死の香りを運ぶ疎まれ者は、別れの哀しさを知っているから。
けれど、それでも。
例外がいたって、良いじゃないか。
男の子とおねえさん
セイバーが目覚めた時、そこは森の中だった。目の前に広がる大空はどんよりと曇り、今にも降り出しそうな具合だ。痛む頭を左手で押さえながら上体を起こすと、目の前に少年が立っていた。
「……おねえさん、お外の人?」
外見年齢は十より若い。烏羽のように真っ黒な髪を持ち、同じように真っ黒な瞳を持つその少年は、おっかなびっくりセイバーに寄ってくる。
「足を踏み外しちゃったの? だいじょうぶ? ケガ、ない?」
「……外傷はない、大丈夫だ。……少年、ここはどこなんだ?」
「ここ? ここは犬鳴村だよ。」
セイバーはその名に聞き覚えがあった。日本において都市伝説になっている集落の名だ。不用心に立ち入れば生きては帰ってこれないと噂される恐怖の村。人間とみなされなかった悲しき人々が肩を寄せ合う非業の村。
「おねえさん、お外の人なら戻ったほうがいいよ。みんなに見つかったら殺されちゃうよ。」
自分たちを差別し、放逐した外界の人間を激しく憎悪する者たちの生き地獄。確かにそんな場所に滞在していれば、身の安全は保証できないかもしれない。そして何よりも、自分のマスターの所在を早急に突き止めて帰らなければならない。しかし、その直後に交わされた会話が、セイバーの意志を大きく揺るがせた。
「おねえさん、名前は? 名前はなんていうの?」
「あー……そうだな、アルトリアとでも呼んでくれ。」
「アルトリアおねえさん、かっこいい名前だね。」
「少年の名前を聞いても構わないか?」
「うん、ボクはね――。」
「くろう。うえむら、くろう。クロウって呼んでよ。」
一瞬の硬直。しかしすぐに我に返ると、セイバーは少年に今の西暦を尋ねた。少年の口から出た数字は、セイバーのマスター、クロウ・ウエムラが生まれてから八年目の年だった。そこでようやく、セイバーは意識を失う以前の記憶を取り戻した。アサシンが放った不可解な言葉。そしてその通りに暗転した世界。マスターとは離れ離れとなり、何かしらの力が働いたことにより今この場に居ることを思い出したのだった。
「アルトリアおねえさん?」
「あっ……あぁ、すまないな。クロウ――は、その、なんだ。ひとりで何をしていたのだ?」
慣れない呼称に戸惑いながら、セイバーは若かりし頃のクロウであろうと思われる少年に問いかける。クロウと名乗る少年は困ったような笑顔を浮かべて曖昧な回答を教えた。
「……何かしてた、って言えば何かしてたけど、特に何もしてないよ。」
「遊ぶ相手は? いないのか?」
「いないよ。」
クロウの困った顔は悲しげな顔へと変貌する。クロウ少年は土の上に座り込むセイバーの目の前に放置されていた切り株に腰を下ろすと、両の脚をぱたぱたと交互に振り、俯きながら事情を説明する。
「ぼくの一族は……呪われてるから。とおいとおい……ぼくのご先祖様が、犬鳴村の鬼と良くない約束をしちゃったんだって。」
「知って――いる。」
「え?」
「いや、何でもない。続けてくれ。」
犬鳴村の鬼がどうこうという話は初耳であったが、セイバーにはその話に聞き覚えがあった。齢七つで一度落命する。その後息を吹き返し、後代に蓄積していく呪いを背負って生きていく餓叢家と悪鬼との契り。やはり、このクロウ少年はセイバーのマスターとなる運命を持つ青年、クロウの過去の姿であることはもはや疑いようもなかった。
「――かあさんは、ぼくを産んだ時に死んじゃった。とうさんも、毎日毎日手元の包丁が首筋に飛んでくるアンラッキーに耐えられなくなって橋から飛び降りて……。」
「そう……だったのか。」
