血や肉のような赤色は見受けられない。

 

「これで完治、ですね。ありがとうございます、しのぶさん」

「…一週間半で治る傷ではなかったんですけどね」

 

困ったように笑うと、ペタペタと自分の脇腹を触る。やがて触診が終わったのか小さく頷く。

 

「えぇ、内側までしっかり塞がっています。これなら任務も問題ないでしょう」

「はい。なんだか、随分長い間休んでいた気がしますね」

「たかが一週間休んだくらいで何を言っているんですか」

 

頰を弱い力で抓られ「痛い痛い」と声を出す。

 

「それで、今のところ任務は入っているんですか?」

「特には。ですから、今日の夜から哨戒に出ようかと」

「哨戒、ですか」

 

蝶屋敷に攻め込まれてからでは遅い。事前に屋敷に近づく有象無象を潰して置き、攻め込まれないようにしておくのが最善と考えるからだ。

しかし、自分の意見にしのぶさんは笑みを潜ませ渋い表情を浮かべる。

 

「あまり遠くに行って欲しくはないのですが…」

「まだ病み上がりですから、今日は昼過ぎから出立して日帰りを予定します。無理はしませんよ」

「–––言葉を返せば、病み上がりじゃなければ屋敷の周りの鬼をずっと殺して回るのでしょう?」

「…それは、まぁ」

 

痛い所を突かれて言葉を濁す。しのぶさんは「はぁ…」とため息を吐くと、多少の怒気を孕んだ視線を向ける。

 

「それじゃあ貴方を此処に置いた意味がありません。貴方の休養も含めての任務なんですから」

「それは重々承知しています。––––ですが、こればかりは辞める訳にはいきません」

「…まだ自分には此処にいる価値がないと思っているのですか?」

 

その言葉に「いいえ」と首を横に振り、微かに怒りを露わにする彼女の瞳を見据え、静かに口を開く。

 

「自分は、もう二度と鬼に蝶屋敷の敷居を跨がせたくないんです。しのぶさんやアオイさん、すみちゃんやなほちゃん、きよちゃんカナヲちゃんがいるこの場所に、奴らが土足で踏み込む事が我慢できない」

 

––––思い起こすのは、恐怖に震えていたアオイさんの姿だ。顔を蒼白にし、小刻みに震えていた彼女。

あの時は間に合ったから良かったものの、もし間に合わなかったらと思うだけで背筋に嫌な汗が流れる。

世の中に絶対はない。だからこそ、なるべく屋敷に近づく障害を排除したいのだ。

 

「その為には、屋敷に近づく悪鬼どもを皆殺しにしないといけないんです。–––ですから、この考えを曲げる訳にはいきません」

「…権兵衛君」

「はい?」

 

直後、額に言いようもない程の衝撃が走る。デコピンされたのだと直後に理解するが、あまりの衝撃で頭がクラクラと揺れて思うように思考がまとまらない。

 

「い、いきなり何をするんですか⁉︎」

「言っても聞きそうにないので実力行使に出ただけです」

「む、無茶苦茶な…」

 

少し経った今でもヒリヒリと熱を持つ額をさする–––コブにならないと良いけど……。

 

「無茶苦茶な事を言っているのは貴方ですよ。どうして自分一人で背負いこもうとするのですか」

「…不死川さんと約束したんです。蝶屋敷を中心に半径五十里は自分が管轄する、と」

 

その言葉を言った途端、しのぶさんが固まる。

 

「–––すいません。もう一度言ってもらって良いですか?」

「蝶屋敷を中心に半径五十里を自分が管轄する、と」

「はい。もう結構です」

 

「どいつもこいつも…」と怒気を露わにするしのぶさん。拳に血管が浮き出ていることから、相当力を込めている事が伺える。

 

「それで、そんなバカみたいな提案をしたのは貴方ですか?それとも不死川さんですか?」

「自分です」

「……はぁ」

 

口元に常に浮かべていた笑みが消え「感情が制御できない者は未熟者、未熟者…」と俯く。

やがて冷静になったのか、再び笑みを浮かべる。

 

「どうしてそんな馬鹿みたいな約束をしたんですか。それだけ広範囲を担当するなんてどう考えても無理があります」

「……いや、その」

 

