おいっちに、おいっちに。一、二、三、四。
夜明けの本能字学園部外縁に、規則的な掛け声が木霊する。
一、二、三、四。一、二、三、四。
タッタッ、と一人の青年が駆け込むのに釣られるように、後方で三十を越す巨漢の軍団が大行列を成して走っていた。
「ぜんた―い、止まれ」
ピッ。
先頭を悠々と走り巨漢を引き連れた青年は口元のホイッスルを鳴らし駆け込みを止めた。その音と共に全員の足が止まるが、隊列はおろか「止まれ」の言葉通りに身動ぎもせずピシッと直立している。
本能字学園の校門前で止めた青年は一人一人の顔を確認し、ホイッスルを口元から離した。
「相撲部北海道遠征お疲れ様」
「「「押志!」」」
「「「誰一人欠けること無く遠征出来たのは、
「いや、今回は反制服ゲリラの襲撃も二~三回程度だったからね。それよりも北海道遠征で全員が五体満足で帰還出来たのは一重に古賀丸部長の功績によるものだ、誇っていい」
「有り難き幸せです、神流帰宅部部長!」
「はい、それでは書記から事前に報告書書類は預かっているから相撲部はここで解散。下校して良し。一応遠征後だから部員には特別休暇が一日設けられている筈だけど…」
「下校して、すぐに登校します!」
「そのほうがいいかもしれないね。それでは解散」
「「「はっ!」」」
まるで蜘蛛の子を散らすように相撲部員が忙しなく校門から自宅へ帰っていった。本能字学園式遠征が部が纏う服、つまり相撲部であればまわしを着用しての遠征なのだから普段着に着替えねばならない。
いや、上に普段着を重ね着するのかな?
「別にあのまわし全部極制服だから問題なさそうだけどね」
極制服。
本能字学園だけが所有する「生命戦維」なるもので編み込まれたパワ―アップス―ツ。
極制服の存在によって本能字学園の日本侵略は熾烈を極め、残る関西を除いて今回の遠征でほとんどを侵略してしまった。
「さて、それじゃあさっさと皐月様に報告しますか」
ピッ、ピッ。
ホイッスルを加えて青年は走り出す。彼の服は―――極制服では無かった。
「失礼しま―す」
コンコンコン、三回のノックと断り文句を入れて生徒会室へ入室する。入るなり「やれ、帰ってきたか」と生徒会四天王が目で挨拶してきた。
ハイハイ、お待たせしましたね。
左右に陣取る四天王の真ん前を歩き、その奥に優雅に座る生徒会長―――鬼龍院皐月の前で膝を付いた。
「神流帰宅部部長、遠征戻りました」
「…そうか、ご苦労だった」
「報告書はここに」
顔を上げて懐から報告書を取り出すと、生徒会四天王の一人、生徒会風紀委員長の蟇郡が後ろから受け取った。
相変わらず背が高い。主に頭二つ分くらい。
「今回の遠征は北海道だったな? 再起不能になったテニス部の函館の代わりに相撲部を送り出したんだったか」
「あぁ~直前でやられちゃったのよねテニス部元部長。折角皐月様が直々に二ッ星極制服を提供してくれたのに」
定位置のソファ―で寝そべる文化部統括委員長の蛇崩は胡乱気に呟いた。
「函館さんには運が悪かった、としか言いようが無いね。極制服を貰った人って最初はそのパワ―の魅力で己の力量を誤った判断をするし」
「確かにそういう実例は過去少なからず存在しているが、アレは異常だ。全ては…纏 流子…」
「え、まだ追い出してないの?」
PCの壁の前でピコピコとキ―ボ―ドを叩く情報戦略部委員長犬牟田がせき込んだ。
息苦しいならそのカショカショやる奴止めたら? あとそれ手動? 自動?
