輝くことを知らなかった宝石は今、少女の手の中で燦然と輝く。
――あの子のために。
アメジストの宝石言葉は、『心の平和』、『真実の愛』。
だがそれでも、マーシャルは倒れなかった。腕部や肩部含め、頭部を除く左半身をその巨大なタワーシールド諸共吹き飛ばされても尚、老騎士は騎乗槍を手に、足腰に力が入らなくなってへたり込んだゾーエの元へと歩み寄る。
「実に、実に果敢な勇士であった。あのような兵をサーヴァントに選べた己が幸運に感謝するが良いぞ、少女よ。……だが、それはそれ、だ。子供を手に掛けるのは大変に心が痛むが、彼の元へ逝ってもらうぞ!」
ゾーエには、その光景がスローモーションのように思えた。振り下ろされる槍の穂先が、ゾーエの顔面、首、胴体を貫かんと落ちてくる。悲嘆と絶望で微動だにできなくなった彼女は、ただただ迫りくる『死』を見つめることしかできなかった。
「――盟友ッ!!」
不意に。槍は弾かれ、声の主に蹴り飛ばされたマーシャルが距離を取って、槍を道に突き刺し体勢を立て直す。先程までのダルタニャンと同様、ゾーエを守り、庇うようにその眼前に立っていたのは、
「間に合わなかったが……間に合ったみたいだな、盟友! 君が無事で何よりだ!」
柄も刃も純白な細身の槍を携え、要所に鎧を装着しただけの装備で、
「ア、ロー……?」
「ああ! 君の盟友、アロイジウス・アナスタージウス・アーレルスマイアーだとも!」
「……まったく、道中変な海賊姉妹に目を付けられてしまってね。なんとかグランツ・レルヒェのサーヴァントのおかげで窮地は脱したが……おかげさまで随分といらない魔力を浪費してしまったよ。」
そう言って笑い、振り返るアロイジウスの瞳がちらりとアシメバングの前髪から覗く。それを目にしたゾーエは、悲痛な叫び声をあげた。
「アロー、あなた……魔眼がっ……!」
アロイジウスのアメジストの魔眼は、一目見てわかるほど顕著に亀裂が生じており、そのヒビから痛々しく真紅色の血が流れ落ちていた。
「ん、あぁ。まぁ僕様のことは気にしないでくれたまえ。これくらいは何てことも無い。」
「そんなわけないでしょ!? は、はやくその英霊化を解きなよっ! 失明しちゃうよ!? いや、いや! 失明だけで済めばまだマシ! 死んだらどうするつもりなの!?」
「大丈夫さ盟友、僕様をそう甘く見ないでくれよ。」
「大丈夫なわけ――っ!」
言い終わるよりも前に、アロイジウスはマーシャル目掛けて飛び掛かる。武人でも兵士でもない、ただの魔術使いの槍捌きはマーシャルのそれに比べれば格段に稚拙であり、左腕を失ったマーシャルを相手にアロイジウスはすぐさま劣勢に陥ってしまう。それでもアロイジウスは無謀にも決闘王に挑み続けた。
「名も無き英霊よ、そなたは何故無駄に命火を自ら吹き消さんとする? そこな少女を連れ、どこへなりとも逃げおおせるが最も優れた選択であろう!」
「いいや、どっちみちあんたは倒さなきゃいけないんだ。時間稼ぎと敵サーヴァント討伐を同時にできるんだ、一石二鳥だろう?」
「あまりにも……。」
無謀だ。言わずともゾーエにもわかる。だからこそ、ゾーエは叫んだ。もうやめてくれ、自分を連れて逃げてほしい、と。だがアロイジウスは笑ってそれを拒否する。
「盟友、君が先に行くんだ。こいつは僕様が何とかする。君とコーニッシュは多分因縁浅からぬ関係だと僕様は睨んでる。なら盟友がヤツらと決着を付けるべきさ。クロウと一緒にな。だからこそこいつをそこへ行かせるわけにはいかない。大丈夫、大丈夫だ! 他のサーヴァントが船からの連絡で加勢に来てくれるさ。だから行け、行ってくれ盟友!」
ようやく若干落ち着きを取り戻し、おもむろに立ち上がっても、ゾーエはその場から動けなかった。これ以上戦い続ければ、二度とアロイジウスと会えなくなってしまう――そんな予感が脳内をちらついて仕方がなかった。
そんなゾーエに対し、アロイジウスはしびれを切らし、声を荒げる。