しのぶさんの質問に言葉が詰まる。というのも、その約束をした理由を話すのが少し恥ずかしいからだ。

 

「なんですか、何か言えない理由でもあるんですか?」

「そういう訳では……」

「では、どうして言えないんですか?」

 

尚も追求してくる彼女に等々観念し、渋々口を開く。

 

「…蝶屋敷からなるべく離れたくなかったから、です」

「…すいません。それとその約束でどう繋がるんですか?」

「自分が遊撃から防衛に回った事で、辺境まで隊士が配備出来なくなったんです。ですから、なるべく早く蝶屋敷を出ろと言われまして……」

「……それで、その対案として蝶屋敷一帯–––––いえ、平野一帯を一人で抱え込むと言った訳ですか」

 

ピクピクとこめかみが揺れるしのぶさんに震えつつ、首を縦に振る。

 

「…仰る通りです」

「–––権兵衛君。それだけの広い範囲を受け持つと、容易に屋敷に帰って来られなくなると分かっていてそれを言ったんですか?」

「…一月か二月に一度帰れればいいかな、って」

「権兵衛君」

 

今まで見てきた中で一、二を争うほど良い笑顔を浮かべる彼女に頷く。

 

「–––はい」

「周囲の哨戒に出る場合は必ず次の日のうちに帰ってくる事。また、帰れない場合は鴉を使って即座に連絡する事。良いですね?」

「いや、それは…」

「柱命令です。良いですね?」

「その、不死川さんとの約束が……」

「それは後日私からお話しします。兎に角–––––良いですね?権兵衛?」

「………了解しました」

 

彼女の逆鱗に触れてしまったと確信し、素直に頷く。これ以上此処にいるのは不味いと直感が告げ、そそくさと診察室を後にする––––その時だった。

 

「どこに行くんですか、まだ話は終わっていませんよ」

 

木製の椅子––––ではなく、木目の床を指してしのぶさんが笑う。

 

「座ってください、もちろん正座で」

「…何をするんですか?」

「決まってるじゃないですか––––今からお説教です。一刻は覚悟して下さいね」

 

今から一刻の間、自分が地獄を味わうのだと理解する。抵抗は無駄だと早急に諦め、静々と床に正座する。

降り注ぐしのぶさんの説教が終わったのは、そこから一刻と半刻が過ぎるまでだった––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

________________________

 

 

 

 

 

 

「–––それで。しのぶ様に散々絞られたって訳ですか」

「いやぁ、あはは」

「笑い事じゃ有りません!全くもう…!」

 

白の病人服から着替え小豆色の隊服に袖を通し、壁に立てかけてある鈴鳴り刀を手に持つ。慣れ親しんだ重さのそれを持ち上げ、綺麗になった吊り紐を見る。

 

「紐の修繕ありがとうございました、アオイさん。お陰で助かりました」

「気にしないで下さい。–––あれ?その鈴…」

「あぁ、これですか」

 

鈴鳴り刀に付けられた白と黒で一対を成す鈴を見せる。

 

「いいんですか?鈴があると型を阻害するんじゃ…」

 

鈴の呼吸は鈴の音色によって鬼の血鬼術を弱める力を持つ、とされている。その音色を遮らないために鈴を外したのだから、彼女の心配も当然と言える。–––が、この鈴についてはその心配は必要ないのだ。

 

「それが、この鈴全く鳴らないんです」

「鳴らない鈴、と言うことですか?」

「はい。師範から送られてきたんですけど…」

 

用途が全くわからないが、師範が送ってきたのだから多分鈴鳴り刀関係だろうと当たりをつけて括ったものだ。音もならないし、大して重さもない為邪魔にはならないと判断したからの行いだ。

 

「不思議ですね…。というより、権兵衛さんはもう鬼殺に向かわれるんですか?まだ昼過ぎなのに…」

 

アオイさんから渡された茶色の雑嚢を受け取り、中身を一瞥する。牛革の水筒、塗り薬、止血用と解毒用の薬草、包帯、乾燥鮭が全て入っていることを確認し「ありがとうございます」と笑みを浮かべる。

 