「ゴホンゴホンッ……纏 流子はお前が居ない間、運動部文化部の大半を撃退した挙げ句喧嘩部を創立して隠れ蓑にしたんだ…!」
「へぇ、喧嘩部」
それはそれは物騒な。
遠征前にちょこっと見てみたけど確かに強気な女の子だったという認識がある。皐月様から「神衣」なる存在を有しているという情報もある上に、片断ち鋏まで持っている。純粋な戦闘能力は高い。
ふむふむと考察していると、ふと傍らに突っ立ってた誰かさんが思い出したような声を上げた。
「そういえばな神流、お前に知らせて置かなければならないことがある」
「…すみません三連チ○ポさんが猿投山だったことは覚えてるんですけどこの目隠しボ―イ誰ですか?」
「三連チン○は余計だホイッスル野郎! 俺だよ猿投山で合ってるよ!」
「そんなの声でわかるよ五月蝿いなぁもう。で、実家が蒟蒻屋さんの猿投山運動部統括委員長は何故に目隠ししてるのさ?」
「心眼だよ…遂に俺は心眼通を得たのさ!」
「蟇郡さんこれ重症ですよ保健室に回した方が…そう、主に頭の方を」
「てめぇ!」
「うるせぇぃ!」
竹刀に手を出してきたから条件反射で横っ面に張り手を喰らわす。たがそこは運動部を統括する猿投山委員長、心眼とやらの効果なのか難なく体を仰け反らせることで回避に成功した。
「見え見えなんだよ!」
「どっちが」
「え」
竹刀が振り下ろされる瞬間を見極めて指先三本を添えていなす。同時に後方に振り上げていた右足を振り子のように前方へ引き上げる。
当然、目標は猿投山の股間。
「はぐぅおぁ!?」
「くっ…」
「そいつは痛いな……」
息子を持つ蟇群と犬牟田が思わず股間を抑える。男性特有の…痛みだ。足先に僅かに残るタマの潰れかけた感触を消すが如く、悶える猿投山の背中に足を踏みつけた。
まぁ一つ潰れても君あと三つあるし実家蒟蒻屋だし……。
「蒟蒻屋関係無ぇよ!? ついでに三つも無ぇから!」
「皐月様、もう猿くんは四天王失格じゃないかしら」
「ならば、誰を候補に上げるつもりだ蛇崩?」
「神流帰宅部部長――とか」
蛇崩の言葉に、生徒会室が静まった。
誰一人として、声を上げられない。言い出しっぺの蛇崩だけは悪戯を成功させた子供のように上目遣いで神流と皐月を見ていた。
帰宅部部長とは、主に校外遠征の行って帰るまでを保証する一生徒に与えられた役職である。極制服を持ち勢力を拡大させる本能字学園として遠征は必須であり、それは同時に極制服の技術流用の危険性を兼ねている。
だからこその、帰宅部である。
部を遠征地へ安全に送り届け、かつ安全に本能字学園へ帰宅させる。言葉にしてみれば単純だが実現は難しい。なぜならば極制服の技術を有しているのは本能字学園管轄の鬼龍院家のみであり、今の世界は極制服の力が全てと言っても過言ではないからだ。
よって当然、反制服ゲリラや敵対勢力は腐るほどいる。それら外敵から守りつつ安全に、かつ迅速、そして何よりも結果を残すことができるのが――現帰宅部部長なのである。
学年は四天王と並び最上学年。だが彼は極制服を着ない――否、着る必要がないのだ。
極制服を着なくても、強いのだから。
「…神流帰宅部部長、どうする?」
一睨みすれば生徒全員が怯み上がるような視線を携えた皐月は問うた。
神流が極制服を着ない理由は極めて単純だ、技術流用の防止である。結果と実績、そして創立時以来最大規模の権力を有する個人部活帰宅部は極制服の着用を禁じられている。当然だ、極制服を守る為に極制服を着て戦ってどうする。鴨が葱を背負って歩いているのとまるで変わらない。
だが、生徒会四天王に準ずる権力を持てば、勢力図は大きく変わるかもしれない。
「(仮に神流が生徒会四天王…いや、夢の五天王? ええい語呂が悪いな、五帝王にでもなったとしよう。するとどうなる…?)」
犬牟田は自身の思考を加速させて解答を導き出す。
まず、神流の帰宅部としての権威が最高位となる。
次に、ただでさえ対人戦力が四天王に勝るとも劣らない神流が極制服を、あまつさえ三ツ星なんか羽織ってしまえば。
「(……まさか、蛇崩は神流を纏 流子にぶつけさせるつもりなのか?)」
もしくは、それが蛇崩が感じ取った皐月様の思惑なのだろうか。
生徒会四天王の中でも蛇崩が皐月様と最も長く共にしていることは時間が証明している。なればこそ、蛇崩の思惑は皐月様の思惑……。