「早く行けって言ってるんだよ! 僕様を信じろ! 僕様は盟友を心から信じてる! 君なら世界だって救えるさ! 僕様を救ってみせた君ならな! だから君も僕様を信じるんだ! 信じて聖杯の元へ行け! ――早くッ!!」
ゾーエはそう言われてもまだしばらくその場で逡巡していたが、目尻に溜まった涙を大雑把に腕で拭い、アロイジウスへ向かって声を張り上げた。
「アロイジウス! 全部……全部終わったら、一緒にカフェでコーヒーを飲もうね! 約束、約束だよ!」
「あぁ、ロンドンのまずいコーヒーを一緒に飲もうじゃないか。安くてまずくて、一口飲んだら笑っちゃうような、あのコーヒーだ。あぁ――あぁ、あぁ! 約束だとも、盟友!」
その返答を聞いたゾーエは、昇りゆく朝日を背にアロイジウスに笑顔を見せ、時計塔へと走り去っていく。自らの運命へと駆けていく盟友の背中目掛けて、アロイジウスも負けじと大声で呼びかけた。
「――行け盟友! 振り返るな! 君が走ったその道は、
瞼を閉じ、再びマーシャルの方に向き直る。マーシャルは槍を深々と地に刺し、アスファルトに膝をついてアロイジウスをじっと待っていた。
「……もう、良いのか。」
マーシャルに問われ、アロイジウスは即答しようと口を開く。しかし、声を発しようとすればするほど、かわりに目の奥から水滴が溢れて止まらなくなる。だがしばらく俯いて顔を上げると、そこにはひとりの決意に満ち溢れた英霊が立っていた。
「あぁ、悔いはない! 行くぞ、決闘王ウィリアム・マーシャル! 百戦無敗のその技量、存分に見せてもらおうじゃあないか!!」
アーレルスマイアーの
『おおあにうえ!』
冬木の聖杯戦争が勃発した2004年も終わりを迎え、2005年がやってくる年の瀬。まだ齢六つだったアロイジウスは、当主嫡男、次期アーレルスマイアー当主であると疑われなかったランベルトに尋ねた。
『なんだね、私のかわいいアロイジウス?』
『アーレルスマイアーは、サーヴァントになるための魔術を調べているんでしょう?』
『――あぁ。そうだよ。』
ランベルトは苦笑しつつもそれを肯定した。幼いアロイジウスにその表情の理由はわからなかったが、その答えにアロイジウスは再度尋ねる。
『それじゃあ、ぼくにもその魔術はつかえる?』
『――……。』
今度こそ、ランベルトは言葉を濁す。その眉根、眼差し、溜息。アロイジウスは瞬時に理解した。――自分は、何らかの理由によりその力を行使するに能わないのだ、と。
その晩、ドイツ北部に存在するアーレルスマイアーの本家屋敷、父親――すなわちアーレルスマイアー当主の私室の前を通り過ぎた際、アロイジウスの耳にランベルトと父親の会話が飛び込んできた。
『――くだらん。』
父親の声。
『ですが父上、アロイジウスには我々兄妹にはない魔術のセンスがあります! せめて、せめて基礎だけでも……あるいは彼女ならば、
『くどいぞ。お前は常日頃からあの出来損ないに肩入れしすぎている。再三言わせるな。アーレルスマイアーの歴史において、あれは本来
『……っ!』
『魔術回路の本数が兄や姉はおろか、我々父や母……祖父や祖母、曾祖父や曾祖母にすらも及ばぬ出来損ないに、学ばせる魔術などひとつとてあるものか! 下がれ、最早話はない。』
部屋を出たランベルトが見たのは、愕然とし、絶望し、恐怖や悲壮や嫌悪感や、その他様々な感情と思考が入り乱れてぐちゃぐちゃになっていることが目に見えて明らかな顔をしてへたり込む、アロイジウスの姿だった。
『アロー……っ!』
期待されていない――冷遇されている、両親からもほとんど無視されているに等しい扱いを受けていることは薄々ながら勘付いていたが、ここまでハッキリと断ぜられたことはなかった。それが両親に残された僅かな愛情なのかはわからなかったが、ひとつだけわかったことがあった。
『ひどい! 父上がそんなことを?』
『おいおい、確かにアローは出来損ないだがよ、在っちゃならねぇだなんて、そんな言い方はねぇよなぁ?』
『だいじょうぶ、アロー、あなたのことは、私たちがたっくさん、みとめてる。』
『僕らもできるだけのことをしよう。才能の無い者だって学ぶ権利はあるさ。魔術師である前に僕らだって人間だ。』