「えぇ。鴉からの情報で屋敷の付近に鬼が出没しているそうですから」

「ですけど、今はまだ昼過ぎですよ?」

「寧ろ好都合です。付近に潜伏しているのであれば、探すのも容易ですから」

 

枕元に置いてある鍔を取り除いた短刀を手に取り、僅かに刀身を露わにする。入念に手入れをしていただけあって綺麗な水色が伺えるそれを見てから、再び鞘に納める。

 

「もしかして、日が差している間に鬼を殺すんですか?」

「鬼が昼間隠れている場所は洞窟や町外れの民家、もしくは人間のふりをして街にいるかの三つですから、当てさえあれば見つけるのも殺すのも容易ですよ」

 

小さな机の上に置かれた紙を手に取り、それをアオイさんの前に広げる。

 

「これは?」

「地元の猟友会に依頼して作ってもらった、屋敷一帯の森にある壊れた民家や倉庫、大きな洞窟の場所です。普段から森で働いている人達ですから、確度は保証できますよ」

 

地図には赤い丸で囲まれた場所がいくつも書かれている。これが鬼が潜伏している可能性が高い場所という訳だ。

 

「そこを虱潰しに探していく、という訳ですか」

「昼間はそうなりますね。もっとも、そんなにポンポン見つかる訳がないので、やはり夜が鬼を殺す主な時間帯である事に変わりはないんですけど」

「…徹底してますね」

「勿論です、蝶屋敷の安全がかかっていますから」

 

その地図を雑嚢の中にしまい込み、紐を肩にかける。すると「あの、権兵衛さん」とアオイさんから竹の葉で包まれた何かを手渡される。

 

「これは?」

「おむすびです。なほ達と一緒に作ったんですけど、良かったら」

「ありがとうございます!とても助かります」

 

まだ少し暖かいそれを受け取り、アオイさんに笑みを浮かべる。

 

「なほちゃん達にもお礼を伝えておいて下さい」

「それは、自分で帰ってきて伝えた方がいいと思いますよ?」

「…それもそうですね」

 

日帰りでここに返ってくるのだ、だったら帰ってきて直接伝えるのが一番だろう。

 

「それと権兵衛さん。最後にこれを」

「これは……」

 

アオイさんの腕に抱かれた藍色の何かを受け取る。藍色の布を大きく広げると、それは自分が使っていた藍色の羽織だった。左脇腹部分に空いていた穴が綺麗に塞がり、血に塗れてどす黒くなっていた布は元の綺麗な藍色で染まっている。

 

「直してくれていたんですね!何から何まで、本当にありがとうございます!」

「…やっぱり、大切なものなんですか?」

「はい。最終選抜の時、刀と一緒に師範から貰った羽織なんです」

 

その羽織に腕を通すと、妙に馴染んだ感覚を覚える。やはり、自分にはこれが合っているらしい。

そのまま二人で玄関先まで向かい、自分の足周りの装備を点検する。全てが問題ないことを確認すると、再びアオイさんに向き直る。

 

「これで準備は万端、ですね」

「はい。色々とご迷惑をおかけしました」

「–––帰ってくるんですよね?」

 

不安げな表情を浮かべるアオイさんの右手を軽く握る。

 

「必ず、帰ってきますよ」

 

すると安心したのか、アオイさんが小さく笑う。

 

「そうですか––––––それじゃあ権兵衛さん」

「はい」

「行ってらっしゃい。お気をつけて」

「行ってきます、アオイさん」

 

握った手を離し、玄関の戸を開ける。そのまま戸を閉め、蝶屋敷の門から外に出る。

 

「–––約束、したもんな」

 

見送ってくれた彼女に報いるためにも、必ずもう一度この門を潜らなければならない。死体ではなく、生きた人間として。

 

「鴉」

 

小さく呼ぶと羽ばたく音と共に肩口に大きな鴉が止まり、「カァー!」と鳴く。鴉の翼を優しく撫でると、鴉が腕を伝って正面に止まる。

 

「事前に伝えた通り、蝶屋敷の周りを彷徨く悪鬼共を一掃する。情報を出してくれ」

「カァー‼︎南東方向!南東方向ヘ迎エ!」

 