「(いや、案外何も考えて無いのかもしれないな。早計をするな)」
一つわかることは、帰宅部部長である神流が生徒会四天王に匹敵する力を有してしまうということだ。
「(…帰宅部はこの本能字学園でも文化部、運動部、風紀委員、情報戦略部のどれにも含まれていない)」
つまり、四天王並の戦力を個人が所有してしまうということである。それはまさしく、生徒会長である皐月様の地位に近しいところに並び立つことに、
「辞めとくよ」
ピシャリと、犬牟田が思考に耽る中で神流は言った。その反応には犬牟田自身ではなく、生徒会四天王全員、そして皐月様も驚いていた。
ほう、四天王入りを、加えて極制服の着用を拒むか。
皐月は雰囲気こそ変わらず、しかし確固たる意志を秘めた瞳を見据えて眉を釣り上げた。
「いいのか?」
「そ、そうだよカンナ君、今回の遠征でもう五十回目だよ? しかも被害ゼロ。私の口添えだけじゃない、皐月様だって…」
「蛇崩ちゃん」
ここで初めて、神流は蛇崩に対して愛称で答えた。それは彼がプライベ―トで呼ぶときであり、長年の信頼の証でもある。
「僕はいいよ、って言ってるんだ。今のままでも不自由は無い。生徒会帰宅部部長はいつもぼっちで戦うんだよ。誰の助けも、極制服の力も乞わない」
それは、久方振りに見た神流の決意の再確認だった。高々五十回目の遠征成功に感化された訳ではない。おそらく、転校生・纏 流子の出現だろう。
「蛇崩ちゃん」
「な、何…」
「ありがとうね」
意趣返しに成功したのか、そっぽ向いて赤面する蛇崩を見た神流は満足そうに笑い、私に礼をして生徒会室から退室した。最後に、仄かな胸の痛みを私に残して。
退室していく神流を、俺は追った。後ろから着いてくる気配は無い。犬牟田は作業に戻っているし、猿投山は立つので精一杯、蛇崩はなぜか赤面したまま不動、皐月様に限ってはいつも通り冷徹な視線を神流へ向けるだけだ。
「神流帰宅部部長」
「ヒュヒ?(何?)」
振り向いた姿はホイッスルを加えた間抜け顔だった。辞めろ、シリアス空気が崩壊して腹筋が…!
「労いの言葉を忘れてたな…相撲部の遠征、ご苦労だった」
「ヒュイヒュイ(はいはい)」
「それと…猿投山が言い掛けたことだが、“お前の妹”が喧嘩部部長になったぞ満艦飾 神流」
「…へぇえええ~」
ポロリとホイッスルを口から落とした神流は喜色満面の笑顔を浮かべていた。驚きこそすれど、その声音に疑いは無い。
「ありがとう蟇郡さん、家に帰って妹の不意打ちドッキリをされることは無くなりそうだ」
「あぁ、それはよかったな」
「仕事は? ちゃんとこなしてる?」
「穴だらけだ」
「じゃあ、帰ったらおしおきだね」
兄として。
そういって、神流は再びホイッスルを加えて去っていった。
不思議な男だ。俺はそう評価する。
犬牟田のようにミステリアスな訳ではない、ただ本当に不思議だと感じる。同時に有能な生徒だ、本来困難な遠征任務を一人でこなしている。
本当に、いつも独りで。
神流は満艦飾 マコの父親である闇医者・満艦飾 薔薇蔵に拾われて“義兄”として満艦飾家にいる。実力こそあれど帰宅部の宿命として無星という地位を甘んじて受け入れており、普通の無星と変わらぬ貧民階層で貧しい暮らしをしている。本人はそれはそれでいいという、悟ったような奴だ。
「神流」
「ヒュ?(ん?)」
「…いや、なんでもない」
纏 流子がお前の家に住み着いている、なんて口が裂けても俺の口からは言えそうにない。
だが同時に、明日のお前の顔が楽しみだな。
ピュッピュ―とホイッスルを吹きながら廊下を歩く神流。数ある教室の間の、まるで編み目のような無人の廊下の突き当たりを曲がろうとして――ふと、足を止めた。
「おやおや~一応気配は消したつもりなんだけどキミには気付かれちゃうか~」
「は、気配を消す? それ毎度毎度言ってますけど本気ですか? 生きている存在に気配なんて消せませんよ、それこそ死なない限り」
先ほどとは打って変わって冷ややかな声が放たれる。おお怖い怖い、生徒会として活躍しているときの彼とは思えない声音だね。
「露出狂師」
「美木杉 愛九郎だよ、変な渾名で呼ばないでくれ。生徒達に誤解を招かれたら困るじゃないか」
「事実でしょ、反制服ゲリラ「ヌ―ディスト・ビ―チ」。とか変態名からして」
