重力に身を任せ、楽に死ねるのかな?と見当違いのことを考えながら白部は落ちていく。
後もう少しで地面に激突しようとした瞬間だった──
「目の前で死なれては困りますよ」
紳士的な声と共に黒いもやに包まれる。
「えっ...?何々!?」
白部が困惑している間に黒いもやが包み込み、あっという間にビルの屋上に戻されていた。
「痛...!!」
乱暴に落とされて白部は涙目になるが、黒いもやの人物は白部の様子を気にも止めずに立ち去ろうとする。
「ま、待って!どうして助けてくれたのですか!?」
トラウマの影響で他人と話せない白部だったが、死の恐怖が無くなっていたことと純粋な好奇心から、知らず知らずの内に疑問を投げ掛けられるようになっていた。
「......目の前で死なれては困る......。ただ...それだけのことです...。ところで...貴女が死のうとした理由は何ですか?大体の理由は知っておりますが...」
黒いもやはこちらを振り返らずに問う。
先程と違って感情を無くしたような抑揚のない声に変わっただけではなく、それどころか理由を知っていると言う重要な発言さえも気が付かない白部。互いに何とも言えない雰囲気に包み込まれる。
このまま立ち去るかと思いきや、黒いもやはUターンをし、顔と顔がぶつかりそうな距離まで白部に近付いて迫る。
人には見えぬ黒いもやとは言え、他人に迫られた白部はパニック状態になっていた。それでも聞き取れる声で黒いもやが告げる。
「どうせ...死んでしまうならば.........」
「その命、我々の為に使ってくれませんか?」
「......我々の為に...命を使え......?それってどう言う...」
「その命。我々の為に使って下さるのはならば、その対価として、貴女の復讐を果たし、安定した就職先を提供致します」
「......えっ...えっ...?えーーー!!?ふ、復讐!?なんで私が復讐したいって分かるの!?それに、安定した就職先って...」
やっと理解が追い付き騒いだところで話は止まらない。
騒ぐ白部を一瞥もしない姿はまるで、このようなことが日常的に起きていたことを示唆していたが、冷静に状況を見れる者が誰一人として居ない為気が付くことはなかった。
「ここで話をする時間はありませんし、誰かに聞かれても困りますので、もっと詳しく話を聞きたいのであれば、この紙に書いてある電話番号にかけて下さい。...あ、そうそう...連絡すると暫くの間我々が用意した泊まることになりますので、荷物を準備しておいて下さい。それでは、また...お会い致しましょう...」
機械のように淡々と話す姿に恐怖を覚えて後退りをする白部。最後まで白部の様子を気にも止めず、黒いもやは一お辞儀をすると小さくなって消えていく。
白部は呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。
ずっと立っているわけにもいかず、何とか正気を取り戻した白部は帰路に着く。
歩いている道中にも黒いもやの放った言葉が頭の中を支配する。
"復讐を果たす""安定した就職先を提供"
どの言葉も甘く脳を蕩けさせる。上手い話には裏がある。世の中普通に生きていくことがかなり難しいことも、全員救ってくれる神様が居ないことも、努力が必ず報われないことも、皆理解している。いや、理解しているからこそ───
「この話......乗ろうかしら......」
白部は朝送られてきた手紙とお金を強く握り締めながら決意する。
せっかくのチャンス、どうしても無駄にしたくないと心が叫ぶ。甘い話に乗るな!と理性が警鐘をいくら鳴らしても、死ぬ前にこの屈辱を晴らしたいと言う強い思いが止まらなくなり、また自殺の決意により自暴自棄になっていた。何を失っても怖くない、言わば無敵の人になった白部に止まると言う決断は無くなっていた。
「ふふ...見ていなさい...。この手紙とお金を送り付けた奴が誰だが知らないけど......絶対に復讐してやるんだから!」
周囲に人が居てもお構い無し叫ぶ白部。怪訝な目で見られようとも己の世界に没頭していた。
「よーし...そうとなったら!早速準備よ!あいつらの人生!幸せを壊してやるんだから!」
握り締めた腕を大きく上げて決断した白部の行動は速いものであった。
「こんばんは......ここで合っていますか......」
白部は申し訳なさそうに古びたバーの扉を開ける。
営業時間中にも関わらず人っ子一人もおらず、店内に流れる音楽が更に寂しさを感じさせる。黒いもやの人物に指定された場所は、良く言えば隠れ家的なお店、悪く言えば寂れて閉店一歩手前のお店。
人に見付からない点では最適な場所だと白部は実感するが、誰も居ないせいでここで合っているのかと不安になる。
間違えたと思った白部が帰ろうとした瞬間...