腕から飛び立つ鴉の先導に従い、地面を疾走する。どこか暖かさを感じる羽織を少し握り、目的地へと足を進めた––––––––。

 

 

 

 

 

 

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––––––––静寂が包む、とある山林。

 

無造作に聳える木々によって日差しは遮られ、地面にはこれでもかと言うほど雑草が生い茂っている。人の手が入っていない、まさに原生林の様相を見せるこの森だが、そこにひとりの人間が枝を踏み折って歩いて行く。

小豆色の制服にも似た服をしっかり着込み、上から藍色の羽織を纏う少年は、手に紙を持ちながら視線を左右に揺らしている。

 

「…ここか」

 

やがて紙から視線を離し、とある洞穴を見つける。ただでさえ通りにくい日差しが一切通らずに深い闇が奥へと続くそこは、中がどうなっているのかわからない。–––けれど、彼はそこに何かがいることを確信していた。

 

「鴉、お前は上で待機していてくれ」

「カァー!」

 

茶色の雑嚢と背中に吊った大きな刀を地面に降ろし、藍色の羽織をその上に置く。懐から一本の短刀を取り出し、静かにそれを鞘から抜き放つと、木漏れ日に当たって綺麗な水色が見える。

 

「火事になったら不味いから、火が使えないのが難点だな」

 

ポケットにあるマッチ箱を取り出すが、直ぐにそれをしまう。やがて身体を引き絞るように身体を捻り、小さく息を吸う–––––––直後、少年が弾かれたように洞窟の中へ突っ込む。

 

「なっ⁉︎て–––––––」

 

何者かの驚愕の声が、液体が飛び散る音によって遮られる。何か硬いものが折れる音が一度響くのを最後に、洞穴に再び静寂が訪れる。やがてコツコツと何かが歩く音が聞こえると、洞窟から右腕と短刀を真っ赤に染めた先程の少年が現れる。

 

「終わったよ。血鬼術を使う暇もなかったみたいだ」

 

血にまみれた右腕と短刀を木漏れ日の差す場所に突き出すと、シューという蒸発音と共にみるみる血が消えていき、最後は元の小豆色だけが残る。

 

「まずは一匹か…」

 

血の取れた刀身を鞘に納め、懐にしまい込む。再び藍色の羽織に袖を通し、雑嚢と大太刀を背負うと、洞窟の中を一瞥もすることなくそこから立ち去る。

少年が去って幾ばくか。僅かに高かった日が沈み、鮮やかな茜色が洞窟の中を照らす。そこには、何もなかった––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

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–––––––––小屋内権兵衛が行った鬼殺は、徹底的だった。

 

蝶屋敷に入る前、日本各地を転々としていた時は日が沈んでから、鬼が活動を開始する夜に鬼を殺す事が殆どだった。管轄する範囲が広すぎて、鬼がどこに出現するか分からなかったからだ。

しかし、蝶屋敷一帯と言う固定した範囲を受け持った彼はそれでは足りないと考えたのだ。蝶屋敷に近づく脅威の殲滅、その任を自ら背負った彼は、まず一帯の地理を把握することから始めた。鬼が隠れそうな場所や鬼が活動し易そうな場所、そして鬼が動き辛い場所などを徹底的に洗い出し、鬼がどこに出現するのかをある程度予測を立てた。

 

「なっ、何で鬼狩がこんなとこに–––!」

「–––––これで、十と二つ」

 

粗方場所を把握し終えた彼は、その地点を一点一点潰していき着実に鬼を殺していった。鬼になったばかりの雑魚鬼も、そこそこ人を食って血鬼術を使えるようになった異能の鬼も、すべて殲滅していった。森で、街で、洞窟で、川で、山で、街道で、殺す場所に限りなど無く、蝶屋敷の近くを彷徨く鬼の悉くを殲滅していった。

 

「テメェ!ただで帰れると……」

「二十と三つ目」

 

時には藤の花の香を利用して鬼を誘導し、待ち伏せして斬り伏せる事も行った。鬼殺隊の中で随一の鬼との遭遇率、その殆どの鬼を殺してきた彼の経験によって配置された罠は抜群の効果を発揮し、特定地点で鬼同士の共食いを誘発させる事もあった。