「犬鳴村の中でも、ぼくの一族は昔から嫌われ者だったんだって。鬼の仲間だ、生き損ない、だって。」
セイバーは知らなかった。あちこち擦り傷や切り傷、打撲や青痣だらけで痛々しい身体をまるで何てこともないように隠そうともせず、セイバーに対してにこやかに接するこの少年は、それだけの仕打ちを受けてなお、人を信じる心を忘れていなかった。
「クロウ――。」
「ん?」
知らなかった。正式なサーヴァントでないがゆえにマスターの記憶に関する夢も視ないセイバーにとって、クロウが一切語らなかった過去は、知りようもなかったのだ。だから、推し量ることもできなかった。
「君は……君は、村の人々のことを、嫌ったりしないのか?」
「全然。」
そう言って、クロウは首を横に振る。
「人っていうのはさ、アルトリアおねえさん。敵が欲しいんだよ。それは自分と考えが合わない人って意味だけじゃない。ライバルとか友達とか、たいぎめーぶんの付いた『みんな』の敵だって、そう。」
齢八歳にしてそんなことを口にしてしまう少年を前にして、セイバーは肩を震わせ始めた。
「ぼくがいることで、村のみんなが外の世界の人たちに向けるキライって気持ちが村の中で解決するなら、ぼくはそれでいいんだ。」
「そんな……そんなことが、あっていいはずが……ッ!!」
「だって、これでもしもぼくが村の人たちに石を投げたら、それはケンカだよ、おねえさん。ぼく、ケンカは嫌いだよ。」
喧嘩が大規模になった『戦争』に参加してしまうことになる人物の言うこととは思えなかった。クロウは参加した理由を『一族の悲願』『契約の解呪』と言っていたが、その真意は他にありそうな気がしてくる。
その巨大な滝は、緑色に澄んだ水を雄大な湖に流し込んでいた。その滝と湖を隔てるように崖に掛けられた木板と麻縄だけの吊り橋のちょうど真ん中辺りで立ち止まると、クロウ少年はその場にしゃがみこんだ。
「ここね、とうさんが落っこちた場所なんだ。毎日山の向こうのお花畑までお花を摘みに行って、ここにお供えしてるんだよ。」
橋の木板に白ユリをそっと置くと、背筋を伸ばして手を合わせるクロウ。ふとセイバーが橋の下を覗き込むと、湖へと細く伸びる川の岸辺に人為的に引き裂かれた痕跡が見受けられる無惨な姿の白ユリが打ち上げられているのが見えた。しかし、クロウがそれを気に留める様子は一切ない。
「――クロウ。」
「なぁに?」
「ひとつだけ。たったひとつだけ願いが叶うとしたら、クロウは何を願う? 何が欲しい?」
聖杯に願うものは本当に悪鬼との契約の破却なのか。それを幼少期の彼に問うても意味はないと思うが、それでもセイバーは知りたかった。この人物は、もっと利己的な願いを持っていても良いはずだ。しかし、クロウの口から出た言葉はやはりと言うべきか自身のことなど念頭にすら無かった。それどころか。
「いらないよ、そんなの。」
「え……?」
「ぼくだったら、誰か大切な人に権利をゆずるなぁ。そうだ、おねえさんがその権利、使いなよ! おねえさんは何が欲しいの?」
「私――は……。」
セイバーの願いは『彼女』の願い。『彼女』が王の選定、剣の試練を再度望むと言うのであるならば、それこそがセイバーの望み。しかしそれは、本当に『セイバー』の願いなのだろうか。確かにセイバーと『彼女』は一心同体であり、『彼女』が現界している限りセイバーも現界することが可能だ。しかしセイバーと『彼女』の間には明確な差異があり、明確な個人差が存在する。ならば、セイバーがセイバーだけの願いを持っていても何も問題はないのではないだろうか。
「アルトリアおねえさん。」
「ハッ!?」
我に返ったセイバーの顔を、クロウはしゃがんだままじっと見上げていた。その瞳の中には、騎士らしくもない狼狽しきった表情の金髪碧眼の少女が映り込んでいた。