「お待たせしまいまして申し訳ございません、湖井白部様」
「...ヒィ!!」
背後から声に怖くなった白部は逃げようとするが、肩を捕まれて逃げられなくなる。後ろを振り返らずにじたばたと暴れていると、白部を宥めるかのように優しく呼び止められる。
「怖がらせて申し訳ございません。信用ありませんでしょうが、私達は貴女様に危害を加える者ではありません。どうか帰らずに、そのお顔をこちらに向けて頂けませんか?」
女性の柔な物腰に警戒心を解いた白部は恐る恐る振り返る。振り返れるとそこには、バーテンダーの格好をした女性が立っていた。
水色のつり目はきつい印象よりも綺麗な印象を与え、よく手入れされた水色の長い髪の毛を一つ結びにしている。モデルのようなスレンダー体型も相まって、同姓である白部を魅了させる程の美しい女性。
緊張や見惚れで固まっている白部に、バーテンダーの女性は告げる。
「湖井白部様。ようこそ、"弱き者"の楽園へ」
祝福を授ける女神のような微笑みが、白部にとっての敵連合に入る始まりだった。
「では...湖井様のお望み通り...復讐をさせて頂きますが...暫く間、こちらが用意した建物に泊まって頂きます。泊まる為の準備をしておりますか?こちらでもある程度は用意しておりますが...」
「はい。黒いもやの人...に言われた通り用意しました」
大人しく話せる体勢になった二人は向かい合ってソファーに座る。
用意してきたスーツケースを見せながら、ふとあることに気が付いて白部は質問をする。
「あの...なんで...泊まらないといけないのですか?どうして...帰れないのですか?何か理由があるのですか...?」
白部の質問にかなり説明が難しいのか、バーテンダーの女性は少し困り顔になっていた。
「そうですね...理由は...復讐する際に嫌でも分かるでしょうから説明致しません。今説明しても混乱するでしょうし...」
「百聞は一見に如かず。私の説明では分かりづらいと思いますので、実際に見てから判断を下してみて下さい」
バーテンダーの女性は説明の途中に立ち上がり移動を促す。差し出された手を受けるとこしか出来ない白部であった。
荷物を預かってもらい、赤いジャージに着替えてから案内される。店の勝手口から案内された場所は薄暗く、赤いペンキで床や壁などで汚れ、鉄が錆びた匂いが充満とする怪しげな場所だった。
普通に生きていれば関わることもない、人が入ってはいけない領域に踏み込んでしまったような重苦しい雰囲気がのし掛かる。また直感が見抜く。お化け屋敷のような作り物ではない、ここに居たら殺される、早く逃げろと本能が叫ぶ。
けれども、白部は怖くなりすぎて腰が抜けてしまう。完全に倒れ込む前にバーテンダーの女性が支える。
「大丈夫ですよ、湖井様。ここには"貴女"を傷付ける人は居りません」
必死に落ち着かせようとするが、理性に戻る余裕なんてない白部には無理なことだった。
そんな白部を嘲笑うかのように、ケラケラと笑いながら紫色のボサボサ髪の女性が現れる。
「まあ、まあ、今度はそいつの復讐したい相手なんだね。で...私は早く人を殺したいんだ。さっさと説明始めてくんない」
白部の頭のてっぺんから爪先までじろじろ見たかと思いきや、一気に興味をなくして懐からナイフを取り出して手入れを始める。
「ヒッ...ひ、人を殺す!?この人敵(ヴィラン)!!?」
紫色のボサボサ髪の女性の物騒な発言に、白部は這ってでも逃げようとしたが、バーテンダーの女性に力強く捕まえられて一歩も動けなかった。
顔を真っ青に染め、涙でぐちゃぐちゃになろうとも、逃げることが許されない状況。助けを求めようとしも更なる追い討ちが待っていた。
「......湖井様......。貴女様にとっての敵(ヴィラン)とはなんですか?」