野生動物相手に罠を仕掛けるより余程容易い、とは彼の言だ。

 

「…まだ足りない」

 

何が彼を動かすのか、日の本を遊撃して回っていた時よりも遥かに鬼気迫る勢いで鬼を滅殺し、着々と鬼の屍を積み上げていく彼は、わずか二週間と半日で二十を超える鬼を灰へと変えた。

 

「ただいま戻りました、アオイさん」

「お帰りなさい。今日は意外と早かったですね」

「相手がまだ成り立てでしたから」

 

けれど、彼は胡蝶しのぶとの約束を違えることなく毎日蝶屋敷に帰っている。しのぶとの約束もそうだが、蝶屋敷の様子を見るためでもあるからだ。

 

「無理無理無理‼︎もー無理ですよー!」

「あはは、やだな善逸君。まだ大岩二つじゃないか、いずれこれの倍は持ち上げてもらうよ」

「ぜ、善逸…」

 

彼が屋敷に戻る理由の中には竃門炭治郎、我妻善逸、嘴平伊之助らの指導も含まれている。全集中・常中の会得のためにあれこれと訓練を課し、主に我妻隊士の悲鳴が屋敷に響き渡るのは最早茶飯事となっている。

 

「––––––ここが、あの人のいるお屋敷」

 

そんな日常が少し過ぎたある日、ある人影が屋敷の綺麗な門の前に立つ。赤みがかった綺麗な瞳が屋敷を見据え、小さく息を吸う。

 

「ようやく見つけましたよ、兄さん」

 

 

 

 

 

 

 

 

_____________________

 

 

 

 

 

「––––まずはおめでとう、炭治郎君。無事機能回復訓練を終えたらしいね」

「ありがとうございます!これも権兵衛さんのお陰です!」

 

蝶屋敷の居間。アオイさんの作った朝餉に舌鼓をうち、暖かいお茶を一服した所で口にする。同じように湯呑みを呷る炭治郎君は嬉しそうに笑い、湯呑みを置く。

 

「頑張った君の成果だよ。本当によくやったと思う」

 

全集中・常中はとても地味だが習得するのには多大な労力を使う。ましてそれを僅か一月足らずで会得したのだから、やはり彼には才能がある。

 

「…良いよな、炭治郎は。簡単にカナヲちゃんに勝っちゃうんだからさ」

「へっ!すぐに追いついてやるからな!」

「君達二人ももう直ぐ勝てそうだったとしのぶさんから聞いてるよ。詰めの所まで来てるんだ、後は詰め切るだけだよ」

 

どんよりした雰囲気を纏う善逸君と奮起する二人を見る。

 

「それに、しのぶさんに一番応援されているんだろ?なら頑張らないとね」

「…そ、そうですよね!俺が一番応援されているんだし!」

「–––しのぶさんも酷いことをするな…」

 

さっきとは打って変わってやる気を漲らせ、「頑張ります‼︎」と意気込む彼を見てしのぶさんに思いを馳せる。–––やる気を出させる為とは言え、幼気な少年の純情を利用するのは如何なものかと…。

 

「さて。それじゃあそろそろ訓練に……」

「あの、権兵衛さん」

 

席から立ち上がり、庭先に向かおうとした直後、襖の陰からなほちゃん達三人娘が揃って顔を出す。

 

「どうしたんだい、三人揃って」

「その、権兵衛さんにお客様が来ていますよ?」

「お客様?俺に?」

 

揃ってコクコクと頷く三人に疑問符を浮かべる。自分を訪ねてくる人なんて居ないはずなんだけど…?