「……いや、私にはわからないのだ、クロウ。」
「何が?」
「私は……そうだな。
吐露すればするほど、自分の至らなさが身に染みる。セイバーはクロウの右隣りに腰を下ろし、吊り橋から曇り空の湖を眺めながら、騎士王とは決定的に違う
「……そっか。」
ただ一言、クロウは優し気に応じ、セイバーが見つめる先に視線を送る。そうやって風と水の音だけが過ぎゆく空間の中に身を委ねて数十分、クロウがまた口を開いた。
「自分がしたいことをすればいいんだよ。」
「え――?」
クロウの表情はまるで菩薩のように柔和であった。
「……おねえさん、あれ。」
そう言ってクロウが指差した先には、曇天を飛翔する鴉が漆黒の流星のように水面に虚像を投影させながら彼方へと消えていこうとしていた。
「カラスはね、みんなの嫌われ者なんだ。真っ黒くて不吉で、毎日ゴミばかり漁って暮らしてる。でも、それでいいんだ。カラスはそうありたくてそうあってる。本当は、やろうと思えば他の鳥や鼠を襲ってついばむだけの力を持っているんだ。それでも……それでも、カラスは他のみんなを傷つけたくなくて、ゴミを漁るんだ。」
「――……。」
「疎まれるさ。嫌われるよ。石も投げられる。水もかけられる。でもカラスは賢いんだ。どれだけ痛めつけられても、カラスは絶対にやり返さない。他の鳥が食べる物がなくなるから、人間のゴミを食べて生きる。カラスは……優しい生き物なんだ。ぼくは、あんな風になりたいんだ。」
濡れた鴉のように真っ黒な髪と瞳を持ったクロウは、目を細めながらそう自らのことを語った。
「こんなぼくでも、そうやって自分がなりたい自分になるために夢をみることができる。おねえさんも同じだよ。おねえさんもぼくと同じ人間なんだから、おねえさんにだって自分がなりたい自分になる力があるはずさ!」
「……カラスは。」
ふいに、セイバーの口から言葉が漏れた。そのことに誰よりもセイバーが驚いていた。勝手に喉の奥からぽろぽろと零れていく言葉を聞いていくうち、セイバーは自身の『夢』を知る。
「カラスは、子供想いだ。子供のためなら自分から進んで石を投げられに行く。自分が石を投げられることで、自分の子供たちに矛先が向かないようにするのだよ。私は……そうありたい。大切な人を護るために率先して矢面に立つ騎士でありたい。明日へ翔び立つ若きカラスを見送る心の剣でありたい。
……君と――。」
「え?」
「いいや、なんでもない。」
薄く笑うと、セイバーは立ち上がる。
「君はまだ、そこにいてくれているんだな。」
いつの間にか、灰色の雲を抉り抜くように漆黒の虚無が天空に顔を覗かせていた。その虚無から伸びてくる帯のような物質に腕や体躯を拘束され、虚無へと連れ去られそうになるセイバー。
「アルトリアおねえさん……!?」
驚愕の面持ちで必死にセイバーの腕を掴んで行かせまいと抵抗するクロウ。しかし、セイバーはその手を払ってしまう。
「構わないさ、クロウ。……私は未来で待っていよう! マスター、どうか私を忘れないでくれ。どんな時も、この身は貴方のためだけに力を振るおう。我が剣の重みは絆の重みだ!!」
セイバーは空中へと高速で引き寄せられながら、自身の髪を留めていた黒色のリボンを右手でするりとほどくと、それをクロウに投げ渡した。
「ようやくわかったぞ、『私』の願いは――!」
虚無へと吸収されながらセイバーが叫んだ声は、けれど誰にも届かなかった。やがて虚無は縮小していき、天空には何事もなかったかのように静かな曇り空だけが広がっていた。今にも降り出しそうな雲の間からはしかし、幾条かの日の光が漏れ差し込んでいた。