先程まで柔和な笑みから一転して、人形のような無表情になるバーテンダーの女性。
あまりの変わりようにしゃっくりが止まらず、だけども話さなければ殺される!と言う思いから、一心不乱に喉を動かす。
「こ...こ、こ!"個性"を使って!人に危害を加える人です!」
「はい...湖井様の仰る通り、世間一般的にはそうなります。ですが......」
「本当にそうなのでしょうか?」
「そ、それは...!一体...どういうことなんですか?」
バーテンダーの女性が言っていることが分からなくて更に頭が混乱する白部。
けれど、心のどこかで引っ掛かり、頭の中の片隅で納得している自分もいた。
「確かに...ここに居る危外さんは勿論...私も...認めるのはかなり嫌なのですが...敵(ヴィラン)であることは重々承知しております。そうだとしても......」
「何故、"個性"を使って傷付ける者だけが敵(ヴィラン)扱いなのですか?"個性"を使わなければ、他人を傷付けても敵(ヴィラン)ではないのですか?肉体が無事なら精神はいくら傷付いても構わないのですか?...勿論、違いますわよね、湖井様?」
「え、ええ...!勿論そうですわね!」
怖さと同じ考えに共感して首が痛くなる程振る白部。
白部が同意したことにより、感情が高ぶったバーテンダーの女性は声高らかに話を続ける。
「ええ!そうでしょう湖井様!我々"弱き者"は!湖井様のような苦しんでいる人達に手を差し伸べ!差別する下劣な者共に粛清をし!真の平和な世界を作り出す集団なのです!!」
「さあ、湖井様!悪しき敵を倒し!我々と共に平和な世界を作りませんか!」
バーテンダーの女性の演説は手を差し伸べた状態で終わる。
その様子をパチパチと手を叩いて拍手をする紫色のボサボサ髪の女性─危外に対してバーテンダーの女性は非難交じりの視線を向ける。
「危外さん、毎回言っていると思いますが...!!私が説明する前に、敵(ヴィラン)みたいな真似を止めて頂けますか。貴女のせいで相手が毎回怖がって話が始めづらいのですけど...」
「そう?毎回同じことを言っているから、それが説明だと思っていたけどなあ...。と言うか...移動...あんた、いい加減に開き直りな。過去のことを引きずっては人生楽しめないぞ」
「この説明の仕方は貴女の時だけですよ。それと......いい加減にするのは貴女の方です!私の過去を知っておいて...そのような言い方はありませんよ!」
敵(ヴィラン)、殺人現場、武器を使った喧嘩。
一般人の白部にはどれもが現実離れをしていて、まるでテレビの画面で見ているかのような感覚を覚える。暫くの間呆然と眺めていたが、脳が麻痺していた影響なのか思わず本音が溢れ落ちる。
「え、えっと...私は一体...なんのために呼ばれたのでしょうか...」
白部の小声は意外にも二人の耳に届き、顔を見合わせて喧嘩が止まる。
「そうだ!私はこんな下らない喧嘩をしている余裕はないんだった!お前の復讐したい相手を殺しに来たんだよ!ああ...楽しみだ!このナイフで人を刺した時の感触を、悲鳴で奏でる音楽を、ああ待ち遠しい!この高揚感で胸がはち切れそうだ!」
「ええ、そうでしたわね...お待たせしまい申し訳ございません。湖井様の果たすべき復讐、我らの仲間入りすることを祝いまして...ここから始めましょう。湖井様の偉大なる一歩を」
危外は舌でナイフを舐め、バーテンダーの女性─移動は元は純白であっただろう赤黒いカーテンを開ける。そこには───
拘束器具で雁字搦めに縛り付けられ、無理やり椅子に座らせられていた男性が居た。
「ムー...!!」
ガムテープで口を塞がれており何を言っているのか分からない。
くすんだ黒い髪、アイマスクされていて目の色は見えず、白部と同年代の男性としか判明出来なかった。それなに───
パンッ!