 

「鬼殺隊の人かい?」

「いいえ、若い女性の方です。お名前を言えば伝わると聞いているのですが…」

「そんなに知り合いは多くないけど…。それで、相手の名前は?」

 

 

 

「小屋内 (ひいらぎ)さん、というお名前だそうです」

 

 

 

すみちゃんが通る声でそれを口にする。その名前を聞いて一瞬、思考が固まる。

 

「–––ごめん、もう一度言ってもらって良いかな?」

「はい。小屋内 柊さんです」

 

尚もはっきりした口調のすみちゃんに聞き間違いの線はないという事を悟り、思わず天井の木目を見上げる––––どうして彼女が此処に……。

 

「柊は今どこに?」

「アオイさんが応接部屋で対応していますけど…」

「わかった。色々とありがとうね」

 

早足に居間から外に出る。その時、壁から顔を出して炭治郎君たちに口を開く。

 

「申し訳ないけど、先に訓練を始めててくれ。早めに戻らなかったから今日は軽めで終わらせて良いからね」

「あの、権兵衛さん。小屋内柊さんって––––––」

「それはあとで説明するよ。今はごめん」

 

驚いた様子の三人を置いて部屋を後にし、そのまま足早に応接部屋へと向かう。その時にも、頭の中でぐるぐると思考が巡っている。

 

(どうして柊が蝶屋敷に?というより、なんで俺の元に来たんだ?)

 

突然降って湧いた事案にとめどなく考えが走るが、結局何一つまとまる事なく応接部屋の前に辿り着いてしまう。

取手に手を掛けようと手を伸ばす–––––その時、静かに襖が開かれる。

 

 

 

「–––––––––久しぶりですね。兄さん」

 

 

 

それは、鈴のような声色だった。打てば響くような、透き通る声。肩口まで伸びた綺麗な黒髪に柊の葉を模した髪飾りが映え、多少赤の入った綺麗な視線が自分を貫く。

 

「…柊」

 

開かれた部屋の中には困惑した様子のアオイさんが目に入る。–––そりゃ驚くよな。

 

「に、兄さんって……」

「すいませんアオイさん、事情は後で説明します」

 

正面に立つ柊の横を歩き、応接部屋へと足を踏み入れる–––––前に、腕で先を遮られる。

 

「…あの?」

「兄さん。一年と半年ぶりに出会った妹に何か言う事は無いんですか?」

 

棘のある言葉だ。それこそ、彼女の名前の葉のように刺々しい。

 

「…久し振り、だな?」

「–––それだけですか?」

 

どこか不満そうに目を細める柊に目を泳がせる。他に何を言えば…?

 

「もっとあるんじゃないんですか?大きくなったなとか、綺麗になったな、とか」

「…ごめん。そこまで頭が回らなかった」

「–––別に、口下手な所まで先生に似せなくても良いんですよ」

 

柊は「はぁ…」とため息を吐くと遮っていた腕を下ろし、彼女に腕を引かれて居間へと引き入れられる。なすがままに流され、そのまま机を挟んで柊の正面に座らされる。

 

「兄さんは変わりないようで良かったです。そして、これはお土産です」

「ありがとう、柊」

「お気になさらず。神崎さんも宜しければどうぞ、つまらない物ですが」

「あ、ありがとうございます」

 

柊から茶色の包みに入れられた何かを受け取り、机の端に置く。中身は大体想像がつくため、今は触らない。

アオイさんが急須から湯気の立つ暖かいお茶を淹れてくれたので、受け取り一度啜る。暖かな渋みが口の中に広がった所で、早速本題へと切り込む。

 

「それで突然どうしたんだ。お前が会いに来るなんて…」

「妹が兄に会いに来るのは不自然ですか?」

「いや、そんな事はないけどさ…」

 

何やら棘のある口調の妹に口を閉ざす。–––こんなに刺々しかったっけ…?

 

「先生から兄さんに荷物があるんです。あまり人目に付かせたくない物らしくて、それで私に白羽の矢が立ったんです」

「そうだったのか…。師範は元気だったかい?」

「はい。変わらず草原の上で、のんびりお饅頭を食べていましたよ」

 

容易に想像できるその姿に苦笑する––––よかった、まだまだ元気らしい。

 

「それにしても、今柊は何してるんだ?今も師範のところで勉強してるのか?」

「いえ、今は日本中を歩いて患者さんを相手にしてます。なかなか忙しいですね」

 

–––妹の柊は、鬼殺隊の隊員ではない。幼少期から師範の元で医療と薬学について学び、基礎教養も自分よりも遥かに身に付けている。師範から太鼓判を押されていたから、優秀な医者になったのは間違いないだろう。

 

「兄さんも、怪我はしないで下さいね」

「善処するさ」

「…まぁ良いでしょう」

 