「僕は男の前では脱がないんだがな」
「女の前では脱ぐ、と」
「それが僕らの信条だ」
「理解不能だ」
僕が背凭れている廊下の壁に垂直に延びた壁に、神流は呆れたようにズボンに手を突っ込み背凭れた。お互いの顔は見えず、かといって遠すぎず近すぎず、しかし小さな話し声程度なら聞かれることはまずない。
今の僕と彼の、複雑な距離感だ。
「(いや、僕が間合いを図っているんだけどね?)」
顔を見ないのは、なるべく僕が見るのを避けているからだ。別に色恋などというアブノ―マルな関係からなる理由ではない。
顔を合わせたら、針を打ち込んでキミを殺してしまいそうになるからだ。
勿論、反制服ゲリラへのこっぴどい仕打ちを忘れた訳ではない。それ以上に、僕はたまにキミを――“彼女”と見間違いそうになってしまうからだ。
男性だし、特に日常生活から似ている点なんて露ほども無いけれど、でもそれでも、僕はキミの面影が彼女にそっくりに見えてしまうときがある。
「…先日」
「ん?」
「二度目の反制服ゲリラからの強襲を受けた際に、見慣れた黄色頭の釘打ちバカが居なかった」
「あぁ、黄長瀬か。彼はもうこの学園圏内に忍び込み、拠点を作ってるよ」
「また傍迷惑なことを」
「……キミは、どっちなんだい?」
「どっち、とは?」
「このまま憎き鬼龍院家の娘に仕える犬に成り下がるか、それとも僕らと共に世界をひっくり返すか」
また、言ってしまった。
反制服ゲリラへの反撃がどれも本気では無かったこと、その際に己の身が助かった過去が未だに僕の中で疼いている。
もしかして彼こそが、この世界を変える引き金になってくれるのではないか? そう何度か夢想したことがある。今は新たなる希望である纏 一身の一人娘、纏 流子にその願いは託されているが、もし彼をこちら側に引き込めれば―――
「かつて7日間で世界を作った神は、その6日目に人間を作ったと言う」
「……古代の経典だね? キリスト教の旧約聖書」
「――踏み潰しても踏み潰しても尚雑草の如く出てくる。それがお前達の怖さだ。二度と芽を結ばぬよう、力で螺子伏せ、封じ込めているというのに」
「……それは、極制服のことかい? 僕らが極制服を求め、奪還することは間違っていると?」
「それがいつか、自らを滅ぼす力とも知らずに。無知――だかそれゆえに戦える。見てて不憫だ」
言葉の真意を知るべく、柄もなく慌てて廊下を見遣ったが、既に彼の姿は無かった。どこかで響く、ホイッスルの音色には思わず脱力してしまうが。
このとき、僕にはまだこの言葉が意味することがわからなかった。
「ただいま―」
「うわ―お兄ちゃんだお兄ちゃん帰ってきたぁおかえりおかえり―!」
「はいはいマコただいまただいま。喧嘩部部長就任おめでとう」
「ええぇ~何で知ってるの!? お兄ちゃん帰ってきてとっておきのドッキリだったのに~!」
「お、神流帰ってきたかおかえり―。メシ喰う? 今日の母ちゃんのメシは激ウマだよ激ウマ」
「今日“の”? “いつも”じゃないのね?」
「か―ちゃんの背中に鬼が見えるぜ…!」
「ばうばうっ!」
「お父ちゃんはとうといぎせいになる…なったんだ…!」
「ってマコお前兄貴いたのか!? 全然知らなかったぜ!?」
「あれ? 言ってなかったっけ? でもお兄ちゃんだって流子ちゃんがウチの家族になったこと知らないんだから当然だよ、行き当たりばったりな擦れ違いだったんだよ! ぎすぎすするね!」
「マコ、お前の言ってることは相変わらず要領得ない」
「へぇ、キミが纏 流子ちゃんね。僕は満艦飾 神流、よろしく」
「お、おぅよろしく…って、あれ、名字まで名乗った覚えねぇぞ?」
「じゃあ満艦飾 流子でいっか。僕の妹ね、小さいし。あぁ胸はなかなかだけど」
「嫌だよそれ!? ていうか会って早々胸褒めるとか変態かよ!?」
「キミってスタイリッシュ痴女とかタグ付けられそうだよね、絵的に。まだそこの厳ついセ―ラ―服着たとこ見たこと無いからわかんないけど」
「何の話だよ!?」
「キミもよろしくね、セ―ラ―服くん」
「え。あ、あぁ…よろしくな」
「お兄ちゃん誰と話してるの―?」
「(…こいつ、俺と話せるのか?)」
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