白部は無意識の内に平手打ちをし睨み付けていた。
今の自分の行動に戸惑うどころか、会ったことがあるかどうか覚えていないのに、この男性を殺したい衝動に駆られていた。
「やはり......どんなに時間が経っても覚えておりますわよね...。湖井様のお気持ちを考えますと、ここでお預けはかなり苦しいのは分かりますが、それでも話を聞いて下さい...」
どんなに強く掴まれようとも相手をぶん殴ろうとする白部。
そんな白部を落ち着かせるかのように、移動は耳にこそッと語りかけ最後の警告と最終確認をする。
「ここでこのひ...いえ、屑を殺したら、正式に私達の仲間になり後戻り出来ません。死ぬまで我らの組織に働いてもらいます。今でしたら...ここで見たこと、聞いたことを他所にばらなければ元の生活で生きることが出来ます。裏切りは許されておりません。裏切った場合はそれ相当の罰を受けて頂きます。それでも...我々と共に...修羅の道を歩んで頂けることを誓えますか?」
言い終えた移動は手を離す。
答えは...簡単だった───
右ストレートが男性の顔に炸裂する。
「こいつが...!こいつが居なければ!私も...!あの子も...!こんなことにはならなかった!こいつだけは...私の手で絶対に殺す!!」
どんなに防衛本能として忘れていたとしても、一目見ただけで過去の出来事がフラッシュバックして思い出す。
一人の少女を寄ってたかって虐める男子生徒達、罪を擦りつけられる切っ掛けとなった指差し、謝れと強要してくる教師の声、味方だと思ってくれた人達からの侮蔑の眼差し、次の日から話し掛けてくれなくなった友達、犯人扱いされて虐められる日々...過去の辛い出来事が頭の中を駆け巡る。
「では...こちらの武器をお使い下さい」
白部の答えに満足げな笑みを浮かべた移動はカートを白部の隣に置く。
「ナイフ、ノコギリ、金槌、フォーク、金属バットなど..人を殺したことのない方でも手軽に殺れる物を用意致しました。好きな物をどうぞ...」
「死ね!金属貴一!!」
白部は説明が終わる前に金槌を男性の顔に向かって振り下ろす。
鼻の骨が折れ、血が床や顔に飛び散る。相手の顔は苦悶に染まり、ガムテープがなければ絶叫で耳が痛くなったのだろうと容易に伺えられる。
怒りのあまりに後のことを考える余裕はなく、血で汚れることもお構い無しに振り下ろそうとするが、危外の手によって止められる。
「は、放して!」
「おいおい...一人で先に始めるのは遺憾でしょうが...これだから感情が高ぶると困る。私はな、こいつの悲鳴が聞きたいんだ。こう言う時はガムテープを先に外すんだよ。それと...お前が復讐したいそいつは世界で一人しか居ない...どうせ殺すなら、じっくりいたぶってからの方が良いぞ。退きな...」
細身にしてはあり得ない力で白部を吹き飛ばし、ガムテープを勢いよく剥がす。
「お"、俺が悪かった!だから...!」
「さあ!拷問の時間だ!良い声で鳴きな!」
「ぎ...ぎゃああああああああ!!!痛い!痛い!もう止めてくれ!!」
「ああ...なんと気持ちいい音なんだろうか...。これがたまらなく好き...」
危外は男性─金属の右手にナイフを突き刺す。
金属の叫び声をうっとりとした表情で堪能する危外。唖然と眺めていると肩を叩かれる。
「復讐をしたければ...早く動いた方が良いですよ。危外さんが夢中になって殺ししてしまいます。それともう一つ...彼女は湖井様を傷付けない約束をしておりますが、夢中になると何するのか分かりませんので、復讐する際には、彼女から離れて行って下さい」
「あ...はい...。分かりました...はぁあー!!」
「さあ!良い声で泣いておくれ!」
危外がナイフで突き刺し、白部は力いっぱい金槌を振り下ろす。
相手の悲鳴が鳴り止まっても、相手の心臓が動かなくなっても、遺体の原型が留まらなくなるまで武器が振る下ろされるのであった。
「これで正式に我らの仲間入りとなりましたね。お仲間として自己紹介させて頂きます。私の名前は移動 真麗【いどう まうら】と申します。で...あちらの女性は危外
歌劇【きがい かげき】と言います。これから...平等な仲間として湖井さんと呼ばせて頂きますね 」
「あ...はい...どうも...こちらこそよろしくお願いします。私は...これから...どうすれば良いのでしょうか...?」
復讐を果たした後とは思えない程和やかな雰囲気で自己紹介をする。
危外は終わると満足げにいつの間にか居なくなっていた。
「そうですね...。先ずは...心境を整える共に、他の人達に挨拶回りをしましょうか」
「心境を整える...?挨拶回り...?それって...どういうことですか?」
「まあ...言葉通りの意味ですよ。考えなくても行けば分かります。今の湖井さんは...考えることは止めた方が良いですし...」
「えっ...?それはどういうこと...」
「取り敢えず、今は休んで下さい。我々の用意した場所でしたら仲間も居るので、悩みが生まれたとしてもそこで解決しますから...」
「はあ...そうなのですか...」
何も理解していないまま"弱き者"の仲間入りする白部。
始まりは憎き相手の復讐を果たしたい思いから敵(ヴィラン)への道に突き進むのであった。