柊の傍に置かれた淡い赤の鞄から、紫の布に包まれた本らしき物が垣間見えた。

 

「これが、鈴の呼吸について記された資料です。先生が兄さんに差し上げると」

 

取り出されたそれの布を外し、中から藍色の装丁が施された一冊の本が取り出される。達筆な文字で「鈴」と一言書かれただけの題名に、どこか力を感じる。

差し出されたその本を受け取ろうと手を伸ばす––––直後、その本が柊の胸に抱かれる。

 

「…えぇと?」

「これを差し上げる前に、一つ言いたい事があるんです」

「–––言いたい事?」

 

「はい」と一度頷くと、自分側の机の上に本を乗せる。

 

「そこにいる神崎さんから色々と聞きました。この一年と半年で随分多くの鬼を殺したそうですね」

「まぁ、そこそこは」

「流石は私の兄さんです。––––––とでも、言うと思いましたか?」

 

にっこりと穏やかな笑みが一変し、なんの感情も映し出さない表情を浮かべる。

 

「ひ、柊?」

「兄さん、私は今医者をやっています。だから、人の怪我や病気を診る事が多いんです」

「た、たしかに」

 

妙に圧を感じる声色に少し震える。

 

「中には鬼殺隊の隊員の治療をしに藤の家紋の家に向かうこともあります。そんな時、何度か兄さんの噂を聞いたんです」

「噂?」

「えぇ。–––––殆ど不眠不休で鬼を殺し、日本中を駆け回っていると。私が治療した隊士達はそれを誇らしげに語っていましたよ。兄さんは、まさに現代に降り立った鬼殺の魂だって」

 

顔を伏せ微かに震えている柊に、何か声を掛けようと口を開く––––前に、顔を上げた彼女の表情を見て思い留まる。

 

「二百を超える鬼を、殺したそうですね。兄さん一人で」

 

その問いに一度頷く。

 

「そんなに頑張る必要が、果たしてあったんですか?鬼と違って、一度間違えば簡単に死んでしまうのに」

「襲われた人を助けるためには、がむしゃらに頑張るしかないからね」

 

息を飲む柊。けれど言葉を続ける。

 

「ほかの隊士に、任せる事は出来なかったんですか?」

「自分で決めた事だから、人任せには、出来ないよ」

「––––本当に、変わりませんね。この馬鹿兄貴」

 

目の端から涙を零す彼女を見て、思わず頭を下げて謝りたくなる衝動に駆られる。–––けれど、それは不誠実だと思い留まる。

 

「今の鬼殺隊の現状は理解しています。だから、兄さんに鬼殺隊をやめてほしいなんて願いません。ですが、一つ覚えていて下さい」

 

柊が本を持ち上げ、自分に差し出す。

 

「––––––兄さんが死ねば、私は三日三晩泣きはらしますから。妹を泣かせる様な、情けない兄にならないで下さいね」

 

 

 

 

 

 

 

________________________

 

 

 

 

 

 

 

 

「––––––本当に、頭を撫でるのだけは上手な兄さんです」

 

応接部屋から消えた兄を見て一人呟く。最後に頭に残った彼の温もりの余韻を思い、つい悪口が溢れる。けれど、にやける口元を止められない。

 

「神崎さんも、すいませんでした。暗い話に付き合わせてしまって」

「いえ、別に……。というより、その、失礼ですけど、二人は本当に兄妹なんですか?」

「–––まぁ、それは気になりますよね」

 

頰を軽く掻き、ばつが悪い笑みを浮かべる。

 

「お気づきかも知れませんが、私と兄さん。小屋内権兵衛と小屋内柊に血縁関係はありません」

「それじゃあ、どうして兄さんなんて…」

「昔は本当の兄妹だと思っていたんですよ。変な話ですよね、瞳の色も違うのに」

 

––––それに、自分はあんなに慈しみに満ちた笑みを浮かべる事は出来ない。私に出来るのは、精々他人を怒る事くらいだ。

 

「–––いっそ、本当に兄妹だったら良かったのに」

「…柊さん?」

「あっ、すいません。変な事言ってしまいました」

 