自分の兄姉たちは、明確に自分のことを愛してくれていた。皆揃いも揃って口の悪い者たちだったが、その愛情は本物だった。
アーレルスマイアーの一族に代々伝わる『
「だってそれは!」
血塗れの膝はもう震えて一歩進むだけでも激痛が奔る。
「
腕を曲げるだけ、肩を回すだけ、指を折るだけ、呼吸をするだけで、全身と魔術回路と魔眼に地獄の責め苦のような灼熱の痛覚が駆け巡る。
「手放すことだから!!」
「多くの愛情を受けてここまで辿り着いたのだな、少女……否、未熟な槍兵よ。その苦節、その道のり、わしは大いに絶賛しよう。故にそなたを討ち取るには宝具が最も相応しいと見た!」
それは、決闘王を名乗るマーシャルの人生における戦場そのもの。五百の決闘を経て無敗、敗北という概念の否定を物理的に成し遂げた彼が視界に焼き付けたすべての技術、技量、技巧。相手の『一』手を『一』瞥した瞬間にその攻撃を往なし、かつ致命の『一』撃を与えるための因果を超越した最善の『一』突き。ただ『一』瞬にすべてが終わる、その宝具を。
「――『
だが。
「お前の宝具の欠点を言ってやるッ!!」
アロイジウスが振るった槍を捉えたその宝具は、確かに彼女の存在を跡形も無く消し去るだけの威力を以てその体躯を穿ったはずだった。だが。だが。そこにまだ
「それは――!」
その先を聞くことは叶わなかった。ただ、理解することだけは追いつけた。もはや従えるべき僕を失い、輝きを失った令呪。その一画が、完全に消失していたのだ。それは真似事。たった数回しかやり取りを交わさなかった青年の十八番を
「これは僕様の――僕のすべて!」
魔眼が、眼球が熱暴走によってとうとう破裂する。綺麗なアメジストが、あかいろの液体と共に儚く砕け散っていく。
「『
頭蓋を抉り、瞬く間にその霊基を蒸発させる。だがその代償は大きく。アロイジウスもまた、槍を握っていた右の半身を見るも無残に吹き飛ばされてしまう。全身を失わなかったのは、偏に彼女の存在が既に人間としてのそれを卒えていたから。
「――……いま、アローの声が……。」
白衣の女性と幼女を前に臨戦態勢を取る青年たちの中にあって、たったひとり、少女だけはその声を確と耳にしていた。一筋の涙と共に少女は唇を噛み締め、再び前を向く。未来を繋がんと、眉を吊り上げて。
こつん、と。仰向けに倒れ伏したアロイジウスの頭上で、足音がした。見上げれば、そこにいたのは既に大半の霊基が黄金の光に戻ってしまっていたセイバー、伊達政宗であった。
「――あ、ぁ。政宗公。そう、か。大兄上……も……。」
「……オレがいながら。すまない、アロイジウス。」
「いや、い……や。いい、んだ。これ、で……。はは、ははは……見て、くれよ、政宗、公。」
笑いながらアロイジウスが示したのは、自らの消え失せた半身。そこからは確かに血も流れていたが、それ以上に、政宗と同様、その消失面からは、黄金の粒が黎明輝く紫紺の天穹へと揺れ昇っていた。
「僕様、とうとう……人間、やめちゃった、みたいだ……。これじゃあ……もう……。」
「……ああ。もう、たとえ世界が元に戻っても、ゾーエちゃんには会えねぇな。アローちゃんはランサークラスの英霊として座に記録されちまった。長くその姿のまま無理しすぎた結果だ。」
「……。」
ぼんやりと、次第に明けていく雄大なロンドンの空を眺めながら。
「なぁ、公。」
アロイジウスは薄れゆく意識の中で政宗公に独白のように問う。
「僕様は……ゾーエ・モクレール、というひとりの少女に、心から『恋』をした。……愚かな英雄、なの、さ。誰にも、語り継がれ、ない。あの子、だけの、英雄……。なぁ伊達政宗公、僕は……、あの子の、英雄……に――、」
政宗は応える。既に
「あぁ。お前は最高の英雄だったよ。アロイジウス・アナスタージウス・アーレルスマイアー。誰もお前を覚えていなくても、誰もお前を語り継がなくても、お前はあの子だけの英霊さ。」
矮星、堕つ。アメジストのように輝くソラが、その先に起きるであろう大事変を優しく見守っていた。