思わず漏れてしまった本音を慌ててしまい込み、一つ咳払いをする。

 

「兄さん全然手紙を書いてくれないし、こっちが手紙を送っても全然返してくれないんです。酷いですよね」

 

そういうと神崎さんも「あー」と声を上げる。

 

「わかります。なんだか、そういう他人の心配を一切意に介さない人ですね」

「ですよね!もう少し他人の気持ちを慮ってもいいと思いますけど…」

「権兵衛さんは、そういうのは言葉じゃなくて行動で示す人ですから」

 

互いに頷き合う。兄さん関連だと、この人は相性が良いらしい–––やっぱり、ここは恥を忍んでお願いすべきだ。

 

「あの、神崎さん。出会ったばかりで不躾とは承知しています。ですが、どうしても叶えて欲しいお願いがあるんです」

「お願いですか?」

 

一度息を止め、よく通る声で口にする。

 

「はい––––––私を、此処で雇って欲しいんです」

「…えっ?」

「この蝶屋敷は鬼殺隊での医療の現場だと聞いています。私も医療には多少心得があります。足手纏いにはなりませんから、どうか雇ってくれませんか?」

 

床に額が付く勢いで頭を下げる。

 

「あ、頭を上げてください!けど、すいません。それは私の一存では……」

「–––––私は別に構いませんよ。アオイ」

 

–––––ふと、どこかで嗅いだ花の匂いがした。

 

「しのぶ様⁉︎いらしていたんですか?」

「えぇ。どこぞの頑張り屋さんが頑張りすぎるせいで、最近暇が多いので–––それで、柊さん、でしたか?」

 

どこか重い雰囲気が背中にのしかかる。笑みを浮かべてはいるが、その両目は試すようにこちらを見ている。

 

「はい」

「どうして、此処で働きたいと思ったんですか?鬼殺隊の隊員ではないらしいですが…」

 

顔を上げ、袴を固く握りしめる。今から言う言葉はとても自分勝手だ、おそらく口にすれば雇ってもらえない。–––––けれど、兄さんがいる場所に、そこにいる人に、嘘はつきたくなかった。

 

「兄さんを、助けたいんです」

「わかりました。じゃあ採用ですね」

「私の技術は全部、兄さんのために磨いたものなんです。ですから–––––えっ?」

 

ニコニコと笑みを浮かべるしのぶと呼ばれた女性を見る–––––えぇと…?

 

「あの、自分勝手な言葉を口にしたと思うんですけど」

「良いじゃないですか。動機なんてそんなもので」

「…技術とかは、確認しなくてもいいんですか?」

「権兵衛君の妹ならきっと優秀でしょうし、必要は感じませんね」

「………あ、あはは」

 

トントン拍子に話が進んでいく様に拍子抜けし、思わず乾いた笑みが溢れる。

 

「これからよろしくお願いしますね、柊さん?」

 

私は兄さんを助けるために、とんでもない人の下に着いたのかもしれない。けど後悔は時すでに遅く、私は差し出された小さな手を握り返した––––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 




小屋内 柊
小屋内権兵衛の血の繋がらない妹。幼少期を権兵衛とともに修行に費やし、剣術を権兵衛が、医療を柊を修めた。齢十五とは思えないほど卓越した医療技術と薬学知識を持つ、小屋内権兵衛とは別の側面で才を光らせる才女。柊の髪飾りは権兵衛から送られたもので、今でもずっと付け続けている大切な物。
元は権兵衛と同じく剣の修行をしていたが、権兵衛が怪我も厭わず鍛錬に打ち込む姿を見て医療の道に進むことを決心。血の繋がらない兄を助けるために必死に医療を学び、同年代では他の追随を許さない技量も知識を身につけた。
本人は否定するが、根っからのお兄ちゃん子。兄が好物な団子を作るために何度も練習して、鍛錬の合間に作っては権兵衛に振舞っていた。
柊の名前は師範から授けられたものだが、小屋内という名字は権兵衛を真似して自分で付けた。






あーけろん

柊の存在を出すか出さないかで一週間悩み抜いた哺乳類。あまり話が進んでいないことに辟易としつつ、次で描きたかった話が一つ書けると意気込んでいる。

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